古代文学の常識-万葉集の時代-
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号   


 

はじめに  
 字余りとはなにか

日本の詩歌をみると、記紀歌謡では、一句の音数がなお一定していないが、万葉集以降、五音と七音が基本形式となる。その五音・七音がときに六音以上八音以上の字余りになることがある。古代ではその字余りに法則性をもつ。法則の主たるものは、句中に母音を含むときの字余りである。ただし母音を含んでも一方で字余りを生じないものがある。


 その両様を観察すると、母音を含むほとんどが字余りをきたす(a)グル-プ(短歌第一・三・五句等)と、字余りを生じない方が上回る(b)グル-プ(短歌第二・四句等)とに二分されるが、さらに眺めると、(b)グル-プで一句中母音が「五音節目の第二母音」以下に位置するときには(a)グル-プと同等の比率で字余りが高くなっており、結局字余りの比率が甚だ高いA群[(a)グル-プと、(b)グル-プの句のうち「五音節目の第二母音」以下]と、比率の低いB群[(b)グル-プの句のうち「五音節目の第二母音」より前]に大別できることになる。


 そもそも字余りとは、語と語が連接するときに結合体の状態をなすか単なる連続の状態をなすかの差であって、前者が字余り、後者が非字余りであると説明できる。しかも結合度の高さにおいて、字余りと脱落現象とはごく近しい関係にある。実際、字余りの比率の高いA群では脱落形も多く、低いB群では脱落形も少ないことが看取できる。散文(宣命)にも脱落現象が認められ、試みに宣命と万葉とを較べると、相関関係にある字余りを背景にもったB群の脱落形と宣命の脱落形とは共通した様相を呈している。


 こうした共通性を通して、万葉のB群を、散文(宣命)との橋渡しとして位置づけることができる。宣命に字余りが存在するかという問い自身、字余りとは和歌など定型であるものに問われるのだから問題とはならないが、しかし結合度の高い状態が字余りであってみれば、散文(宣命)にも字余り相当の現象はあると言ってよく、万葉の字余り句「敝奈里氐安礼許曽(ヘナリテアレコソ)」(巻十七・3978)が八文字の七単位であると言えると同様、「出留宝尓(イデタルタカラニ)」と脱落タルをもつ宣命の「置弖在官(オキテアルツカサ)」も八文字の七単位であると捉えてよい可能性が出てくることになる。


 万葉のA群とB群は、唱詠の仕方による相違である。よってそのこと自体は唱詠の問題であるが、要はその中身であろう。字余りの在りようを結合の度合いに置き換えてみれば、和歌と散文における単位(音節)の問題も同じ土俵で論じ合えるようにもなるのである。
 
 
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