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  「乱れ恋」古語辞典に載る、名詞...とは

「やますげの」が、枕詞で「乱れ恋」に懸かるとある本にあったので
引いてみると、正確には「乱る」に懸かる
枕詞には、本来語調を整えるだけのもので、意味はないというのと
いや、意味も本来はあった、創出したであろう人麻呂が
短い歌文字のなかで 意味もない言葉を使うわけがない、というものある
実際に枕詞の起こりは分からないが、意味も語調も両方を備える
それでこそ、「想い」を凝縮した「和歌」になるのではないか、と思う

この「やますげの」は、まさにその意味において「乱る」にはぴったりで
根のはりぐあいが、「思い乱れた恋」を容易に思わせる

しかし、古語辞典の「乱れ恋」に
その意味として「思い乱れた恋」とだけしか説明がないのは...
では、「思い乱れて」とは...「乱れ」に「悩む」という意味もあった 
だから、「思い悩む恋」ということなのか...
いずれにしても、「乱れ恋」が、名詞であったことには、驚いた
当時は、歌語にだけ使われているような...そんな気もする
その類の「ことば」も、多かったことだろう...
 

掲載日:2013.04.01.

山菅 乱戀耳 令為乍 不相妹鴨 年經乍
 やますげの みだれこひのみ せしめつつ あはぬいもかも としはへにつつ 
              

 巻第十一 2478 寄物陳思 柿本朝臣人麻呂歌集出  

 

おもわせぶりばかりのあの娘は、いつになったら逢ってくれるのか...

こんなに年も経ってしまった...思い乱れた恋のままに...


「やますげの」は枕詞で、「乱れ」に懸かるものらしいが
菅の根のようにいりくんで「乱れ」る恋ごころ...想像はつく
解きほぐせはしない、こんな想いを、知っているのだろうか、あの娘は...

「為しめ」が、「乱れ恋」、思い乱れる恋ばかりさせて...に、つながる
動詞「す」の未然形に、使役助動詞「しむ」が付き、させる、なさしめるの意味

「かも」は、詠嘆や感動の意もあるが、この場合は、「疑い」の意
逢ってくれるのあろうか...おぼつかない

これほど想い続けて幾年も経ち、疲れた男の嘆き

娘に恨みを抱くのか...恨みはしない、想い続けるのも「恋」...「乱れ恋」 

思わせぶりを、意図的にされたものと感じられれば その想いも、醒めるだろう 

しかし、そうは分かっていても、ついつい信じて待ってしまう 
恋ごころとは、それが「本質」なのではないか、と思う 
正しいか、間違いか、で判断できるのは、よほど冷静になってからのこと 
その冷静さを、失わせるのが、「恋こころ」というものだ 

そして、「歌」に詠めば、すでに自分は「何をすべきか」と 
「乱れ恋」に「道」を見つけたのであろう 

何年経とうが、逢えもできなかろうが、想い続けていこう 

せつない男心だ...



 


  「おもかくさゆる」声も恥らう乙女心

想いがストレートに伝えられるのも歌なら
その想いも告げられずに、詠み偲ぶ...
この時代に、他にこうしたせつなさを吐露する手段は、何があるのだろう
時代に限らず、想いを秘めて何かに残す...
いや、残すことが目的ではなく、図らずも洩らしてしまう心
それが「和歌」のような技術的な制限やルールに捉われず、語り継がれる...
気持ちを収める手段も持たず、ふと漏らす恋ごころの詠歌
「おもかくさゆる」という語感に、顔だけでない
声さえも恥らう、おとめの無垢なこころの響きを感じる
漢字の字面は、確かに「面」となるが...平仮名で「おもてかくさゆる」となると
随分違う感じになる...私だけかもしれない、そんな欲張りな気になるのは...
 

掲載日:2013.04.02.

  對面者 面隠流 物柄尓 継而見巻能 欲公毳
  あひみては おもかくさゆる ものからに つぎてみまくの ほしききみかも 

 巻第十一 2559 正述心緒 作者不詳  

実際にお逢いすると、恥ずかしくて顔を隠してしまうのに

逢わないでいると、しきりに顔を見たいと思うあなた...

おとめごころ...今では、あまり聞かれなくなった
恥じらいと、慕情のつのる、おとめの恋ごころ

「おもがくす」...恥ずかしくて顔をかくす...恥じらい
「ものから」...名詞「もの」に格助詞「から」のついたもので
確定の逆接条件を示す...~であるのに、~ものの...

顔を隠すものの...
「継ぎて」は、続いてや、次に、ではなく
絶えず、の意味になる

形容詞「見まく欲し」で、しきりに見たいと思う、の意になるが
ここで「の」と「き」を置き語調を整えているような気がする

「かも」は詠嘆・感嘆の終助詞...そんな、あなたなのですね 


日本語の表現を漢字に置いたとき、作者はどんな漢字の選び方をするのだろう
自分の細かな心情を、ぴったり表現し、なおも音韻に沿うリズムまで...
あるいは、こうした「歌」の中で、日本語は育ってきたのかもしれない

現代人には現代の美しい「ことば」がある

しかし、その「ことば」の歴史は...こうしたもどかしいほどの表現の時代があった

その中から語り継がれていることを、忘れてはいけない




 


  「ちたびなげきつ」その様を想う

万葉歌を読むとき、あるいは声に出して歌うとき
その歌の場面を想像しながら歌うことが多い
多くの人が、そのようにして、歌の居心地を実感していると思う
この葦垣越しに娘を見かける場面...
初めは躊躇いもなく、通り掛った男が、花の美しい葦の垣根越しの庭に
娘の姿を見かけたものと...それ以来、何度もその家の前を通るのだが...
そんな情況が浮んできた
しかし、以前私がこの歌に接した時は、逆の情況を思い浮かべたものだ 
男は自分の家の庭先から、垣根越しに通りかかった美しい娘を見初める
そして、また一目みたいと毎日のように庭先に佇む...
しかし、その一度切りの姿見が...こうも永く逢えなくなるとは...

この違いが、歌を通して理解できるものかどうか、私には分からない
しかし、このようにして歌を感じ取る側にも
それぞれの心の情況が影響しているのだろう

「ちたびなげきつ」...そこまでの想いを、歌は癒すのか...


掲載日:2013.04.03.

花細 葦垣越尓 直一目 相視之兒故 千遍嘆津
  はなぐはし あしかきごしに ただひとめ あひみしこゆゑ ちたびなげきつ 

 巻第十一 2570 正述心緒 作者不詳  

 

花の美しい、葦の垣根越しに見た娘...

たった一度見ただけなのに、幾度も逢えないことを嘆いてしまう

一度の邂逅がなければ、こんなにも...千遍もの嘆きにはならないのだろうに...

「くはし」は、「細し・美し」と書き、美しい、という意味
名詞に付いて、「花細」は「花の美しい」...

〔1-52〕に「名くはし」とあり、これは次句の吉野の山に続き、
「名の美しい吉野の山」
〔10-1855〕には、青柳之 絲乃細紗、「青柳の細い枝の美しさ」
現代語に通じる「精し・詳し」の意味もある

名詞に「くはし、ぐはし」とつけて歌語を作ると
何だか一端の万葉歌人になったような錯覚をしてしまう

作者の意図から離れたとしても、「ことば」の持つ美しさに惹き込まれるのは
日常を詠いながら、日常ではない「ことば」を選ぶからだろう

しかし、この「美しいことば」も、いずれ忘れ去られていくのだろうか...

万葉の時代から、「古語」として語り継がれる「美しいことば」の数々...
現代歌人にはその現代を詠う役目もあるだろうが
古語の美しさを残し、伝えるのは、なにも学者や研究者ばかりではなく
万葉歌に共感する多くの人たちの願いだと思う 

古典の授業、というと私自身が「寝る時間」のようなものだった

どうして、こんなに奥深い「国語の原点」に、興味が持てなかったのだろう
言葉の意味が解らない、読み辛い...そこでつまずく
しかし、高校生の頃、万葉集と出合えたら...違っていたと思う

歌の言葉が、こんなにも美しいことを...
興味を持てれば、その後に、自然と意味は調べようとするものだ 
まず、美しいことばが、こんなに鏤められている歌集...

日本人が忘れ去らないように祈るしかない




 


  「落書き帳」記録媒体の貴重な時代の...

今でこそ、溢れるようにある紙を使い、書き殴りのようなメモも存分に出来る
しかし、万葉の時代、そしてそれ以前から、古歌や伝承歌を聴きとめた旅人たち
ここでいう「旅人」は、大伴旅人ではなく、中央から地方に派遣された役人
その彼らは、ある意味では「たびびと」でもあったと思う
長い時間をかけて、遠い任地へ赴任する
そこで見聞きする物語や、歌...自然と書き留めたくなるとは思うが...
その手段とは、どんなものだったのだろう
紙などあるわけない...公文書の貴重な文書には津川荒れるだろうが...
手元にいつも置いて書きおく類の...雑記帳のような...

やはり、メモ程度の筆記はあったのではないかと思う
奈良時代以前の万葉の時代...人麻呂も含めて、粗末なものに書き残す
その場合、きちんとした表現...後の清書を意識すれば、メモのようなもの
そう思ったとき、「略体歌」が浮かんできた
そもそも、「略体歌」を、訓み下すなんて、私には無理のように思える
それでも「古訓」が付けられたときは、その推測される「後の歌の読み」が
大きな手掛かりになってきたことだろう

【2572】の歌は、異訓もなく(と思うが)、読める
そして、【2396】に触れたとき、漢字の意味が何となく「2572」と似ている
そう思ったら、この略体歌を、何とか意味に沿って読めそうになる

私だったら、間違いなくそんな方法で、「訓点」の作業をしただろう
膨大な時間と、粘り強い集中力...そうした人たちが、万葉集の「古訓」に挑んだ
しかし江戸時代になっても、まだ全歌の「訓点」作業は終わらず
研究者たちも、幅広く現れ出し、そこで一気に進展するのだが...
 
 
掲載日:2013.04.04.

相見而者 戀名草六跡 人者雖云 見後尓曽毛 戀益家類
 あひみては こひなぐさむと ひとはいへど みてのちにぞも こひまさりける 

 巻第十一 2572 正述心緒 作者不詳  


逢えば恋の苦しさは慰められると、人は言う...

しかし、そんなことあるものか...

逢えば返って、恋しさが募ってしまったではないか


同じこの巻第十一に 【2396】正述心緒 柿本朝臣人麻呂歌集出

  中々 不見有従 相見 戀心 益念
 なかなかにみざりしよりもあひみてはこひしきこころましておもほゆ
 (なかなかに見ざりしよりも相見ては恋しき心まして思ほゆ) 

「なかなかに」は、なまじっか、という意味で
なまじっか、逢えなかったときよりも
逢ってからは、恋しい気持ちが、よりいっそう増したのではないふだろうか

この二首は、内容としては、同じ気持ちを詠ったものだ
しかし、後者の方は、「人麻呂歌集」より載せており
その表記も「略体」で、今日でも、いくつもの「訓」が付けられている

こうした「略体」歌を、「万葉歌」として訓じた平安の歌人たち...苦労したことだろう

「人麻呂歌集の略体歌」を、その表記の過程として
人麻呂作歌、歌集をも合わせた作歌年代史的にとらえ 略体から、歌集の非略体
そして、人麻呂自身の作歌へと表記の展開を見る説が有力とは思うが
私は、ちょっと違う感じを受けた 

それは、万葉人の「落書き帳」だ
この「柿本朝臣人麻呂歌集」は、人麻呂自身のメモ帳のような気がしている
メモとなると、誰もきちんとは文章は書かないものだ

要点になる「ことば」だけを書き残し...
今の私だったら、これだけ紙には不自由していないのだから、と

それこそ、殴り書きで...
すぐに整理しなければ、その文字が理解不能になってしまう、というリスクもあるが
万葉の人たちの時代では、紙はまず一般的ではなっただろうから
何らかの手段で、書き残す...そしてその貴重さの故に、ある程度は簡略化した文体
手っ取り早いのは、助詞を書かずに書き残す

そんな情況ではなかったか、と思えて仕方ない 

350首以上もある「人麻呂歌集」中、その半分以上が、こうした「略体歌」であり
掲題の「2572」歌もまた、こうした「メモ」風歌集に触れた雅人が、借用したとも...

想像だけは、いつも自由に膨らむ...そこが無責任な愛好家の楽しいところかな








 


  「武器に懸ける」想いを打ち払うかのように...
 梓弓 引不許 有者 此有戀 不相
  梓弓引きてゆるさずあらませばかかる恋にはあはざらましを
巻第十一 2510 寄物陳思 柿本朝臣人麻呂歌集出

 同じように、この歌も...
梓弓のように力を漲らせて引く 
その引く力を緩めなかった、これほど苦しい恋には落ちなかったろうに...

「玉桙」、「梓弓」...男が何故か引き合いに出す
いや、引き合いに出すのではなく、想いに合わせて言葉を修飾するのに
当時としては、強力であろう、これらの「武器」
そして、「枕詞」として使われている
もっとも、〔2510〕の方は、「梓弓引きて」までの「序詞」らしい
「枕詞」が五文字であるのに対して、「序詞」は、字数が多くなる
この「序詞が」、「ゆるさず」に懸かる
戦場ならば、決して引きてを緩めたりしない...
なのに、何故...俺は緩めてしまった...

「玉桙」も「梓弓」も、まさに「命」を懸けたものをイメージしてしまう
決して、甘酸っぱい恋ごころ、など...浮びはしない
 

掲載日:2013.04.05.

玉桙 道不行為有者 惻隠 此有戀 不相
 たまほこの みちゆかずあらば ねもころの かかるこひには あらざらましを 


 巻第十一 2397 正述心緒 柿本朝臣人麻呂歌集出  

 

たまほこの道さえ行かなかったら

こんなにも、心底苦しい恋には出会わなかったものを...


たまほこ...枕詞で、「道」や「里」に懸かるものだが
現代人が簡単に、「あの道を」とか言う場合の「あの」...その味気ない指示代名詞に
こうした「枕詞」として表現のイメージを膨らましたのだろうか...
それが、「枕詞」には、あまり拘る意味がない、という教え方にもなっているのだろう
しかし、「和歌」のように数少ない文字数に
五文字も無意味な言葉を使うはずがない、という解釈もあるが...

ならば、「玉桙」というのは、どんな風に...いや、訳語ではなく
どんなイメージを持つことが出来るか、ということになるのかな

それにしても、「桙」のイメージは...両刃の剣のような...玉とくるから
また混乱する...それが、「道」とか「里」に懸かるとは...

「枕詞」...真剣に調べてみよう

あの道で、あの娘に出逢った...それからというもの

何をするにも落ち着かない、自分を見失っている

あの道さえ通らなければ...

このどうにもならない「想い」は、あるいは秘めなければならないものかもしれない

通りで見初め、その苦悩をいきなり抱えたのであれば、その苦悩もまた楽しい
しかし、この歌の段階では、すでにそこを過ぎている
出逢ってはいけない人に...出逢ってしまった...そんな苦悩のような気がする

苦しむしか道のないことと...
犠牲にしなければならないものが多いほど、その「恋」に「命」を預けてしまう

どんな解説書でも、学説として公表すれば、責任が生じる 
気ままに受止めたい

そんな「万葉心」を、これからも万葉人に感じていきたいものだ





 


  「わすれへあらば」と訓めば...

「へ」と訓じられた歌意を浮かべてみると
その浮ぶイメージが随分違う

あの娘の顔を忘れさせる器のようなものがあれば
こんなに情けなく、男らしくない自分ではないのに...

この場合の「へ」は、何かの「物」のようなものなるだろう
忘れさせる「力」のあるもの...
思い出す、「忘れ草」、「恋ひ忘れ貝」...

助詞「と」と訓めば、時を意味し
「へ」となれば、「わすれへ」というものがあれば、と

作者がどう詠唱したか解らないが...
 
掲載日:2013.04.06.

面形之 忘戸在者 小豆鳴 男士物屋 戀乍将居
 おもかたの わするとあらば あづきなく をとこじものや こひつつをらむ 


 巻第十一 2585 正述心緒 作者不詳  


あの顔を、忘れる時があったら

不甲斐ないことに、男である私が、こんなにも恋をしているものか


人を悩まし続ける「恋ひうた」のひびきは
率直に心情を詠ったり、物にたとえたり...


この歌には第二句の「戸」が「左」の誤記ではないか、という説や
「と」「へ」「さ」など、いろいろと訓まれている

それぞれが、研究の成果であることも事実だが
私たちが目に触れる万葉集で、歌意を想うとき、そうした解説まで読んでいたら
ストレートに自分の感情に入り込んではこない

勿論、研究者の解説をないがしろにしてはいけないし、大きな手助けにもなるが
声を出して読んでいると、その語調の受け方が
自分にすんなりと入ってくる場合が多い

忘れてしまった時...面形は顔形のことだろうが
何故、忘れてしまうことがあるのか...

あづきなし...つまらないもの...不甲斐ない自分への嘆きなのか

「じもの」は、そのものでないかのように...
男らしくもないぞ、と

そう、俺は男だもの、その俺がこんなに忘れられないのだから...いい娘なのだ
 

 


  倣ったという「孤悲死なむ」...類歌とは....
 孤悲死牟 後者何為牟 生日之 為社妹乎 欲見為礼
  恋ひ死なむ後は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ
   こひしなむのちはなにせむいけるひのためこそいもをみまくほりすれ
巻第四 563 相聞  大伴百代

この歌が、間違いなく〔2597〕を基にしたことは頷ける
どのテキストを見ても、〔2597〕を倣ったもの、と解釈されている
だから、歌意も同じように「生きている時にこそ、逢いたいのだ」と

どちらの詠歌も、若さを過去に置いて来た者の歌だろうが
こちらの歌の場合、作者が題詞に明記され、読むものを現実の世界と重ねてしまう

伝承歌や古歌の類から、歌人が拾って詠唱することは
この万葉集全般をみても、よくみかける

ある巻では、作者不詳の「古歌」が
別の巻で似たような歌を、作者を明記して載せられているケースも多い
「類歌」とひと括りにされているが...となると、私には解せないのが「歌番号」だ

今日の二首のようにそれぞれに「歌番号」が付記されているのも
これは、一方の作者が解るからだろうか...

一般の万葉集のテキストでは、4516番が最後の歌となるが
「新編国歌大観」のそれは、4540番...つまり24首の差がある
その大きな理由が、左注に載る「ある本に曰はく」
要は、その歌の異伝を載せるのだが、その引用が違いの該当句だけならともかく
一首そのまま載せるとなると、もう別の歌となるのでは...

それが「新編国歌大観」の立場だ
それに、巻第五のように、題詞の中の漢詩文をカウントしたり...

今日のように、「類歌」と読むたびに、いつも思うことだ
もっとも、平安時代以降の注釈書でしか「万葉集」を見られない私たちには

そもそも、その注釈書が付けたであろう歌番号を継いでいるのであって
決して万葉の時代に...原万葉集に、歌番号があったわけではないだろうし...

古写本の誤記の指摘は、諸本を相互に照合すれば、ある程度は気づく
しかし、「歌番号」そのものは...オリジナルではないのだから...
といいつつも、その歌番号がなければ、多くの人が読みこなせないだろう

漢字だけで、改行もなく羅列される「万葉集」を...誰が親しめるだろう


掲載日:2013.04.07.

 

戀死 後何為 吾命 生日社 見幕欲為礼
 こひしなむ のちはなにせむ わがいのち いけるひにこそ みまくほりすれ 
             

 巻第十一 2597 正述心緒 作者不詳  

 

恋ひ...死んだあととは、何になろう

生きている日にこそ...逢いたい、と願うものだ


想いつづけて、死ぬのは辛い

想い続ける中でこそ、逢いたいと思う

死ぬほど恋焦がれるものならば、いっそ死んでも...

死ぬほど好きだよ、といえば...気は紛れるのか

「死」という概念など、一切浮ばない

ただただ、この目の前にいて欲しい...たとえ、言葉はなくても

生きている心の中で...




「なにせむ」...何の意味があるというのか...反語

「わがいのち」には、文字数でいけば「わがいのち」となるが

中には、語調的に「わがいのちの」と「の」を訓じた方がいい、と

戦後直後の諸注釈本に見られる




「見まく欲し」...見まく、将来見ること...しきりに見たい




「こそ」は、他のものを否定して、一つのことを強く強調する係助詞、とある 

生きている日にこそ、と解釈しているが

「生きていなければ」意味がない、という強い気持ちになるだろう 

切羽詰った情況なのかもしれない 病床か、あるいは年齢的なものか...








   





 


  「夢に惑う」...その夢さえも確信できず
 寤香 妹之来座有 夢可毛 吾香惑流 戀之繁尓
  うつつにか妹が来ませる夢にかも我れか惑へる恋の繁きに
   うつつにかいもがきませるいめにかもわれかまとへるこひのしげきに
巻第十二 2929 正述心緒  作者不詳

この歌も、同じように「夢に惑う」
あの娘は、現実にここに来たのだろうか
それとも、それは夢の中で、私が心乱れてしまったのか...恋の激しさのあまり...

この「夢」は「夢そのもの」の確信が持てず、夢の中で「惑う」 
あの娘が来たのは...

しかし、〔2600〕では、「夢」こそが...分からない
夢であるのか、そうでないのか...

夢と現(うつつ)の区別が出来るからこそ、夢は見たいものだが
せめて、夢に見たい、と思うのは、意識の上での想いであって
実際は、夢でも何でもいい、とにかく「見たい、逢いたい」
それが、「恋の繁き」によるものだろう...それほどの...

「夢に惑う」...綺麗な言葉だと思う

現代的な感覚では、不確かなもののイメージで、あまり好まれないだろうが
私は、この語感を気に入っている

「惑う」ことは、何も不謹慎なことばかりではない
「惑う」からころ、人の心は大きな波のように揺れ動かされ
そして、いつも違ったものが見えてくる
「惑わない人」こそ...私には魅力が乏しく思える

もっとも、芯の強い人は、決して「惑う」ことはないだろう、と

そう思うのが普通なのかもしれない

でも、人の魅力の一つに...私は、この「惑う心を持ち」...を付け加えている
それでも、結構芯は強いものだ...そんな大揺れの中でも...「生きる」のだから...
 

掲載日:2013.04.08.

 

夢谷 何鴨不所見 雖所見 吾鴨迷 戀茂尓
 いめにだに なにかもみえぬ みゆれども われかもまとふ こひのしげきに 
            

 巻第十一 2600 正述心緒 作者不詳  

 

せめて、夢に...夢にだけでも見えないのか...

いや、見えていても、私の心の迷いのせいで...

夢の中でさへ...夢を求めているのか...それほど、激しく想っているから...


だに...、せめて...だけでも、という最小限の願望を強調している


見えぬ、見ゆる...

見えないことも、見えることも

見えているのに、見えているかどうか、混乱して...迷う恋の激しさ故に...


夢の中では、不安がさも現実のように現れる

それが、夢であったら、と...いつも思うものだ

しかし、逆の場合は...覚めないで欲しいと思うもの

そんなことを、夢と認識せずに、思うことはない


寝ても起きても、夢うつつとは...

せめて、目の前の姿に...「俺の世界」を想うことだ

それが、夢の中であろうと...「うつつ」であろうと...


激しい恋ごころは、どちらであっても、構いはしない






 


 
 


  「春の夕にひとり」...そこにみるものは...
 宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比登里志於母倍婆
  うらうらに照れる春日にひばり上がり情悲しも独りし思へば
   巻第十九 4316 廿五日作歌一首 大伴家持

題詞に二十五日作歌とあるこの歌の後に、次のような説明がある

「春の日の暮れなずむころ、鳴く鳥の声がある
うら悲しい心は歌でなければ払いさることができない
そこで、このひばりの歌を作って屈折した心をほぐすのである」と


春の夕暮れは、それほど「うら悲しい」ものなのだろうか
春と共に、その夕暮れの柔らかなひかりが...
そこに、鳥の鳴き声が、寂寥感を誘う...そうしたイメージは浮ばないのだが...

この歌の前に載せられている二首と、同じような心象を感じる
多くの官人に囲まれ、宴に歌に興じた家持とは、違う姿を見てしまう
人は、出世すると孤独になるものらしい

よく言われるそのことばも、この時代にもいえることなのだろうか

この数日前には、この時代の実権者、左大臣橘諸兄宅でも詠歌が残る
その官僚としても、おそらく職務ではないのだろうが、詠歌がたしなみならば
この「うらがなし」三首もまた、私人としての歌人家持の...「想い」そのもの

この三首が、人の「ふと」見せる「こころ」を教えてくれる



掲載日:2013.04.09.

 

春野尓 霞多奈ビ伎 宇良悲 許能暮影尓 鴬奈久母
  はるののに かすみたなびき うらがなし
   このゆふかげに うぐひすなくも  4314
   
和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇氣伎 許能由布敝可母
  わがやどの いささむらたけ ふくかぜの
 
   おとのかそけき このゆふへかも  4315


 巻第十九 廿三日依興作歌二首 大伴家持  
 

春...野に霞が棚引いている...、心が哀しい...
夕暮れの、淡い光の中に...鶯も鳴いている...


わが家の笹や、そこに群がる竹に吹く風の音...かすかなその音に
夕暮れの侘しさがいっそう募りそうだ





「霞」が使われるのは、そのもやっとした薄暗さ
そこに、心のはれない様をこめているのだろうか

「うらがなし」...心が悲しい、とある
霞が棚引いているので、うら悲しいのか
それともその「かすみ」を詠じたかったのか...

「かそけし」...私の好きな言葉だ
光や音が、薄れて行き、消えて行く...



かすか、とか、淡い、という言葉よりも、こころに染み入るように...

天平勝宝五年(753)の、この作歌の二年前に
家持は少納言に任じられて、越中から奈良に戻ってきている


地方での暮らしぶりに比べ、その不自由さが...思わず詠ませたものかもしれない


題詞の「興に依りて作る歌」...その「興」とは何だろう...


 
 


  「心砕けるばかりの孤悲」...こひうたの源泉...
 村肝之 情揣而 如此許 余戀良苦乎 不知香安類良武
  むらきもの心砕けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ
   巻第四 723 大伴宿祢家持贈娘子歌七首 

こころが砕けるほど、こんなにも恋慕っていることを
あなたは知らないのだろうか

ここで使われている「戀良苦」の「苦」が
苦しい「恋ごころ」を重ねている、とする解説が多い
単に借音表記の漢字ではなく、苦しい恋ごころの場合

「苦」と表記されるのがほとんどのようだ
これが、なかなか素人には手を出せない専門的な領域なのだろう
借意文字としての表記、借音文字としての表記
それは、研究者たちの積み重ねた見解によるもので
私たちは、一般に訓を読み、そこから歌意を汲み取る

その漢字の「意味」に助けられるのは、現代の「訳文」によることになる

万葉仮名、というものは解る
しかし、万葉仮名が、どのようなルールで使われているのか...
「恋」は苦しいもの、だから、できることなら忘れてしまいたい
一方、この恋ごころを、知って欲しい

動けなくなるほど...立ち止らなければならないほど、打ちひしがれ...
それが「恋歌」のエネルギーなのだと思う
ならば、万葉集に限れば、「孤悲歌」という部立ても欲しいところだ

万葉集では、漢文の影響のよる「相聞」という恋歌
初の勅撰歌集・古今和歌集以降は「恋歌」...

「孤悲」を初めて使った万葉の歌人に、とても強く惹かれてしまう



掲載日:2013.04.10.

何為而 忘物 吾妹子丹 戀益跡 所忘莫苦二
 いかにして わすれるものぞ わぎもこに こひはまされど わすらえなくに 
              

 
巻第十一 2602 正述心緒 作者不詳  


どのようにすれば、忘れられるものなのか

愛する娘への想いは募る一方で、とても忘れられるものではない



忘れようとする意志がある
忘れなければならない...何故だろう
想いを伝えるのも、あるいは、それがならぬ「孤悲」ゆえに...なのか



人は、ある時期、恋すること自体に喜びを持つ
それが、抑えられるうちは、憧れのように慕い
抑えられなくなると、いかにして告げようか、と苦悶する



しかし...その恋は、まだ答えがないもの...

忘れなければ、忘れようと言う苦悩の意志は...何故だろう

そんな時、人は立ち止る

立ち止るからこそ...詠える



想いのたけを注いで、叫ぶように詠う


第二句に「忘るるものそ」という訓もある
この場合の「忘るる」は...意志ではなく、自然に忘却していくこと
忘れられたら...いいのだが


第五句の「え」は可能...忘れるなどできはしない




 




 


  「自分のこころを観る」...作者不詳歌の響き...
 吾情 湯谷絶谷 浮蓴 邊毛奥毛 依勝益士
    我が心ゆたにたゆたに浮蓴辺にも沖にも寄りかつましじ
   巻第七 譬喩歌 寄草 1356 作者不詳 

万葉集四千五百首余の内、そのほぼ半数の二千二百首ほどが「作者不詳歌」
この「作者不詳」という印象から、誰がいつ詠んだのか解らない
そう思うのが自然なのだろうが、私には一概にそうとは言えないように思える

これだけの大書...四千五百首を載せる歌集など、他にはまずないだろう
そして、記録媒体もおぼつかなく
尚且つ自分たちが普段語らっている言葉の表現すら
表記するのが困難であった時代...中国の漢字を「音訓」ともに借用して表記する

そこに、どれほど作者の「こころ」が満足して詠うことが出来たのだろう
漢籍にも通じ、漢字にも使い慣れているものは、特に官僚たちは
公の場で「歌」を披露することは、それほど苦でもなかったはずだ

しかし、漢字を思うように書けなかったものたち
あるいは、「音」だけなら何とか書ける...そういう人たちも多かったことだろう

なまじ漢字の用法を知っているものと違って、技巧的な詠歌は出来なくても
こころそのままの歌を詠ずることはできた

それを、身近なものたちのなかに、書き留めておくことがあったとしたら
作者不詳歌といっても、必ずしも、どこの誰か解らない、のではなく
名を馳せた歌人たちとは違う、でも身元は解る
そんな普通の人たちの「作者不詳歌」もあると思う

掲題の歌「我が心」...
これほど自分の心を客観的に見詰めることができる人ならば
その豊かな感性を、「歌のことば」に置くことも、そして詠むことを頷ける

「ゆたにたゆたに」...原義の「ゆた」も「たゆた」も、のんびりしている様
そこで重なり合うことから、ゆらゆらと漂い動いて、気持ちの定まらない様をいう

「ぬなは」(スイレン科ジュンサイ)...沼や池の水面に浮く
自分の心は、この「ぬなは」のようにゆらゆらと漂い
辺にも沖にも...自分の意志ではどうにもならない、ゆらゆらとして... 

普段使っていることばが、どのように書き表現できるか...
今では想像もつかない時代だったのだろう

作者不詳の歌も、中にはその人の人間性にまで思い巡らせる「歌」も多い 
これからも、もっともっとそれらの歌に出会いたいものだ

 

掲載日:2013.04.11.

遠有跡 公衣戀流 玉桙乃 里人皆尓 吾戀八方
  とほくあれど きみにぞこふる たまほこの さとひとみなに あれこひめやも 
            

 巻第十一 2603 正述心緒 作者不詳   

遠くにいらっしゃるけれど、あなただけを想っています

この里の人になど、どうして想うことがあるでしょう


万葉の時代の、村人たちの恋愛というものが
現代とは違って、ごく限られた範囲でのものであったことは
容易に想像できる

同じ村人同士の恋愛は、自然な成り行きだとは思うが
この歌のように、他所の男を慕ってしまった娘の心は
おそらく実ることはないのだろう...そんな気がする

だから、訴えている...訴え続けている
決して、遠くにいるからといって、あなたを忘れたりしない
里の人たちへ、どうして私が恋などするものか、と


「作者不詳」の万葉歌は、いろいろとその情景を浮かべさせてくれる
官吏による歌でもなく、その歌の背景が掴めないからだ


一つの想像では、その村を通りすがった地方の役人
あるいは中央から派遣されて、また他の村へ赴任していった役人

それでも、いっときは触れ合う時もあったことだろう
だから、その想いは褪せることなく、離れていればそれだけ募ってしまう




そして、こんな情景も浮ぶ
村同士の何かの行事があり、そこで知り合って、恋に落ちる...
たまには、逢えることもある

だから、娘はよそ見もしないで待つ...そばで触れ合うことができなくても...




当時は、里の者ではないよそ者を、恋愛の対象として想うことが
村人たちから見て、どうだったのだろう...






 




 


  「夢に見ゆ片恋」...通念に頼る...
 多妣尓伊仁思 吉美志毛都藝テ 伊米尓美由 安我加多孤悲乃 思氣家礼婆可聞
    旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも
   巻第十七 更贈越中國歌二首 3951 坂上郎女 

旅に出て行ったあなたが、夢に続けて現れますように...
こんなに想いが強いのですから...

この歌そのものでは、旅立つ愛しい人との哀しみの別れを感じさせる
強く想えば想うほど、夢に見ることができる...そんな通念に頼って... 
ここでいう「愛しい相手」というのは、大伴家持になるのだが...

ここに「片恋」という...実ることのない「恋」
この歌は、現代の感覚で考えると、非常に微妙な歌になる
作者の「坂上郎女」は、家持の父・旅人の異母妹であり
家持の正妻である、坂上大嬢の母親にあたる人だ

つまり、家持の義母であり、叔母でもある

家持が父・旅人と大宰府時代
そのとき、旅人の妻、家持の母が亡くなって
その世話のために都から異母妹の坂上郎女が大宰府にやってきた
家持は、その頃から叔母の手ほどきで「和歌」の心を培い育ってゆく

旅人が大納言となり都に戻り、そして半年後にその生涯を終えるが
このときから、由緒ある佐保大納言家である大伴氏族を束ねたのが
この坂上郎女だと言われている

この歌のように、現実的とは思えない詠歌は
きっと、家持たち大伴一族の家風めいた「歌の世界」の継承を物語るものか
そんな気がしてならない
家持ほど、多くの女性たちと恋の歌を交わした万葉の歌人はいないだろう
かといって、それがすべて実際の戯れか、といえば、そうでもないはずだ

「歌」という、一つの文芸に対して、家風としての継承が見られる
そう見ないと、叔母の歌や、家持の歌を、どう理解すればいいのだろう
ましてや、この「万葉集」の編纂に関わった人たちに、
大きな影響を与えたのは、
間違いなく、この家持だろうが...
その自身の無節操ぶりを晒すようなこと
にもなる

それが事実であれば、まず出来ないことだ
そのことからも、「恋ごころ」はこんなものなんだよ
というように、それは人の持つもっとも純粋なこころだから
それを、詠い表現したのだろう...大伴家の家風として...
 
 
掲載日:2013.04.12.

心乎之 君尓奉跡 念有者 縦比来者 戀乍乎将有
  こころをしきみにまつるとおもへれば よしこのころはこひつつをあらむ 

             

 巻第十一 2608 正述心緒 作者不詳  
 

私のこころは、あなたに捧げているのですから
このまましばらくは、慕うだけにしておきましょう...

この情況は、なかなか掴みにくい
報われない恋を見詰めているのか...
それとも、ながい時を経て、おそらく思うように逢えない人へ
それでも自分の気持ちを落ち着かせているのか

「よしこのころは」...もう、こうなったらしばらくは...
ここまでの過程で、ある程度の覚悟をもたらせている...何だろう、それは...
「こひつつをあらむ」の「を」は感動や詠嘆の「間投助詞」で
意志の文中に用いられている場合は、嘆くような気持ちを強めている

慕うだけで、我慢しましょう...もうそれしか、ないのでしょうし... 

歌はイメージの世界を後世に残してくれる
それが、具体的な誰と誰、とか
誰がいつ、どうしたのか、などと容易く想像できる世界もあれば
この歌のように、さまざまなことを思い浮かべては、自分の心情に寄せる

だから、同じ歌でも、読む者のそのときの心情で、意味が異なることもある
いや、意味というのはおかしいかもしれない

そもそも、作者の歌意を知ることなど、今となっては困難なことだろうし
何より、すでに作者の手から離れて多くの人に触れてからは
すでに、意味というものは「一つ」ではなくなっている...はずだ

それが、「歌の世界」だと思う
いくらその詠歌によって、作者に共感しても
よく考えてみれば、それはそのときの自分自身への共感になってしまう

共感のもてないものへ、人はこころを響かせない

歌に心を寄せるのは...自分自身への共感に他ならない

そして、人の心は...良くも悪くも...うつろうものだ


 









  「うぐひす」..鳴き、飛翔れ...
 百濟野乃 芽古枝尓 待春跡 居之鴬 鳴尓鶏鵡鴨
  百済野の萩の古枝に春待つと居りし鴬鳴きにけむかも
   巻第八 春雑歌 1435 山部赤人 

百済野の萩の古枝...霜に枯れた枝...
冬の間、鶯は藪の下枝を伝って笹鳴きして過ごすらしい
それを萩の古枝において春を待つ、という情景が素直に浮んでくる
そして、時を得ていよいよ囀り始める...鳴け、翔べ

「人麿は、赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麿が下に立たむことかたくなむありける」古今和歌集仮名序・紀貫之

柿本人麻呂と、この赤人は、このように後の古今和歌集「仮名序」でも
「歌聖」として同等の評価をされていながら、二人とも史書にはその名は見えない
下級官僚の故だと、言われているが
名門家の大伴家持は、「山柿の門」と万葉集の中の漢文に残している
それ故に、古今和歌集「仮名序」に名を出したのかもしれない

〔3937〕は、元暦校本にのみ、第四句に「今者登羽布久」と原文にあり

「新編古典文学全集」では、それに基づき「今はと羽振く」と読んでいるが
その元暦校本でも、訓では「いまはなくらむ」となっている

古来より万葉集の訓をつける作業の難しさを知ることができる
 
 
掲載日:2013.04.13.


 安之比奇能 山谷古延テ 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具比須乃許恵
   あしひきの やまたにこえて のづかさに いまはなくらむ うぐひすのこゑ 
             

 巻第十七 3937 山部宿祢赤人詠春鴬歌一首  

 

山を越え、谷を渡りやってきて

今は、野の小高いところで鳴いていることだろう、鶯のその声よ


「のづかさ」...野阜、野司...野の中の小高いところ

「らむ」助動詞...現在の事実について、想像や推量...今頃~しているだろう 



この歌の左注に、右年月所處未得詳審 但随聞之時記載於茲」とある

右は、年月と所処と未だ詳審らかにすることを得ず。但し、聞きし時に随ひてここに記し載す。


聞いたままに記す、ということだが

このときの編者は、勿論大伴家持...山部赤人の詠歌として広く知られていたのだろう

叙景歌に優れた評価のある赤人の観る「春の訪れ」 

鶯が山を飛び廻っている

その光景を目にしながら、鶯の鳴き声を思い浮かべ、春を感じる

題詞の「春鶯」は、詩語からのものらしい


 






 

  「歌で想いをおくる」..いまも、むかしも...
 隠沼乃 下従餘 白浪之 灼然出 人之可知
    隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
   巻第十二 寄物陳思 3037 作者不詳 

〔3957〕の元の歌とされている古歌
ここで使われている「恋」を、平群氏女郎は「孤悲」にした

それだけでも、作者の実像が残っていないことが不思議に思える
まして、十二首の贈答歌の左注では、 

右の件の歌は、時々に便の使に寄せて来贈せあtり。一度に送らえしにはあらず。

十二首の歌を、一度にではなく、何かの便に寄せて送っている
それが出来るのも、ある程度の階層の女性だろう

〔3037〕の漢字の使い方、この頃には定着していたであろう一字一音の表記
巻第十七といえば、以降の最後の巻第二十まで、家持の歌日記のようなものだ
その中に、その実像が伝わらない平群氏女郎の十二首があり
家持は、坂上郎女の後に載せている...

家持が編集に大きく関与しているとの大前提だが
私は、どうもその演出の仕方から、この二つの歌の作者は同一ではないかと思う
平群氏女郎の若かりしころの詠歌が、後に家持が越中に赴任した後
甦って詠われ、そして家持に贈られた...そんな気がしてならない

広く詠われている古歌を、自分の代弁者として借用したとされている歌は
一人の女性の若い頃の詠歌を、まさに想いを籠めて甦らせた

その「孤悲」が、私には教えてくれるような気がする

あの時の歌は...実は、私が若いころ詠んだ歌なんですよ、と
家持に伝えたかったのかもしれない...

家持が越中に赴任したのは、三十歳になる前のことだ
多くの女性と相聞歌を交わし、それらも余すことなく万葉集に採録されている
晩年は、時代の激動の中で、没落しつつある名門氏族の長の悲愁を味わっている
万葉集の最後の歌とされる759年、四十二歳頃と言われている 

それから785年に没するまでの26年間...歌は残らない
残さなかったのか、詠われなかったのか...普通に考えられるのが
やはりそれまでの膨大な史料となっていた万葉歌の編集だろうか

時代を経なければ公に出来ない歌もあったろうし
それに、個人的な相聞など、なかなか壮年期には載せるのも照れ臭いだろうし...

事実は、専門家の人たちの研究成果に近いのだろうが
歌を通して、いやこの時代は、歌を通さなければ思い浮かべることもできない
そして、官僚たちのように、漢文はともかく
庶民のどの辺りの層までが言葉を表記することができたのか

そもそも、歌と言う世界を、たとえ表記できない層であっても
どこまでが素養として理解し得たのか...
そんな時代に、万葉歌人たちは...歌を詠んでいたのだ
 

掲載日:2013.04.14.
 

 許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能  伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久
  こもりぬの したゆこひあまり しらなみの いちしろくいでぬ ひとのしるべく 

 巻第十七  3957 平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首(3953~3964)  

 

水の流れこない沼

底に淀む沼水のようにし、決して面には出ないつもりでしたが 

白波のように目立つ波となって表れてしまって...人に気づかれるほどに... 




「あまり」...過度に物事をすること...恋しさのあまり...

「いちしろく」...「著じるし」の古い用語「いちしろし」、著しく目立つこと 



この歌の気持ちは、その題詞からも容易に想像できる
想いを寄せていた大伴家持が、越中守となって赴任してしたので
自分の気持ちを切々と綴った歌を十二首送っている

その中の一首だが、この歌はこの作者・平群氏女郎の作歌ではなく
当時でも広く知れ渡っていた「恋の歌」なのだろう

〔3037〕に、まったく同じ訓で載せられている歌がある
多くの専門家が、その歌をそのまま借用して自分の想いとしたのだろう、という


ならば...同じ歌...少なくとも現代に知られる「訓」は同じだが
当時の「訓」は解らない...漢字の用法も違う

〔3957〕は一音一字であり、その表記は後期万葉集の解りやすい借音の訓だが
〔3037〕では、ほぼ全体が漢字の意味を、その歌のイメージにもしている

そして、決定的な違いは「知るべく」の漢文表記 
重複歌であるなら...「歌番号」を外してもよさそうだが...別な意味があるのだろうか...


そこで思われるのが、たんなる「古歌」としての歌と
それが、恋する人への「恋文」のような役割を担ってる情況の違いだ


そう言えば、私も若い頃は、やたらと万葉集の歌を拝借して「恋文もどき」を...
そう解釈すれば、今も昔も...自分の心を代弁してくれる歌に出会えた感動は...
その歌が自分のオリジナルだとは言い切らないだけで
実際は、「この歌は、俺の歌だ」といっているようなものだから...


この作者平群氏女郎...その伝承はない
しかし、家持の時代に、家持を慕う女性の一人であることは解る

面白いのは、この十二首の直前に
家持の叔母であり、義母でもある坂上郎女が、家持に歌を贈っている
越中への出立のときの贈られた二首

そして、次に赴任先の越中へ二首贈っている
その直後に、平群氏女郎の十二首が載せられている

その流れから思うと、とても伝承未詳の作者とは思えないのだが... 




 



 
 


  「防人たち」..家持の、やさしいこころ...
 佐伎毛利尓 由久波多我世登 刀布比登乎 美流我登毛之佐 毛乃母比毛世受
    防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず
   巻第二十 防人の歌 4449 防人の妻 

人が集まっては話題にする、防人として赴任する誰彼の夫なのかな、と
さあ、今度防人に行くのは、どこのご主人なのでしょう

そんなことを尋ねる人を、羨ましく思ってしまう
あなたには、そんな悲しい思いはないのでしょうに...

夫を送り出し、故郷に残された妻が詠んだ歌とされている
その背景を想像してみた
誰が、どんな情況の中で、こんな気持ちになっものか...

語らいの中心は、夫を送り出す責務から外れている人たちなのか
それとも、すでに任地から帰郷し、もう安堵している人なのか...
任地に送り出している妻の気持ちとしては、羨ましくて仕方がないのだろう

防人の任務は、三年といわれ、三千人で担っている
毎年その三分の一ずつの防人の交替が行われているが
再赴任ということはなかったのだろうか...東国を中心に毎年千人の防人たち

その多くの防人たちの、離別を悲しむ歌が、九十首余残されている
おそらく、実数としては、遥かにもっと多くの歌があったのでは、と思う
家持は、どんな想いで、そうした詠歌を目にしていたのだろう

いたたまれない想いも少なからずあったのではないだろうか
しかし、自分の役目を考えると、過剰な情けも掛けられず...
だから、歌に響く悲しみや辛さを...彼は、その職責を利用して残したのだと思う

万葉集の「防人歌」は、特異な存在になる
勅撰歌集でないからこそ、家持の「やさしさ」が存分に顕われたものなのだろう


 
掲載日:2013.04.15.


 等里我奈久 安豆麻乎等故能 都麻和可礼 可奈之久安里家牟 等之能乎奈我美
   とりがなく あづまをとこの つまわかれ かなしくありけむ としのをながみ 
              

 巻第二十 4357 左注、右二月八日兵部少輔大伴宿祢家持  大伴宿禰家持

 

東国の男たちの、妻との別れは、とても悲しかったことだろう

長い年月、離れ離れになるのだから...




「妻別れ」は、妻との別れ、の意味の名詞らしい

家持が造った造語とも言われる

「としのをながみ」は、動物の「尾」に擬えて、年月の長い「緒」に重ねる




家持には、職務として防人たちの監理をしていた時代があった

その頃の防人たちとの触れ合いが、

万葉集中に多くの歌を載せることになったのだろう

東国から筑紫までの道程さえも、かなりの月日を要する

その上、現地では三年間の任務




家族...親、妻、子ども...様々な人の別れの辛さを見てきたのだろう

そして、個々の人たちの辛さ、悲しさを思うが故に、

家持は歌を詠ませたのではないか




和歌が、貴族階層のたしなみだとしても、防人たちのこのいわば前線での任務は

家持に、ありきたりの官僚ではない人間性を持たせたのかもしれない






 






 


  「ぎりぎりの収集歌」..家持が為したこと...

万葉集巻第二十の目録には、755年の二月、東国の防人たちを招集する役人たちが
それぞれの地域の防人たちの歌を家持に提出している

目録では、実際に載せられている歌の数しか記されていないが
題詞には、結構な歌数を提出していることが書かれている
そして、決まって書かれるのが、どこどこの地域の責任者から
何首提出があったが、拙劣な歌何首は載せない、と明記されている

そうした一連の作業を見て感じたこと
大伴家持は、部下を使ってまで、私撰歌集のための収集作業をしていた...
下級官吏にすれば、上司の指示には従わなければならないのだろうが
きっと、みんなが進んで参加したのではないか

拙劣な歌は外される、となれば、本業とは思わない以上
彼らは真剣に防人たちに歌を詠ませたりはしないだろう
しかも、内容も確かに勇ましいものもあるだろうが
詠むには辛い「悲別」の歌が多い

これは、紛れもなく、大伴家持の発意でそうさせたのだろう
当たり前の役人の感覚では、このような「防人歌」は...残せないだろうし
防人たちも、本当の心情までは詠め置くことはなかっただろう

こうして集めた「防人歌」を、どんな形で残すのか...
家持は苦心したに違いない

日本の正史といわれる、書紀から始まる「六国史」に
「万葉集」に関わる記述はないらしい...それは、純粋な私家本と言ってもいい
そして、題詞や左注には、正史には伺えないほどの情報もある
これは家持が、大切に世に出すタイミングを計っていたような気がする 

万葉集を、純粋な歌集として読まなければならないのは当然のことなのだが
それにしても、味気ない正史の記述に比べ
この歌集の立体感...奥行きがあるのは...人の心の記録でもあるからだろう

 
 
掲載日:2013.04.16.

 之麻可氣尓 和我布祢波弖テ 都氣也良牟  都可比乎奈美也 古非都々由加牟
  しまかげに わがふねはてて つげやらむ つかひをなみや こひつつゆかむ 


 巻第二十  4436 題詞、陳防人悲別之情歌一首[并短歌]  大伴宿禰家持

 

島の蔭に、我々の船を停泊させてとしても

防人たちの便りを届けてやる、使いがない

彼らは、恋しさを募らせながら...行くのだろうか...




第二句の「はてて」が、どのテキストを見ても「泊てて」になる
自然に読めば、歌意としては、そうなるのだろうが
船を停泊させるという意味の言葉で、「はてる」も、「はつる」もないだろうし
テキストは、当然のように「泊てて」と訓じているが

すでに定まった説には、ぐだぐだ言うな、ということなのだろう
もっとも、私自身の勉強不足の感も、かなり強くありそうだが...


遠く東国から集まってくる防人たちを乗せ、難波の港を発った船
家持は、ここでも多くのものたちの悲別を想って、嘆く
役人として、この職務を疎かにはできない

しかし、家族との長きの別れに、自分がしてやれることは何か...
家持は、常にそう思っていたのではないだろうか


万葉集が、いくら私撰の歌集だからと言って
自分の職務を辛く思うような歌を詠むのは、相当な思い入れがあるのだろう


この歌も、題詞に依ると、家持らしい「防人の悲別の情の陳べし歌」
その長歌一首に続く、反歌四首の中の一首だ 
巻第二十の防人たちの歌を彼は何度も何度も眼にしたことだろう
そうした背景の中で、家持は東国に家族を残すものたちへ
あるいは、役職を離れた心情を、覚悟の上で吐露したものなのか...


国を守る任務といえる防人の制度
しかし、家持の長歌には、任地へ行く東国人たちの悲しみを詠っている

王権の国家としては、公には語れないことだと思う
しかし、家持は...何度も何度も、こうした防人たちを案じる歌を詠う...





 




 

  「みせつつもとな」...見たくはなかった...
 高市古人感傷近江舊堵作歌  高市黒人
  古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸  巻第一 32
   古の人に我れあれや楽浪の古き都を見れば悲しき  
 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛  巻第一 33
  楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも  

〔32〕私は、いにしえ人なのか...この古き都を見ると、心が痛み
悲しくなってしまう...
自分は何者なのか、と自問するかのよう

この近江時代の人間ならば、当然の心情を自問しなければならないのは
あるいは、この時代とは違う世代なのに
あたかも近江人であったかのように、悲しくなってしまう...
そのことへの、いいようのない気持ちが自分を支配している

続く〔33〕で、この地の神の力が衰えてしまったので
こうして、都も廃れてしまったのだろうか...と

当時の地神に対する信仰は、その土地の繁栄を支えるものとしてあった
だから、地神の力が衰退してしまったことが、荒廃したこの都の原因だ
そんな都、見るのも悲しい

題詞の「高市古人」は、ここだけに登場する人名で、多くの注釈本では
歌の頭にある「古」を見て、「黒人」を「古人」と誤写したのだ、と断じている
真実は誰にも解りようはないが、「高市黒人」ならば
〔308〕の近江旧都を詠った心情に繋がるものがあり、自然に思える
もっとも、その〔308〕にしても、左注では「或本では、少弁作」ともある

近江旧都を偲んで詠える人物は、この当時そう多くはないだろうに
それでも、「不詳」というのは...記録・情報伝達、僅か数年でも
それがきちんとされていないと、曖昧になってしまう、ということを物語っている
そのことを踏まえても、この文字表記の揺籃期における万葉の時代に
ほぼ私的な歌集が、現在までも残され伝わっていること...素晴らしいことだ

現在でも容易に解決できない「訓」の問題にしても
それは、古写本の継ぎ重ねで、漏れや誤写など、止むを得ないことだと思う
今後、もっともっと発掘の成果が伴えば
それこそ、「万葉集の原本」に...出会えるかもしれない
平安時代から今日にかけて積み重ねられてきた「誤写」の諸問題
しかし、仮に原本が出たところで...それを「訓」じ得たのか
それは、また別の問題になるのだから...

万葉集は永遠の問題は
解決されない...
それが、また万葉集の魅力なのかもしれない


毎日、素人ながら万葉集に接していると
この歌の作者「黒人」のように...
私は遅れて生まれた、いにしへ人なのか、と自問し
そんなことを思い、一人微笑んでしまう
 

掲載日:2013.04.17.


  高市連黒人近江舊都歌一首
 如是故尓 不見跡云物乎 樂浪乃 舊都乎 令見乍本名
  かくゆゑに みじといふものを ささなみの ふるきみやこを みせつつもとな 
 右歌或本曰少辨作也 未審此少弁者也 
              

 巻第三 308 高市黒人

 

これだから、私は見たくないと言うのに...

無理に見せたりなどして...




かくゆゑに...これゆえに、これだから
もとな...理由なく、やたらに...など、無理やりの意になる
第二句の「「みじといふものを」、見ないといっているのに、に繋がるのだろう


高市連黒人は、持統、文武時代に活躍した歌人
近江京は、彼にとってどんな都だったのだろう
「伝未詳」ゆえ、その出自は解らないが、万葉集には旅の歌が多い


見たくないと言うのに、見せられ
だから、見たくないといったではないか...そんな遣り取りが浮ぶ

どうゆうことなのだろう
思い出したくない「荒れた旧都」だからなのか
それとも、心情的に荒廃した都というものに、胸を痛めてしまうのか...


現代の私たちでも、人のいなくなった町や村、避けて通るものだ
ましてや、そこが都であったのなら...もっと、切なさを感じてしまうものだろう



もう十年以上も前のことだが、秩父の山に登ったときのこと

山深い道を車で進んでいると、急に大きな集落に出くわした
何もないと思っていたので、その集落の中を...異様だった
すでに廃村になって長いときを経ていることは、すぐに分かった

しかし、建物はまだまだ...そのそのころの面影を引きずっている
あんなに多く並ぶ建物があるのに...人はまったくいない...異様だ、と




昔の鉱業会社の現場跡だと、後で知ったが、

おそらく最盛期には賑やかだったのだろう

同じように、賑やかな都に人がいなくなる...その姿は、異様で...辛いものだと、思う
黒人のこころに去来する、抵抗感は
その当事者なのか、あるいは...寂れた都への情けを感じているからなのか...









 





 


  「うぐひす」は...声のみで愛でられた鳥か...
  五月九日兵部少輔大伴宿祢家持之宅集宴歌四首 
 和我勢故我 夜度乃奈弖之故 比奈良倍弖 安米波布礼杼母 伊呂毛可波良受  
  我が背子が宿のなでしこ日並べて雨は降れども色も変らず 
  巻第二十  4466 大原真人今城
 
 比佐可多能 安米波布里之久 奈弖之故我 伊夜波都波奈尓 故非之伎和我勢 
  ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花に恋しき我が背 
巻第二十  4467  大伴家持
 
 和我世故我 夜度奈流波疑乃 波奈佐可牟 安伎能由布敝波 和礼乎之努波世  
  我が背子が宿なる萩の花咲かむ 秋の夕は我れを偲はせ 
巻第二十 4468 大原真人今城

〔4466〕
あなたの庭のなでしこ、もう幾日も雨が降っているのに

色も褪せず、変りませんね

家持邸の庭には、彼の好きななでしこが植えられてあり
こんなに降り続く雨の中でも変らない美しさ...家持の変らぬ人柄を言うかのように...

〔4467〕
雨は降り続いていますが、なでしこの初花のように

そして、ますます新鮮ななでしこの花のような恋しいあなたです

雨...その雨がいっそうあなたを新鮮に見せてくれる
我家のなでしこ...あなたは、そのようなおかた
いや初花に...今初めて咲いたように新鮮で...

〔4468〕
あなたの庭の萩の花が咲く、その秋の夕べ

私を思い出して偲んでください

家持邸の庭先の、萩の枝...その枝を見て、秋までのときを想う
秋になったら...この萩の枝に花が咲いたら...私を偲んでください、と
花のつかない素の枝...

私は、こうした素枯れの木々も美しいと思う
花を咲かせたあと...静かにこころを休ませる木
花に季節になると、競うように咲き乱れ、その存在感を見せ付ける
素枯れの木々には、そんな慰労の念と、見事な咲きっぷりを待ち焦がれる

季節に呼応して姿を見せる草木は
人の心のような理不尽さに嘆くこともないだろう...
しかし、この鵺のような「こころ」こそ、人が持ち合わせている傑作だ
だから、季節とともに咲き、ともに散る...
そこに人は自身の季節を重ねてしまう
そして、魅入り、待ち焦がれるものだ...素直な心を持つ木々たちに...

同じことは、うぐひすのような鳥にもいえる 
うぐひすの姿を歌には聞かない 
その鳴き声に、人は応ずる

心を擬え、大切な人に想いを伝える...素直な心を持つ...鳥たちに...
 
 
掲載日:2013.04.18.



 即聞鴬哢作歌一首
 宇具比須乃 許恵波須疑奴等 於毛倍杼母   之美尓之許己呂 奈保古非尓家里
  うぐひすの こゑはすぎぬと おもへども しみにしこころ なほこひにけり 
 巻第二十 4469 大伴家持 




うぐひすの鳴く季節は、もうとっくに過ぎてしまったかと思いましたのに

その美しい魅力的な声が忘れられず

からだの中まで染み込んでしまった私のこころには

やはり、恋しくて忘れられません



大伴家持の奈良の自宅に、上総国へ帰任する大原真人今城を招き
送別の宴の席で、今城と「女ごころ」に擬えた相聞に興じている四首


大原真人の出自については、諸説があるが、家持とは従兄弟同士との見方も...
こうした「女ごころ」歌に興じる中で、家持はそれとなく別れを惜しむ

うぎひすの鳴き声に、ことよせて...
非常に親しかった間柄だったのだろう


梅雨寒のこの頃、時ならぬ鳴くうぐひす...

そんなうぐひすのように、友人としても、出来るだけ帰任を引き延ばしたい
こうした想いを...だからこそ「女ごころ」に擬えた相聞の様を...

宮仕えの身同士、わがままは言えないが...「こひごころ」のようなものだ
寂しくなるなぁ...と


万葉集の成立に中心的な役割を担った大伴家持
巻第十七以降の歌が、家持の人柄を知らせてくれる
しかも、それは他人の評価ではなく、彼自身の自然体の姿から
私などは、家持像を描いてしまう

自作の歌は言うまでもないが、むしろどんな歌を彼が選んだのか...
そのことが、私には興味深いところだ


共に興じる歌もそうだろうし、防人たちへの思い入れにしても...
父・旅人とともに過ごした少年の頃の大宰府
歌の手ほどきを受ける叔母・坂上郎女...
佐保大納言家という家柄にありながら...家持の魂は、いつも外へ優しかった


実際の万葉集編纂は、誰が中心なのか確実なことは分からないが
少なくとも、大伴家持がいなかったら...
この「奇跡の歌集」は、存在しなかったことだけは、わかる








 



 


  「人知れず」...馬酔木の花は...
  春雑歌 詠花  
 川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬酔之花會 置末勿動  
   かはづ鳴く吉野の川の滝の上の馬酔木の花ぞはしに置くなゆめ 
巻第十  1872 作者不詳

かはづが鳴く、流れの速い吉野川
その滝の辺りの馬酔木の花...決して粗末にはしないで欲しい

人もあまり訪れない、吉野の山奥の滝
そこの「馬酔木」だから、ということを誇らしげにいう
吉野は、この当時とても神聖視された地域だ
そして、険しい山の中...

そこに咲く「馬酔木」は、やはり神聖な「花」なのだろう
「はし」、端...、「ゆめ」、強い禁止のことば
決して、隅などに置いて粗末に扱うな、ということか

苦労して採ってきた「馬酔木」
その苦労とは、神聖な場所に咲く、「力を秘めた花」だから
そう簡単に採りには行けるところではない
その「馬酔木」なのだから...大事にして欲しい

やはり、馬酔木という花は、「人知れず咲く花」という印象になる
現代では、苦労もしないで目に入るからと言って
その感覚で万葉の歌を詠むと、なかなかこころを汲みとれないものだ


 
掲載日:2013.04.19.

 春相聞 寄花
吾瀬子尓 吾戀良久者 奥山之 馬酔花之 今盛有
  わがせこに あがこふらくは おくやまの あしびのはなの いまさかりなり 
              

 巻第十 1907 作者不詳

 

あなたを、私が恋しく想うことは

奥山の馬酔木が、人知れずこんなにも咲き誇っている

そのような馬酔木のような...恋こころなのです




「恋ふらく」...「恋ひ」の名詞形
私の「恋」というものは...奥山に人知れず咲く「馬酔木」のようなもの、と

この歌は、比喩歌の優れたものとされている
奥山に咲く馬酔木...それほど見かけることも少ない花なのだろうか
奈良の高畑...春日大社の辺りに、結構あると聞いている

しかし、万葉の時代...確かに、その辺りも...「人知れず」...そんな処なのだろう
つい現代の感覚でイメージしてしまうが、いけないことだ
万葉の萩や梅、のちの桜など、花を愛でて詠うよな感覚ではなく
その「花」のように、といわせる「馬酔木」なのだろう


この花で、私が真っ先に浮かべる歌は、大津皇子の姉、大伯皇女
弟、大津皇子の死に際して詠った


     磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど

             見すべき君が在りと言わなくに 巻第二-166




ここでの「馬酔木」は、喜ばれる「花」ととられ
それを見せたい弟は、もういない...一転して悲愁の花「馬酔木」になる


それほど、何か知れない「魅力」が、この花にはあるのだろうか


聖なる花、と称えるひともいる

 

 


  「いきのをに」...託す希望...
  廿七日林王宅餞之但馬按察使橘奈良麻呂朝臣宴歌三首  
 能登河乃 後者相牟 之麻之久母 別等伊倍婆 可奈之久母在香  
  能登川の後には逢はむしましくも別るといへば悲しくもあるか
巻第十九  4303 卿船王
 立別 君我伊麻左婆 之奇嶋能 人者和礼自久 伊波比弖麻多牟 
  立ち別れ君がいまさば磯城島の人は我れじく斎ひて待たむ
巻第十九  4304 大伴宿祢黒麻呂

〔4303〕
「能登川」の名に言うように、「後」には逢うことでしょうが

たとえ暫くであっても、別れることは、寂しいことなのですね

「能登川」は、「のち」に懸かる枕詞
「ノト」、「ノチ」の音の調べに響かせているように感じる
能登川は、能登半島の川を思い浮かべてしまったが
奈良の高円から佐保川に流れる川らしい

こうした固有名詞のイメージも、大切だ、と痛感する
確かに、能登半島では...この歌には合わない

〔4304〕
あなたが立ち去られてしまったら

大和の国の人たちは皆、身内のことのように身を慎んで
あなたの帰りを待つことでしょう

この歌では「磯城島の」が枕詞で「大和」に懸かるのに
その「大和」として使われている...これも、歌の調子を整える手法かもしれない
「我れじく」は、自分の事ではないのに、我が事のように、という意味

送別の言葉を、歌で送るのは歌の時代のごく自然なことだろう
そして、必ず残る身の側の寂しさや悲しさが伝えられ
帰って来るのを待っているよ、と

赴任先での活躍を期待する送別の言葉...歌
励ましの歌...膨大な万葉の歌の中に、早く出会いたいものだ
おそらく、文字面だけでは難しいだろう

そんな歌を送れば、いなくなってこっちは良かった、とも勘ぐられかねない
しかし、誠意をこめた送別の歌...

万葉集は、四千五百余首

詠むものの歌意は一つだろうから、その四千五百余首の「想い」かといえば
そうは思わない

人それぞれに、感じ方も違うだろうし、それをどう自分に取り込み活かすか
それに、同じ人がその歌に、幾度も違った感想を持つことだってある
人は年齢を積み重ねていく
その認識を持っている...ならば、自身やその周辺を含めた環境も
川の流れのように止められず、川面は常に変化する

歌の鑑賞もまた...変化するものだ...同じ歌であっても
現代において万葉集は、目の前に分厚くあっても、容易に手には出来る
しかし、万葉の時代はそうではない

投げ出したくなるような原資料の山の中から、「こころ」を拾い出す
そのことを思うと、まだまだ果てしのない「万葉の旅」だとは思う
だからこそ、楽しいものだと...思う



掲載日:2013.04.20.



 廿七日林王宅餞之但馬按察使橘奈良麻呂朝臣宴歌(三首)
白雪能 布里之久山乎 越由加牟  君乎曽母等奈 伊吉能乎尓念、(伊伎能乎尓須流)
  しらゆきの ふりしくやまを こえゆかむ
      きみをぞもとな いきのをにおもふ (いきのをにする) 

  巻第十九 4305 左大臣換尾云 伊伎能乎尓須流 然猶喩曰 如前誦之也 大伴家持

 


白い雪...降り敷く山を越えて行かれるのでしょうか

そんなあなたを想って、無性に...切にあなたを思い遣っているのです



家持が慕う、左大臣橘諸兄の子・奈良麻呂が 
但馬・因幡の按察使となって赴任する、その送別の宴で家持が、詠む

しかし、左大臣・橘諸兄が第五句の「いきのをにおもふ」より
「いきのをにする」がいいのでは、と提案する
それでも、やはり「いきのをにおもふ」が、いいかな、と...左注にある



そこが、句の歌の興味をそそられるところだ



橘諸兄が、万葉集の編者説をとる研究者は多い
勿論、彼独りという意味ではなく、家持が中心であって
その監修者のような立場で、という意味らしい


その根拠は、元暦校本の巻第一目録の頭書、
「裏書云、高野姫天皇天平勝宝五年左大臣橘諸兄萬葉集を撰ぶ。」によるものらしい


そして、仙覚もその見方をしている
その傍証ともいうべき、この歌の左注だと思う


人臣を極める左大臣・橘諸兄もまた、若い家持の和歌の才能をかっているようだ
この左注のような、いわば「舞台裏」を記すこと自体が
お互いの信頼関係を公言して憚らず、俗っぽく言えば
膨大な労力を要する作業に、十分過ぎるほどの後ろ盾を匂わせたものだ


その左大臣の子である、奈良麻呂には 家持も並々ならぬ期待があったのだろう
晩年の家持が、どこか哀切に満ち、ひっそりと暮らすように感じるのは
この奈良麻呂が、のちに謀叛の嫌疑で死ぬことになったことも、大きく影響するだろう


無事に勤めを果たし、再び都に戻って、存分に出世して欲しい
そんなあまりにも人間的な気持ちも、この歌には籠められているのかもしれない


「いきのをにおもふ」...「息」は、生き続けるのに欠かせないもの
息の緒...その綱は、まさに命綱といえるものだ

命懸けで、必死にそう思うのですよ、と




 











 

  「ももくさのこと」...折らえけらずや...
 娘子和歌一首(娘子が和ふる歌一首) 
  此花乃 一与能裏波 百種乃 言持不勝而 所折家良受也  
   この花の一節のうちは百種の言持ちかねて折らえけらずや
巻第八  1461 娘子

この花の一枝の内に、それほどの言葉がこめられているのでしょうから
それで、耐えかねて折れてしまったのでしょう

この「内」の中に、抱えきれないほどの言葉ががあったという
だから、その重みに耐えることが出来ずに折れてしまった
折れる、という結果が...私には届きませんよ、という拒絶の意味に思える

「けらずや」は、相手に、そうでしょう?
と、事実の確認を求める語法

高慢な男へ、やんわりと言い返す、毅然とした姿の娘子
そんな場面を思い浮かべてしまう

藤原広嗣が、どんな人物なのか分からないが
残されたこの贈答の二首からでは
そうなるだろうなぁ、と思わざるをえない

処刑された広嗣は、歴史上は「謀反人」として名を残す
しかし、当初は史書で描かれる父・宇合だって
藤原四兄弟の中では、一番荒っぽく作られていた
それでも、万葉集に残る彼の数々の歌から
そこに肉付けされた宇合像が新たに現れ...私は惹かれ始めた

広嗣には、そんな機会もないのだろうか...この贈答の二首でしか...

藤原広嗣の弟、二男宿奈麻呂は長男広嗣の謀叛のとき二十四歳
兄の乱に連座し一時期流刑の身ではあったが、二年後に復職し
伯父・仲麻呂の無道を批判し、大伴家持らと暗殺まで謀ったが、発覚
しかし、宿奈麻呂は他の者をかばい、罪を一身に受けた
その人間関係が...興味深い

冠位すべてを奪われたが、その二年後に仲麻呂が謀叛を起し
宿奈麻呂がそれを討って積年の無念を晴らした

宿奈麻呂は、後年五十四歳で参議となり、良継と改名し 
その八年後、内大臣従二位で薨(追贈従一位)
娘の乙牟漏は、桓武天皇の皇后になっている

四兄弟の時代は、その権勢は四兄弟の結束で守られたものだが
その四兄弟が死して後は、それぞれが権力に奔走する
そんな時代の中で、藤原一族の中でも
宿奈麻呂は大伴家持に近かった一族といえるだろう 
更に、三十六歳の時、相模守となり、防人部領使として
防人の歌を家持に提出している

だから...藤原広嗣についても、家持がどんな感情を抱いていたのか
今となっては、知るすべもないが...

宇合、広嗣、宿奈麻呂(良継)...
この流れで、広嗣が長子としての責任を自分なりに果たそうとしたのかもしれない
そんな風にも思える

広嗣の贈答歌...あるいは、この娘子とは親密な関係にあり
この「和ふる歌」にしても、娘子の茶目っ気で返したものかもしれない
そんな見方をすると、広嗣の横柄なような歌も
照れ隠しのように聞こえてくる

そうであって欲しい、という願いが強いのだろうか...

 
 
掲載日:2013.04.21.


 藤原朝臣廣嗣櫻花贈娘子歌一首
 此花乃 一与能内尓 百種乃 言曽隠有 於保呂可尓為莫
  このはなの ひとよのうちに ももくさの ことぞこもれる おほろかにすな 



 巻第八  1460 春相聞 藤原広嗣

 

この花の一枝には、たくさんの言葉が籠っているのだから

決して、疎かにするんじゃないぞ




もっと、力強く...あるいは、高飛車に言えば


この花の一枝に、数え切れないほどの言葉が詰まっている

ぞんざいに扱うな




この歌だけ目にすれば、頼りがいのある男っぽいイメージもあるが
この歌を贈られた娘が応答している歌を読むと
どうやら、広嗣の空振りに終わったようだ



「ひとよ」とは、「一枝」のこと...これは「枝(エ)」が転じて「ヨ」という説
花びらの「古語」という説もある


「百種の言」...あなたに伝えたい思いのすべて、という意味なのだろう
しかし、だからと言って、それを粗末に扱うな、というのは... 


「おほろかに」...オホ、は普通であり、通り一遍、などの意
「ロカ」は接尾語...おろそかに



「な」は終助詞の禁止...するな、というように、かなり強い意に思える



藤原広嗣は、藤原四兄弟の宇合の長子
父たち兄弟が、疫病で次々に亡くなった後、藤原一族は権勢を失う
皇親政治を目指す橘諸兄たち貴族が実権者となって、広嗣には不満が募る
そして、大宰府に左遷されたことで、その不満が謀叛へと...


740年筑前で挙兵するが、ひと月余りで、朝廷軍に破れ処刑される


その同時代の証人とも言える家持や諸兄たち
諸兄は、広嗣の直接の打倒相手(側近への批判が名目)であろうし
家持は...どこまで傍観者でいられたのか...あるいは軍事氏族の面目はあったのか...
いずれにしてもその藤原広嗣...彼の詠んだ歌を好意的には載せたりはしないだろう


父・宇合へは、私はかなりの好感を持つが、長子である広嗣は
実直に生きた父が、結果的に報われない晩年の処遇だったことへの
その不満もあったとしたら...
家持も、単純に憎き相手とは思えなかったのかもしれない



しかし、万葉集の残る藤原広嗣の歌は、これのみ
史書では、結果として謀反人として終わる生涯だが
せめて歌に、その肉付けされた「想い」を伝えても良かったのでは...

一首しか詠まなかったとは...到底考えられないのだから...







 







 


  「藤波」...揺れる花房に...
春相聞 寄花  
 藤浪 咲春野尓 蔓葛 下夜之戀者 久雲在  
  藤波の咲く春の野に延ふ葛の下よし恋ひば久しくもあらむ
 巻第十  1905 作者不詳

春の風に揺らぐ藤の花

その春の野に、下を這っている葛のように、ひっそりと恋い慕う

それでは、いつまで経っても恋は実らないでしょう


「延ふ葛の」...この多年草の草が春の野に秘かに...

「下よし恋ひば」...目に見えない、恋ごころ...


藤の花が、風に揺れる様が、波のように思い浮ぶ「藤波」...綺麗な言葉だ

そんな美しく、心地のよい春の野であるのに

見えないところで、慕っているのは...「久しくもあらむ」


いつまでも続けるつもりなのかな

  

掲載日:2013.04.22.

 

如此為而曽 人之死云 藤浪乃 直一目耳 見之人故尓
  かくしてぞ ひとはしぬといふ ふぢなみの ただひとめのみ みしひとゆゑに 


              

 巻第十二  3089 寄物陳思 作者不詳

 

こんなふうに人は恋しても、死ぬものなのだ

藤の花のように美しい人に、一目惚れしてしまったせいで...


かくしてそ...このように衰弱してゆく己の姿...

このまま死んでしまうのだろうか...こんなことでも、人は死ぬのか...

一目だけ見かけた、それがこんなにまでやつれさせてゆく...


逢うすべはないものか 

いや、このまま死んでしまった方が、楽かもしれない



 



 



  「鎮魂の花から...」...ヤマフキフク、しなやかな細枝に...
  十市皇女薨時高市皇子尊御作歌(三首)  
 山振之 立儀足 山清水 酌尓雖行 道之白鳴  
  山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
 巻第二  158 挽歌 高市皇子

黄色い山吹きに覆われた泉のほとり

美しく彩どられた、そのほとりの山清水を汲みに行こうにも

その道が...あなたの行ってしまわれたその道が...分からないのです


山吹の鮮やかな黄色、その泉のほとり...まさに「黄泉の国」

万葉集に詠われている「山吹」は17首、そのうち家持は7首ほど歌っているが

その家持を含めて、いずれも詠われた「山吹き」は

「やまぶきの」と「にほふ」に懸かる「枕詞」にもあるように

「にほふ」の、内部から生き生きとした美しさを発散させるような感じで

輝くような愛でるもの、というイメージを伴う


この高市皇子の、十市皇女への挽歌は

何故、高市皇子が載せられたのか興味深いとともに

「山吹き」の「黄泉」につながる「言葉」として

追いかけたい、とでも言うような切ない気持ちがこめられている

こうした「山吹き」の花の用い方は、他にはない

そして、「山吹き」が、記年されている書物での最初の登場が、この歌らしい


山吹を、「山振」と万葉での表記は多い

「振」の古訓は「布岐布久」だったろう、と解説書で読んだ記憶がある

「フキフク」...何となく浮ぶイメージ...しなやかな枝が風に吹かれ、揺れて...


「黄泉」を連想させる「山吹」から

内面からじわじわっと、そしてやがてはちきれんばかりに輝く花

「鎮魂の花」から表面的には「輝く美しさ」に被われる様へ...

しかし、その意味は、同じのような気がする


逝った人の魂を、こんなにも鮮やかな山吹色で包みこむ

そこには、安らかな世界にいるのだ、という残されたものへのメッセージ

そんな気がしてならない


「道の知らなく」...道などあるはずもない...世界が違うのだから

それでも、道を切り拓かんばかりに...そんな想いで高市皇子は詠ったのだろう


高市皇子と、十市皇女の関係は、異母姉弟だが

672年の壬申の乱を経て、複雑な関係になったことは想像もつく


多くの万葉歌人たちを差し置いて...無骨な高市皇子だけが

この皇女の挽歌として載せられたことへの周囲の温かな配慮

いつも、その場面を想像して...ジーンときてしまう


語らぬ想い、語れぬ想い

  

掲載日:2013.04.23.

 

 花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花
     はなさきて みはならねども ながきけに おもほゆるかも やまぶきのはな 


              

 巻第十  1864 春雑歌 詠花 作者不詳

 

花は咲くというのに...咲くだけで、実はならない

それでも待とう...どんなに長く待つとしても...


実らない恋を、実のつかない「山吹き」に擬えた気持ちなのだが

それでも待つと思うのは...花が咲く限り、想い続けよう、と

そんな一途な想いを、山吹の花を見ながら自分に諭しているように思える


実がならない「山吹」は、八重咲きの「ヤエヤマブキ」という栽培品種

すでに万葉の頃にも、こうした栽培の山吹きが鑑賞されていたという


「咲きて」の「て」は、逆説的な意味で使われている

「ながきけ」の「け」...日数をいう

「長き日に 思ほゆるかも」...長い間、ずーっと待ち遠しく思うことだろう

実のならない花であっても...


この花は、中国と日本にのみ存在する、と読んだことがある

珍しい一属一種の花と言うことになるが、そうしたことに疎い私には

ならば、もっと万葉の中で詠われても、と思うのだが...集中17首(題詞に一例ある)

しかし、当時の世界観では...中国にあるものは

それが日本にあっても、有り触れたものと思うのかもしれない

当時の世界観というものが、私には計りようもなく全くの想像なのだが...


庭に植えて鑑賞する山吹は「ヤエヤマブキ」なのだろう

自生の山吹は...もっと違う詠い方があった...高市皇子のように...


山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管
  山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
 巻第十一 2796 寄物陳思 作者不詳
山吹のように美しく映える娘
庭梅の、朱華色の赤い裳に見事に映え
その姿がずーっと夢にまで現れてくる



 





 


  「ゆり」...花も言葉も二面性...に咲く
    
 吾妹兒之 家乃垣内乃 佐由理花 由利登云者 不欲云二似   
  我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る
巻第八 夏相聞  1507  紀朝臣豊河

いとしいあなたが、自分の家の垣根の内に咲く小百合のように

あとで、というのは...それは、いやです、と言うのと同じなんですね


〔1504〕と、この〔1507〕での「百合」の用い方には、大きな違いがある

前者は、「姫百合」に可憐さ、切なさを見ている

そして、後者は「小百合」の花そのものへの感情は出ていない

たんに「ゆり」という「同音」に導かれる「恋ごころ」を詠っている


この「同音」により想起させる名詞の「ゆり」は

「後ほど」とか「あとで」という意味がある

ここでも上三句は、花の「百合」に続けて、この同音の「ゆり」を起こす序詞


古今集の時代になると、こうした「言葉あそび」のような粋な詠い方

という、そんなイメージがあるが

万葉らしいという用い方では、前者の方に思い入れしてしまう

しかし、それでも万葉集にも結構後者のような歌も多い


万葉歌は、率直で素朴な美しさがあり、古今集以降は、技巧に磨きがかかり

ことばを選ぶ、ということから相当な歌い手の素養が求められる

そのような平面的な色分けが、あまりにも容易過ぎた、と痛感している


確かにそう思い込んでいた

どの本だったのか、今思い出せないが

万葉歌を引き合いに出し、古今の歌人たちなら、こんな平易には詠わない

そんな趣旨のことが書かれていた

要は、直接的な言葉を使わず、包み込むような世界観を詠む


しかし、古今集にだって直截的に詠うものもある

万葉歌にも、技巧を凝らしたものもある

何しろ、部立て一つをとっても、洗練された古今以降の歌集と違い

混乱そのままの状態で編み上げた観のある万葉集...そこも魅力だが...

何故なら、万葉の時代は、いや万葉集に残された歌の数々は

まだ日本語の表現の多様性...外国語との混在をも素直に取り入れている時代

そこが、大陸風の文化から解放され、初めて国風文化の象徴となった古今集との

大きな違いだろう、と思う


  

掲載日:2013.04.24.

 

夏野之 繁見丹開有 姫由理乃 不所知戀者 苦物曽
  なつののの しげみにさける ひめゆりの しらえぬこひは くるしきものぞ 


              

 巻第八  1504 夏相聞 大伴坂上郎女

 


夏の野の夏草の、繁みにひっそりと咲く姫百合のように

あなたに知ってもらえない恋は、苦しいものです


大輪を咲かせ、香りの強い山百合と違い

姫百合は、可憐で小さい花を咲かせる

夏草の繁みの中にで、目立つことなく、ひっそりと...


しかし、白い山百合よりも、黄や赤の姫百合は

そこそこ目立つのではないか、と思うのだが

ここでいう「夏の野」...一面に夏草に覆われる様を見る

そして、その中に確かに目立たないにしろ、気づいて目を遣れば

美しい彩を見せる姫百合


この歌は、可憐で片想いに悩む乙女心を歌っているが

実は、相手に知られていないだけで、こんなにも美しい娘なのに

どうして気づいてくれないだろうか、と...自分から言い出せないのは

やはり、つらい恋ごころだ


「ひめゆりの」までの上三句が、「しらえぬこひ」を起こす序詞になる

繁みに隠され、ひっそりと咲く、それが「人に知られない」比喩になっている

「知らえぬ恋」というのは、相手には伝わらない片想いの恋




作者の、大伴坂上郎女は、大伴家持の叔母であり義母でもある

この歌が、詠まれている相手が、家持だとする可能性も指摘され

その場合は、家持の妻になる娘の坂上大嬢の代わりに詠んだものと解される

そう言えば、家持と大嬢の間に、しばらく疎遠だった時期があったような...

その時の、母の気配りが、こんな形であったのかもしれない





 





 


  「懐かしむ」...古き言葉を...

いにしえ...偉い人が言う

このままだと、万葉集は誰も読めなくなってしまうぞ

なんとか、あの歌を誰もが読めるようにならないものか


漢文表記のみならず、漢字の借音とか、借意文字など...

その漢字の利用の仕方が、さまざまにあって、難解この上ない「漢字文」


これが、歌なのだ、これを読み続けて残していかなければ

我々の文化は...何も残らない、と同じことだ


誰かが、漢字の一文字一文字に音を乗せる

しかし、その数はあまりにも多く、ましてや知らない言葉まである

大陸風の言葉を随所に織り交ぜた歌もあっただろう

そして何より、東国などの「いにしへ」の言葉も

平安時代の人には、「方言」として...どこまで真剣に語り継がれたものか...


今、こうして「和歌」として万葉集によって伝えられたものを

現代の私たちは、郷愁を感じ、こころを歌人に寄せて共感する

そこには、「うたごころ」だけではなく

千何百年以上も、「言葉が失われずに」伝わってきていること

そのことへの感動も...私にはある


古典の言葉は、確かに外国語のようなものに感じることもあった

古語辞典を引かなければ、意味のわからない言葉だらけ...

特に、古典の授業中は、「睡眠時間」に等しかった私には、尚更だ


しかし、では誰でも分かるように、万葉歌を現代語訳して韻律を合わせ

それで「よし」とはならないはずだ


たとえ歌の内容に、どんなに優れた歌意がこめられていようと

現代の言葉に訳詩、その韻律で伝えてしまっては...

それは万葉人の歌ではなく、現代人の歌と言うことになってしまう

万葉人が、どんな気持ちでその言葉を..用いたのか

そして、その言葉が、今では使わない言葉であれば尚更

...歌の中に残せ得る、その当時の「現代の言葉」...忘れてはならないものだろう

あまり聴きなれない古語を、歌の中にみるとき...

その言葉を、現代の実生活で使うわけでもないのに...懸命に覚えたくなる


英語など、現代でも必須といわれるような外国語はみんな懸命になるが

古典を読みこなそうとするのは...一種の外国語を学ぶようなものと同じなのに

その実用性、必要性の乏しさからなのか、あまり聞くことはない

しかし、実用性のないものだからこそ、その言葉の美しさは輝くのかもしれない


万葉の人たちの伝える「ことば」を

私など、正確には受けきれていないが

今は、古語辞典を引いては...つい、他の所までも目が行ってしまって

瑞々しい「言葉」が溢れている辞書が...宝に思えてしまう


現代の言葉も...やがて「古語」となって、万葉の人たちと一くくりにされるだろう

そして、専門家による時代の細分化で、万葉時代から平成時代まで

こんなに言葉の変遷があったことを...

その頃の学生たち...もう言葉を粗末に扱っていないことを願うばかりだ

  

掲載日:2013.04.25.

 

不直相 有諾 夢谷 何人 事繁
     ただにあはず あるはうべなり いめにだに なにしかひとの ことのしげけむ 
   或本歌曰  寤者 諾毛不相 夢左倍 
        うつつには うべもあはなく いめにさへ


              

 巻第十二  2859 正述心緒 柿本朝臣人麻呂出

 

じかに逢えないのは、分かっている...もっともなことだ

これほど噂がうるさいのだから...

しかし、そうであるなら、せめて夢にでも逢いたい、と思うのに

どうしてその夢にまで、人言はうるさいのか...




うべなり...、人が言っていることも、もっともなことだ

世間の噂になって、あの人が逢いに来られないのは...

だからこそ、夢の中で、と思うのに...それさへも


夢の中にまで人言がうるさく騒ぐとは...

そうして行き場がなくなれば、開き直って、と

私なら浅はかに思ってしまう



ある本に、上三句の異伝がある、と左注

「現実に逢ってくれないのも、もっともだ 夢にまでも・・・」



本文の「夢にだに」と、異伝の「夢にさへ」

解説書によると、「だに」も「さへ」も

方向性は違うが、強調性は同じ、とある

この歌の場合でも、同じように伝わる

強いて言えば、「さへ」は現代でも通用する言葉だが「だに」は...

その違い、意外と重要かもしれない



現代の我々が、古語を通して万葉などの古歌に郷愁を感じるのは

今では使われない「言葉」響きに誘われるのではないだろうか...







 








 

  「娘子のなかにも...」...様々な意志の表現...

  娘子等和歌九首 
端寸八為 老夫之歌丹 大欲寸 九兒等哉 蚊間毛而将居 [一] 
     はしきやし翁の歌におほほしき九の子らや感けて居らむ [一]   3816
辱尾忍 辱尾黙 無事 物不言先丹 我者将依 [二] 
   恥を忍び恥を黙して事もなく物言はぬさきに我れは寄りなむ [二]   3817
否藻諾藻 随欲 可赦 皃所見哉 我藻将依 [三] 
     否も諾も欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我れも寄りなむ [三]   3818
死藻生藻 同心迹 結而為 友八違 我藻将依 [四] 
   死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ [四]   3819
何為迹 違将居 否藻諾藻 友之波々 我裳将依 [五] 
   何すと違ひは居らむ否も諾も友のなみなみ我れも寄りなむ [五]  3820
豈藻不在 自身之柄 人子之 事藻不盡 我藻将依 [六] 
   あにもあらじおのが身のから人の子の言も尽さじ我れも寄りなむ [六]  3821
者田為々寸 穂庭莫出 思而有 情者所知 我藻将依 [七] 
   はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ [七]   3822
墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居 [八] 
   住吉の岸野の榛ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ [八] 3823
春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意 [九] 
   春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに [九]  3824


以下、講談社文庫・万葉集全訳注(中西進)より、それぞれの訳を載せる 

本来は人それぞれの感じ方、理解の仕方がいいと思うのだが 

訳そのものに拘らず、その娘の言葉に浮ぶイメージを、それぞれが思えれば... 

だから敢えて歌とは切り離して別掲で載せる


3816  愛すべき老人の歌に、ぼんやりした九人の少女も感動しているだろう
3817  恥ずかしい事をしたのにも堪えて言い訳けせず、何をおいても、あれこれ言う前に老人に従いましょう
3818  「はい」といおうと「いいえ」といおうと、こちらの気持ちのままで許してくれそうな様子が見えるよ。私も老人に従いましょう
3819  生も死も共にと契った友人同士が、違うことなどありましょうか、私も従いましょう
3820  どうしようとて仲間を外れていましょう 承知するもしないも仲間と一緒、私も従いましょう
3821  どうして異論がありましょう、すべて我が身自身のこと あれこれ言葉を尽しますまい 私も従いましょう
3822  はだ薄の穂のようにとりたてて言葉に出さなくてもよい 私たちの気持ちは解っています 私も従いましょう
3823  住吉の岸の野の榛で彩っても美しく染まらない私ではありますけれど、老人の心には染められておりましょう
3824  春の野の下草が靡き寄るように私も靡き従って染まりましょう、仲間と一緒に


以上列挙したが...正直、私にはピンと来ない

他に、小学館・新編日本古典文学全集の訳も参考にするが

この一連の流れとしては、そちらの方が、意味を理解しやすいと思う

私自身も苦しいと感じる上記の訳

万葉集の第一人者で、その著書も広範に親しまれて偉い専門家だから

敢えて載せてみた

しかし...どうしてしっくりこないのだろう


歌語の解説には、私は何もいえない...私の知識など入る余地もない

しかし、「歌意」というのは心の流れと言うものがあるはずだ

適切な訳とかどうか、ではなく

そう詠った人の気持に、無条件に入り込める言葉の流れ...

それが訳すことによって、ぎこちない表現になってしまう可能性もある

ならば...そう、外国語を学ぶように

一々、日本語に頭の中で訳さず、「本」を手にしたら「ブック」と思う

日本では、勿論そんな作業は必要はないが

外国で言葉を一々頭の中で訳していたら、とても話しはできない

その外国語自体の「単語」で覚えることが一番手っ取り早い


だから、古語を古語として今でも自然に理解できるような...

そもそも、日本の古い言葉だからと言って、「訳」を必要とすることが 

今の私には、不思議に思える

英語と同じように、古語をそのまま、そのものとして理解する

すると、和歌を訳すのではなく

歌を唱和すると同時に...極自然にその情景を思い浮かべることができる


これは、私自身の目標になっていることだが

だから、あまり歌の「訳」には拘らず

かといって、いまだに中学生レベルの私の古語の知識を補い終えるまでは

どうしても先人の「ことば」に頼らざるを得ない...


 
  

掲載日:2013.04.26.

 

題詞:昔有老翁 号曰竹取翁也 此翁季春之月登丘遠望 忽値煮羮之九箇女子也 百嬌無儔花容無止 于時娘子等呼老翁嗤曰 叔父来乎 吹此燭火也 於是翁曰唯<々> 漸T徐行著接座上 良久娘子等皆共含咲相推譲之曰 阿誰呼此翁哉尓乃竹取翁謝之曰 非慮之外偶逢神仙 迷惑之心無敢所禁 近狎之罪希贖以歌 即作歌一首[并短歌]
 (長歌、略す)
 反歌二首
死者木苑 相不見在目 生而在者 白髪子等丹 不生在目八方
     しなばこそ あひみずあらめ いきてあらば
 しろかみこらに おひずあらめやも 3814
白髪為 子等母生名者 如是 将若異子等丹 所詈金目八 
   しろかみし こらにおひなば かくのごと
                 わかけむこらに のらえかねめや 3815


              

 巻第十六  有由縁并雜歌 歌物語 作者、竹取翁

 

この巻には、この物語歌の前の「桜児説話」、「蘰児説話」と

その題詞に物語の概要を述べ、歌が載せられる

そして、この「竹取物語」が続くのだが...勿論、よく知っている「竹取物語」とは違う

この題詞に記されている意味は、だいたいのところ



昔、通称を竹取という翁がいて、春に丘に登ったときのこと、そこにはたまたま羹を煮ている九人の乙女がいた。それぞれのその美しさは、並べるものがないほどで、花のように美しい乙女たちだった。その中の一人が、翁に気づき、からかうように呼び寄せ、火を吹いてくれと言うので、翁は言われるままに、その席に着いた。乙女たちは、屈託なく楽しく興じているが、しばらくしてある娘が「誰なの、このおじさんを呼んだのは」とつっけんどんに言うので、翁は恐縮して、厚かましく同席させてもらったこ罪滅ぼしに、歌でも詠って償わせてください、と申し出て、長歌一首と、反歌二首を詠じた。 



その長歌は、ここでは略すが(他の頁に載せる)、その内容は

まさにこの翁の若かりし頃の自慢話...これでも若い頃は人気者だったのだよ、と

そして、幼少期からの髪型、身なり、服装、もて方などを語り出す 


そして、締めくくったのが...この二首の反歌


若くして死んでしまえば、見ずに済まされるでしょうが

生きていたら、白髪はみなさんにも生えないわけがないでしょう


白髪がみなさんにも生えたら

この今の私のように、若い人たちに...蔑まされずに済むものでしょうか


翁のせいぜいの強がりなのか...いや、そうではなく

自分のことより、せっかくの若くて可愛らしい娘たちへの戒めだろう

竹取翁自身が、長歌で語るように、当時の知識人に欠かせない漢籍への明るさが

この長歌を特異なものにし...何故なら、これほどの人物なのに、作者が不明とは...

いや、実際は編纂者には解っていたのかもしれないが...

そして、自慢話の長歌のあとに

娘たちに、諭すようにいう...ようは老人をいたわりなさい、と


今であれば、すんなりとその言葉だけで聞き分けられるものなのか、と思われるが

ただの老いぼれ人、と思い接していた相手から

いきなり高尚な言葉を含んだ歌まで聞かされては...確かに戸惑い

あるいは、自分を恥じ入るのかもしれない


それでも、この反歌二首こそが...続く娘子たちの応答歌に繋がるような気がする

長歌では、私はこうでしたよ、みなさんは信じられないでしょうけど...だから

反歌で、でもよく考えてみなさい...あなたたちにしても...


物語、説話...というのではなく、まるで教訓めいた歌の一群...

ここにも、編纂者の意図の一端がうかがえそうだ 


左の娘子たちの応答歌で、私には二首ばかり気になっている

〔3822・3823〕、この二首は、何となく異質な感じのする歌だ

九人が一様に、仲間意識を強調している中で...何となく違う


この九人の娘子たちが、それぞれの言葉で応えたのなら

確かに、全員の歌を載せる意味もあるだろうが

一律同じような応えにするのなら...たんに語句を選ぶだけの

そんな編纂の仕方は...

何しろ、知るべき古語の「語」は多く用いられているが

意味は...ほとんど一緒なのだから...


この「九首」...いつか、また挑戦してみよう












  「少女の髪」...放髪という、「丱」もいい...

   古歌曰  
 橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可  
  橘の寺の長屋に我が率寝し童女放髪は髪上げつらむか
   たちばなのてらのながやにわがゐねしうなゐはなりはかみあげつらむか 
  巻第十六 3844

橘寺の長屋に連れてきて、一緒に寝たあの娘は
もう髪上げたことであろうか


「古歌」という伝誦歌に、椎野連長年が、左注にいうように、不適切と指摘し

彼は、その修正した「決定案」が、古歌に続いて載せられているが

この巻第十六の奔放な構成もまた面白い


私などが邪推すると、本来は長年の歌そのものは

あまり載せるような歌でもないのだが、この「古歌」に対して

それを、どこがどう悪くて手を加えると、こうなるのか

その作業自体の舞台裏を紹介されたようで...


長年の言う、

また若い女を童女放りというが、それでは第四句に童女放りと既にあるから、第五句に重ねて髪を結い上げるなど言うべきでなかろう


比較してみた


 古歌  童女波奈理 髪上都良武可  うなゐはなりかみあげつらむか
 決曰  宇奈為放 髪擧都良武香  うなゐはなりかみあげつらむか


この指摘部分の修正は「童女丱は」の「は」、と「童女丱に」の「に」...

長年が言う、第四句で「童女丱」とあるから

第五句で意味を重ねる「髪を結い上げる」など使うべきでない、と


しかし、どちらも「童女丱」と「髪上げ」が使われている

すると、「は」と「に」に違いがあるはずだが


それでも...よく分からない

ある説では、古歌を曲解して、間違った修正をしている、とか

古歌での「丱」は「放髪」...髪上げせず、幼いままに...

その意味では、幼髪も、成人した女の髪に...結婚でもしたのか...


おかしいとは思わない


長年が、「丱」を髪と見做さず、髪上げをする、その年頃の子

と、すると「丱に」というのが、解る

あの子も、そんな年頃になったのだろうなぁ、と

そうであれば、第四句と第五句は、確かに重なる


長年は、そのように解釈したので、そこを修正したのだろう


 未通女等之 放髪乎 木綿山 雲莫蒙 家當将見 巻七 羈旅歌 古集出
  娘子らが放りの髪を由布の山雲なたなびき家のあたり見む  1248


ここでいう「放髪」は八歳から十四歳頃までの少女の

結わないでそのまま伸びるに任せ、垂らした髪




 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓   巻九 挽歌 虫麻呂歌集出
  菟原娘子の 八年子の 片生ひの時ゆ 小放りに 髪たくまでに     1813



ここでの「放髪」は、(小放に)髪を束ねる...未婚の女性の髪型のようだ

とすると、長年が勘違いすることもあるだろう

「放髪」と「髪上げ」で、同じ意味を重複させているから

それを指摘し、「年頃の髪上げになっているのだろうか」


古歌だと、「年頃の娘の髪は、大人の髪のように髪上げしたのかな」


これで、「は」と「に」の違いで意味を変えるのは解るが..

どの.注釈書も、この「決曰」の長年の解釈に基づく歌に

批判的なようだ...私には、現代語の方が...難しかった

どう言葉を現代に置き換えれば...などと


訳は、歌をその歌どおりに...韻に合わせる必要はないと思う

意味は、どうなのだろう

そのためには、どの古語の意味を知らなければならないのだろう

古語の意味を掴めば...あとはそれぞれの人が、解釈する

それで、いいのだと思う


だから、私はあまり訳書は読まない

むしろ、校本のように歌が羅列され、そこに古語の注釈程度でもあれば

それで自由に歌を堪能できると思う



 
  

掲載日:2013.04.27.

 

  決曰
 橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪擧都良武香
 橘の照れる長屋に我が率ねし童女放髪に髪上げつらむか
    たちばなの てれるながやに わがゐねし うなゐはなりに かみあげつらむか
 

    

 巻第十六  3845 雑歌 椎野連長年

 

橘の実の熟し輝き照る長屋で、私と共に寝たあの娘

もう髪を結い上げたのだろうか


幼馴染ともいえそうな関係の二人

そして年月が経って...あの娘は、結婚して髪を結い上げているのだろうか


歌を解すれば、懇意にしていた娘が、もう結婚したのかなぁ、と

「童女放」...うなゐはなり、結婚前の女性の髪型

「放」とあるように、童女は、髪をそのままにする

この作者が、左注で述べるように「」...童女の髪型あげまきをさす

この「丱」が象形文字と言うのだから、どんな髪型か想像できる


この歌、「決曰」...「決めて曰はく」...


この歌の前に〔3844〕(左頁)の「古歌」があり

その歌について、椎野連長年は、次のように述べ、そして歌ったのが

この「決曰」となる歌だ


まず、その左注で、長年は、こんな風に言っている


右歌椎野連長年脉曰 夫寺家之屋者不有俗人寝處 亦稱若冠女曰放髪矣 然則腹句已云放髪丱者 尾句不可重云著冠之辞哉
 右の歌は、椎野連長年が点検して言うには、「そもそも寺院の建物は、俗人の寝るべき所でない。また若い女を童女放りというが、それでは第四句に童女放りと既にあるから、第五句に重ねて髪を結い上げるなど言うべきでなかろう」と言った。


「そして、決定案は次のとおり」と題され

〔3845〕の歌が載せられている


そして、この「決定案」という歌と、「古歌」の

それぞれ、第四句、第五句の違いに...なかなか気づかない

何度も何度も繰り返し読んで...なんとなく、それらしい違いが

少しは、理解できた、と思っている



それでも...こうして左注に書き込みをそのまま載せる、その意味

あるいは、この種の扱い方のルール...基準

どんなものがあったのだろうか

編纂者が独りであろうが、あるいは複数で数次に渡ってであっても

本歌のための「基準」めいたものはあったはずだ


同じようなことでも、ある時期では棄てられ

ある時期では、選ばれて載せられる

私が興味を持っているのは 

大伴家持が、東国の各地の部下に提出させた防人たちの歌

それらを、あまりに拙い歌は載せない、と左注にあるが

その「載せられなかった、拙い歌」を...知りたい...切に思う


それでも、四千五百余首が一様に優れた歌で

当然、家持の外した歌群は、見劣りする...とは限らないではないか

私は、家持の言う「防人たち」の優劣の頃と

飛鳥時代や、あるいは古歌集のような歌の中からの出典などとは

その「基準」の程度の差は大きいと思う


家持の基準に合わせれば...万葉集の歌数も...随分減っただろう...と





 






  「末摘花」褪せる、褪せない...想ひの深さか

 外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友 
  外のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘花の色に出でずとも
   よそのみにみつつこひなむくれなゐのすゑつむはなのいろにいでずとも  
 巻第十  1997 夏相聞 寄花 作者不詳

遠目だけでいい、そうして恋続けよう
紅花の末摘花のようには、目立たなくても...
 
 紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
  紅の花にしあらば衣手に染め付け持ちて行くべく思ほゆ
   くれなゐのはなにしあらばころもでにそめつけもちてゆくべくおもほゆ
 巻第十一  2838 問答 作者不詳
 
あなたが...くれないの花であったなら
私の袖に、鮮やかに染め付けて、どこへでも
持って行きたいほどなんだよ
 
紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨 
 紅の深染めの衣を下に着ば人の見らくににほひ出でむかも
  くれなゐのこそめのきぬをしたにきばひとのみらくににほひいでむかも
巻第十一 2839 譬喩歌 寄衣 作者不詳

くれないの深く濃い染物を、下に着てしまったら
外から他の人が見て、その色が透けて見えないでしょうか
目立ちはしない、と気をつけてはいても...
あなたへの想いは、隠せ通せないことです
 
紅 薄染衣 淺尓 相見之人尓 戀比日可聞 
 紅の薄染め衣浅らかに相見し人に恋ふるころかも
  くれなゐのうすそめころもあさらかにあひみしひとにこふるころかも
巻第十二  2978 寄物陳思 作者不詳

紅を薄く染めた衣のように
あっさりとした出会いであったのに
この頃になって、とても恋しく思えてしまう
 
  豊後國白水郎歌一首 
紅尓 染而之衣 雨零而 尓保比波雖為 移波米也毛 
 紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも
  くれなゐにそめてしころもあめふりてにほひはすともうつろはめやも
巻第十六  3899 雑歌 作者不詳

このくれないに染めた衣
雨に濡れたとしても、その色が一層増しこそすれ
どうして褪せることなどあるでしょう
 
くれないの衣...恋心の深さのたとえ、という
「紅」には、「にほふ」ことと「うつろふ」こととが、常に掛けられる
紅に染めて、色褪せもしよう...その移ろいへの不安を歌の...
そしてまた、心底恋ごころを持つのなら
どんなに邪魔が入ろうと...「色褪せはしない」
一般に「褪せやすい」とされていることを
逆説的に使い、それでも克服する想いの強さを象徴させている

この「末摘花」に歌を載せる人たちは
それぞれの想いを、決まった固定の観念ではなく
心のありようなのだ、と歌っている...と、思う
 
 
  

掲載日:2013.04.28.

 

  
 鴨頭草丹 服色取 揩目伴 移變色登 称之苦沙
  月草に衣色どり摺らめどもうつろふ色と言ふが苦しさ
     つきくさに ころもいろどり すらめども うつろふいろと いふがくるしさ


              

 巻第七  1343 譬喩歌 寄草 作者不詳

 

月草(ツユクサ)で衣を染めて摺りたいと思うのに

変わり易い色だと...心変わりし易い性格の人だと、聞くのが苦しい


露草は、色が褪せ易く

それが、心変わりのし易い性格の男に重なってしまって...

気も重くなってしまいました


そもそも、この歌...男の歌か、女の歌なのか...分からない

しかし、色の褪せ易いことが、どうしても暗示的で気になる様子は

...やはり「女歌」なのかもしれない


同じように、


 月草尓 衣曽染流 君之為 綵色衣 将摺跡念而  
 月草に衣ぞ染むる君がため斑の衣摺らむと思ひて  
  つきくさにころもぞそむるきみがため まだらのころもすらむとおもひて  
 

 巻第七  1259 雑歌 臨時 古歌集出


月草で、衣を染めます

あなたのために、深い濃い色に染めて、摺ろうと思います


ここでの「月草」も、色の褪せ易いことを意識しているように

深く濃い色に...「綵色衣染めようとする 

そこには、色褪せることよりも、それに負けないように

もっと強く想いを籠めることを、伝えようとしているのではないか

不安など微塵もない...私の想いが、こんなに揺るぎないのですから...


同じ「月草」を題材にして、こうした二様に味わえる...「露草」は...


こうした「染める」ことに用いられる花を歌ったものでは

今で言う「紅花」がある...「末摘花」

ただし、万葉集で、「末摘花」そのものを歌ったのは、二首のみ 

ほかに「くれない」と使い、この花から染めた色を指して歌ったものがある(左頁)





 





 



  「万葉集を象徴する植物、紫草(むらさき)」

春日大社公式HPに、「紫草」のことが次のように書かれている

万葉歌中にこの花の名前が使われており
植物の根っこで紫の色を染めた特殊有効色素成分を含むことから
古代より染料や薬用として利用され、大切にされてきました
飛鳥・奈良時代の万葉集に始まり
平安時代の枕草子や源氏物語から近代の宮沢賢治に至るまで
数多くの文学作品に登場し
『日本の伝統文化を象徴する植物』として格別に扱われています
 
 
 

 今日(4月29日)、奈良市の春日大社万葉植物園に出かけた
今日のような、花の季節に訪れるのは、初めてのことだ
色とりどりの鮮やかな...とまではいかないが
やはり、万葉植物園らしさの滲み出る...そして味わえる散策ができる
今日初めて知った「緑の桜花」、「黄色のつばき、クリサンタ」
面白かったのは、「ゆずりは」の由来、そしてその「葉」
「ダイダイ」と言われる、果実...その言われ...
それらが、どれも万葉に詠み込まれ
それだけではなく、その表現するものに万葉人たちは趣向を凝らす


GWの合間で、今日はいささかハードな一日...
何しろ万葉植物園だけで4時間はいたことになる


今夜は、ここまで...明日、続編を載せよう
 
 

掲載日:2013.04.29.

 

笠女郎贈大伴宿祢家持歌(三首)  
 託馬野尓 生流紫 衣染 未服而 色尓出来
  託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
     たくまのに おふるむらさき きぬにしめ いまだきずして いろにいでにけり


              

 巻第三  398 譬喩歌 笠女郎

 

託馬野に生えていた紫草で服を染めました

でも、着る前から...こんなに、目だってしまって



紫に染めることは、高貴な人のための相応しい色であり

それを使用できる大伴家持に対して

まだ親しくもさせてもらえていないのに...顔色に出てしまいました


恋しい人へ初めて抱く慕情 それが、恋ごころとなって

やがては、切ない想いにこころも染まってゆく...


笠女郎、伝未詳で詳しくは伝わらないが

大伴家持との歌の遣り取り随分残されており

それでも、「伝未詳」とは不思議な気もする


まさか、ペンネームなのでは、と私など簡単に思ってしまうが

その頃だって...公にされたくない、それでも歌は残したい

想いが残るのだから...

そんな風には、考えられないのかな 


この一首を含む三首、そして家持へ贈答する二十四首

尋常な数ではないと思う

明日、もう一度、笠女郎を...読ませてもらおう








 



  「面影、夢」...見える、こととは...

    湯原王贈娘子歌二首 [志貴皇子之子也])娘子報贈歌(二首) 
 幾許 思異目鴨 敷細之 枕片去 夢所見来之 
  いかばかり思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し 
    いかばかりおもひけめかもしきたへのまくらかたさるいめにみえこし 
巻第四 636 相聞 娘子
 
どんなにか、
あなたが想ってくださったからでしょう
枕の片方を空けて、あなたがいるかのように寝ていたら
夢にあなたが来てくれましたね

初句の「幾許」も、この訓の他に「ここだくも (上代語、どれほど、たくさん)」、
「そこらくに(いく度も、十分に、など)」が見える 
第二句の「思ひ」が、なかなか読み取れない
ここでは、作者が想っている相手が、私をこれほど想ってくれているので
それで、私の夢に現れ、逢うことができた、と解するが

他にも、この「思ひ」は、作者自身のしきりに想うが故に、あなたが夢に見える
そんな訳注もある
「思ひけめかも」の「けめ」が、過去の推量...想っていたからだろう...
誰が、なのか、となろうが...
「枕片去」が...「夢見」ることの願望からだとすると、後者の作者の「思ひ」
私には、その方がしっくりとくる

私が、しきりに想っておりましたので
あなたが夢の中で逢いに来てくださいました

    更贈越中國歌(二首) 
 多妣尓伊仁思吉美志毛都藝テ伊米尓美由安我加多孤悲乃思氣家礼婆可聞
  旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも 
   たびにいにしきみしもつぎていめにみゆあがかたこひのしげければかも
(既出 掲載日:2013.04.12.) 巻第十七 3951 悲別 坂上郎女
  
 
    天平勝寳七歳乙未二月相替遣筑紫諸國防人等歌
 和我都麻波伊多久古非良之乃牟美豆尓加其佐倍美曳弖余尓和須良礼受
  我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず 
   わがつまはいたくこひらしのむみづにかごさへみえてよにわすられず 
巻第二十 4346 防人  若倭部身麻呂
 
私の妻は、ひどく恋に苦しんでいるようだ
この飲む水に、
妻の面影まで映っているとは...ああ、忘れられない

「恋ひらし」は、「恋ふらし」の東国訛りかという
「影さへ見えて」、「かご」は「かげ」の遠江訛り
防人歌や、東歌には、こうした東国の訛りがそのまま表現として使われている
そこに、上代の方言の貴重な資料としても価値あるものとされている
水鏡に、相手の顔が映るのは、相手が自分のことを想っているから
と、そんな俗信によるもの
ここでの「影」は、〔399〕の面影に通じるものかもしれないが
内容は逆になって使われている
自分の切ないまでの想いが、面影になって映し出される...出したい、と〔399〕
しかし、この〔4346〕の(面)影は
相手の切ないほどの恋の苦しみを、映し出している

よく、「面影」と「夢」の違いを一般的に、と解釈するが
「夢」は、自分が一心に想えば、相手の夢に現れ
それは、自分の夢に相手が現れれば、相手が自分のことを想ってくれている
そんな「夢」の観念があったようだ
そして「面影」は、相手が夢に現れるのは、自分の切ない想いゆえなのだ、と
叶わぬ望みを儚み...「面影」に宿している
ただし〔4346〕では、その逆の使い方であり
やはり、「面影」も「夢」も、決められるような使い方であるはずがない
例外的に、と言われることば...
初めからフリーの心情表現としての言葉なのだから、「例外的に」は...
私には、そぐわない歌心への説明ことば、だと思う

「影」という文字のイメージが...切ない想いを、片恋に連想させてしまうのか
  

掲載日:2013.04.30.

 

笠女郎贈大伴宿祢家持歌(三首)  
  陸奥之 真野乃草原 雖遠 面影為而 所見云物乎
  陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを
     みちのくの まののかやはら とほけども おもかげにして みゆといふものを


              

 巻第三  399 譬喩歌 笠女郎

 

 奥山之 磐本菅乎 根深目手 結之情 忘不得裳
  奥山の岩本菅を根深めて結びし心忘れかねつも
   おくやまの いはもとすげを ねふかめて むすびしこころ わすれかねつも


 巻第三  400 譬喩歌 笠女郎


昨日の掲載歌の続き残り二首


〔399〕

陸奥の国の真野の萱原は遠くにあっても

面影の中には見えるといいますのに...あなたは、ちっとも見えません


「真野の萱原の面影は、遠くにあっても見えるもの」という

そんな言い伝えでもあったのか、という読み方もあった

ここで言う「面影にして見ゆ」は

万葉人の「面影」と、「夢」の観念の相違を教えてくれる(左頁)

「ものを」...逆説的な余韻を残す

(遠くの萱原でさへも面影に見えると言うのに)

近くにあっても、どうして面影にも見えないのでしょうか


〔400〕

奥山の岩根のように、深く強く結んだ心なのです...忘れられません


「岩本菅」...岩のもとに生える菅で、その根は「深い」ものとして歌われる


笠女郎の想いは、大伴家持にどこまで伝わったのだろう

家持の相聞歌の類を見る限り

彼には多くのこうした歌を交わす女性がおり

正妻となる坂上大嬢との間でも、いっとき途絶えた時期があったこと

家持の歌や、題詞にも語られているが

その原因の一つにも、こうした奔放な家持の振る舞いがあったのだろうか...


だから、この笠女郎のように、家持への多くの情けを詠う女性に

どうしても一種の親心みたいな気持ちを持ってしまう

かといって、家持を毛嫌いするのではなく

今度は、逆にその奔放さゆえに

同性としても愛すべき人柄を受け入れてしまう


何故だろう...おそらく、それが「歌の世界」における「情け」

そこに創作として、あるいは実際の感情が入り乱れ

読む者の心を揺さぶるのだろう





 



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