古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号
  

 

はじめに
 
 人麻呂歌集の略体歌と非略体歌とはなにか

 万葉集には先行の「柿本人麻呂(之)歌集」というものから採録した歌が長歌・旋頭歌・短歌併せて三百七十首ほど見える。それらのうち特に短歌約三百三十首は表記法上、活用語尾・助詞・助動詞などの仮名表記を省略し、極端に少ない字数で表記する特異なもの約二百首と、通常の表記法に近い方法で表記されるもの約百三十首とに分かれる。これは江戸時代に賀茂真淵によって発見され、それぞれ「詩体」「常体」と名付けられた。戦後の研究史のなかでこのことは新たに見直され、阿蘇瑞枝により「略体」「非略体」と名付けられ(「柿本人麻呂論考」)て一般化し、二種類に分かれることの意味や由来が問われた。

   
 そもそも人麻呂歌集の歌には人麻呂の宮廷歌に比べて非個性的なものが混じるので、人麻呂の歌ばかりを集めたものではないと見られてきた。近代の研究の中で、次第にすべてを人麻呂ゆかりのものとする見方が主流になってきたが、なお略体歌には非個性的なものが多く、人麻呂とは関係の薄い奈良時代の歌を含むとする森淳司「柿本朝臣人麻呂歌集の研究」などの主張もなされた。

   
 逆に略体歌を人麻呂の若年時の歌とする久松潜一「万葉集考説」などの論があり、稲岡耕二「万葉表記論」は、和文表記成立史の上に、略体から非略体を経て人麻呂作歌へという流れを定位して、略体歌を天武九年頃まで、非略体歌をその後持統三年頃までとする。また稲岡は旋頭歌にも二体の別があるとする。

   
 しかしこの表記史的観点については、略体表記がこの時期の和歌独自の創造的な表記法で、必ずしも一般表記史の問題になしがたい、とする橋本達雄「万葉宮廷歌人の研究」などの批判もある。

   
 非略体歌は内容も宮廷歌的で人麻呂作歌に近く、略体歌は恋愛主体で類型的な面を持つ。中西進「万葉史の研究」が「暈色の歌群」と評するように、歌集歌のこの二面は区分せずにあくまで連続として把握するのが正しい。なぜならまさにその二面の共有こそ、官僚知識層出身とは異なる詞人系統の歌人人麻呂の本質に適合するからである。略体歌の省略的な表記が表記として成り立つのは、その表現が類型性に依拠するからだが、類型性に依拠しつつ新しい和歌としての姿を立ち上がらせているところに、古代和歌の形成に与える人麻呂の位置に見合うものがあり、歌集歌の全容を人麻呂に関わるものとして読む意味がある。
 
 
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