古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号
   

 

 

はじめに     
音喩とはなにか

 ことばが成り立ってくる過程に擬声・擬態(オノマトペといい慣わしている)からの領域がある。これは、外界から聞こえてくる音や視界でとらえた光景を人の音声に受止める作用にもとづいているわけである。おそらく言語が成り立ってくる有力な一方のルートであろう。


 次の歌で音喩を原理的に説明してみよう。「烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとそ鳴く」の場合、ころくというのは烏の求愛行動中の鳴き声を聞き写し(擬声語)、それを意味へと転換させると、「子ろ来」=愛しい子が来る、もしくは「比ろ来」=近いうちに来る、のような聞きなしとなる。右の歌は聞きなしという作用を歌の中に取り込んでいる例で、これは音から意味へと転換する手法であるから、烏の鳴き音が「子ろ来」もしくは「比ろ来」の喩として働いていることになり、喩という概念からいえば音喩と呼ぶことができる。


 こうした音を意味へと転換させる方法は、たまたま生まれたものではなく、七世紀末ごろから八世紀初めごろにかけて古代社会の文字化、文書化時代を経過したことの中で鍛えられたものと見ることができる。つまり、オーラルな伝承時代の伝承を記録化する時代背景がほぼ全国的にあったということである。たとえば、風土記などに見られる地名起原譚には神の言辞を根拠にして地名が誕生するものがあり、これらは神の声をいったん<音>として受けとめ、ついで意味ある地名へと転換させる手法である。この数々の例をみていると音喩の時代ともいえる様相を呈しており、こうした過程を経過したことが和歌の表現とも通底していると考えられるのである。


 ところで和歌の、特に序・枕詞の中には、和歌本旨への転換方法としてあたかも音喩を装置化しているかのごとき手法を持つものを発見する。たとえば「多摩川に晒す手作りさらさらにそこの児のここだ愛しき」では、さらさらが川で布を晒す作業から発せられている作業者として聞き写され、しかもその音を基点にさらさらに(さらにさらに)の意味へと転換させ、以下の歌の本旨を形成してゆく。このような例の場合、和歌の表現技法に音喩が方法化しているということができる。


 和歌の枕・序詞などを音喩という概念で見てゆくとき、そこには単に意味を追うだけではなく、古代人の感性を窺うことのできる視点が見出せるように思われる。

 
 
 
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