古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号


 

はじめに  
 代作とはどのような行為か

 代作とは文字通り他人に代わって作歌することだが、この問題は折口信夫に始まる。書紀には斉名天皇が孫の健王の死を悼んでの作を秦大蔵造万里に伝えさせたり、野中川原史満が中大兄皇子の愛妃の死を悼む歌を献上したとあるが、折口はこれらの所伝は万里や満の代作の事実を伝えるものと見なした。これは「みこともち」という天皇の言葉を伝える役目のものが、やがて詞書きを作成するようになったとの見通しに基づいてなされた想定である。折口はこの代作という視点を万葉集にも適用し、中皇子が間人連老を使いとして天皇に献歌したのも(巻一、3)老の代作とし、以下柿本人麻呂も同様の「代作詩人」として位置づけている(「万葉集講義」全集9など)。

 この折口説を展開した伊藤博は、額田王作の異伝がすべて天皇であることから、それらを額田王の代作と見て「御言持ち歌人」」と規定し、さらに額田王の立場は宮廷歌人柿本人麻呂に連なるとしてこの問題を展開させた(「御言持ち歌人」万葉集の歌人と作品・上)。

 次いで中西進は額田王の本文と異伝の作者名の違いを実作者と形式作者としておさえ、額田王の宮廷での立場を「詞人」ないしは「宮人」的立場にあるものとして展開させている(「額田王論」万葉集の比較文学的研究)。

 同様の視点は橋本達雄(「初期万葉と額田王」万葉宮廷歌人の研究」)にも継承され、代作の問題はもっぱら宮廷歌人論と絡めて推し進められてきた。このように代作という視点は古代の歌を読み解く方法として導入されたのであった。

 ただ代作と言う行為自体はその他にも散見する。行幸時に従駕した人に贈るために娘子に依頼された(巻四、543-5)とか、家婦から京にいる母に贈るために依頼された(巻十九、4169-70)、あるいは大伴稲公が田村大嬢に贈った歌の左注に「姉坂上郎女作」(巻四、586)とあるなど。これらはたまたま題詞や左注から代作と分るものだが、集中にはこの種の歌は多くあったと思われ、代作の行為を通して改めて作者の不安定さ、歌を通して見える作者像の危うさを知らされることになる。

 また相撲使の従人として上京の途次に没した者の心情を察して詠んだ歌(巻五、884-5、886-91)、防人になり代わってその情けを述べる歌(巻二十、4398-400、4408-12)等は、歌語りの形成と関わる問題であろう。このように代作という行為は古代和歌の実態に迫る手掛かりともなっている。

 
 
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