古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号  


 

はじめに  
 
 万葉集の伝本にはどんなものがあるか

 万葉集の古写本のことを考えるにあたっては、その写本がどの系統に属するか、と言っても仙覚本系か非仙覚本系かであるが、そのことと、写本と関わる古点・次点・新点のことを念頭におくことがまず大切であろう。

仙覚は、万葉集の校訂を寛元・文永年間(鎌倉中期)に三・四度行っている。それ自体は現存しないが、その系統本が七・八種ばかり残っている。寛元本系の代表は神宮文庫本、とりわけ貴重なのは文永三年本系の代表をなす西本願寺本である。西本願寺本は仙覚本系の中で最も古く且つ完本としても現存最古であって、今日、万葉集のテキストの大部分がこれを底本とする。仙覚の、伝本に果たした役割は大であるが、この系統の諸本は仙覚その人の校定に出るだけに、写本間の異同も言うならば相互に近い関係にあることが少なくない。


 その点、非仙覚本は、仙覚本系の底本になったものもあるが、仙覚の手を経ていないことや系統が詳らかでなくて個性的なものもあり、注意される。ただし、非仙覚本系にはおよそ十種余り(断簡も)の写本が存在するが、近年まで、こちらには全本がなかった。惜しまれるところであった。平安中期を下らぬ書写で現存で最古の桂本も僅かに巻四の三分の一を伝えるのみ、元暦校本は校合記入があって、万葉集の原形を推定するのに役立つが、二千六百余首を残すに留まる。類聚古集は歌材や題材によっての分類編纂で他の写本とは趣を異にするが、いくつかの巻を欠くといった具合である。そういう中にあって、近年発見された広瀬本は、書写は時代が下った江戸時代(天明元年)であるが、定家本の流れを汲み、非仙覚本系の伝本として唯一、二十巻うを完備した全本であって資料的価値が高く、出現の意義は大きい。

 平安初期天暦五年の詔によって源順ら五人が梨壺で万葉の訓み解きに従った。このときの訓みを古点と称する(点は訓読のこと)。これを伝える写本は存在しないが、桂本・嘉暦伝承本が辛うじてその俤を残す。古点以後、仙覚の新点までの訓みを次点と称し、およそ非仙覚本系のものがそれにあたる。仙覚は、校訂を行う以外に従来無点であった百五十二種に新たに点を加えて新点と呼んだ。

 仙覚本系では、古点・次点・新点の別が分るように訓に色分けが施されており、留意される。
 なお、桂・藍・元・金・天・嘉・壬・春・類・古・広・紀・宮・西(以上、古写本の略号)等には、複製本がある。
 
 
 
 
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