古代文学の常識−万葉集の時代−
 出典:「國文學」學燈社1997年7月号第42巻8号
    

 

はじめに  
 旅の歌はどのように展開したか

   
 旅の歌の淵減に何らかの呪的羈旅信仰を見ることが通説となっている。ホカヒ人の寿詞に発するとする折口説、旅先での自然を「見る」ことによるタマフリに発するとする土橋説などがその主なものである。万葉集の旅の歌に土地へと向かう発想と家・妹へと向かう発想という二つの流れを認め、前者を「地名」を歌うことによる土地霊の喚起・慰撫、後者を家・妹との呪的共感関係による行路の安全の祈誓から捉える神野志説(「行路死人歌の周辺」論集上代文学四、「羈旅歌八首をめぐって」柿本人麻呂研究)は、旅の歌の呪的淵源をトータルに捉えようとする。旅において歌が歌われる深層の要請は、何らかの呪的発想から説明されるべきであろう。ただ、そうした様式を核としつつ、万葉第二期以降に飛躍的な発展を遂げる旅の歌の展開を捉えるときには、また別の視点が要求される。

   
 「旅」を「家」と対比させる発想は、既に初期万葉に見られるが、天武・持統朝における律令統一国家の急速な確立は、一方で新しい質の旅の状況を生み出すとともに、王権による新しい軸を旅の歌にもたらした。

   
 羈旅歌の表現が成立してくる時期はまさにその時期と交差する。人麻呂歌集歌に見られる旅の歌から人麻呂羈旅歌八首への旅の表現の展開は、そのことを跡付けている(大浦誠士「羈旅歌の成立−人麻呂羈旅歌八首をめぐって−」上代文学78)。旅の表現は人麻呂において一つの頂点を迎え、留京三首における地名の操作、安騎野遊猟歌の道行き表現など、作歌の方法として用いられるとともに、挽歌の一類型としての行路死人歌を成立させた。

   
 旅先の土地へと向かう流れは、国見的伝統とともに行幸従駕歌に流れ込む一方、より旅先の土地の自然へと収斂する方向を生じ、いわゆる叙景歌として展開してゆく。ただ、赤人の叙景的な歌の多くが、行幸従駕における天皇讃歌の反歌に見られることが示すように、旅先の土地讃美が即ち王権讃美につながる論理をその根底に見なければならない(野田浩子「観念と自然」日本文芸史古代1)。

   
 一方、「家・妹へと向かう」流れは、巻十二「羈旅発思」「悲別歌」を典型として、相聞の一分野として展開する。

   
 以上、土地へと向かう発想を中心に旅の歌の展開を見たが、旅の歌の二つの流れを統一的に理解してゆくことが求められよう。
 
 
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