古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号  


 

はじめに  
 寄物陳思・正述心緒とはなにか


 寄物陳思・正述心緒は、万葉集巻十一、十二に見られる分類名目であり、恋歌を、心が景物を取り込んで表現されているか否かを基準に分類しようとしたものである。

   
 寄物陳思の「寄物」は「物に寄せて」と訓まれるが、それは景物によって心を比喩的に表すことであるよりも、景物によって心が喚起・増幅されることを示していると見ることが出来る。巻十六、3809の左注に見られる「寄物」に「肩身」という訓が付されているのは、そのことをよく表している。「寄物」は形見として、眼前には不在のものの像を喚起し、その像に対する心を発生・増幅する聖なる呪物なのである。したがって、「寄物」は不在のものの像を立ち顕れさせる鏡であると言うことも出来る。鏡が寄物陳思歌の素材たる所以であるが、例えば「年の経ば見つつ偲へと妹が言ひし衣の縫目見れば悲しも」(巻十二、2967)では、妻が縫った衣が、妻を哀切に偲ばせる形見として歌われている。衣の縫目が鏡となって妻の像を立ち顕れさせるのである。

   
 寄物陳思歌の過半を占める序歌の景物も聖なる景物である。歌い手はその聖なる景を見ているうちに、景に憑依されて、その心を表すのだと見ることができる。例えば「との曇り雨降る川のさざれ波間なくも君は思ほゆるかも」(巻十二、3012)において、上三句で布留川に立つ波を見ていた歌い手は、その波となって下三句の心を表しているのである。これはまた、序歌の景が鏡となって相手の像を、そして相手への思いを立ち顕れさせるのだとも言うことができる。

   
 正述心緒歌は景物を媒介せず、心を直接表したものであり、そのために寄物陳思歌に比べて、誇張的な傾向を強く持っている。例えば「面忘れだにもえすやと手握りてうてども懲りず恋といふ奴」(巻十一、2574)は大げさな仕草を伴うものであり、盛り上がった陶酔的な宴の場などを想定させるものである。また、「愛しと思ふ吾妹を夢に見て起きて探るに無きがさぶしさ」(巻十二、2914)が「遊仙窟」の詩句によることが指摘されているのをはじめ、漢詩文の影響の上に成ったものが多く見られる。正述心緒歌は実感的であるよりも観念的・芸能的であり、それゆえに社交的・戯笑的な過剰さを持つのである。古今集の「枕よりあとより恋の攻めくればせむかたなみぞ床中にをる」(巻十九、1033)等の誹諧歌もこの正述心緒歌につながるものであることが指摘されている。
 
 
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