書庫9











 「家持最終歌の提起か」...老いて恋する...
 「相別後更来贈」

歌意】612

まったく思いもしませんでした
こんな風に、今更のように
我が故郷へ帰ってこようとは...
 
歌意】613
 
近くにあなたが居るのであれば
お逢いすることがなくても、生きて生けるものを
こんなにも遠くまであなたがいらっしゃるのであれば
わたしは、どうして耐えられましょう...生きていけません
 
歌意】614
 
今更になって、別れの哀しさがこみ上げてきました
もう逢えないかもしれないのですから...
そう思うからでしょうか
わたしのこころが、こんなに晴れないのは...
 
歌意】615
 
こんな風になるのでしたら
いっそのこと、黙っていればよかった
どうして、今になってまた逢い始めたのでしょう
二人は添い遂げられないことは
解っていたことなのに...
 
 
この家持の心情、以前の私は、二人が出逢い始めた頃の事への後悔の念だと思った
しかし、吉田金彦氏の「秋田城出土木簡」の本を読みすすめて行くうちに
氏の言われる、笠女郎の出身地、故郷の推定から端を発して
時代が大きく見直しできるのでは、と感じるようになった

そして、再びこの四首に触れてみる
笠女郎の二首が、二十四首の歌群の中にあって
左注に「右二首相別後更来贈」とあることに
今更になって、違和感を抱いた
この二首...「別れて」と添えるのは、一体なぜだろう
そのことに、ふと気づく


そもそも、「別れる」という行為には、お互いが一緒だった、という前提がある
それが、普通であり、そこから「別れる」ことが起こり得る
しかし、通説では、この笠女郎の想いは、家持には届かず
彼女の「片想い」だと言われ続けている
ならば、「別れて後」というのはおかしいではないか

「別れ」があるのなら、当然二人の関係は「恋仲」であったろうし
もう一つ、脹らみ始めた思いというのが
この「別れ」...「仲違い」の「男女の別れ」とは違うものだ、と思えてきた
いくら好きなように感じたままに、歌を楽しもうと心掛けていても
どうしても、通説の概念は意識とも心に残るものだ
勿論、それは私の理解力の不足からのもので
今後は、それをもっともっと補わなければならないことだが

この「別れて後に更に来贈る」は、
家持が、越中どころではなく、陸奥国という、更に遠方の地への赴任
それほどの遠い地へ送り出すことへの「別れ」とも言える
老い始めた家持にとって、この東国への赴任は
いってみれば「左遷」のようなもの
いつ戻れるか分からない情況だったことは、この時代背景の彼の立場で推測できる

そんな遠方への出仕に対して、笠女郎は泣いたのだ
近くにいるのなら、たとえ「逢わなくても」、生きていける
しかし、こんなに遠方になれば...「死ねというのと同じでしょう」
だって、帰って来られないかも知れないというのですから

彼女が、思いも掛けずに「故郷」へ帰ったのは
この「傷心」のせいではないのだろうか

そして、今日のタイトルに付けたように
吉田氏は、この家持の歌こそ、彼の最後の詠歌ではないか、という

「もうあなたに逢えないと思うと」...
これは、確かに男が女を振った「言葉」ではない
もう逢えないかもしれない、そんな予感の占める赴任に
家持はいっそう笠女郎への「愛おしさ」を募らせているのではないだろうか

さらに、いっそのこと...黙っていればよかった...
これなど、通説でも声を掛けて誘った家持の悔恨、となるが
ここまで情況を変えて見詰めれば
「何も言わず、黙って陸奥国へ行けばよかった」と言う方への悔恨も重ねられる

出逢いがあってから、もう随分と経つことだろう
この段階で、添い遂げる、添い遂げないなどという問題など、
二人の思惑にはなかったはずだ
ことさら、彼がここで持ち出すのは、
こんなにまで、長い間自分を想い慕ってくれた、笠女郎へのいたわりの「言葉」だと思う


家持が、持節征東将軍となって陸奥に赴任したと思われるのが、延暦三年(784年)
この笠女郎へ返した歌が、この情況下であったとすれば
家持が万葉集で最後を締めくくったとされる、天平宝字三年(759年)より二十五年の後のこと

こうした「家持の最終歌」に対する見解を
吉田氏は、この著書の中で、こう書き記している


 ここに、見落としてはならない先学の見解がある。
 天平宝字三年(759年)と言えば、家持の年齢は四十二歳、「そんな年で歌い止む歌才のある人物があるであろうか。(現在の万葉集最後尾歌は祝言で、うまく出来すぎた編集だ。)それが実際に家持の作歌の最後だとは思われない。それより『なかなかに黙もあらましを』で終った方が、総じて明るいとは言えない詞華集の結びとして、またそういう詞華集の編集に深くかかわった歌人の晩年の作歌例として、一層自然ではあるまいか。そこに、単に老いの影ばかりでなく、老境の誠実さが認められるとすれば、なおさらではあるまいか」(尾山篤二郎『大伴家持の研究』1956年平凡社205頁)と言われたのは、けだし名言であった。「老境の誠実さ」(寺田透『万葉の女流歌人』1977年岩波新書12頁)とは、家持六十七歳の心境を指している。私は、この寺田透氏の論に左袒する次第である。


そもそも、万葉歌のオリジナルの資料など、どんなものだったのか想像してみる
歌番号など、今から百年ほど前に国歌大観によって付けられたもの
それ以前が、まったくの手作業で整理していたのが信じられないくらいだ
番号のない歌を、その検索などどれほど困難で手間のかかる作業か...
それを、原資料から「万葉集」を編纂する時代に思いを馳せれば
今のように、これが万葉集の「最終歌」だ、と言い切れないのも納得する

山積みにされた、オリジナルの資料
それをいかに仕分けしようと、そこには今では考えられないような根気がいるし
まして、どの歌を最終歌にするのか、なども思案したことだろう
そう考えれば、今で言う現実の歌が、本当の詠歌の最後かと言われれば
むしろ、そうじゃないだろうなあ、とつい思ってしまう

編集者の「奥書」めいたものでもあれば、少しは手掛かりにもなるだろうが...
いつか、どこかの蔵から...などと、淡い期待もしてみる

まだまだ、笠女郎への道程は長い
個人的には、ようやくその端緒についたばかりだ

「想いをはぐくみ」伝え残される歌集
いつまでも、不変であり続ける「歌集」でることは間違いないが
問題は...それを受け入れる時代だ
今の時代が、まだそれを「求めている」ことに、取り敢えず安堵しておこう
 

掲載日:2013.08.01.


 (笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)[歌群最後の二首]
  従情毛 我者不念寸 又更 吾故郷尓 将還来者
   心ゆも我は思はずきまたさらに我が故郷に帰り来むとは
  こころゆも わはおもはずき またさらに わがふるさとに かへりこむとは
 【語義歌意】  巻第四 612 相聞 笠女郎 
  
  近有者 雖不見在乎 弥遠 君之伊座者 有不勝自
   近くあれば見ねどもあるをいや遠く君がいまさば有りかつましじ
  ちかくあれば みねどもあるを いやとほく きみがいまさば ありかつましじ
 右二首相別後更来贈 
 【語義歌意】  巻第四 613 相聞 笠女郎 

この二首、2013年5月6日付けで、掲載している
歌意にも、その背景に新たに思うところがあるので、再掲する


 (笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)大伴宿祢家持和歌二首
  今更 妹尓将相八跡 念可聞 幾許吾胸 欝悒将有
   今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ
  いまさらに いもにあはめやと おもへかも ここだあがむね いぶせくあるらむ
 【語義歌意】  巻第四 614 相聞 大伴家持 
  
  中々者 黙毛有益乎 何為跡香 相見始兼 不遂尓
   なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに
  なかなかに もだもあらましを なにすとか あひみそめけむ とげざらまくに
 【語義歌意】  巻第四 615 相聞 大伴家持 

この二首、2013年5月4日付けで、掲載
ただし、そのときの解釈とは今回は違うものになった


 612】語義 意味・活用・接続 
 こころゆも[従情毛] [左注・こころゆも
  こころ[心・情]  意識・気持ち・感情・心構え・情け
  ゆ[格助詞(上代)]  [比較の基準]〜よりも
  も[係助詞]  [感動・詠嘆]〜もまあ
 わはおもはずき[我者不念寸]   
  おもは[思ふ]  [他ハ四・未然形]考える・回想する・推量する・予期する
  ず[助動詞・ず]  [打消し・連用形]〜ない  未然形に付く
  き[助動詞・き]  [回想・終止形]〜た・〜ていた   連用形に付く
 わがふるさとに[吾故郷尓] [左注・ふるさと
  掲題歌トップへ

 【613】語義 意味・活用・接続 
 ちかくあれば[近有者]  近くに居れば 、という意 
  [形ク]遠
 みねどもあるを[雖不見在乎]   
  み[見る]  [他マ上一・未然形]逢う・顔を合わせる 
  ね[助動詞・ず]  [打消し・已然形]〜ない  未然形につくに
  ども[接続助詞]  [逆接の確定条件]〜けれども・〜のに  已然形につくに
  ある[有り・在り]  [自ラ変・連体形]住む・暮らす・時が経過する
  [接続助詞]  [逆接]〜のに  連体形につくに
 いやとほく[弥遠]
  いや[接頭語・弥]  [「いよ」の転]いよいよ・非常に・もっとも、などの意を表す
  とほく[遠し]  [形ク・連用形]距離や時間が非常に離れている
 きみがいまさば[君之伊座者] 
  いまさ[坐す・在す]  [自サ四・未然形]「行く・来る」の尊敬語、お出かけになる
  [上代の尊敬の動詞「坐(ま)す」に接頭語「い」の付いたもの]
  ば[接続助詞]  [順接の仮定条件]〜なら  未然形につくに
 ありかつましじ[有不勝自]
  あり[有る・在る]  [自ラ四・連用形]生きている・過ごす
  かつ[上代語]  [補助動詞タ下二・終止形]〜できる・〜耐える
 [左注・かつ
  ましじ[上代語](かつ)  [助動詞「まじ」の古形]〜ないだろう  終止形につくに
 掲題歌トップへ 

 【614】語義 意味・活用・接続 
 いまさらに[今更]
  いまさら[今更]  [副詞]今となって
  [形動ナリ](多く否定的な気持ちを含む)今となっては、もう必要がないさま
  [形動の語幹]が副詞化して、下に打消しや反語の表現を伴って用いることがある (めや)
  に[間投助詞(上代)]  [感動・強調]〜になあ
 いもにあはめやと[妹尓将相八跡]   
  めや  [反語の意を表す]〜だろうか〜でない
  [成立ち]推量の助動詞「む」の已然形「め」+反語の終助詞「や」
  と[格助詞]  [引用](〜と思って)の意
 おもへかも[念可聞] [疑問条件・「思へばかも」に同じ]
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]思う・嘆く・推量する
  かも[係助詞]  [確定条件の疑問]〜からか  已然形につくに
 ここだあがむね[幾許吾胸] 
  ここだ[幾許]  [副詞・上代]たくさんに・(程度について)たいそう・たいへんに
 おもへかも[念可聞] [疑問条件・「思へばかも」に同じ]
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]思う・嘆く・推量する
 いぶせくあるらむ[欝悒将有] 
  いぶせく[いぶせし]  形ク・連用形]気持ちが晴れない・気掛かりだ
  ある[有り・在り]  [補動ラ変・連体形]
   (形容詞・形容動詞などの連用形について)状態・存在の表現を助ける
  らむ[助動詞四]  [原因推量](〜というので)〜なのだろ
 掲題歌トップへ

 【615】語義 意味・活用・接続 
 なかなかに[中々者] 
  なかなかに[中々に]  [形動ナリ・連用形]かえって〜しないほうがいい・どっちつかずだ
 もだもあらましを[黙毛有益乎]   
  もだ[黙]  何もしないでいること・黙っていること・沈黙
  も[係助詞]  [強意](下に打消しの語を伴って強める)〜も
  あらまし[有らまし]  (〜で)あったらよかったのに
   [成立ち]ラ変動詞「有り」の未然形「あら」+反実仮想の助動詞「まし」
  を[格助詞]  [強調]〜を
 なにすとか[何為跡香]  
  なにすとか[何為とか]  どうして〜か・どうしようとして〜か
  以下の句の「相見始兼 不遂尓」を修飾する (どうしようとして逢い始めたのだろうか)
 あひみそめけむ[相見始兼]   
  あいみ[相見る]  [他マ上一・連用形]対面する・男女が関係を結ぶ
  そめ[接尾語・初(そ)む]  [接尾マ下二・連用形](動詞の連用形について)
   「〜はじめる・はじめて〜」の意を表す動詞をつくる
  けむ[助動詞・けむ]  [推量・終止形](疑問語とともに用い)過去の事実について
   〜たのだろう・〜ていたのだろう  連用形につく
 とげざらまくに[不遂尓]
  とげ[遂(と)ぐ]  [他ガ下二・未然形]成し遂げる・(目的や希望などを)はたす
  ざら[助動詞・ず]  [打消し・未然形]〜ない  未然形につく
  まく[上代語]  [未来の推量]〜だろうこと  未然形につく
  に[上代・間投助詞]  [感動・強調]〜になあ・〜のであるよ
  掲題歌トップへ

 
 【左注】
 [こころゆも 
「こころよりも、まあ」と直訳すれば、こんな意味になると思う
多くの訳書では「心底」と使われており
「心をしのぐ」〜、として、まったくの予想し得なかったことを言うのだろうか
次の語句「思はずき」まで通して、「思いもしなかった、本当に意外だった」と
そのような慣用句のような訳され方をしている
『万葉集古義』では、どう書いているのだろう、と捲ってみれば
その「こころゆも わはおもはずき」には、まったく言及されていない
当時としても、語句の解説不要な「慣用句」だったのだろう
 
 [ふるさと
平城京遷都後の「故郷」は、旧京のことで、一般的には飛鳥旧京というらしい
しかし、この「故郷」..「笠女郎」の出身が伝わらない以上
吉田金彦氏のいうように、近江の「笠」も考えられる
 
 [かつ 
下に助動詞「ず」の連体形「ぬ」及び古形の連用形「に」、
また「まじ」の古形「ましじ」など打消しの語を伴って「かてぬ・かてに・かつましじ」
などの形で用いられることが多い
 
 





 「夏相聞 うるさきもの」...ときわかずなく...
 「時節をうらむか」

【歌意】1986

ひぐらしは、いまぞこのとき、と鳴いているけど
片思ひにくれる、か弱いわたしには
そのような「時」のふんべつもなく
こうしていつも泣いている
 
 
日中のあの騒々しい蝉の声も
夜になると、ぴたっと鳴り止む
しかし、また翌朝の早い時間から...やかましいほど鳴き始める
今が、そんな季節

蝉にとって、自分の命を確認するすべは、まさにこの時
そして、間もなくその生涯も終える

長い間世に出ることなく、耐えて生きてきたその最後の「輝き」を
このような「歌」に詠まれようとは...蝉にも言い分はあるだろうが...

「恋の季節」という歌があった
小学生の頃だったか、中学生だったか
もう覚えていないが、「恋」に季節があることを
どうしてもイメージが湧かなくて
子供心に、どんな「季節なのだろう」と気になっていたことは少し覚えている

「恋」というのは、「片恋」も含めるのなら
それは、「人恋しくて」という意味なのだと思う
「人を恋して」、このように、誰でも「歌人」になる
それに、泣くほどの辛さ、それが一層ことばに「情感」を注ぐ

「ときわかずなく」と詠えば、
それだけで、その人の「こころ」の素直さが滲み出て感じられる
私の好きな「語句」になっている
人は泣けば...誰でも詩人になれると思う

堪えて、堪えて...それでも人は最後には泣けばいい
それが、やがて笑顔になる...しかし、その時は...もう詩人ではないのだが...

 
 
掲載日:2013.08.02.


  夏相聞 寄蝉
  日倉足者 時常雖鳴 我戀 手弱女我者 不定哭
   ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く
  ひぐらしは ときとなけども かたこひに たわやめわれは ときわかずなく
 【語義・歌意】  巻第十 1986 夏相聞 作者不詳 


 【1986】語義 意味・活用・接続 
 ひぐらしは[日倉足者] 
  ひぐらし[蜩]  蝉の一種「かなかな」と鳴く
  は[係助詞]  [とりたて・題目](主語に当る語をとりたてて提示する)〜は
 ときとなけども[時常雖鳴]   
  とき[時]  季節・時候・時節・好機
  と[格助詞]  [引用]〜と(言って) [左注・と  体言に付く
  なけ[鳴く]  [自カ四・已然形](鳥・虫・獣が)声を出す 
  ども[接続助詞]  [逆接の恒常条件]〜てもやはり・といっても  已然形につく
 かたこひに[我戀] 
  かたこひ[片恋ひ]  自分を思わない異性を恋したうこと
   「片(かた)」は接頭語で、片一方の意を表す[片恋・片枝(え)]
   他に、不完全な、中途半端な、の意で[片生ひ(未成熟)・片時]
   更に、偏った、中央を離れた、の意で[片淵・片田舎]など
  に[格助詞]  [原因・理由]〜によって・〜により  体言に付く
 たわやめわれは[手弱女我者]   
  たわやめ[手弱女]  [たをやめ、と同じ]か弱い女性・しとやかな優しい女性
 ときわかずなく[不定哭] 
  ときわかず[時分かず]  季節の区分がない・時を選ばない・いつでもある
  なく[泣く]  [自カ四・終止形](人が)涙を流し声をあげる
  掲題歌トップへ
 
 【左注】
 [ 
格助詞の「と」には、多くの用法があるが、ここでは「引用」だと思う
「〜と言って・〜と思って・〜として」などの意がある
後に続く動作・状態の目的・状況・原因・理由などを示す
 






 「夏雑歌 これも風物詩とはいえ」...ものもふとき...
 「暑い日々に悩めること」

【歌意】1968

ひぐらしよ、せめて何も気掛かりもなく
平穏なときにこそ、鳴いてくれないか
何も、こんなに物思いに耽って、静かでありたいのに
どうして、こうもやたらに鳴くのか...
 
夏は、すべてが掻き混ぜられて、
自分の心を静かに見詰め直すような気になれない
暑さのせいもあるだろうし、何と言っても、蝉の大合唱
「これぞ、夏」といえるだろうが
中には、この作者のように、静かな「夏のひととき」を求める人もいる
開放的な季節のはずが、あまりの倦怠感に何も出来ずにいる

だから、せめて「何か」を考えようとする
もとより、「悩めること」があればいい
本気で悩むべきことなら、暑さも騒々しさも気にはならないだろう

私のように、何をしようか、と思案していると
このように「蝉の大合唱」に文句も言いたくもなる

夏は暑いものだ
一つの季節を待ち、そして送る...
その節目が、人を育てていると思えば
この暑さも、決まりごとの一つ...我慢しよう

今日も、蝉の声を聞きながら本を読んでいると
「蝉」に奏でる「人の想い」があった
こんな、うっとうしいような「鳴き声」に気を紛らすことも
...それが、「夏」というものだ 


「秋田城木簡に秘めた万葉集」で、吉田金彦氏はいう
笠女郎は、宮廷の女官で「采女」...天皇に仕える特別な女性
だからこそ、あれほど必死に「名を出さないで欲しい」といい続けているのだ、と

そうかもしれない
確かに、あれほど「名が漏れる」ことにこだわったのだから
特別な立場の女性かもしれない
そして、氏の推論では、「悲話応答歌」で有名な「中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子」を例に
この狭野弟上娘子が、そうだった、と説き
だから二人は引き裂かれ、宅守は流刑に処せられた
この例からも、宮廷の女官との恋は、大変なことだった、という

迂闊にも、この悲恋は私も以前採り上げていたが...途中で放り出してしまった
この二人の、置かれた状況が...あの頃の私には理解できなかったからだ
そして、吉田氏のいうように、本当に宮廷の禁を犯しての恋だったのかどうか...
以前の私には、気づかなかったし...おそらく、どこにも記録されていなかったと思う
これも、吉田氏の推論なのだろうか...
いかん、また宿題が増えてしまった

要は、こうした例があるので、笠女郎は、あれほど名が知られないように念を押したのだ、と
それは、この宅守の例のように、処罰されるのは「家持」だから...

ならば、と考えてしまう
家持の立場なら、それこそ大伴家の一大スキャンダルになる
それは、笠女郎に言われるまでもなく、家持も心しなければならないことだ
しかし、家持からそんな素振りは感じられない...今のところ、だが

むしろ、つい洩らしてしまいかねない懸念を、笠女郎が心配している
何かしっくりこない

でも、家持が、二人は決して添い遂げられない運命、といっていることから
笠女郎の立場が、それに近いものであったとは、受け入れられると思う

あくまで過程の上での推論だが
万葉集の編集当時の状況を想像してみると
いくつかの、これまで「通説」になっていた「呪縛」が解けて
もっと自然に、こうあるのではないか、と思えるようになった

「悲話応答歌」の、あの原因だって
確実な、その原因が記されているものはない
しかし、だから逆に、上記のようなことも十分有り得る、と思ってしまう
そうなると、あの六十三首から、また読み直しをしなければならなくなった

いつまでたっても、この「知りたいと願う欲望」は、収まりはしないものだ
まあいいさ、死ぬまでかかっても...それまで楽しく生きていけるから...
 

掲載日:2013.08.03.


  夏雑歌 詠蝉
  黙然毛将有 時母鳴奈武 日晩乃 物念時尓 鳴管本名
   黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな
  もだもあらむ ときもなかなむ ひぐらしの ものもふときに なきつつもとな
 【語義・歌意】  巻第十 1968 夏雑歌 作者不詳 


 【1968】語義 意味・活用・接続 
 もだもあらむ[黙然毛将有] 
  もだ[黙]  何もしないでいること・黙っていること・沈黙
  も[係助詞]  [仮定希望]せめて〜だけでも・〜なりとも
  あら[有り・在り]  [自ラ変・未然形]過ごす・経る・時が経過する
  む[助動詞・む]  [推量・勧誘・連体形]〜ない(か)
 ときもなかなむ[時母鳴奈武]   
  なむ[終助詞]
 [左注・なむ
 (願望の意を表す)〜して欲しい・〜てもらいたい  未然形につく
 ものもふときに[物念時尓] 
  ものもふ[物思ふ]  [自ハ四・連体形]思い悩む・思いに耽る (ものおもふ、の転)
 なきつつもとな[鳴管本名]   
  つつ[接続助詞]  [継続]〜し続けて  連用形につく
  もとな[副詞]  (理由もなく・根拠もなく)しきりに・やたらに
 掲題歌トップへ 

 
 【左注】
 [なむ 
「なむ」には、係助詞、終助詞、助動詞「ぬ」の未然形+助動詞「む」の三種類がある
それぞれに意味は違うが、手っ取り早い見分け方は
接続する品詞の活用形にあると思う
「係助詞」は、体言・活用語の連体形・副詞・助詞に付く
「終助詞」は、活用語の未然形に付く
「助動詞」は、活用語の連用形に付く

この歌の場合、「鳴か」が「自動詞カ行四段・鳴く」の未然形なので
この「なむ」は「終助詞」といえる

「終助詞・なむ」
上代には「なむ」と同じ意味で「なも」も用いた
相手に向って、直接いうのではなく、話し手が独り言のように言う場合に用いる
 
もとな 
この「もとな」、この意味としては
根拠もなく、理由もなくの意を持たせ、やたらに・しきりに、と副詞になるが
形容詞「もとなし」の語幹の、副詞的用法だと、ある本に書いてある
しかし、私の古語辞典には、「もとな」はあっても、「もとなし」という形容詞はない
推測できるのは、「根源・根拠」の意である「もと」に、
形容詞「無し」の語幹「な」、が付いたもの
形容詞「無し」は、存在しないの意味合いになる
名詞「もと」にしても、根元・原因とか、根源のような意味合いだ
だから、この「もとなし」で、「しきりに・やたらに」、というニュアンスになるのだろう

「なし」には、名詞や形容詞の語幹について、意味を強める「接頭語」もある
たとえば、「いとけなし・おぼつかなし・むくつけなし」などのような類
 







 「夏相聞 かきつはた」...につらふひとは...
 「かくこひすらむ」

【歌意】1990

わたしだけなのだろうか...
このように、恋に心を躍らせているのは...
杜若の花のように、ほんのり紅味がかった頬のあの娘
あの娘は、わたしのことを、どう思っているのだろう...
想ってなど、いないだろうなあ...
 
 
恋する気持ちには、ときに自己陶酔もあるだろう
ここでの「いかにか」を疑問とするか、反語とするか
諸本の歌意もいろいろあるが
私は、初句の「のみ」が響いてくる

こんなに想っているのに、
きっとわたしだけなんだろう、この恋心は...と
そこには、恋しいのに、「想われる」こと以上に
自分の「恋心」が浮かび上がってくる

どんな娘なのか...杜若のように美しい色を見せる娘
想うだけで、わたしはときめいてしまう
できれば、あの娘の気持ちを知りたい...でも、それも...

 



掲載日:2013.08.04.


  夏相聞 寄草
  吾耳哉 如是戀為良武 垣津旗 丹頬合妹者 如何将有
   我れのみやかく恋すらむかきつはた丹つらふ妹はいかにかあるらむ
  あれのみや かくこひすらむ かきつはた につらふいもは いかにかあるらむ
 【語義・歌意】  巻第十 1990 夏相聞 作者不詳 


 【1990】語義 意味・活用・接続 
 あれのみや[吾耳哉] 
  のみ[副助詞]
  [左注・のみ
 [限定]〜だけ・〜ばかり
  や[係助詞]  [疑問]〜か
 かくこひすらむ[如是戀為良武]   
  かく[斯く]  [副詞]このように・こんなに・こう
  す[為(す)]  他サ変・終止形]ある動作・行為をする
  らむ[助動詞・らむ]  [推量・終止形]〜のだろう  終止形につく
   (現在の事実について、その原因・理由を推量する)
 かきつはた[垣津旗]その色彩から「丹つらふ」にかかる枕詞ともいう 
  かきつばた
  [杜若・燕子花]
 (上代は「かきつはた」)水辺に生え、夏に紫または白の花が咲く
 につらふいもは[丹頬合妹者]   
  につらふ[丹つらふ]
  (上代語)
 [自ハ四・連体形]赤く照り映える・美しい色をしている
 いかにかあるらむ[如何将有] 
  いかにか[如何にか]  (疑問を表す)どのように・なぜ、(反語を表す)どうして〜か
  [成立ち]副詞「如何(いか)に」+係助詞「か」、係助詞「か」を受けて結びは連体形になる
  ある[有り・在り]  [自ラ変・連体形]存在する・(人が)いる・過ごす・経る
  らむ[助動詞・らむ]  [推量]第二句と同様だと思う
  [接続]に関して、通常は活用語の終止形だがラ変動詞には連体形に付く
 掲題歌トップへ 

 
 【左注】
 [のみ 
副助詞「のみ」の意味・用法

 1)限定  〜だけ・〜ばかり
 2)強調  特に・とりたてて
 3)用語の強め  〜しているばかりである・ひたすら〜でいる・ただもう〜する
 4)限定して断定  〜だけだ

接続:体言・副詞、活用語の連体形、格助詞のなど連用修飾語となる種々の語に付く
1)奈良時代の用例で格助詞の上に「のみ」がくる場合が多く、平安時代以降の用法とは逆
2)活用語の場合はふつう連体形につくが、動詞が重ねられている場合は、連用形もある
3)「1)限定」の副助詞には他に「ばかり・まで」がある。「のみ」はそれだけと限定するのが本来の用法であるから、文末に打消しの表現を伴って「〜だけは〜でない」の意で限定することが多く、「ばかり」は程度を示すのが本来の用法であるから、他のものを考えた上で、限定する傾向があり、「まで」は範囲・限度を区切るのが本来であり、範囲内に限定する傾向がある。したがって、「ばかり」と「のみ」が重ねられて用いられる場合もある。
「いやしき、東声したる者どもばまりのみ出で入り」<源氏物語・東屋>
4)解釈上特に留意する必要があるのは「3)用語の強め」の用法で、「のみ」が強調するのは、修飾する語である。
「御心をのみ惑わして」<竹取物語・かぐや姫の昇天>
これは、「御心だけを惑わして」ではなく、「御心を惑わしてばかりいて」の意で強めるのは、「御心」ではなく、「惑わす」となる。
 




 「伏せて歌相聞」...詠わぬ人の歌...
 「人は、いまも生きる」

【歌意】594(2013年5月2日時点と、変らない想いなので、そのまま転載)

私がお慕いしていること、誰かに洩らされたのでしょうか

そうではないと思いますが、夢で見たのです

玉櫛笥が開いているのを...
 
歌意】2896 
 
想いつづけていますよ、今日も変らずにね
しかし、その夢のように人に知られたとしたら
明日は、どう過ごしたらいいのでしょう

この二首、こう並べると、間違いなく二人の相聞歌になる
しかし、[594]歌は、以前にも採り上げた笠女郎の家持への一首
もう一方の[2896]歌は、巻第十二「古今相聞往来歌類之下」
その中の「正述心緒」の一首...言ってみれば、作者無署名の歌群...言葉は悪いが「その他」
しかし...この歌も、家持の返歌かもしれない

私が、笠女郎に興味を持ち、歌に接し始めたのが、今年の三月末
それまでは、一応才女としての「歌人・笠女郎」程度の知識だった
歌に滲み出る「恋」のせつなさ、情熱にこれほど惹かれるようになったのは
間違いなく、その相手とされる「大伴家持」の存在が大きい
以前の私が、それほど「大伴家持」に興味もなかったので
したがって、同じように家持を相手とする相聞歌などに、惹かれることもなかった
しかし...三月末、春日大社の万葉植物園で目にしたチケットの「むらさきのうた」
新鮮だった
それまでの笠女郎への無関心さが嘘のように消え去り
それから夢中になって、歌を読む
そして、あんなにも多く家持に歌を贈りながら
家持からは、別れたあとに二首だけの返歌があった

そこに妙な気持ちになったのが、今でも二人のことに拘るきっかけだ
二人についての評価を幾つかの書物で確認すると
どれも例外なく、笠女郎の「一方的な恋」であり、「報われない笠女郎」となっている
しかし、私には、それが不思議でならなかった
確かに、辛さの表現はいたるところにある、決して幸せな仲だったとは思えない
しかし、家持の「二首」に、偽りのない「男心」を感じた
家持は、誰よりも「笠女郎」を愛していた
それが、何かの事情で結ばれないことを、彼は告白している
決して、一般に言われている、「浮いた気持ち」ではない

その時点で、私には「家持の返歌」が必ず万葉集中にある、と信じていた
だから、それを探し出そうと...
公言できない仲であれば、きっと名を出せない歌としてあるのでは...
「作者未詳」歌...この集中の半分を占める「歌群」の中に、きっと家持の返歌がある

そう信じてはいたが...何しろ、あまりにも私は素人だ
書斎に、万葉関連の専門書などほとんどなく、有り触れた「万葉愛好家」に過ぎない
そんな私が、いくら「信じる」と言い切ったところで
研究者や学者であれば、容易に手に出来る専門書などない
市販されている、偏った紹介の仕方の書籍には、抵抗もある
明日香の図書室なら、確かに必要な書物は読める
しかし、その方法論が分からなかった...何からどうやってアプローチするか...
元来、不器用な私は、こんなときにする「手段」がある
言ってみれば、理屈抜きの総攫えだ
片っ端から出来るだけ「関連書」に触れてみる
どれほど時間が掛かろうと...それが間違いない方法だ...たとえ何十年掛かろうと...
そう思っている矢先に、明日香の図書室で吉田金彦氏の「秋田城出土木簡」に出会った
偶然にしても、あまりにもタイミングが良過ぎるので...
その夜、なかなか寝付けず、この意味は何だろう...と大袈裟に考えてしまうほどだった

まず、本の前半を何度か図書室に通って読む
期待外れであったら、また他の方法で書籍を探さなければならない
しかし、この本の前半を読み終える頃...
私は、学会でこの説がどう評価されるか、されているか、よりも
ああ、私と同じように感じている...家持と笠女郎のことを...
そして、この書の魅力を語れば...これは、決してそれまでの学者の論文とは違うこと
最後まで、資料を駆使して「文句も言わせぬ」ような「論調」ではなかったからだ
そもそも、万葉集は、あまりにもその「資料」が乏し過ぎる
何しろ、「万葉集」という本体(写本)しかない
にも拘らず、その注釈書は平安時代から江戸時代にかけて多くみられ
では、豊富に研究資料があるじゃないか、と思いがちだが
それは、違う
研究は多くあっても、対象は古写本の諸流ばかりで
いったい、どれが、よりオリジナルに近いのかさえ分かり辛くなっている
「オリジナル」を研究対象にできないことが、今日の数多い万葉研究書物になっている
その「訓み方」から始まって、「誤写ではないか」、「誤字ではないか」とか
時代時代に、それぞれが研究成果と銘打って、また一つの「研究書」が生れる

しかし、誰にも、「万葉集」の実物に触れられない以上
決して「断定」できることはない
それでも、書店で目にする愛好家向けの「入門書」には
その研究成果を前提にして語られるものばかりで
偶然手にする「読本」によっては、いろんな「万葉観」が存在してしまう
それは、仕方のないことだとは思う

しかし、その中にあって、この吉田氏の見解には、率直な「想い」があった
秋田城出土木簡が、万葉仮名風だと感じてからは、かなり科学的な考証から始まっている
そして、この出羽国に、万葉仮名があったことに驚く
家持の自筆(そんなのがあるなんて知らなかったが)との鑑定も専門家に求め
まず、いろんな角度からの物的な実証を踏まえた上で、
吉田氏は、この万葉仮名が「家持自筆」と思うに至っている

そこで、これまでの研究書であれば、一つの成果が出て終りだろう
そこからは、すべて推論になる...前提を確実だとしても
それはあくまで、「高い確率」で認められるものであって
百パーセントではない

多くの学者は、ここから二つの道を歩む
一つは、ここまでの成果に限界と知って満足し、終らせるか
もう一つは、その前提を「確定」と断定し、次からの推論を「事実」だと押し通す
そうした研究者も多く、それが私をいつも不快な気分にさせていた

しかし、氏は違った
それ以降は、すべて自分の「想い」だとした前提を掲げて「語り出す」
そこに「笠女郎」に辿り着くに至り、その語句の使用頻度
そして家持との相聞めいた歌、笠女郎への返歌と想われる歌などを探っていく...

まさに私がやりたかったことを、この学者はやろうとしている
そこには、通説となっている、「二人の関係」を覆す結果を秘めていた
集中から探し出す、家持の「くせ」を幾つも並べ
笠女郎の歌に沿うような歌を見つけ、その歌意をさらに詳細に検討する...
何故「作者不詳歌」なのか...二人の世間に公言できない事情ならば
そこにしかない、と...全く同感だ

そして、巻第十一と第十二の成立にも言及する
これは、「古今往来相聞歌類」と名付けられているが
そこには、「人麻呂歌集出」や「作者不詳歌」が集中しており
しかも、「古今」とは従来から言われているように
家持の時代からの「古」は柿本人麻呂の時代であり、
「今」は、まさに家持の時代(当時の現代)...ならば、この二巻は、私的な「家持歌集」では、
と推論する

巻第十七以降が、年紀も明記され、家持の「歌日記」のように言われるが
それは、「公的」な「私家集」であり、もう一つの「私的」な歌集が、この第十一・十二だと

それによって、万葉集の成立の見方も大きく変るが...それは別の研究課題だろうけど
そこで、腑に落ちるのが、四十一歳から詠わなくなった家持ではなく
その四十一歳以降の、私的な「歌集」が、ここにある、ということになる

巻第十九の巻末の[4316]歌の左注に

春日遅々ネノ正啼 悽惆之意非歌難撥耳 仍作此歌式展締緒 但此巻中不稱 作者名字徒録年月所處縁起者 皆大伴宿祢家持裁作歌詞也 
ただし、この巻の中に作者の名字を稱はずして、ただ、年月、所処、縁起のみを録せるは、皆大伴宿禰家持が裁作る歌詞なり。 

とあり、こうした手法も、一つの手掛かりに思えるのも
吉田氏の見解を読むまで...気づかなかった

氏の展開する「二人」の間柄が、そのまますべて受けられるものかどうか分からない
学会では、それほど騒がれないのも、学者としての氏の実直さからだろう
何が何でも「俺が正しい」のではなく、「私はこう思う」スタイルだから...
そこにも、私は共感を覚える

氏の提起する問題を、何とか自分なりに消化できれば、と思っている
 

掲載日:2013.08.05.


  (笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)
  吾念乎 人尓令知哉 玉匣 開阿氣津跡 夢西所見
   我が思ひを人に知るれか玉櫛笥開きあけつと夢にし見ゆる
  わがおもひを ひとにしるれか たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる
 【語義・歌意】  巻第四 594 相聞 笠女郎 
  
  (正述心緒)
  戀管母 今日者在目杼 玉匣 将開明日 如何将暮
   恋ひつつも今日はあらめど玉櫛笥明けなむ明日をいかに暮らさむ
  こひつつも けふはあらめど たまくしげ あけなむあすを いかにくらさむ
 【語義歌意】  巻第十二 2896 正述心緒 作者不詳 


【594】[2013年5月2日再掲

人に知るれか(や)...「人に知るればや」の略で知らせるの意
「か(や)」は疑問、反語の意味を持つ
知らせたのか、そうではないでしょうが...
玉櫛笥は、理容・整髪の具を収める容器で、蓋われていた容器の蓋が開くと言うのを
世間に知られてしまったことに重ねたもの

そんな夢を見たのは、よほど隠し通したかったのだろう
不安は、その気持ちとは逆の方へ逆の方へと力強く進むもの



 【2896】語義 意味・活用・接続 
 こひつつも[戀管母] 
  つつ[接続助詞]  [継続]〜しつづけて  連用形につく
  も[係助詞]  [並立]〜も  種々の語につく
 けふはあらめど[今日者在目杼]   
  あら[有り・在り]  [自ラ変・未然形]過ごす
  め[助動詞・む]  [推量・已然形]〜だろう  未然形につく
  ど[接続助詞]  [逆接の確定条件]〜けれども・〜のに  已然形につく
 たまくしげ[玉匣]枕詞、「くしげ」に関係ある「ふた・み・箱・覆ふ・あく・奥」などにかかる
  「たま」は接頭語で「美称」、櫛を入れる箱
 あけなむあすを[将開明日]   
  あけ[開く・空く](上代語)  [自カ四・連体形](閉じてあるものなどが)開く・あく
  なむ[係助詞]  (まさにそれである)と強調するさま  種々の語につく
  を[格助詞]  [対象]〜を  体言・連体形つく
 いかにくらさむ[如何将暮] 
  いかに[如何に]  [副詞]どのように・なぜ・(どんなに)〜だろう・どれほど
   状態や程度また理由などを疑い、推測するときに用いる
  くらさ[暮らす]  [他サ四・未然形]毎日を送る・日の暮れるまで時間を過ごす
  む[助動詞・む]  [推量・終止形]〜(の)だろう
 掲題歌トップへ

 
 【左注】
 [如何将暮 
「如何将暮 いかにくらさむ」と、
昨日採り上げた歌[1990]の「如何将有 いかにかあるらむ」
この二つの「訓」の違いは何だろう
今日の歌[2896]には、「いかに」と訓じられ
昨日の歌[1990]では、「いかにか」と訓まれている
日本語としての文法上の語釈には、その違いは係助詞「か」で疑問や反語を表すが
原文だと、どちらも同じ用法にになっている
こんなとき、『万葉集古義』はどんな立場だろう、とみると
やはり、同じように使い分けている
素人の私には、この使い分けの根拠が分からないが
「歌意」そのものから、「訓」を導いたものだろうか
すると、昨日の私の感じた「反語」的な解釈は、そんなに無理もなくなる
疑問と、反語を...「訓」において使い分けている、ということか
でも、昨日のうたにしても、「疑問」として解釈する例もあった
私は、反語の方が意味が自然だと思ったものだが...

 
 
吉田金彦氏の提起される、笠女郎への家持の返歌
その「作者不詳歌」からの拾い出しが、幾つかある
今夜から、一組ずつ載せていきたい
 
 
 我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも偲はむ  巻第四-590 笠女郎
 相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ  巻第十一-2539
 作者不詳
 奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも  巻第三-400 笠女郎
 奥山の岩本菅の根深くも思ほゆるかも我が思ひ妻は  巻第十一-2771
 作者不詳
 皆人を寝よとの鐘は打つなれど君をし思へば寐ねかてぬかも  巻第四-610 笠女郎
 時守の打ち鳴す鼓数みみれば時にはなりぬ逢はなくもあやし  巻第十一-2649
 作者不詳
 
 











 「年の緒ながく」...家持の言影を求めて...
 「形見をおいたか」

【歌意】590(2013年5月2日時点と、変らない想いなので、そのまま転載)
 
私がお渡しした形見の品...いつも見ながら、私を思い出してください
年がどんなに経ようと、私も想い続けますから...
 
【歌意】2539 
 
想ってもくれない...私だけ想っているその人のために
美しく磨いた後の玉に、続けて紐を通すように
それほど長くも、私は恋しているのでしょうか
私たちが、思い合っているからこそ、私はかくも長く想い続けるのです


この二首は、昨日ほどの「ペア」としての驚きはないが
「これもかもしれないよ」と言われたら、そうかもしれない、と思ってしまう

私がこれまで理解している「相聞歌」というのは
本来は、男女の「ペア」が基本になって
それぞれの立場で詠い贈るものだと思っている
しかし、それも一人相聞のような類にも派生して行き
「正述心緒」や「相聞」など、厳密な意味での区別がないように思える

ただ、どうしても「外せない」と思っている、自分なりのルールがある
相聞...お互いが、気持ちを歌で遣り取りするのなら
そこで使われる「歌語」...あるいは「語句」に、共通したものがあるはず
その「語句」を使って、詠い返すものが、本当の「相聞」、いや「相聞」に限らず
思い合う男女間、あるいは「片恋」であっても、その「語句」に託す気持ちを
返して伝えたい...そういうものではないだろうか

だから、この二首を並べたとき、確かに下句において
「私は、どんなに時を経ても想いますよ」、に対して
「お互いに想い合っているのですから、私だって」と答える
これは、確かに響き合う「二首」だと思う

しかし、この語句が「家持らしさ」を際立たせているか、といえば
それが、私には解らない
結構使われている語句だ
可能性として、二首は確かに「響き合う歌」だとは思う
しかし、ならば笠女郎が詠った「形見」はどうなる
この笠女郎への返歌であれば、「形見」こそ家持は詠うべきだったのでは、と思う

吉田金彦氏が、断定して「家持の返歌」といっている訳ではないが
私は、候補にはなるだろうが、決め手として欠けるもの「形見」に拘りたい
この二首は、「心で響き」、「詠歌にして形に拘った」ように思えてしまう

巻第十一と第十二
何だか「宝の山」に思えてきた
 




掲載日:2013.08.06.


  (笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)
  吾形見 々管之努波世 荒珠 年之緒長 吾毛将思
   我が形見見つつ偲はせあらたまの年の緒長く我れも偲はむ
  わがかたみ みつつしのはせ あらたまの としのをながく われもしのはむ
 【語義・歌意】  巻第四 590 相聞 笠女郎 
  
  (正述心緒)
  不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居
   相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ
  あひおもはぬ ひとのゆゑにか あらたまの としのをながく あがこひをらむ
 【語義・歌意】  巻第十一 2539 正述心緒 作者不詳 


【590】[2013年5月2日再掲

「形見」とは、亡くなった人の遺品もあるが
離れ離れになる時に、思い出して欲しいとの願いをこめて手渡すものも、そういう

「〜の緒長く」、長いものの喩に使う
これから、何年も逢えない、その辛さを堪えるように...


 【2539】語義 意味・活用・接続 
 あひおもはぬ[不相思] 
  あひおもは[相思ふ]  [他ハ四・未然形]互いに思う・思い合う
  ぬ[助動詞・ず]  [打消し・連体形]〜ない  未然形につく
 ひとのゆゑにか[人之故可]   
  ゆゑ[故]
  [左注・ゆゑ
 理由・事情・趣・風情・由緒・故障・差支え・縁故・ゆかり
 (体言・用言の連体形の下について)  [順接的に原因・理由を表す]〜ために・〜によって 
 [逆説的に原因・理由を表す]〜なのに・〜にかかわらず
  にか [左注・にか  [反語]〜に〜か(いや、〜ない)
   [成立ち]格助詞「に」に係助詞「か」
 あらたまの[璞之]枕詞[新玉の・荒玉の]「年・月・日・春」などにかかる
 としのをながく[年緒長]   
  としのを[年の緒]  年の長く続くのを「緒(ひも)」に譬えた語
  ながく[形ク・長し]  [連用形]長い・隔たりの大きなさま 
 あがこひをらむ[言戀将居] [左注・言戀将居
  をら[居り]
  [左注・居り
 
 [補助動詞ラ変・未然形](動詞の連用形の下について) 
 動作・状態の存続を表す、〜ている
   状態や程度また理由などを疑い、推測するときに用いる
  む[助動詞・む]  [推量・意志・終止形]〜つもりだ・〜よう・〜う
 掲題歌トップへ

 
 【左注】
 [ゆゑ 
「ゆゑ(故)」と「よし(由)」の違い

 ゆゑ  物事の本質的な原因。人や物については、一流の素性・教養・風情をいう。
 よし  「寄す(関係ずける)」の意で、物事に関係づけられる、いわれやきさつ。人や物については、一流とまではいかない素性・教養・風情をいう。

 
 [にか 
「疑問」と「反語」の用法があり、この歌の場合、多くの註釈は「疑問」と解釈されている
「疑問」として訳せば、相思はぬ人だからだろうか...
「反語」として訳せば、相思はぬ人だからか、いや違う、二人は恋仲なのだから...
それは、文末の「恋をらむ」に「意志」がつながると思う

片想いのせいだけど(逆接の原因・理由)、恋し続けよう、とするか
二人は恋仲なんだ(順接の原因・理由)、だから恋し続けよう、とするか

ここの解釈で、この歌の全体の意味が変るが
そうなると、この相手との関係がどうしても情報として欲しくなる
...そこに「笠女郎」がいれば...
 
 [言戀将居
単純な素人の疑問
どの本を読んでも「あ(わ)がこひをらむ」とある
どうして「言」の字をそう読むのか、解らない
明日香で調べてみよう
 
 [居り
この歌での「居り」は、「恋ひ(恋ふ・連用形)」に続くので
補助動詞でいいと思うが
本来の動詞「居り」(自動詞ラ変)の意味は
存在する・いる・ある・座っている
 
 
 




 「届けよ、この想い」...笠女郎へ...
 「菅の岩根のように...深く、はげしく」

【歌意】400
(2013年4月30日掲載時は)
[奥山の岩根のように、深く強く結んだ心なのです...忘れられません]

奥山の岩蔭に根を張る「菅」が
深く根を地に張るように、それほどわたしも深い想いでいます
あなたと交わした約束...忘れることなど出来はしませんよ
 
歌意】2771 
奥山の岩蔭に根を張る「菅」のように
深く、はげしく想えてならない...
わたしの、愛しい人のことが...


この二首は、しっかりとした「相聞歌」だと思う
片や「笠女郎」、片や「作者不詳歌」
しかし、「思ほゆるかも」ということばに、家持の初期の歌を思い出す

十六歳の作とされている[巻第六−999] [2004年6月26日掲載

 振り放けて三日月見れば一目見し人の眉引き思ほゆるかも

この歌、年紀の解る家持の歌の中で、最初の歌だと言われている
これを掲載したときの私の感想も、早熟の瑞々しさ、戸惑いを拾い上げた

そして、今夜のこの「作者不詳歌」に、一転して想いの激しさを見る
しかし、それは相手があってこそ、調和のとれた「響き」だ

対になる語句、その受け答えが、まさに「相聞」ではないだろうか
笠女郎の歌で、「交わした約束」という
それが「作者不詳歌」の「吾念妻者」につながっているように思えてならない
「無署名」の歌の気安さからか、ここで「妻」ということばを使うのも
それが、名乗って返せない歌だからこそ出来ることなのかもしれない

この歌...私もまた、吉田氏と同じように「大伴家持」の返歌ではないかと思う

 






掲載日:2013.08.07.


  (笠女郎贈大伴宿祢家持歌三首)
  奥山之 磐本菅乎 根深目手 結之情 忘不得裳
   奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
  おくやまの いはもとすげを ねふかめて むすびしこころ わすれかねつも
 【語義・歌意】  巻第三 400 譬喩歌 笠女郎 
  
  (寄物陳思)
  奥山之 石本菅乃 根深毛 所思鴨 吾念妻者
   奥山の岩本菅の根深くも思ほゆるかも我が思ひ妻は
  おくやまの いはもとすげの ねふかくも おもほゆるかも あがおもひづまは
 【語義歌意】  巻第十一 2771 寄物陳思 作者不詳 


【400】[2013年4月30日再掲

「再掲」と言っても、当時の受け取り方を見ると
やけにあっさりした感じで受けている
ここで、もう一度読み直してみたい

 【400】語義 意味・活用・接続 
 おくやまの[奥山之] (「枕詞」でもあるが、ここでは普通の語句とする)
  おくやま[奥山]  人里離れた奥深い山
  の[格助詞]  [連体修飾語・所在]〜の・〜にある 
 いはもとすげを[磐本菅乎]   
  いはもと[岩本]  岩の根元、岩陰、など
  すげ[菅]  「すが」とも、植物の名・種類が多く、山野に自生する
  を[格助詞]  [対象]〜を
 ねふかめて[根深目手]
  ね[根]  植物の根・奥深い部分・奥深いこと・根源・もと
  ふかめ[深む]  [他マ下二・連用形]深める・深くする・深く思う
  て[接続助詞]  [補足・行われ方]〜ようにして  連用形に付く
 むすびしこころ[ 結之情]   
  むすび[結ぶ]  [他バ四・連用形]約束する・言い交わす
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]〜た・〜ていた  連用形に付く
 わすれかねつも[忘不得裳] [左注・忘る
  わすれ[忘る]  [他ラ下二・連用形]忘れる・記憶をなくす
  かね[接尾ナ下二型・かぬ]  [連用形]〜のが難しい・〜ことが出来ない
   (動詞の連用形に付いて、動詞をつくる) 例「忘れかぬ・思ひかぬ・堪へかぬ・待ちかぬ」など
  つ[助動詞・つ]  [完了・確述(強意)・終止形]必ず〜・〜てしまう
  も[終助詞]  [感動・詠嘆]〜よ・〜なあ  種々の語に付く
 掲題歌トップへ

 【2771】語義 意味・活用・接続 
 ねふかくも[根深毛]
  ふかく[深し]  [形ク・連用形]奥深い・親密だ・はげしい
  も[係助詞]  [並立]〜も・〜のように
 おもほゆるかも[所思鴨]   
  おもほゆる[思ほゆ]   [自ヤ下二・連体形](自然に)思われる・しのばれる
  かも[終助詞]  「詠嘆・感動」〜であることよ
 あがおもひづまは[吾念妻者]
  づま[妻]  夫から妻を呼ぶ称・恋人である女性を呼ぶ称
  は[係助詞]  [とりたて・目的語]特に〜を
 掲題歌トップへ

 
 【左注】
 [忘る 
この動詞は、「下二段」の他に「四段」もあるが
「四段活用」は、おもに上代に用いられた
また、上代では四段活用の場合は「意識的に忘れる」、
下二段活用の場合は「自然に忘れる・つい忘れる」の意味に用いられたという

 
 






 「言戀将居」...なんとか見つけたが...
 「ますます迷路へ...」

歌意】2536
大切な、あなたの名を決して洩らしません
わたしの命にかけて、そう誓いました
もう私の魂は、あなたとともにあります
そのことを、決してお忘れなさらないでください
 
 
歌意】2537 
わたしの想いが、ありきたりの普通のものなら
いったい誰に見せようとして、この黒髪を靡かせましょうか
あなたに、見て欲しいのですよ
 
 
歌意】2538 
愛しい人の顔を忘れるなんて
いったいどんな人が、そうするんでしょう
わたしには、そんなこと出来るはずがありません
絶え間なく、想い続けているのですから...
 


歌意】2539 歌意は再掲、語義は 2013年8月6日付・再掲
想ってもくれない...私だけ想っているその人のために
美しく磨いた後の玉に、続けて紐を通すように
それほど長くも、私は恋しているのでしょうか
私たちが、思い合っているからこそ、私はかくも長く想い続けるのです
 
 

歌意】2540 
あの人へ、いい加減な気持ちは持つまい
わたしのために、あんなにも口うるさく噂を立てられたのだから...
 

今回の主題は、一昨日に疑問となった「言」が、
どうして「ワレ・アレ」に訓じられているのか...
それが知りたくて、じっとしておれなくなり、急遽明日香の図書館に行って調べた
そして、一応その根拠らしきものには出合った

まず、『万葉集古義』で、「訓」の解説が知りたかったので、一直線にその書架へ

当時の翻刻版というのは、何しろ「歌番号」が記されていない
探し出すのに、一苦労だ
ますます、編集当時の想像もつかない作業が思われる

何とか、片っ端から歌を読み探し、〔2539〕歌に辿り着く

[言戀将居]...

「言」を「我」と通はし書ること、前また後ろの歌、また其の他にもかたがたに見ゆ、(略解に、吾の誤かと云るは、無稽の説なり、)

ようは、「言」を「われ」と訓じるのは、幾つかその例もあって、「万葉集略解」で、「言」は「吾」の誤だと言うのは、おかしな説だ、と言う

まず、「前と後」の歌にも、確かに「言」を「われ・あれ」と訓じる歌があった
迂闊だった...この辺りの歌群は、あまり読んでいなかった

そのため、その前後の二首を確認すると、そこまで「誤写」が続くはずがない、と思う
やはり、「言」は「誤写」ではなかった
そして、今度はその『万葉集略解』を探してみる
確かに、誤写だとされている
では、その誤写となる説が、どうして今日までも伝わるのか...


『万葉集略解』加藤千蔭
評価としては、平易な注釈書とされ、確かにあっさりとした註釈のように思えた
しかし、この『万葉集略解』は、本居宣長説が多く紹介されており
そのために、明治・大正に至るまで長く入門書とされてきたという

万葉集の研究は、何年も何十年もかかるものだ
そうして世に公表されて、それが再び検証されても
その手直しには、どれほどの時間を要することだろう
この「略解」を元に学んだ研究者の流れ...
それが、今日でも影響している、ということなのだろうか


ついでに「校本万葉集」も拾い読みしてみた
この当りになると、漸く当初の「国歌大観歌番号」が付けられ
歌も探しやすくなっている
訓には複数の説も紹介されているが、やはり「言」に関しては
「誤写」説を断定的に採用している

本当に誤写なのか、あるいは、鹿持雅澄が言うように、「言(われ)」もあったとする説
私などに、その判定など出来るわけがないが
せっかくだから、「言」の「訓」が、万葉集以外で調べられないか、と
書架の間を歩き回る


研究史の書物は、確かに魅力だが、「言」をピンポイントで探すことはできない
辞典のようなものがあれば...と思い、その書架へ...
「訓点集大成」の一群に出合う
背表紙の索引で「わ」を見つけ、三センチくらいの厚さがあるその書を開く
驚いたことに、「ワ行」の漢字がこれでもか、というほど並ぶ
はやる気を抑えながら、指でその漢字を追っていくと...あった「言」の字があった

「ワレ」とルビがふってある
しかし、その後の活用の仕方を、私のはまだ理解できなかった
この「訓点集大成」は、それ自体が一個の「索引」の役割をしており
「言(われ)」と書かれた文字の下には、なにやら「コードナンバー」のような数字が...
その数字が何を意味しているのか、しばらくまったく見当もつかなかったが
ようやく、書物の分類らしく感じたので、何とか手掛かりになりそうな「漢字」を
それがどこなに対応している番号がないか、と調べていると
どうも、仏典らしい書籍がちらほら散見してきた
では、「言」の番号は、といえば...解らない

しかし、目に入る書籍は...どうも仏典が中心らしい
そうだろう、と合点する

漢字、漢籍が日本に伝わった頃は、当然仏典が主流だったことだろう
ならば「言」も、万葉時代の書籍に「われ」として目に入った可能性もある
その書物を読める立場、あるいは理解できる立場の人は
かなりの「人物」のはずだ...

そこで、今夜の万葉歌に戻ってみる
この五首...女歌として一群の扱いもされているが
私は、先日の〔2539〕歌が、家持の可能性もある、と吉田氏に同調した
しかし、そこまで推測を拡げれば、この「言」がらみで、前後の歌を含めた三首もまた
同一人の可能性が強く、ならばこの三首も「家持」の「作者不詳歌」かもしれない
そう思った
だから、今夜採り上げてはみたが...
三首に限らず、この五首を採り上げるべきだ、と思った

笠女郎の歌全二十九首に、符合する歌があるような気がしてきた
これまで、笠女郎は全部記名で歌われ、私は家持こそ「作者不詳歌」で返したのだろう
そう思い込んでいたが...その「作者不詳歌」にも、笠女郎の歌があるのかもしれない
しかし、その場合は、わざわざ「作者不詳」にしたのだから
離れ離れにしては意味がない、必ず連作になっているはずだ...
そんな気持ちで見始めたこの巻第十一...

今夜は、もう疲れたので
今、しっかりとした作業も怪しくなりつつある
明日も、「解説」を中心に書こう

今夜は、せっかくだから『万葉集古義』の「歌意」を載せてみよう
この江戸時代の学者の「日本語」が、何故か私の胸に心地よく響く


 【2536】
歌意は、たとひいかなる大事がありて、生て居られぬばかりのことあらむにも、吾が夫子が名をば謂て人にしらせじ、と堅く思ひ定めたれば、もとより我は、命もなきものと思ふなり、かくまで夫の君を深くたのみたれば、夫の君も吾を忘れ賜ふことなかれ、となり
 【2537】
歌意は、誰に見せむとてか、吾が黒髪をぬらぬらと靡して居むぞ、大方におもはねばこそ、夫君になまめく容形を見せむとて、かくは為なれ、となり
 【2538】
歌意は、いかなる人の面忘をするものにてあるぞ、いかで忘れむ忘れむと思へども、つづきて絶ず思へば、吾は面忘をすることを得知ず、となり
 【2539】
歌意は、相思はぬ人にてあるものを、年の緒長く、恋しくのみ思ひつつ居らむか、となり
 【2540】
歌意は、わが故によりて、君も世の人に、ことごとしくいひさわがれしものを、其をおもへば、君とわが中を、ただ一通りのこととは思ひ侍らじと、女の男の心をねぎらひて、よめるものか


内容はともかく...こうした文体が、すらすら読めるようになりたいものだ

今夜は、この辺で止めておく
明日が辛くなりそうだ

さて、一首を書いて...寝よう

 
 
掲載日:2013.08.08.


  (正述心緒)
  吾背子我 其名不謂跡 玉切 命者棄 忘賜名
   我が背子がその名告らじとたまきはる命は捨てつ忘れたまふな
  わがせこが そのなのらじと たまきはる いのちはすてつ わすれたまふな
 【語義歌意】  巻第十一 2536 正述心緒 作者不詳 
  
  凡者 誰将見鴨 黒玉乃 我玄髪乎 靡而将居
   おほかたは誰が見むとかもぬばたまの我が黒髪を靡けて居らむ
  おほかたは たがみむとかも ぬばたまの わがくろかみを なびけてをらむ
  【語義歌意】  巻第十一 2537 正述心緒 作者不詳 
  
  面忘 何有人之 為物焉 言者為金津 継手志念者
   面忘れいかなる人のするものぞ我れはしかねつ継ぎてし思へば
  おもわすれ いかなるひとの するものぞ われはしかねつ つぎてしおもへば
 【語義歌意】  巻第十一 2538 正述心緒 作者不詳 
  
  不相思 人之故可 璞之 年緒長 言戀将居
   相思はぬ人のゆゑにかあらたまの年の緒長く我が恋ひ居らむ
  あひおもはぬ ひとのゆゑにか あらたまの としのをながく あがこひをらむ
  【語義歌意】  巻第十一 2539 正述心緒 作者不詳 
 
  凡乃 行者不念 言故 人尓事痛 所云物乎
   おほかたのわざとは思はじ我がゆゑに人に言痛く言はれしものを
  おほかたの わざとはもはじ わがゆゑに ひとにこちたく いはれしものを
 【語義歌意】  巻第十一 2540 正述心緒 作者不詳 


【2539】[2013年8月6日付・再掲
「言戀将居」の「訓」が気になり、明日香の図書室で調べてみた
すると...左頁に説明する


 【2536】語義 意味・活用・接続 
 そのなのらじと[其名不謂跡]
  のら[宣る・告る]  [他ラ四・未然形]いう・述べる・告げる・宣言する
  じ[助動詞]  [打消しの意志・終止形]〜まい・〜ないつもりだ 
  と[格助詞]  [引用]〜と
 たまきはる[玉切][枕詞]「うち・世・命・吾」などにかかる   
 いのちはすてつ[命者棄]
  すて[捨つ・棄つ]  [他タ下二・連用形]不用として投げやる・顧みない
  つ[助動詞・つ]  [完了・終止形]〜てしまう・〜してしまった
 わすれたまふな[ 忘賜名]   
  わすれ[忘(わす)る]  [他ラ下二・連用形]自然に忘れる・つい忘れる
  たまふ[賜ふ・給ふ]  [他バ四・終止形](尊敬の気持ちをこめ)〜なさる
  な[終助詞]  [禁止]するな
  掲題歌トップへ

 【2537】語義 意味・活用・接続 
 おほかたは[凡者][左注・おおかたは
  おほかたは[大方は]  [副詞]一般には・普通は・並大抵の事では・通り一遍には
  [成立ち]名詞「大方」に係助詞「は」のついたもの
 たがみむとかも[誰将見鴨]   
  たが[誰が]   (連体修飾語として)だれの・(主語として)だれが
  み[見る]  「他マ上一・未然形」目にする・目に留める
  む[助動詞・む]  [推量・連体形]〜(の)だろう  未然形に付く
  と[接続助詞]  [逆接の仮定条件]〜ても・たとえ〜ても
  かも[終助詞]  [反語]〜(だろう)か(いや、〜ではない)
 ぬばたまの[黒玉乃][枕詞]「黒・髪・夜」など、転じて「妹・夢・月」などにかかる
  (「うばたまの・むばたまの」ともいう、「ぬばたま」の実の黒いことからのかかり)
 なびけてをらむ[靡而将居][左注・靡而将居]   
  なびけ[靡く]   [他カ下二・連用形]横に靡かせる
  て[接続助詞]  [補足・状態]」〜のさまで・〜の状態で
  をら[居(を)り]  [助動詞ラ変・未然形](動詞の連用形の下について)
   動作・状態の存続を表す、〜ている (「靡け・連用形」)
 掲題歌トップへ

 【2538】語義 意味・活用・接続 
 おもわすれ[面忘]
  おも[面]  顔・顔つき・表面・面影
 いかなるひとの[何有人之]
  いかなる
 [如何なり]
 [形容動詞・連体形]どのような・どういう
 するものぞ[為物焉]
  する[為(す)]  [他サ変・連体形]ある動作を行う・ある行為をする
  もの[物]  物事・もの・人・・一般のもの・考えていること
  ぞ[係助詞]  [疑問・問いただす]〜か
 われはしかねつ[ 者為金津][左注・言者為金津]   
  し[為(す)]  [他サ変・連用形]ある動作を行う・ある行為をする
  かね
 [接尾ナ下二型・かぬ]
 [連用形]〜のが難しい・〜ことが出来ない 
 (動詞の連用形に付いて、動詞をつくる) 例「忘れかぬ・思ひかぬ・堪へかぬ・待ちかぬ」など
  つ[助動詞・つ]  [完了・確述(強意)・終止形]必ず〜・〜てしまう
 つぎてしおもへば[継手志念者]
  つぎ[継ぐ・続ぐ]  [他ガ四・連用形]続ける・継続する・保つ・持ち続ける
  て[接続助詞]  [補足・行われ方]〜て・〜のようにして  連用形に付く
  し[副助詞]   語調を整え、強意を表す [接続]体言・活用語の連体・連用形・副詞・助詞に付く 
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]思う・考える・回想する・悩む・恋しく思う
  ば[接続助詞]  [順接の確定条件・原因・理由]〜だから・〜ので  已然形に付く
 掲題歌トップへ

 【2539】語義 2013年8月6日付・再掲

 【2540】語義 意味・活用・接続 
 おほかたの[凡乃]同上[2537]
 わざとはもはじ[行者不念][左注・行者不念
  わざ[業・態・技]  行い・動作・仕事・技芸・事態・物事
  と[格助詞]  [比喩]〜のように・〜と同じに  体言に付く
  は[係助詞]   [とりたて・否定の内容]〜は
  下の否定の意を表す語と呼応して、否定の内容をはっきりさせる
  おもは[思ふ]  [他ハ四・未然形]思う・考える・回想する・悩む・恋しく思う
  じ[助動詞・じ]  [打消しの推量・終止形]〜まい・〜ないつもりだ
   主語が話し相手の場合、打消しの意志を表す
 わがゆゑに[故][左注・言故
  に[格助詞]  [原因・理由]〜によって・〜により
 ひとにこちたく[人尓事痛]  
  に[格助詞]  [主体]〜によって・〜から
  こちたく
 [言痛(こちた)し]
 [形ク・連用形](人の口が)うるさい・わずらわしい
 いはれしものを[所云物乎]
  いは[言ふ]  [他ハ四・未然形]噂する・評判をたてる
  れ[助動詞・る]  [受身・連用形]〜れる  未然形に付く
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]〜た・〜ていた  連用形に付く
  ものを[接続助詞]  [順接の確定条件]〜ので・〜だから  連体形に付く
 掲題歌トップへ

 
 【左注】
 [おほかたは]『万葉集古義』 
ほとんどの書では「おほ(凡)ならば」と訓じている
意味は同じで、私なりの根拠もないのだが、ここでは「おほかたは」に拠る
〔2537〕歌の「凡乃(おほろかの)」も同様

 
 靡而将居
ほとんどの書は「なびけてをらむ」だが、鹿持雅澄は『万葉集古義』で
「ぬらしてをらむ」と訓じている

靡而将居は、本居氏云、「ヌラシテヲラム」と訓べし、二巻に、「タケバヌレ」と云「ヌレ」の意なり、此の下に、「ぬばたまの、いもがくろかみ、こよひもか、あがなきとこに、ぬらして(靡而)やどらむ」、また「ぬばたまの、わがくろかみを、ひきぬら(奴良)し、みだれてあれは、こひわたるかも」などあり○歌意は、誰に見せむとてか、吾が黒髪をぬらぬらと靡して居むぞ、大方におもはねばこそ、夫君になまめく容形を見せむとて、かくは為なれ、となり
 
とあり、本居宣長説を採用している

なお、共寝には靡け、一人寝には束ねる習慣があったらしい
 
 言者為金津
「言」が「ワレ」と訓じられる例の一つ
今夜の「主題」なので、左頁にまとめる
 
 
 行者不念
原文は「行」だが、なぜか「こころ」と解する書も多い
今回は「「言」が何故「われ」と訓じられるのか、調べたつもりだったが
あらたに「行」が「心」も調べなければならなくなった
『万葉集古義』の訓により「わざ」を載せる
 
 
 言故 
左頁にまとめる 
 

 「ことばの映像」...「くせ」となる語...
 「だから作者は映像を映し出せる」

【歌意】2573
 
いい加減な気持ちで
あなたのことを思っているとしたら
どうして、あんなにも警備の厳しい御門を抜け出し
あなたのもとへやって来られましょう...
 


「凡」昨日は「おほかた」と訓じ、今回は「おほろか」とした
これも、『万葉集古義』にならった訓だが、この歌のコピーがないので
その根拠は、今の私にも解らない...どうして昨日の訓と違うのだろう...
ただ、昨日の場合は「者(は)・乃(の)」という助詞が原文に表記されている
今回は、その助詞がなく「凡(おほ)ろか」という形容動詞の連用形「凡ろかに」のみ
変化を探せば、そんなところしか気づかないが...また、明日香へ行こう

昨日の五首、もう少し詳しく書かなければならないと思う
しかし、今夜も...少々思考回路が鈍ったままで...
明日、じっくり構えて書こう

言ってみれば、今夜の歌は「閑話休題」っぽくなってしまった
家持歌からちょっと離れて拾い出そうと思ったが...
「おほろか」の意味を、昨日も今日も持ち出してしまうと
何だか、同じような情景を感じてしまう
大伴家持が、笠女郎と逢引する「情景」を...

それほど、一つの「語」に籠められた「気持ち」というのは
恐ろしいほどの「固定観念」を植え付けてしまうものだ

不思議と、作者が同じではないか、と思えてしまう
歌人が、自分の詠歌の中で「癖」のように「使う」語句と言うのはあるだろう
この「凡」もそうなのかもしれない

ただし、この一連の歌も「作者不詳」歌
それに、古歌(人麻呂歌集も含めて)からの既出の歌も、幾つかここでは見られ


 (正述心緒)
 相見者 千歳八去流 否乎鴨 我哉然念 待公難尓
  相見ては千年やいぬるいなをかも我れやしか思ふ君待ちかてに
 あひみては ちとせやいぬる いなをかも われやしかおもふ きみまちかてに
 巻第十一 2544 正述心緒 作者不詳
 
 東歌
 安比見弖波 千等世夜伊奴流 伊奈乎加母 安礼也思加毛布 伎美末知我弖尓
  [柿本朝臣人麻呂歌集出也] 
  相見ては千年やいぬるいなをかも我れやしか思ふ君待ちがてに
  [柿本朝臣人麻呂歌集出也] 
 あひみては ちとせやいぬる いなをかも あれやしかもふ きみまちがてに
 巻第十四 3489 相聞 柿本朝臣人麻呂歌集出
【歌意】 
お逢いしてから、どれほど経ちましょう
随分経ったように思えます
いや、そうではないのですね
私が、そう思っているだけなのでしょうか
あなたがおいでになるのを、待ちきれずにいるものですから...


この歌など、小異歌として知られているが...小異というのは、何を言うのだろう
現代に伝わる「訓」を読んで、その違いを探せば
われやしかおもふ」と「あれやしかもふ」の句しか、私には解らない

原文に基づき「われ・あれ」とは区別して訓める
そして「念」が「おもふ」と訓じられているのも、解る
しかし、柿本朝臣人麻呂歌集出のその部分は、「毛布」...「もふ」だ

こうした違いを、「小異歌」と言うのだろうか
確かに原文に則せば、この二首は違った訓みになる
しかし、これは...またまた素人考えだが、明らかに同じ歌だ
どちらが本歌かは解らないが...おそらく〔3489〕歌がそうだろうけど
その柿本朝臣人麻呂歌集の中の一首を、「作者不詳」者が、採り上げたのだろう
そのとき、原文をそのまま書き写すのではなく
表記はその時代に合わせて、と思うのだが...
しかし、〔3489〕歌の表記...この「一音一字」は...後期万葉集の気がしていたのだが
それが、「柿本朝臣人麻呂歌集」といえば...万葉の編集時期からは古い時代だ
私が知らなかっただけで、これが「柿本朝臣人麻呂歌集」の原文ではなく
その歌集から採録したものが「万葉集」に載せられたのなら
その編集時期に合わせた表記で書いた、ということなのだろうか...
後の世になって、本格的に万葉集に訓が付けられるようになり
そのときの作業者たちは、作歌本人の歌を聞いたわけではないから
こうした表記上の違いから、ちょっと捻った訓にもなるかもしれないし
その資料が別々に提示されていたら、同じ歌と思わずに懸命に訓を付けたのかも知れない

今は、解らないけど...これも調べよう

要は、この歌もだが「作者不詳」の歌と言うのは
本当に、誰が詠ったのか解らない場合もあれば
敢えて、無署名で「詠う」場合もあっただろう...名を表に出せない事情から...
そして、その事情にも、いろいろとある

私が想像しているのは、家持が笠女郎との間柄を、ある程度までは表に出しているもの
それが、記名された二人の歌で万葉集に載せられている
その「ある程度」というのが...「うわさ」になっている範囲だろう
坂上郎女も大嬢も耳にする、二人の「うわさ」...その範囲での記名の歌だと思う
しかし、家持は「私家集」に、名を伏せて「詠っていた」のではないか
そこは、吉田氏の見解と同じだ...私のようなものが、同じだ、と言うのもおかしいが...

二人のことは、吉田氏の書籍に巡り合う以前に感じていたことだから
そう言わせてもらおう

掲題の歌〔2573〕...「おほろか」から、またとんでもない飛躍を廻らせてしまった
 

掲載日:2013.08.09.


  (正述心緒)
  凡 吾之念者 如是許 難御門乎 退出米也母
   おほろかに我れし思はばかくばかり難き御門を罷り出めやも
  おほろかに われしおもはば かくばかり かたきみかどを まかりいでめやも
 【語義・歌意】  巻第十一 2573 正述心緒 作者不詳 


 【2573】語義 意味・活用・接続 
 おほろかに[凡]
  おほろか[凡ろか]  [形動ナリ・連用形]いい加減なさま・おろそか
  に[活用語尾]  左注・に
 われおもは[吾之念者]
  し[副助詞]  語調を整え、強意を表す
「〜し〜ば」という条件を表す句の中か、係助詞「も・ぞ・か・こそ」を伴った形で用いられる
  おもは[思ふ]  [他ハ四・未然形]思う・思案する・望む・願う・愛する
  ば[接続助詞]  [順接の仮定条件]〜なら  未然形に付く
 かくばかり[如是許]
  かくばかり  こんなにも・これほどまでに
   [成立ち]副詞「斯く」に副助詞「ばかり」
 かたきみかどを[難御門乎]  
  かたき[難し]  [形ク・連体形]難しい・容易でない・滅多にない
  みかど[御門]  [「み」は接頭語]貴人の家の門の総称・皇居・朝廷
  を[格助詞]  [起点・経過点]
(移動の動作に対して)起点・経過点をさす、〜を
 まかりいでめやも[退出米也母]
  まかりいで[罷り出づ]  [自ダ下二・未然形]退出する・さがる [左注・罷り出づ
  めやも  [反語]〜だろうか(いや、〜でないなあ)
 掲題歌トップへ

 
 【左注】
 [
形容動詞ナリ活用の連用形の活用語尾
〔例〕「このちご、養ふほどに、すくすくと大き
なりまさる」<竹取・かぐや姫の生い立ち>
「大き」が状態を表し、文脈を離れると、「に」を「な」に置き換えて
「〜なもの・〜なこと」と不自然でなく言える

 
 罷り出づ
この語の訓に「まかりいで」と「まかりで」があり、ほとんどの書は「まかりで」とする
その方が、字余もないから、歌としても読み易い
しかし、「罷り」と「出(いづ)」を分けると、解説が込み入ってしまう
「罷り(四段動詞「罷る」の連用形)で、身分の高い人のもとから、退出する、おいとまする
「出で」ダ行下二段動詞「出づ」の未然形、中から外に出る、離れる
そして、この「罷り」が付くことによって、「出づ」の謙譲語になるのだが
その場合は「まかりで」ではなく、「まかりいで」になると思う
歌の言葉として、調子のいい「まかりで」にしたのかな
 
 
 










 「ときをながれる」...すぎされば、夢...
 「だから過去のときを、詠える」

【歌意】2606
 
現実にも、夢にさえも思ったことはなかった
あなたと別れてから長い年月を経て、
またここで、あなたに逢うなんて...

この歌...どんな気持ちで作者は詠っているのだろう
昔の恋人に逢えたことの喜びか...それとも戸惑いか...

どんな事情で別れがあったにしても
長い年月を経ての再会は、しかも思わぬ「再会」は
懐かしさがこみ上げて、嬉しいものだ
私だったら、予期せぬ再会を嬉々として詠うだろう...

いや、嬉しいからこそ、歌にしたのかもしれない

家持と笠女郎も、こんな瞬間があったのかもしれない、と
思いを巡らせてみる

掲載日:2013.08.10.


  (正述心緒)
  現毛 夢毛吾者 不思寸 振有公尓 此間将會十羽
   うつつにも夢にも我れは思はずき古りたる君にここに逢はむとは
  うつつにも いめにもわれは おもはずき ふりたるきみに ここにあはむとは
 【語義・歌意】  巻第十一 2606 正述心緒 作者不詳 



 【2606】語義 意味・活用・接続 
 うつつにも[現毛]
  うつつ[現]  (夢に対して)現実・夢が覚めている状態
   (意識の確かでない状態に対して)正気・気の確かな状態
  にも  [格助詞「に」+係助詞「も」]
「〜でも・〜にでも・〜においても

格助詞「に」の意味によって、種々の意味を表す
 いめにもわれは[夢毛吾者]
  いめ[上代語]  [寝(い)目]の意か・夢
  にも  [初句「にも」参考]〜からも・〜にさえも
 おもはずき[不思寸]
  おもは[思ふ]  [他ハ四・未然形]思う・思い起こす・回想する
  ず[助動詞・ず]  [打消し・連用形]〜ない  未然形に付く
  き[助動詞・き]  [過去の回想・終止形]〜た・〜ていた  連用形に付く
 ふりたるきみに[振有公尓]  
  ふり[旧る・古る] [自ラ上二・連用形]年月を経る・老いる・古くさくなる
  たる[助動詞・たり] [完了・連体形]〜ている・〜た  連用形に付く
 ここにあはむとは[此間将會十羽]
  あは[逢ふ] [自ハ四・未然形]出逢う・対面する・出くわす
  む[助動詞・む] [推量・終止形]〜(の)だろう
  と[格助詞] [引用]〜と
  は[係助詞] [とりたて・題目]〜は
 掲題歌トップへ





 「ときはなく」...いまが、ときなれば...
 「想う一瞬が、すべてのとき」

【歌意】2607
 
この黒髪が、たとえ白髪になるとしても
しっかり結んで心変わりせずに、と一緒に誓ったものを
今、その結いを解くなどと、どうして出来ましょう
出来るはずがありません
 
この歌は、心変わりしたのか、と不安がる男に返した歌なのか
あるいは、他の男に言い寄られて、それをはねつける歌とも解されるが
「ひとつを」と言える目の前の相手は...想いを寄せる「男」しかいないだろう、と思う

「までと」の「と」が格助詞のような訳も多いが
それだと、「まで」の意が強過ぎて
時間的に「白髪になるまでは」のようになり、ではその後は、と言い返したくなる
「と」が接続助詞ならば、「まで」というのが観念的なものになり
私は、その方がいいと思う
しかし...古代の品詞は、本当にややこしい

この「正述心緒」という分類
確かに「相聞」の内容だと思うが、「相対する二人」ではないので
ここへの配列なのかな
しかし、こうした歌は、私の拙い考え方であるにしても
きっと、相対する相手の「歌」もあったはずだ
「作者不詳」として、偶然になのか、意図的になのか、このように無造作に載せられる

このような内容の歌が、片方だけの場合...その意味も曖昧なものになってしまう
おそらく、この「正述心緒」群の歌の中に
相手の歌もあるだろう、と思う

まさか、家持が笠女郎に聞きただして、笠女郎が恨みがましくいじけて返す...
いかん...この二人に拘りすぎている
しかし、この巻の「作者不詳」歌が仮に家持の「隠れた私家集」であれば
このように本来「相聞歌」として揃うべき内容の歌も
意図的に崩されたことも考えられるし
その場合...「うわさ」になっている以上の「事情」を知られないように「編集」した
とも、考えられる

もっとも、家持の歌の「くせ」や、笠女郎の「歌の特徴」など
私には、精緻な検証を踏まえての推測ではなく
願望が多分に占める、先入観めいた感じ方であることは、いなめない

ただ...「こころひとつを」という語の意味が...笠女郎であれば、言うような気もする
 






掲載日:2013.08.11.


  (正述心緒)
  黒髪 白髪左右跡 結大王 心一乎 今解目八方
   黒髪の白髪までと結びてし心ひとつを今解かめやも
  くろかみの しらかみまでと むすびてし こころひとつを いまとかめやも
 【語義・歌意】  巻第十一 2607 正述心緒 作者不詳 



 【2607】語義 意味・活用・接続 
 くろかみの[黒髪]    [枕詞]乱れて解け易いなど、髪の性質から「乱れ・解け・長き」にかかる
ここでは単純に、次の「白髪」に対する語としての意味を持つ
 
 しらかみまでと[白髪左右跡] [左注・(左右)まで]
  まで[副助詞]  [限度](動作・作用の及ぶ時間的・空間的な限度)〜まで
  と[接続助詞]  [逆接の仮定条件]〜ても・たとえ〜ても
 むすびてし[結大王] [左注・(大王)てし]
  むすび[結ぶ]  [他バ四・連用形]編んで作る・結ぶ・約束する・言い交わす
  て[助動詞・つ]  [完了・連用形]〜しまう  連用形に付く
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]〜た・〜ていた  連用形に付く
 こころひとつを[心一乎]  
  ひとつ[一つ] そのものだけであること・単独・同じ物・一緒・同時
  を[格助詞] [対象]〜を  体言に付く
 いまとかめやも[今解目八方]
  とか[解く] [他カ四・未然形]結び目を解く
   「解く」は「結ぶ」の縁語 [左注・縁語]
  む[助動詞・む] [推量・終止形]〜(の)だろう
  めやも [反語]〜だろうか(いや、〜でない)
   [成立ち]推量の助動詞「む」の已然形「め」に、反語の終助詞「やも」
 掲題歌トップへ

 
 【左注】
 
 [左右(まで)、大王(てし)]
「義訓」の一種で、特に使用者の遊戯的な意図や技巧の認められるもの「戯書」
義訓より、戯れの度合いを強めて、連想・類推に基づき、その漢字の意味・音・訓など
それと掛け離れた読みを与える用法
なお、「義訓」とは、上代文献、特に万葉集における用字法で
本来の訓ではなく、語の表す意味によって漢字をあてるもの

 左右手・左右・二手・諸手=まで 『岩波古語辞典』(1974年発行)
「まで[真手・両手]《マは接頭語》左右の手・両手
「御手洗(みたらし)に若菜すすぎて宮人の左右手に捧げて御戸(みと)開くめる」<山家集> 上代には、助詞「まで」に「二手」「左右手」「諸手」などの字を当てた例がある
「左右」は、「左右手」の略
 
 義之・大王=てし
「義之」は正しくは「羲之」で、中国東晋の書家・王羲之のこと
 (日本古典文学大系4『萬葉集一』には、「義と羲通用した」とある)
王羲之はすぐれた書家だったので、「羲之」を「てし(手師)」と読み
「大王」を「てし」と読むのは、父と同じくすぐれた書家であった子の王献之に対し
羲之を大王と言ったため

王羲之=中国東晋の書家。行書・楷書・草書において古今に冠絶、
       書聖として尊ばれる。羲之の真跡は既に滅んで見ることはでき
       ないが、模写本・拓本として多くの作品が伝わっている。拓本
       では行書の「蘭亭序」「集王聖教序」、草書の「十七帖」など
       が著名。精密な模写本である「喪乱帖」「孔侍中帖」が日本に
       伝存している。
        羲之の第7子・王献之も書の名人で、父とあわせて二王の称
       がある。そこで、父を大王、子を小王として区別した。
 

用例「我定義之」「結大王」は、それぞれ「我が定めてし」「結びてし」と読む
「てし」は、いずれも、完了の助動詞「つ」の連用形「て」に、
過去の助動詞「き」の連体形「し」が付いたもの
「てしまった」という意味
 
 [縁語]
和歌に多く用いられた修辞の一つ
「縁」のある詞、と言う意味で、一首の中のある語に
意味内容の上から関係のある語を用いる
例として、

によるものならなくに別れぢの心ぼそく思ほゆるかな」<古今・羈旅-415>

「糸」と「ほそく」とが縁語になる
掛詞などと併せて中古以降に用いられたもの
 





 「なきくれる」...それほどの想いも...
 「面には出せないことも...」

【歌意】2609
 
わたしを恋する気持ちがあまって、泣きくれることがあろうとも
はっきりと人に知られるような嘆きだけは
どうかされませんように、お気をつけてください
 
男が、自分を恋い慕って泣いてくれる...女としては、嬉しいことではないのか
しかし、それが知られてはいけない、という
既婚未婚に限らず、身分的なあるいは職責の上から
それが憚れる、そんな意味もあるのだろうか...
この時代は、確かにそれがあったようだ


きっと、家持と笠女郎も、そんな仲だったのだろうなあ
人が人を想うとき、相手のことまで思い遣る気持ちが、やはり最も大切なことだ
自分の気持ちだけを、押し付けては
その想いは、決して傍目でも美しく見られることはない
黙っていても人に知られずとも、その想いはきっと相手に通じる


嗚咽を堪えて想う...だからこそ、詠えるものがある
 

掲載日:2013.08.12.


  (正述心緒)
  念出而 哭者雖泣 灼然 人之可知 嘆為勿謹
   思ひ出でて音には泣くともいちしろく人の知るべく嘆かすなゆめ
  おもひいでて ねにはなくとも いちしろく ひとのしるべく なげかすなゆめ
 【語義・歌意】  巻第十一 2609 正述心緒 作者不詳 



 【2609】語義 意味・活用・接続 
 おもひいでて[念出而]
  おもひ[思ふ]  [他ハ四・連用形]過ぎたことを思い起こす・恋しく思う 
  いで[出(い)づ]  [補動ダ下二・連用形]
(動詞の連用形の下について)外に向って行う
または、外に表し出す意を表す、〜出す
 [例語] 思ひ出づ・語り出づ・漕ぎ出づ・誘(いざな)ひ出づ・たづね出づ・眺め出づ、など
   
  と[接続助詞]  [単純接続]〜て・そして  連用形に付く
 ねにはなくとも[哭者雖泣]
  ね[音]  聞く人の耳にしみじみと訴える音・声・響き
  には [強調表現]〜には
[成立ち]格助詞「に」+係助詞「は」、格助詞の意味よって種々の意味を表す、ここは「強調」

   原文の「哭(ね)」が「泣くこと」の意味であり、「には」で強調している
  なく[泣く]  [自カ四・終止形](人が)涙を流し声をあげる
  とも[接続助詞]  [逆接の仮定条件]〜ても  終止形に付く
 いちしろく[灼然]
  いちしろく
  [著(いちしろ)し]
 [形ク・連用形]明白である・はっきりしている
[いちしるし(著し)の古形]中世以降「いちじるし」となり、シク活用の例が見られるようになる
     (「いち」は甚だしい意の接頭語、「しるし」は顕著であるの意)
 ひとのしるべく[人之可知]  
  しる[知る]  [自ラ下二・終止形]知られる
  べく[助動詞・べし]  [可能推定・連用形]〜できそうだ  終止形に付く
 なげかすなゆめ[嘆為勿謹]
  なげか[嘆く・歎く] [自カ四・未然形]悲しむ・悲しんで泣く・嘆く
  す[助動詞・す]  [尊敬・終止形]〜なさる  未然形に付く
  な[終助詞] [強い禁止]〜(する)な  終止形に付く
  ゆめ[努・勤] [副詞](禁止・打消しの誤と呼応して)強く禁止する意を表す
 掲題歌トップへ 

 
 




 「こそめ」...想ひも深く...
 「色はあり、なくも」

【歌意】2631
 
紅色に、深く丹念に染めあげたこの着物のように
その深く心にまで染み入ってしまったからなのだろうか
あの人のことを、
忘れようにも、どうしても忘れられないでいる
 
濃く染めた着物は、観念的だが、確かに着る人の「情」の深さを感じる
淡い色彩は、その着るもののせいで、「爽やか」であり、
あるいは、「あっさり」とした印象を与え、またそう受止めてしまうものだ
「紅」にしても「紫」にしても
染めること自体が「こそめ」であるなら
「恋い慕う」ことの意味としては、「色彩」は何の意味もなさないものか

「染め上げる」ことが、自分自身の「恋」の「
深さ」を伝え
そこに「色彩」を重ねることで、ありきたりの「想い」ではなく
その「色彩」からくる「
濃さ」を「深く心に染み込ませる」

丹念に染め上げた「着物」は、それほど「深い愛情」が籠もるものなのだろう

忘れようとしても、忘れられないほどの想いを受け
何故、忘れようともがいていたのか...そんな愚かな自分に気づく

この歌、一応女歌、となっているが
男が詠ったとしても、おかしくない歌だと思う


いや...男歌でこそ、想われた「恋の深さ」に、あらためて気づくのだろう
「譬喩歌」であれば、染め上げた「衣」は、確かに「譬喩」そのものだが
この歌は、男が実際に「染め上げた」衣を見て詠った情景が、
私には素直に浮ぶ
 





掲載日:2013.08.13.


  (寄物陳思)
  紅之 深染衣 色深 染西鹿齒蚊 遺不得鶴
   紅の深染めの衣色深く染みにしかばか忘れかねつる
  くれなゐの こそめのころも いろふかく しみにしかばか わすれかねつる
 【語義・歌意】  巻第十一 2631 寄物陳思 作者不詳 



 【2631】語義 意味・活用・接続 
 くれなゐの[紅之]
  くれなゐ [紅]  [「呉の藍」の転]紅花の異称・紅花の汁で染めた鮮やかな赤色
 こそめのころも[深染衣]
  こそめ[濃染め]  濃く染めること [左注・こそめ]
 いろふかく[色深]
  いろふかく [色深し]  [形ク・連用形]色彩が濃い・愛情や趣が深い
 しみにしかば染西鹿齒蚊]  
  しみ[染む・浸み]  [自マ四・連用形](色に)染まる・染み込む・深く感じる・心に染みる
  に[助動詞・ぬ]  [完了・連用形]〜た・〜てしまう  連用形に付く
  しか [助動詞・き]  [過去・已然形]〜た・〜ていた  連用形に付く
  ば[接続助詞]   [順接の確定条件・原因・理由]〜ので・〜だから  已然形に付く
  か [係助詞]  [疑問]〜か・〜だろうか 
 わすれかねつる[遺不得鶴]
  わすれ[忘る]
  [左注・忘る]
 [他ラ下二・連用形]忘れる・記憶をなくす
  かね[接尾語・かぬ]  [ナ下二型・連用形]〜のが難しい・〜ことが出来ない
 (動詞の連用形に付いて、動詞をつくる) 
 例語  「忘れかぬ・思ひかぬ・堪へかぬ・待ちかぬ」など
  つる[助動詞・つ]  [完了・確述(強意)・連体形]
 必ず〜・〜てしまう
 連用形に付く
  「つる」は前句の係助詞「か」を受けて、連体形で結ぶ「係り結び」 
 掲題歌トップへ

 【左注】
[こそめ]
「紅のこそめ」から、同じ用法で「紫のこがた」という歌がある〔3892〕歌

 紫乃 粉滷乃海尓 潜鳥 珠潜出者 吾玉尓将為
   紫の粉潟の海に潜く鳥玉潜き出ば我が玉にせむ
  むらさきの こがたのうみに かづくとり たまかづきでば わがたまにせむ
 巻第十六 3892 作者不詳

濃い海の色をした潟に、潜る水鳥よ
珠を加えて出てきたら、私の珠にしよう
 

この歌、「こがた」という呼称に、地名とする説があるが
今は、この「こ」を「濃い」とする説に基づく
そうなれば、「紫色の」は「濃い潟」に続き、
「紫」が持つ意味として、単に「草の名」、「染め色の名」にとどまらず
「濃き」、「うすき」といった場合でも、それは「紫」をさしていた
平安時代になると、「紫」は色の代表格のような存在になり
「色ゆるさる」、「ゆるし色」ということばがあったように、
一般の人が着ることを許されない高貴な色となっていた

ここで例として採り上げたのは、「紅」という色の「濃く」染めた、を導くため

 
[忘る] 
この動詞は、「下二段」の他に「四段」もあるが
「四段活用」は、おもに上代に用いられた
また、上代では四段活用の場合は「意識的に忘れる」、
下二段活用の場合は「自然に忘れる・つい忘れる」の意味に用いられたという

 





 「ものもふものぞ」...うちつる人...
 「身に纏いこそ、衣」

【歌意】2633
 
古い着物を、飽きたからといって棄ててしまうような人は
秋風が吹くころになって初めて
物寂しさや、後悔の念に悩まされるものなのだ
 
「衣」に寄せた、譬喩歌だ
長年連れ添った古女房を、飽きたからといって放り出してしまえば
自分が老い始めたころになって初めて、その寂しさで悲しい想いをするものだ、と

万葉人の、このような感性は、現代でもごく自然に受け入れられている
人が綿々とその生き様を伝え残すのも
この変らぬ「想い」があるからだろう
仮に、人類のある時点で、その価値観が根本から途絶えたら
この「万葉集」という「奇跡の歌集」は、その段階で埋もれてしまったことだろう

記憶に新しいのが、タリバン政権下でのバーミヤン遺跡の破壊
価値観が違えば、それを破壊することなど、罪の意識も起こりようがない
全人類視野での、そうした蛮行はこれまではなかっただろうが
ある限られた地域での、民族の考え方の転換というのは有り得る

それを、さらに限定して「万葉の時代」から、一気に現代に置き換えても
これほどその価値観の差を感じないのは...人の営みの「根本の感性」を思わずにはいられない

この歌に限らず、万葉歌に多くの人が魅せられるのも
それが、古代人の持つ現代人と変らない、あるいは現代人以上の「人の心」の有り様に
素直に惹かれてしまうからだろう

この歌のように、万人がそうそう、と頷く気持ちもあれば
男の立場、女の立場でその葛藤を詠う「人間らしさ」がある
そして、自然を愛でながらも、そこに流れるのは、それに対峙する「人」
その「愛でる人」を、詠う
いや、作者自身が、その「愛でられる人」なのだと思う

後に時代に、「歌」は洗練された「風流」の代名詞になって行くが
この万葉の時代に奏でられる「風流」は、洗練されない直截的な響きがあり
それが、ずっしりと人の心に打ち込まれる
果たして、この時代に「歌人」という概念はあったのだろうか

「歌」は、詠うべくして詠われ、そこに専業の形を後の人は見出そうとするが
私的な歌集から始まる「歌い継がれる」時代の人々の、「想いの手段」
後世に残そうなどとの気負いもなく、「詠いたいから詠う」
その純粋さが、「歌人」という現代的な視点ではなく、
多くの人に与えられた機会に結実したものだ、と思う

だから、それを初めて「歌集」として後世に残そうとしたかもしれない万葉の編者たちの
その目論見、というのはとてつもない「発想」だったのではないだろうか

いろんな形で残された「数々の歌」
木簡のみならず、口承だけの歌もあっただろう
そうした無秩序的な「原材料」を、整理して「歌集」にする...並大抵の決意ではない

詠われた「音」を、いかにして表記するかも、大きな問題になっている
漢字の「語意」を借り(借意文字として)、あるいは「音」を借り(借音文字)
当時としては、決して十分な表記方法ではなかっただろうが
一応の「歌」は列挙した
しかし、そうした「借り物」の表記であったが故に
しばらくして、その「訓み方」が混乱してくる

まだまだ漢文が正式な記録文字としての時代であったことは
なおさら、「万葉集」が現在に至るまで残り研究し続けられていることを思い知らされる

私が、ときおり江戸末期の学者、鹿持雅澄の『万葉集古義』を引用するのも
その時代までに研究しつくされた多くの注釈書を踏まえての見解であるからだ
決して、何々系列などというような「色」を持ってはいない

勿論、雅澄の個人としての研究成果であって、すべてが正しいとは思わないが
少なくとも、偏った見識からは、私は解放された気分になれた

未だに、万葉研究が隆盛を見る現代においても
忘れてならないのは...「万葉集」そのものは、その時代から少しも変っていないということ

その事だけは、私は研究者ではないけれど...一ファンとして肝に銘じておきたい

 

掲載日:2013.08.14.


  (寄物陳思)
  古衣 打棄人者 秋風之 立来時尓 物念物其
   古衣打棄つる人は秋風の立ちくる時に物思ふものぞ
  ふるころも うつつるひとは あきかぜの たちくるときに ものもふものぞ
 【語義・歌意】  巻第十一 2633 寄物陳思 作者不詳 



 【2633】語義 意味・活用・接続 
 ふるころも[古衣]  着古した着物、古女房の譬として、ここでは使っている
また、[枕詞]として、「うつ」に掛かっている
 うつつるひとは[打棄人者]
  うつ [打ち]
     [左注・打つ]
 [接頭語](動詞について)動詞の意味を強めたりする
 
  (う)つる
   [棄(う)つ](上代語)
 [他タ下二・連体形]捨てる・棄てる
 あきかぜの[秋風之](「枕詞」では、「吹く・吹き上げ・山吹」にかかる)
  あきかぜ [秋風]  秋に吹く風・「飽き」に掛けて男女の愛情の冷めることの譬にも
 たちくるときに[立来時尓]  
  たちくる[立ち来(く)]  [自カ変・連体形]
 (雲・霧・風・波などが)沸き起こってくる
  とき[時]  季節・時候・時節  [左注・とき]
 ものもふものぞ[物念物其]
  ものもふ[物思ふ]  [自ハ四・連体形](「ものおもふ」の転)
 思い悩む・思いに耽る
  ものぞ  (強い断定の意を表す)〜ものである
   [成立ち]形式名詞「もの」+係助詞(終助詞的用法)「ぞ」 
    
(推量の助動詞「む」の下に付いた場合は、強意を表す)〜に違いない
 掲題歌トップへ

 【左注】
[打つ]
動詞に付いて、その動詞の意味を強めたり
「ちょっと・すばやく・すっかり」などの種々の意を添えたりする
また、単に語調をととのえるためにも用いられる
〔例〕「打ち出づ・打ち驚く・打ちまもる・打ち語らふ・打ち絶ゆ」など

参考:四段動詞「打つ」の連用形が接頭語になったもの
ただ、
本来の動詞としての意味を保っている場合は、接頭語とは考えない

また「源氏物語」の例のように、動詞との間に係助詞「も」が入ることもある

 
[とき(時)] 
「とき」には、様々な意味がある

 @月日の移り行く間・時間
 A一昼夜を区分した時間の単位
・一昼夜を二時間ずつに十二等分して一時(いっとき)とし、そのそれぞれに十二支を配した・また江戸時代、民間では日の出、日の入りを基準として昼夜にわけそれぞれを六等分する実用的な時法も行われた
 B時代・治世
 C季節・時候・時節
 D場合・おり
 E時勢・世のなりゆき
 Fよい機会・好機
 Gそのころ・当時
 Hその場・一時・当座
 I勢いがあり、盛んな時期・羽振りのよいおり

 







 「家持の面影」...父に擬えて...
 「想いを伝える」

【歌意】523
 
想いを察して、雨でも降ってくれないものだろうか
その雨を口実に足止めをされ、
あなたと寄り添いながら、また一日を過ごせるのだけれど...
 
歌意】2692
 
笠がないからと、他の人には言って
雨が降り続く中を、私の家に留まっていたあのときのあなたの姿
その姿を、しきりに思い出してしまいます
 
歌意】2693
 
あの娘の門の前を、通り過ぎるなど、とても出来ない
天の情けで、雨でも降ってくれないものか
ならば、それを理由にして
立ち寄ることが出来るだろうに


このところ、丹念に巻第十一を読み始めた
やはり、作者不詳の歌の中に、「ある想い」を重ねれば
これまで気づかなかった「視点」もあるだろう、との気持ちだった

そして、今夜はその一つに出逢うことになった

歌〔2692・2693〕の、雨に期待する「女と男の歌」
これが無造作に並べられたとは思えない
何故なら、この二首を意識して作られたような歌が、巻第四の〔523〕にあった
〔2692〕から「あまつつみ」を
〔2693〕から「ひさかたの あめもふらぬか」が、それを思わせる

この二首から、それらの語句を引いて、〔523〕が詠われている...ように思える

巻第四も、家持周辺の歌が多く載せられており
そこでは、記名の歌で構成されている巻ではあったが...笠女郎も、その巻第四に集中する
当初から思い抱いていた、家持と笠女郎の「隠れた相聞歌」探しを
こうして巻第十一の「作者不詳歌」に当て込んでいた
それが、まさにこの二首〔2692・2693〕で、一つの手掛かりを見つけたような気がした

というのも、この二首を引いて詠われたと思われる〔523〕歌
その題詞に「後人追同歌一首」とあり
さらに、その唱和した前歌〔522〕が、大伴女郎の歌だったから、思わず唸ってしまった

大伴女郎は、旅人の妻だとする説が強く、確かに断定できるほどの材料はないようだが
その説を採れば、編者が「追同歌」として詠った〔523〕は
その大伴女郎に非常に近い者になるだろう
「編者」、「近親者のような者」の条件を当てはめれば
自然と浮かび上がってくるのが...大伴家持だ
だから、多くの本も、この「後人」を家持であろう、と見做している

私も、その説には感情的にも賛成している
何故なら、この〔523〕が、仮に家持の作であれば
〔2692・2693〕の二首も...私には「大伴家持」ではないか、と思えるからだ
この二首の「女歌、男歌」は、家持の創作かもしれないし
あるいは、実際に笠女郎との相聞歌なのかもしれない...そんな強い願望もある

〔522〕に唱和した〔523〕
大伴女郎の気持ちでなら、このように詠いもするだろう
そんな想いで詠えるのは、やはり家持のような、非常に身近な者だと思う

掲題の〔523〕が唱和した大伴女郎の〔522〕歌を載せる


 大伴女郎歌一首 [今城王之母也今城王後賜大原真人氏也]
  雨障 常為公者 久堅乃 昨夜雨尓 将懲鴨
 雨障み常する君はひさかたの昨夜の夜の雨に懲りにけむかも
 あまつつみ つねするきみは ひさかたの きぞのよのあめに こりにけむかも
 巻第四 522 相聞 大伴女郎
 
いつもあなたは、雨を口実にしては、きてくださらない
なおさら昨夜の雨に遭って、もう懲りてしまわれたのでしょうね
これからは、来てはくださらないのでしょうか


大伴女郎が、「雨」を口実にする「男心」を恨めしく詠うと
唱和する〔523〕では、その逆の意味で「雨」を口実にする
こうした遣り取りが出来るのは、二人が「恋仲」でなければ不自然だ
ならば、唱和した男の「気持ち」は、一体誰に擬えたものだろう

仮に、旅人の妻であることを前提にするならば
この〔523〕歌...家持が父・旅人になり代わって詠った...
そこに、矛盾はないと思う

これが、仮説だとか真相だとかは、私にはどっちでもいい
家持が、義母の想いに応えていなかった父の気持ちを伝えたかった
それで、おそらく編纂時に、「追同」したと思う方が、私にはしっくりくる

この大伴女郎、伝未詳でありながら
この歌の前二首、旅人の父母の歌に続いている
これが編纂者の意図であれば、やはり大伴女郎は旅人の妻であった、と思う
そして、その父母(大伴安麻呂・石川郎女)、子(旅人)の妻(大伴女郎)に続いて、
「大伴旅人」役を、編者...もしくはこの巻の中心でもある「大伴家の歌集」に倣って
「追同」という形で、家持が唱和していたのではないだろうか

大伴家持の歌...そして、笠女郎の歌...二人の相聞、きっとこの作者不詳歌の中にあるはずだ

ついでに言うと、最近漠然とだが、万葉集が本当に巻第二十で終っているのか、と
編集し終えたのが二十巻である、ということであって
まだまだ、未編集の原資料...あるかもしれない
こうして、一首ずつ紐解いてゆけば、そんな手掛かりも出てくるかもしれない

大伴家の相聞歌として、この大伴女郎の〔522〕の前の歌二首〔520・521〕
これも、参考にしたい


 大納言兼大将軍大伴卿歌一首
  神樹尓毛 手者觸云乎 打細丹 人妻跡云者 不觸物可聞
 神木にも手は触るといふをうつたへに人妻といへば触れぬものかも
  かむきにもてはふるといふをうつたへに ひとづまといへばふれぬものかも
 巻第四 520 相聞 大伴安麻呂
 
穢れることもなく、
触れれば罪になるという神木でさえ、手も触れることがあるのに
あなたが人妻というだけで、私は何も出来ないのだろうか、
いやそんなことはない
 
 石川郎女歌一首 [即佐保大伴大家也]
  春日野之 山邊道乎 与曽理無 通之君我 不所見許呂香聞
 春日野の山辺の道をよそりなく通ひし君が見えぬころかも
  かすがのの やまへのみちを よそりなく かよひしきみが みえぬころかも
 巻第四 521 相聞 石川郎女
 
春日野にある神の社も恐れることなく、
その山路を通ってきたあなたでしたのに
このごろは、ちっともお見えにならないのですね


夫婦での、この相聞の内容には、不思議なものがあるが...
神の罰さえ畏れぬ男が、「人妻」という立場の女性に躊躇するはずがない
しかし、そう逡巡しているのが、紛れもなく「畏れ」を認めている
かつては、そんな危険を冒してまできてくれたのに
最近は来てはくれない、というのは...男の気持ちの変化に敏感に何かを思ったものか

題詞が問題なければ...この二首、違和感を禁じ得ないが
それは、後日に再考しよう

 

掲載日:2013.08.15.


  (大伴女郎歌一首 [今城王之母也今城王後賜大原真人氏也])
    後人追同歌一首
 [左注・後人]
  久堅乃 雨毛落粳 雨乍見 於君副而 此日令晩
   ひさかたの雨も降らぬか雨障み君にたぐひてこの日暮らさむ
  ひさかたの あめもふらぬか あまつつみ きみにたぐひて このひくらさむ
 【語義・歌意】  巻第四 523 相聞 作者不詳 
 
  (寄物陳思)
  笠無登 人尓者言手 雨乍見 留之君我 容儀志所念
   笠なみと人には言ひて雨障み留まりし君が姿し思ほゆ
  かさなみと ひとにはいひて あまつつみ とまりしきみが すがたしおもほゆ
 【語義歌意】  巻第十一 2692 寄物陳思 作者不詳 
 
  妹門 去過不勝都 久方乃 雨毛零奴可 其乎因将為
   妹が門行き過ぎかねつひさかたの雨も降らぬかそをよしにせむ
  いもがかど ゆきすぎかねつ ひさかたの あめもふらぬか そをよしにせむ
 【語義歌意】  巻第十一 2693 寄物陳思 作者不詳 



 【523】語義 意味・活用・接続 
 ひさかたの[久堅乃]  [枕詞]天に関係ある
「天・雨・月・雪・空・光・夜・都」などに掛かる
  「ひさかた」単独の意味は、逆に枕詞から転じて、「月・日」をさす語になる
 あめもふらぬか[雨毛落粳]
  ふら[降る]  [自ラ四・未然形]
 雨、雪などが降る・また比喩的に涙が流れ落ちる

 和歌では「旧(ふ)る」にかけて用いられることが多い
  ぬ[助動詞・ず]  [打消し・連体形]〜ない  未然形につく
  か[係助詞]  [疑問・願望]〜か・〜だろうか
 あまつつみ[雨乍見]
  あまつつみ [雨障み]  (「あまざはり」とも)雨の為に支障の起きること
 きみにたぐひて[於君副而]  
  たぐひ[類ふ・副ふ]  [自ハ四・連用形]同じところにいる・添う
  て[接続助詞]  [単純接続]〜て・そして  連用形につく
 このひくらさむ[此日令晩]
  くらさ[暮らす]  [他サ四・未然形]
 (日を暮れさせることから)日暮れまでの時間を過ごす

毎日を送る・歳月を送る(強い断定の意を表す)〜ものである
  む[助動詞・む]  [推量・終止形]〜(の)だろう  未然形につく
 掲題歌トップへ 

 【2692】語義 意味・活用・接続 
 かさなみと[笠無登]
  かさ[笠・傘]  雨や雪を防いだり、日光を遮ったりするために、頭に被るもの
  なみ[無み]  ないために・ないので
   [成立ち]形容詞「無し」の語幹「な」+原因・理由を表す接尾語「み」
  と[格助詞]  [引用]〜と、(〜と言って)後に続く理由などを示す
 とまりしきみが[留之君我]  
  とまり[止まる・留まる]  [自ラ四・連用形]
立ち止る・取り止めになる・中止になる
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]〜た・〜ていた  連用形につく
 すがたしおもほゆ[容儀志所念]
  し[副助詞]  語調を整え、強意を表す  体言などにつく
  おもほゆ[思ほゆ]   [自ヤ下二・終止形]自然に思われる・しのばれる
[成立ち]四段動詞「思ふ」の未然形「おもは」に上代自発の助動詞「ゆ」の付いた「おもはゆ」の転[成立ち]四段動詞「思ふ」の未然形「おもは」に上代自発の助動詞「ゆ」の付いた「おもはゆ」の転

 掲題歌トップへ

 【2693】語義 意味・活用・接続 
 いもがかど[妹門]
  かど[門]  門・または門の辺り・門前
 ゆきすぎかねつ[去過不勝都]
  すぎ[過ぐ]  [自ガ上二・連用形]通り過ぎる・通過する
  かね[接尾語・かぬ]  [ナ行下二型・連用形](動詞の連用形について)
「〜のが難しい・〜ことができない」の意の動詞を作る
  つ[助動詞・つ]  [完了・確述の用法・終止形]
 〜てしまう・確かに〜
 連用形につく
 そをよしにせむ[其乎因将為]
  そを  (代名詞「それ」に格助詞「を」の付いたものの略)それを
  よし[由]  理由・わけ
  せ[為(す)] [他サ変・未然形]ある動作を行う・ある行為をする
  む[助動詞・む] [推量・意志・終止形]
 〜(の)だろう・〜つもりだ
 未然形につく
 掲題歌トップへ

 【左注】
[後人追同]
この題詞の意味は、後になって「編者」が前の歌〔522〕に唱和したもの、という
そして、大方の推測では、大伴家持ではないか、と
左頁に、その「前歌」という一首〔522〕を載せるが
さらに、その前二首〔520・521〕歌が、大伴安麻呂(旅人の父)、石川郎女(旅人の母)であり
やはり、大伴家がらみの歌群であることから
この「後人追同歌」が、大伴家持のものではないか、というのも頷ける
なお、唱和の対象になった〔522〕の作者、大伴女郎は
伝未詳の女性だとされているが、大伴旅人の妻だという説もある

 
〔522〕の題詞では、「今城王の母」と書かれているが
その題詞には、旅人の妻とは書かれていない
旅人の妻であることを採り上げるのなら、この今城王を生んだ後
旅人の妻になったと言うことなのだろうか
そして、この詠歌の時点では、まだ旅人の妻ではなかった、というのかもしれない
そうであるなら、家持と今城王の間柄は、血の繋がりこそないが、一応兄弟になる
二人の関係が、それほどの近親者だとは、正式な書では見たことがない
確かに、万葉集の編集時に、いろんな情報の混乱も考慮しなければならないだろうが
少なくとも、家持と今城王の親密さは疑いようもないのに
どうして間柄についての言及がないのか、それも不思議なことだ
この時代、同母の子でなければ、他人のようなものだから...ということか
 










 「露は儚き」...消えても尚...
 「露の相聞」

【歌意】3056
 
朝日の射す、春日の野に置く露のように
恋の苦しさに、やがて儚く消えてゆく我が身だけれど
もうそんな我が身など、惜しいとも思わない...
恋の苦しさ、甘んじて受けよう
 
【歌意】2697
 
朝露が消えるように、
今にも消えてしまいそうな我が身であっても
たとえ年をとって老いてしまおうと
きっとまた若返って、あなたを待ちます
 
【歌意】3057
 
冷え冷えとした露霜のように、
とても消え易い我が身だけれど
それでも、たとえ老いてしまおうとも、また若返って
あなたを待つつもりです


我が身、我が想いを、「露」の儚さ、哀しさに重ねた歌を並べてみた
歌番号からすると、〔2697〕が離れているが
この〔2697〕と〔3057〕は、初句の「あさつゆの」と「つゆしもの」だけが違う
類歌・小異歌といわれるものだが、歌意はまったく同じだと思う

〔3056〕にしても、「露のように、儚く消えてゆく我が身」を詠うが
この歌だけは、それでも意味合いが随分と他の二首とは違う
そもそも、原文に「何に対して惜しくないのか」が記されていない
他の二首であれば、老いてもまた若返って、「あなたを待つ」という
具体的な「消え入りそうな我が身」が、何の為にそうなるのか、想像できるが
〔3056〕の歌の「語」だけを拾えば、どうも中途半端だ
しかし、私にはもう一つの「想い」もある

「惜しくない」が、強調の係助詞「も」を伴っていることから
単に諦めの、それでも「健気」に何度も何度も、いつまでも「待つ」のではなく
「恋の苦しさ」なんて、受けて立つ、というような気概も感じる

この三首、どれも「女歌」と評されている
しかし、そうだろうか
〔2697・3057〕がそうだとしても
〔3056〕は、男が自分を奮い立たせるようには感じられないだろうか

この〔3056〕を目にしたとき
この種の歌で、いつも真っ先に浮ぶ歌がある
最近も採り上げたことがある、古今和歌集の、紀友則の歌だ

 いのちやは 何ぞは露のあだものを 逢ふにしかへば 惜しからなくに
 古今和歌集 恋歌二-615 紀友則


「露」、「惜し」...
同じ「語」からの連想ではなく、「何ぞは露のあだもの」が強烈だったこの歌

俺の取るに足らぬ命なんて、
逢うことが出来るのなら、惜しくもあるもんか
くれてやる


この歌をつい思い出し、先の〔3056〕歌に重ねてしまう

もっとも、〔3056〕を女歌として評する前提には
きっと、こんな歌意になるのだろう

朝日の射す春日の小野に置く露のように
我が身など消えてしまっても、もう惜しくもありません
恋の辛さに苦しめられるくらいなら...
 


ここで、敢えて意訳した「恋の辛さに苦しめられる」などとは
原文には書かれていない
しかし、この歌の「動機」が何なのか、と推測すれば
やはり、それは「恋」なのではないかと思う

そして、私が抱く「男歌」であれば、「命も惜しまず」と感じられるし
「女歌」であれば、「もう終らせたい」という
この歌は、そんな「中途半端」な歌だと思うが...

しかし、動機めいた「語句」を表現しなくても成り立たせる手段はある
それは、相聞のように、ペアになる場合だ
その片方の歌から、その「語らないことば」で「歌意」を補うことができる
だから、この〔3056〕が、〔3057〕と並んで載せられるのは、そんな意味があるように思う 

そうであれば...何らかの事情で、なかなか逢うことのできない二人の
立派な「相聞」になる、と思う

 

掲載日:2013.08.16.


  (寄物陳思)
  朝日指 春日能小野尓 置露乃 可消吾身 惜雲無
   朝日さす春日の小野に置く露の消ぬべき我が身惜しけくもなし
  あさひさす かすがのをのに おくつゆの けぬべきあがみ をしけくもなし
 【語義・歌意】  巻第十二 3056 寄物陳思 作者不詳 
 
  (寄物陳思)
  朝露之 消安吾身 雖老 又若反 君乎思将待
   朝露の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
  あさつゆの けやすきあがみ おいぬとも またをちかへり きみをしまたむ
 【語義・歌意】  巻第十一 2697 寄物陳思 作者不詳 
 
  (寄物陳思)
  露霜乃 消安我身 雖老 又若反 君乎思将待
   露霜の消やすき我が身老いぬともまたをちかへり君をし待たむ
  つゆしもの けやすきわがみ おいぬとも またをちかへり きみをしまたむ
 【語義・歌意】  巻第十二 3057 寄物陳思 作者不詳 



 【3056】語義 意味・活用・接続 
 あさひさす[朝日指]  [枕詞]地名の「春日」にかかる [左注・あさひさす
 かすがのをのに[春日能小野尓]
 春日は、奈良市の東部、春日山・御蓋山・若草山を含めた一帯

 春日の「小野」の「小」は[接頭語]名詞に付いて、単に語調を整える
 おくつゆの[置露乃](ここまで「消ぬべき」を起こす序詞) [左注・おくつゆの
 けぬべきあがみ[可消吾身]  
  け[消(く)]  [自カ下二・連用形]消える・なくなる
  ぬ[助動詞・ぬ]  [完了・終止形]〜てしまう  連用形につく
  べき[助動詞・べし]  [推量・連体形]
(当然の意を表す)〜にちがいない
 終止形につく
  あがみ[吾が身]  自分の身
 をしけくもなし[惜雲無]
  をしけく[惜しけく]  惜しいこと、形容詞「をし」のク語法
  も[係助詞]  (下に打消しの語を伴って)意を強める
 掲題歌トップへ

 【2697】語義 意味・活用・接続 
 あさつゆの[朝露之]
  [枕詞]朝露は消えやすく、草木に置くことから「消(け)・命・置く」に掛る
 けやすきあがみ[消安吾身]  
  け[消(く)]  [自カ下二・連用形]消える・なくなる
  やすき[易し]  [形ク・連体形] (動詞の連用形の下に付いて)
〜しがちである・〜する傾向がある
 おいぬとも[雖老]
  おい[老ゆ]  [自ヤ上二・連用形]年をとる・老いる
  ぬ[助動詞・ぬ]  [完了・終止形]〜てしまう  連用形につく
  とも[接続助詞]  [逆接の仮定条件]たとえ〜にしても  終止形につく
 またをちかへり[又若反]  
  また[又・亦・復]  [副詞]もう一度・再び
  をちかへり[復ち返る]  [自ラ四・連用形]元へ戻る・また繰り返す・若返る
 きみをしまたむ[君乎思将待]
  し[副助詞]  語調を整え、強意を表す  体言などにつく
  また[待つ]   [他タ四・未然形](人や物事が来るのを)待つ
  む[助動詞・む]  [推量・意志・終止形]〜よう・〜つもりだ
 掲題歌トップへ

 【3057】語義 意味・活用・接続 
 つゆしもの[露霜乃][枕詞]「消(け)・置く・秋」などにかかる
 以下〔2697〕歌と同じ、原文に「吾・我」の違いのみ
 掲題歌トップへ

 【左注】
[あさひさす]
「あさひさす」は、地名「春日」にかかる枕詞だが
他にも「あさひ」を枕詞とする例は
「あさひさし」が、後方・背面の意味の「そがひに見ゆ」、眩しい意味の「まぎらはし」に、
「あさひなす」が、見た目が美しい・うるわしいの意味の「まぐはし」に、
「あさひの」が、喜びはしゃぐ意味の「ゑみさかゆ」にそれぞれかかる

 
[おくつゆの]
「枕詞」としての「おくつゆの」は
露の性質・状態から、「たま」、「かかる」などにかかるが
この歌での「おくつゆの」は、同じような特徴からも、
「消(け)」「消え」「いのち」などを導く「序詞の末尾」を構成する
 








 「明日香川」...明日も行きて...
 「飛鳥川に、明日は...」

【歌意】2710
 
明日香川...その名のように、明日もまた渡って行こう
飛び石のように間遠い、私の恋心ではないのだから...
 
【歌意】2711
 
飛鳥川の水嵩が、どんどん増すように
私の恋心が、日ごとに脹らんでいけば
とても生きてなどいけそうもない...苦しくて...
 
「明日香川二首」に耽る
明日香川といっても、この歌は「明日香川」そのものを詠じているのではない
「川の石橋(飛び石)」、「川の増水」...
ただ、〔2710〕については、第二句で「明日も」とあるので
「明日香川」であるからこそ、詠まれるべき歌には違いない
〔2711〕では、「飛鳥川」でもいいわけだ

そのせいかどうか分からないが、原文では「飛鳥川」になっている

自分の恋心が、薄っぺらなものではない、と言うように
間隔のある飛び石など、私には関係ない、だから頻繁に通う...逢いたいから...
間遠い気持ちだと、あの娘に思われてはたまらないから...


「飛鳥川」では、日ごとに増す水嵩のように
自分の恋心が、こんなに強まってくると
あまりにも苦しくて、生きてゆけそうにない
そんな「やわ」な気持ちを嘆くように詠う


片や、相手に自分の誠意を見せつけようと
片や、相手の気持ちよりも、自分の気持ちだけで対処しようと苦しむ
いや、対処しようとは思っていないのだろう
手の施しようがないほど水嵩が増すとき
何も手を尽さず見るだけで、ただただ嘆く...


恋心、というのは、こんなものかもしれない
立ち向かってゆく勇気のあるときも
為すすべもなく、悲嘆にくれるだけのときも...


俺は、こうだ
などと、言い切れる人は...いないだろう

 




掲載日:2013.08.17.


  (寄物陳思)
  明日香川 明日文将渡 石走 遠心者 不思鴨
   明日香川明日も渡らむ石橋の遠き心は思ほえぬかも
  あすかがは あすもわたらむ いしはしの とほきこころは おもほえぬかも
 【語義・歌意】  巻第十一 2710 寄物陳思 作者不詳 
 
  飛鳥川 水徃増 弥日異 戀乃増者 在勝申自
   明日香川水行きまさりいや日異に恋のまさらばありかつましじ
  あすかがは みづゆきまさり いやひけに こひのまさらば ありかつましじ
 【語義・歌意】  巻第十一 2711 寄物陳思 作者不詳 



 【2710】語義 意味・活用・接続 
 あすかがは[明日香川]  古来淵瀬の定まらないことで知られ、世の無常に譬えて歌に詠まれた
奈良県高市郡南部の高取山に源を発し明日香地方を貫流し、磯城郡で大和川に注ぐ川
  
 あすもわたらむ[明日文将渡]
  あす[明日]  みょうにち・あした 
  も[係助詞]  [添加]〜もまた
  わたら[渡る]  [自ラ四・未然形](海や川などを)越えてゆく
  む[助動詞・む]  [推量・意志・終止形]
 〜よう・〜つもりだ
 未然形につく
 いしはしの[石走] (「遠き」の枕詞とも)
  いしはし[石橋]  瀬の飛び石による橋・間隔がある
 とほきこころは[遠心者]  
  とほき[遠し]  [形ク・連体形]距離や時間が非常に離れている・疎遠だ
 おもほえぬかも[不思鴨]
  おもほえ[思ほゆ]  [自ヤ下二・未然形]自然に思われる・しのばれる
[成立ち]四段動詞「思ふ」の未然形「おもは」に上代の自発の助動詞「ゆ」、「思はゆ」の転
  ぬ[助動詞・ず]  [打消し・連体形]〜ない  未然形につく
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動]〜であることよ  連体形につく
 掲題歌トップへ

 【2711】語義 意味・活用・接続 
 みづゆきまさり[水徃増]
  ゆき[行く・往く]  [自カ四・連用形]雪や水が流れ行く・流れ去る
  まさり[増さる]  [自ラ四・連用形](水量や程度が)増える・強まる
 いやひけに[弥日異]  
  いやひけに[弥日異に]  [副詞]日増しに・日ごとに
 こひのまさらば[戀乃増者]
  まさら[増さる]  [自ラ四・未然形]第二句の他、すぐれる・秀でる、の意もある
  ば[接続助詞]  [順接の仮定条件]〜だったら・〜なら  未然形につく
 ありかつましじ[在勝申][左注・自]  
  あり[有り・在り]  [自ラ変・連用形]存在する・生きている
  かつ[補助動詞]  [自ラ変・終止形]〜できる・〜に耐える
[語法]動詞の連用形の下に付いて、
下に助動詞「ず」の連体形「ぬ」及び古形の連用形「に」、
また「まじ」の古形「ましじ」など打消しの語を伴って、
「かてぬ・かてに・
かつましじ」の形で用いられることが多い
 
  掲題歌トップへ


 【左注】
[]
この「自」は、本来、底本・諸本いずれも「目」と記されいるが
戦前の言語学者・国語学者である橋本進吉博士の説、「自」の誤写説が
今では、通説となっている
『万葉集古義』の鹿持雅澄は、その新説に関わりなく
「目」として訓じている
そして、
「ありかつましじ」を「ありかてましも」と訓を与えている


「ありかてましも」の訓であれば、前句の「未然形+ば」を受けて

 かて[補助動詞]  [自ラ変・未然形]〜できる・〜に耐える
 まし[助動詞・まし]  [反実仮想]もし〜(た)なら〜(た)だろう(に)・〜だろうに
 も[終助詞]  [感動・詠嘆]〜よ・〜なあ

今、雅澄の「歌意」の原文が手許にないので、また明日香で調べなくては...
この品詞の仕分けも、少々自信は薄い
この自分なりの仕分けで、一応訳すと...

「生きていけるのになあ」...なのか...やはり変だ
その前の句「こひのまさらば」が、「恋心が募ってきたなら」であり
やはり、この句では、否定語にならなければ、おかしい
そのために、どの書でも「目」を「自」の誤写説が通っているのだろうか...

「ましじ」は、打消しの助動詞「まじ」の古形だが
「まし」は、推量の助動詞「まし」だから...

ひょっとして、「まし」は打消しの助動詞「まじ」の単に清音の訓なのかなあ
いずれにしても、雅澄の原文を見てみたい
...素人の独学は、面白いけど、迷路だらけだ

 
【結果】[2013年8月18日掲載 






 「二つの吉野」...巌をうちて...
 「ひとり入る万葉の道」

【歌意】1135
 
誰もが皆、恋しく思い、しきりに行きたがる「み吉野」
その「み吉野」に今日行ってみたが
なるほど、みんなが恋しく思うのも無理もないことだ
山は静かに佇み、川は綺麗に澄んでいる、そんな「み吉野」だから...
 

今日、吉野宮滝に行ってきた
まさに、この歌の通りだ、と思う

 


万葉の時代の吉野は、特別だったようだ
万葉の時代の実権を担う勢力は、この吉野の地から立ち上がった
そのことを思い出させてくれた「石碑」に出くわしたとき
単なる歴史の教科書で学ぶ以上の「実感」を抱いてしまった

その石碑とは、後の天武天皇、大海人皇子が天智の策略を怖れ
吉野へ隠遁するときに、天智の側近が洩らしたことば「虎に...」
この「日本書紀」に載っている言葉は、それが戦乱を予測する言葉であり
そして、その相手への限りない「恐怖」を言わしめている

 



吉野でも、この宮滝には「万葉」の香りが濃く残る
如意輪寺へ続く「万葉の道」も、そこまでの行程は「万葉の道」の名に相応しいが
如意輪寺を過ぎると、もう「南北朝時代」の香りにとって変わる

私が、初めて吉野を歩いた「〜千本」と形容される吉野山
その道の町並みは、今はすっかり「南北朝」に染まっているようだ
初めてのときの感想が、そう思った

吉水神社にこめられた義経や南朝の面影
私には、その「南朝」ばかりの吉野は...とあまり馴染めなかったものだ
私にとっての吉野は...「吉野の鮎」大海人皇子だったからだ

しかし、宮滝でのあの景観を見、さらに「象の小川」、「高滝」
万葉人がこうして唸るように詠う「吉野」は
「深い山に優れ」、「清らかな川の流れ」を抱く、見事な地であることを実感する

時代を越えて、権力者の一方が隠遁する地
やはり、それだけの力を漲らせる「世界」が、ここにはある

今日は、川遊びに興じる「宮滝」の喧騒の比して
吉野山へ通じる「象の小川」のせせらぎは、実に静かだった
日も翳り始めた頃になると、その空気が一層緊張したものになる
しかし、それもいっとき
次第にその空気も、歓迎してくれる

万葉人も、同じように感じたのだろうか
現代より、もっともっと深遠な世界だった、この吉野に...

現代人でさえ、これほど「何か」を感じてしまうのだから...
 

掲載日:2013.08.18.


  雑歌(芳野作)
  皆人之 戀三芳野 今日見者 諾母戀来 山川清見
   皆人の恋ふるみ吉野今日見ればうべも恋ひけり山川清み
  みなひとの こふるみよしの けふみれば うべもこひけり やまかはきよみ
 【語義・歌意】  巻第七 1135 雑歌 作者不詳 



 【1135】語義 意味・活用・接続 
 みなひとの[皆人之] 
  みなひと[皆人]  すべての人・全員
  の[格助詞]  [主語]〜が  体言につく
 こふるみよしの[戀三芳野]
  こふる[恋(こ)ふ]  [他ハ上二・連体形]思い慕う・懐かしく思う・恋慕する 
  みよしの[み吉野]  [地名・歌枕](み芳野とも書く)「み」は接頭語
   現在の奈良県吉野郡、吉野地方の美称
 けふみれば[今日見者]
  けふ[今日]  この日・本日・きょう
  みれ[見る]  [他マ上一・已然形]目に留める・眺める・理解する
  ば[接続助詞]  [単純接続]〜すると・〜したところ  已然形につく
 うべもこひけり[諾母戀来]  
  うべも[宜も]  ほんとうに・なるほど・当然
   [成立ち]副詞「うべ」に、係助詞「も」
  こひ[恋(こ)ふ]  [他ハ上二・連用形]思い慕う・懐かしく思う・恋慕する 
  けり[助動詞・けり]  [過去・終止形]〜たのだ・〜たなあ  連用形につく
 やまかはきよみ[山川清見]
  やまかは[山川]  山と川・山の神と川の神
[注]「やまかは」は、山と川が並列であるが、「やまがは」と濁ると、山は川を修飾する
  きよみ[清し]  [形ク・語幹「きよ」に接尾語「み」]
 (風景が)きれいだ・澄んでいる
 

 形容詞の語幹に接尾語「み」で、名詞をつくる
 掲題歌トップへ


 昨日[2013年8月17日]宿題】[
底本・諸本が、そろって「目」と記されいるのを
戦前の言語学者・国語学者である橋本進吉博士の説、「自」の誤写説
それが今では、通説となっているが
その説が一般的になる前の『万葉集古義』の鹿持雅澄は、
どのように解釈しているか気になって、今日吉野宮滝に行く途中
明日香万葉文化館でその原文を確認してきた

本(もと)の二句は、増(まさり)をいはむ料の序なり、○「弥日異(いやひけに)」は、「弥日異来経(いやひけ)に」にて、日々に弥(いよ)といはむが如し、○「在勝申目(ありかてましも)」(申の字、古写本、拾穂本等には、甲と作れど、「甲目(かも)」にては非じ、)は、「在難(ありかて)ましにて、「目(も)」は歎息の辞なり、なほ二巻内大臣歌に、王匣(たまくしげ)云々有勝麻之目(ありかてましも)、とあるにつきて、委註り、○歌意は、かく日に日に恋しく思ふ心の弥uらば、つひには在ながらふること、難からましを、となり


ここで雅澄がいう「玉櫛笥云々有勝麻之目」と例を引いているが
これは、巻第二−94、藤原鎌足が鏡女王に贈った歌のこと
その原文にも諸本では「目」だというのが根拠だといっているのは
〔2711〕歌が、底本・諸本すべて「目」であり、それが「自」の誤写だという緒論があって
そのために、それを否定するように、「目」とする用例もあるぞ、という意味なのだろう
しかし、その〔94〕歌も、今では「自」が通説になっている
それには、〔2711〕の場合と違って、〔94〕歌には
「元暦校本」において「自」と記されていることから、
すんなり「自」に拠るようになったのでは、と素人考えで思う

そして、歌意において、「目(も)」であれば、
私の頭ではどうにも理解できなかった末句も
「出来る・耐える」の意味の補助動詞の「
かつ」ではなく
「容易でない・難しい」という逆の意味になる「形容詞・
難(かた)し」だとする
それだと、確かに歌意としては、同じようになる

当代の大学者でも、やはり古代語の品詞には、手を焼いているのが...面白い










 「かわすことばは、時を超えて」...小異歌こそ...
 「紛れもない相聞」

【歌意】2433
 
想い慕っているあの娘だけど、どうしても逢えないために
この宇治川の水に、むなしく裾を濡らしてしまった
 
【歌意】2714
 
逢うこともない、あなたのために
むなしい願いとは知りながら
この川の渡瀬で...あなたを待っていて、
大切な裳までも濡らしてしまいました


この二首、小異歌とされていて
〔2433〕歌が人麻呂歌集からの歌であることから
その歌を元にして、〔2714〕が、歌われたのでは、という説もある
それに、大方の歌意でも、〔2433〕が、少々矛盾を抱えているので
その手直しのように、〔2714〕が歌われたのでは、と

勿論、〔2433〕歌を、男歌として捉え
当時でも、僧侶のように裳を身に付ける男もいた、という説もあり
しかし、そこまでの推測で終っている

私は、いつも思うことがある
小異歌というのは、確かに「元歌」に、ちょっと手を加えた感じがするが
それで「小異歌」という「レッテル」を単純に貼るのもおかしいと思う

いつも思ってきた
私が思う「相聞」というのは
限られた文字数の中で、二人が「少しの字句」をいじって交換する
その歌の遣り取りこそ、「相聞」に相応しいのでは、と

その目で見ると、この歌もまさしく「相聞」の呈を見せてくれる

男は、一説のように「僧侶」かもしれない
あるいは、そのような立場の者か...
だから、どうしても当たり前に、慕う娘との交際は出来ない
宇治川に佇み、裳を濡らしながらも、嘆き...それでも想いは募る一方だ

返す歌では、女がその川で、逢えるかもしれない、と待っている様子を詠う
夢中で待っていたために、いつの間にか、大切な玉藻まで濡らしてしまう
そのことに気づかないほど...ひたすら、逢いたいと思いながら...

この二首の二人...私としては、単に「小異歌」と決め付けるのではなく
歌そのものの拡がるイメージを追い求めれば
これも「唱和」し得る「歌」だと思う

二人が、同時代の時間に生きていなくても
それこそ「人麻呂歌集」に載る「歌」に感じ入った女性が
その歌に時空を超えて「返歌」を捧げる...それもいいではないか、と思う

考えてみれば、私だって同じようなことをしている

万葉集の一首一首から、それと対話するように「一日一首」を行っている
同じことを、万葉人が考えても不思議ではない

似通った歌の語句を少し変えて、まさに立場を変えての交換もある
私は、それが「相聞」ではないかと思っている
 



掲載日:2013.08.19.


  (寄物陳思)
  早敷哉 不相子故 徒 是川瀬 裳襴潤
   はしきやし逢はぬ子ゆゑにいたづらに宇治川の瀬に裳裾濡らしつ
  はしきやし あはぬこゆゑに いたづらに うぢがはのせに もすそぬらしつ
(以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出)   
  【語義・歌意】  巻第十一 2433 寄物陳思 柿本朝臣人麻呂之歌集出 
 
  (寄物陳思)
  愛八師 不相君故 徒尓 此川瀬尓 玉裳沾津
   はしきやし逢はぬ君ゆゑいたづらにこの川の瀬に玉裳濡らしつ
  はしきやし あはぬきみゆゑ いたづらに このかはのせに たまもぬらしつ
  【語義・歌意】  巻第十一 2714 寄物陳思 作者不詳 



 【2433】語義 意味・活用・接続 
 はしきやし[早敷哉] 
 [愛しきやし](「愛(は)し」いとおしい)と思う意から、愛惜・嘆息・追慕などの感動を表す
 [成立ち]形容詞「愛(は)し」の連体形「はしき」に、上代の間投助詞「やし」
 あはぬこゆゑに[不相子故]
  あは[逢ふ・合ふ・会ふ]  [自ハ四・未然形]
 出逢う・対面する・男女が契る・結婚する
  ぬ[助動詞・ず]  [打消し・連体形]〜ない  未然形につく
  こ[子]  人を親しんで呼ぶ語、男から愛する女性に対してが多い
  ゆゑ[故]  (原因・事情・理由)
 〜のために・〜が原因で・〜によって
   このでは、体言または用言の連体形の下に付いて、順接的に原因・理由を表す
   現在の奈良県吉野郡、吉野地方の美称
  に[格助詞]  [原因・理由]〜ので・〜ために  体言につく
 いたづらに[徒]
  いたづらに[徒ら]  [形動ナリ・連用形]むなしい・はかない・役に立たない
 うぢがはのせに[是川瀬] [左注・是川]  
  うぢがは[宇治川] 琵琶湖より発した瀬田川が京都府に入って宇治川になる
  せ[瀬]  川の水が浅い所(浅瀬)・流れの速い所(早瀬)
  に[格助詞]  [位置]〜に・〜で  体言につく
 もすそぬらしつ[裳襴潤][左注・裳
  もすそ[裳裾]  裳の裾・衣の裾
  ぬらし[濡らす][左注・潤]  意味としては、「濡らす」、だろうが....
  つ[助動詞・つ]  [完了・終止形]
 〜てしまう・〜てしまった
 連用形につく
 掲題歌トップへ

 【2714】語義 意味・活用・接続 
 あはぬきみゆゑ[不相君故] 
  〔2433〕の「子」を「君」に詠み代えたもの
 このかはのせに[此川瀬尓]
  ここでは「是」ではなく「此」なので、「是」、「氏」の音通はなし、ということか
 たまもぬらしつ[玉裳沾津]
  たま[玉]  美しいものの形容
  ぬらしつ [左注・潤
 掲題歌トップへ


 【左注】
是川
原文の「是川」が、なぜ「宇治川」の訓になるのか不思議だった
この前後の数首の歌でも、「是川」表記で「宇治川」と訓じている
『万葉集古義』では、どうだろう、調べてみる
と、いってもこの歌...やはり手許にないので、また明日香通いだ
一応の『万葉集古義』の訓では「このかはの」になっている
現在では、「是」と「氏」が音通することから「宇治川(うぢがは)の」が通説だという
...また、悩ましい...「是」と「氏」の「音通」...「是」も「うぢ」と訓じたのか
鹿持雅澄は、何と説明しているのだろう...彼は「このかは」と訓むが...

 
「裳」は、上代、女子が腰から下にまとった衣服
従って、この歌で「裳」の裾を濡らすのが「女」であるなら
第二句の「子」と詠い、男が呼び掛けるのと、矛盾する...という説もある
「裳」が女性の衣服と限らず、僧侶など一部の男も似たものを着ることから
その矛盾を、問題にしない説が多いが...そうなると、作者は僧侶に限りなく近いのか

矛盾説では、「柿本朝臣人麻呂歌集」の性質上、採録歌の伝誦過程で
その矛盾を解消すべく、小異歌とされる〔2714〕で、「子」を「君」に代えた、という
これも、『万葉集古義』では、どんな説明をしているか、楽しみだ
 
「ぬらし」の品詞が、どうも解らない
「ぬらす」という動詞が見当たらない
「自動詞ラ行下二段」の「濡(ぬ)る」の意味で、「水などがつく・濡れる」
その意味で、歌意にも矛盾はないはずだが、「下二段」だと、
次にくる完了の助動詞「つ」につながるためには
「濡る」の連用形でなければならない
しかし、「下二段」の連用形だと、「
ぬれつ」となってしまう
しかも、「ぬらし」ではないので、この歌の訓のようにはならない...
「ぬらす」という四段の動詞であれば、連用形「ぬらし」になるのだが...

また私の理解不足のせいで、手間取ってしまった...これも宿題だ
上代には、「四段活用」もあったのかな...

『万葉集古義』の訓をみてみれば
この部分、「もすそぬらしつ」が「ものすそぬれぬ」と訓じられている
それだと、「濡る」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」がついて、すんなりするが
ただし、小異歌の〔2714〕では、鹿持雅澄も「ぬらしつ」と訓じている
「ぬらし」が意味としては理解できても
その品詞となると...やはり明日香に行かなければ...

もうひとつ、私の古語辞典が「詳細」ではないのかもしれないが...
 
【結果】[2013年8月23日掲載]  






 「みごもり」...秘める人...
 「かなしい言葉だ」

【歌意】2716
 
青々と茂った山に、
岩でまるで垣根のように囲まれた沼の水
そこから流れ出ないような奥深くひっそりとした佇まい
そのように、わたしのこころの奥深くで
ひそかに想い続けていくのだろうか...
逢うことも叶わないのだから...
 

隠り沼の水のように
どこへ流れることもなく...
人には語ることも出来ない、この秘かな想い

相手は、この「隠り沼」のあることを知っているのだろうか
私のことを、知っているのだろうか...
それとも、相手の男の立場から、こうせざるを得なかったのか...

逢うことが叶わずとも、想い続けていくことは
この時代でも、「想い」のひとつの「形」だったのだ、とあらためて思う


隠り沼の「水」...「みごもり」とは...なんと哀しいことなのだろう
 




掲載日:2013.08.20.


  (寄物陳思)
  青山之 石垣沼間乃 水隠尓 戀哉<将>度 相縁乎無
   青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ
  あをやまの いはかきぬまの みごもりに こひやわたらむ あふよしをなみ
【語義・歌意】  巻第十一 2716 寄物陳思 作者不詳 


 【2716】語義 意味・活用・接続 
 あをやまの[青山之] 
  あをやま[青山]  青々と草木の茂った山
 いはかきぬまの[石垣沼間乃]
  いはかきぬま[岩垣沼の]  隠り]の序詞となって、人目を憚って・心の中で、の意
 みごもりに[水隠尓]
  みごもり[水隠り  (「みこもり」とも)胸に秘めて人に語らないこと
  に[格助詞]  [比況]〜のように  体言につく
 こひわたら戀哉<将>度][係助詞] [左注・<将>]  
  こひ[恋ふ]  [他ハ上二・連用形]思い慕う・恋慕する
  や[係助詞]  [疑問]〜か
  わたら[渡る]  [自ラ四・未然形](動詞の連用形の下について)
 時間的に「ずっと〜続ける」の意を表す
   
  む[助動詞・む]  [推量・意志・連体形]〜つもりだ  未然形につく
 あふよし[相縁乎無]
  あふ[会ふ・逢ふ]  [自ハ四・連体形]
 出逢う・対面する・男女が契る・結婚する
  よし[由・縁]  手段・方法
  を[間投助詞]  〜を〜み]〜が〜ので  体言につく
  なみ[無み]  ないために・ないので 
   [成立ち]形容詞「無し」の語幹「な」に、原因・理由を表す接尾語「み」
 掲題歌トップへ

 【左注】
底本には「将」の字はないが、「嘉暦伝承本」、「類聚古集」などの諸本に拠るもの
『万葉集古義』も、それに倣っているが、鹿持雅澄の説明を見てみたい
仮に「将」がなければ、こんな訓になるのかな、「恋哉渡・こひやわたる」
「意志」がなくなって、「
恋しさが続くだろうか」...
でも...文字数が足りない

これも、明日香での宿題だ
 
【結果】[2013年8月23日掲載   
 




 「流れ、過ごせぬ」...忘れ得ぬ人...
 「遠くはなれるのは、何故」

【歌意】2720
 
奥深い、人里離れた山にいて
木の葉に隠れるようにして流れる水のように
そのように、見え隠れするあなたの「うわさ」ばかりを聞いたために
それ以来、いつもあなたを忘れることが出来ずにいます
 

奥深い山に、作者がいるのかどうか解らない
「木の葉隠れの行く水」を想うための表現だとされるのが普通だろう
しかし、こうした心境を詠えるのは
どこか、人里離れた、奥深さを感じさせる

いっそのこと、山奥にひっそりと暮らしながら
噂を聞く「想い人」のことを、なかなか忘れられずにいる
そんな切なさが、じーんときてしまう

忘れられない、というのは
忘れようとしている「意志」があることだ
ならば、何らかの事情で別れなければならず
「想い人」の住むところから、遠く離れて暮らし始めた...
その心で詠める「歌」だと思う
 



 
掲載日:2013.08.21.


  (寄物陳思)
  奥山之 木葉隠而 行水乃 音聞従 常不所忘
   奥山の木の葉隠れて行く水の音聞きしより常忘らえず
  おくやまの このはがくれて ゆくみづの おとききしより つねわすらえず
【語義・歌意】  巻第十一 2720 寄物陳思 作者不詳 



 【2720】語義 意味・活用・接続 
 おくやまの[奥山之] 
  おくやま[奥山]  人里離れた奥深い山
   [枕詞]の「おくやまの」は、「深き・真木・立つ木」にかかる
 このはがくれて[木葉隠而]
  がくれ[隠る]  [自ラ下二・連用形]隠れる [左注・隠る
  て[接続助詞]  [単純接続・補足]
 〜て・そして・〜のようにして
 連用形につく
 ゆくみづの[行水乃]
    [枕詞]の「ゆくみづの」は、流れて行く水の様子から、
    「過ぐ・とどみ(とどめ)かぬ」にかかる

    ここでは、単に「流れ行く水」の様子を詠ったものだろう
  の[格助詞]   (「枕詞・序詞」の終りであることを示す)
 〜のように
 体言につく
     ここでは、「ゆくみづの」の第三句までが、「音」を起こす序詞となる
 おとききしより[音聞従]
  おと[音]  (「音に聞く・音に聞こゆ」などの形で使われ)噂・評判・風聞
  きき[聞く]  [他カ四・連用形]聞いて心に思う・聞き入れる
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]〜た・〜ていた  連用形につく
  より[格助詞]  [起点・原因・理由]
 〜から・〜のために・〜ので
 連体形につく
 つねわすらえず[常不所忘]
  つね[常・恒]  ふだん・通例・ふつう・あたりまえ・いつも
  わすら[忘る]  [他ラ四・未然形]忘れる・記憶をなくす [左注・忘る
  え[助動詞・ゆ]  [可能・未然形]〜ことができる  未然形につく
  ず[助動詞・ず]  [打消・終止形]〜ない  未然形につく
 掲題歌トップへ


 【左注】
隠る
ここでは、「自動詞ラ変下二段」の連用形「かくれ」で訓じられているが
上代には「自動詞ラ行四段」もあり、その場合の連用形は、「かくり」であり
そう訓じている諸書もある...「接続助詞・て」は連用形につく助詞なので...
『万葉集古義』では、「かくり」としている
 
忘る
「四段活用」の他に「下二段活用」がある
「四段活用」は、おもに上代に用いられた
また、上代では「四段活用」の場合は「意識的に忘れる」、
「下二段活用」の場合は「自然に忘れる」「つい忘れる」の意味に用いられたという
 
 





 「たぎつせに」...かくせはしない...
 「うわさをのく」

【歌意】2727
 
高い山にある岩の根元に、
激しくぶつかりながら流れる川の水のように
そんな目立つような噂に、なるようにはしない
たとえ、この身がどうなろうとも...
この恋心は、秘めておこう
けっして噂になどさせないと...
 

万葉の時代とは、「うわさ」をたてられるようなことを
どうも嫌っている時代なのだろうか
それとも、そうした関係の人たちだからこそ
こうして「歌」を好んで詠むのだろうか...

確かにその点は、現代とは随分違った感覚だとは思うが
あまりにも、こうした「うわさ」に対する頑なな拒否感は
一種の「詠歌の流行」のようにも思える

しかし、仮にそれが「流行」であったとしても
うわさを立てられることに、敏感な男女間の響きが
今でも、すんなり受け入れられることに
むしろ、時代がいくら進んでも、変わらないものだ、と
つくづく思い知らされる

「激つ」川の水...「激流」と書けば、まさにその「字句」の通りのイメージだが
「たぎちゆくみず」となると、「激流」のイメージより
もっと荒々しい、激しさを浮かべてしまう
それを「うわさ」に掛けることが、大騒ぎするほどのうわさのようになるのだろうが
私は、この「激つ」は、もう一つの想い「恋心」にも掛かると思う
この激しい想い故に、うわさになりはしないかと、懸念する

もっとも、だからこそ岩に激しくぶつかる、などの表現になるのだろうけど...

激しい恋心を抱きながら、秘めなければならない二人
恋すれば、どんな人でも、詩人にしてしまうものだ
 

掲載日:2013.08.22.


  (寄物陳思)
  高山之 石本瀧千 逝水之 音尓者不立 戀而雖死
   高山の岩もとたぎち行く水の音には立てじ恋ひて死ぬとも
  たかやまの いはもとたぎち ゆくみづの おとにはたてじ こひてしぬとも
【語義・歌意】  巻第十一 2727 寄物陳思 作者不詳 



 【2727】語義 意味・活用・接続 
 たかやまの[高山之] 上三句が、「音」を起こす「序詞」となっている 
  たかやま[高山]  高い山
  の[格助詞]  [連体修飾語・所在]〜の・〜にある
 いはもとたぎち[石本瀧千]
  いはもと[岩本]  岩の根元・岩の下
  たぎち[激(たぎ)つ]  [自タ四・連用形]水が激しい勢いで流れる・心がいらだつ
 ゆくみづの[行水乃]
  [枕詞]の「ゆくみづの」は、流れて行く水の様子から、
  「過ぐ・とどみ(とどめ)かぬ」にかかる
   ここでは、「たぎち行く水」、激しく岩にぶつかって流れるさま
  の[格助詞]   (「枕詞・序詞」の終りであることを示す)
 〜のように
 体言につく
   ここでは、「ゆくみづの」の第三句までが、「音」を起こす序詞となる
 おとにはたてじ[音尓者不立]
  おと[音]  噂・評判・風聞・音・響き
  には  〜には [成立ち]格助詞「に」+係助詞「は」
  たて[立つ]  [他タ下二・未然形]表面に出す・広く知らせる・噂を立てる
  じ[助動詞・じ]  [打消推量・終止形]〜まい・〜ないつもりだ  未然形につく
 こひてしぬとも[戀而雖死]
  て[接続助詞]  [単純接続]〜て・そして  連用形につく
  しぬ[死ぬ]  [自ナ変・終止形]命を失う・息が絶える・死ぬ
   [参考]ナ行変格活用の動詞は、「死ぬ」、「往(い)ぬ」だけ
  とも[接続助詞]  [逆接の仮定条件]たとえ〜にしても  終止形につく
 掲題歌トップへ









 「したにこふれば」...ゆめさえも...
 「ひとはよわきもの」

【歌意】2728
 
隠り沼のように、内に籠もる恋心に満足できなかったので
つい、人に話してしまった
それは、厳に慎まなければならなかったのに...
 
【歌意】2445
 
隠り沼のように、ひそかに恋してからというもの
どうにもしようがなく
あの娘の名を、つい洩らしてしまった
愚かなことをしたものだ
 

〔2445〕歌が、人麻呂歌集出とある
これもまた、この歌想から後の人が詠んだと思われる類歌として〔2728〕が載る

人麻呂歌集歌は、間違いなく男歌だろうが
〔2728〕歌は...どっちなのだろう
歌意は、いずれも「秘めた恋心」を、そのもどかしさに耐え切れず
つい「名を洩らした」という、今まで私が馴染んできた万葉歌の中では
ちょっと異質な感じの歌だ
昨日も、「死んでも言うまい」という歌に触れたばかりなのに...

ただ、この〔2728〕歌、
近代を代表する歌人で国文学者・窪田空穂(1877〜1967)の「万葉集評釈」では、
〔2445〕と比較して「原歌には苦しさであるのに、これは嬉しさからである」という
恋する喜びを、つい洩らしてしまった、という解釈なのだろう
しかし、この説が用いられているとは思えない
通説では、人麻呂歌集歌と同じように、秘めた恋の辛さに耐えかねて、のような
そんな解釈ばかりだ
私も、そう思う
「嬉しさのあまり」であれば、「隠り沼」などの表現を使うのだろうか...違うと思う

現代では、「嬉しさのあまり」ということも、考えられるだろうが
この時代の「恋歌」は「孤悲歌」であり、近代の歌人の感性と
やはり違うのかなあ、と思った

このところ、巻第十一を丹念に読み続けているが
これも、この巻が「作者不詳歌」ばかりなので
その中に、ひょっとして「大伴家持と笠女郎」の雰囲気に見合う歌があればなあ、と
そんな途方もないことを思いながら続けているが
こじつけて読めば、どれも「二人」に絡む歌と読めなくもない
しかし、また別な魅力も見出している
それは、この巻で拾える「小異歌」や「類歌」だ
その片方が、ほとんど「人麻呂歌集出」というからには
万葉人にとっては、「古き時代の人」の歌になるだろう
その人たちと、時代を超えての「詠い合い」が、妙に心に残る
そんな見方でも、万葉集というのは楽しめることを、最近知った
ある一時代の「歌集」ではなく
数世代に渡って歌を繋ぎ伝えた歌集...紛れもなく、奇跡の歌集だと思う


さて、このところ「宿題」ばかり抱えてしまったが
今日、その一部を明日香の図書館で確認できた
 
掲載日:2013.08.19.掲載分】[是]・[裳]・[潤]
この歌〔2433〕の『万葉集古義』では、「是」についての説明はなかったが
その一首前の〔2432〕歌の解説の「頭注」として、次のような説明があった
千早人
宇治度 速瀬 不相有 後我妻」〔2432〕

和訓栞、萬葉に、宇治川を、是河と書る所あり、前漢地理志にも其事みえ、後漢書、李雲傳の五氏来備の註に、是と氏と通ずるよし見えたり、橘氏の祖神梅宮を、攝家の人の管領するを是定と云ふ、西宮記に、氏定とあると同じ義なり 

つまり、雅澄も「是」と「氏」が音で通ずる、というよりも、
「是」と「氏」が「同じもの」として用いられた例を挙げているだけで
雅澄自らは、だからといって「是川」を「宇治川」とは訓じていない
原文に「宇治」と書かれていれば「うじ」と訓じ、
「是」とあれば、「この」としている
『万葉集古義』を全歌目を通したわけではないが、おそらくそれが彼のルールだろう
それにしても、「前漢地理志」や「後漢書」まで調べるとは...
現代のような優れたデータベースのシステムもなかった時代、大変な作業だと思う
この時代の人は、雲を掴むようなことでも、
とてつもないエネルギーで、立ち向かっていることを、今更ながらに知る

 
 
これを調べると、やはり「中国の文献」にまで及んでしまった
まず、『万葉集古義』では矛盾を指摘されている〔2433〕歌の解説では言及されず
類歌とされる、〔2714〕歌のところで、その「歌意」の中で述べている

歌意は、愛しき君にあはむと思ひて、この川瀬を、辛うしてわたりつるものを、得あはずして、いたづらに玉裳裾を濡しつるが悔しき、となり、此の上に、第二句不相子故(あはぬこゆゑに)、尾句裳襴沾(ものすそぬれぬ)、とかはれるのみにて、全同歌を載たり、彼は男の歌にて、此れは女の歌と聞ゆ、歌の様を考るに、男のとせる方、さもあるべくおぼゆ 

上代の万葉歌どころか、江戸末期の日本語さえ、私には難しい
ここで、雅澄がいうのは...多分
〔2433〕歌では、男が裳を濡らすか、という大きな矛盾には触れていない
それは、雅澄自身が「矛盾」を感じていないからで
その理由が、ここ〔2714〕歌の歌意に述べられている...と思う
私も同じように考えていたが、でも雅澄は、「裳」についての説明が語られていない

ここで、他の注釈書を幾つか捲ってみた
すると、何故〔2433〕で矛盾を感じていない雅澄が、その部分を
現在では通説になっている「もすそぬらしつ」ではなく
ものすそぬれぬ」と訓じたのか、少しは解った
それは、原文の「裳襴」が、「裳」の中国文献によるものだとすれば
「もすそ」と訓めば、男が着るものではないという、発想につながり
だから、第二句で「不相子故」とは矛盾する、となるものを
しかし、人麻呂歌集のこの歌、「も」を「裳」にあて、「すそ」を「襴」にしているが
果たして、それを「もすそ」と訓じたものかどうか、と根本的な問題があったようだ
中国の文献では、「裳」は女性の「裳」ではなく、文選によれば「廉潔の士」の服らしい
だから、表記的には「裳襴潤」が男の歌で「逢はぬ子故に」「裳襴潤」でも矛盾しない
しかし、その場合には、「もすそ」ではなく、「
ものすそ」であるべき、と思ったことだろう
現代では、「子」の誤記もしくは誤写説が一般的だが、そもそもの訓に矛盾の原因があった
だから、雅澄は「誤写・誤記」よりも、「訓」そのものに、異議を唱えたのだろう
もっとも、「ものすそ」とする註釈本もいくつかあるが、不思議と通っていない

 
 
「ぬらしつ」と訓む場合の、活用が解らなかった
しかし、私の古語辞典には載っていなかったが
明日香の図書館で調べたら、
「濡(ぬ)れ」下二段活用で、「水分にまみれる」とあった
まさに、意味としては「濡れる」ことだが
「濡らし」は、この「濡れ」の他動詞形とあり、そこまでしか説明がなかったが
ならば、「濡らし」の他動詞の活用は、四段活用なのだろうか...やはり、まだ解らない
意味は解っても、活用が理解できないとは...まだまだ理解力が足りない
 
 
掲載日:2013.08.20.掲載分】[戀哉<将>度] 
残念ながら、『万葉集古義』では、「将」の字がなくても「こひやわたらむ」であり
しかも、そのことについての解説はなかった
宿題未決にしておこう
 
 

掲載日:2013.08.23.


  (寄物陳思)
  隠沼乃 下尓戀者 飽不足 人尓語都 可忌物乎
   隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを
  こもりぬの したにこふれば あきだらず ひとにかたりつ いむべきものを
【語義・歌意】  巻第十一 2728 寄物陳思 作者不詳 
 
  隠沼 従裏戀者 無乏 妹名告 忌物矣
   隠り沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌むべきものを
  こもりぬの したゆこふれば すべをなみ いもがなのりつ いむべきものを
(以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出)  
語義・歌意】  巻第十一 2445 寄物陳思 柿本朝臣人麻呂之歌集出 



 【2728】語義 意味・活用・接続 
 こもりぬの[隠沼乃]
  [枕詞]「隠り沼」が草などの下にあって見えないことから、「下」に掛かる

   和歌では、やり場のない鬱々とした心情にたとえる
 したにこふれば[下尓戀者]
  した[下]  心の中・内心
  に[格助詞]  [位置](空間的な場所を表す)〜に・〜で
  こふれ[恋ふ]  [他ハ上二・已然形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する
  ば[接続助詞]  [順接の確定条件]〜ので・〜だから  已然形につく
 あきだら[飽不足]
  あきだら[飽き足る]  [自ラ四・未然形]十分に満足する
  [参考]下に打消の語を伴い、「あきだらぬ・あきだら」の形で用いられることが多い
 ひとにかたりつ[人尓語都]
  に[格助詞]  [相手・動作の対象]〜に  体言につく
  かたり[語る]  [他ラ四・連用形]話して聞かせる・いう
  つ[助動詞・つ]  [完了]〜てしまった・〜てしまう・〜た  連用形につく
 いむべきものを[可忌物乎]
  いむ[忌む・斎む]  [自マ四・終止形]身を清め慎む
  べき[助動詞・べし]  [推量・連体形](義務の意を表す)
 〜なければならない
 終止形につく
  ものを[終助詞]  [詠嘆]〜になあ・〜のだがなあ  連体形につく
 掲題歌トップへ

 【2445】語義 意味・活用・接続 
 したゆこふれば[従裏戀者]
  ゆ[格助詞](上代)  [手段]〜で・〜によって [左注・ゆ  体言につく
  こふれば[恋ふれば]  上〔2728〕既出 
 すべをなみ[無乏]
  すべ[術]  手段・方法・仕方
  を[間投助詞]  〜を〜み]〜が〜ので  体言につく
  なみ[無み]  ないために・ないので
   [成立ち]形容詞「無し」の語幹「な」+原因・理由を表す接尾語「 
 いもがなのりつ[妹名告]
  が[格助詞]  [連体修飾語・所有]〜の [左注・が  体言につく
  なのり[名告る・名乗る]  [自ラ四・連用形]自分の姓名をいう 
  つ[助動詞・つ]  [完了]〜てしまった・〜てしまう・〜た  連用形につく
 いむべきものを[忌物矣]  上〔2728〕既出 
  掲題歌トップへ

 【左注】
「ゆ」は上代では、「る」よりは用例が多く、「る」より古い
中古になると「る」にとってかわられ、わずかに
「聞こゆ・おぼゆ・あらゆる・いはゆる」などの語の一部分として残るだけとなる
また、「ゆ」が「思ふ・聞く」などに付く場合に、「思ほゆ・聞こゆ」などのように、
未然形のア段音がオ段音になることがあり、一語の動詞として扱う
 
この歌に触れて、最初に感じたことは、格助詞「が」は
普通の主語に当る「が」でも、歌意は通じるな、と
その場合には、「こもりぬの したゆこふれば」は「妹」の情況であり
「すべもなみ」は、作者の男が、妹の心情を想像している
そして、その恋の苦しさのあまり、妹が名乗りあげたことを
作者は、「いむべきものを」と、諭すようにいう...
でも、それでは「歌心」には似合わない

しかも、そんな私の邪推を嘲笑うかのように
古語辞典には、こんな解説があった

主語を表す用法では、述語が終止形になることは中古までは決してない。必ず連体形止めや、接続助詞などで後へ続く形になる。現在と同じように終止形となるのは、中世以降である。 

確かに、ここでは「なのりつ」で終止形だ
中古で、「妹」が主語であれば「なのりつる」になるということか...
単純に品詞を理解するといっても、時代時代でその活用の仕方もまた随分と変化しているものだ












 「いたぶるなみに」...みをのせ...
 「想い人となら、と」

【歌意】2745
 
風が激しいので、
激しく荒れ立つ、絶え間のない波のように、
私が恋い慕っているあの人は
私と同じように、私のことを想ってくれているだろうか
 

自分の想いが激しければ激しいほど
同じことを、相手にも求めてしまう


片恋と違って、「相想う」人であれば、尚更その気持ちが強くなる
しかし、同じように不安も付きまとう
こんなに想うのは、私だけなのではないか、と


恋すれば、その深さと相まって、不安も見詰めなければならない
だから、お互いに何度も何度も、確認したがる...
「絶え間のない波」というのは、また、「至福感と不安」の押し寄せる「荒波」
「恋心」という「風」が、強ければ強いほど
その引き起こされる「波」もまた...振幅の大きな「荒波」となる


想いが強ければ、
おそらく、その「不安感」はますます強まり
満ち足りた「恋のひととき」を、苦痛に染めるものかもしれない
 
 
 

掲載日:2013.08.24.


  (寄物陳思)
  風緒痛 甚振浪能 間無 吾念君者 相念濫香
   風をいたみいたぶる波の間なく我が思ふ妹は相思ふらむか
  かぜをいたみ いたぶるなみの あひだなく あがおもふいもは あひおもふらむか
【語義・歌意】  巻第十一 2745 寄物陳思 作者不詳 



 【2745】語義 意味・活用・接続 
 かぜをいたみ[風緒痛]
  を[間投助詞]   〜を〜み]〜が〜ので   体言につく
  いた[甚し]  [形ク・ミ語法]程度が甚だしい・激しい
  [成立ち]形容詞「甚(いた)し」の語幹「いた」+原因・理由を表す接尾語「
 いたぶるなみの[甚振浪能]
  いたぶる[甚振る]  [自ラ四・連体形]激しく揺れ動く・荒れる
   形容詞「甚し」の語幹に動詞「振る」のついたもの
  の[格助詞]  (「枕詞・序詞」の終りであることを示す)
 〜のように
 体言につく
   ここでは、「いたぶるなみの」の第二句までが、「間無」を起こす序詞となる
 あひだなく[間無]
  あひだ[間]  時間的にある範囲内・時間の休止・絶え間
  なく[無し]  [形ク・連用形]存在しない・ない
 あひおもふらむか[相念濫香]
  あひおもふ[相思ふ]  [他ハ四・終止形]互いに思う・思い合う 
  らむ[助動詞・らむ]  [推量・連体形]今頃〜ているだろう  終止形につく
  か[係助詞]  [疑問]〜か  連体形につく
 掲題歌トップへ










 「やむときもなし」...きみをこふらくは...
 「海...風吹く心」

【歌意】2750
 
大きな海に立つ波だって
止む時はあるだろう
でも、あなたを想うこの気持ちは、
決して「止む時」もありません
 

昨日の歌〔2745〕の「波」は、「絶え間」なく...
それが、「風」という「恋」によって、起こされた、荒々しい波「いたぶるなみ」、想い
今日の歌は、その「風」がなく、「波」も起こらないときがあるだろうが
私の「想い」は、やはり、「絶え間」なく「立つ」
そう考えると、似たような語句を使いながらも
その語句の「使命」がまったく違っている

ここでの「波」は「想い」ではなく、平常心の「気持ち」
「風」という語は使われていないが、「風と波」の関係から
「波」が止む時は、「風」が止んでいる時
その「風」に代わる「語」として、「海」があたると思う


大きな「海」は、「風」を受けて「波」を生じさせる
「風」のない「海」とは...「恋」に苦悩することもない、満ち足りた「想い」なのだろう
しかし、自分の「想い」は、そんな「世界」とは違う
いくら「穏やかな」海の世界があろうと
自分の「海の世界」は、常に「いたぶるなみ」が起こっている
言い換えれば、常に「風」が吹き荒れている

「波の立たない海」はあるけれど
「私の想いは常に、止むことなく」波立っている


人に恋する、ということは
そういうものだ...いっときも、止む時はない
 

掲載日:2013.08.25.


  (寄物陳思)
  大海二 立良武浪者 間将有 公二戀等九 止時毛梨
   大き海に立つらむ波は間あらむ君に恋ふらくやむ時もなし
  おほきうみに たつらむなみは あひだあらむ きみにこふらく やむときもなし
【語義・歌意】  巻第十一 2750 寄物陳思 作者不詳 



 【2750】語義 意味・活用・接続 
 おほきうみに[大海二]
  おほき[大き]   [接頭語](名詞に付いて)偉大である・大きいの意を添える
 たつらむなみは[立良武浪者]
  たつ[立つ]  [自タ四・終止形](風・波などが)生じる・起こる・立ち込める
  らむ[助動詞・らむ]  [推量・連体形]〜ているだろう  終止形につく
 あひだあらむ[間将有]
  あひだ[間]  時間的にある範囲内・時間の休止・絶え間
  む[助動詞・む]  [推量・終止形]〜(の)だろう  未然形につく
 きみにこふらく[公二戀等九]
  こふ[恋ふ]  [他ハ上二・終止形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する 
  らく[接尾語](上代)  〜することの意を表す・〜することには [左注・らく
 やむときもなし[止時毛梨]
  も[係助詞]  [強意](下に打消の語を伴って)強める  体言につく
 掲題歌トップへ

 【左注】
らく
形の上では、上二段・下二段・カ変・サ変・ナ変の終止形
上一段の未然形と考えられた形につく
また、助動詞「しむ・つ・ぬ・ゆ」などの終止形と考えられた形にもつく
上接の語を
名詞化するはたらきがあり、中古以降は「おそらく・老いらく」などの語に、
いわば化石化されて残り、現代に至っている
接尾語「く」と補い合い、四段・ラ変の動詞、形容詞、助動詞「けり・り・む・ず」などには、
「く」が付いて名詞化する
この「らく」と「く」との複雑な接続を統一的に説明するため、
接尾語の「あく」という語を想定して、上の語の連体形にこれが付いたとみる説がある








 「想いを届かせ」...願うひとへ...
 「男が募る想いに」

【歌意】2777
 
あしひきの山橘のように
はっきりと色に出して、この恋心を見せたいのに
その想いを、終りにさせようなどと、しないでくれ
 

結句の「八目難為名」の訓から始まって
随分、この解釈に手こずった
何しろ、「否定」の語が続くので
まともに現代語で訳すと...おかしな日本語になってしまう
最後には、強い禁止で、
「恋を終らせるようなことはしないでくれ」と、男の涙の懇願なのだろうか

それとも、男の片恋で
自分の気持ちすら、相手はまともに聞いてくれようとしない
男は、何も隠そうとせず、はっきりと「恋」の宣言をしている
しかし、どうも女性の方が、そう言われるのを避けているような感じもする
いや、きっとそうだろう

ただし、その場合でも男の味方をすれば
女性の方には、それを受け入れられない事情がある、ということかもしれない
男の、あまりの率直な好意に、戸惑っている女性の姿が、浮んできそうだ

こういう歌こそ、女性が男に見せたであろう、その振る舞いの歌があればなあ、と思う


見事な「贈答歌」になると思うのだが...
この辺に、万葉編者の「腕の見せ所」を期待するのは
私が、万葉集に過剰な思い入れをしているからだろうか...
 
 
 
 
掲載日:2013.08.26.


  (寄物陳思)
  足引乃 山橘之 色出而 吾戀南雄 八目難為名
   あしひきの山橘の色に出でて我は恋なむを止め難にすな
  あしひきの やまたちばなの いろにいでて あはこひなむを やめかてにすな
【語義・歌意】  巻第十一 2777 寄物陳思 作者不詳 



 【2777】語義 意味・活用・接続 
 やまたちばなの[山橘之]
  やまたちばな[山橘]藪柑子(やぶこうじ・木の名)の異称
  夏に白い花をつけ、秋に赤い球状の実を結ぶ
 いろにいでて[色出而]
  いろ[色]  顔色・表情・素振り・恋愛 [左注・いろ
  に[格助詞]  [状態]〜に  体言につく
  いで[出づ]  [他ダ下二・連用形]外に出す・表す・口に出していう 
  て[接続助詞]  [単純接続]〜・そして  連用形につく
 あはこひなむを[吾戀南雄]
  なむ[左注・なむ  〜てしまうだろう・(きっと)〜しよう  連用形につく
   [成立ち]完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」
  を[接続助詞]  [逆接]〜のに  連体形につく
 やめかてにすな[八目難為名] [左注・八
  やめ[止む]  [他マ下二・連用形]続いていたことを終りにする・止める
  かてに  〜できなくて・〜しかねて [左注・かてに  連用形につく
  す[為(す)]  [他サ変・終止形]ある動作を行う・ある行為をする
  な[終助詞]  (強い禁止の意)〜するな [左注・な  終止形につく
 掲題歌トップへ

 【左注】
いろ
この歌では、色彩の意味での「色」ではないが、「色の分化」について、古語辞典から...
虹の色は「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の七色だが
古い時代には「あか・あを」の二色だった
「紫・赤・橙・黄」は「あか」、
「緑・青・藍」は「あを」の領域に入る
「橙」は柑橘類の一種の名、「緑」は草木の若芽、「藍・紫」は草の名
これらの語を「〜のような色」と用いて、領域が分化された

なむ
「なむ」を古語辞典で拾い出すと、大別して三つの品詞があった
「係助詞・終助詞・複合の助動詞」で、それぞれ接続する活用形は
係助詞が「連体形」、
終助詞が「未然形」、複合の助動詞が「連用形」につく
この歌の場合、「恋ひ」は、他動詞ハ行上二段活用の「
未然形・連用形」の形だが
終助詞の意味としては、他に対する願望であり、〜してほしい・〜してもらいたい、となる
この歌の意としては、合いそうもないので、複合の助動詞「なむ」として考える
その意味としては、「推量・意志・適当・当然・可能推量・仮定・勧誘」とあり
この歌に沿えば、「意志の伴う推量」ではないか、と思う
 
諸本の原文では「八目難為名」であり、賀茂真淵「万葉考」で、
「八」を「人」誤字とする説がある
かなり新しい部類にはいる注釈書、岩波の「新日本古典文学大系」では
その場合の訓を「ひとめかたみすな」として、字余りの原則に抵触する、と退けている
そもそも、「字余りの原則」が、私にはわからないが...
そして、その注釈書では、「八目」を、
「合・会」などの一字を二字に誤った形ではないか、とする
そこで「合難為名」「会難為名」で、「あひがたくすな」、
あるいは「あひがたみすな」と、その訓を与えて、意味も一応通じる、としている
中西進著「全訳注」では原文をそのまま用いて「やめかてにすな」と訓をあてる
出来るだけ原文に沿うのが、私には好ましく思えるので、「やめかてにすな」を採りたい
ちなみに、『万葉集古義』の鹿持雅澄は、「賀茂真淵」説を採っている

八は人の字の誤なり、難為名は、本居氏、イマスナとよみて、人目いむは、はばかる意なるをもて、難とかけりと見ゆ、といへり、これによるべし

『万葉集古義』の結句は「ひとめいますな」となっている
 
がてに
[成立ち]「出来る・耐える」意の上代の下二段補助動詞「かつ」の未然形「かて」に、
打消の助動詞「ず」の上代の連用形「に」、その「濁音化」したもの
[参考]「かてに」と清音で読むのが本来だが、しだいに形容詞「難(かた)し」の語幹に
格助詞「に」の付いた意と混同され、読み方も「がてに」と濁音化した
 
[参考]同類の禁止の表現には副詞「な」と終助詞「そ」が呼応した「な〜そ」があるが、
その方が穏やかで柔らかい言い方、という
 
 





 「想いは揺れても」...なおも一途に...
 「男の覚悟も...」

【歌意】2793
 
いとしいあの人が、わたしのことを
それほどまでも思ってくれないので
蕾のままであったものが、まさに咲き出そうとしているように
わたしの気持ちも、きっとそうなってしまうだろう
ますます、想いが募ってしまう
 
【歌意】2794
 
じっと一人で堪え、たとえこの恋に死ぬことがあっても
御園生に咲く美しい藍色の花のように
そんな色に出すような素振りなど、見せたりするだろうか
...そんなことは、決してしない

万葉集の魅力のひとつに、作歌時期の不詳、と言うのがあると思う
決して、歌番号順に詠われているのではなく
編者の...何らかの意図の下に編纂されている
大きく部立ての仕分けはあるが、その中でさえ、順不同と言える場合も多い

昨日の歌〔2777〕を読んだ後、今夜の二首を目にしたときは
思わず、苦笑してしまった
昨日の一首と、今夜の二首で、
ある男の「恋」の様を見ることができたからだ

もっとも、それがこの歌集「万葉集」の本意ではないかもしれないが
こうした歌集から、自分に感じさせる「何か」があるとすれば
この「三首」は、私に一人の男の姿を見せてくれた...そうした楽しみ方も、いいはずだ

 我妹子が何とも我れを思はねばふふめる花の穂に咲きぬべし  2793
 隠りには恋ひて死ぬともみ園生の韓藍の花の色に出でめやも  2794
 あしひきの山橘の色に出でて我は恋なむを止め難にすな  2777

あなたは、わたしのことを振り向いてくれないけれど
今にも蕾が花開くように、この想いは、ますます募るばかりです

庭に咲く、美しい鶏頭の花のように
わたしは、たとえ死んでも、そんな素振りは見せませんよ

......でも、それでもやはり、
蕾が必ず花を咲かせるように
わたしは、あなたに想いを伝えたい
どうか、その想いがついえるようなことは...しないでほしい


潔さで自分に酔いしれていた男が
結局は、想いの激しさに、どうしても忘れられず
想う人へ、気持ちを伝える...振り向いてくれ、と

こうした、「物語」が、確かに万葉集には数多くある


現代のように、きちんと検索できるシステムが
万葉の当時あれば、おそらく編集もかなりその「物語性」を織り込んだのではないだろうか
何しろ、膨大な数の資料...
しかも、現代のような「紙」ではなく、木簡の類がほとんどだろう
その中で、このように「歌物語」に成り得る構成の「一首」を選び出すなど
至難の業だと思う


歌番号が付されていれば、まだしも、それがない時代のこと
図書館で古い注釈書の「翻刻版」などを開くと、目当ての歌を探すのに苦労する
歌番号が、いかに役立っているか、実感できる


今、あらためて考えてみると
現在の万葉集には、二種の「歌番号」が存在する
ひとつは、百年ほど前に付けられた「国歌大観番号」
そして、近年の「新国歌大観歌番号」
「新」が編集された意味は、従来の国歌大観での不備を補うためだが
しかし、尚も「旧」が一般的に利用されていることの意味を考えてみる
それは、「歌番号」の本来の「意味」を、「旧」で十分発揮しているからだろう
巻第何の何番歌、で誰でも目当ての歌に行き着く
それが「新」であろうが「旧」であろうが、大筋には影響はなかった
本来の役目である、「歌の検索」が容易にできること...
敢えて、煩わしさを言うなら、
「旧歌番号の何番、あるいは新歌番号の何番」と注がいること


何故「旧」から「新」になったのか、などは必要がなかった
確かに理由はある
「或本に云」とか、左注に記す「歌」など
旧歌番号には番号は無かったが、新歌番号では、それにも付されている
現在のように、きちんと製本にされていると、気づくこともないが
番号なしの歌が列挙されていると、きちんと「一首」を構成している歌に
何故番号が無いのか、不思議に感じるものだ

しかし、本来の目的を充たしている点からすれば、この体制は変わることもないだろう

万葉の当時、重複歌、既出歌の検証が容易でなかったことは理解できる


話を戻すが、歌順に拘らず、あるいは、その番号が掛け離れていようと
私たちが、その歌意を追いかけるとき、不意に出遭う「物語」
それが、まったくの「思い込み」などとは、決して言い切れないことを、理解しておきたい
 

掲載日:2013.08.27.


  (寄物陳思)
  吾妹子之 奈何跡裳吾 不思者 含花之 穂應咲
   我妹子が何とも我れを思はねばふふめる花の穂に咲きぬべし
  わぎもこが なにともわれを おもはねば ふふめるはなの ほにさきぬべし
【語義・歌意】  巻第十一 2793 寄物陳思 作者不詳 
 
  隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八方
   隠りには恋ひて死ぬともみ園生の韓藍の花の色に出でめやも
  こもりには こひてしぬとも みそのふの からあゐのはなの いろにいでめやも
語義・歌意】  巻第十一 2794 寄物陳思 作者不詳 



 【2793】語義 意味・活用・接続 
 なにともわれを[奈何跡裳吾]
  なにと[何と]  [副詞]どうして・なぜ・どのように・どう
  も[係助詞]  [言外暗示]〜さえも・〜でも
 おもはねば[不思者]
  ねば  [順接の確定条件]〜ないので・〜ないから
   [成立ち]打消の助動詞「ず」の已然形「ね」に、接続助詞「ば」 
 ふふめるはなの[含花之]
  ふふめ[含(ふふ)む]  [自マ四・已然形]蕾のままである・花や葉がまだ開ききらない
  る[助動詞・り]  [完了・連体形]〜ている・〜てしまった  已然形につく
 ほにさきぬべし[穂應咲] 
  ほ[左注・ほ  [穂]稲やすすきなどの、花や実の付いた茎の先・槍、刀などの先
[秀]表面に出ること・はっきり目立つこと・また、そのもの
    
  に[格助詞]  [位置](時間的に・空間的に)〜に  体言につく
  さき[咲く]  [自カ四・連用形]花が咲く 
  ぬ[助動詞・ぬ  [完了・終止形]
 必ず〜・確かに〜・〜てしまう
 連用形につく
  べし[助動詞・べし  [推量・終止形]〜そうだ・きっと〜だろう  終止形につく
 掲題歌トップへ


 【2794】語義 意味・活用・接続 
 こもりには[隠庭]
  こもり[隠(こも)り]  隠れていること・ひそむこと・閉じこもること
  には  [成立ち]格助詞「に」+係助詞「は」、〜には・〜ては
 格助詞「に」の意味によって、種々の意味を表す
 こひてしぬとも[戀而死鞆]
  とも[接続助詞]  [逆接の仮定条件]たとえ〜にしても  終止形につく
   [成立ち]接続助詞「と」に係助詞「も」こ 
 みそのふの[三苑原之]
  みそのふ[御園生]  「み」は接頭語、「園生」の敬称・お庭  連用形につく
 からあゐのはなの[鶏冠草花乃] 
  からあゐ[韓藍]  ケイトウ(植物の名)の異名・美しい藍色
 いろにいでめやも[色二出目八方]
  いろ[色]  顔色・表情・素振り・恋愛 
  に[格助詞]  [状態]〜に  体言につく
  いで[出づ]  [他ダ下二・未然形]外に出す・表す・口に出していう 
  めやも[左注・めや  [反語の意を表す]〜だろうか(いや、〜でない) 
  掲題歌トップへ


 【左注】
物の先端など、抜き出て目立つところをいうのが「秀」の原義
稲・すすきなどの、花や実の付いた茎の先をいうときには「穂」をあてるが、語源は同じ
「ほのほ(炎)」は「火の秀」であり、「にほふ(匂ふ)」は、「丹秀ふ」であると考えられる

助動詞「ぬ・べし
完了の助動詞「ぬ」が、他の助動詞とともに用いて、
「なむ・なまし・
ぬべし」などの形になる場合
推量・意志・可能などの意を、「確かに・きっと・必ず」の気持ちで述べる

 
めや
推量の助動詞「む」の已然形「め」が、疑問の助詞「や・か」を伴って、反語の意を表す
 
 







 「花ちれども」...おもひさく...
 「想いは超えて」
【歌意】2795
 
咲く花というのは、どんなに美しく咲いても
必ず、散るものです
でも、わたしの恋心は、けっして果てることはありません

この歌の作者は知っているはずだ
言葉とは裏腹に...「恋心」も、やがて...散り、褪せるもの、と
しかし、それでもこのような断定の表現を許されるのは
それが、「恋心」ゆえのことだから...

いや、作者が知っている、と言うべきではなかった
作者は、まさに「命さえも」と言えるほどの「想い」なのだから

むしろ、この歌に接して受止める側に、「許す」思い遣りがある
笑って聞き流しはしない

「恋心」を譬える歌は数多くある
そして、必ずその命を終える「生」に対して
その「生き物の宿命」を超えるほどの「意志」を、こめて詠う

だからこそ、「恋」に「理性」を説くことが...理屈に合わないことになるのだ
「生物学的な命」を、「超える」ものだから...

掲載日:2013.08.28.


  (寄物陳思)
  開花者 雖過時有 我戀流 心中者 止時毛梨
   咲く花は過ぐる時あれど我が恋ふる心のうちはやむ時もなし
  さくはなは すぐるときあれど わがこふる こころのうちは やむときもなし
【語義・歌意】  巻第十一 2795 寄物陳思 作者不詳 



 【2795】語義 意味・活用・接続 
 すぐるときあれど[雖過時有]
  すぐる[過ぐる]
  (上代語)
 [自ラ四・連体形]過ぎる
  あれ[有り・在り]  [自ラ変・已然形]ある [左注・あれ(ど)
  ど[接続助詞]  [逆接の確定条件]〜のに・〜けれども  已然形につく
 わがこふる[我戀流]
  こふる[恋ふ]  [他ハ上二・連体形]思い慕う・恋慕する・(異性を)恋しく思う
 こころのうちは[心中者]
  こころ[心・情]  精神・意識・気持ち・感情・意志・心構え・思い遣り・情け
  うち[内]  心の中・私事・中の方・その中 
 やむときもなし[止時毛梨]この語は、慣用表現といえる 
  も[係助詞]  [強意](下に打消の語を伴って)強める  体言につく
 掲題歌トップへ



 【左注】
あれど
この歌の「あれど」は、その成り立ちが、ラ変動詞「有り」の已然形「あれ」に、
接続助詞「ど」が付いたものだが
「あれど」の用い方によって、やや意味が違う
「〜
あれど」の形で、「〜ともかくも・〜さておいて」となる
この歌では、「は」がないので、単純に「有る」と言う意味の「あれ」と
接続助詞「ど」で、逆接の確定条件になる
」は、係助詞(目的語にあたる語句をとりたてて提示する)
「特に〜を」のニュアンスがある
 






 「いのちもて」...こひのかてに...
 「知らば知るとも、こそ」

【歌意】2798
 
命がけで恋することは、こんなにも苦しいことか
玉を貫く紐を途切らせるように、
暫くの間、我慢も止めて、思いのままに乱れてみたいものだ...
「死」をも覚悟して...
たとえ、それで人が知り、
この想いが知られるようなことになったとしても...
 
【歌意】2799
 
玉の緒が途切れてような、この恋が
このまま続くのであれば...もう死ぬしかないではないか
二度と逢うこともなく...
 

この二首が、同じ作者なのかどうか解らない
こうやって続いて並ぶのも、偶然なのかもしれない

しかし、この二首には、ドラマの一コマを見せられる
同じような「語句」の連なり...
あまりの「恋」の苦しさに、たとえ人に知られようと、構うものか、と
そんな激情が語られ
次いで、そこまで踏み切ったものの、思うようにならず
このままでは、死ぬしかないではないか、と嘆いている


「玉の緒」という語句は、「玉」を通した「紐」のことで
その「紐」を「絶ゆ」というのは、紐を千切ることなのだろうか
繋がっていた「命」が途絶えてしまう...何とも悲しい表現だ
繋がっているのは、単に自身の「命」というだけではなく
「想う人」に対して、「繋がって」いた「命」なのだろう


「想い」の苦しさから逃れようと、「死」をも厭わなかった
しかし、「覚悟」を見せながらも、再びの慟哭
万葉人の「想い」の凄まじさには、改めて驚くと共に
それでも、人間味の溢れる「弱さ」をも見せてくれる


泣き果てて、そこからまた新しい「恋」が始まる、などとは
決していうまい
渦中の「人」には、まさに「二度とない命がけの恋」なのだから...
そんな若かりし頃...自分を振り返ってみると...寂しいものだ








 


 
掲載日:2013.08.29.

  (寄物陳思)
  生緒尓 念者苦 玉緒乃 絶天乱名 知者知友
   息の緒に思へば苦し玉の緒の絶えて乱れな知らば知るとも
  いきのをに おもへばくるし たまのをの たえてみだれな しらばしるとも
【語義・歌意】  巻第十一 2798 寄物陳思 作者不詳 
 
  玉緒之 絶而有戀之 乱者 死巻耳其 又毛不相為而
   玉の緒の絶えたる恋の乱れなば死なまくのみぞまたも逢はずして
  たまのをの たえたるこひの みだれなば しなまくのみぞ またもあはずして
語義・歌意】  巻第十一 2799 寄物陳思 作者不詳 


 【2798】語義 意味・活用・接続 
 いきのをに[生緒尓]
  いきのを[息の緒]  (「緒」は長く続くものの意) 命
   [参考]普通「息の緒」の形で、「命の綱として・命がけで」の意を表す
  に[格助詞]  [状態・資格]〜として  体言につく
 おもへばくるし[念者苦]
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]愛する・恋しく思う・思案する・悩む
  ば[接続助詞]  [恒常条件]〜するときはいつも・〜すると必ず 左注・ば
  くるし[苦し]  [形シク・終止形]苦しい・いとわしい・不快だ・見苦しい 
 たまのをの[玉緒乃]  命・玉を貫くひも・期間の短いことのたとえ
・すこし・しばらく

[枕詞]玉を貫く緒の状態から、「長し・短し・絶ゆ・乱る・継ぐ・現し心」などにかかる
 たえてみだれな[絶天乱名]
  たえ[絶ゆ]  [自ヤ下二・連用形]絶える・息が絶える・死ぬ・縁が切れる
  て[接続助詞]  [単純接続]〜て・そして  連用形につく
  みだれ[乱る]  [自ラ下二・未然形]平静さを失う・あれこれと思い悩む
  な[終助詞](上代語)  [意志・希望]〜(し)よう・〜(し)たい  未然形につく
 しらばしるとも[知者知友]
  しら[知る]  [自ラ四・未然形]わかる・知る [左注・知る
  ば[接続助詞]  [順接の仮定条件]〜(する)なら・〜だったら  [左注・ば
  しる[知る]  [自ラ下二・終止形]知られる [左注・知る 
  とも[接続助詞]  [逆接の仮定条件]たとえ〜にしても  終止形につく
  [成立ち]接続助詞「と」に係助詞「も」のついたもの 
 掲題歌トップへ

 【2799】語義 意味・活用・接続 
 たまのをの[玉緒之]同上
 たえたるこひの[絶而有戀之]
  たえ[絶ゆ]  [自ヤ下二・連用形]絶える・息が絶える・死ぬ・縁が切れる
  たる[助動詞・たり]  [完了の存続・継続・連体形]〜ている  連用形につく
 みだれなば[乱者]
  みだれ[乱る]  [自ラ下二・連用形]平静さを失う・あれこれと思い悩む
  な[助動詞・ぬ]  [完了・未然形]〜てしまう・〜た  連用形につく
  ば[接続助詞]  [順接の仮定条件]〜(する)なら・〜だったら 左注・ば
 しなまくのみぞ[死巻耳其]
  しな[死ぬ]  [自ナ変・未然形]命を失う・息が絶える・死ぬ
  まく(上代語)  未来の推量を表す・〜だろうこと・〜であろうようなこと
   [成立ち]推量の助動詞「む」のク語法・接続は活用語の未然形につく
  のみ[副助詞]  [限定・強調]〜ばかり・ひたすら〜でいる・〜だけだ
  ぞ[係助詞]  [断定](文末について「断定」の意を表す)〜だ
 またもあはずして[又毛不相為而]
  また[又・亦・復]  もう一度・再び
  も[係助詞]  [強意]〜も (下に打消の語を伴って、強める)
  して[接続助詞]  [単純接続](「ずして」の形の場合) 〜(ない)で・〜(なく)て
 掲題歌トップへ

【左注】
接続助詞「ば」には、三つの用法がある

 順接の仮定条件  〜(する)なら・〜だったら  未然形につく
 順接の確定条件   已然形につく
 原因・理由  〜ので・〜だから 
 単純接続  〜すると・〜したところ 
 恒常条件  〜するときはいつも・〜すると必ず 
 並列・対照  〜(し)て、一方  已然形につく

この歌の場合は、
他動詞ハ行四段「思ふ」の已然形「おもへ」についているので
順接の確定条件[恒常条件]になるのではないかと思う
同じ順接の確定条件でも、「単純接続」では、胸の内の苦しさが薄く感じられる
 
知る 
「知る」の活用は、四つある 

 他動詞ラ行四段  治める・理解する・体験する・世話をする・交際をする
 自動詞ラ行四段   わかる・しる
 自動詞ラ行下二段  知られる 
 他動詞ラ行下二段  知らせる

この歌では「知らば」とあり、その活用は「未然形」に、接続助詞の「ば」となる
「知る」の未然形「知ら」に活用するのは「四段」しかないので
問題は、自動詞か他動詞
「知る」のは、誰なのか...次の「知るとも」でいうように、
自身ではなく他の者が「知る」といっている
他の者が、「知る」なら「知られて」も構わない、ということだから
「自動詞」ではないかと思う
更に、「知るとも」は「知られても」の意味だから、
これは四段ではなく、自動詞下二段の終止形では、と思う






 「いそかひにまじり」...たまにまどふ...
 「本当の姿を見せなければ」

【歌意】2806
 
水底の沈む玉に混じるようにしている磯貝の
その片貝のように、わたしの「片恋」ばかりが
ただただ年月を経過させて行くのでしょう
 
 

水底に混じる「玉」とは、どんな意味なのだろう
「玉」は美しい「物」のたとえ
その中に、自分のような「者」が混じっている
だから、「片恋」と言う意味なのだろうか
決して、目に止められない存在である「私」が
美しい「者」たちに混じっている
このままの状態で、どんどん年月が経ってゆく...

この歌は、「孤悲」に打ちしがれるよりも
自分を客観的に見詰めている歌だ
自分の恋心を詠うのではなく
そんな自分の置かれている状況を、見詰めている

ここ暫く、万葉人の熱い「想い」の語らいや、涙を見せ付けられていると
このような「歌」もあったのか、と素直に驚いてしまう

たぶん、女性が詠ったものだろうが
自分のことを気づいてもくれない、だから悲しい、というのではなく
このまま老いてゆくばかりの自分を、受け入れている...のかな

いや、同じ人の歌で、「でも、わたしは」という歌も、
この巻第十一の中に、あるのかもしれない

「片恋」を詠うものは、この前後の「鮑」などを「片貝」に譬えている
「こひ」と「かひ」の音による用い方だ

見た目は美しくても、その心根までは分からない
次の〔2807〕歌にも、「うつせ貝」という、実の入っていない「貝」もある
それも「玉」に混じった「貝」だろうが
「人は見た目じゃないぞ」と、詠う男がいそうな気もするが...
意識しないと、仮にそういう歌に出会っても
この歌と結び付けられなければ...もったいないことだ
せっかくの「慎ましい」歌なのだから...何とかしてやりたいものだ


 




 
掲載日:2013.08.30.


  (寄物陳思)
  水泳 玉尓接有 礒貝之 獨戀耳 年者經管
   水くくる玉に交じれる磯貝の片恋ひのみに年は経につつ
  みづくくる たまにまじれる いそかひの かたこひのみに としはへにつつ
【語義・歌意】  巻第十一 2806 寄物陳思 作者不詳 



 【2806】語義 意味・活用・接続 
 みづくくる[水泳]
  くくる[潜る]  [自ラ四・連体形](水に)潜る
 たまにまじれる[玉尓接有]
  たま[玉]  宝飾用の美しい玉・完璧なもののたとえ
・涙、露、しずくなどの譬え
  まじれ[混じる]  [自ラ四・已然形](他のものが)入りまじる・まざる
  る[助動詞・り]  [完了・連体形]〜ている・〜てしまった  已然形につく
 いそかひの[礒貝之]
  いそ[磯]  波打ち際で、岩石の多いところ
  かひ[貝]  一般名詞の「貝」だろうが、鮑の一種では、との見解もある
  の[格助詞]  [枕詞・序詞の終り]〜のように  体言につく
 かたこひのみに[獨戀耳]
  かたこひ[片恋]  片想い
  のみ[副助詞]  [限定]〜だけ [左注・のみ  体言につく
  に[格助詞]  [状態・比況]〜のように [左注・に  体言につく
 としはへにつつ[年者經管]
  へ[経(ふ)]  [自ハ下二・連用形]時が経つ・年月が過ぎる・通り過ぎる
  に[格助詞]  [強調]ただもう〜・ひたすら〜
  [左注・強調に
 連用形につく
  つつ[接続助詞]  [反復・継続の意で文末にある場合、余情を込める]〜ことだ
 掲題歌トップへ


【左注】
のみ
副助詞「のみ」の用い方は二種類ある
一つは、他と区別して、それ一つだけ、と限定する意を表する
「限定」[〜だけ]

もう一つは、限定するように強調する意を表する
「強調」[〜ばかり・ただもう〜]


強調の場合で注意が必要なのは、「のみ」が強調するのは前の名詞ではなく、
「のみ」を含んだ節全体を強調している
この歌を例に挙げると、「片恋ひ
ばかり」ではなく
「片恋ひが
年を経ていくばかり」となる
それでは、全体の歌意として少し不自然になってしまうので、ここでは「限定」だと思う

「のみ」の「成立ち」は、格助詞「の」に名詞「身」が付いて出来た語のようだ
「〜の身」から「そのもの自身」であることを、限定・強調する意が生じたといわれている
用例としては、上代には「のみ」がよく使われたものの
平安時代以降、「ばかり」が同じ限定の意味を持つようになり、和文で多用された、とある
そのため、「のみ」は文語体として用いられるようになり、
口語には使われなくなっていった

また、「のみ」の文末用法に由来する
「終助詞」がある
断定・詠嘆の気持ちを込めて限定の意を表する
[〜だけである・〜だけだよ]
 
 
「に」の基本義
「に」には、動作・作用の行われ、
また存在する空間的・時間的な位置や範囲を指示するのが本義
その意味から対象や様態などを表す意や、事柄を対等・対比の関係で示す意などが発生した
さらに、活用語の連体形をとる格助詞の用法から、
前後の語句をつなげる接続助詞の用法が発生した
したがって、本来は単につなげる用法であって、文脈によって順接とも逆接ともなる

格助詞の「に」と「へ」は、どちらも方向を表すが、
古くは「に」は場所、「へ」は方向を表すというように使い分けられていた
だが、鎌倉時代ころから混同されるようになる
しかし、目的地に着いた場合は「に」、
着いていない場合は「へ」を用いる使い分けの傾向は、現代語へも通じている

奈良時代後期から平安時代初期にかけて、
格助詞「に」に接続助詞がついた格助詞「にて」が成立した
「終助詞」の「に」は、平安時代以降は用いられず、上代にも用例は少ない
 
強調に 
格序詞「に」の接続は、体言、活用語の連体形に付くのが基本だが、
動詞の連用形にも付く 
その場合は、格助詞「に」の用法の中の「目的」と「強調」になる
 




 「気は、はやり」...疲れていようと...
 「雲井をめざし」

【歌意】1275
 
遠くの雲の辺りに見える、あの人の家に
早く行き着こう、と思うと...
黒駒よ、疲れているだろうが、一歩一歩でいい、確実に歩んでくれ
 

この歌、少しじっくり味わってみると
いろんなことを思わせてくれる
最初の印象では、愛しいあの人がいる家に、早く着きたいので
「急げ、黒駒よ」と、作者に共鳴して、私も「急げ」と言ってしまうが...

「あゆめ」黒駒、という
「駆けれ」(自動詞ラ行四段「駆ける」・命令形)ではない
気も逸って、馬を「飛ぶように速く走る」意の「駆けれ」を、どうして言わないのだろう

言えないのだ...
「あゆむ」には、手持ちの辞書を拾い出しても
基本は「歩くこと」でしかない
人が「急ぎ足」をするのではなく
疾走することができる「馬」に「あゆめ」と命じている
しかし、「急ぎたいところで」そう命じるのも、不思議なことだ
ならば、命令、というより「懇願」なのではないか
駆けることのできなくなった「馬」に、一歩一歩でいいから、前に進んでくれ、と

そう思わせるのが、「とほくありて、くもゐにみゆる」ではないか
この時点でも、十分馬は疲れるほどの長旅を経てきた
そして、やっと「めざす辺り」の見所まで辿り着いた
しかし、それでもそこへは、まだまだ「遠い」
ただ、これまでの「先の見えない」道のりと違って
「見所」なのだ、ここは
人は、そんなときには何故か「元気」になる

ただ、長旅を共にしてきた「黒駒」はどうだろう
「見所」だからと言って、最後の力を振り絞れるものだろうか...
やはり、男には「黒駒」に「懇願」するしかないのだと思う

俺は、早くあの人のもとへ帰りたい
頼む黒駒よ、一歩ずつ...一緒に前へ進もう...

古語辞典に、こんな用例が載っていた

秋の夜の月毛の駒よ我が恋ふる雲井に駆けれ時のまも見む [源氏物語・明石] 
 秋の夜の月と同音の月毛(赤みがかった毛色)の馬よ、私(光源氏)が恋い慕っている雲の彼方(都に)駆けて行け。(恋しい人=紫の上と)しばしの間でも会おう。


掲載日:2013.08.31.


 行路
  遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒
   遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒
  とほくありて くもゐにみゆる いもがいへに はやくいたらむ あゆめくろこま
    右一首柿本朝臣人麻呂之歌集出
  【語義・歌意】  巻第七 1275 雑歌 柿本人麻呂歌集出 


 【1275】語義 意味・活用・接続 
 とほくありて[遠有而]
  とほく[遠し]  [形ク・連用形]距離や時間が非常に離れている・遠い・疎遠だ
 くもゐにみゆる[雲居尓所見]
  くもゐ[雲居・雲井]  雲・雲のある遠くの空・はるか遠くに離れた場所
  みゆる[見ゆ]  [自ヤ下二・連体形]目に映る・見える・思われる・感じられる
 はやくいたらむ[早将至]
  はやく[早し・速し]  [形ク・連用形]速度が速い・素早い・早い・激しい・急である
  いたら[至る]  [自ラ四・未然形]行き着く・到達する・思い及ぶ
  む[助動詞・む]  [推量・意志・意向・終止形]
 〜よう・〜つもりだ
 未然形につく
 あゆめくろこま[歩黒駒]
  あゆめ[歩む]  [自マ四・命令形]一歩一歩歩く
  くろこま[黒駒]  黒い毛の馬・黒い馬
 掲題歌トップへ

 
 ページトップへ
ことばに惹かれて 万葉集の部屋  書庫一覧 万葉時代の雑学