校本万葉集はどのように用いるか
校本万葉集は後に増補、新増補がなされたので、その使用にあたってはまずそれぞれの成り立ちを知っておく必要がある。最初の校本は完成寸前の大正十一年に東京を襲った大震災で印刷済みの本文がことごとく消失し、僅かに残った校正刷りをもとに大正十三年に和装本として出版されたものである。寛永二十年の版本を底本とし、桂本以下二十種の古写本と校合して本文及び訓の校異をはじめとして、古書に引用された万葉歌や仙覚の注釈、江戸時代の主な注釈書の本文や訓に関する所説を収録している。
その後昭和七年に新たに探り出した桂本などの断簡を校合し、本文及び訓などが先に倣って増補され、広く流布するにいたった。さらに、昭和五十五年から翌年にかけて従来の校本に修訂を加え、神宮文庫本をはじめ新資料をも追加して新増補がなされた。平成六年には新たに発見された非仙覚本系の広瀬本と校合した新増補追補も出版され、いっそう充実したものになった。特に、新増補の際には全面的に増補、修訂が加えられているので、増補本の使用にあたってはその点の配慮が必要である。
現在流布している万葉集の本文は注釈書類を含めて底本として多く西本願寺本を用いているが、写本である限り多くの誤字や脱字は免れず、その箇所は他の古写本で補っている。また、著者の判断で誤字とみなして訂正することもままある。その際本文の確定に校本が用いられるが、次のような場合も不可欠である。
たとえば、「塞爲巻爾」(巻二・203)は、古義のセキナサマクニの訓を是とする説のほか、金沢本に「塞」が「寒」となっていること、「爲」と「有」との誤写がみられることを以って、檜嬬手の「寒有」の誤りとの説をとり、サムカラマクニとも訓まれている。ただ、金沢本の「寒」は「塞」ともみられ、その判断は微妙である。この類のものは多数あり、表現の細部を検討するにはその都度校本によって確認することが肝要である。
また、「朝露乃既夜須伎我身」(巻五・885)は、類聚古集、神田本、近年発見された非仙覚本の広瀬本には、「露」が「霧」となっていて「朝霧」の可能性もある(新増補追補解説)など、本文の揺れを知る上でも欠かせない。
その他、近代以前の注釈書類にみられる訓や、平安朝以後の歌学書などに引用された万葉歌を知るうえでも利用価値は高い。
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