古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号  

 


はじめに
 
 万葉集の成立はどのように考えられているか

 万葉集は後の勅撰集のように、一定撰者が短期間に統一的な撰集方針に基づいて編纂する、という成立過程を持つものではない。長期間にわたりさまざまに蒐集・整理された歌巻を集積しながら、次第に現存形態に近づいていったものらしい。したがってその成立はなお多くの謎に包まれている。

 
 万葉集成立論は、1960年代後半に新しい研究が集中した。その主導者の一人である伊藤博「万葉集の構造と成立」によれば、万葉集現存形の成立までには三つの段階が想定される。第一段階は持統朝ないし奈良朝最初期の頃で、現存形の巻一・二の根幹部がまとめられた。だいたい初期万葉から柿本人麻呂の歌までを内容とした。これが「原万葉」とも「古撰の巻」とも呼びうるものである。次に、第二段階として、現存形の巻三から巻十六にほぼ相当する部分がまとめられて原万葉に加乗され、また原万葉の追補がなされた。天平十六、七年頃で、大伴家持らの手による。最後に第三段階として、奈良時代末の宝亀から延暦にかけての頃、家持の歌日誌ともいうべき体裁をとる巻十七以降の四巻が彼によって加えられ、現存形に近い二十巻本が成立した、という。論者によって意見は少しずつ異なるが、段階の時期のおおよそについては、おおかたはこれに相依ると見てよい。


 右の第二段階の諸巻の歌々に関し、近年橋本達雄は、さまざまな徴証から「拾遺・金村歌群」(第一段階「原万葉」の拾遺的歌群と金村らの歌群とを併せて金村らが蒐集・整理した資料)と、「大伴歌群」とに二分され、作者不明歌も、蒐集過程上そのいずれかに二分されるとして、金村らが整理し大伴家に伝えた資料の存在を想定する(勉誠社「古代文学講座」8所収「万葉集の成立と構造」など)。


 中西進は、平安時代の諸文献に散見する当時の万葉集の存在様態記事や成立伝承を解析しながら、平安時代の万葉集は現存本とは異なる存在態を有し、現存形二十巻本の成立は平安末期を遡りうる確実な徴証を持たないとして、万葉集が宝亀・延暦以降もなお久しく不定型で、多様な形態をとって存在していたとする(「中西進万葉集論」第六巻第十一章)。この論の蓋然性には高いものがあり、簡単には否定しがたい。逆にそのような様相にこそ、完成度の高い勅撰集とは異なる万葉集の真実の姿があったとも思われる。山口博にも平安時代成立説がある(「万葉集形成の謎」)。
 
 
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