万葉集巻第四 
 
 
  相 聞  古 語 辞 典 へ
      難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首 [難波天皇の妹、大和に在す皇兄に奉上る御歌一首] 難波天皇妹 (八田皇女か) 
487 一日社 人母待吉 長氣乎 如此所待者 有不得勝   
(484)
一日こそ人も待ち良き長き日をかくし待たえばありかつましじ  
  ひとひこそ ひともまちよき ながきけを かくしまたえば ありかつましじ  ひとひ(こそ)、ひと()まち(よき)、ながき()かくし(また)()、あり(かつ)ましじ 
    岡本天皇御製一首[并短歌] [岡本天皇の御製一首并せて短歌] 岡本天皇、舒明天皇か皇極天皇(斉明天皇)か  
488 神代従 生継来者 人多 國尓波満而 味村乃 去来者行跡 吾戀流 君尓之不有者 晝波 日乃久流留麻弖 夜者 夜之明流寸食 念乍 寐宿難尓登 阿可思通良久茂 長此夜乎 
(485)
神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 通ひは行けど 我が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思ひつつ 眠も寝かてにと 明かしつらくも 長きこの夜を
  かむよより あれつぎくれば ひとさはに くににはみちて あぢむらの かよひはゆけど あがこふる きみにしあらねば ひるは ひのくるるまで よるは よのあくるきはみ おもひつつ いもねかてにと あかしつらくも ながきこのよを  かむよ(より)、あれつぎ(くれ)ひと(さはに)、くに(には)みち()、あぢむら()、かよひ()ゆけ()、あが(こふる)、きみ(にし)あら(ねば)、ひる()、()くるる(まで)、よる()、()あくる(きはみ)、おもひ(つつ)、()(かてに)あかし(つらく)ながき(このよ) 
      反歌   
489 山羽尓 味村驂 去奈礼騰 吾者左夫思恵 君二四不在者   
(486)
山の端にあぢ群騒き行くなれど我れはさぶしゑ君にしあらねば  
  やまのはに あぢむらさわき ゆくなれど あれはさぶしゑ きみにしあらねば  やまのは()、あぢむら(さわき)、ゆく(なれ)あれ()さぶし()、きみ(にし)あら(ねば) 
490 淡海路乃 鳥籠之山有 不知哉川 氣乃己呂其侶波 戀乍裳将有   
(487)
近江道の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ  
  あふみぢの とこのやまなる いさやがは けのころごろは こひつつもあらむ  あふみぢ()、とこのやま(なる)、いさやがはけのころごろ()、こひ(つつ)(あら) 
      右今案 高市崗本宮後崗本宮二代二帝各有異焉 但称崗本天皇未審其指 
 [右は、今案ふるに、高市の岡本の宮、後の岡本の宮の二代二帝おのおの異にあり。ただし岡本天皇といふは、いまだその指すところ審らかにあらず]
 
      額田王思近江天皇作歌一首 [額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首]  額田王 
491 君待登 吾戀居者 我屋戸之 簾動之 秋風吹   
(488)
君待つと我が恋ひ居れば我が屋戸の簾動かし秋の風吹く  
  きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく  きみ(まつ)あが(こひ)をれ()、わが(やど)すだれ(うごかし)、あきのかぜ(ふく) 
      鏡王女作歌一首 [鏡王の作る歌一首]  鏡王女 
492 風乎太尓 戀流波乏之 風小谷 将来登時待者 何香将嘆   
(489)
風をだに恋ふるはともし風をだに来むとし待たば何か嘆かむ  
  かぜをだに こふるはともし かぜをだに こむとしまたば なにかなげかむ  かぜ()だにこふる()ともしかぜ()だに()()また()、なにか(なげか) 
      吹芡刀自歌二首刀自歌二首 [吹芡刀自が歌二首]  吹芡刀自 
493 真野之浦乃 与騰乃継橋 情由毛 思哉妹之 伊目尓之所見   
(490)
真野の浦の淀の継橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる  
  まののうらの よどのつぎはし こころゆも おもへやいもが いめにしみゆる  まの()うら()、よど()つぎはしこころ()おもへ()いも()、いめ(にし)みゆる 
494 河上乃 伊都藻之花乃 何時々々 来益我背子 時自異目八方   
(491)
川の上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも 結句【時自異目八方】「時自異(ときじけ)」は、形容詞「ときじ」の未然形。 
  かはのへの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも  かは()()いつも()はな()、いつもいつもきませ(わがせこ)、ときじけ(めやも) 
      田部忌寸櫟子任大宰時歌四首 [田部忌寸櫟子が大宰に任ずる時の歌四首]  田部忌寸櫟子 
495 衣手尓 取等騰己保里 哭兒尓毛 益有吾乎 置而如何将為 [舎人吉年]   
(492)
衣手に取りとどこほり泣く子にもまされる我を置きていかにせむ [舎人吉年]  
  ころもでに とりとどこほり、なくこにも、まされるあれを、おきていかにせむ  ころもで()、とりとどこほりなく()にもまされ()あれ()、おき()いかに() 
496 置而行者 妹将戀可聞 敷細乃 黒髪布而 長此夜乎 [田部忌寸櫟子]   
(493)
置きて行かば妹恋ひむかもしきたへの黒髪敷きて長きこの夜を [田部忌寸櫟子]  
  おきていかば いもこひむかも しきたへの くろかみしきて ながきこのよを  おき()いか()、いも(こひ)(かも)、しきたへのくろかみ(しき)ながき(この)() 
497 吾妹兒乎 相令知 人乎許曽 戀之益者 恨三念   
(494)
我妹子を相知らしめし人をこそ恋の増されば恨めしみ思へ 結句【恨三念】「恨三(うらめしみ)おもへ」は、ミ語法+「思ふ」で、「~だと思う、の意。」 
  わぎもこを あひしらしめし ひとをこそ こひのまされば うらめしみおもへ  わぎもこ()、あひ(しら)しめ()、ひと()こそこひ()まされ()、うらめしみ(おもへ) 
498 朝日影 尓保敝流山尓 照月乃 不猒君乎 山越尓置手   
(495)
朝日影にほへる山に照る月の飽かざる君を山越しに置きて  
  あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおきて  あさひかげにほへ()やま()、てる(つき)あか(ざる)きみ()、やまごし()おき() 
      柿本朝臣人麻呂歌四首 [柿本朝臣人麻呂が歌四首]  柿本朝臣人麻呂 
499 三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨   
(496)
み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも  
  みくまのの うらのはまゆふ ももへなす こころはおもへど ただにあはぬかも  (くまの)うら()はまゆふももへ(なす)、こころ()おもへ()、ただに(あは)ぬかも 
500 古尓 有兼人毛 如吾歟 妹尓戀乍 宿不勝家牟   
(497)
古にありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ  
  いにしへに ありけむひとも あがごとか いもにこひつつ いねかてずけむ  いにしへ()、あり(けむ)ひと()、あが(ごと)いも()こひ(つつ)、いね(かて)(けむ) 
501 今耳之 行事庭不有 古 人曽益而 哭左倍鳴四   
(498)
今のみのわざにはあらずいにしへの人そまさりて音にさへ泣きし 結句【哭左倍鳴四】「ねにさへなき(し)」 → 「ねのみなく」 。「さへ」 
  いまのみの わざにはあらず いにしへの ひとそまさりて ねにさへなきし  いま(のみ)わざ(には)あらずいにしへ()、ひと()まさり()、ねにさへなき() 
502 百重二物 来及毳常 念鴨 公之使乃 雖見不飽有武   
(499)
百重にも来しかぬかもと思へかも君が使ひの見れど飽かざらむ 第三句【念鴨(おもへかも)】「おもへ()かも」と同じ意。疑問条件。 
  ももへにも きしかぬかもと おもへかも きみがつかひの みれどあかざらむ  ももへ(にも)、きしか(ぬかも)おもへ(かも)、きみ()つかひ()、みれ()、あか(ざら) 
      碁檀越徃伊勢國時留妻作歌一首 [碁檀越、伊勢国に行きし時に、留まれる妻が作る歌一首]  碁檀越妻
503 神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱邊尓   
(500)
神風の伊勢の浜荻折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に  
  かむかぜの いせのはまをぎ をりふせて たびねやすらむ あらきはまへに  かむかぜのいせ()はまをぎをりふせ()、たびね()(らむ)、あらき(はまへ) 
      柿本朝臣人麻呂歌三首 [柿本朝臣人麻呂が歌三首]  柿本朝臣人麻呂 
504 未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者   
(501)
娘子らが袖布留山の瑞垣の久しき時ゆ思ひき我は 初三句【未通女等之 袖振山乃 水垣之】年経て変わらぬことを喩えた比喩の序。 
  をとめらが そでふるやまの みづかきの ひさしきときゆ おもひきあれは  をとめ()そでふる(やま)みづかきのひさしき(とき)おもひ()あれ() 
505 夏野去 小壮鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉   
(502)
夏野行く小鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや 初ニ句【夏野去 小壮鹿之角乃】短いものの喩えとして「束ノ間」を起こす序。 
  なつのゆく をしかのつのの つかのまも いもがこころを わすれておもへや  なつの(ゆく)、をしか()つの()、つかのま()、いも()こころ()、わすれ()おもへ() 
506 珠衣乃 狭藍左謂沈 家妹尓 物不語来而 思金津裳   
(503)
玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも  
  たまぎぬの さゐさゐしづみ いへのいもに ものいはずきにて おもひかねつも  たまぎぬのさゐさゐしづみいへ()いも()、ものいは()(にて)、おもひ(かね)() 
      柿本朝臣人麻呂妻歌一首 [柿本朝臣人麻呂が妻の歌一首]  柿本朝臣人麻呂 「妻」については、未詳
507 君家尓 吾住坂乃 家道乎毛 吾者不忘 命不死者   
(504)
君が家に我が住坂の家道をも我は忘れじ命死なずは  
  きみがいへに わがすみさかの いへぢをも あれはわすれじ いのちしなずは  きみ()いへ()、わが(すみさか)いへぢ()あれ()わすれ()、いのち(しな)ずは 
      安倍女郎歌二首 [安倍女郎が歌二首]  安倍女郎 
508 今更 何乎可将念 打靡 情者君尓 縁尓之物乎   
(505)
今更に何をか思はむうちなびく心は君に寄りにしものを  
  いまさらに なにをかおもはむ うちなびく こころはきみに よりにしものを  いまさらになに()(おもは)うちなびくこころ()きみ()、より(にし)ものを 
509 吾背子波 物莫念 事之有者 火尓毛水尓母 吾莫七國   
(506)
我が背子は物な思ひそ事しあらば火にも水にも我がなけなくに 「な~そ」は懇願的口調の禁止表現。
  わがせこは ものなおもひそ ことしあらば ひにもみづにも あがなけなくに  わが(せこ)もの()おもひ()、こと()あら()、(にも)みづ(にも)、あが(なけなくに) 
      駿河采女歌一首 [駿河婇女が歌一首]  駿河婇女 
510 敷細乃 枕従久々流 涙二曽 浮宿乎思家類 戀乃繁尓   
 (507)
しきたへの枕ゆくくる涙にそ浮き寝をしける恋の繁きに  
  しきたへの まくらゆくくる なみたにそ うきねをしける こひのしげきに  しきたへのまくら()くくるなみた(にそ)、うきね()(ける)、こひ()しげき() 
      三方沙弥歌一首 [三方沙弥が歌一首]  三方沙弥 
511 衣手乃 別今夜従 妹毛吾母 甚戀名 相因乎奈美   
(508)
衣手の別る今夜ゆ妹も我もいたく恋ひむな逢ふよしをなみ  
  ころもでの わかるこよひゆ いももあれも いたくこひむな あふよしをなみ  ころもで()、わかる(こよひ)いも()あれ()、いたく(こひ)()、あふ(よし)(なみ) 
      丹比真人笠麻呂下筑紫國時作歌一首[并短歌] [丹比真人笠麻呂、筑紫国に下りし時に作る歌一首并せて短歌]  丹比真人笠麻呂
512 臣女乃 匣尓乗有 鏡成 見津乃濱邊尓 狭丹頬相 紐解不離 吾妹兒尓 戀乍居者 明晩乃 旦霧隠 鳴多頭乃 哭耳之所哭 吾戀流 干重乃一隔母 名草漏 情毛有哉跡 家當 吾立見者 青旗乃 葛木山尓 多奈引流 白雲隠 天佐我留 夷乃國邊尓 直向 淡路乎過 粟嶋乎 背尓見管 朝名寸二 水手之音喚 暮名寸二 梶之聲為乍 浪上乎 五十行左具久美 磐間乎 射徃廻 稲日都麻 浦箕乎過而 鳥自物 魚津左比去者 家乃嶋 荒礒之宇倍尓 打靡 四時二生有 莫告我 奈騰可聞妹尓 不告来二計謀  
(509)
臣の女の 櫛笥に乗れる 鏡なす 三津の浜辺に さにつらふ 紐解き放けず 我妹子に 恋ひつつ居れば 明け闇の 朝霧ごもり 鳴く鶴の 音のみし泣かゆ 我が恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 家のあたり 我が立ち見れば 青旗の 葛城山に たなびける 白雲隠る 天さがる 鄙の国辺に 直向かふ 淡路を過ぎ 粟島を そがひに見つつ 朝なぎに 水手の声呼び 夕なぎに 楫の音しつつ 波の上を い行きさぐくみ 岩の間を い行きもとほり 稲日つま 浦廻を過ぎて 鳥じもの なづさひ行けば 家の島 荒磯の上に うちなびき しじに生ひたる なのりそが などかも妹に 告らず来にけむ  
  おみのめの くしげにのれる かがみなす みつのはまへに さにつらふ ひもときさけず わぎもこに こひつつをれば あけぐれの あさぎりごもり なくたづの ねのみしなかゆ あがこふる ちへのひとへも なぐさもる こころもありやと いへのあたり わがたちみれば あをはたの かづらきやまに たなびける しらくもがくる あまさがる ひなのくにへに ただむかふ あはぢをすぎ あはしまを そがひにみつつ あさなぎに かこのこゑよび ゆふなぎに かぢのおとしつつ なみのうへを いゆきさぐくみ いはのまを いゆきもとほり いなびつま うらみをすぎて とりじもの なづさひゆけば いへのしま ありそのうへに うちなびき しじにおひたる なのりそが などかもいもに のらずきにけむ  おみ()()、くしげ()のれ()、かがみなすみつのはまへ()、さにつらふひも(ときさけ)わぎもこ()、こひ(つつ)をれ()あけぐれ()、あさぎりごもりなく(たづ)ねのみしなかゆあが(こふる)、ちへのひとへ()、なぐさもるこころ()あり()いへ()あたりわが(たちみれ)あをはたのかづらきやま()、たなびけ()、しらくも(がくる)、あまざかるひな()くにへ()、ただむかふあはぢ()すぎあはしま()、そがひ()(つつ)、あさなぎ()、かこ()こゑ(よび)、ゆふなぎ()、かぢ()おと()つつなみのうへ()、いゆき(さぐくみ)、いは()()、いゆき(もとほり)、いなびつまうらみ()すぎ()、とりじものなづさひ(ゆけ)いへのしまありそ()うへ()、うちなびきしじに(おひ)たるなのりそ()、など(かも)いも()、のら()()けむ 
      反歌   
513 白細乃 袖解更而 還来武 月日乎數而 徃而来猿尾   
(510)
白たへの袖解き交へて帰り来む月日を数みて行きて来ましを  
  しろたへの そでときかへて かへりこむ つきひをよみて ゆきてこましを  しろたへのそで(ときかへ)かへり()つきひ()よみ()、ゆき()(まし) 
      幸伊勢國時當麻麻呂大夫妻作歌一首 [伊勢国に幸せる時に、当麻麻呂大夫の妻が作る歌一首]  当麻麻呂大夫(の妻)
514 吾背子者 何處将行 己津物 隠之山乎 今日歟超良武  
(511)
我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ  
  わがせこは いづくゆくらむ おきつもの なばりのやまを けふかこゆらむ  わが(せこ)いづく(ゆく)らむおきつものなばりのやま()、けふ()こゆ(らむ) 
      草嬢歌一首 [草嬢が歌一首]  草嬢 
515 秋田之 穂田乃苅婆加 香縁相者 彼所毛加人之 吾乎事将成   
(512)
秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我を言なさむ  
  あきのたの ほだのかりばか かよりあはば そこもかひとの わをことなさむ  あきのた()、ほだ()かりばかかよりあはばそこ()(ひと)()ことなさ() 
      志貴皇子御歌一首 [志貴皇子の御歌一首]  志貴皇子 
516 大原之 此市柴原乃 何時鹿跡 吾念妹尓 今夜相有香裳   
(513)
大原のこの市柴原のいつしかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも 第二句【此市柴原乃】について。「いちしば」 
  おほはらの このいちしばはらの いつしかと あがおもふいもに こよひあへるかも  おほはら()、この(いちしばはら)いつしかとあが(おもふ)いも()、こよひ(あへ)(かも) 
      阿倍女郎歌一首 [阿倍女郎が歌一首]  阿倍女郎 
517 吾背子之 盖世流衣之 針目不落 入尓家良之 我情副   
(514)
我が背子が着せる衣の針目落ちずこもりにけらしも我が心さへ 第二句【盖世流衣之】上一段動詞「着る」の上代語「けす」について。 
  わがせこが けせるころもの はりめおちず こもりにけらし あがこころさへ  わがせこ()、けせ()ころも()、はりめ(おち)こもり()けらしあが(こころ)さへ 
      中臣朝臣東人贈阿倍女郎歌一首 [中臣朝臣東人、阿倍女郎に贈る歌一首]  中臣朝臣東人 
518 獨宿而 絶西紐緒 忌見跡 世武為便不知 哭耳之曽泣   
(515)
ひとり寝て絶えにし紐をゆゆしみと為むすべ知らに音のみしそ泣く 結句【哭耳之曽泣】「ねのみなく」に、強意の副助詞「し」 と、係助詞「ぞ(そ)」
  ひとりねて たえにしひもを ゆゆしみと せむすべしらに ねのみしそなく  ひとり()たえ(にし)ひも()、ゆゆしみ(と)せむすべ(しらに)、ねのみしそなく 
      阿倍女郎答歌一首 [阿倍女郎が答ふる歌一首]  阿倍女郎 
519 吾以在 三相二搓流 絲用而 附手益物 今曽悔寸   
(516)
我が持てる三つ合ひに搓れる糸もちて付けてましもの今そ悔しき 第四句【附手益物】「まし」は反事実仮想の助動詞。一般に「ましを・ましものを」となることが多い。稀に「ましもの」という形で同じ意味を表すことがある。 
  あがもてる みつあひによれる いともちて つけてましもの いまそくやしき  あが(もて)みつあひ()よれ()、いと(もち)つけ()まし(もの)、いま()くやしき 
      大納言兼大将軍大伴卿歌一首 [大納言兼大将軍大伴卿の歌一首]  大納言兼大将軍大伴卿  (大伴宿禰安麻呂)
520 神樹尓毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞  
(517)
神木にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも  
  かむきにも てはふるといふを うつたへに ひとづまといへば ふれぬものかも  かむき(にも)、()ふる()いふ()、うつたへにひとづま()いへ()、ふる()もの(かも) 
      石川郎女歌一首 [即佐保大伴大家也] [石川郎女の歌一首 即ち佐保大伴の大家(おほとじ)なり]  石川郎女
521 春日野之 山邊道乎 於曽理無 通之君我 不所見許呂香聞   
(518)
春日野の山辺の道をおそりなく通ひし君が見えぬころかも 第三句【於曽理無】「おそりなく・よそりなく」の訓表記解釈 
  かすがのの やまへのみちを おそりなく かよひしきみが みえぬころかも  かすがの()、やまへ()みち()、おそり(なく)、かよひ()きみ()、みえ()ころ(かも) 
      大伴女郎歌一首 [今城王之母也今城王後賜大原真人氏也] [大伴女郎の歌一首 今城王の母なり。今城王は後に大原真人の氏を賜ふ]  大伴女郎
522 雨障 常為公者 久堅乃 昨夜雨尓 将懲鴨   
(519)
雨つつみ常する君はひさかたの昨夜の夜の雨に懲りにけむかも  
  あまつつみ つねするきみは ひさかたの きぞのよのあめに こりにけむかも  あまつつみつね(する)きみ()、ひさかたのきぞ()()あめ()、こり()けむ(かも) 
      後人追同歌一首 [後の人の追ひて同ふる歌一首 後人未詳 
523 久堅乃 雨毛落粳 雨乍見 於君副而 此日令晩   
(520)
ひさかたの雨も降らぬか雨つつみ君にたぐひてこの日暮らさむ  再掲  
  ひさかたの あめもふらぬか あまつつみ きみにたぐひて このひくらさむ  ひさかたのあめ()ふら(ぬか)、あまつつみきみ()たぐひ()、この()くらさ() 
      藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首 [藤原宇合大夫、遷任して京に上る時に、常陸娘子が贈る歌一首]  常陸娘子
524 庭立 麻手苅干 布暴 東女乎 忘賜名   
(521)
庭に立つ麻手刈り干し布さらす東女を忘れたまふな 初句【庭立】訓、語意解釈。 「立つ」の語意。
  にはにたつ あさでかりほし ぬのさらす あづまをみなを わすれたまふな  には()たつあさでかりほしぬの(さらす)、あづまをみな()、わすれ(たまふ) 
      京職藤原大夫贈大伴郎女歌三首 [卿諱曰麻呂也] [京職藤原大夫、大伴郎女に贈る歌三首 卿、諱を麻呂といふ]  京職藤原大夫 (藤原朝臣麻呂)
525 □[女+感]嬬等之 珠篋有 玉櫛乃 神家武毛 妹尓阿波受有者    
(522)
娘子らが玉櫛笥なる玉櫛の神さびけむも妹に逢はずあれば 結句【受有者】「(あれ)」 
  をとめらが たまくしげなる たまくしの かむさびけむも いもにあはずあれば  をとめ()たまくしげ(なる)、たまくし()、かむさび(けむ)いも()あは(ずあれ) 
526 好渡 人者年母 有云乎 何時間曽毛 吾戀尓来   
(523)
よく渡る人は年にもありといふをいつの間にそも我が恋ひにける 結句【好渡】「わたる」 → 「在り渡る」の意。 
  よくわたる ひとはとしにも ありといふを いつのまにそも あがこひにける  よく(わたる)、ひと()とし(にも)、あり()いふ()、いつ()()そもあが(こひ)(ける
527 蒸被 奈胡也我下丹 雖臥 与妹不宿者 肌之寒霜   
(524)
蒸し衾なごやが下に臥せれども妹とし寝ねば肌し寒しも  
  むしふすま なごやがしたに ふせれども いもとしねねば はだしさむしも  むしふすまなご()(した)ふせ()どもいも()()ねばはだ()さむし() 
      大伴郎女歌四首 [大伴郎女の歌四首]  大伴郎女 
 528 狭穂河乃 小石踐渡 夜干玉之 黒馬之来夜者 年尓母有粳  
(525)
佐保川の小石踏み渡りぬばたまの黒馬の来夜は年にもあらぬか 第四句【黒馬之来夜者】「くろうまの(くる)は」 → 「くよ」 語調のために「連体形クル」を「終止形ク」
  さほがはの こいしふみわたり ぬばたまの くろまのくよは としにもあらぬか  さほがは()、(いし)ふみ(わたり)、ぬばたまのくろま()くよ()、とし(にも)あら(ぬか) 
529 千鳥鳴 佐保乃河瀬之 小浪 止時毛無 吾戀者   
(526)
千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波止む時もなし我が恋ふらくは 結句【吾戀者】「こひらくは」 → 「ク語法
  ちどりなく さほのかはせの さざれなみ やむときもなし あがこふらくは  ちどり(なく)、さほ()かはせ()、さざれなみやむ(とき)(なし)、あが(こふら)() 
530 将来云毛 不来時有乎 不来云乎 将来常者不待 不来云物乎   
(527)
来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを  
  こむといふも こぬときあるを こじといふを こむとはまたじ こじといふものを  ()(いふ)()とき(ある)()(いふ)()()また()、()(いふ)ものを 
531 千鳥鳴 佐保乃河門乃 瀬乎廣弥 打橋渡須 奈我来跡念者  
(528)
千鳥鳴く佐保の川門の瀬を広み打橋渡す汝が来と思へば 第三句【瀬乎廣弥】「せはや」 → 「~を~み」 ~が~ので。「み」は「ミ語法
  ちどりなく さほのかはとの せをひろみ うちはしわたす ながくとおもへば  ちどり(なく)、さほ()かはと()、()ひろ()、うちはし(わたす)、()()おもへ() 
      右郎女者佐保大納言卿之女也 初嫁一品穂積皇子 被寵無儔而皇子薨之後時 藤原麻呂大夫娉之郎女焉 郎女家於坂上里 仍族氏号曰坂上郎女也
 [右、郎女は佐保大納言卿の女(むすめ)なり。はじめ一品穂積皇子に嫁ぎ、寵をかがふること類ひなし。しかくして皇子薨ぜし後時に、藤原麻呂大夫、郎女を娉ふ。郎女、坂上の里に家居す。よりて族氏号けて坂上郎女といふ]
 
      又大伴坂上郎女歌一首 [また大伴坂上郎女の歌一首] 大伴坂上郎女 
532 佐保河乃 涯之官能 少歴木莫苅焉 在乍毛 張之来者 立隠金   
(529)
佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来らば立ち隠るがね  
  さほがはの きしのつかさの しばなかりそね ありつつも はるしきたらば たちかくるがね  さほがは()、きし()つかさ()、しば()かり(そね)、ありつつもはる()(たら)たちかくる(がね) 
      天皇賜海上女王御歌一首 [寧樂宮即位天皇也] [天皇、海上女王に賜ふ御歌一首 寧楽の宮に即位したまふ天皇なり] 聖武天皇 
 533 赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思   
 (530)
赤駒の越ゆる馬柵の標結ひし妹が心は疑ひもなし  
  あかごまの こゆるうませの しめゆひし いもがこころは うたがひもなし  あかごま()、こゆる(うませ)しめゆひ()、いも()こころ()、うたがひ()なし 
      右今案 此歌擬古之作也 但以時當便賜斯歌歟 [右、今案ふるに、この歌は擬古の作なり。ただし、時の当れるを以ちて、即ちこの歌を賜ふか] 
      海上王奉和歌一首 [志貴皇子之女也] [海上女王の和へ奉る歌一首 志貴皇子の女なり]  海上女王
 534 梓弓 爪引夜音之 遠音尓毛 君之御幸乎 聞之好毛   
(531)
梓弓爪引く夜音の遠音にも君の御幸を聞かくし良しも 結句【之好毛】「聞(き)かく」 → 四段動詞「聞く」の体言を作る「ク語法」。 
  あづさゆみ つまびくよおとの とほおとにも きみのみゆきを きかくしよしも  あづさゆみつまびく()おと()、とほ(おと)にもきみ()みゆき()、きかく()よし() 
      大伴宿奈麻呂宿祢歌二首 [佐保大納言卿之第三子也] [大伴宿奈麻呂宿禰の歌二首 佐保大臣卿の第三子にあたる]  大伴宿奈麻呂宿禰
535 打日指 宮尓行兒乎 真悲見 留者苦 聴去者為便無   
(532)
うちひさす宮に行く子をまかなしみ留むれば苦し遣ればすべなし 第三句【真悲】「まかなし」のミ語法、「まかなし」」 
  うちひさす みやにゆくこを まかなしみ とむればくるし やればすべなし  うちひさすみや()ゆく()まかなしみとむれ()くるしやれ()すべなし 
536 難波方 塩干之名凝 飽左右二 人之見兒乎 吾四乏毛   
(533)
難波潟潮干のなごり飽くまでに人の見む子を我しともしも  
  なにはがた しほひのなごり あくまでに ひとのみむこを あれしともしも  なにはがたしほひ()なごりあくまで()、ひと()()()、あれ()ともし() 
      安貴王歌一首[并短歌] [安貴王の歌一首并せて短歌]  安貴王 
537 遠嬬 此間不在者 玉桙之 道乎多遠見 思空 安莫國 嘆虚 不安物乎 水空徃 雲尓毛欲成 高飛 鳥尓毛欲成 明日去而 於妹言問 為吾 妹毛事無 為妹 吾毛事無久 今裳見如 副而毛欲得  
(534)
遠妻の ここにしあらねば 玉桙の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日行きて 妹に言問ひ 我がために 妹も事なく 妹がため 我も事なく 今も見るごと たぐひてもがも 第四句【道多遠】「~を~み」、「~が~なので」。「み」は「ミ語法
第六句【安莫國】「やすけなくに」、「やすけ」は形容詞「安し」の未然形。
 
  とほづまの ここにしあらねば たまほこの みちをたどほみ おもふそら やすけなくに なげくそら くるしきものを みそらゆく くもにもがも たかとぶ とりにもがも あすゆきて いもにことどひ あがために いももことなく いもがため あれもことなく いまもみるごと たぐひてもがも  とほづま()、ここに()あら(ねば)、たまほこのみち()たどほ()、おもふ(そら)、やすけ(なくに)、なげく(そら)、くるしき(ものを)、(そら)ゆくくも()もがもたかとぶとり()もがもあす(ゆき)いも()ことどひあが(ため)いも()ことなくいも()ためあれ()ことなくいま()みる(ごと)、たぐひ()もがも 
      反歌   
538 敷細乃 手枕不纒 間置而 年曽經来 不相念者   
(535)
しきたへの手枕まかず間置きて年そ経にける逢はなく思へば  
  しきたへの たまくらまかず あひだおきて としそへにける あはなくおもへば  しきたへのたまくら(まか)あひだ(おき)とし()()けるあは(なく)おもへ() 
      右安貴王娶因幡八上釆女 係念極甚愛情尤盛 於時勅断不敬之罪退却本郷焉 于是王意悼怛聊作此歌也
 [右、安貴王、因幡の八上采女を娶る。係念極まりて甚しく、愛情尤も盛りなり。時に、勅して不敬の罪に断め、本郷に退去らしむ。ここに、王の心悼み怛びて、聊かにこの歌を作る]
 
      門部王戀歌一首 [門部王の恋の歌一首]  門部王 
539 飫宇能海之 塩干乃鹵之 片念尓 思哉将去 道之永手呼   
(536)
飫宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長手を  
  おうのうみの しほひのかたの かたもひに おもひやゆかむ みちのながてを  おうのうみ()、しほひ()かた()、かたもひ()、おもひ()ゆか()、みち()ながて() 
      右門部王任出雲守時娶部内娘子也 未有幾時 既絶徃来 累月之後更起愛心 仍作此歌贈致娘子
 [右、門部王、出雲守に任ぜらるる時に、部内の娘子を娶る。未だ幾だもあらねば、すでに往来を絶つ。月を累ねて後に、更に愛する心を起す。りてこの歌を作り、娘子に贈り致す]
 
      高田女王贈今城王歌六首 [高田女王、今城王に贈る歌六首]  高田女王 
540 事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸敢物   
(537)
言清くいたくもな言ひそ一日だに君いしなくは堪へ難きかも 結句【痛寸敢物】「あへがたきかも」 → 「たへがたき」 (萬葉集全注巻第四 注 
  こときよく いたくもないひそ ひとひだに きみいしなくは あへがたきかも  こと(きよく)、いたく()(いひ)ひとひ(だに)、きみ()(なく)あへ(がたき)かも 
541 他辞乎 繁言痛 不相有寸 心在如 莫思吾背子   
(538)
人言を繁み言痛み逢はざりき心あるごとな思ひ我が背子 初二句【他辞 】「ひとごと しげこちた」 → 「~を~み」ミ語法、「~が~なので」 
  ひとごとを しげみこちたみ あはざりき こころあるごと なおもひわがせこ  ひとごと()、しげみ(こちたみ)、あは(ざり)こころある(ごと)、(おもひ)わがせこ 
542 吾背子師 遂常云者 人事者 繁有登毛 出而相麻志乎   
(539)
我が背子し遂げむと言はば人言は繁くありとも出でて逢はましを  
  わがせこし とげむといはば ひとごとは しげくありとも いでてあはましを  わがせこ()、とげ()(いは)ひとごと()、しげく(あり)ともいで()あは(まし) 
543 吾背子尓 復者不相香常 思墓 今朝別之 為便無有都流   
(540)
我が背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる  
  わがせこに またはあはじかと おもへばか けさのわかれの すべなかりつる  わがせこ()、また(また)あは()()、おもへ()けさ()わかれ()、すべなかり(つる) 
544 現世尓波 人事繁 来生尓毛 将相吾背子 今不有十方   
(541)
この世には人言繁し来む世にも逢はむ我が背子今ならずとも  
  このよには ひとごとしげし こむよにも あはむわがせこ いまならずとも  このよ(には)、ひとごと(しげし)、こむよ(にも)、あは()わがせこいま(なら)(とも) 
 545 常不止 通之君我 使不来 今者不相跡 絶多比奴良思   
(542)
常止まず通ひし君が使来ず今は逢はじとたゆたひぬらし  
  つねやまず かよひしきみが つかひこず いまはあはじと たゆたひぬらし  つね(やま)かよひ()きみ()、つかひ()いま()あは()たゆたひ()らし 
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      神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首 [并短歌] 笠朝臣金村 笠朝臣金村
     [神亀元年甲子の冬十月、紀伊国に幸せる時に、従駕の人に贈らむがために娘子に誂へられて作る歌一首 并せて短歌 笠朝臣金村]
 
546 天皇之 行幸乃随意 物部乃 八十伴雄与 出去之 愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立 真土山 越良武公者 黄葉乃 散飛見乍 親 吾者不念 草枕 客乎便宜常 思乍 公将有跡 安蘇々二破 且者雖知 之加須我仁 黙然得不在者 吾背子之 徃乃萬々 将追跡者 千遍雖念 手弱女 吾身之有者 道守之 将問答乎 言将遣 為便乎不知跡 立而爪衝 
(543)
大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出でて行きし 愛し夫は 天飛ぶや 軽の道より 玉だすき 畝傍を見つつ あさもよし 紀伊路に入り立ち 真土山 越ゆらむ君は もみち葉の 散り飛ぶ見つつ むつましみ 我は思はず 草枕 旅を宜しと 思ひつつ 君はあるらむと あそそには かつは知れども しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 追はむとは 千度思へど たわやめの 我が身にしあれば 道守が 問はむ答へを 言ひ遣らむ すべを知らにと 立ちてつまづく 第十七句【親】「むつまし」 → 「ミ語法+思フ」は、「~だと思う」の意。 
  おほきみの みゆきのまにま もののふの やそとものをと いでていきし うるはしづまは あまとぶや かるのみちより たまだすき うねびをみつつ あさもよし きぢにいりたち まつちやま こゆらむきみは もみちばの ちりとぶみつつ むつましみ あれはおもはず くさまくら たびをよろしと おもひつつ きみはあるらむと あそそには かつはしれども しかすがに もだもえあらねば わがせこが ゆきのまにまに おはむとは ちたびおもへど たわやめの あがみにしあれば みちもりが とはむこたへを いひやらむ すべをしらにと たちてつまづく おほきみ()、みゆき()まにまもののふのやそ(とも)()、いで()いき()、うるはし(づま)あまとぶや、(かる)(みち)よりたまだすきうねび()(つつ)、あさもよしきぢ()いりたちまつちやまこゆ(らむ)きみ()、もみちば()、ちり(とぶ)(つつ)、むつましあれ()おもは()、くさまくらたび()よろし()、おもひ(つつ)、きみ()ある(らむ)あそそに()、かつ()しれ(ども)、しかすがにもだ()(あら)ねばわがせこ()、ゆき()まにまにおは()()、ちたび(おもへ)たわやめ()、あが()()あれ()、みちもり()、とは()こたへ()、いひ(やら)すべ()しらに()、たち()つまづく 
      反歌   
 547 後居而 戀乍不有者 木國乃 妹背乃山尓 有益物乎   
(544)
後れ居て恋ひつつあらずは紀伊の国の妹背の山にあらましものを 第四句【妹背乃山】「いもせのやま 
  おくれゐて こひつつあらずは きのくにの いもせのやまに あらましものを  おくれゐ()、こひ(つつ)あら(ずは)、きのくに()、いもせ()やま()、あらまし(ものを) 
548 吾背子之 跡履求 追去者 木乃關守伊 将留鴨   
(545)
我が背子が跡踏み求め追ひ行かば紀伊の関守い留めてむかも  
  わがせこが あとふみもとめ おひゆかば きのせきもりい とどめてむかも  わがせこ()、あと(ふみ)もとめおひ(ゆか)()せきもり()、とどめ(てむ)かも 
      二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首 [并短歌]  笠朝臣金村 [二年乙丑の春三月に、三香原の離宮に幸せる時に、娘子を得て作る歌一首并せて短歌 笠朝臣金村] 
 549 三香乃原 客之屋取尓 珠桙乃 道能去相尓 天雲之 外耳見管 言将問 縁乃無者 情耳 咽乍有尓 天地 神祇辞因而 敷細乃 衣手易而 自妻跡 憑有今夜 秋夜之 百夜乃長 有与宿鴨 
(546)
三香の原 旅の宿りに 玉桙の 道の行き逢ひに 天雲の 外のみ見つつ 言問はむ よしのなければ 心のみ むせつつあるに 天地の 神言寄せて しきたへの 衣手交へて 自妻と 頼める今夜 秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも  
  みかのはら たびのやどりに たまほこの みちのゆきあひに あまくもの よそのみみつつ こととはむ よしのなければ こころのみ むせつつあるに あめつちの かみことよせて しきたへの ころもでかへて おのづまと たのめるこよひ あきのよの ももよのながさ ありこせぬかも  みかのはらたび()やどり()、たまほこのみち()ゆきあひ()、あまくものよそ(のみ)(つつ)、こととは()、よし()なけれ()、こころ(のみ)、むせ(つつ)ある()、あめつち()、かみ(ことよせ)しきたへのころもで(かへ)おのづま()、たのめ()こよひあき()()、ももよ()なが()、あり(こせ)ぬかも 
      反歌   
550 天雲之 外従見 吾妹兒尓 心毛身副 縁西鬼尾   
(547)
天雲の外に見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを  
  あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを  あまくものよそ()()よりわぎもこ()、こころ()(さへ)、より(にし)ものを 
551 今夜之 早開者 為便乎無三 秋百夜乎 願鶴鴨   
(548)
今夜の早く明けなばすべをなみ秋の百夜を願ひつるかも 第三句【為便乎無三】「すべをなみ」 → 「~を~み」(「なみ」は「なし」のミ語法「~が~なので」  
  こよひの はやくあけなば すべをなみ あきのももよを ねがひつるかも  こよひ()はやく(あけ)なばすべ()なみあき()ももよ()、ねがひ(つる)かも 
      五年戊辰大宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首 [五年戊辰、大宰少弐石川足人朝臣が遷任し、筑前国の蘆城の駅家に餞する歌三首]  (餞) 大宰少弐石川足人朝臣
552 天地之 神毛助与 草枕 羈行君之 至家左右   
(549)
天地の神も助けよ草枕旅行く君が家に至るまで  
  あめつちの かみもたすけよ くさまくら たびゆくきみが いへにいたるまで  あめつち()、かみ()たすけよくさまくらたび(ゆく)きみ()、いへ()いたる(まで) 
553 大船之 念憑師 君之去者 吾者将戀名 直相左右二   
(550)
大船の思ひ頼みし君が去なば我は恋ひむな直に逢ふまでに  
  おほぶねの おもひたのみし きみがいなば あれはこひむな ただにあふまでに  おほぶねのおもひたのみ()、きみ()いな()、あれ()こひ()ただに(あふ)までに 
554 山跡道之 嶋乃浦廻尓 縁浪 間無牟 吾戀巻者   
(551)
大和道の島の浦廻に寄する波間もなけむ我が恋ひまくは 第四句【間無牟】「あひだ(も)なけ(む)」 → 「あひだなし」に係助詞「も」、「なけ」は「無し」の上代の未然形。
結句【吾戀巻者】「こひまく」 → 「恋ヒ(マク)」は「恋ヒ(ム)」のク語法
 
  やまとぢの しまのうらみに よするなみ あひだもなけむ あがこひまくは  やまとぢ()、しま()うらみ()、よする(なみ)、あひだ(も)なけ()、あが(こひ)まく() 
      右三首作者未詳 [右の三首、作者未詳なり] 
      大伴宿祢三依歌一首 [大伴宿禰三依が歌一首]  大伴宿禰三依 
555 吾君者 和氣乎波死常 念可毛 相夜不相夜 二走良武   
(552)
我が君はわけをば死ねと思へかも逢ふ夜逢はぬ夜二走るらむ 初句【吾君者】訓考。「わが・あが」。
  あがきみは わけをばしねと おもへかも あふよあはぬよ ふたはしるらむ  あがきみ()、わけ(をば)しね()、おもへ(かも)、あふ()あは()ふたはしる(らむ) 
      丹生女王、大宰帥大伴卿に贈る歌二首  丹生女王 
556 天雲乃 遠隔乃極 遠鷄跡裳 情志行者 戀流物可聞   
(553)
天雲のそくへの極み遠けども心し行けば恋ふるものかも  
  あまくもの そくへのきはみ とほけども こころしゆけば こふるものかも  あまくも()、そくへ()きはみとほけ(ども)、こころ()ゆけ()、こふる(もの)かも 
557 古人乃 令食有 吉備能酒 病者為便無 貫簀賜牟   
(554)
古人の飲へしめたる吉備の酒病まばすべなし貫簀賜らむ  
  ふるひとの たまへしめたる きびのさけ やまばすべなし ぬきすたばらむ  ふるひと()、たまへ(しめ)たるきび()さけやま()すべなしぬきす(たばら) 
      大宰帥大伴卿贈大貳丹比縣守卿遷任民部卿歌一首 [大宰帥大伴卿、大弐丹比県守卿の民部卿に遷任するに贈る歌一首]  大宰帥大伴卿
558 為君 醸之待酒 安野尓 獨哉将飲 友無二思手   
(555)
君がため醸みし待酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして  
  きみがため かみしまちざけ やすののに ひとりやのまむ ともなしにして  きみ()ためかみ()まちざけやすのの()、ひとり()のま()、とも(なし)にして 
      賀茂女王贈大伴宿祢三依歌一首 [故左大臣長屋王之女也] [賀茂女王、大伴宿禰三依に贈る歌一首 故左大臣長屋王が女なり] 賀茂女王
559 筑紫船 未毛不来者 豫 荒振公乎 見之悲左   
(556)
筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しさ 結句【見悲左】[感動文の主語]
 「が」+形容詞語幹(シク活用は終止形)+接尾語「さ」の形の感動文の主語を表す。「~が」
 
  つくしふね いまだもこねば あらかじめ あらぶるきみを みるがかなしさ  つくしふねいまだ()(ねば)、あらかじめあらぶる(きみ)みる()かなし() 
      土師宿祢水道従筑紫上京海路作歌二首 [土師宿禰水道、筑紫より京に上るに、海道にして作る歌二首]  土師宿禰水道
560 大船乎 榜乃進尓 磐尓觸 覆者覆 妹尓因而者   
(557)
大船を漕ぎのまにまに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては 第二句【進尓】[動詞「こぎ」の連用形名詞法」 
  おほぶねを こぎのまにまに いはにふれ かへらばかへれ いもによりては  おほぶね()、こぎ()まにまにいは()ふれかへら()かへれいも()より(ては) 
561 千磐破 神之社尓 我挂師 幣者将賜 妹尓不相國   
(558)
ちはやぶる神の社に我が掛けし幣は賜らむ妹に逢はなくに  
  ちはやぶる かみのやしろに わがかけし ぬさはたばらむ いもにあはなくに  ちはやぶるかみのやしろ()、わが(かけ)ぬさ()たばら()、いも()あは(なくに) 
      大宰大監大伴宿祢百代戀歌四首 [大宰大監大伴宿禰百代の恋の歌四首]  大宰大監大伴宿禰百代 
562 事毛無 生来之物乎 老奈美尓 如是戀尓毛 吾者遇流香聞   
(559)
事もなく生き来しものを老いなみにかかる恋にも我はあへるかも 初句【事無】「ことなし」に間投助詞「 
  こともなく いきこしものを おいなみに かかるこひにも あれはあへるかも  こと(も)なくいき()(ものを)、おいなみにかかる(こひ)にもあれ()あへ()かも 
 563 孤悲死牟 時者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為礼   
(560)
恋ひ死なむ時は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ  
  こひしなむ ときはなにせむ いけるひの ためこそいもを みまくほりすれ  こひ(しな)とき()なに()いけ()()、ため(こそ)いも()、みまくほり(すれ) 
564 不念乎 思常云者 大野有 三笠社之 神思知三   
(561)
思はぬを思ふと言はば大野なる三笠の杜の神し知らさむ  
  おもはぬを おもふといはば おほのなる みかさのもりの かみししらさむ  おもは()おもふ()いは()、おほのなる、みかさのもり()、かみ()しらさ() 
565 無暇 人之眉根乎 徒 令掻乍 不相妹可聞   
(562)
暇なく人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも  
  いとまなく ひとのまよねを いたづらに かかしめつつも あはぬいもかも  いとま(なく)、ひと()まよね()、いたづらにかか(しめ)つつ()、あは()いも(かも) 
      大伴坂上郎女歌二首 [大伴坂上郎女の歌二首]  大伴坂上郎女 
 566 黒髪二 白髪交 至耆 如是有戀庭 未相尓   
(563)
黒髪に白髪交り老ゆるまでかかる恋にはいまだあはなくに  
  くろかみに しろかみまじり おゆるまで かかるこひには いまだあはなくに  くろかみ()、しろかみ(まじり)、おゆる(まで)、かかる(こひ)にはいまだ(あは)なくに 
567 山菅之 實不成事乎 吾尓所依 言礼師君者 与孰可宿良牟   
(564)
山菅の実ならぬことを我に寄そり言はれし君は誰とか寝らむ  
  やますげの みならぬことを あによそり いはれしきみは たれとかぬらむ  やますげの(なら)(こと)()よそりいは()(きみ)たれ(とか)(らむ) 
      賀茂女王歌一首 [賀茂女王の歌一首]  賀茂女王 
568 大伴乃 見津跡者不云 赤根指 照有月夜尓 直相在登聞  
(565)
大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも  
  おほともの みつとはいはじ あかねさし てれるつくよに ただにあへりとも  おほともの()()いは()、あかねさしてれ()つくよ()、ただに(あへ)(とも) 
      大宰大監大伴宿祢百代等贈驛使歌二首 [大宰大監大伴宿禰百代等、駅使に贈る歌二首] 
569 草枕 羈行君乎 愛見 副而曽来四 鹿乃濱邊乎   
(566)
草枕旅行く君を愛しみたぐひてそ来し志賀の浜辺を  
  くさまくら たびゆくきみを うるはしみ たぐひてそこし しかのはまへを  くさまくらたび(ゆく)きみ()、うるはし()、たぐひ()()しかのはまへ() 
      右一首大監大伴宿禰百代  
570 周防在 磐國山乎 将超日者 手向好為与 荒其道   
(567)
周防なる磐国山を越えむ日は手向けよくせよ荒しその道  
  すはうなる いはくにやまを こえむひは たむけよくせよ あらしそのみち  すはう(なる)、いはくにやま()、こえ()()、たむけ(よく)せよあらし(その)みち 
      右一首少典山口忌寸若麻呂
以前天平二年庚午夏六月 帥大伴卿忽生瘡脚疾苦枕席 因此馳驛上奏 望請 庶弟稲公姪胡麻呂欲語遺言者 勅右兵庫助大伴宿祢稲公治部少丞大伴宿祢 胡麻呂兩人 給驛發遣令省卿病 而逕數旬幸得平復于時稲公等以病既療 發府上京 於是大監大伴宿祢百代少典山口忌寸若麻呂及卿男家持等相送驛使 共到夷守驛家 聊飲悲別乃作此歌
 [右の一首、少典山口忌寸若麻呂。
以前は天平二年庚午夏六月に、帥大伴卿、忽ちに瘡を脚に生し、枕席に疾苦ぶ。これに因りて駅して上奏し、席弟稲公、姪胡麻呂に遺言を語らまく欲しと望ひ請ふ。右兵庫助大伴宿禰稲公、治部少丞大伴宿禰胡麻呂の両人に勅して、駅を給ひて発遣し、卿の病を省しめたまふ。しかるに、数旬を経て幸に平復すること得たり。時に、稲公ら、病のすでに療えたるを以て、府を発ち京に上る。ここに、大監大伴宿禰百代、少典山口忌寸若麻呂、また卿の男家持ら、駅使を相送り共に夷守の駅家に至る、聊かに飲みて別れを悲しび、乃ちこの歌を作る。]
 
      大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首 [大宰帥大伴卿、大納言に任ぜられ、京に入らむとする時に、府の官人ら、卿を筑前国の蘆城の駅家に餞する歌四首] 
571 三埼廻之 荒礒尓縁 五百重浪 立毛居毛 我念流吉美 
(568)
み崎廻の荒磯に寄する五百重波立ちても居ても我が思へる君  
  みさきみの ありそによする いほへなみ たちてもゐても あがおもへるきみ  みさきみ()、ありそ()よするいほへなみたち(ても)(ても)、あが(おもへ)(きみ) 
      右一首筑前掾門部連石足 [右の一首、筑前掾門部連石足]
572 辛人之 衣染云 紫之 情尓染而 所念鴨   
(569)
韓人の衣染むといふ紫の心に染みて思ほゆるかも  
  からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも  からひと()、ころも(そむ)(いふ)、むらさき()、こころ()しみ()、おもほゆる(かも) 
573 山跡邊 君之立日乃 近付者 野立鹿毛 動而曽鳴   
(570)
大和辺に君が立つ日の近づけば野に立つ鹿もとよめてそ鳴く  
  やまとへに きみがたつひの ちかづけば のにたつしかも とよめてそなく  やまと()きみ()たつ()ちかづけ()、()たつ(しか)とよめ()(なく) 
      右二首大典麻田連陽春 [右二首、大典麻田連陽春] 
574 月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而将歸   
(571)
月夜よし川の音清しいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ  再掲  
  つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ  つくよ(よし)、かは()おと(きよし)、いざ(ここに)、ゆく()ゆか()あそび()ゆか() 
      右一首、防人佑大伴四綱 [右の一首、防人佑大伴四綱] 
      大宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首 [大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓、卿に贈る歌二首]  沙弥満誓
575 真十鏡 見不飽君尓 所贈哉 旦夕尓 左備乍将居   
(572)
まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ 「おくれて~をら」の「~や~む」は、こうも何々するのか。というような詠嘆的疑問の語法。 
  まそかがみ みあかぬきみに おくれてや あしたゆふへに さびつつをらむ  まそかがみ(あか)(きみ)おくれ()あしたゆふへ()、さび(つつ)をら() 
576 野干玉之 黒髪變 白髪手裳 痛戀庭 相時有来   
(573)
ぬばたまの黒髪変はり白けても痛き恋にはあふ時ありけり  
  ぬばたまの くろかみかはり しらけても いたきこひには あふときありけり  ぬばたまのくろかみ(かはり)、しらけ(ても)、いたき(こひ)にはあふ(とき)あり(けり) 
      大納言大伴卿和歌二首 [大納言大伴卿の和ふる歌二首]  大納言大伴旅人 
577 此間在而 筑紫也何處 白雲乃 棚引山之 方西有良思   
(574)
ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし  
  ここにありて つくしやいづち しらくもの たなびくやまの かたにしあるらし  ここに(あり)つくし()いづちしらくも()、たなびく(やま)かた(にし)ある(らし) 
578 草香江之 入江二求食 蘆鶴乃 痛多豆多頭思 友無二指天   
(575)
草香江の入江にあさる葦鶴のあなたづたづし友なしにして  
  くさかえの いりえにあさる あしたづの あなたづたづし ともなしにして  くさかえ()、いりえ()あさるあしたづのあな(たづたづし)、とも(なし)にして 
      大宰帥大伴卿上京之後筑後守葛井連大成悲嘆作歌一首 [大宰帥大伴卿の京に上りし後に、筑後守葛井連大成の悲嘆して作る歌一首]  筑後守葛井連大成
579 従今者 城山道者 不樂牟 吾将通常 念之物乎   
(576)
今よりは城山の道はさぶしけむ我が通はむと思ひしものを 「さぶしけ」は、形容詞「さぶし」の未然形。 
  いまよりは きやまのみちは さぶしけむ わがかよはむと おもひしものを  いま(より)きやまのみち()、さぶしけ()、わが(かよは)()、おもひ()ものを 
      大納言大伴卿新袍贈攝津大夫高安王歌一首 [大納言大伴卿、新しき袍を摂津大夫高安王に贈る歌一首] 大納言大伴旅人  
580 吾衣 人莫著曽 網引為 難波壮士乃 手尓者雖觸   
(577)
我が衣人にな着せそ網引する難波をとこの手には触るとも  
  あがころも ひとになきせそ あびきする なにはをとこの てにはふるとも  あが(ころも)、ひと()(きせ)あびき(する)、なにはをとこ()、(には)ふる(とも) 
      大伴宿祢三依悲別歌一首 [大伴宿禰三依が悲別の歌一首]  大伴宿禰三依 
 581 天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳   
(578)
天地と共に久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも  
  あめつちと ともにひさしく すまはむと おもひてありし いへのにははも  あめつち()、ともに(ひさしく)すまは()おもひ()あり()、いへ()には(はも) 
      余明軍與大伴宿祢家持歌二首 [明軍者大納言卿之資人也] [余明軍、大伴宿禰家持に与ふる歌二首 明軍は大納言卿の資人なり]  余明軍
 582 奉見而 未時太尓 不更者 如年月 所念君   
 (579)
見まつりていまだ時だに変はらねば年月のごと思ほゆる君  
  みまつりて いまだときだに かはらねば としつきのごと おもほゆるきみ  (まつり)いまだ(とき)だにかはら(ねば)、としつき()ごとおもほゆる(きみ) 
583 足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞   
(580)
あしひきの山に生ひたる菅の根のねもころ見まく欲しき君かも  
  あしひきの やまにおひたる すがのねの ねもころみまく ほしききみかも  あしひきのやま()おひ(たる)、すがのねのねもころ(みまく、ほしき(きみ)かも 
      大伴坂上家之大娘報贈大伴宿祢家持歌四首 [大伴坂上家の大嬢が大伴宿禰家持に報へ贈る歌四首]  大伴坂上家之大娘
 584 生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴   
(581)
生きてあらば見まくも知らずなにしかも死なむよ妹と夢に見えつる  
  いきてあらば みまくもしらず なにしかも しなむよいもと いめにみえつる  いき()あら()、みまく()しら()、なにしか()、しな()(いも)いめ()みえ(つる) 
585 大夫毛 如此戀家流乎 幼婦之 戀情尓 比有目八方   
(582)
ますらをもかく恋ひけるをたわやめの恋ふる心にたぐひあらめやも  
  ますらをも かくこひけるを たわやめの こふるこころに たぐひあらめやも  ますらを()、かく(こひ)けり()、たわやめ()、こふる(こころ)たぐひ(あら)めやも 
586 月草之 徙安久 念可母 我念人之 事毛告不来   
(583)
月草のうつろひ易く思へかも我が思ふ人の言も告げ来ぬ  
  つきくさの うつろひやすく おもへかも あがおもふひとの こともつげこぬ  つきくさのうつろひ(やすく)、おもへ(かも)、あが(おもふ)ひと()、こと()つげ() 
587 春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨   
(584)
春日山朝立つ雲の居ぬ日なく見まくの欲しき君にもあるかも 第四句【見巻之欲寸】「みまくほしき」 → 「みまくほしき」に同じ。 
  かすがやま あさたつくもの ゐぬひなく みまくのほしき きみにもあるかも  かすがやまあさ(たつ)くも()、()(なく)、みまくほしききみ(にも)ある(かも) 
      大伴坂上郎女歌一首 [大伴坂上郎女の歌一首]  大伴坂上郎女 
588 出而将去 時之波将有乎 故 妻戀為乍 立而可去哉   
(585)
出でて去なむ時しはあらむをことさらに妻恋しつつ立ちて去ぬべしや  
  いでていなむ ときしはあらむを ことさらに つまごひしつつ たちていぬべしや  いで()いな()、とき()(あら)()、ことさらにつまごひし(つつ)、たち()いぬ(べし) 
      大伴宿祢稲公贈田村大嬢歌一首 [大伴宿奈麻呂卿之女也]  [大伴宿禰稲公、田村大嬢に贈る歌一首 大伴宿奈麻呂卿の女なり]  大伴宿禰稲公
 589 不相見者 不戀有益乎 妹乎見而 本名如此耳 戀者奈何将為   
(586)
相見ずは恋ひざらましを妹を見てもとなかくのみ恋ひばいかにせむ  
  あひみずは こひざらましを いもをみて もとなかくのみ こひばいかにせむ  あひみ()こひ(ざらまし)いも()()、もとな(かく)のみこひ()いかに() 
      右一首、姉坂上郎女作 [右の一首、姉坂上郎女の作なり] 
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      笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首 [笠女郎が大伴宿禰家持に贈る歌二十四首]  笠女郎 
590 吾形見 見管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思   
(587)
我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも思はむ 再掲  
  わがかたみ みつつしのはせ あらたまの としのをながく あれもしのはむ  わが(かたみ)、(つつ)しのは()、あらたまのとしのを(ながく)、あれ()しのは() 
591 白鳥能 飛羽山松之 待乍曽 吾戀度 此月比乎   
(588)
白鳥の飛羽山松の待ちつつそ我が恋ひ渡るこの月ごろを  
  しらとりの とばやままつの まちつつそ あがこひわたる このつきごろを  しらとりのとばやままつ()、まち(つつ)あが(こひわたる)、この(つきごろ)
592 衣手乎 打廻乃里尓 有吾乎 不知曽人者 待跡不来家留   
(589)
衣手を打廻の里にある我を知らにそ人は待てど来ずける
  ころもでを うちみのさとに あるあれを しらにそひとは まてどこずける  ころもでをうちみのさと()、ある(あれ)しらに()ひと()、まて()()ける 
593 荒玉 年之經去者 今師波登 勤与吾背子 吾名告為莫   
(590)
あらたまの年の経ぬれば今しはとゆめよ我が背子我が名告らすな  
  あらたまの としのへぬれば いましはと ゆめよわがせこ わがなのらすな  あらたまのとし()(ぬれ)いましは()、ゆめ()わがせこわが()のらす() 
594 吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見   
(591)
我が思ひを人に知るれや玉櫛笥開き明けつと夢にし見ゆる   (再掲)  
  あがおもひを ひとにしるれや たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる  あが(おもひ)ひと()しるれ()、たまくしげひらき(あけ)()、いめ(にし)みゆる 
595 闇夜尓 鳴奈流鶴之 外耳 聞乍可将有 相跡羽奈之尓   
(592)
闇の夜に鳴くなる鶴の外のみに聞きつつかあらむ逢ふとはなしに   (再掲)  
  やみのよに なくなるたづの よそのみに ききつつかあらむ あふとはなしに  やみのよ()、なく(なる)たづ()、よそ(のみ)きき(つつ)(あら)あふ()(なし) 
596 君尓戀 痛毛為便無見 楢山之 小松之下尓 立嘆鴨   
(593)
君に恋ひいたもすべなみ奈良山の小松が下に立ち嘆くかも 「すべなみ」は「すべなし」のミ語法 
  きみにこひ いたもすべなみ ならやまの こまつがもとに たちなげくかも  きみ()こひいた()すべなみならやま()こまつ()もと()、たちなげく(かも) 
597 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨   
(594)
我がやどの夕影草の白露の消ぬがにもとな思ほゆるかも  
  わがやどの ゆふかげくさの しらつゆの けぬがにもとな おもほゆるかも  わが(やど)ゆふかげくさ()、しらつゆの()がに(もとな)、おもほゆる(かも) 
598 吾命之 将全牟限 忘目八 弥日異者 念益十方   
(595)
我が命の全けむ限り忘れめやいや日に異には思ひ増すとも  
  わがいのちの またけむかぎり わすれめや いやひにけには おもひますとも  わが(いのち)またけむ(かぎり)、わすれ() 、いや()(けに)おもひ(ます)とも 
599 八百日徃 濱之沙毛 吾戀二 豈不益歟 奥嶋守   
(596)
八百日行く浜の沙も我が恋にあにまさらじか沖つ島守  
  やほかゆく はまのまなごも あがこひに あにまさらじか おきつしまもり  やほか(ゆく)、はま()まなご()、あが(こひ)あに(まさら)()、おきつしまもり 
600 宇都蝉之 人目乎繁見 石走 間近君尓 戀度可聞   
(597)
うつせみの人目を繁み石橋の間近き君に恋ひ渡るかも  
  うつせみの ひとめをしげみ いしばしの まちかききみに こひわたるかも  うつせみのひとめ()しげみいしばし()、まちかき(きみ)こひわたる(かも)
601 戀尓毛曽 人者死為 水無瀬河 下従吾痩 月日異   
(598)
恋にもそ人は死にする水無瀬川下ゆ我痩す月に日に異に  
  こひにもそ ひとはしにする みなせがは したゆあれやす つきにひにけに  こひ(にも)ひと()()するみなせがはした()あれ(やす)、つきにひにけに 
602 朝霧之 欝相見之 人故尓 命可死 戀渡鴨   
(599)
朝霧の凡に相見し人故に命死ぬべく恋ひ渡るかも  
  あさぎりの おほにあひみし ひとゆゑに いのちしぬべく こひわたるかも  あさぎりの、おほにあひみし、ひとゆゑに、いのちしぬべく、こひわたるかも 
     
603 伊勢の海の磯もとどろに寄する波畏き人に恋ひわたるかも  
604 心ゆも我は思はずき山川も隔たらなくにかく恋ひむとは  
605 夕されば物思ひまさる見し人の言とふ姿面影にして  
606 思ひにし死にするものにあらませば千たびぞ我れは死にかへらまし  再掲  
607 剣大刀身に取り添ふと夢に見つ何の兆しぞも君に逢はむため  
608 天地の神に理なくはこそ我が思ふ君に逢はず死にせめ  
609 我れも思ふ人もな忘れ多奈和丹浦吹く風のやむ時なかれ  
610 皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寐ねかてぬかも  
611 相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後方に額つくごとし  
612 心ゆも我は思はずきまたさらに我が故郷に帰り来むとは  
613 近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ  
      右の二首は、相別れて後に、さらに来贈る 
      大伴宿禰家持が和ふる歌二首  
614 今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくある  
615 なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに  再掲  
      山口女王、大伴宿禰家持に贈る歌五首  
616 物思ふと人に見えじとなまじひに常に思へりありぞかねつる  
617 相思はぬ人をやもとな白栲の袖潰つまでに音のみし泣くも  
618 我が背子は相思はずとも敷栲の君が枕は夢に見えこそ  
619 剣大刀名の惜しけくも我れはなし君に逢はずて年の経ぬれば  
620 葦辺より満ち来る潮のいや増しに思へか君が忘れかねつる  
      大神女郎、大伴宿禰家持に贈る歌一首  
621 さ夜中に友呼ぶ千鳥物思ふとわびをる時に鳴きつつもとな  
      大伴坂上郎女が怨恨歌一首并せて短歌  
622 おしてる 難波の菅の ねもころに 君が聞こして 年深く 長くし言へば まそ鏡 磨ぎし心を ゆるしてし その日の極み 波の共 靡く玉藻の かにかくに 心は持たず 大船の 頼める時に ちはやぶる 神が離くらむ うつせみの 人か障ふらむ 通はしし 君も来まさず 玉梓の 使も見えず なりぬれば いたもすべなみ ぬばたまの 夜はすがらに 赤ひらく 日も暮るるまで 嘆けども 験をなみ 思へども たづきを知らに たわや女と 言はくもしるく たわらはの 音のみ泣きつつ た廻り 君が使を 待ちやかねてむ  
      反歌  
623 初めより長く言ひつつ頼めずはかかる思ひに逢はましものか  
      西海道節度使判官、佐伯宿禰東人が妻、夫の君に贈る歌一首  
624 間なく恋ふれにかあらむ草枕旅なる君が夢にし見ゆる  
      佐伯宿禰東人が和ふる歌一首  
625 草枕旅に久しくなりぬれば汝をこそ思へな恋ひそ我妹  
      池辺王が宴誦歌一首  
626 松の葉に月はゆつりぬ黄葉の過ぐれや君が逢はぬ夜ぞ多き  
      天皇、酒人女王を思ほす御製歌一首 女王は、穂積皇子の孫女なり  
627 道に逢ひて笑ますがからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹  
      高安王、裏める鮒を娘子に贈る歌一首 高安王は後に姓大原真人の氏を賜はる   
628 沖辺行き辺を行き今や妹がため我が漁れる藻臥束鮒  
      八代女王、天皇に献る歌一首    
629 君により言の繁きを故郷の明日香の川にみそぎしに行く 一には、尾に「竜田越え御津の浜辺にみそぎしに行く」といふ  
      娘子、佐伯宿禰赤麻呂に報へ贈る歌一首    
630 我がたもとまかむと思はむますらをはをち水求め白髪生ひにたり  
      佐伯宿禰赤麻呂が和ふる歌一首    
631 白髪生ふることは思はずをち水はかにもかくにも求めて行かむ  
      大伴四綱が宴席歌一首    
632 何すとか使の来つる君をこそかにもかくにも待ちかてにすれ  
      佐伯宿禰赤麻呂が歌一首    
633 初花の散るべきものを人言の繁きによりてよどむころかも  
      湯原王、娘子に贈る歌二首 志貴皇子の子なり    
634 うはへなきものかも人はしかばかり遠き家道を帰さく思うへば  
635 目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ  
      娘子、報へ贈る歌二首    
636 そこらくに思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し  
637 家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるが羨しさ  
      湯原王、また贈る歌二首   
638 草枕旅には妻は率たれども櫛笥のうちの玉をこそ思へ  
639 我が衣形見に奉る敷栲の枕を放けずまきてさ寝ませ  
      娘子、また報へ贈る歌一首    
640 我が背子が形見の衣妻どひに我が身は離けじ言とはずとも  
      湯原王、また贈る歌一首   ページトップへ
641 ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心惑ひぬ  
      娘子、また報へ贈る歌一首    
642 我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ  
      湯原王、また贈る歌一首   
643 はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに  
      娘子、また報へ贈る歌一首    
644 絶ゆと言はばわびしみせむと焼大刀のへつかふことは幸くや我が君  
      湯原王が歌一首   
645 我妹子に恋ひて乱ればくるべきに懸けて寄せむと我が恋ひそめし  
      紀女郎が怨恨歌三首 鹿人大夫が女、名を小鹿といふ。安貴王が妻なり   
646 世の中の女にしあらば我が渡る痛背の川を渡りかねめや  
647 今は我はわびぞしにける息の緒に思ひし君をゆるさく思へば  
648 白栲の袖別るべき日を近み心にむせひ音のみし泣かゆ  
      大伴宿禰駿河麻呂が歌一首   
649 ますらをの思ひわびつつたび数多く嘆くなげきを負はぬものかも  
      大伴坂上郎女が歌一首   
650 心には忘るる日なく思へども人の言こそ繁き君にあれ  
      大伴宿禰駿河麻呂が歌一首   
651 相見ずて日長くなりぬこのころはいかに幸くやいふかし我妹  
      大伴坂上郎女が歌一首   
652 夏葛の絶えぬ使のよどめれば事しもあるごと思ひつるかも  
      右、坂上郎女は佐保大納言卿が娘なり。駿河麻呂は、この高市大卿が孫なり。両卿は兄弟の家、女と孫とは姑姪の族なり。ここをもちて、歌を題して送り答へ起居を相問す。 
      大伴宿禰三依、離れてまた逢うひて歓ぶる歌一首   
653 我妹子は常世の国に住みけらし昔見しよりをちましにけり  
      大伴坂上郎女が歌二首   
654 ひさかたの天の露霜置きにけり家なる人も待ち恋ひぬらむ  
655 玉守に玉は授けてかつがつも枕と我れはいざふたり寝む  
      大伴宿禰駿河麻呂が歌三首   
656 心には忘れぬものをたまさかに見ぬ日さまねく月ぞ経にける  
657 相見ては月も経なくに恋ふと言はばをそろと我れを思ほさむかも  
658 思はぬを思うふと言はば天地の神も知らさむ邑礼左変 邑礼左変(訓義未詳)  
      大伴坂上郎女が歌六首   
659 我れのみぞ君には恋ふる我が背子が恋ふといふこと言のなぐさぞ  
660 思はじと言ひてしものをはねず色のうつろひやすき我が心かも  
661 思へども験もなしと知るものを何かここだく我が恋ひわたる  
662 あらかじめ人言繁しかくしあらばしゑや我が背子奥もいかにあらめ  
663 汝をと我を人ぞ離くなるいで我が君人の中言聞きこすなゆめ  
664 恋ひ恋ひて逢へる時だにうるはしき言尽してよ長くと思はば  
      市原王が歌一首   
665 網児の山五百重隠せる佐堤の崎さで延へし子が夢にし見ゆる  
      安都宿禰年足が歌一首   
666 佐保渡り我家の上に鳴く鳥の声なつかしきはしき妻の子  
      大伴宿禰像見が歌一首   
667 石上降るとも雨につつまめや妹に逢はむと言ひてしものを  
      安倍朝臣虫麻呂が歌一首   
668 向ひ居て見れども飽かぬ我妹子に立ち離れ行かむたづき知らずも  
      大伴坂上郎女が歌二首   
669 相見ぬは幾久さにもあらなくにここだく我れは恋ひつつもあるか  
670 恋ひ恋ひて逢ひたるものを月しあれば夜は隠るらむしましはあり待て  
      右、大伴坂上郎女が母、石川内命婦と、安倍朝臣虫麻呂が母、安曇外命婦とは、同居の姉妹、同気の親なり。これによりて、郎女と虫麻呂とは、相見ること疎くあらず、相談らふことすでに密なり。いささかに戯歌を作りて、もちて問答をなせるぞ。 
      厚見王が歌一首   
671 朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに  
      春日王が歌一首 志貴皇子の子、母は多紀皇女といふ  
672 あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ  
      湯原王が歌一首   
673 月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに  
      和ふる歌一首 作者を審らかにせず  
674 月読の光りは清く照らせれど惑へる心思ひあへなくに  
      安倍朝臣虫麻呂が歌一首   
675 しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる  
      大伴坂上郎女が歌二首  
676 まそ鏡磨ぎし心をゆるしてば後に言ふとも験あらめやも  
677 真玉つくをちこち兼ねて言は言へど逢ひて後こそ悔にはありといへ  
      中臣女郎、大伴宿禰家持に贈る歌五首  
678 をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも  
679 海の底奥を深めて我が思へる君には逢はむ年は経ぬとも  
680 春日山朝居る雲のおほほしく知らぬ人にも恋ふるものかも  
681 直に逢ひて見てばのみこそたまきはる命に向ふ我が恋やまめ  
682 いなと言はば強ひめや我が背菅の根の思ひ乱れて恋ひつつもあらむ  
      大伴宿禰家持、交遊と別るる歌三首  
683 けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ  
684 なかなかに絶ゆとし言はばかくばかり息の緒にして我れ恋ひめやも  
685 思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽して恋ふる我れかも  
      大伴坂上郎女が歌七首  
686 言ふ言の畏き国ぞ紅の色にな出でそ思ひ死ぬとも  
687 今は我は死なむよ我が背生けりとも我れに依るべしと言ふといはなくに  
688 人言を繁みか君が二鞘の家を隔てて恋ひつついまさむ  
689 このころは千年や行きも過ぎぬると我れかしか思ふ見まく欲りかも  
690 うるはしと我が思ふ心早川の塞きに塞くともなほや崩えなむ  
691 青山を横切る雲のいちしろく我れと笑まして人に知らゆな  
692 海山も隔たらなくに何しかも目言をだにもここだ乏しき  
      大伴宿禰三依、別れを悲しぶる歌一首  
693 照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに  
      大伴宿禰家持、娘子に贈る歌二首  
694 ももしきの大宮人はさはにあれど心に乗りて思ほゆる妹  
695 うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽さく思へば  
      大伴宿禰千室が歌二首 いまだ詳らかにあらず  ページトップへ
696 かくのみし恋ひやわたらむ秋津野にたなびく雲の過ぐとはなしに  
      広河女王が歌二首 穂積皇子の孫女、上道王が女なり  
697 恋草を力車に七車積みて恋ふらく我が心から  
698 恋は今はあらじと我れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる  
      石川朝臣広成が歌一首 後に姓高円朝臣の氏を賜はる  
699 家人に恋過ぎめやもかはづ鳴く泉の里に年の経ぬれば  
      大伴宿禰像見が歌三首  
700 我が聞に懸けてな言ひそ刈り薦の乱れて思ふ君が直香ぞ  
701 春日野に朝居る雲のしくしくに我れは恋ひ増す月に日に異に  
702 一瀬には千たび障らひ行く水の後にも逢はむ今にあらずとも  
      大伴宿禰家持、娘子が門に到りて作る歌一首  
703 かくしてやなほや罷らむ近からぬ道の間をなづみ参ゐ来て  
      河内百枝娘子、大伴宿禰家持に贈る歌二首  
704 はつはつに人を相見ていかにあらむいづれの日にかまた外に見む  
705 ぬばたまのその夜の月夜今日までに我れは忘れず間なくし思へば  
      巫部麻蘇娘子が歌二首  
706 我が背子を相見しその日今日までに我が衣手は干る時もなし  
707 栲縄の長き命を欲りしくは絶えずて人を見まく欲りこそ  
      大伴宿禰家持、童女に贈る歌一首  
708 はねかづら今する妹を夢に見て心のうちに恋ひわたるかも  
      童女が来報ふる歌一首  
709 はねかづら今する妹はなかりしをいづれの妹ぞそこば恋ひたる  
      粟田女娘子、大伴宿禰家持に贈る歌二首  
710 思ひ遣るすべの知らねば片垸の底にぞ我れは恋ひ成りにける 片垸の中に注す  
711 またも逢はむよしもあらぬか白栲の我が衣手にいはひ留めむ  
      豊前の国の娘子、大宅女が歌一首 いまだ姓を審らかにせず  
712 夕闇は道たづたづし月待ちて行ませ我が背子その間にも見む  
      安都扉娘子が一首  
713 み空行く月の光にただ一目相見し人の夢にし見ゆる  
      丹波大女娘子が歌三首  
714 鴨鳥の遊ぶこの池に木の葉落ちて浮たる心我が思はなくに  
715 味酒を三輪の祝がいはふ杉手触れし罪か君に逢ひかたき  
716 垣ほなす人言聞きて我が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ  
      大伴宿禰家持、娘子に贈る歌七首  
717 心には思ひわたれどよしをなみ外のみにして嘆きぞ我がする  
718 千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬うち渡しいつか通はむ  
719 夜昼といふわき知らず我が恋ふる心はけだし夢に見えきや  
720 つれもなくあらむ人を片思に我れは思へばわびしくもあるか  
721 思はぬに妹が笑ひを夢に見て心のうちに燃えつつぞ居る  
722 ますらをと思へる我れをかくばかりみつれにみつれ片思をせむ  
723 むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ  
      天皇に献る歌一首 大伴坂上郎女、佐保の宅に在りて作る  
724 あしひきの山にしをれば風流なみ我がするわざをとがめたまふな  
      大伴宿禰家持が歌七首  
725 かくばかり恋ひつつあらずは石木にもならましものを物思はずして  
      大伴坂上郎女、跡見の庄より、宅に留まれる女子、大嬢に賜ふ歌一首并せて短歌  
726 常世にと 我が行かなくに 小かな門に もの悲しらに 思へりし 我が子の刀自を ぬばたまの 夜昼といはず 思ふにし 我が身は痩せぬ 嘆くにし 袖さへ濡れぬ かくばかり もとなし恋ひば 故郷に この月ごろも 有りかつましじ  
      反歌  
727 朝髪の思ひ乱れてかくばかり汝姉が恋ふれぞ夢に見えける  
      右の歌は、大嬢が奉る歌に報へ賜ふ。  
      天皇に献る歌二首 大伴坂上郎女、春日の里に在りて作る  
728 にほ鳥の潜く池水心あらば君に我が恋ふる心示さね  
729 外に居て恋ひつつあらずは君が家の池に住むといふ鴨にあらましものを  
      大伴宿禰家持、坂上家の大嬢に贈る歌二首 離絶すること数年、また会ひて相聞往来す  
730 忘れ草我が下紐に付けたれど醜の醜草言にしありけり  
731 人もなき国もあらぬか我妹子とたづさはり行きてたぐひて居らむ  
      大伴坂上大嬢、大伴宿禰家持に贈る歌三首   
732 玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きかたし  
733 逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその宵逢ひて言の繁きも  
734 我が名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名立てば惜しみこそ泣け  
      また、大伴宿禰家持が和ふる歌三首   
735 今しはし名の惜しけくも我れはなし妹によりては千たび立つとも  
736 うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む  
737 我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ  
      同じき坂上大嬢、家持に贈る歌一首   
738 春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む  
      また家持、坂上大嬢に和ふる歌一首   
739 月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をぞせし行かまくを欲り  
      同じき大嬢、家持に贈る歌二首   
740 かにかくに人は言ふとも若狭道の後瀬の山の後の逢はむ君  
741 世の中し苦しきものにありけらし恋にあへずて死ぬべき思へば  
      また家持、坂上大嬢に和ふる歌二首   
742 後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日まで生けれ  再掲  
743 言のみを後も逢はむとねもころに我れを頼めて逢はざらむかも  
      さらに、大伴宿禰家持、坂上大嬢に贈る歌十五首   
744 夢の逢ひは苦しくありけりおどろきて掻き探れども手にも触れねば  (再掲)  
745 一重のみ妹が結ばむ帯をすら三重結ぶべく我が身はなりぬ  
746 我が恋は千引の石を七ばかり首に懸けむも神のまにまに  
747 夕さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を  
748 朝夕に見む時さへや我妹子が見れど見ぬごとなほ恋しけむ  
749 生ける世に我はいまだ見ず言絶えてかくおもしろく縫へる袋は  
750 我妹子が形見の衣下に着て直に逢ふまでは我れ脱かめやも  
751 恋ひ死なむそこも同じぞ何せむに人目人言言痛み我れせむ  
752 夢にだに見えばこそあれかくばかり見えずてあるは恋ひて死ねとか    (再掲)  
753 思ひ絶えわびにしものをなかなかになにか苦しく相見そめけむ  
754 相見ては幾日も経ぬをここだくもくるひにくるひ思ほゆるかも            
755 かくばかり面影にのみ思ほえばいかにかもせむ人目繁くて  
756 相見てはしましも恋はなぎむかと思へどいよよ恋ひまさりけり      (二回目)  
757 夜のほどろ我が出でて来れば我妹子が思へりしくし面影に見ゆ  
758 夜のほどろ出でつつ来らくたび数多くなれば我が胸切り焼くごとし  
      大伴の田村家の大嬢、妹の坂上大嬢に贈る歌四首  ページトップへ
759 外に居て恋ふれば苦し我妹子を継ぎて相見む事計りせよ  
760 遠くあらばわびてもあらむを里近くありと聞きつつ見ぬがすべなさ  
761 白雲のたなびく山の高々に我が思ふ妹を見むよしもがも  
762 いかならむ時にか妹を葎生の汚なきやどに入れいませてむ  
      右、田村大嬢、坂上大嬢は、ともにこれ、右大弁大伴宿奈麻呂卿が女なり。卿、田村の里に居れば、号けて田村大嬢といふ。ただし妹坂上大嬢は、母、坂上の里に居る。よりて坂上大嬢といふ。時に姉妹、諮問ふに歌をもちて贈答す。 
      大伴坂上郎女、竹田の庄より女子大嬢に贈る歌二首   
763 うち渡す竹田の原に鳴く鶴の間なく時なし我が恋ふらくは  
764 早川の瀬に居る鳥のよしをなみ思ひてありし我が子はもあはれ  
      紀女郎、大伴宿禰家持に贈る歌二首 女郎、名を小鹿といふ   
765 神さぶといなにはあらずはたやはたかくして後に寂しけむかもは  
766 玉の緒を沫緒に搓りて結べらばありて後にも逢はずあらめやも  
      大伴宿禰家持が和ふる歌一首   
767 百年に老舌出でてよよむとも我れはいとはじ恋ひは増すとも  
      久邇の京に在りて、寧楽の宅に留まれる坂上大嬢を偲ひて、大伴宿禰家持が作る歌一首   
768 一重山へなれるものを月夜よみ門に出で立ち妹が待つらむ  
      藤原郎女、これを聞きて即ち和ふる歌一首   
769 道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り  
      大伴宿禰家持、さらに大嬢に贈る歌二首    
770 都道を遠みか妹がこのころはうけひて寝れど夢に見え来ぬ  
771 今知らす久邇の都に妹に逢はず久しくなりぬ行きて早見な  
      大伴宿禰家持、紀女郎に報へ贈る歌一首    
772 ひさかたの雨の降る日をただひとり山辺に居ればいぶせくありけり  
      大伴宿禰家持、久邇の京より坂上大嬢に贈る歌五首   
773 人目多み逢はなくのみぞ心さへ妹を忘れて我が思はなくに  
774 偽りも似つきてぞするうつくしくもまこと我妹子我れに恋ひめや  
775 夢にだに見えむと我れはほどけども相し思はねばうべ見えずあらむ     
776 言とはぬ木すらあぢさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり  
777 百千たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我れは頼まじ  
      大伴宿禰家持、紀女郎に贈る歌一首   
778 鶉鳴く古りにし里ゆ思へども何ぞも妹に逢ふよしもなき  
      紀女郎、家持に報へ贈る歌一首   
779 言出しは誰が言にあるか小山田の苗代水の中よどにして  
      大伴宿禰家持、さらに紀女郎に贈る歌五首   
780 我妹子がやどの籬を見に行かばけだし門より帰してむかも  
781 うつたへに籬の姿見まく欲り行かむと言へや君を見にこそ  
782 板葺の黒木の屋根は山近し明日の日取りて持ちて参ゐ来む  
783 黒木取り草も刈りつつ仕へめどいそしきわけとほめむともあらず 一には「仕ふとも」といふ  
784 ぬばたまの昨夜は帰しつ今夜さへ我れを帰すな道の長手を  
      紀女郎、裏める物を友に贈る歌一首 女郎、名を小鹿といふ  
785 風高く辺には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻ぞ  
      大伴宿禰家持、娘子に贈る歌三首   
786 をととしの先つ年より今年まで恋ふれどなぞも妹に逢ひかたき  
787 うつつにはさらにもえ言はず夢にだに妹が手本をまき寝とし見ば  
788 我がやどの草の上白く置く露の身も惜しくあらず妹に逢はずあれば  
      大伴宿禰家持、藤原朝臣久須麻呂に報へ贈る歌三首   
789 春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも  
790 夢のごと思ほゆるかもはしきやし君が使の数多く通へば  再掲  
791 うら若み花咲きかたき梅を植ゑて人の言繁み思ひぞ我がする  
      また家持、藤原朝臣久須麻呂に贈る歌二首   
792 心ぐく思うほゆるかも春霞たなびく時に言の通へば  
793 春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに  
      藤原朝臣久須麻呂、来報ふる歌二首   
794 奥山の岩蔭に生ふる菅の根のねもころ我れも相思はずあれや  
795 春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだふふめり  
     
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