古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号


 

はじめに  
 万葉歌は平安和歌とどのようにつながるか


 藤原公任の「新撰髄脳」は、古今集時代までは本に「歌枕」(景物の表現)を置き、末に「思ふ心」を表す寄物陳思的な歌の形が標準的であったことを述べている。その典型が万葉集に数多い序歌であるが、古今集六歌仙の時代に一般化する掛詞・縁語の歌も、本来、景と心の対応関係において序歌と通じるものである。序歌は、例えば、「波の間ゆ見ゆる小島の浜久木久しくなりぬ君に逢はずして」(万葉集巻十一、2753)の上三句は聖なる景の表現として巫女と神との関係を外側から眼差す表現であり、下二句はその景の側に転位して、巫女が神を思うという形で、女の男への思いを表していると見られるように、その景の表現と心の表現との関係は外から内へと転位する関係にあると見ることができる(詳しくは佐藤和喜・本項筆者「嫉妬の歌」国語と国文学’96・6)。古今集の掛詞・縁語の歌も同様である。わかり易い例を挙げれば、折句として知られる「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」(古今集九、410)は題書に、三河の八橋でかきつばたを見て、木蔭に「下りゐ」て、その五文字を句の頭に据えて旅の心を詠んだと説明されている。かきつばたを見て馬から下りて歌を詠むとは、神に歌を詠むときの在り方と同じである。初めかきつばたの生える聖なる景を外から眼差していた歌い手は、馬から下りて景の内部に入り、旅の心を表すのである。かきつばたという景の表現と旅の心の表現との間には外から内への転位があるということである。


 ところが、伊勢物語九段は右の古今集410を、木蔭で食事している時に、かきつばたを見て詠んだと語っている。旅先で望郷の思いを抱きながら食事をしている時に、かきつばたを見て一層その思いを募らせて歌を詠んだというのである。景と心に転位がなく、景は心に従属的になっているのである。同様の変化は序歌にも見られるのであり、先の万葉集2753を伊勢物語一一六段は、陸奥国に下った男が京の恋人に「波間より見ゆる小島の浜ひさし久しくなりぬ君に逢ひ見で」と詠み贈ったと語っている。男が小島の浜辺の家を見て、京の人を思うという形になっているのであり、景が心に意味化されているのである。


 こうした変化は、景が初めから心の意味を担っているという点で、寄物陳思的な歌と正述心緒的な歌とが変わらぬものとなってきていることを示している。公任が、近代では本に「歌枕」を置くことにこだわらなくなっているというのも、この事態を指し示している。
 
 
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