書庫7










 「神を畏れながらも」...恋というものは...
 「神さえも...」
たとえば、どんな本であっても、自分の読みたい項目は
その目次を見て、探せば分かる
普通の歌集であっても、それが何を題材にして詠われているものか
部立てから、探しようもある

ところが、万葉集は...そうはいかない
全二十巻に一貫した、揺るぎない規則が見られないので
類想歌であっても、それが相聞にあれば、雑歌にあったり...

昨日のような、問答歌や贈答歌にも、その区別の曖昧さはある

そして、今日の右頁の二首...「寄物陳思の神祇部」
そして、この頁には...「譬喩歌・寄神」の二首を載せたい
計四首とも、いくら神社もしくは「神」に対してであっても、
神を引き合いに出しながら、恋する者たちの率直振りが伺えるする
特に〔1382〕歌は、右頁〔2671〕歌の類想歌とも言える


  譬喩歌 寄神
木綿懸而 祭三諸乃 神佐備而 齊尓波不在 人目多見許曽 
   木綿懸けて祭る三諸の神さびて斎むにはあらず人目多みこそ
    ゆふかけて まつるみもろの かむさびて
  いむにはあらず ひとめおほみこそ
 巻第七 1381 譬喩歌 作者不詳
木綿垂を掛けてお祭りする三諸の神のように
神々しく身を慎んでいるわけではないのです
人目が多いからこそ、なのです
 
 ゆふしで...木綿垂、木綿で作ったしで、祭具として榊の枝などに掛けた
 三諸...ここでは、神の降りる所、霊場をいう
 かむさび(かみさび)...神々しく振舞うこと
 いむにはあらず...動詞「斎ふ」、身を慎しむのではなく...
 人目...人の往来、人の出入り
 こそ...係助詞、否定語と併用して、一つのことを強調する
 
 
木綿懸而 齊此神社 可超 所念可毛 戀之繁尓 
  木綿懸けて斎ふこの社越えぬべく思ほゆるかも恋の繁きに
    ゆふかけて いはふこのもり こえぬべく
 おもほゆるかも こひのしげきに
 巻第七 1382 譬喩歌 作者不詳
木綿垂を掛けて大切に神を崇めるこのお社、
そこを踏み越えてしまうほど、あまりにも一途な恋心なのです
  語彙解説略



こうした、ある意味では神を蔑ろにすると、
そんな言い掛かりを付けられかねない内容の歌を
この時代の人が...もっとも仏教が国家宗教の観を呈している時代では
「神」という信仰は、この程度のものだったのかもしれない
それは極端な言い方だとしても
作者も、そしてこの万葉集の編者も...神を「踏み越え」る恋人たちを
暖かく見守っているのではないだろうか

私には、宗教と言う心のテーマは解らないが
大雑把な印象としては
「神」は、人智の及ばないものへの「信仰」
「仏」は、人智を尽す手助け...言ってみれば、仏教の伝来と共に
文化や土木技術などの実用的な面での「信仰」を
人々にもたらせたように思える

精神性と、実用性...そのどちらも欠かしたくない、と思いながらも
どうして、「信仰」という概念、宗教、で選択しなければならないのか...
宗教と言う言葉の概念を今いっとき、置いておき
人にとって、何が今大切なのか...
自分にとって、何が今大切なのか...

万葉歌は、こんな風にも、飛躍した感想をもたらせてくれた
「人の想い」を...歌にする...いい表現方法だ、と...つくずく思う
 





 
 
掲載日:2013.06.01.


 古今相聞往来歌類上
神名火尓 紐呂寸立而 雖忌 人心者 間守不敢物
 神奈備にひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの
   かむなびに ひもろきたてて いはへども ひとのこころは まもりあへぬもの
 巻第十一 2665 寄物陳思 作者不詳
 
千葉破 神之伊垣毛 可越 今者吾名之 惜無
 ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし
  ちはやぶる かみのいかきも こえぬべし いまはわがなの をしけくもなし 
巻第十一 2671 寄物陳思 作者不詳




〔2665〕

神奈備に、神の降りる所として常緑樹や植垣を立てて、

慎み守ろうとしてはみても

人の心というものは、いつまでもそのようには

守り切れないものなのだなぁ


神奈備(かむなび)...「神名備」「甘南備」などの表記もある
神が天から降りてくる山や森、神霊が鎮座する山や森
特に、奈良県飛鳥地方や、斑鳩地方の神社の後ろの山や付近の川


ひもろき(神籬)...上代、祭りのとき清浄の地を選び、周囲に常磐木を植え
それを神座としたもの
後には、広く神社をいう


いはへ...動詞「斎ふ」の已然形
穢れを忌み慎んで神を祭る、神として崇め祭る、大切にする、慎み守る
ども...接続助詞「ど」に係助詞「も」の付いたもので、逆接の確定条件
〜けれども、〜のに、〜だが...活用語の已然形に付く


あへぬ...ハ行下二段動詞「敢ふ」の未然形に、打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」
堪えられない、我慢できない...
もの...終助詞「ものを」と同じ、ここでは活用語の連体形に付いて、
詠嘆・感動を表わす、〜のになぁ、〜のだがなぁ...


【ひもろき(神籬)】
日本書紀・崇神天皇六年に「故、天照大神を以ちて豊鍬入姫命に託け、倭の笠縫邑に祭り、仍りて磯堅城の神籬を立つ。神籬、此には比莽呂岐(ヒモロキ)と云ふ」。

〔2671〕

畏れ多い神の斎垣といえども...私は、きっと越えてしまうだろう

今となれば、私の名など、もう惜しむこともない


ちはやぶる...「神」に懸かる枕詞
本来の持つ意味としては、「最速(いちはや)の略」、勢いの鋭い、荒々しい


いかき...斎垣、神域を囲む垣のこと、「イ」は神聖の意の接頭語
越えぬべし...完了の助動詞「ぬ」に推量の助動詞「べし」
〜してしまいそうだ、〜しかねない、きっと〜にちがいない


な...評判、名声
惜しけく...形容詞「をし」の上代活用の未然形「をしけ」に接尾語「く」
惜しいこと、の意



 








 「臥薪嘗胆、家持の挑戦」...万葉集のあとに...
 「失意の左遷から、再び...」(私観大伴家持へ

今日が新年と言う特別な日でもないのに、この歌を採り上げた
何故なら、その特別な日に「公的」に詠われたこの賀歌が
私には、大伴家持の挑戦に思えてきたからだ
おそらく、歌そのものは、ありきたりの「賀歌」だろう
そこに、寓意はないと思う

では、何故「挑戦」と思えたのか

その前に、この因幡守として赴任する前に
都で大原真人今城と交わした餞別の歌を載せたい

   七月五日於治部少輔大原今城真人宅餞因幡守大伴宿祢家持宴歌一首
 秋風乃 須恵布伎奈婢久 波疑能花 登毛尓加射左受 安比加和可礼牟
  秋風の末吹き靡く萩の花ともにかざさず相か別れむ
   あきかぜの すゑふきなびく はぎのはな ともにかざさず あひかわかれむ
  右一首大伴宿祢家持作之
 巻第二十 4539 大伴家持

この歌の前年(757年)に、家持の、いや大伴家の頼みの綱、橘諸兄が亡くなる
そしてその長子、奈良麻呂の謀叛が事前に察知(密告による)され、
大掛かりな粛清が行われた
その中には、家持と同族の有力者たちもいた
家持自身は、何とか嫌疑は掛けられなかったが
氏上として、同族の者たちを抑えられなかった悔しさは強く残っただろう 
しかし、右中弁の官職を与えられている
これは正五位上の位階の官職なのだが
その翌年の758年、因幡国守...この役職の位階は従五位下相当
明らかな、そして露骨な左遷人事、しかもまた地方への赴任
家持の心情はその段階で、すべてが終った、と思ったのではないか
せっかく苦心して守り抜こうとした佐保大納言家の威厳を...失った、と

そこで、因幡国へ赴任前の、大原真人今城の館での餞別の宴
ここには、今城の歌は残っていない
上述の、家持の歌が載せられているだけだ

秋風が、葉の末に吹き靡く萩の花
もう共にかざすこともない、別れになるのだろうか

時期的には、萩の花の開花前の歌なので、これも自然のように思える
しかし、何故今城の贈る歌がないのだろう
それに、家持がいう、共にかざすこともなくなるだろうか...
お互いに、まだ四十を幾ばくか越えたばかりであり
再び都で再会することだって、難しいことではない

私は、今城も奈良麻呂の変の時には、傍観者を貫いた家持と立場は同じと思う
その今城と、今度こそは大伴家も終わりだろうか、と話題になり
そこに、家持のそれまで眠っていた「野心」が芽生え始めたのではないか
そんな気がしてならない
因幡の国へ赴任して数ヶ月の間、家持は大伴家再興の想いを強めたはずだ

そして、その宣言を、国庁での賀歌で詠った
歌人・大伴家持ではなく
官人としての大伴家持を、アピールするために...

その賀歌が、家持四十二歳の年、万葉集の最後となるのは
少なくとも、巻第十七から最終巻第二十が確実に、この家持の編纂であるのなら
その意味は...、この賀歌を最後に配した意味は大きいと思う
それまで、私的なような公的なような、あやふやな歌集の体裁を
最後は、自分の意思で「佐保大納言家」を護る「大伴家持」に仕立て上げた

その後の、政局の家持の関わり方は、それまでとは打って変わる
作歌と反比例するように、別な人格の家持が見え始める

このことについては、いずれ別項目で、また頁を作る
取り敢えず、今日の賀歌を載せた理由としては
やっと「私観大伴家持」を仕上げたからだ
その過程で、まだまだ調べなくては辻褄が合わないことが多いのに気づく
しかし、初めから「万葉集」のみを手掛かりに人物像を追いかけると
必然的に、その作歌が終った時点で、もう手掛かりはなくなる
あとは、史書の中からでも、繋ぎ合わせて書くしかないだろう

しかも、「詠わない家持」こそ、本題だと思うようになったのも
こうして「私観大伴家持」を書いていて、ますますそう思った
また、陸奥の国での最期までの家持を、書き出さなければ
私の家持幻想は止りそうもない


掲載日:2013.06.02.


三年春正月一日於因幡國廳賜饗國郡司等之宴歌一首
 新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
  新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事
   あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと
  右一首守大伴宿祢家持作之
巻第二十 4540 大伴家持 
 
新しき年の初め...新春の正月

今日このように降るしきる雪のように

さらにもっともっと積もり重なってくれ、善きことよ


ありきたりに読めば、新年を祝い、さらに今年もいい年にしよう
そんな地方の行政の長官の新年の挨拶になる
確かに、その通りの歌だろう


「新しき年の初め」、「初春」と重複した表現は
この年の立春が、元旦と重なったからだ、という


いやしけ...「いや(弥)」いや、ますます、非常に、甚だ、の意
「しけ」はカ行動詞「頻く」の已然形、度重なる
ただし、一面に広く散らばる、覆うというカ行動詞「敷く」も意味は重なると思う


よごと...「吉事」、よいこと、めでたいこと

新年の降雪を瑞兆として詠むことは、当時の伝統のようなものだったようだ
家持も、それに倣ってのことだろう

しかし、この歌が...

この年、家持は四十二歳になる
それまでの作歌活動を、私的な営みの中で積み重ねてきたものが
どうして、このような役人としての賀歌で終るのか...
私には、到底理解できないことだ

 
 








 「越中離任」...家持の、その前日...
 「逢えぬ友との別れ、そして同僚への餞別の歌」

右頁の二首が、越中を離れる前日に、不在の友に残した家持の別れの歌
そして、同日に公的な宴で、家持は別れの歌を詠んだ

   便附大帳使取八月五日應入京師
    因此以四日設國厨之饌於介内蔵伊美吉縄麻呂舘餞之
    于時大伴宿祢家持作歌一首
 之奈謝可流 越尓五箇年 住々而 立別麻久 惜初夜可毛
  しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも
 しなざかる こしにいつとせ すみすみて たちわかれまく をしきよひかも
 巻第十九 4274 大伴家持

同じように、題詞から読んでみる

  題詞
 その時、「大帳使」に就き、八月五日に都へ上ることにした。そこで四日に国衙の厨房で作った料理を用意して、介内蔵伊美吉縄麻呂の館で、餞別の宴を催し、この時大伴家持の作る歌一首

今度は、公式な席での別れの歌を、家持は詠む

越の国に五年住み続け、こうして別れて立ち去ることは
何と名残り惜しい今宵なのだろう

しなざかる...「越」に懸かる枕詞
住み住みて...マ行動詞「住む」の未然形に、
動作の反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いたハ行動詞「住まふ」と同義語か
あるいは「住む」の連用形を重ね、住み続けるとしたものか...語意は同じだろう
住み続けて...
立ち別れ...ラ行下二段動詞「立ち別る」の未然形、「たち」は接頭語
別れる、別れ去る、別れて旅立つ
まく...推量の助動詞「む」の未然形に、接尾語「く」...未来の推量を表わす 
〜だろう、〜であろう
をしき...形容詞「をし」の連体形、愛しいものや人を失うことを恐れる感じ、惜しむ
かも...詠嘆の終助詞、〜であろうなぁ

家持は、五年間の越中時代に、223首の歌を詠っている
万葉集全体で、歌歴二十七年間の家持の歌が473首
そのほぼ半数が、この越中時代の作歌となる
それほど越中生活は、創作意欲をかきたてられたものだったのだろう
越中時代の家持の詠歌にも、そうした自然を奏でる歌が多い

右頁には、越中の狩猟場である石瀬野を詠っている
現在では、高岡市石瀬付近と、富山市岩瀬付近の二説があり
その双方に歌碑が立っている
当時の国府に近いところということであれば、高岡市が有力だと言われるが
決め手がないのなら、どちらも「石瀬野」でいいと思う

大伴家持は、越中を去った
この詠歌の翌日、都への旅路に就いた
そして...もう越中は、家持にとって、少なくとも歌で回想されることはない

言うまでもないことだが、万葉集は「史書」ではない
そこから、歴史の真実を探そうなどと、夢にも思わない
ただ、間違いなく言えるのは
その当時の人たちの「声」が聞こえる...それは「史書」には望めないことだ
「声」は、その人の「想い」であり、「思索」だと思う
今の私にとって、曖昧な史書を拠り所にする手間よりも
確実に、その時代に「声」となった人たちの「想い」を、少しでも多く聞いてみたい

そう思うようになって、あらためて万葉集に接すると
こいつは、俺と同じだ、とか
何だこいつは...どうしようもないな、とか
あるいは、泣けるほど声が出ないときもある

時代は、千数百年も隔てているが
声を出して読むと、その作者が目の前で語りかけてくるような気になる
時に同調し、時に反論し...

もっとも、その想いがきっかけで、「一日一首」の返歌を始めたのだから...


掲載日:2013.06.03.


  以七月十七日遷任少納言
  仍作悲別之歌贈貽朝集使掾久米朝臣廣縄之館二首
  既満六載之期忽値遷替之運 於是別舊之悽心中欝結
  拭ナミダ之袖何以能旱 因作悲歌二首式遺莫忘之志 其詞曰
 
荒玉乃 年緒長久 相見テ之 彼心引 将忘也毛
 あらたまの年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも
   あらたまの としのをながく あひみてし そのこころひき わすらえめやも
 巻第十九 4272 大伴家持
 
 伊波世野尓 秋芽子之努藝 馬並 始鷹猟太尓 不為哉将別
  石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鷹猟だにせずや別れむ
   いはせのに あきはぎしのぎ うまなめて はつとがりだに せずやわかれむ
  右八月四日贈之
 巻第十九 4273 大伴家持
 


まず、題詞、脚注から読んでみる

  題詞
 七月十七日を以って少納言に任ぜられた。そこで、別れを悲しむ歌を作り、朝集使掾久米朝臣広縄の館に贈り、残した二首
  脚注
 すでに六年の任期に満ち、いつのまにか転勤の時期が訪れていた。ここで旧友と別れる悲しみは、心を暗くし、涙を拭く袖は何ものにも乾かせないでしょう。そこで、悲しみの歌を二首作り、決して忘れないと言う想いを残します。その詞が言うには、


大伴家持、少納言に任ぜられ、越中守から都へ帰任するときの
歌友としても、また部下としても懇意だった広縄個人への別れの歌なのだろう

すでに六年と言うのは、足掛け六年であり、実質的には五年間
当時の国司の任期は四年だが、何らかの都の事情があったのだろうか
国司の任期が六年と定められるのは、この七年後の天平宝字二年(758年)の十月
それまでの任期四年から、六年に改められた

地方での任期が、厳密に実施されていないことが伺えるものだろう 

ここで、「朝集使」久米朝臣広縄とあるが、それは誤りというのが定説のようだ
このとき広縄は「正税帳使」として、都に出張していた
家持は、広縄の留守宅に、別れを惜しむ歌を贈り、残した

〔4272〕
長い間ともにやってきたあなたのご厚情、
決して忘れはしません

あらたまの...「年」「月」「日」「来経(きふ)」「春」に懸かる枕詞
としのを...年の長く続くのを緒に譬えた語
あいみてし...「て」接続助詞、「し」は過去助動詞「き」の連体形...ともに長くやって
こころひき...こころに惹かれる
わすらえめやも...「え」は上代の可能の助動詞「ゆ」の未然形
「め」、推量の助動詞「む」の已然形、反語の意を表わす「やも」
忘れることがあるでしょうか、いやそんなことはない

〔4273〕
石瀬野の秋萩を折り伏せ、馬を並べて初鷹狩さえも
それすらせずに、別れてしまうのでしょうか...

いわせの...越中で国司たちが鷹狩りに興じた野原、現在所在未詳
しのぎ...ガ行動詞「凌ぐ」の連用形、押さえつける、踏みつける、押したわませる
なめて...マ行動詞「並む」の已然形、並ぶ、連なる、「て」接続助詞、並べて...
だに...副助詞、最小限の一事を取り出し強調する、せめて〜だけでも
わかれむ...ラ行下二段動詞「別る」の未然形に、推量の助動詞「む」
もう遠くに離ればなれになってしまうのか...

ここで、私が苦しむのは、推量の助動詞「む」
このまま、そこだけを採り上げると、「別れるのだろう...」となってしまう
古語辞典をいくら引いても、推量のそれ以上の説明はない
しかし、注釈書などを拾い出してみると、「別れるのだろうか...」となっている

私のいつもの遣り方は、一通り語句を辞書で引いて
自分なりに文章にしてみる
その後で、諸々の解説書と読み比べ、私の大きな勘違いがないか
その確認は怠らない
解釈そのものは、違いがあっても気にしないが
語句の勘違いは、意味に筋が通らなくなる怖れがある
この場合は、この「む」だった

どうしてなのか、と何度も何度も読み、辞典を引いたが、なかなか理解できない
この助動詞「む」に「懐疑や詠嘆」の要素はない
もう「別れるだろう」にしてしまおう...推量だから

しかし、そのまえの「だに」に引っかかった
この「だに」から浮かべる感覚は、「せめて..」
そして、「せず」という否定
それで、漸く見えてきた
そのようなことも出来ないのだから、本当に別れてしまうのだろうなぁ
このような「気持ち」が、寂しさ、悲しみを伴って詠われたのだろう

それにしても...「助動詞」の煩わしさは...昔の人は、偉い!






「独詠の相聞歌」
 「歌により、人を想い描く」

この巻第十二の特徴は、巻第十一と同じように、「古今相聞往来歌類」とされ
その「下巻」に相当するもので、
やはり柿本朝臣人麻呂歌集や出典不詳歌ばかりで編纂されている
相聞往来といっても、対になっているとは限らず、
むしろ「忍ぶ恋」や「片恋い」などの独詠歌が多い

右の歌も、その一つだが
何しろ、作者の手掛かりもないので、その歌の背景は
それぞれ読む人が感じるままで充分だと思う

年齢的に先の短い、と言う意味なのか
あるいは病気療養中の身での恋心の吐露なのか...

私の受ける印象は、「命」という表現に感じるものがあった
老いた身ならば、「長くもない命」というだろうか...
老いて「死ぬ」ことは自然のことであり
むしろ、想ひ人が出来たので、長生きしたいと...元気に詠う
ましてや、相手に知られていないのだから...

私は、若者の...想いを告げずに、そのまま死に逝く可能性を思った
それは、何だろう...どんな場合なのだろう

まだ内乱の激しい時期だったろうか
この歌の時期が分からないので、想像するしか手立てはないが
可能性として、私の描く人物像は
当時の藤原勢力への反体制派の一人ではないかと...
勿論、謀叛計画が成功するつもりなのだから
短い命、とは詠わないのだろうから
その場合は...謀叛の発覚、あるいは連座しての逮捕の身、なのかもしれない

想いを寄せる女性に、告白も出来ずに終ろうとする人生...
きっと、蜂起の前には告白するつもりだったのでは、
しかし、この時代によくあるような密告による未遂の逮捕劇
あまりの素早さで、訊問されるまでの軟禁...そして、嘆きつつ詠う...

かなり大胆な物語にしてしまったが
実際に、この歌に限らない
この...万葉の時代は、そんな時代だった
だから、こうした歌も...多かったのではないだろうか

「恋ひつつぞ 我は息づく」...

「人に知らえず」...無念だろう...とても、無念だと想う

掲載日:2013.06.04.


  古今相聞往来歌類下
幾 不生有命乎 戀管曽 吾者氣衝 人尓不所知
 いくばくも生けらじ命を恋ひつつぞ我れは息づく人に知らえず
   いくばくも いけらじいのちを こひつつぞ われはいきづく ひとにしらえず
 巻第十二 2917 正述心緒 作者不詳
 

もうそれほど長くは生きられない命なのに
これほど恋しながら、私は嘆息しているのだなあ
想う人には、知ってもらえずに...


いくばく...不特定・程度を表わす語「いく」に、接尾語「ばく」
打消しの語を伴っているいる場合...たいして、それほど、いくらも...

いけらじ...「生きあらじ」の約、カ行動詞「生く」の連用形「生き」に
ラ変動詞「あり」の未然形、それに打消推量の「じ」がつく
...生きてはいられないだろう... 

(いけらじいのち)を...接続助詞「を」、逆接の詠嘆...、〜なのに
(生きてはいられないだろう命)なのに...

つつぞ...継続の接続助詞「つつ」、〜し続けて、に強調の係助詞「ぞ(そ)」

いきづく...カ行動詞「息づく」、苦しそうに息をつく、あえぐ、嘆く

ひとに...ここでは、特定の人をいう、想い人


しらえず...ラ行動詞「知る」の未然形「知ら」、受身助動詞「ゆ」の未然形「え」、
それに、打消助動詞「ず」
...知ってもらえない...





   「ながらふ」...時をも、ながれ続くこと...
 「活用形に苦しんだ一日」

ながらふる...下二段動詞「流(なが)らふ」の連体形
この「ながらふる」に、すっかり悩まされてしまった
ここでの訳に用いようとして、古語辞典を開く
下二段動詞「流る」の未然形に動作の反復・継続の助動詞「ふ」が付き...
と、ある...

下二段動詞「流る」に継続の助動詞「ふ」?
幾つかの古語辞典を捲ったが、この継続の助動詞「ふ」は、
上代語であるのは勿論だったが、「四段活用の動詞」の未然形に付く、
と書いてある


ならば、「流る」は四段動詞なのか...いや、やはり「下二段」だ
未然形だと「流れ」...「流れふ」?
違うだろう、と何度も見直す
「ながらふ」という下二段動詞の元が、動詞「流る」と助動詞「ふ」ではおかしい
どうしても気になって、他の用法も引くが
その過程で、この動詞「ながらふ」が非常に難しいことがわかった
「流る」と「ふ」のことを一旦おいておき
「ながらふ」そのものに、四段活用の是非があげられていた

ほとんどの辞書は「四段」を認めていないが、中には岩波古語辞典のように
四段は認めているものもある...あるいは、私の古語辞典が、古過ぎるのかな


簡単に説明すれば、動詞「流る」に継続の助動詞「む」が付いた、でいい
そして、その「流る」の意味では、流れる、だけではなく
降る、落ちる、浮いてゆく、漂いながらゆく、次第に広まる、順に次へ及ぶ
生き長らえる、さすらう...など同根とされる「長(なが)し」「投(なげ)」も加わる
それは、平面的な流れだけではなく、時間的な存在の仕方の意味にもなる


私の理解では、理屈で出来た「ながらふ」という下二段動詞ではなく
「ながらふ」という継続の意も加わっている新たな動詞なのだと思う
そして、「流る」では、その活用は下二段しかありえないが
「ながらふ」となると、その活用は「四段」にも可能性が広がり
近代では、歌人の中にも、語調のため止むを得ずか、あるいは知らずか
「ながらふ」を四段の活用のように用いた例が見受けられるようだ
私が、見かけたその例文では、大歌人と言われた斉藤茂吉の歌が載っていた


茂吉『赤光』の「死にたまふ母」の一節で

 「流らふ雲に」とあった

これは、確かに「ながらふ」を四段活用とした連体形だ
下二段の用い方では、「流らふる雲に」となるはずだろう
最新の辞書類を持たなければ、古語の研究成果変化に追いつけない、
ということかな


朝から、ずーっと引っかかっており、そこから先へ進めなかったが
やっと、まだ混沌としている状態なのを知り、
私もそれ以上は手を挙げてしまった
そのことが、解っただけでも、この歌の影響は大きい

せっかくだから、この巻第一から、もう一首の「ながらふ」を載せる

  和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井作歌
 浦佐夫流 情佐麻祢之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者
  うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば
   うらさぶる こころさまねし ひさかたの
 あめのしぐれの ながらふみれば
  (右二首今案不似御井所作 若疑當時誦之古歌歟)
 巻第一 82 雑歌 長田王

この題詞では、和同五年(712年)に伊勢の斎宮に遣い出し長田王が詠んだ歌
並べて三首あるが、この歌の前の〔81〕歌は、題詞の通りにしても
次の〔82、83〕には左注で古歌かもしれないといっている
この遣いの時期が題詞の「四月」、歌で詠まれる「しぐれ」は秋冬の雨
そのことを言うのかもしれない

ここでの「流らふ」は...私の固い頭では、下二段では「終止形」だ
「見れば」に続くのであれば、連用形「流らへ」見れば...ではないだろうか
岩波古語辞典の言うように、四段だとすれば、「流らひ」でないのかなぁ

どの注釈書を読んでも、この歌〔59〕歌と、〔82〕歌...
つまり「ながらふ」の語法については、ほとんど書かれていない
語彙それ自体が、問題なく理解できるから、ということなのだろうか
今ではどうか知らないが、岩波古語辞典で「ながらふ」の四段活用を認めた段階でも
その当時の広辞苑(岩波)の万葉集の例文で、
この〔82〕歌を下二段で解説していたようだ

広辞苑を万葉集の理解の一端に添えようと思わないから、私など気づかないが
きちんと調べる人なら、不思議に思うだろうなぁ、きっと

私の感じでは、そうなると考えられることは二つ
そのうちの、どちらかになるのでは、と思う

一つは、当時の文法の厳密な拘りがなかった
この時代の大陸からの文化の受容の勢いは、
今の私たちには想像も出来ないことだろう
言ってみれば、混沌とした「文字文化」でなかった
文字だけに限らず、口語表現と文語表現の表記法も
その規範は薄かったのではないだろうか
だから、今のようにきちんと文法を解説しようとすると、逆に混乱してしまう

もう一つは、「訓」のありかた
「流相見者」...「ながらふみれば」ではなく
私なら何の躊躇いもなく「ながらひみれば」と、四段活用で読んでしまうだろう
古来の研究者から伝わる、「ながらふ」に四段がない、との観念から
そうは読めないのだろう、きっと

そう言えば、岩波の大系では、「次点」系の訓で、「流れあふ見れば」もあり
その方がいいのでは、と脚注にあった...語調は悪くなるが、すっきりする、と
もっとも、研究者と歌人との立場での「良し悪し」の感性の違いは当然だけど
この四段になるのを避けることに固守すると、
また無理な訓を説明しなければ...「あふ」の説明が...欲しい

語法の用例を独自に探すのは、骨の折れる作業だが
少なくとも、中世から近世の研究者たちは、膨大な現物資料を相手にした
それに比べれば、現代は...やはり、凄い時代なんだなぁ...

掲載日:2013.06.05.


  譽謝女王作歌
流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良武
 流らふる妻吹く風の寒き夜に我が背の君はひとりか寝らむ
   ながらふる つまふくかぜの さむきよに わがせのきみは ひとりかぬらむ
 
 巻第一 59 雑歌 誉謝女王
 

日もずいぶん長く経って、
あなたの着ている旅の衣に、吹きつける冷たい夜風
私の夫は、そんな夜でも独りで寝ているのだろうか...


ながらふ...永くときを経て、と解釈になるが、その詳細は左頁にに載せる


つま...原文の表記は「妻」だが、この解釈には問題が多い
後段にまとめるが、私は「ながらふる」で、「旅の衣」の疲れた様子を思った
同音の「褄(つま)」、「端(つま)」...着物の端の意味で、襟先から下縁と思う
原文そのままの「妻」だと、初句と二句の意味をなさない


わがせ...夫や恋人、他にも一般的に男を親しんで言う


か...係助詞、文中での意味は、疑い・不定の意を持つ、〜だろうか


ぬらむ...ナ行下二段動詞「寝(ぬ)」終止形に、現在の推量助動詞「らむ」、
...寝ているのだろう...


従って、「かめらむ」で
寝ているのだろうか、となる

【妻吹風】
まず、意味として成立の困難なことから、
江戸時代の国学者・荒木田久老が誤字説を唱える
原文「妻」ではなく「雪」の誤りだ、と(『万葉考槻之落葉』)
荒木田久老(1747年〜1804年)は、江戸中期の国学者で
若い頃は、賀茂真淵に師事して国学、和歌を学んでいる
当時の賀茂真淵も、本居宣長も当代髄一の国学者だろうに、
この荒木田の『万葉考槻之落葉』が、少なくとも「妻吹風」に影響を与えてしまった
その影響が、どの程度なのかは知らないが、現在でも「雪」説を載せる注釈書は多い
私の持つ注釈書及び解説書でも、その違いが見られる


中西進の全訳注では、「褄」と訓みを生かして、「衣」に吹く風
古典文学大系では、「妻」を「妾」の誤写とし、「妾」を「ワレ」と読む
伊藤博の校注では、家の切妻...「妻」を家屋と見ている


他にも、私的な解釈を含めて散見できるが、私が最も自然に感じられるのは
「妻」を「褄」と同音と解釈して読むと、無理がないように思える


「つまふくかぜ」と訓じ続けるのか、「われふくかぜ」と訓じものなのか
...「われふくかぜ」では...どんな解釈になるだろう...


ここに岩波の大系の解釈をそのまま載せるが...私には意味が解らなかった

 待ち続ける私を吹く風の寒い夜に、我が背の君は今、一人で寝ているのであろうか

 待ち続ける私、吹く風の寒い夜、一人で寝ているのだろうか

吹く風に晒されているのは「私」で、あなたはそんな夜に一人で寝ているのだろうか

この解釈を理解するのに...解釈書が欲しくなってきた
どうして、こうした古典の歌は、現代解釈にすると、難しい日本語になるのだろう...














   「旅路の不安」...上京も、筑紫へも...
 「先の見えないものと、悲別のものと」
右の歌の類歌を載せる

  昔年相替防人歌一首
 夜未乃欲能 由久左伎之良受 由久和礼乎 伊都伎麻佐牟等 登比之古良波母
  闇の夜の行く先知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
 やみのよの ゆくさきしらず ゆくわれを  いつきまさむと とひしこらはも
 (右件四首上総國大<掾>正六位上大原真人今城傳誦云尓 [年月未詳])
 巻第二十 4460 防人歌・古歌 作者不詳


この歌の題詞では、むかし交替した防人の歌一首とあり、その左注では、
この歌を含めた四首を「大原真人今城」が伝え誦み歌として載せている

下の三句は、右の〔3921〕歌と同じで、従って歌意も同じになるだろうが
この歌は、筑紫へ向う防人の歌であり、その不安感は雲泥の差があるだろう
京へ上る海路のかこつけての家族との悲別の歌が、〔3921〕歌
この〔4460〕歌は、筑紫へ行けば、常時緊張の最前線となる
送り出す妻が尋ねる、いつ帰って来られるのでしょう、と言うのは
「生きて帰ってきてください」に等しい

下三句は、伝誦歌というものが
ある程度常用句になっているような感じもさせる

広く伝え詠まれた三句ではないだろうか
勿論、万葉集中だけではなく、伝誦歌として野に消えて行く歌も多いのだろう

この二首の違いを際立たせる上二句
闇の夜の行く先知らず
大海の奥かも知らず...

どちらも、先が見えない不安感は一緒だが、一つ大きな違いがある
それは、「闇夜」という感覚的な見通しだけではなく、視覚的な暗闇
自分の意志では、何も出来はしない...そこに何があるのか、さっぱり...

海原を行くのは、「海」という「路」
しかし、「闇夜」と言うのは...「路」ではない
底なしの「空間」だ...その不安感の代名詞のような語句のみならず
続いて「行く先知らず」とあるのは、
まさに死地への赴きを思わせはしないだろうか
そこから生れた、この「昔年の防人」の「歌」
上総国のこの時の役人であった今城が、伝誦歌としてここに伝えたのも
彼の若い感性が...どうしても、ともたらせたものだろう

ことさらに、防人歌に拘る大伴家持が編纂した巻第二十
ここでこの巻における今城の初出になるが
やっと、家持との親密な親交が伝わり始める
...家持とは、従兄弟の可能性も指摘されている今城...

この時は...若かっただろうなあ...
 
掲載日:2013.06.06.


  天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時
  ケン従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌(十首
大海乃 於久可母之良受 由久和礼乎 何時伎麻佐武等 問之兒良波母
 大海の奥かも知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
   おほうみの おくかもしらず ゆくわれを いつきまさむと とひしこらはも 
 右九首作者不審姓名) 
 巻第十七 3921 羈旅・悲傷歌 作者不詳
 
題詞 
 天平二年庚午の冬十一月、大宰帥大伴卿の、大納言に任ぜられて[帥を兼ぬること旧の如し]京に上りし時に、ケン(人偏に兼)従等別に海路を取りて京に入りき。ここに羈旅を悲傷して各所心を陳べて作りし歌十首

天平二年(730年)の冬十一月、大宰帥の大伴旅人が大納言となり
大宰府の長官職(帥)の任はそのままで、京に上った時
従者たちは別途海路での入京となった
その時に、旅路で詠んだ歌十首...

「悲傷羈旅」というのが、まだよく解らないが...
十首の内、最初の一首〔3912〕は、三野連石守作、と左注にあるが
残りの九首は、左注の通り、誰の作か分からない


大海の、どこまで続くのか
その果ても分からずに旅行く私を
いつ帰って来られますか、と訊いたあの娘は...


おくかもしらず...内部へ深く入ったところ、どんなところか分からずに...
ここは、大海原の何処までも続く果てしなさへの不安のことばだろうか

いつきまさむと...自サ行四動詞「来座す(きます)」の未然形「きまさ」に
推量助動詞「む」
「来座す」はカ行変動詞「来」の連用形に尊敬の補助動詞「ます」の付いたもので
意味は、おいでになる、
ここでは...いつおいでに...帰って来られるのでしょう...
と...格助詞、〜と言って

とひし...動詞「問ふ」の連用形、尋ねる...に、
過去の助動詞「き」の連体形「し」、「こら」にかかる

こら...万葉集では、男が女に親しみをこめて呼ぶ語として多く見える
はも...上代語で、文末に用いた場合には、回想や愛惜の気持ちを込めた、
詠嘆・感動の意になる
訳語によく見られるような...〜よ、〜なぁ

大納言、そして大宰帥でもある大伴旅人の従者たちの上京
従者たちは、別途の海路ということになっている
題詞には、「悲傷羈旅」してそれぞれ詠うと...
自分たちの仕えた長官が、偉くなって都に帰るとき...
何だか、その印象が重ならない
どうして「悲傷羈旅」なのだろう
筑紫の者たちは、それぞれに妻子、あるいは親を筑紫に残しているのだろうが
やはり、都は...遠い異郷なのだろうか
いや、そんなことはないと思う
ここでは、単に離れ離れになることへの寂しさが...悲傷歌になるのだろう
その気持ちを、海原の奥深さ...奥行きの広さからくる「不安」感へと歌にする

船の旅路は、当時の人たちにとって、不安な気持ちにさせるものだったと思う






   「そこしうらめし」...額田王の日本的美意識...
 「一つ喜び、一つ憂い、それがいい」

右の歌を今夜選択したのは...週末だから、結果オーライ、といえる
これが平日の、いつもの夜であれば
最後まで書き終えることは出来なかった
取り掛かってから、今この左頁に移るまで...五時間も費やしてしまった

歌を読む限りにおいては、何も難しくもなく
歌意も大筋では理解できた
しかし、その理解を確認するために、語彙を調べ出すと...
とんでもない難句ばかり...

題詞の内容に惹かれて取り組んではみたものの...
春山に咲き乱れる「万花」のあでやかさ
秋山を映えさす「千葉」の彩り

そのどちらが優れていると思うか、という問い
私自身は、迷いもなく「秋山の彩り」に手を挙げるが
この額田王の簡単な説明で、
しかし、最後の「そこしうらめし」に、参ってしまった

だからこそ、秋山がいいのだ、と


そもそも、歌を詠じるその源は、「感嘆」にあると思う
そして、それは喜びよりも、むしろ嘆きの時の方が「心に響く」
冬の雪に、あるいは寒さに縮こまっていた状況からの開放感
雪解けから始まる春の息吹は、何も憂うことなく
花を愛で、鳥の鳴き声に耳を寄せ、心を穏やかにさせはする

しかし、その穏やかさに浸ることは、
果たして人の持つ欲求を、充分満足させてくれるものなのか

少しくだけて言ってしまえば...私は、きっと寝入ってしまうだろう
春の浮かれるような光と風...山と川...
いくら見事な光景を目の前に置かれても...きっと、寝入ってしまう

秋はどうだ...また身を丸めながら過ごさなければならない
そんな季節への抵抗と、眼前の見事な山の彩り...
草木に覆われた「山々」が、こんなに見事に燃えるものなのか

次第に寒風に身体をさする
しかし、まだ山の美しさは衰えない
とても寝てる場合ではない、と自分に喝を入れる

それが人の心の、自然への畏怖になっている

万葉歌を何度も何度も読み返していると
決して古代の人たちが、はるかいにしえの幻影人たちではなく
今、私の目の前で息づいている人たちと同じだと教えてくれる

そこに、歴史という時間的な距離はない
あるのは、「記録された」無機質な「年紀」だけだ
今から千何百年前であろうと、歌の作者たちの気持ちは
今、私の目の前にいるかのように、語られ...伝わってくる
そこに、「歴史」という「過去と現在」を仕切るものはない

この「歴史」は、まったく別なもの
本来、歴史には「人」がいるはずなのに
「記録」には、名前と言う「記号」と、時という客観的な目盛があるだけだ

万葉集に接していると、「音」としての「声」は聞かれないが
その「人」の「ことば」が耳元で聞こえる

そこには、単なる記録になっている「歴史」ではなく
その歴史の中にいた人々の営みが...こだましている
充分に読みこなせなくてもいい
そこに向って行けることが、すでに会話をなしているのだから...

今夜は、そうした人たちの「声」を理解したかったのだが
私には、まだまだ「彼の人たち」の声は難しい

古語辞典を開かなくても、歌のイメージが浮ぶのは...いつになるのだろう

そして、毎日のように知る
古語は、決して決定的なものではない、と
未だに多くの異説があり、解釈の違いも多い
私が自分なりの歌を思い浮かべるにしても
古語の意味、あるいは品詞の扱い方の誤解が多ければ
それは、バッハの曲を聴いて、
チャイコフスキーの作曲だ、と思い込むようなものだ

まだまだ、果てしない旅は...続けられる...それは嬉しいことだけど...

掲載日:2013.06.07.

  天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
 
冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者
 
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山吾は
 
ふゆこもり はるさりくれば なかざりし とりもきなきぬ さかざりし はなもさけれど やまをしみ いりてもとらず くさふかみ とりてもみず あきやまの このはをみては もみちをば とりてぞしのふ あをきをば おきてぞなげく そこしうらめし あきやまわれは
 巻第一 16 雑歌 額田王
 
題詞 
 天皇(天智)が内大臣藤原朝臣(鎌足)に、春山に咲き乱れる万花のあでやかさと、秋山をいろどる千葉の彩りと、どちらの方に深い趣きがあるかとお尋ねになった時に、額田王が歌で判定した歌

春が訪れると、それまで鳴くこともなかった鳥もやって来て鳴きます
そして咲かなかった花も、咲きましょうが
山は繁み合って入り辛く、草も深いので手折ることさえできません
しかし秋山の木の葉を見ては、黄葉を手に取りもして想いに耽り
また青葉を見れば、そのままにして嘆きもします
その心の定まりないことが、何とも恨めしいのですが
それなればこそ、秋山の方が趣があるのではないかと
私は思います


ふゆこもり...ここは、「春」に懸かる枕詞...寒さにすっかり覆われている、と言う意
春さり来れば...自動詞ラ行変格活用「去る」は、季節や時を表わす語に付いて
「近づく」、「来る」という意味を持つ...春になる、春がやって来る

鳴かざりし...カ行四段「鳴く」の未然形に、打消しの助動詞「ず」の連用形「ざり」
それに、過去の助動詞「き」の連体形「し」
...鳴いていなかった...

鳥も来鳴きぬ...「鳴く」の連用形「鳴き」に完了助動詞「ぬ」の終止形
...鳥もやって来ては、鳴きます...

咲かざりし...「鳴かざりし」と同様
...咲いていなかった...

花も咲けれど...「咲けれど」、完了の助動詞「り」の已然形「れ」に
逆接の確定条件の接続助詞「ど」
...「咲く」はカ行四段だと思うが...古語辞典に載っていない
それが不思議で仕方ない
「咲き渡る」とか「咲きあう」...ともに四段だが...
何故、「咲く」がないのだろう...常識過ぎて載せないのか、それとも...
古語の言い回しが別にあるのか...辞典が問題なのか...
このおかげで、サ行の語彙、全部辞典を追いかけてみた...とんでもない時間の消費


「咲く」の活用が解らないと、続く品詞の確実さに影響すると思ったが
おそらく、問題なく...今で言う「咲く」でいいだろう...と思う
すると、ここの「咲けれど」は...「咲いてはいるが」となるはずだ

山をしみ...形容詞「茂し」、草木が密集している
接尾語「み」は、形容詞について、原因・理由を表わす
多くは、上に名詞と助詞「を」がくる...〜なので(これを「ミ語法」と言うらしい)
...山、を、「茂」、み
「山をしげみ」、ではなく「山をしみ」と訓むのは
そうした特殊な語法があるのだろう

山をしみ...山は草木などが生い茂って密集しており

入りても取らず...逆接の仮定条件の接続助詞「ても」、「入る」の連用形に付いて、
たとえ中に入ったとしても、取りもせず...

草深み...ここでは、先の「山をしむ」と同じ対句かと思うが
「を」がなくとも...「ミ語法」なのだろう、と思う...草が深いので
取りても見ず...この「ても」も先と同じ
...取って手にすることもせず...

黄葉をば...「をば」、格助詞「を」に係助詞「は」のついた「をは」の濁音化したもの
動作・作用の対象を強く示す意を表わす

しのふ...思い慕う意もあるが、ここでは愛でるような意味だろう

あおきをば...「をば」は先の対句

置きてぞ嘆く...対句、「置く」は、そのままにしておく、の意がある

そこしうらめし...副助詞「し」、語調を整え、強意を表わす
それこそが、「うらめし」...「うらみ」からの転で、
「うら」は「心」、「み」は「見」...残念に思われる...
が、それこそ「秋山」の魅力だと、強調している


   「荒都に鳴き沈む」...人麻呂のいにしへ...
 「柿本朝臣人麻呂にとって、近江は...」

右の歌で、門部王は故郷である平城に想いを馳せる
しかし、同じように旧京に想いを馳せるのも
この柿本朝臣人麻呂の場合は、まったく違う
彼は、激震に揺れた672年を、近江朝側の人間として生きていた
その頃、どんな地位だったのか、史書にもその名はなく
どの研究者も、万葉集が最大の人麻呂研究の第一級資料としている
そもそも、私の人麻呂観は、私の故郷でもある山陰での死に纏わるものだった
それから、数多くの本を読んだが、結局...どれも、より合理的な「推測」まで
それは仕方のないことだ

万葉集の歌は、万葉集という歌集の世界だけではないこと
それは充分心得ている
しかし、そこに歴史の真実を求めたいとは思わない
せいぜい題詞や左注が参考になるくらいで、あくまで歴史の補足的な役割だ
すると...人麻呂は、やはり万葉歌人の「柿本朝臣人麻呂」だった

門部王は、「風流侍従」とも称されていたという
ならば、柿本人麻呂のこの歌も、当然の熟知していたことだろう


 柿本朝臣人麻呂歌一首
 淡海乃海 夕浪千鳥 汝鳴者 情毛思努尓 古所念
 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ
  あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば
 こころもしのに いにしへおもほゆ
 巻第三 268 雑歌 柿本人麻呂
 
近江の海の、夕波に戯れる千鳥よ
おまえが鳴くと、心もし萎えるように、
ここが都であったころの、そのいにしへの姿を思い出してしまう


こころもしのに...副詞「しのに」は語感として、しっとりと靡いている感じとある
意味としては、おしなびいて、しおれて、しんみりと...
感慨に浸っているというよりも、打ちひしがれているような感じだ


柿本朝臣人麻呂にとっての、近江の都は
いくら当時は下級官人であろうと
混沌とした時代に、ある程度の安泰を求め得る都ではなかったか
蘇我氏を滅亡させた時代に、人麻呂がどんな立場だったのか私は知らない
幼年期、少年期だったかもしれないが、人麻呂の記憶は確かではないだろう
しかし、672年の内乱そしてそこから始まる新たな権力闘争
それをじーっと見詰め、また歌も作りあるいは採録も盛んに...
万葉歌人と後の人はいうが、この時代...特に人麻呂の青年期は
果たして「万葉歌人」と言うステータスがあったのだろうか

もっとも、こうした私の無知さは、何も調べ物に手を付けずに思っているので
本来なら、もっと積極的に知っておきたいのだが...
何しろ、今の私は...そんな歴史をも、「万葉集」の時代の中に埋めようとしている

人麻呂...石見国で地方役人として死んだ...病死、刑死いろいろ説もある
しかし、それはまたその方面に熱心な人が求めてくれればいい

私にとって、飛鳥時代の万葉集から始まって
ぐるっと全巻を駆け足で廻ってきたら...やはり、またここ飛鳥時代に...
そこで、再び足を止める、ついでに「あたま」も止める

人麻呂が荒れた大津京に立つ...千鳥が鳴いて、往時の映像を甦らせる
しかし、歌人である人麻呂には、
往時を偲べば偲ぶほど...その心を萎れさすほどに辛いことだった

人麻呂の「いにしへ」...彼は、この荒れた旧京に...何を見たのだろう

掲載日:2013.06.08.


  出雲守門部王思京歌一首 [後賜大原真人氏也]
飫海乃 河原之乳鳥 汝鳴者 吾佐保河乃 所念國
意宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに
  おうのうみの かはらのちどり ながなけば わがさほかはの おもほゆらくに
 巻第三 374 雑歌 門部王
 

意宇の海に流れる意宇川に

休める千鳥の鳴き声を聞くと

故郷の佐保川が、しきりに思われてしまうものだ



意宇の海...島根半島で、形作られた「宍道湖」がある
その湖が山陰の古都松江を「大橋川」で横切り、日本海に繋がる手前に
今で言う「中海」がある
「意宇の海」とは、その「中海」のことらしい
私の少年時代は、この中海はまだ本格的な埋め立てはされていなかったが
今では、すかり埋め立てられているらしい...

出雲守として、この任地で意宇の海に注ぐ「意宇川」の千鳥を見て
静かに故郷の佐保川を思ったのだろう...
そこに千鳥の鳴き声、いっそう懐郷の念が高じてしまった
おもほゆ...自ヤ行下二段「おもほゆ」は、四段動詞「思ふ」の未然形に
上代の自発の助動詞「ゆ」の付いた「思はゆ」の転じたもの
...思われる...

らく...動詞を体言化する接尾語「らく」、動詞の終止形(思ほゆ)に付く...こと...
に...格助詞、動作・作用の結果を示す

「おもほゆらくに」...直訳すれば、思われることだ

門部王の不確かだが伝わるもの
養老末年(723年頃)出雲守、当時の任期は四年だったので、その頃の詠歌だろう
当時の都は、皇親政治の中心である長屋王が健在であり
同じく皇親の門部王にとっては、都への望郷の想いが強かったのだろう








   「語り合うもの」...草木へ...
 「見てくれている、理解してくれている」と、寄せる

右の歌で、真木の木の葉は、私の気持ちを解っているだろう
そんな木の葉への信頼感...大袈裟かもしれないが
失礼をすることを、きっと理解して許してくれる
そんな、一面思い上がりのようでも、本心は頭を下げている
だから、こうして詠わずにはいられなかった

この歌で、とても悩んだのが「しなふ」という言葉
この解釈の仕方で、続く語句の解釈も大きく振れる

だから、私には具体的な内容を求める「何故」が訳せなかった
いや、訳せなかった、のではなく
必要なかった

その「何故」を求めれば、二つの解釈を出さざるを得ない
その結果だけを書き出せば、
一つは、この作者がどんな思いで、この山を越えようとしたのか
その「何故」はともかく、草木を愛でる余裕もなかったけど
木の葉は、きっと理解してくれている...ありがとう、言う気持ち

もう一つは、私が心も撓えて、堪えがたい気持ちで山を越える
その気持ちを察して、木の葉も萎れているのか

ここで、「何故」が、必要もないことも解ると思う
何故「堪えがたい気持ち」なのかではなく
「木の葉」が、作者にあたかも気を遣った風に一緒に萎れる
やはり、そのことへの感謝の気持ちもあるだろう

どちらも、「木の葉」が作者の心を理解してくれる
要は、それがこの歌の本意なのだから...
でも、私は...「ゆっくり愛でることもなく、越えて行くのを許せ」
そう叫んだ方が、木の葉と対等の関係のようで、いいと思う

同じ人心を解する「木の葉」の歌がある


   譬喩歌 寄木
 天雲 棚引山 隠在 吾下心 木葉知
  天雲のたなびく山の隠りたる我が下心木の葉知るらむ
 あまくもの たなびくやまの こもりたる
 あがしたごころ このはしるらむ
  (右十五首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
 巻第七 1308 譬喩歌 柿本朝臣人麻呂歌集出



天雲がたなびいて隠す山のように、
内にこもる私の淡い恋心は
山の木の葉が知っているだろう


注釈本には、「木の葉」が恋人の譬え、ともあるが
それだと、恋の切なさがなくなる
秘めたる想いを、「恋人」は知っているだろう...
知られてはいけない
知られないほどに懸命だから、こうして詠いたくなり
その切ない心は、山の木の葉は知ってくれている...
そう解釈した方が、私には心に響く歌になる...

人の感性もいろいろだ...自分にどんな響き方をさせてくれるのか
いつも、それを楽しみに、万葉の扉を開けている

掲載日:2013.06.09.

  小田事勢能山歌一首
真木葉乃 之奈布勢能山 之努波受而 吾超去者 木葉知家武
 真木の葉のしなふ背の山偲はずて我が越え行けば木の葉知りけむ
  まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ
 巻第三 294 雑歌 小田事
 


真木の葉が、こんなにたおやかに茂っている勢能山に

その観止めるゆとりもないほど、

堪えがたい気持ちで越えて行くことを

この木の葉は、知ってくれたことだろう




真木...「ま」は美称の接頭語、杉、檜など立派な良質の木
特に「檜」の異名とされているようだ

しなふ...自ハ行四段「しなふ」の連体形、しなやかにたわむ、たおやかに美しい様子
この「しなふ」は、「せのやま」に続くので、間違いなく連体形
だから、ハ行四段の連体形で、その意味は「好感的」だ

しかし、ある注釈書を読むと、この「しなふ」が「しなゆ」と同じ、とある
その「しなゆ」を調べると、「自ヤ行下二段」で、
意味は、「萎れる、しぼむ」というように、愛でる気持ちには真逆になる
そうなると、歌意もまったく違ったものになる

私は四段動詞「しなふ」で歌意をくみとりたい
「しなゆ」と同義とした下二段なら、連体形は「しなゆる」になるので
その「意味」を用いるなら、はっきり活用の違う「しなゆる」を使うはずだ
だから、この木の葉は...美しくしなやかにたわんでいる、と思う

しのはずて...「しのは」は他バ行四段「偲ぶ」(上代は「しのふ」)の未然形、
...思い慕う、なつかしむ...
「ず」は打消し助動詞「ず」の連用形、「て」は接続助詞、前後の接続・理由

こえゆけば...四段動詞「行く」の已然形に、順接確定条件の接続助詞「ば」
...越えてゆくのだから...(ゆとりもないほどの気持ちで)

しりけむ...四段「知る」の連用形に、過去の推量の助動詞「けむ」の終止形
この「知る」は、ここでは「理解する、認識する」の意味だと思う
...木の葉も、解ってくれただろう...









   「大宰府、懐ふる」...故郷遠し...
 「暮れゆく地で...」

大伴旅人が、大宰府の長官(帥)として筑紫へ赴任したのは、
その記録がないらしく、大方の推測では神亀五年(728年)六月以降は
確実に大宰府にいたようなので、遅くともそれ以前には赴任していたとされる
そして、その任期を終え帰京したのが、天平二年(730年)十二月
意外と短かったのは、729年の長屋王の謀叛の嫌疑での騒動収拾の結果だと思う
藤原四卿の勢力が、長屋王亡き後一気に加速し広がり
それに伴う都の有力な士族の廟政での活躍は、影を潜めざるを得なくなっていた
そうした中での廟政に参画する人材が求められたのだろう
勿論、決して藤原権勢下では、野心は持つことはできない
おとなしくしていなければならない
それは旅人も百も承知している
期待に反しての都の澱む風に吹かれ、旅人は一気に「生」への執着を捨てた
そう思えてならない

以下の歌は、その旅人が帰京する、おそらく少し前の大宰府での宴だと思う
新任の官人のために宴を設けたとされる
そう推測できるのは、その新任官人の小野老の歌で、「今盛りなり」と
この都の息吹を先任者たちに披露していることだ
この歌を皮切りに、それぞれが「望郷の歌」を詠じ出す


 大宰少貳小野老朝臣歌一首
 青丹吉 寧樂乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有
  あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
 巻第三 331 雑歌 小野老
 青丹も美しい奈良の都は、咲きさかる花の香りのように
 その美しさは、今が盛りですよ
 防人司佑大伴四綱歌二首
 安見知之 吾王乃 敷座在 國中者 京師所念
  やすみしし我が大君の敷きませる国の中には都し思ほゆ
 巻第三 332 雑歌 大伴四綱
 この国の隅々まで、あまねく統治なされる大君の
 その国の中にあっても、やはり都のことが恋しく思われるます
 
 藤浪之 花者盛尓 成来 平城京乎 御念八君
  藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
 巻第三 333 雑歌 大伴四綱
 藤の花が、波のように咲き誇っていたようですね
 奈良の都のことを、恋しくお思いでしょう、長官
 帥大伴卿歌五首(右頁五首掲載)
 我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
 我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため
 浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも
 忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
 我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ
 沙弥満誓詠綿歌一首 [造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也]
 白縫 筑紫乃綿者 身箸而 未者伎袮杼 暖所見
  しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ
 巻第三 339 雑歌 沙弥満誓
 しらぬひの筑紫の綿は、
 まだ身に付けて着たことがないが
 暖かそうに見える
 山上憶良臣罷宴歌一首
 憶良等者 今者将罷 子将哭 其彼母毛 吾乎将待曽
  憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ
 巻第三 340 雑歌 山上憶良
 さて、憶良はもう退出しましょう
 子どもが泣いているでしょうし、
 それにその子の母親も、私を待っていることでしょう

最後に、山上憶良が「罷宴歌」で、この宴の終りを知らせる

旅人が詠じた五首の後に続く二首〔339・340〕歌
それまでの「望郷歌」と打って変わって現実へ引き戻される
旅人の後にも、いくつの「望郷の歌」は続いたのだと思う
しかし、新任者を前にそのような歌だけで宴が終始してしまえば
それこそ、大宰府は「人事の最果ての地」と思われかねない
そんな流れを食い止めるように、沙弥満誓が「しらぬひ」と詠う

しらぬひ...国生み神話で、筑紫を「白日別(しらひわけ)」という
「ぬ」は「「の」で、約して「しらひ」筑紫が本来かもしれない、との説もある
ここでいう「筑紫」は、九州の総称


【罷宴】...宴を終らせること、と他の歌での用例でもあるようだが
この題詞の「罷る」は、その所より退出することで
憶良がそれを詠ったということで、この宴の主人が憶良だとしている
主人の閉めの合図として、憶良らしい文言で締めくくったように見える

それぞれが抱く都への郷愁も、沙弥満誓や山上憶良のような人物にすれば
なんと愚かなことよ、とでも言っているような雰囲気が伝わる
勿論、そんなことはないだろうが
この望郷へと流れ出した空気を止める沙弥満誓の歌は...そんな気がしてならない


掲載日:2013.06.10.

  帥大伴卿歌五首
 
 吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
  わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ
 巻第三 334 雑歌 大伴旅人
 
私の若かりし頃へ、もう一度戻れるだろうか...

いや、できるはずもない
ならば、このまま再び奈良の都を見ることなく
ここで終ってしまうのだろうか...


さかり...活動力や勢いが盛んなさま、人として充実している時期、若い盛り
また...副詞、もう一度、再び
をち...自タ行上二段「をつ」(「変若」の表記もある)の未然形、元に戻る、若返る
(反語が「をゆ(老ゆ)」)
め...推量の助動詞「む」の已然形
やも...上代の終助詞で反語を表現する、〜であろうか、いや〜でない
「やも」には、同じ意味で「係助詞」もあるが、それは「体言」に付く
活用語の已然形に付くのは「終助詞」
そもそも「やも」は、係助詞「や」に終助詞「も」が付いて「終助詞」を作るのと
係助詞「や」に係助詞「も」が付いて「係助詞」とする組成がある


ほとほと(に)...すんでのことに、あやうく〜する、ほとんど
みずか...上一段「見る」の未然形に、打消しの助動詞「ず」の終止形
それに疑問の係助詞「か」、〜だろうか
なりなむ...推定の助動詞「なり」の連用形、完了の助動詞「ぬ」の未然形
それに推量の助動詞「む」
みずかなりなむ...見ないで、終ってしまうだろうか

以下、引き続いて四首が載る

  吾命毛 常有奴可 昔見之 象小河乎 行見為  335 
 我が命も常にあらぬか昔見し象の小川を行きて見むため
    わがいのちも つねにあらぬか むかしみし きさのをがはを ゆきてみむため
 
 この命も、永遠にあってほしいものだ
 昔見た、あの懐かしい象の小川を、もう一度見たいからなあ
 
  淺茅原 曲曲二 物念者 故郷之 所念可聞  336
 浅茅原つばらつばらにもの思へば古りにし里し思ほゆるかも
    あさぢはら つばらつばらに ものもへば ふりにしさとし おもほゆるかも
  
 浅茅原、つくづくこうやって物思いに耽っていると
 故郷の明日香が、こんなにも思われてならない
 
  萱草 吾紐二付 香具山乃 故去之里乎 忘之為  337
 忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため
    わすれくさ わがひもにつく かぐやまの ふりにしさとを わすれむがため
  
 忘れ草を、この衣の下紐に付けてみる
 香具山の、あの懐かしい故郷を忘れようとして...
 
  吾行者 久者不有 夢乃和太 湍者不成而 淵有乞  338
 我が行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にありこそ
    わがゆきは ひさにはあらじ いめのわだ せにはならずて ふちにありこそ
  
 私のここでの在任は、そう長くはないのだから
 吉野川の夢のわだよ、瀬にならず淵のままでいてくれよ


この宴席は、天平元年(729年)、大宰少弐石川足足の後任として
大宰府に着任した、小野老の歓迎の宴かもしれない
一連の十首から推測される季節は晩春の頃、
そして都では、長屋王の騒動があった頃であり、
旅人にしても、都の様子を気にしてのことだろう
しかし、宴歌には、その不穏な都の空気を感じられるものがない
騒動の落ち着いた後のことなのか、それともその以前のことなのか
それぞれが、故郷を想っての歌になり、望郷の念の強さを知る

ことに、この大伴旅人にいたっては
高齢での大宰府への赴任だったため、その気持ちはいっそう深いものだろう
生きている間に、もう明日香を見ることは出来ないかもしれない、と慄き
その想いを断ち切るために、「忘れ草」まで使って...
ここに見られる焦燥感は、最後の歌に反映されていると思える


〔338〕歌で、この地での任期はそろそろだろう、と詠う
だから、象川と吉野川の合流点にある淵が、まだ瀬になるなよ、と願う
そこに私が感じたのは、旅人の自身で感じる「余命」のことだ
元気であれば、瀬にならないで、といわないで、また淵を見よう
そう詠えばいい

しかし、任期はともかく、自身の体調を思うと...いっときでも早く訪れたい
その肉体的な焦燥感が、それまでの歌に現れていて、ここでは隠れている
だからこそ、「任地への赴任」をいう「行き」を面に出して
もう間もなくそれも終るから、
と吉野宮滝付近の淵の名「夢のわだ」に懇願しているが
それからほどない時期(730年頃)に帰京して、その翌年に旅人は亡くなっている


あくまで結果を通して旅人の想いを見るならば
この、もうすぐ帰るよ、だから待っていてくれ、という歌は
その時点で、俺も先がそう長くない
だから、無慈悲なことはしないでくれよ、という切ない懇願に聞こえて仕方ない

望む永遠の命

自分でも驚くほど深い「望郷」の想い

そこにあるのは、決して若くない肉体の衰え、命の虚しさ

大宰府での大伴旅人の長官として、歌人として、そして家持の父として
私に、その旅人像を大きく変えさせた「望郷五首」と言えるかもしれない



   「無常であるがゆえ」...筑紫の山寺で...
 「満誓沙弥、筑紫観世音寺別当」

もとより、どんな歌であっても、その詠いたいと思う動機
あるいは、きっかけが必ずあるもの
創作の意欲もなく、自然と詠じるなど、それはあり得ないことだ
ただし、その動機やきっかけが分からないからと言って
その背景に何があった、何がある、だけに拘ってしまうと
残された歌の「存在」が...それこそ「無」に限りなく近づいてしまう

私も、ひと頃...随分若い頃だったが、
そうした謎解きのような楽しみに夢中になったことがある
万葉集を「暗号」として解釈したり、「秘められた歴史」書だとか...
確か、それも一種のブームだったような気もする
そのこと自体、決して悪いとは思わない
肝心なのは、歌に向う自分の姿勢だから...

それがよく解るのが、今の自分を見て、つくずくそう思う
歌そのものが、語句が変化しているわけでもないのに
どうして、その歌を口ずさんだとき、心への響き方が以前とは違うのか
しばらく悩んだこともあった
万葉歌というのは、正直すべての歌が優れているわけではない
選抜された、撰歌集とは違って、より多くの「時代の歌」を残そうとしている
そこには、文字が外国語である漢字でしか表現できないので
当然、書き残せる人も限られてくる
しかし、採録された歌もかなり残っており
やはり、本当は可能であればありとあらゆる歌を残したかったのではないだろうか
この万葉集の編者は、幾時期にも渡って関わっており
その編纂方針というものも一貫性はないが
一つだけ私が確信しているのは...優劣をつけた結果の歌集ではない
私には、そう思える
文字表記の関係から、正確に詠み伝わっているかどうか、それも解らないが
そうした、何もかもが現代から見て不確かな「きっかけ」の歌集だから
そのつもりで歌を読むと...違う
それまで、こうあるべきだ、という与えられた観念に縛られていたのが
あれ、こうではないのか...こうして感じれば、よく理解できる
そんな歌にも出逢うことがある

この満誓沙弥の歌も、正直言って、私にはそんな歌の一つだった

現代の人でも、よく「人生は」と、何かにたとえる
その「道」に長じた人の、そのたとえは、時に自分の指針にもなる
しかし、元来そうした「諭し、教え」のようなものが嫌いだった私には
社交辞令で受けることはあっても、積極的に人に伺ったりはしない
聞く場合でも、あくまで「已む無く」と自分に言い聞かせていた
勿論、若い頃の私であって、今の私ではない

その若い頃に、この満誓沙弥のこの歌を、確かに目にしている
それは覚えがある...「人の世?」
そんなこと万葉集で詠うこともあるのか、と漠然と素通りしたものだ
その満誓という人柄も、歌の読まれた背景、環境も知らずに...
確かにその頃の私は、好きな古代史の流れの中で
飛鳥時代の興味はあっても、奈良時代までは繋がらなかった
必然として、奈良時代の歌人...それは大伴家持も旅人も含めて
私には、あまり惹かれる歌人ではなかった
何故なら...魅力溢れる「躍動の明日香」時代の人ではないから...
柿本人麻呂であり、大津・高市などの男たちの時代だった
内乱後の混乱期に、花咲く淡い恋歌...それが私の「万葉集」だった

無常観...無常であるが故に、なったく顧みることもなかった、この歌〔354〕

しかし、こうして自分の年齢がどんどん重ねられてゆくと
何故か、昔素通りした歌が、とても魅力的に響いてくる

この満誓...旅人と交遊があり、
その旅人が、あまりにも人間的な魅力を見せるので
そこから気に掛けて、昨日の「しらぬひ 筑紫...」の一首
あの歌が、一見そっけないように見えて、旅人との深さを感じさせた
勿論その宴の主賓は、新任者の歓迎の宴としても、大宰帥旅人だろう
都への郷愁に興が浸っている時、
この歌の配列で言えば、突然のような「現実」観
その現実は、筑紫の綿の衣ではなく...筑紫そのもの
そうした歌群の物語性を感じてしまう

そして尚も、その後に今度は旅人の酒を愛でる、いや酒飲みを愛する十三首

そこで、その歌の直後に、この満誓の〔354〕歌が載る
ここでも、旅人の磊落な酒賛歌の歌に「水を差す」ような...

考え過ぎだとは思うが、あまりにも...その名コンビ振りが際立っている
こんな見方をして、悪ふざけか、と言われそうだが
そう見えて、なおその歌に真摯に向き合うことができれば
何もふざけているのではなく、
私の「万葉人」と向き合う真面目な一つの楽しみ方でもある



ネットで、筑紫観世音寺の写真を見た

何となく明日香の風景に似ている

そこが山寺なのかどうか...解らないが

大宰府市にある寺院...満誓と旅人の二人が静かに語り合うのが見える




いつか...訪れたいものだ

掲載日:2013.06.11.

  沙弥満誓歌一首
 世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
世間を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
  よのなかを なににたとへむ あさびらき こぎいにしふねの あとなきごとし
 巻第三 354 雑歌 沙弥満誓
 
この人の世を、いったい何に譬えようか

朝、港を漕ぎ出て行った船の

その航跡が、あっという間に消えて残らない

そういうものだ、とでも言うのだろう



世間...世間、社会、人の世
たとへ...他動詞ハ行下二段「たとふ」の未然形、他の物事に擬えていう
む...推量の助動詞

あさびらき...停泊していた船が、早朝出航すること
こぎ...他動詞四段「漕ぐ」の連用形、櫓や櫂を使って船を進める
いに...自動詞ナ変「去(い)ぬ」の連用形、行ってしまう、去る、過ぎ去る...
し...過去の助動詞「き」の終止形

あとなきごとし...「あと」は形跡、痕跡、足跡など...(足処「あと」の意)
...その痕跡がなくなるようなものだ...


この歌は、かなり有名な歌らしい
昨日採り上げた歌でも、この作者「沙弥満誓」の一首から
その宴の雰囲気が変ったような気がしたものだ
この歌...「無常歌」と言われ
確かに、「人生を何に譬えよう」という
その応えによって、その人となりが試されるようなときに
いわゆる、人生は...人の世は「無」だと言う

今でこそ、こうした「言葉」はよく聞かれるが
この当時の人たちにとって、「無」とは、どんな世界観なのだろうか
日々の無常さを身に染みて感じ、その中に身を置くことを
普通の人たちは、おそらく考えもしないだろう


「朝開き」が、人生の始まりだとすれば
その航跡が残らず消えて行くのは...まさに、「徒然草」でいう世界だ
「人はただ、無常の身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘れまじきなり」


仏教が、国家的な「力」で人々を取り込んでいく(言葉は悪いが...)
しかし、その強力な機関である「仏教」のいう「無常観」
この作者は、信仰の大切さを充分知っている...当然のことだが...
しかし、その説く世界観は...市井の人々であるべきだろう
為政者には...逆に不都合をもたらしてしまう
勿論、この歌が「為政者」のために応えた歌だとは思わない
あくまで、「無常観」を詠んだに過ぎない、と思う


満誓は、年齢は解らないが、その経歴は知ることが出来た
721年に、元明上皇が亡くなるが、その前に平癒祈願をして出家し
笠朝臣麻呂から満誓沙弥となる
それまでの経歴では、美濃、尾張、信濃などの諸国を地方長官として治め
その徳の功績を称えられてもいた

出家後の724年に、筑紫観音寺別当として筑紫へ下向
その数年後...大伴旅人が大宰帥(大宰府長官)赴任して、交遊が始まる

官人としての経歴も評価され、そして都から離れ
この筑紫の地に国家寺を任される沙弥満誓...
大伴旅人とは、かなり性格も違うように思う
しかし、だからこそ...仲も良かったのかもしれない

この歌の題詞はなく、どんな環境での歌なのか解らないが
そこが筑紫...であることは、間違いないだろう
そして...この満誓が「人生、人の世を何に譬えよ、と?」
そう訊いたのは...大伴旅人のような気もする

それを、この偉い坊さんに訊ける人物と言えば...旅人しか思い浮かばない
そして、この歌を聴き終えた旅人は、膝を打って「したり顔」ではなかったろうか

そんな万葉人たちへの空想も、いつものことながら、楽しい









   「歌は遠くはなれても」...必ずつながる想い...
 「或本に残る恋人たち」

右頁の女歌...その一句違いの歌がある

 (山部宿祢赤人歌六首)
  美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志弖余 親者知友
   みさご居る磯廻に生ふるなのりその名は告らしてよ親は知るとも
  みさごゐるいそみにおふるなのりその なはのらしてよおやはしるとも
 巻第三 365 雑歌 山部赤人
 みさごにいる、磯に生える「なのりそ」のように
 本当は名乗ってはいけないその名を
 どうか名乗ってくれ...たとえ、親に知られようと...
 
 (山部宿祢赤人歌六首)或本歌曰
  美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 吉名者告世 父母者知友
   みさご居る荒磯に生ふるなのりそのよし名は告らせ親は知るとも
  みさごゐるありそにおふるなのりその よしなはのらせおやはしるとも
 巻第三 366 雑歌 作者不詳
  みさごにいる、荒磯に生える「なのりそ」だけど
 こうなれば、名乗っておくれ、親に知られてもいいでしょう


かなりの意訳になるだろうが、このような歌意になると思う
私を悩ませる問題の箇所は、〔366〕歌の第四句
その前歌〔365〕はともかく、〔366〕歌と
右の〔3091〕歌との違いは、この第四句の「なのらせ」と「なのらじ」

男歌の〔366〕は、親に知られても、名乗って欲しいという懇願
女歌の〔3091〕は...ここでしばらく止ってしまう
「なのらせ」は、四段「名告る」の未然形に、尊敬の助動詞「す」の命令形「せ」
相手に親愛の情を見せながら、乞うている

初め〔3091〕を読んだ時は、
この言わない相手は、男に対して言わない、とするものだと思った
しかし、「よし」という語彙が、その読み方を覆す
親に知られたくない思いが強く、本当は気も進まないけど...「ままよ」
その後に続くのは、男に名乗るというものだ...そうとしか考えられない

「よし」(ままよ)と句末の「とも」(〜となっても)のセットで考えると
その間の語句で、「名乗る」あるいは「名乗らない」相手が逆になる...
まだまだ私の理解力は力不足だが
こうした古語による歌を、たった「一語」でその歌意に悩むのも
苦労したのちに知る「いにしへ人」の想いだと思えば
その苦労もまた、楽しいものだ


最近の私の愛読書は、万葉集と言いながら
実際は、その理解の手段である「古語辞典」なのかもしれない
用例も多く、その辞典だけでも、結構万葉集を楽しめる
もっとも、そこには「歌」はあっても、「人」は見えないが...

山部赤人が詠う、この歌群の六首
実際は、最後の〔363〕歌を数に入れて旧国歌大観も「七首」
しかし、題詞には「六首プラス或本歌曰」
その「或本歌」というのが、山部赤人の歌なのかどうか
それは書かれていないが、私の知る限りの、どの注釈書にも
「或本」には言及していない...きっと他にはあるだろうけど...

そうなると、私の飛躍した想いがここでも発揮される
その「或本」には、右の作者不詳歌〔3091〕も
並んであったのではないだろうか
その「或本」を元に赤人がアレンジして詠んだ〔362〕
しかし、その元歌は...〔363〕ですよ
万葉の編者は、そう教えてくれているような気がする

この〔363〕と〔3091〕は、並べて詠んでこそ
その良さが解るのではないだろうか
僅かな語句の違いで、こうも見事にそれぞれの想いを響き合わせている
私のうがった見方かもしれないが...並べて、朗々と詠じられたら
きっと若い恋人同士の危なっかしくも純粋な想いに、
私は羨望の気持ちも持ちながらも...微笑ましく見守ってやりたい
そんな気持ちになっていただろう


掲載日:2013.06.12.

 
 三佐呉集 荒礒尓生流 勿謂藻乃 吉名者不告 父母者知鞆
みさご居る荒礒に生ふるなのりそのよし名は告らじ親は知るとも
  みさごゐる ありそにおふる なのりその よしなはのらじ おやはしるとも
 巻第十二 3091 寄物陳思 作者不詳

 
みさごの居る荒磯に、生える「ナノリソ」の
その名のように、えい、ままよ
決してあなたの名前は、言いますまい

この恋を親が知ったとしても...


みさご...鳥の名、鷲のような猛禽類で、水のある山中に棲み
多く、空から水中の魚を採る、と古語辞典にはあるが
ここでは、荒磯の崖に巣くう猛禽としなければ、歌のイメージと合わない

その「みさご」のいる荒磯に生えている「なのりそ(莫告藻)」
海草の一種である「ホンダワラ」の古名
和歌では、この「莫告藻」の名から、「な〜そ」の禁止に掛けて使われる
名を名のる意から、「なのりその」は、「名」にかかる枕詞にもなる
ここでは、上三句までが、次の「名」に懸かる「序詞」と言われる

よし...副詞「縦し」、「よし」といって仮に許す意から、仕方なしに、ままよ
名は告らじ...自動詞ラ行四段「なのる(名告る)」の未然形に、
打消の意志の助動詞「じ」...名を言わない...

親に知られたくない恋の相手
まだ、淡い恋心
それとも、知られてはいけない相手だから...

現代と違って、万葉時代の恋には、計り知れない奔放さと厳しさがある

それにしても、「なのりそ」...海草の一種の古名と辞典にはあるが
こうした「古名」というものは、
多分、歌語から多く見出されるのではないだろうか
上代の書物には、「訓」を言い添えたり、形を形容したり
様々な手段で、そのものの実体を伝えようとする
歌に用いられるからこそ、「歌語」になるのだし
それが、敢えて「古名」と言われるのは
少なくとも、「訓」の段階ですでに説明が必要だったから...

この「なのりそ」も、原文はともかく、「訓」の方で「莫告藻」というのは
いかにも、という感じがする...
禁止の用法である「な〜そ」を連想させる漢字の使い方だ
それは、「古名」とは言うが
歌の掛詞を前提とした「名付け方」とも思える
実際は解らないが...素人だから、そう思うことも許されるだろう

この歌、男から恋心を告白され
それに応える形の歌と言われるが
その男の歌が、ほとんどそっくりの形で残る
しかも、それが「山部赤人」作歌の歌として...









   「大人の恋歌」...ときには引いて...
 「問答故に、率直には言わないのかな」

相聞歌の当事者たちの率直さが、また瑞々しくていいのだけれど
「考え込んでしまう」歌と言うのも、味わいがあるものだ

右頁の問歌に対して、その返歌となる答歌

  我故尓 痛勿和備曽 後遂 不相登要之 言毛不有尓
   我がゆゑにいたくなわびそ後つひに逢はじと言ひしこともあらなくに
  わがゆゑにいたくなわびそのちつひに あはじといひしこともあらなくに
 巻第十二 3130 問答(答歌) 作者不詳
 私のことで、そんなにひどく嘆かないでください
 この先、最後まで逢わないと、言ってもいないのに...

なるほど、「人妻」からの、いたわりの応答歌だ
この歌を返されたら、紛れもなく、この女性は「人妻」だと思われる

しかし...問歌の私の感じるような環境でも、
この歌は、返せる...かもしれない

いたく...副詞「甚く」、ひどく、はなはだしく...
次に、打消し「な〜そ」(禁止)があるので、その場合は、...それほど...

な・わび・そ...「侘びる」は自動詞バ行上二段、思い悩む、「侘び」は連用形、
...思い悩まないでください...

あはじ...四段動詞「逢ふ」の未然形「逢は」に、打消し助動詞「じ」...逢わない
ことも...「言」も
あらなくに...ラ変動詞「有り」の未然形「あら」に、
打消し助動詞「ず」のク語法「なく」、そして助詞「に」
...ないでしょうに...

逢わないと、そんなこと言ってはいないでしょう...

さて...ここから、右の「問歌」に対する「答歌」を感じてみる

「あなたが、人妻だなんて、そんなこと言うから...つい合わせたのですよ」

人妻であろうと、なかろうと...こうした男女の歌の掛け合いは...微笑ましい




掲載日:2013.06.13.

 
 氣緒尓 言氣築之 妹尚乎 人妻有跡 聞者悲毛
息の緒に我が息づきし妹すらを人妻なりと聞けば悲しも
  いきのをに わがいきづきし いもすらを ひとづまなりと きけばかなしも
 巻第十二 3129 問答(問歌) 作者不詳
 
命がけで愛したあなたなのに
人妻だとでも、言われるのですか

そうであれば、悲しいことです


いきのを...「命」の「緒」、「緒」は長く続くもの
「息の緒」は「命の綱」とみなされ、「命がけ」という歌意になる


いきづき...自動詞カ行四段「息づく」の連用形に、過去の助動詞「き」の連体形
...ため息をついた...「息づく」には、他に「あえぐ」もあるが
ここでは、嘆く意味での「ため息」が合う、と思う


いも...「妹」、男から年齢の上下に関わりなく、
「妻・恋人・姉妹など」女性を親しんで呼ぶ語
(ときには、女性同士が親しんで用いることもあるようだ)
すら...類推・強調の副助詞、あることを特に強調する...〜でさえも
大方の解説書では、次の「を」を接続助詞としているが、
古語辞典には、もう一つの見方もあった

上代においては、「すらに」「すらを」の形でも用いられ
この場合の「に」を副詞を作る語尾、「を」を格助詞または係助詞とするもの
とにかく...難しくて、その違いの見分け方が解らない
ただし、私でも理解できたことが一つ
上代に多く用いられた「すら」だが、中古になって「だに」にとって代わられる

「すら」は和歌や漢文訓読文に残る程度だったようだ
現代語の「すら」は、この系統のもの、という
そう思うと、現代語に「生き残る古語」とも言える


ひとづま...他人の妻、しかしここで言う「人妻」はちがう
「人妻なり」の「なり」が、「体言」に付いているので、
活用語の終止形に付く伝聞・推定の助動詞「なり」ではなく、
断定の助動詞「なり」だと思うが
ここで「人妻だ」と断定しているのは、くだけて言えば「確信犯的な」もの言いで


私は、その前の句の「妹すらを」、という「想い人」の「かたくな」さから
それを、振り向いてももらえない「人妻」と「比喩的」にいったものだと思う
恋しく想う前に、「人妻であること」を、知らなかった、というよりも
恋しても、ちっとも気に掛けてくれない、まるで「人妻のようだ」と
そう嘆く男の気持ちだと思う


そこで、また悩ましいのが、次の語句
きけばかなしも...「人妻」だと聞いたら、何と悲しいことだ、と

この「ば」は、接続助詞の「ば」で、「聞く」の已然形に付いているので
確定条件の接続助詞「ば」...「きけば」
(未然形に付けば、「順接の仮定条件」...「きかば」)
「も」は文末に付く終助詞「も」、詠嘆の意

素直に、何も悩まずにこの歌を読むと、
愛しいあの人は、「人妻」だと聞くので、...悲しいことだ

しかし...それでは、男がわざわざ詠じるような感慨には響かない

私が、この男の気持ちを「想い」にするとすれば

愛しいあなたが、「本当に」人妻だと聞けば、悲しいものだ
そうならばいっそ、「人妻なのだ」と言ってくれ
そう聞けば、悲しみもまた、いっときだ

...こんな風には、読めないだろうなあ
しかし、男の気持ちは、むしろ私の想うようなことだと思う









   「別れ歌にも」...その流れがある...
 「見送ってから、帰りを待つまで」

右の歌が、私には「男歌」であるべきと思う根拠を、
その流れの中で確認するために
もう一組の男女の悲別歌を載せておきたい


 悲別歌
  海之底 奥者恐 礒廻従 水手運徃為 月者雖經過
    海の底沖は畏し礒廻より漕ぎ廻みいませ月は経ぬとも
  わたのそこ おきはかしこし いそみより
 こぎたみいませ つきはへぬとも
 巻第十二 3213 悲別歌 作者不詳(女)
 海の奥底、沖は怖ろしいところです
 磯廻を伝って漕いで行ってください
 そのために、月日がどれほど掛かろうとも...
 
  飼飯乃浦尓 依流白浪 敷布二 妹之容儀者 所念香毛
    飼飯の浦に寄する白波しくしくに妹が姿は思ほゆるかも
   けひのうらに よするしらなみ しくしくに
 いもがすがたは おもほゆるかも
 巻第十二 3214 悲別歌 作者不詳(男)
 飼飯の浦に寄せる白波がしきりに重なるように
 妻の姿もまた、しきりに思われるなあ
 
  時風 吹飯乃濱尓 出居乍 贖命者 妹之為社
   時つ風吹飯の浜に出で居つつ贖ふ命は妹がためこそ
   ときつかぜ ふけひのはまに いでゐつつ
 あかふいのちは いもがためこそ
 巻第十二 3215 悲別歌 作者不詳(男)
 時に変る風の吹く、吹飯の浜に出て
 神に航海の無事、命の安全を願うのは
 妻のためにこそのことだ
 
  柔田津尓 舟乗将為跡 聞之苗 如何毛君之 所見不来将有
   熟田津に舟乗りせむと聞きしなへ何ぞも君が見え来ずあるらむ
  にきたつに ふなのりせむと ききしなへ
 なにぞもきみが みえこずあるらむ
 巻第十二 3216 悲別歌 作者不詳(女)
 熟田津で、あなたが船に乗り込んで帰ってくると聞いたのに
 どうしてあなたは見えて来ないのでしょう


この流れは明白だ
送り出す妻の、航海の不安を詠う
そして、男は航海中、絶え間なく寄せ来る白波に
同じように絶え間なく妻を想う歌を詠う
寄港地で、そこの神に祈願するのも
お前のためなんだよ、無事に帰って安心させたいから...
帰りの船に乗ったと聞いたのに
その船に、あなたの姿は見えない...どうしてなのか、と不安は募る

こうして、悲別歌の「物語」は読み取れる
確かに、その前後の歌と葉つながらない
だから、「男歌」が混じるこうした歌群は
決して独詠のように見るのではなく
男と女の「悲別」の歌として読むべきだと思う

その理由から、右の歌群のように
最後の歌を...どうしても「男歌」として読まなければ、つながらない
そんな気がしてならなかった

確かに、題詞で明記されていない歌を
自分の思い描くような「あり方」にこじつけるのは良くない
そんなことを許せば、どんな歌だって、こじつけられる

しかし、一つの歌を、その歌意に触れようとしたとき
そこに描かれている情景が、自然に浮ぶのであれば
それは「こじつけ」ではなく
限られた「語彙」から伝えられる「広がりのある情景」を得ることが出来る
それこそ、歌の作者も望むところだろうし
仮に、この二組の歌群が、それこそ「問答歌」のように編集されたものであれば
それもまた「編者」の感性を見るべき、と思う

最終的に、まったく和歌に疎い人でも
それを読み、そして「その場面」に触れることが出来るのなら
それが「歌集」としての大きな「役割」の一つだと思う

私のような素人だから、好き放題にいえるかもしれないが、そうであれば、
先人の確立した「解釈」に固守する専門家たちだけの「歌集」になってしまう

自分で感じたまま...それが、自分にとっての想いを寄せる「歌」となるはずだ








掲載日:2013.06.14.
 
 雲居有 海山超而 伊徃名者 吾者将戀名 後者相宿友
雲居なる海山越えてい行きなば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
  くもゐなる うみやまこえて いゆきなば われはこひむな のちはあひぬとも
 巻第十二 3204 悲別歌 作者不詳
 
はるか遠く、険しい海山を越えて
わたしが行ったのであれば
わたしは、どんなにか恋しくて苦しんでしまうことか...

たとえ、後で逢える、としても...


くもゐ...「雲」としての意味もあるが、「はるか遠くに離れた所」とも...
なる...存在の助動詞「なり」の連体形
くもゐなる...はるかに遠くにある...


うみやま...「海山」、海と山だが、その「海の深さ、山の高さ」に意から
物事の深い、高い、ことをもいう、
その場合、特に恩恵の深いこと
こえて...自動詞ヤ行下二段「越ゆ」の連用形「越え」に単純な接続助詞「て」、
ある場所や境界などを越える意味だが、
ここでは、「はるか遠くの海山を越えて」なので
単純に「越える」のではなく、もう一つの意味である「限度」を越えて、だと思う


い...動詞に付いて、上代では「接頭語」となる、意味を強めたり、語調を整えたりする
ゆきなば...自動詞四段「行く」の連用形に、過去助動詞「ぬ」の未然形
下に助詞「ば」が付いて、
...行ったのであれば...


こひむな...ハ行上二段「恋ふ」の未然形、推量助動詞「む」、詠嘆終助詞「な」
...恋に苦しんでしまうだろうなあ...


のち...あと、以後、将来
...ここでは、何だろう...
最後が逆接仮定条件「とも」なので
強い気持ちで想うことになる
あひぬ...自ハ行四段「逢ふ」の連用形「逢ひ」に、完了助動詞「ぬ」の終止形
接続助詞「とも」は、動詞・助動詞の終止形に付き、たとえ〜しても


のちはあひぬとも...
...たとえ後で逢える、としても...


この歌、この巻での悲別歌「三十一首」の歌群の中で、ちょっと悩んでしまった


というのも、この歌群・悲別歌、ほとんど「女歌」だが
その中で三首ほど「男歌」がある(私は、四首だと思うが...後述)
そして、その「男歌」は、すべて「女歌」に添うようにつながっている
その「つながり」というのが


旅に出る夫(もしくは恋人)を見送る妻
道中の夫は、妻とはなれて寂しさを詠う
妻も、送り出した後の寂しさを詠う


このパターンで、悲別歌の中の「男歌」はある...と思う
そして、その男歌(妹と詠めば、男歌と解る)と明確に解るのが
【3203】・【3214・3215】(この歌群は、左頁に参考として載せる)

この歌の配列で、そのパターンを読んでみると
掲題の歌〔3204〕は...「男歌」のように思えるのだが
どうも、一般的には「女歌」となるらしい
しかし、なぜ私に、この〔3204〕歌が「男歌」に思えるのか
そう私が感じた理由は、

 立名付 青垣山之 隔者 數君乎 言不問可聞
  たたなづく青垣山の隔なりなばしばしば君を言問はじかも
 たたなづく あをかきやまの へなりなば しばしばきみを こととはじかも
 巻第十二 3201 悲別歌 作者不詳(女)
 重なるように立つ青垣のような山々が
 私たちを隔てたのなら、
 たびたび、あなたへ便りも出来ないのですね
 
 朝霞 蒙山乎 越而去者 吾波将戀奈 至于相日
  朝霞たなびく山を越えて去なば我れは恋ひむな逢はむ日までに
 あさがすみ たなびくやまを こえていなば われはこひむな あはむひまでに
 巻第十二 3202 悲別歌 作者不詳(女)
 朝霞の立つ早朝に、あなたがあの山を越えて行ってしまったら
 私は、恋焦がれて、きっと苦しむでしょう
 また逢う日まで...
 
 足桧乃 山者百重 雖隠 妹者不忘 直相左右二
  あしひきの山は百重に隠すとも妹は忘れじ直に逢ふまでに
 あしひきの やまはももへに かくすとも いもはわすれじ ただにあふまでに
 巻第十二 3203 悲別歌 作者不詳(男)
 どっしりと動かない山が、幾重にも隔とうと
 お前のことは、決して忘れないよ
 また逢えるのだから...
 
 (掲題歌)
 雲居なる海山越えてい行きなば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも
  巻第十二 3204 悲別歌 作者不詳(男)

ここでは、〔3202〕で女が男を見送り、
〔3204〕では、同じような歌を、また女が詠うのは不自然であり
むしろ、今度は同じ気持ちを、男の立場で詠ったものとしたい

流れとなるのが、次のように解釈できると思う

この四首は、男の旅立ちの前夜(たぶん)に交わされた歌
女は、男の旅立ちを見送ったあとの寂しさを、男にうったえる
山を越えて行ってしまったなら...また逢えると思ってはいても、寂しい、悲しい
そんな女の心情を察して、男は詠う
離れていても、お前のことは決して忘れない
海山のような果てしないところへ行くのだから
私だって、寂しいし、悲しい...いくらまた逢えると思っていても...

この最後の歌〔3204〕を、旅立つ夫を見送る女の歌、と注釈書にあった
〔3202〕歌が、その場面を想像して詠い、
〔3204〕歌で、実際に送り出した、ということなのだろうか
...みんな「仮定条件」で語り合っているのに...

この四首は、そんな別れの「一場面」だと思う

尚、〔3203〕歌には、 [一云 隠せども君を思はくやむ時もなし]と異伝もあり、
しかも今度は「女歌」として載せているが、これは今回は省く






   「旅、恋の風語り」...東国をゆく...
 「東国の恋歌」

「東歌」は、万葉時代の東国方言の研究資料として
とても優れたものらしい
確かに、日常の言葉...厳密には口語と歌語は違うのだろうが
それでも、公文書のような「記録」の類の文書よりも
人の語る「言葉」としての魅力はたっぷり感じられる
研究者たちにすれば、上代語の宝庫なのだろう

東国の相聞を、幾つか載せてみる

 東歌
  和我世古乎 夜麻登敝夜利弖 麻都之太須 安思我良夜麻乃 須疑乃木能末可
    我が背子を大和へ遣りて待つしだす足柄山の杉の木の間か
  わがせこを やまとへやりて まつしだす
 あしがらやまの すぎのこのまか
 右〔十二首〕相模國歌 
 巻第十四 3380 相聞 作者不詳
【難解】...「まつしだす」未詳(定説なし)
夫を大和へ送り出してしまったので
夫の帰りを待つ、長く寂しい「時」が始まったのですね
足柄山の、杉の木の間よ...
 
  可麻久良乃 美胡之能佐吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 己許呂波母多自
    鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ
   かまくらの みごしのさきの いはくえの
 きみがくゆべき こころはもたじ
 右〔十二首〕相模國歌 
 巻第十四 3382 相聞 作者不詳
鎌倉の見越の崎にある、
あの浪打で崩れてしまった岩のように
あなたが決して後悔しないよう、
あんな脆い心は持ちません
 
  筑波祢乃 伊波毛等杼呂尓 於都流美豆 代尓毛多由良尓 和我於毛波奈久尓
   筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに
   つくはねの いはもとどろに おつるみづ
 よにもたゆらに わがおもはなくに
 右〔十首〕常陸國歌  
 巻第十四 3410 相聞 作者不詳
筑波山の、岩もとどろくほどに激しく落ちる水
その真っ直ぐな水のように
私の気持ちは、ためらって漂うことなど
思いもしないのに...


相模国、常陸国...
足柄山、鎌倉、筑波山...
今でも、私を旅情に駆り立てるこの名称

私が、それぞれの地に足を触れたとき
こうした歌が...万葉の「東歌」が一首も浮ばなかったことは
今思っても残念でならない

万葉歌碑は、確かにそこにある
しかし、今ほどそうした「記念碑」的な石碑に
妙な拘りを持つこともなかった
万葉歌碑は、その歌がそこで詠まれた、と記すものではなく
何か少しでも縁があって、建立されたものも多い
だから、当時の私は
やや冷めていたのかもしれない

それに、実際に万葉の時代から人知れず残って、
伝わったものではない
勿論、そんな石碑が存在するのであれば
それこそ、万葉集のオリジナルにも匹敵する「遺物」だろうが...

鎌倉を歩くことも、筑波山麓を歩くことも
今の景色を見て、万葉時代を偲ばせることなど、出来やしない

しかし、ただ一度だけ...万葉時代はこうだったのかもしれない
そんな気持ちを抱かせた「眺め」があった

それは、筑波山の山頂から見渡した筑波の広野
見晴らしの利く、この山頂からの眺望は
その「のどかさ」を鮮烈に見せてくれた
当時の私は、まだ一度も奈良の明日香に訪れてもいなかったが
まさに、万葉の明日香も、こうした眺めではなかったか、と
ますます「未だ見ぬ明日香」に恋したものだ

現代においては、万葉時代の面影を求める「写生」は望み得ない
しかし、あのとき私に抱かせた、「明日香の風景」は
紛れもなく「万葉の人たち」に通じるものだった、と思っている

掲載日:2013.06.15.


 東歌
駿河能宇美 於思敝尓於布流 波麻都豆良
 伊麻思乎多能美 波播尓多我比奴  [一云 於夜尓多我比奴]
 駿河の海おし辺に生ふる浜つづら汝を頼み母に違ひぬ  [一云 親に違ひぬ]
  するがのうみ おしへにおふる はまつづら
     いましをたのみ ははにたがひぬ [おやにたがひぬ] 
 右〔五首〕駿河國歌 
 巻第十四 3375 相聞 作者不詳
 
駿河の磯辺に生えている「浜つづら」のように
いつまでも長く添いたい、と
あなただけを頼りにしてきました

母に背いてまでも、この通り...
(親の意に背いてまでも...)


おしへ...「磯辺(いそへ)」と、江戸時代の学者・契沖「万葉代匠記」以来の約
駿河国では「イ列音」と「オ列乙類音」とが交替する例があるらしい
おふる...自動詞ハ行上二段「生ふ」の連体形、生ずる、はえる、生長する

はまつづら...浜に生えているつる草

いまし...上代語で、人称代名詞、あなた、おまえ
たのみ...名詞「頼み」、頼ること、あてにすること、頼りとする人

母にたがひぬ...自動詞ハ行四段「違ふ」の連用形「たがひ」に、
完了の助動詞「ぬ」の終止形
...母に背いてしまった...

「一云」の
「親に違ひぬ」...結句の「母」のことさら強い干渉を、薄めようとするものなのか
しかし、当時の母親の娘に対する、恋愛の干渉は
母親として「娘」を守り抜こうとする愛情の現れの一つのようで

この種の歌は万葉集にも多く見られる

いったい、親の意に背いてまでも恋い慕う
そう詠われる万葉歌は多いけれど
残念ながら、いまだにその場合の「親」の「咎める」歌は見出せない
きっとあると思うし
過去にも、このサイトで採り上げたかもしれない
表向きはそうでもなく、しかし潜む言葉に、しっかりと諭すような歌...


今までは冒険する側の歌を積極的に拾い上げていた...勿論無意識の内に、だ
これからは、内在する「親心」の歌も意識しなければ...

敢えて言えば、坂上郎女と大伴家持のような関係が近いのかもしれないが
そうした名のある者の作歌ではなく
ひとくくりにされる、歌群の中にこそ...あるのかもしれない...

この巻第十四は、「東歌」の部立ての中に
雑歌・相聞・譬喩歌・防人(五首)・挽歌(一首)など東国の歌で成り立つ

掲題歌は、駿河国五首の内の一首
他の四首は、すべて「富士」を詠う

山登りが好きだった私でも、富士山だけは登山の対象には思えなかった
あまりにも整う姿
秀峰と言う名で呼べるのは、私の中では「富士山」だけだ
雪渓訓練で登っただけの富士山

しかし、その姿だけではなく、そのスケール感においても
すべてを圧倒していた

大地の一点から突き上げたような偉容
独立峰の美しさが、そこにある

万葉時代の防人たちは、その富士山を一つの境界にしていたことだろう
見えなくなる地点で、東国を離れた実感が湧くのではなかったか
そして、見え始めた地点で、田舎へ帰郷したとの実感も得る

私にとって、富士山はある意味での「聖域」
それに相応しい「歌」があるはずだ
だから、駿河の国の「富士山」は...今の私には、採り上げられない








   「紫陽花と撫子」...譬える花と、愛でる花...
 「撫子は魅せる」

左大臣・橘諸兄を自宅へ招き
宴の席を設けた部下である右大弁・丹比国人
自宅に咲く「撫子」あが見事に美しく咲いているので
左大臣への面子も立った、かのようなはしゃぎぶりで
撫子へ、褒美をあげよう、と
左大臣が、この撫子のようにいっそう若々しく今後も活躍してください
それを撫子と一緒になって、歓んでいます...
そんな歌だと思う
左注の「寿」から、そう思わせる歌となる


 同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首
  和我夜度尓 佐家流奈弖之故 麻比波勢牟 由米波奈知流奈 伊也乎知尓左家
    我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け
  わがやどにさけるなでしこまひはせむ ゆめはなちるないやをちにさけ
 右一首丹比國人真人壽左大臣歌 
 巻第二十 4470 丹比国人真人
我家の庭に咲いている撫子よ、褒美をあげよう
これからも決して散ることなく、いっそ若返って咲いてくれよ
あなたをお招きするために、ここまで育てました
いかがですか、大臣
 
  麻比之都々 伎美我於保世流 奈弖之故我 波奈乃未等波無 伎美奈良奈久尓
    賄しつつ君が生ほせるなでしこが花のみ問はむ君ならなくに
   まひしつつきみがおほせるなでしこが はなのみとはむきみならなくに 
 右一首左大臣和歌 
 巻第二十 4471 橘諸兄
あなたが褒美を与えて育てているる撫子の
その花だけを目当てにやってくる
そのような、あなたの家ではないでしょうに...
私は、あなたが立派に育てた花だけを見るために
訪れたのではないのですよ



しかし、左大臣・橘諸兄は
そんな部下の心遣いに感謝しながらも
あなたと、こうやって宴席を設け、詠い飲みたいから
やってきたのですよ、と
部下をいたわっている

この歌群の最後の三首目が、右の掲題歌の「あぢさい」になるのだが
先の二首「撫子」は、観賞に用いられ
最後の「あぢさい」は、その花のエネルギッシュな変化の生き様を用いる

勿論、ここでは三首しか載っていないが
実際は、もっと詠われてはいたのだろう

ただ、左大臣橘諸兄と、その部下とのお互いの思い遣りを
ここでは載せたかったのかもしれない

万葉集中の花...魅せる花と、譬えられる花...
しかし、時代が変れば、譬えられる花は...その解釈もまた変化してゆくものだ

「あぢさい」が、「移ろう心」だと思われるのも
時代によっては違うものだと、知っておきたい

ここでの「あぢさい」は...
変化して咲くのではなく、幾重にも重なりながら
新しく生まれ変わる「花」だと思いたい
 

掲載日:2013.06.16.

 天平勝宝七年五月十一日左大臣橘卿
 宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首
  安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
  あぢさゐの やへさくごとく やつよにを いませわがせこ みつつしのはむ 
 右一首左大臣寄味狭藍花詠也
 巻第二十 4472 橘諸兄
 
あぢさいは、まるで八重のように幾重にも重なって咲きますが
そんな、あぢさいを見ながら
いつまでも、いつまでも、あなたがお元気で過ごされるように
思い慕っていましょう


当時の日本のアジサイは、中国の「紫陽花(しようか)」とは別らしい

八重咲くごとく...八つに重なって咲くように、そのような意味から
...幾重にも重なって咲くように...


やつよ...前句の「八重」を受けて「やつよ」といい、「やつ」は数の多いこと
その代々も続く、ということで...いつまでも、長く...
を...詠嘆の間投助詞

いませ...自動詞サ行四段「坐す」...動詞「あり」の尊敬語で、
...無事でいらっしゃる...

みつつ...継続の接続助詞「つつ」、見続けて
しのはむ...上代の四段動詞「偲ふ」の未然形「偲ふ」の未然形「偲は」に
推量・意志の助動詞「む」の終止形「む」
...思い慕っていましょう...
尚、上代語「偲(しの)はゆ」は原文「思努波」のように「しぬは・ゆ」ともいう


天平勝宝七年五月十一日(陽暦六月二十八日)、まさに紫陽花の季節
諸兄の部下・丹比国人の宅で、諸兄が紫陽花に寄せて詠ったもの
この二年後の一月...諸兄は、その忍従の晩年であった生涯を終える

万葉集には、意外なことに、「あぢさい」を詠ったものは二首しかない
この諸兄の他には、大伴家持が詠じている

(大伴宿祢家持従久邇京贈坂上大嬢歌五首) 
事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来 
   言とはぬ木すらあじさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり
  こととはぬ きすらあじさゐ もろとらが ねりのむらとに あざむかえけり
 巻第四 776 相聞 大伴家持


この歌は、741年大伴家持が恭仁京(久邇京)遷都で都を離れたとき
平城に残した妻・坂上大嬢へ贈った歌五首の内の一首だが
この五首...なかなか微妙な響きを持つ...
この歌(五首)の前後に、紀女郎との相聞歌があるのは、編者の悪ふざけにも思える
しかし、五首の内容が、その間に入っても違和感を抱かせない...不思議な魅力がある


ただし、ここではその五首の中で「あぢさい」を引き合いに出した一首を採る
とは言っても、「あぢさい」そのものを観賞して詠じたものではなく
やはり、「あぢさい」の持つ、色彩の変化、その鮮やかさをモチーフにしている
その意味では、諸兄と同じように、「あぢさい」がある特殊な見方をされていた
その証になるのだろう


もの言わぬ木でも、あぢさいのように、幾重にも
鮮やかな色彩で咲く花がある
「諸弟」たちの、そのようなうまい話に
見事にだまされてしまった


こうした「訳」にはなるだろうが
それが、妻・坂上大嬢への贈歌に...「何故」と思ってしまう
この五首一連の歌にしても、なにやら家持の弁解がましさを感じてしまう


同僚たちにそそのかされて、何か誤解を招くようなことでもあったのかな

それはともかく、万葉歌での「あぢさい」...
もっともっと、「あぢさい」への「心の入れ込みよう」の歌が欲しかった
諸兄、家持...それぞれの歌は、あぢさいの「特徴」を重ねたに過ぎない
それが、残念なことだ







  「我が憧れの信濃は」...いにしへの信濃びと...
 「奥ゆかしさ」
万葉集を、この三十年あまり、ざっと読み
その中でも、自分のそのときの感情にフィットする歌を「我が歌」とし
そうして、時とともに、それもまた変遷し...移り変わり...
気づけば、また同じ歌に戻って...

しかし、確実に言えることは
過去に親しんだ歌であっても、決して同じ気持ちで受けていない
そこには違う自分がいて、また同じように、違った「歌意」を感じている

そうした流れの中で、私が東歌や防人歌を、かつて感じていた頃と
また違った受止め方で感じ始めているのも、自分に問うまでもなく解る

以前の私は、万葉集は柿本人麻呂であり、あるいはその時代の人たちであった
そして、旅人が、家持が...その周辺にも魅力を感じてくるようになる

やっと最近になって、東歌に心を寄せることが出来るようになった
何故なのか、自分なりに考えてみると、その歌の情景が浮ぶようになったからだ
叙景的な歌であれば、その地方の自然を確かに浮かべることが出来るだろうが
その中に、さらに、人の「心」の素朴さ、原点のようなものを
やっと感じることが出来るようになったからだろうか

都人中心の万葉歌に接していると、歌の世界もその映像は「都」が浮ぶ
そして、その映像の中で、息づいているのは、紛れもなく「都びと」

東歌や防人歌で感じるのは、
そうした映像の、あまりの落差に追いつけなかった、そんな私だった
今は違うのか、といえば
おそらく...少しは追いついたのだろう

信濃や常陸など、自分に関わった地方なら、尚更引かれる
そして、若い頃の知識の乏しかった私ではなく
ある程度の、実際の映像も助けてくれる

「都びと」でない「万葉人」の歌の魅力に
ようやく、私も追いつくことが出来た

信濃は、私が住んだことのある土地、というのではなく
今でも、住んでみたい土地、の一つだから...
山が好きで、山に囲まれて生活してみた、と強く願った頃
「憧れの信濃」は、山そのものだった
つまり、生活する拠点でないからこそ...憧れるものだ、と

しかし...それが「憧れ」ではないだろうか...
憧れの土地の「人々」...「いにしへの信濃の人々」の歌をきく
右歌の一首と併せ、この歌群四首

 東歌 信濃國相聞往来歌(四首)
  比等未奈乃 許等波多由登毛 波尓思奈能 伊思井乃手兒我 許登奈多延曽祢
    人皆の言は絶ゆとも埴科の石井の手児が言な絶えそね
  ひとみなのことはたゆともはにしなの いしゐのてごがことなたえそね 
 巻第十四 3416 相聞 作者不詳
 だれも私を相手にしなくなっても
 埴科の「石井の手児」だけは、言葉絶えることなくいておくれ

各地にこのような「〜の手児」と歌われる女性は結構評判で、
その女性をめぐる歌は幾つも残されている
 
  信濃道者 伊麻能波里美知 可里婆祢尓 安思布麻之奈牟 久都波氣和我世
    信濃道は今の墾り道刈りばねに足踏ましなむ沓はけ我が背
   しなぬぢはいまのはりみちかりばねに あしふましなむくつはけわがせ
 巻第十四 3417 相聞 作者不詳
 信濃道は、新しく切り開いたばかりの新道です
 まだまだ伐り株など整備されていないでしょう
 それを踏んで足を怪我しないように、
 しっかり履をはいてくださいね

背景を右頁に説明
 
  中麻奈尓 宇伎乎流布祢能 許藝弖奈婆 安布許等可多思 家布尓思安良受波
    なかまなに浮き居る船の漕ぎ出なば逢ふことかたし今日にしあらずは
   なかまなにうきをるふねのこぎでなば あふことかたしけふにしあらずは
 巻第十四 3419 相聞 作者不詳
 「中麻奈」に浮き止めてある船が
 漕ぎ出すように行ってしまったら
 もう逢うことは難しくなるだろうなあ...
 (けふにしあらずは)今日でなかったなら...

けふにしあらずは...右頁に検討


掲載日:2013.06.17.


 東歌 信濃國相聞往来歌(四首)
  信濃奈流 知具麻能河泊能 左射礼思母
 伎弥之布美弖婆 多麻等比呂波牟
信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ
  しなぬなる ちぐまのかはの さざれしも きみしふみてば たまとひろはむ
 (右四首信濃國歌)
 巻第十四 3418 相聞 作者不詳

 
信濃の千曲川にある小石であっても
恋しいあなたが踏んだものならば
私は、それを玉のごとく宝の石のように拾うでしょう


なる...存在・断定の助動詞「なり」の連体形、〜にある、〜だ
さざれし...「さざれし」は「さざれ石」の転じたもの、「細石(さざれいし)」
し...強意の副助詞「し」...強調する
「ふみてば」、及び次句の、「ひろはむ」で、
[〜てば〜推量助動詞「む」]となり、反実仮想の形になる
「てば」が、まだ実現していない事柄を、もし現実になったならばと仮定する意味
...〜たならば、〜ているならば
いとしいあなたが踏んだのなら、たとえそれが取るに足らない細石であっても、
私は宝の石のように思って拾うでしょう


東歌の信濃の国の四首が並ぶ歌群
こうした取るに足らないものであっても
大切な人の手にしたもの、あるいは曰くのあるものを宝物のように扱う
この心情は、今の私たちにも充分伝わる気持ちだろう


そして、誰にも...おそらく必ずある、と言えるのではないだろうか
恋心の一番素直な気持ちだと思う
そこから、少しずつ「欲」が芽生えてきて
もっともっと切ない歌が生れてくるのではないか


相手に知られなくても、恋していること自体に...酔う自分がいる
 

左頁の説明及び検討
 
 〔3417〕歌、背景の説明
「続日本紀」大宝二年(702年)十二月十日条
「始めて美濃国に岐蘇(きそ)の山道を開く」とあり、
和銅六年(713年)七月七日条に、美濃・信濃の二国の堺は道が険しく
往還に艱難なので木曽路を通す、とある。
 
 〔3419〕歌、「けふにしあらずは」の意味が解らない
単純に訳せば、「今日でなければ」の意味になると思うが
すると、歌の意味が解らなくなる
中麻奈に浮んで止めてある船が、漕ぎ出せば、もう逢いづらくなる
それは、その船に乗って、作者あるいは恋人がこの地を離れると言うことなのだろうか
だから、離れ離れになってしまい、逢いづらくなる...
ここまでの訳に問題なければ、「今日でなければ」がどうやって繋がるのだろう
仮に「今日であったら」どうなるのか
それこそ、すぐに離れ離れではないか
では...「今日でなければ、いいのだが」と訳せないのだろうか
古語辞典と随分睨めっこが続く...どうしてもすっきりとした理解に及ばない
「あらず」に「は」で、次に「語」略されることもあるのだろうか
語感的には、ありそうな気もする

古語辞典の中の用例で、こんなのがあった
「なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも−」万葉集巻第三346
この通釈で、あらず、のところで、その後に意を汲んだ(そうすれば)があった
この(そうすれば)は、原文にないものだが、この語を加えることによって
次に続く語が、「あらずは」の説明理由として成り立つ
「中途半端な人間でいないで、酒壺であったら、(そうすれば)酒に浸れる」
「あらず」ではなく「あらずは」には、こうした後に続く説明文が必要だと思う
すると、この〔3419〕歌の「今日でなければ」、「何故今日でなければ」、
「今日でなければ、まだ逢うことができるから」と言えないのかな

難しいけど、そんな風な意味の歌だと思うし
そうでなければ、直訳だけで日本語の意味として捉えにくい解釈より
よっぽど、日本語らしくなる
...勿論、根本的な私の誤解もあるかもしれないが...
でも、船が出てしまったら、もう逢いがたし、と言う解釈は通っているのだから
「今日でなかったら」と原文の文字面だけで、読み終わらせるのは...
それだと、日本語も難しくなってしまう






   「母の護り」...娘への限りない愛情...
「実質的な婿とりのためか...」
現代では、箱入り娘、というのだろうが
それでも、万葉時代の、母親が娘に注ぐ愛情...見守り方は、厳しかったと見える
それで、手も出せず引き下がる男もいれば
娘の方から、冒険をしかけ、男心をくすぶる娘もいる

しかし、どんな場合でも、娘は率直に歌を詠う
私は、こんなに慕っているのに...母が...、と言う風に

母親にとって、娘の伴侶となる男と言うのは
いわば、家の格との見合い、いやそれ以上のものなのだろうか
娘の幸せを願うならば、少しでも身分の高い家柄の男に、と願うものだろう
それが、母親としての心中一般ではなく、その家の、もっと大きく言えば
その一族の将来にも影響するような事柄なのだろう

そんな目で見れば、母親の「愛情なんて」と思うものだが
現代とは想像もつかないほどの身分の差、
あるいは家柄の差、というものが存在していた時代
その母親の想いが、「愛情の深さ」によってもたらされた、と考えた方が
いいのかもしれない
今でこそ、身分差、家柄の差、なんて一笑に付してしまうが
当時の女性は、「家」を守り抜くことが、大きな役目だったのだろう

とは言っても、その認識が、当時のどの階層まであったのか...
気になるところだが...


 古今相聞往来歌類之下
  霊合者 相宿物乎 小山田之 鹿猪田禁如 母之守為裳 [一云 母之守之師]
    魂合へば相寝るものを小山田の鹿猪田守るごと母し守らすも
                 [一云 母が守らしし]
  たまあへば あひぬるものを をやまだの
 ししだもるごと ははしもらすも [ははがもらしし] 
 巻第十二 3014 寄物陳思 作者不詳
魂...気持ちが合えば、一緒に寝たいと思うものなのに
小山田の鹿や猪から田を護るかのように
母が監視しておられます
[母が監視しておられましたよ]


魂が合えば、共寝が出来る、とこの娘は自然に考えている
そんな認識もあった時代のようだ
鹿や猪から田を護ることが、やはり一家の重要ごとのように
娘を大切に育てることこそ、母親の重要な役目だと
その比喩のバランスから思うと...かなりの厳しさをもって
娘を育てていたのではないか
結句は、敬語となっているが、自分の母に敬語を使う例は少ないらしい




掲載日:2013.06.18.


 東歌 (未勘国相聞往来歌)
  奈我波伴尓 己良例安波由久 安乎久毛能
 伊弖来和伎母兒 安必見而由可武
汝が母に嘖られ我は行く青雲の出で来我妹子相見て行かむ
  ながははに こられあはゆく あをくもの いでこわぎもこ あひみてゆかむ
 巻第十四 3540 相聞 作者不詳

 
お前のお母さんに叱られて
私は、なすすべもなく帰って行くけど...
出て来ておくれ、お前よ

もう一度逢えたら、私も帰るから...



嘖られ...上代語:他ハ行四段動詞「嘖(ころ)ふ」、叱る、責める、という意味
だが、この「嘖られ」...受身だとは理解できても
その活用に悩まされる
受身の助動詞「る」が四段の未然形に付くので、連用形の「れ」
しかし、「嘖られ」は...ハ行四段「嘖ふ」の活用ではない
その活用は、【ハ・ヒ・フ・フ・ヘ・ヘ】となり、このまま受身の助動詞を付けると
「嘖(ころ)ひれ」...となるべきなのだが...これでは「ころひれあゆく」...
気のせいか、語感が「しんどい」

だから、「嘖(こ)る」というラ行四段動詞がなければ、この「こられ」は
どうしても成り立たない...と、考えてしまう
ところが、古語辞典のどこを探しても、あるいは複数の古語辞典を見ても
「嘖る」というラ行動詞は載っていない
...最近、真剣に自分の辞典に自信がなくなってきた


そして、やっとネットの辞書で手掛かりを見つけた
「嘖(こら)ふ」は、もともと「嘖(こ)る」に、反復・継続の助動詞「ふ」が付き
「こるふ」が音韻変化して「こらふ」になったのでは、と
意味は変らず、言葉自体の変化...そうかもしれない
従って、「嘖る」の方が古い「語」であったとしたら
「ふ」が付いて、さらに音韻変化した「嘖ろふ」が
意味を受け継いで、言葉として定着したのだろう...それなら、私も理解できる


となれば、この歌の「こられ」は、元の動詞「嘖る」の未然形「こら」に受身の「れ」
ということになる...


あをくもの...「出で」にかかる枕詞

いでこ...自動詞カ変「出で来(いでく)」の命令形、出て来い

あひみて...他動詞マ行上一段「相見る・逢ひ見る」の連用形に、接続助詞「て」
...対面して...

ゆかむ...自動詞カ行四段「行く」の未然形に、意志・推量の助動詞「む」
...行きたい...


最近、この時代の母親の役割の一端を、やけに集中的に目にしている
あれだけ、奔放な恋愛の世界を描いていると思っていた万葉の歌世界が
実際は、「大人たち」だえの世界で
このように、娘たちへの母親の干渉...と言うより、親心だろうが
その現実が、こうして歌世界に成立していることこそ
後の成人女性の艶やかな相聞歌を、奔放さに導いているように思えてならない
厳しさの中で育った娘たちが、現実の恋に目覚め
時に親に背き、時に嘆き悲しみ...さらに深みのある一人の女性へと成長してゆく


万葉集に登場する、あるいは描かれる娘、女...様々な描かれ方をしているが
この歌のように、厳しい母親のもとで育った、という環境は
みな同じだったことだろう


そして、どんな男に恋するか...
そこに「歌」として残される「女性の魅力」があるのかもしれない
私は、そう思う


未勘国歌
この巻の目録に「以前は、歌詞未だ国土山川の名を勘へ知ること得ざるものなり」
とあり、前半の国別の歌と分けて、一纏めにして「未勘国歌」としている





   「男の痛み」...自分を追い詰める...
「人妻に恋する痛み」
この四首(3561〜3564)を含め、
それまでの十首と併せ、「獣に寄せた歌」と括られる
しかしその中でも、この四首に、私は一つの物語を想った

人妻に恋した男の、情けないほどに落ち込むその姿を...

 東歌
  左和多里能 手兒尓伊由伎安比 安可胡麻我
 安我伎乎波夜未 許等登波受伎奴
    左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ
  さわたりの てごにいゆきあひ あかごまが
 あがきをはやみ こととはずきぬ
 巻第十四 3562 相聞 作者不詳
 左和多里の手児、あの人に行き会ったが
 私の馬の足が速過ぎるために
 あの人に、何も声を掛けられずに来てしまった
 
  安受倍可良 古麻能由胡能須 安也波刀文
 比登豆麻古呂乎 麻由可西良布母
    あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも
  あずへから こまのゆごのす あやはとも
 ひとづまころを まゆかせらふも
 巻第十四 3563 相聞 作者不詳
 崩れた崖の縁を馬が走るように
 そんな危険なことだとは承知していても
 人妻であるあの人を...[私は、眩しく思う]

結句「まゆかせらふも」、難解で通説なし ⇒右頁に説明
 
  佐射礼伊思尓 古馬乎波佐世弖 己許呂伊多美
 安我毛布伊毛我 伊敝能安多里
    さざれ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも
  さざれいしに こまをはさせて こころいたみ
 あがもふいもが いへのあたりかも
 巻第十四 3564 相聞 作者不詳
 細かい小石の上を、馬を駆けさせれば痛いだろうに
 そのように心痛める、私の想う人の...家の辺りだなあ...

ここでは、「妹」と言う
何故、「心痛める」のか...


歌の流れを追う
危なっかしい行為、想いだとは承知している
それは、いつ崩れ落ちるか解らない崖の上に、馬を...我が身を留めるようなもの
それでも、留めるのは...それこそ「命がけ」だからだ

あの人に行き会っても、声を掛けることもできない
私の馬が、それを諭すように駆け抜けさす

崖の縁を走り抜けるなんて、危険この上ないことだが
そうまでしても、私の想いは...あの人の「眩しさ」に惹かれてしまう

整備されていない小石だらけの道を駆ける馬が
その痛みを感じるように、
私も心を惑い痛み、ここまでやって来た
あの人の、家の辺りまで...

この最後の歌は、もう一つの情景も浮んだ
それまで「人妻」という相手から「妹」と詠われている
勿論、この歌が単独であると思えば、それでいい
しかし、そう思えない私には、ここの「人妻・妹」が
同じ女性のように、まず感じられたのだが...あるいは

というのも、心痛めるのは、何故だろう
文字通り、自分の「妹(妻)」であれば、何故「心を痛める」
想い付くのは、後ろめたさ...
人妻のことをずーっと想いながら、なすすべもなく
気がつけば、自分の妻の家のそばまで来ていた...そんな自分を責めている
とも思われてしまう

単純に、「人妻」を「命がけ」で想う「女性」としてとらえ
人妻故に、何も出来ない自分が「心痛い」のか...
しかし...「命がけ」ならば...その痛みは何なのだ、と
そう思えば、「妹」は...「妻か、恋人」なのかもしれない

このように、万葉集を、何気なく読み進めていくことなど
とうていできないことだ
どうしても、立ち止ってしまう
学者や研究者たちの通説を読み、歌の意を感じるだけでは
それは、せっかく千年以上も伝え残された歌の、
まだまだ魅力があることに、気づかないままでいることだ

拙考、そして想いであっても、自分で拾い出し、感じることが
「いにしへ人」との触れ合いに、少しでも近づくことが出来る、と思う





掲載日:2013.06.19.


 東歌
  安受乃宇敝尓 古馬乎都奈伎弖 安夜抱可等
 比等豆麻古呂乎 伊吉尓和我須流
あずの上に駒を繋ぎて危ほかど人妻子ろを息に我がする
  あずのうへに こまをつなぎて あやほかど ひとづまころを いきにわがする
 巻第十四 3561 相聞 作者不詳


 
危なっかしい崖の上に馬をつなぎとめて
そのように危険なことであっても、
人妻であるあの人に
私は、命がけの恋をしている


あず...古語辞典によれば、岸の崩れた所、崖...「山岳語彙」とする注釈もあった
駒...馬のことだが、一般に牡馬のことを言うらしい


あやほかど...「危ほかど」上代東国方言、危険ではあるが、危ないけれど
「危(あや)ふけど」の転訛と言われる
「危(あや)ふけど」は形容詞ク活用「危ふし」の已然形「危ふけれど」
その詰まったものだと思う


ころ...「子ろ」上代東国方言、「ろ」は親愛の意の接尾語
子どもや女子を親しんで言う


いきにわがする...「いき」ここでは「命」
「息の緒(いきのを)」で「命の綱として」「命がけで」の意になり
ここの「息に我がする」も、「息の緒にする」と同様に、「命をかける」だと思う


万葉集のオリジナルは、誰も見たものはいないし
今後も望めないことだろうが
単に、歌の再現を現代に伝え続けている、と思うのは間違いだ


現代...いや、和歌の形式が正式(勅撰)に編纂されるようになれば
その和歌を、読者に解り易い分類や配列にも気を遣うものだ
しかし、万葉集の当初の目論みは、そうした勅撰歌集的な意図もなく
膨大な「歌記録」のような資料から、伝え残されたものがきっかけだろう
だから、万葉の当初の研究者の初めの仕事は
その分類も大きな作業の一つだったに違いない

古写本の中には、ただただ「漢字」の羅列で、それをどこで区切るのかさえも
和歌に長じた者でなければ手に負えなかったことだろう
そんな古写本の写真を見たことがあるが...そのままの形で残され
それが「万葉集」と言われても、
一般の人なら誰も見向きもしなかったのではないだろうか


そんな「万葉集の原形」を意識すれば
この巻第十四の「東歌」
少なくとも、国別の部立てはあるものは除いて
それ以外の、いわゆる「未勘国歌」の列挙
中には、一首単独のものもあれば、読むとそこに連作の情景の浮ぶものまで...
ただし、その「連作」かもしれないと思うのも、そこに注釈が付いているのではない
同じように、ただただ連なって歌が並んでいる

もとより、一首の和歌に、それぞれ想いを抱き読むものとすれば
それも、別に大きな障害でもなく...それはそれで充分楽しめる

ただし、私のような素人でも、ときどき「連作」の情景を
自分なりに、自然と感じることがある
それが正しいとか、過っている、ということは気にしない
私は、研究者でもなく、その解釈を広めようとも思わない
歌は、読む人それぞれが、素直に自分の心で受け入れればいいことだ


この〔3561〕歌から始まる四首
その歌群に、一つの情景を浮かべてしまう
この四首が、男の苦悩を「物語風」に詠っているように思えた

勿論、この四首を一連の歌群として述べる注釈書はない

【まゆかせらふも】(左頁〔3563〕歌)

「目ゆかす」という「目に惹かれる」という意味の動詞の継続態
あるいは、「まやかす」とも同義で、目が紛れる、か

こんな説明もあった
いずれも、現在でも通説とはならないらしく、訳のない解釈本もある

私の掛替えのない「友」、古語辞典を懸命に捲りだす

そこで、「ゆかし」という形容詞に出合う
好奇心がもたれ、心がひきつけられる状態で
直接的に、「見たい、聞きたい、知りたい」とあった
勿論、他動詞ラ行四段「ゆかしがる」
形容動詞「ゆかしげ」
名詞「ゆかしさ」と続く
基本は、どれも「心を引かれること」


「らふ」の「ふ」が継続の助動詞「ふ」だとは間違いないと思う
すると、「ら」は完了の助動詞「り」の未然形になるだろう
この助動詞「り」は、四段動詞の已然形に付くので、
「ゆかし」の活用語で、已然形で「ゆかせ」になるのは...ない

やはり、「目ゆかす」とか「まやかす」とかの意に沿った方がいいのかな
取り敢えずは...そうしておこう







   「凛とした女性、涙に濡れる女性」...東国の女性像...


「東国は別れの戦場」
東国の歌は、まだまだ私には手の届かない奥深さがある
都周辺と違って、そこには「出会いと別れ」が常のようにある
都から赴任してくる官人
そして防人として筑紫へ送られる人たち
長い間の離れ離れになったり、束の間の恋も芽生えたり...
淡い恋心と、切ない恋心の交差
それは、何も若者だけのものではない
現代でも同じように理解できる、大人の「恋こころ」もたくさんある
さまざまな物語を醸し出す「東国の歌」...


 東歌
  安波受之弖 由加婆乎思家牟 麻久良我能
 許賀己具布祢尓 伎美毛安波奴可毛
    逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも
  あはずして ゆかばをしけむ まくらがの
 こがこぐふねに きみもあはぬかも
 巻第十四 3580 相聞 作者不詳
このまま逢いもしないで出て行かれれば
何と残念なことでしょう
[まくらがの古河]の渡し場から漕ぎ出る舟に
せめて、あなたを一目だけでも
姿を見せてくれないのですか


この歌も、男歌なのか女歌なのか...
男歌として解釈している本もあれば、女歌として解釈している歌もある
それだけではなく、作者の視点の位置さへも様々な解釈がある

逢はずして行かば...
「行く」の主語は男だとは思うが
作者が男であれば、この歌の流れは
あの人に逢わずに出て行くのは、残念でならない
せめて、舟の渡し場まで来てくれないものかなあ...となるだろう

作者が女であれば、
このまま行かれてしまうなんて、とても残念なことです
渡し場に行っても、あなたはその姿さえ見せてくれないのですか

をしけむ...形容詞「をし」、名残惜しい、残念、思い捨てにくい
まくらが...地名・所在不明
こが...茨城県の古河かと言われている

さて、この結句「きみもあはぬかも」で意味が分かれる
きみ...「君」であるので、ほぼ男のことだろう
も...私が用いたのが、「仮定希望の係助詞」せめて〜だけでも
あなたの姿を、せめて一目だけでも、と願う
あはぬかも...否定の「逢はぬ」に、疑問の終助詞「かも」
姿を見せてくれない、のですか

そもそも、逢わずに去って行く男だ
いわば、もう逢わないと決めた男の気持ちであれば
いくら女性が、せめて一目だけでも逢いたい、と願っても
男は、船上に姿を現し、女に手を振ったりしない
それを悲しく見送ることになる、女の涙...

そう解釈すれば、作者は女自身となるし、私もそう思う
ある注釈書では、「君」は「女」を指している、という
船着き場に、姿を現してくれないかなあ、と願う男の気持ち

従って、それまでの語句は、男歌として訳されることになる

このまま、逢うこともなく、私が船で行くならば
何と残念なことだろう
せめて、船着き場には、一目でも姿を見せてくれないものかなあ...

専門家たちでさえ、解釈の相違はかなりあるのが、万葉集だ
しかも、男歌、女歌という、心情の根本に関わることでも、起こり得る
私などが、好き気ままに解釈できるのも
言ってみれば、その「曖昧さ」にあるのかもしれない

この歌、私は...やはり「東国の女性の歌」として思いたい
逢わずに去って行く男は、任期の終えた、都の官人か
あるいは、気持ちの行き違いを生じた「恋人同士」の別れか...

都の風情とは、随分掛け離れた東国の「情景」には
やはり、哀しみが一杯詰まっている
勿論、それ以上に、都にはない「奔放な歓び」も多いのだろうが
まだまだ私の「東国の旅」は...続けたいものだ

掲載日:2013.06.20.


 東歌
  阿遅可麻能 可多尓左久奈美 比良湍尓母
 比毛登久毛能可 加奈思家乎於吉弖
阿遅可麻の潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて
  あぢかまの かたにさくなみ ひらせにも ひもとくものか かなしけをおきて
 巻第十四 3573 相聞 作者不詳

 
あぢかまの潟に、花が咲くように立つ白波

それが、なんでもない出会いにさえも、
下紐を解くことがあるのだろうか...

いとしいあの人をおいて...


あぢかま...地名らしいが、所在不明
かた...遠浅になっている海岸で、潮の干満によって見え隠れするところ...ひがた
さくなみ...波頭の白い波を、咲く花に見立てた表現
平瀬...川の静かで波の立たない瀬、平凡な「逢瀬」の比喩

にも...格助詞「に」に係助詞「も」、種々の意味があるが

ここでは、〜にさえも、〜に対しても...のような意味だと思う

ひもとく...自動詞カ行四段、花の蕾が開く、ほころぶ、の他
ここでは、他動詞、下紐を解く、男女が親しみ合う表現

ものか...反問の終助詞、非難を含む反問の意を表す、〜であろうか、〜ことがあろうか
「ものか」を、一般的には「「もの」と「か」で解釈している
その場合の「もの」は、一般的な「もの」として、「か」は詠嘆の終助詞
敢えて訳せば、「紐解くことがあるものだ」となっている

しかし...私には、反問の終助詞「ものか」とした方が、もっと深まるように思える

この歌の作者が、この女性をどんな風にとらえているか、で違うだろう
世間には、こんな女性もいるのだなあ、と冷静に観察しているような見方
あるいは、人として、このようなことは不快なことだ、と眉をしかめるような...


私には、「かなしけをおきて」という結句に、その哀しさが込められていると思う
だから、非難を含む「反問の終助詞」であった方がいい

なかには、この女性の「浮気心」の類のように、との注もあるが
それは論外だと思う
そうであれば、「かなしけをおきて」には、つながらない

かなしけ...「愛(かな)しけ」は東国方言で
形容詞「かなし」の連体形「かなしき」の転じた語、いとしい、恋しい

おきて...他動詞カ行四段「置く」の連用形、除く、さしおく、さしおいて
「かなしけをおきて」...いとしいひとを、さしおいて... 

もっとも、この歌の作者が、男なのか女なのか...解らない
一般的には「女歌」とされているので、
この内容は、女が自嘲気味に詠ったもの、という解釈だろうが
男歌だったら、どうだろう
女とは、そんなものなのか...いや違う、と「ものか」が反語的に「響いてくる」
この作者を「女」とするから、「浮気心」的な解釈の余地があり
「ものか」ではなく「もの」として「紐解くこともあるものだ」とされるのだろう
「ものか」であれば、「いとしい人がいるのに、そんなこと出来ない」

そんな毅然とした「芯の強い女性像」も浮んでくる

古語辞典だけを頼りに、自分だけの理解で解釈してしまった
...まあいいさ、そんな女性の方が、読んでいてすっきりする
勿論、古語辞典を本当の意味での理解が出来ているかどうか、は解らないけど...












   「歌は哀しい」...切ないからこそ恋歌...
「世間知らずの出会い」
人が詠う、歌心...
人が詠うからこそ、その歌は哀しく切なく響く
鳥の鳴き声に、もの悲しさも感じれば
また、美しい空に溶け込むような
調和のとれた響きを聴かせる鳴き声もある
鳥がどんな気持ちで鳴き、何を伝えようとして鳴くのか解らないが
少なくとも、人の奏でる「恋歌」は
切なさこそが、その源になっているだろう
多くの人が、そんな歌にともに魂を揺さぶるのも、
誰一人として、その例外はないからだと思う
誰もが...同じように経験し、泣き、苦しみ、それでも前に進む

それでも、何事にも初めがあるように
恋もまた、「初」はあるものだ
「恋」そのものは人は多くの経験もするだろうが
次第に世間の「恋」というものに、人は馴染んでゆく
世間知らずのものが、初めて「出くわした」恋と言うもの...


 東歌
  刀祢河泊乃 可波世毛思良受 多太和多里
 奈美尓安布能須 安敝流伎美可母
    利根川の川瀬も知らず直渡り波にあふのす逢へる君かも
  とねがはの かはせもしらず ただわたり
 なみにあふのす あへるきみかも
  (右廿二首上野國歌) 
 巻第十四 3432 相聞 作者不詳
 利根川の、その川瀬のことなど考えもせず
 真っ直ぐに渡り、いきなり大波に出くわしたように
 突然出逢ったあなたです

のす...接尾語「なす」の東国方言、〜のような、〜のように


利根川の川瀬の勢いも、その浅み、深みも知らず...
何も考えずに、「恋」という川を渡ろうとして
いきなり、大波に出遭ってしまった
そんな突然の出逢いが、思慮の浅さから起こってしまった
まさに、世間知らずの「私」が、あなたに出逢ったのです

そんな歌意だと思う

利根川は、言うまでもなく日本的ではあるが「大河」だ
その利根川を、私は数年前まで、毎日渡っていた
茨城から東京へ通う唯一の鉄道で...
そのときでさえ...河川敷が整備されている現代でさえ、大きな川を実感していた
それは、単に物理的な距離感ではなく
この川を渡ることの「境界」を越える何かを感じたものかもしれない

私のそんな経験など、この歌とはまったく関係ないことだが
同じように、渡河というのは、
それまでの自分の世界からの冒険めいた気分にもさせられるものだ
上野国といえば、群馬県
私が渡河していた流域よりはるかに上流であり
その川幅や、利根川そのものの実情は知らないが
それでも、大きな川であったことは間違いないだろう
その川に、何も考えずに、ただ渡る、という気持ちだけで...

東国の女性の「都観」とは、どんなものなのだろう
中央から赴任してくる役人たちの風情を、都そのものと感じるものだろうか
そうして伝わる「都」への憧れ...
それが、渡河を、後先も考えずに行わせ
予期せぬ「大波」にも遭遇しかねない...しかし、それは...
決して、望まないこと、とは言い切れない
そこまで無鉄砲にでもならないと...新しい世界には辿り着くことも適わない

むしろ、東国女性の、はるか遠くに見詰める「都」への渇望があるのかもしれない

掲載日:2013.06.21.


 東歌
  安我古非波 麻左香毛可奈思 久佐麻久良
 多胡能伊利野乃 於久母可奈思母
我が恋はまさかも愛し草枕多胡の入野の奥も愛しも
  あがこひは まさかもかなし くさまくら たごのいりのの おくもかなしも
 (右廿二首上野國歌) 
 巻第十四 3421 相聞 作者不詳
 


私の恋は、今も切なくて哀しい

多胡の入野のように、さらに深まって...
この先も、切なくて心痛めることでしょう...


あがこひは...私の恋は、と何気なく思うのだが
第二句の「かなし」と、結句の「かなし」の解釈によって
「恋」の捉え方が違うようだ


まさか...目前(まさか)、まのあたり、現在

かなし...形容詞シク活用

...愛おしい、かわいい

...かわいそうだ、心が痛む...などが一般的に解されている


草枕は、旅にかかる枕詞だが、ここでは「たび」と頭が同音の「多胡」
多胡は地名で、多胡の入野は、山裾に入り込んだ野という


おく...先の「まさか」に対する意があり、「将来、行く末」という意味がある

も...詠嘆の終助詞


「かなし」を想うとき、この歌の解釈は全く逆の歌意になってしまう


愛おしい、と考えるのなら、
それは「恋心」ではなく「恋しい人」でなければ、読み辛い
「私の恋」、ではなく「私の恋人」になるだろう
今も愛しいあなたは、多胡の入野が、どんどん山裾に深まっていくように、
その将来もまた、愛しいことでしょう

幸せな恋の歌となる
実際、小学館の「全集」では、「恋しい人」として解釈されており
その場合、もっと困ったのが「かなし」を「かなしけ」の意に用いた、とある
「かなしけ」は、単に上代東国方言で、
形容詞「かなし」の連体形「かなしき」の転じたものだ
「かなしけ」としたところで、それが「恋」を「恋人」にする根拠にはならない


だから、やはり「恋心」であって、私の恋心を、愛おしいと詠うよりも
私の恋心は切なくて、哀しい、と詠う方が
歌にする、詠いたいと思う気持ちに沿った、自然な想いだと思う


古語辞典には「恋」に、恋しく思うこと、心がひかれること、恋愛、とはあっても
「恋しく思う相手」となる「恋人」という意味は載っていなかった

そして、心が痛む、哀しみ、の意味でこの歌を読むと...
掲題に揚げたようになると思う

そもそも【かなし】の語彙には、古語辞典にこんな説明があった

人事に対しては情愛が痛切で胸がつまる感じ、自然に対しては深く心を打たれる感じを表す。


「恋」が「かなし」というのは、
胸がつまる、という気持ちになるだろう
人に対しての「恋心」...それは、まさに「せつなさ」を表現している、と思う
この説明による「人事」が、この「恋心」ではないだろうか










   「時はきえて」...一途な気持ち...
「男がいけない」
一組の、情熱的な若者たちを知る
母親に、どんなに妨害されようが...橋がなくなっても
泳いででも逢いに行く覚悟がある...決して離れない、と誓う二人

しかし、逢えなくても、長い間ずーっと待ち続ける女性もいる
こうした状況での恋歌は、都の相聞でもよく見かけるのだが
何故か、東国の「相聞」には、想い入れが強くなってしまう

男を蹴飛ばしてでも引っ張ってきてやりたくなる

可憐な東国の女性の「歌」が、男に響かない訳がない

また、今夜も...しんみりと味わう歌心になってしまった


 東歌
  可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志
 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母
    上つ毛野佐野の茎立ち折りはやし我れは待たむゑ来とし来ずとも
  かみつけの さののくくたち をりはやし
 あれはまたむゑ ことしこずとも
  (右廿二首上野國歌) 
 巻第十四 3425 相聞 作者不詳
佐野の茎立を折っては生やし、折っては生やし
私は...また待つのでしょうねえ...
あなたが、今年も来ないとしても...


これは、切な過ぎるほど悲しい歌だ

くくたち(茎立)は、小松菜・高菜の類の茎の部分を
つぼみのつく前に折り取ったもの、と解説があった
「折り生やし」という語句で、何度も何度もそうしてきている感じがする
「待つ」の未然形「待た」に推量助動詞「む」の終止形
さらに、悲しくさせるのは、その後の間投助詞「ゑ」
この「ゑ」は、単なる詠嘆よりも、より深い「嘆息」の混じった助詞だ
ああ、また今年も、待つのですね...

この女性は、ただ「ひたすら」、一途に待とうと心に決めている
そこに、相手の男への疑いの念は、いくらかでもあるのだろうか
いや、「嘆息」は、逢えないことへの「寂しさ」を綴るもので
相手への不信感ではないはずだ


男は...どんな歌で...返すのだろう...
 

掲載日:2013.06.22.


 東歌
  可美都氣努 佐野乃布奈波之 登里波奈之
 於也波左久礼騰 和波左可流賀倍
上つ毛野佐野の舟橋取り放し親は離くれど我は離るがへ
  かみつけの さののふなはし とりはなし おやはさくれど わはさかるがへ
 (右廿二首上野國歌) 
 巻第十四 3439 相聞 作者不詳

 
佐野の川を渡る舟橋を取り外そうと
母は、どうして私たちの気持ちを解ってくれないのだろう

いくら、そのようなことをされても
私たちは、決して離れ離れにはなりません...なるものですか


上野の佐野...上野の国、今の群馬の地名
舟橋と言うのは、川幅に対して、舟を綱で並べて係留させ
そこに舟板を乗せ、対岸までの橋としたもの

当時のままの、その舟橋を再現できるのかどうか分からないが
それに近いものは...随分昔のことだが、山間の川辺りで何度か見かけたことがある
そのせいか、この「舟橋」のイメージは、すぐに浮ぶ


とりはなし...「はなし」が、解放す、自由にするなどの意のある、
他動詞タ行四段「放(はな)つ」の連用形「はなち」の東国方言らしい
この舟で作った「舟橋」を、取り払う、という意味だろう

おやはさくれど...親、いつものように娘への干渉が強い、当時の母親が
「さくれど」、二人の仲を引き裂こうとするのだが...
この「さく」は、他動詞カ行四段の「割く・裂く」で、
母親が二人を引き離そうとする

結句の「さかる」は、自動詞ラ行四段「離(さか)る」の連体形
離れる、遠ざかる、のような意味がある

そこで、この連体形に接続するのが強い否定・反語の係助詞「かは」
...離れるものか、決してそんなことはしない、と言うのだろう

「がへ」とあるのは、この「かは」の東国方言...と言うことらしい

舟橋を取り外し、男がやって来れないように
あるいは、娘が渡って行けないように
母親は、苦心しながら強い警戒感を持つのだが
娘、あるいはこの若い恋人同士は、決して怯まない
私たちは、決して離れたりしない、という「想い」

結句の「さかるがへ」にこめられた、並々ならぬ想いを感じてしまう
だから、「わはさかるがへ」の「わ」は、一人称よりも
私たち、と言うニュアンスの方が...訳すとすれば、その方がいいと思う








   「揺れる女心には」...闘うのも男...
「かたもひ、もいい」

どの時代でも、どんな環境でも
人は「ライバル」といえる相手を作る
それがお互いを成長させる

何も、意図して自分の為に「ライバル」を求めるのではなく
できるなら、いて欲しくない「ライバル」もいる
それが「恋敵」だろう

愛しい娘の気を引くには、何かで秀でており
しかも、それを見せることが出来る「場」も必要だ
私の得意な弓を射ることでは、誰にも負けないと思っていた
しかし、この私と同じように実力のある男がいたものだ
それでも、勝負する機会があれば、私は負けることはない
私の「弓」の腕前は、誰もが認めてくれている

ところが、その男...このところのうわさでは
めきめきと実力をつけてきている、という
さらに、面白くないことといえば
そのうわさが耳に入り始めたころから
やけに、娘の態度が素っ気なくなったように感じてもいた

ひょっとすると、あの「男」のせいなのかもしれない
私に、勝てる射手などいると思わないが
それでも、お互いが勝負したわけではないから...
娘には、どちらが実力が上なのか解らないだろう

愛しい娘の気を引くためなら、私はどんな辛いこともしよう

今まで以上に、弓束を丹念に巻き
あの娘に、求婚しよう...
そのためには、勝たなければ...あの男に...

うわさに聞けば、あの娘の心も揺らいでいると...
そうなら、尚更だ
どうしても、勝たなければならない

こうして、大切な「人」を得るために、自分を奮い立たせる
人の歴史は「謀略」と「知略」で、相手を蹴落として作られる場合も多い
すべてが、相互に「人の魅力」を高め合うだけではない
その一端が、この男のような「決意」にあるにしても
時代を問わず、今度は男の「弱さ」を「強さ」と評価する立場もある

身を引く...相手のことを思えばこそ、「苦しめたくない」
だから、悩まないで欲しいから、自分は身を引く
そんな「想い」も、私には憧れとして...崇めてしまう

あいつには、幸せになって欲しいから、俺は諦める
いや、あいつの幸せは、俺だけがしてやれる

どちらも、私には「強い男」の「思い遣り」を感じる
しかし、一つ欠けているものがある

それは...「護る」ことだ
自分の想いだけで決めるのではなく
どうすれば、その娘を「護れる」か
「護る」ためには、どうあるべきなのか...

自分の「想い」の深さ、重さを訴えるだけではなく
何があっても「護り抜く」気持ち...それは決して言葉にしなくてもいい
時には、遠くから見守り続ける場合だってある
近くにいて「護る」だけとは限らない

そんな「男の歌」が、万葉集にあるのかな
探してみよう

掲載日:2013.06.23.


 東歌
  可奈思伊毛乎 由豆加奈倍麻伎 母許呂乎乃
 許登等思伊波婆 伊夜可多麻斯尓
愛し妹を弓束並べ巻きもころ男のこととし言はばいや勝たましに
  かなしいもを ゆづかなべまき もころをの こととしいはば いやかたましに
 巻第十四 3506 相聞 作者不詳

 
私の感じた「歌意」は左頁に載せる
今夜は、この一首...かなり梃子摺ってしまった


かなしいもを...愛おしい娘を、「を」は格助詞
ゆづか...「弓束」、矢を射るとき左手で握る部分
または、そこに巻いてある革や布

ゆづか−まき、はその部分を巻くことなのだが
「なべ」が...単純に訳せば、「なべ」を巻きつける、ということだろうが
その「なべ」が解らない
この歌は「寓意」として、「まく」が「求婚する」意があることから
この「なべ」が何なのか探してみる


愛しい娘を、自分のものにしようと、「なべ」を巻く
求婚する意味のある「まく」は他動詞カ行四段「枕(ま)く」とある
それを思うと、「なべまく」は、おぼろげに掴めてくる
枕を並べる、とイメージすれば、「並べる」という語が浮ぶ

そして、現代語の「並ぶ」の意味の古代語は、他動詞バ行下二段「並(な)ぶ」
その未然形・連用形が「なべ」だ

<ちなみに、古語でよく使われる「並(なべ)て」は、一般に、平凡、普通の意味>副詞


さて、古語の「並べ」を使えるとしたら、
その接続に...そう、連用形「並べ」が四段動詞「枕く」の連用形「まき」と
弓束に巻く、四段動詞「巻く」の連用形「まき」につながる
しかし、問題は、その連用形「まき」が、「もころを」につながるか、どうか...


もころを...「もころ男」、「もころ(如・若)」の「男」
何々に匹敵する、と言う意味があり、「もころ男」は、自分に匹敵するような
いわば、強力な「ライバル」のような存在だといえる
「もころ」が副詞、で「もころを」が名詞なので

「巻く・枕く」は、ここにはかからない


こととしいはば...「事とし言はば」
この「こととしいはば」に、「もころをの」がつながる
この「こととしいはば」は、自分に匹敵するような恋敵の存在のことを
愛しい娘が言うのだろう

そう言うのであれば...見え始めて来る

「巻く・枕く」...いやかたましに、
「いや」は接頭語で、
いよいよ、ますます、一段と、などのいっそう力の入る意がある


そして「かたまし」に堅く巻く、いっそう堅く巻く
さらに、自動詞タ行四段「勝つ」の未然形「勝(か)た」が、
推量・意志・反実仮想の助動詞「まし」につながる...のではないかと思う
「ませば〜まし」の語法で、「〜ならば〜だろう」と
ここでは、「いはば」があって、「恋敵のことならば〜」と条件は揃う


ここまで語彙を並べたら、歌の内容も、少しは理解できる
それに、「なべ」が弓束を幾重にも並べ連ねるように「巻く」
そして、あの娘と「枕」を並べる


その「巻く・枕く」が、弓束を「堅く巻く」と、
枕を並べる「求婚するため」に、恋敵に「勝つ」

そんな風に意味をつなげられるのではないか、と思う

「なべ」が例外なく、どの書も「未詳」になっているが
「まく」が「巻く」と、求婚する意味の「枕く」との寓意だと言うのであれば
「なべ」は、私には、動詞「並(な)ぶ」で並べる、とか連ねるを連想してしまう






   「いつまでも、待つ」...若さには、この言葉しかない...
「障害あれば、なおさら...」

【歌意】
将来を約束した、あなただけを待つ
向こうの峰に見える椎の枝が、交じり合うように
行き違いなどあるものか

この歌には、左注に異伝として「或本歌曰」が載っている
語句のみの記載ではなく、一首が載っているので
新編国歌大観では、これにも「歌番号」が付いている

歌の内容は、まさに前の男歌[3513]に対する、
恋人である女性の返しの歌だ


 或本歌曰
 於曽波夜毛 伎美乎思麻多武 牟可都乎能 思比乃佐要太能 登吉波須具登母
  速も君をし待たむ向つ峰の椎のさ枝の時は過ぐとも
 おそはやも きみをしまたむ むかつをの
 しひのさえだの ときはすぐとも
 巻第十四 3514 東歌 相聞 作者不詳
遅くも早くも、どんなに遅くなったとしても
あなただけを待ちます
そう、向かいの峰の椎の木の小枝が、
どんなに時が経っても、きっと交わるように...


将来を誓い合った恋人たち
しかし、すぐには一緒になれないようだ
娘の母親が反対しているのか、それとも、男に事情があるのか...
二人の前の障害もまた、「恋心」をさらに熱くするもの...

お互いが、いつまでも「待つ」という
「どんなに、時が経とうと」と言えるのは
まさに、若い恋人たちの純粋な言葉だと思う

あなただけを、あなただからこそ...私は待つのです
私の生涯で、こんな台詞...言ったことがあったような、なかったような...

この言葉に凝縮される、世間ずれしていない若者たち
それが、若い頃の「恋」の特権だ、と思う

掲載日:2013.06.24.


 東歌
  於曽波夜母 奈乎許曽麻多賣 牟可都乎能
 四比乃故夜提能 安比波多我波自
遅速も汝をこそ待ため向つ峰の椎のこやで枝の逢ひは違はじ
  おそはやも なをこそまため むかつをの しひのこやでの あひはたがはじ
 巻第十四 3513 相聞 作者不詳

 
私の感じた「歌意」は左頁に載せる
これからも、そうしたスタイルにしていきたい


おそはやも...副詞「遅早も・晩早も」、遅くても早くても、どんなに遅くても...
こんな語句があるとは、知らなかった...「遅くても、早くても」
副詞だから、「まため」にかかるだろう
どんなに遅くなっても、何を待つのか

まつ...他動詞タ行四段「待つ」の未然形「待た」、人や物事が来るのを待つ、
め...推量の助動詞「む」の已然形、
已然形「め」で句切れる場合は、「意志」の解釈になる
待ため...待つつもりだ...


何を待とうというのか...

むかつをの...単純に、向かいに見える峰のことだと思う
古語辞典「むかつを」によれば、「つ」は「の」の意の上代の格助詞、
と説明されている

従って、「向かいの峰」の、あるいは「向かいの丘」の...

しひ...「椎」ブナ科の常緑高木
こやで...「小枝」の訛り、という
中には、「やで」の母音の位置が入れ替わった形、という解釈もあったが
「小枝」であることには、違いないだろう...


たがはじ...自動詞ハ行四段「違(たが)ふ」、行き違いになる、という意味
その未然形「違は」に、打消しの意志の助動詞「じ」
...行き違いになることはないだろう、ないつもりだ...







   「護れよ、無心に」...ゆづるは、に想う...
 「見届けて果つ」

【歌意】
あの娘のこと、どう思っているのだ
そこまで思っているのなら、何故...
あじくま山の「ゆづりは」のように
いつまでも護られているとは限らない
若葉が、まだ成熟しないうちに、風にさらされたらどうする
誰かに言い寄られないとも、限らないのだろうに...

東国には、素朴な恋歌ばかりだと思えば
この歌のような、若者たちの一群、あるいは友人を思わせる一喝の歌
いや、これこそ「東国」なのかもしれない
東国の「男」は、防人歌など、故郷を後にする機会も多く
その歌は哀しみに満るものばかり
健気な妻への、優しさ、時には悲しさを詠いながら西へ西へとゆく男たち

東歌の「譬喩歌」は、語彙からその「譬られた」物を浮かべるのに
とても苦労する...何しろ、その「語彙」、「語句」そのものが
辞書から次第になくなっていくのだから...

この第十四巻の最後の挽歌を残して
今夜の「譬喩歌」で...しばらく東歌は離れ、また都へ戻ろう

残りの「東歌譬喩歌」

 東歌
 安之比奇能 夜麻可都良加氣 麻之波尓母 衣我多奇可氣乎 於吉夜可良佐武
  あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ
 あしひきの やまかづらかげ ましばにも
 えがたきかげを おきやからさむ
 巻第十四 3595 東歌 譬喩歌 作者不詳
「やまかづらかげ」...「ひかげのかずら」のように、
滅多に見ることも適わない、そんな美しい人を
放っておいていいのだろうか
枯れてしまえば、どうするのだ...
 
 乎佐刀奈流 波奈多知波奈乎 比伎余治弖 乎良無登須礼杼 宇良和可美許曽
  小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ
 をさとなる はなたちばなを ひきよぢて
 をらむとすれど うらわかみこそ
 巻第十四 3596 東歌 譬喩歌 作者不詳
いとしい人のいる村にある「花橘」
その美しい花を摘み取ってみようと思うのだが
あまりにも、うら若いので...今はまだ...
 
 美夜自呂乃 須可敝尓多弖流 可保我波奈 莫佐吉伊デ曽祢 許米弖思努波武
  美夜自呂のすかへに立てるかほが花な咲き出でそねこめて偲はむ
 みやじろの すかへにたてる かほがはな
 なさきいでそね こめてしのはむ
 巻第十四 3597 東歌 譬喩歌 作者不詳
みやじろの砂丘に、花のように美しく立たないでくれ
美しい「ひるがお」のように、人目についてしまうから...
私は、心からひそかに偲んでいたのだ
 
 奈波之呂乃 古奈宜我波奈乎 伎奴尓須里 奈流留麻尓末仁 安是可加奈思家
  苗代の小水葱が花を衣に摺りなるるまにまにあぜか愛しけ
 なはしろの こなぎがはなを きぬにすり
 なるるまにまに あぜかかなしけ
 巻第十四 3598 東歌 譬喩歌 作者不詳
苗代の小水葱の花の、その青紫色に衣を染めようと
こうやって摺り付けていると、
その次第に馴染んでくるさまが
同じように馴れ付いてくるあの娘のことを想い
どうしてなんだろうなあ、と...



山葛かげ...「ひかげのかづら」、初めて知った
滅多に見ることも出来ない「山葛かげ」なのだろうか
そうでなければ、譬喩歌には、ならないだろうが
それでも、茎は地上を這い、二メート取るにも達する多年草らしい
見てみたいものだ

花橘...これも、美しい女性の譬...しかも手折るのも躊躇われるほど、うら若い

かほが花...ひるがお、と説明はあるが、この歌では「はまひるがお」とも
美しい花は、確かに目立つ
それは、男にとって、ある意味では不安で仕方ないことだろう
美しい人は、自分だけが、こっそり眺めていたい...
目立つところに...いて欲しくないだろうなあ

小水葱...青紫の染料として使っているようだ
この花期が八月、九月なので、この苗代は、苗取りした後、
田植えをしないでそのまま放置する「通し苗代」という説がある

衣を染めながら、次第に染まってゆく衣の具合をみて
自分を慕ってくる娘のことを想い、一人でにやついている男...
でも...そんな気分にでもなれれば...羨ましい

掲載日:2013.06.25.


 東歌
  安杼毛敝可 阿自久麻夜末乃 由豆流波乃
 布敷麻留等伎尓 可是布可受可母
あど思へか阿自久麻山の弓絃葉のふふまる時に風吹かずかも
  あどもへか あじくまやまの ゆづるはの ふふまるときに かぜふかずかも
 巻第十四 3594 譬喩歌 作者不詳
 


あど...副詞、上代東国方言...なぜ、どうして...

もへ...他動詞ハ行四段「思ふ」の已然形「思へ」

この已然形に付く、疑問の係助詞「か」はない...
そして、已然形に付く助詞は「ば」があるが、
これだと、順接の確定あるいは恒常条件になる
...すると、...すると必ず...

しかし、この句の終り方はどうしても不自然で
あるいは、疑問の意味でありながら、結びの語が省略されているのか...


これは、どう解釈しようにも...難しい
まだ、ここまででは、イメージも湧かない

あじくま山...所在不明

ゆづるは...奈良の春日大社・万葉植物園で、その説明を聞いたことがある
このような葉があるなどとは、思ってもみなかった
新しい葉が育つまで、庇うようにしてかぶさり
新葉が立派になると、自らの使命を終らせる...凄い「葉」だ


ふふまる...自動詞ラ行四段「含(ふふ)まる」...花や若葉が、まだ開かないでいる
この語は、本来自動詞マ行四段「含(ふふ)む」うちに潜む、花や葉がまだつぼんでいる
その「含む」の東国方言「含(ふふ)まる」になるらしく
辞典によっては、この「語」は載っていない
やはり、「東国語辞典」なるもの...必要だ

かぜふかずかも...風が吹かない...「かも」、疑問の係助詞か、終助詞...
あるいは、疑問ではなく、反語かもしれない、その場合は終助詞だが...

なぜ、という

思う...思っているならば、なぜ...そんな意味になるのか

ゆづるはの若葉が、古葉に包まれているのは、まるで母親に護られている娘のようだ
しかし、風が吹かないと、思っていると
もしも、風が吹いたら...その若葉を護る「ゆづるは」では、耐え切れるだろうか
風が吹かない、と言えるのか...

東歌の「譬喩歌」は...とんでもなく難しい


【ゆづるは】(ゆずりはの古名)大辞林より

ユズリハ科の常緑高木。暖地の海岸近くに多く、庭木ともされる。葉は互生し、大形の狭長楕円形で、質が厚く濃緑色。葉柄は赤い。雌雄異株。初夏、黄緑色の小花を総状につけ、実は暗青色に熟す。新葉の生長後に旧葉が落ちるのでこの名がある。葉は新年の飾りに用いられる。
[季]新年。

●わが国の本州、福島県以西から四国・九州それに朝鮮半島南部や中国に分布しています。暖地の山地に生え、高さは10メートルほどになります。樹皮は灰褐色で縦に割れ目が入り、楕円形の皮目があります。葉は長楕円形から倒披針形で互生し、枝先に集まってつきます。5月から6月ごろ、前年枝の葉腋から総状花序をだし、花弁も萼片もない小さな花を咲かせます。果実は核果で、10月から11月ごろ藍黒色に熟します。名前は、若葉が伸びてから古い葉が落ちることから。これを親が成長した子どもに後を譲るのにたとえて、おめでたい木とされ、古くから正月飾りに使われています。
●ユズリハ科ユズリハ属の常緑高木で、学名は Daphniphyllummacropodum。
英名は Yuzuri-ha。


私も、実際に奈良春日大社・万葉植物園で、説明を聞きながら
しかも、葉に触れながら見たが
その名の「いわれ」を聞いた後であらためてじっくり見ると...
この万葉歌に詠われるように、大切に護ならければならないものだと解る
しかし...この歌の作者がいうように、もっとしっかり護れ、と
老いた葉は...やがて「ゆづって落ちてゆく」、老いた身には、風さへも辛い

それは...私が言われているようにも...








   「しらたま愛でし」...情報疎く...
「歌にたくす想いとは」

【歌意】3836
白玉のように美しい娘よ
離縁して戻ってきていると聞いた
そこで、その玉に...また緒を通すように、
私の玉に...私の妻になって欲しい

【歌意】3837
あの娘が離縁して戻ってきたことは、確かにその通りです
けれども...その玉にまた緒を通すようにして
他の男が、持って行ってしまいました
もう再婚してしまったのです


この贈答歌の二首だけを読むと、
男はうわさに、娘が離縁して実家に戻っていると聞き
その娘に、求婚の歌を贈った
しかし、そのことで、どう対処していいのか分からない娘は
親に相談し、親から男へ、事情を述べる歌を返した...

しかし、左注には、いろんなことを思わせられる
男は、娘の父母に、妻として迎えたい、と願い出たようにも見える
勿論、「女の父母に請ひ誂ふ」とあるので、父母に願い出たのは間違いない
ただ、歌を誰に贈ったものなのか...娘に宛てたものか...それともその父母へ...

当時のこのようなケースの仕来りなど解らないが
男が女に相聞歌を贈り
女は、すでに結婚したので、というような意味で返歌を送る
そんな「当事者」だけの遣り取りもあったはずだ
ここで「左注」がなければ、
私は「答歌」を読んで、きっと「女歌」として頭を捻っていたのかもしれな

しかし、勿論そうならないヒントもある
「しらたまの」...女の返歌であれば、こうは詠わないだろう
自分のことを「美しい」とは、詠まない
しかし、今まで接してきた「相聞歌」には
なかなか「粋な」歌も多くあり
そもそも、男が、「お前、別れたのか、だったら、おれの嫁になれ」
そう、私なら訳しかねない
そうなると、応える女の歌も、その調子に合わせて
「そうですよ、この白玉のように美しい私を...でも、もう再婚してしまいました」

そんな風にも、読んでいた可能性もある

単純に、男が女の再婚のことを知らずに求婚した
それが、「贈答歌」のセットになるのなら、ここで「左注」は余分な説明だとは思う
しかし、それが説明として、付け加えられるのは
この「贈答歌」の二首の間に、それこそ「物語的」な、いきさつがあった

よく言われるのが、「源氏物語」が、日本...いや世界でも、かな
最も古い「小説」だと聞いた
確かに、作品として創作された「読み物」では、それ以前の「読み物」は知らない
しかし、万葉集には、こうした贈答歌や、相聞歌として分類されるものに
読者が、様々に空想を抱ける「物語」が存在していることに気づく
ただ、残された「歌」しか目にしないので
どうしても、その「歌」の「気持ち」を汲み取ろうと懸命になるが...

私が、冒頭の【歌意】の後で書いた、娘への歌なのか、あるいは父母への...
この自問は、そこからきている
つまり、仮に娘が男からの求婚の歌を目にしたのなら
そこで...断りの歌であっても、あるいは、もっと早く言って欲しかった、とか
様々な「女心」を残せただろう
しかし、父母への歌であれば、この男の求婚を、娘は知らないことになる
「左注」では、私の理解度では、そこが解らない
ある解説書では、「人持ち去にけり」で、
父母が男に伝えた「もう私たちの手許にはいない」と、具体的に示しているが
そこまで読み込めるのは、何故だろう
そもそも、再婚して嫁いだのが事実ならば、すでに親の手許にいないのは当然
それを敢えて「伝える」のは、この「騒動」らしきものが
あくまで「歌の遣り取り」だけで済まされていること
それは...この万葉集の編者にとっては、まさに「源氏物語」以前の「恋愛小説」
その滑稽な、あるいは悲劇的な物語の空間を、演出しているような気がする

同じような万葉歌は、多く見られる
「歌と歌」の間に、「物語」が確かに横たわっている
ストレートに「想い」だけを載せる相聞歌だけではなく
左注を伴って、その歌と歌の空間にある物語を、しっかりと示す編集...

昔、私が万葉集に触れ始めた頃
一首一首から、ドラマが出来る、と意気込んだことがあった
その頃は、今ほど深く読み込むこともなく
感覚的にそう思ったものだが...今にして思えば
その感覚的な「今思う物語」が、当時の私は「万葉集」に感じられたのかもしれない
とんちんかんな訳にしてしまった

左注がなければ、歌と歌の空間にある物語を空想し
左注があれば、「見せられる」物語に、考えさせられ...
やはり、「万葉集」は、一貫性がなくて...面白い

掲載日:2013.06.26.


 贈歌一首
   真珠者 緒絶為尓伎登 聞之故尓 其緒復貫 吾玉尓将為
 白玉は緒絶えしにきと聞きしゆゑにその緒また貫き我が玉にせむ 
  しらたまは をだえしにきと ききしゆゑに そのをまたぬき わがたまにせむ 
 巻第十六 3836 雑歌 作者不詳
 
 答歌一首
   白玉之 緒絶者信 雖然 其緒又貫 人持去家有
 白玉の緒絶えはまことしかれどもその緒また貫き人持ち去にけり
  しらたまの をだえはまこと しかれども そのをまたぬき ひともちいにけり 
 巻第十六 3837 雑歌 作者不詳


この贈答歌、左注にその背景を伝える


右傳云 時有娘子 夫君見棄改適他氏也 于時或有壮士 不知改適此歌贈 遣請誂於女之父母者 於是父母之意壮士未聞委曲之旨 乃作彼歌報送以顕改適之縁也
右、伝えて云はく、時に娘子あり。夫君に棄てられて、他氏に改適す。ここに或壮士あり、改適せることを知らずして、この歌を贈り遣はし、女の父母に請ひ誂ふ。ここに父母が意に、壮士未だ委曲らかなる旨を聞かずとして、乃ちその歌を作り報へ送り、以て改適の縁を顕す、といふ。


右の歌、言い伝えによると、かつて娘子がいた。

夫に捨てられて、別の男と再婚した。
ところがある男がいて、その再婚を知らずに、この歌を贈り、
娘の父母に懇望した。

そこで父母は、この男は事情を知らないらしいと思い、
右の歌を作って送り、再婚した由を明らかにした、ということである。

                    【新編日本文学全集・小学館】


左注の解釈には、諸本に違いはなく、この解釈文を載せる

「棄」...夫婦の縁を切ること
「改適」...再婚
「委曲」...詳しい事情

【贈り歌】3836
しらたま...原文「真珠」とあるように、美しい貴重なもの
涙や露にもたとえられる
さらに、「しらたま」の意には、大切な人、愛しい人、にもたとえる

緒絶えしにきと...
「緒(を)」には、大切なものを繋ぎとめておくことから、「命」や
「〜の緒」の形で、、長く続く物事の意もある
名詞「緒絶え(をだえ)」...緒の切れること、細い紐の切れること
左注に「棄てられ」とあることで、
この「緒絶え」が、夫から離縁された、と解することができる
玉を貫いて結ばれていた緒が切れ、バラバラになった、とこめる

「し」...体言に付き、語調を整える副助詞、強調の意もある
「に」...完了の助動詞「ぬ」の連用形
「き」...(活用語の連用形に付く)過去の助動詞「き」の終止形
「と」...引用の格助詞、人のことばや思うことなどを直接受けて、引用を表す、〜と
...「言ふ・聞く・問ふ・思ふ・見ゆ・知る」などに続けて、その内容を示す...

ききしゆゑに...
「し」は、カ行四段「聞く」の連用形「聞き」に付き、
過去の助動詞「き」の連体形「し」
ゆゑに...体言あるいは用言の連体形に付き、順接的に原因・理由を表す「ゆゑ」
「に」...順接の接続助詞、〜ので
この下に、確定した事実が続く...末句の「わがたまにせむ」に続くと思う

その緒また貫き...
その千切れた緒を、また玉に貫く...

このたとえは、離別した女性が、再婚する比喩的表現となる

我が玉にせむ...
私の、玉にしたい...つまり求婚
「せむ」...他動詞サ行変格「為(す)」の未然形「せ」に、
意志・推量の助動詞「む」の終止形
...あなたを、私の「玉」と...「妻」としたい

【3837】歌
まこと...本当のこと、事実
しかれども...接続詞、そうではあるが、しかしながら...
ラ変動詞「然り」の已然形「然れ」に、接続助詞「ども」の付いたもの

人持ち去にけり...
人...他の男が
持ち去にけり...「去に」、自動詞ナ変「去(い)ぬ」の連用形
「けり」...過去の助動詞「けり」の終止形




 




   「遊行女婦」...現代では及ばぬもの...
 「教養と情け」

【歌意】3163
この先のことなど、分からないけれど
そんなこと考えはしない
ただ...お慕いするあなたに、連れ立って
この山路を越えて来てしまいました


この歌の内容から、どの本を引っ張り出しても
この作者は、ある種の「遊行女婦」だとの見方をしている
何故だろう...
そんなに「分別」のない女、との捉え方なのだろうか
ふつうに、恋した「女」では、この歌は詠えないのだろうか
都なり、あるいは地方なり
そこでの生活基盤がある女なら、
「恋心」が、たとえこのような歌の告白であろうと
もっと、違った「作者観」になったというのだろうか

作者不詳の歌...都では、敢えて名を伝えない場合もあるだろう
しかし、ここでは「旅先」でのことだから、知りようもない
そうとも考えられる
ならば、やはり「その場の、行きずり」ではないか、と...
いや、そうとも限らないと思う

現代に「遊行女婦」の意味として伝わるのは
まさに、現代風俗の「響き」を伴って連想されるが
この当時の「遊行女婦」は、決してそうではない
宴席の場を盛り上げたり、即興で歌を詠ったり、その例は万葉集にも多く残る

その中でも、私が最も心に残る歌がある
それは、大伴旅人が大宰府の長官を兼任しながらも
大納言として上京するときに、その別れを忍び見た「遊行女婦」たちが詠う歌
それに、応える旅人の振る舞いだ
(四首、語彙の説明は省くが、二首目の後の左注、これは右頁に載せる)

  冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首
 凡有者 左毛右毛将為乎 恐跡 振痛袖乎 忍而有香聞
  おほならばかもかもせむを畏みと振りたき袖を忍びてあるかも
 おほならばかもかもせむをかしこみと ふりたきそでをしのびてあるかも
 巻第六 970 雑歌 児島・遊行女婦
本心でいうのです
ふつうのお方ならば、いくらでも袖を振ったり、
なんなりと装いましょうが
畏れ多いお方ですので、
振りたい袖も、堪えているのですよ
 
 倭道者 雲隠有 雖然 余振袖乎 無礼登母布奈
  大和道は雲隠りたりしかれども我が振る袖をなめしと思ふな
 やまとぢは くもがくりたり しかれども わがふるそでを なめしともふな
 巻第六 971 雑歌 児島・遊行女婦
大和路は、雲の彼方に隠れています
その雲に隠れて、あなたの姿は見えないけれども
私が振る袖を、決して無礼だなどと思わないでください
 右大宰帥大伴卿兼任大納言向京上道 此日馬駐水城顧望府家 于時送卿府吏之中有遊行女婦 其字曰兒嶋也 於是娘子傷此易別嘆彼難會 拭涕自吟振袖之歌 ⇒右頁
 
  大納言大伴卿和歌二首
 日本道乃 吉備乃兒嶋乎 過而行者 筑紫乃子嶋 所念香聞
  大和道の吉備の児島を過ぎて行かば筑紫の児島思ほえむかも
 やまとぢのきびのこしまをすぎてゆかば つくしのこしまおもほえむかも
 巻第六 972 雑歌 大伴旅人
大和への路は、吉備の児島を過ぎて行くのだが
そこを通り掛ると、筑紫の「児島」を思うだろうなあ
 
 大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭
  ますらをと思へる我れや水茎の水城の上に涙拭はむ
 ますらをと おもへるわれや みづくきの みづきのうへに なみたのごはむ
 巻第六 973 雑歌 大伴旅人
立派な男だと思っている私なのだが...
水城の上で、涙を拭いてしまうことになるのだろうなあ


ここに登場する「遊行女婦」は、題詞では「娘子」となっているが
左注で「遊行女婦(あそびめ)、その名を児島」という
ここで言う「あそびめ」が、どんな「女性」を表しているのか
その詳細は、実態は、おそらく現在でも分からないだろう
しかし、少なくとも万葉の時代における「あそびめ」は
後に言われる「遊女」の類ではないことは分かる

情けを交わし、ときに見事な教養も発揮する
その教養を身に付ける環境が、
当時としては相当な階層でなければ、と思うのだが...
あるいは、地方と言う官庁への中央から赴任する役人は
原則、単身だったようなので、
その現地での世話をする「女性」の仕事もあったのかもしれない
それなりの家柄の出自を持つ「女性」だったとも思える

さらに、旅人が別れを惜しむ歌を詠うのは
恋人との別れを悲しむ、と言う意味ではなく
身内も同然な娘子への、辛い惜別の気持ちだろう
しかし、それを左注では「遊行女婦」という...
私には、「語感」はあまり良くないが
行きずりなどではなく、心が通うほどの期間を経て情けを交わす
そんな印象を、この歌から学んだ
勿論、今で言う「宴席」を盛り上げるための一群でもあっただろう

だから、右歌の作者について、
そんなに無分別に行動を共にするなんて、「遊行女婦」の類か、とする見方
その軽率さを、「行きずりの女」とするかのような、
当然のごとく、というような読み方は...私はしたくない
右頁の二人は...紛れもなく、「恋人同士」
男は、その地を離れなければならなくなった...
しかし、女は...つい衝動を抑え切れずに、一緒に来てしまった...
そんな歌に思えてならない
たとえ、それが「遊行女婦」の類であっても、
現代の解説で「見做されている、あそびめ」ではなく
次第に情を交し合った、恋人同士...そんな歌だと思う

旅人を持ち出したので、その息子・家持のこと
ここでは、宴席で詠う「遊行女婦」...旅人と違う、家持の接し方を想像できる
家持は...素っ気ない


  至水海遊覧之時各述懐作歌
 多流比賣野 宇良乎許藝都追 介敷乃日波 多努之久安曽敝 移比都支尓勢牟
  垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ
 たるひめの うらをこぎつつ けふのひは たのしくあそべ いひつぎにせむ
 右一首遊行女婦土師 ( / 前件十五首歌者廿五日作之)
 巻第十八 4071 遊行女婦土師
垂姫の浦を漕ぎながら、
今日は楽しくお遊びください
いい思い出にしましょう
 
 多流比女能 宇良乎許具不祢 可治末尓母 奈良野和藝弊乎 和須礼テ於毛倍也
  垂姫の浦を漕ぐ舟梶間にも奈良の我家を忘れて思へや
 たるひめのうらをこぐふねかぢまにも ならのわぎへをわすれておもへや
  右一首大伴家持 ( / 前件十五首歌者廿五日作之)
 巻第十八 4072  大伴家持
垂姫の浦を漕ぐ舟の、
梶を休める、その僅かな間でさえも
奈良の我が家のことを
忘れらようか...できやしない

私は、この親子...旅人の「情け」に惹かれる
 

掲載日:2013.06.27.

 


 羇旅發思
   梓弓 末者不知杼 愛美 君尓副而 山道越来奴
梓弓末は知らねど愛しみ君にたぐひて山道越え来ぬ 
  あづさゆみ すゑはしらねど うるはしみ きみにたぐひて やまぢこえきぬ
 巻第十二 3163 羈旅 作者不詳




【羈旅發思】[羈旅にして思ひを発(おこ)す]

「羈」は旅の意。旅先で詠んだ歌。


あづさゆみ...「すゑ」にかかる「枕詞」


すゑはしらねど...

「末」...語句の意味は、物の端、終り

そこから意味も広がって、木の枝先...さらには、晩年、のち、将来、結果など

「ね」...打消し助動詞「ず」の已然形

「ど」...接続助詞、逆接の確定条件...〜けれども、〜だが、〜のに...


うるはしみ...

「愛(うるは)しむ」...自動詞マ行四段、愛しいつくしむ、その連用形か...いや、違う

動詞の連用形ではないだろ...「思ふ」などの意味の動詞に接続しなければならない

形容詞「うるはし」に、接尾語「み」かな...

いや、これこそ「思ふ・す」に続くもの、と辞書にはあるが

同時に、次に続く動詞「たぐひ」(自動詞ハ行四段「たぐふ」の連用形)...連れ立つ

その内容を示すものとして「敬愛する君」だから...とはならないか

そうなると、形容詞「うるはし」の終止形「うるはし」に接尾語「み」が付き

「たぐふ」...一緒に行動する説明としての用法が成り立つ

...形容詞の語幹、あるいは形容詞「シク活用」の終止形に接尾語「み」で、〜ので...


歌の、いやこの語句の「語感」で、意味は確かに推測できるが

あくまでも「語法」は、ルールを知っておきたい

何しろ、目標は「辞書なし」で、歌を感じられるようになることだから...

勿論、正しい語法を捉えていないかも知れないが

この繰り返しで、いずれは...本物を身に付けることが出来る、と信じて...

とにかく、私の先生は...「古語辞典」しかないのだから...


きみにたぐひて...

ここの「たぐひ」は、自動詞ハ行四段「副(たぐ)ふ」...一緒に行動する、連れ立つ

その連用形で、単純接続の接続助詞「て」が付く


やまぢこえきぬ...

やまぢ...山路、山の道

きぬ...動詞カ変「来(く)」の連用形「き」、それに完了の助動詞「ぬ」の終止形

この完了の助動詞には「ぬ」の他に「つ」もあり

「きつ」とも語法的には同じようだが

語感がいくらか違うようだ

説明によると、「きつ」の場合は、意図がはっきりして来る、こと

「きぬ」は、無意識の内に来てしまう、こととある

ならば、ここは「きぬ」だから...






【971左注】

右、大宰帥大伴卿、大納言を兼任し、京に向かひて道に上る。この日に、馬を水城(みづき)に駐めて、府家(ふか)を顧(かへり)み望む。ここに、卿を送る府吏(ふり)の中に、遊行女婦(あそびめ)あり、その字を児島と曰ふ。ここに、娘子この別れの易きことを傷(いた)み、その会ひの難きことを嘆き、涕(なみだ)を拭(のご)ひて自ら袖を振る歌を吟(うた)ふ。 
 
右は、大宰府の長官である大伴卿が、大納言を兼任することになり
京に向かって帰途についた
その日、馬を水城...軍事用の堤防...に止めて、大宰府の館を振り返って見た
そのとき、卿を見送る大宰府の官吏たちに混じって、
遊行女婦、その名を児島という者がいた
そこで、その娘子は、別れがいともあっけなく、
また逢うことが適わないことを悲しんで、涙を拭きながら
その涙止み難く、この袖を振る歌を詠んだ
  


大納言...太政官の次官。正三位相当官。この当時定員二名で、相役は藤原武智麻呂。
府家...大宰府の庁舎
遊行女婦...『和名抄』」に「遊行女児、宇加礼女、一に云う阿曾比」とある











   「同じ状況でも」...逆の想いを詠う...
 「私の和歌への接し方」

【歌意】2842
みさごの棲む、今は干上がっているこの潟に、
動けなくなっている舟
夕潮で潟が満たされ、舟を動かせるようになるのを待っているのですね
その待つ思いよりも、私のあなたを「待つ」想いの方が
どれほど強いことか...

 
【歌意】3217
みさごの棲むこの洲に留まっている舟が
漕ぎ出して行ってしまったら
私は、打ち萎れるほど恋しくなったことでしょう
いくら後に逢えると分かっていても...


後記(6月29日)【うらごひしけむ】語彙の訂正分、及び【歌意】訂正(6月29日記)

私の、こうした万葉歌...今のところ万葉歌で精一杯だが...への接し方は
まず、「古語辞典」で「語彙」を拾い出すことから始まる
これが、若い頃に初めて接した方法と違うところだ

その頃は、通説になっている「歌意」に、自分の心を寄せたり反発させたり...
当然、自分で「ことば」をつぐもうなどとは、まったく考えていなかった
何しろ、高校の古文の授業は、今でもさっぱり記憶がない
どれほど興味がなかったことか...
もっとも、その頃は文学全般に、私の関心は向かなかった

だから、山仲間との語らいの中で、「万葉集」に心揺さぶられる仲間をみて
随分憧れて...それがきっかけになるのだが
それとて、私の万葉集への旅は、言わば専門家たちの用意された歌意そのままを
まったく無条件で受け入れていた...基礎のない私には当然のことだ

それも悪いはずがない
もどかしい「古語」を間違いなく理解するなど
今でも、私には重荷になっているのだから...

ただ、しばらくのブランクがあって、再び万葉集に触れたとき
あれっと、感じたことがあった
同じ歌なのに、あの頃感じた気持ちと、どこか違う...
その原因の一つは、訳者が別の解説書を読んだことにある
しかしそれが、今の私の万葉集への接し方にさせてくれた

万葉の「語句」は、その当初から決して変ってはいない
勿論、江戸時代から今日まで、多くの解釈の変遷はあった
しかし、それは根本が変ったのではなく...研究に依り、語の解釈が変ったに過ぎない
万葉歌そのものは、当然のことながら「普遍」だ
今になって、当時の作者が「修正したい」などと言うわけがない

その一つのきっかけで、幾つかの訳本を手にし
あるいは、万葉集とは、そもそもどんな過程を経て今日に伝わっているのか
そちらの方面へ関心が向いていくと
また必然的に、ならば「俺だって、自分の解釈でいいじゃないか」と自惚れてしまう
勿論、その解釈をするためには、「古語」を理解しなければいけないし
それだけでも不十分だ

私は、いつも思っている...
こうした古典の歌は、いくら現代でその歌意の真実を知りたいと思っても
それは、百パーセント有り得ない、できないことだ
作者本人が、この歌はこんな気持ちで詠った、と言わない限り...できない
ならば、その作者の歌に、自分はどう感じたのか
それで、いいのかもしれない...そんな思いから、再び万葉集への旅が始まった

別のブログで、「一日一首」、そこに万葉集の本歌だけを載せた
解釈は自分でした方がいい...自分で感じるままに
そんな意図で始めたことだが
次第に、誰もが私と同じ考えだとは思えない
ならば、せめて、「古語」だけでも、その「テーブル」に並べよう
英語で言えば、まさに英文の「単語」だけを机の上に並べ
さて、そこから「日本語」の文を作れ、というようなものだ
実用英語と違って、感性の「歌」は、いく通りも並べられることが出来る

同じ古語を机に並べても、他の語彙との兼ね合い
そして、一つの語に含まれる、多くの「語彙」
それらから、歌になる「語彙」を選択するのは...それも難しい
そうなれば、自然とやらなければならないことが決まってくる
その「歌の背景」だ
この環境、状況下であれば、この「語彙」にした方がいい...
そう思えるようになってきた

煩わしい活用語、とくに助動詞の使われ方には、馴れないと助詞と悩むこともある
しかし、おかげで...「古語辞典」をスムーズに引けるようになってきた

ジグソーパズルのようなもの、といえば、ふざけて聞こえるかもしれない
歌に使われている「語」は、この通り並べた
さあ、それをどうやって「三十一文字」に並べ替える
そんな風に楽しめ出してきた
元絵を知っていれば、比較的ピースは探しやすい
歌の背景を知れば、やはり同じことが言える
その背景を知る手掛かりも、単に史書からだけではなく
同じように万葉集の中からでも引き出せる...題詞、左注の魅力がそこにある
それによって、自分の感じたものを、立体的にイメージさせられる

更に面白くなったのは、今まで無条件で読み流していた訳書への疑問
文法的に間違いなく説明されたものであっても
そこに、「だから、こうなる」という断定的なものへの拒絶感
初めて感じた思いだった
歌の解釈以上に、研究者の学説の押し込みは...もう私には受け付けられなくなっていた
「曖昧に」残すことが、学者としての「恥」とでもいうかのように
勿論、「これはまだ通説はない」、という説明も多い
それはいいことだと思う
通説がなければ、文法さえ懸命に学び取った上で、自分なりの解釈も可能だ
勿論、文法上の解釈など、そんなに大事だとは思っていない
また英語の引き合いになるが、実際に文法で習う英語は...生かされない
ブロークンな英語の方が、意気投合できるケースも多い

古語でもそうだと思う
文法にこだわるのは、最低限の意味を理解するためで
そうして並べ終わった「歌」を、どう感じるか、はまた別の問題になる
...何しろ古典は、文法が分からないと、さっぱり読めない
会話で大いに役立つ「身振り手振り」や、その場の「空気」が...ないから

例えば、昨日の「遊行女婦」にしても
では、その「遊行女婦」とはいったいどんな人たちだ、と知らなければ
いや、知らなくてもそれで解釈は出来るが
知った上でも、その解釈が妥当かどうか、また読み直したくなるものだ

私が、何十年も前に感じた歌、しかし、今また同じ歌を読む
決して、同じ感じ方はしないだろう...自分自身の変化もある
...歌は、そうしたものだと思う
それぞれが、自由に感じ、そのためには必要最小限の手立ては講じ
あとは、気ままに万葉時代に「想いを馳せる」...いい旅が続くと思う

人それぞれが「感じ入る、はるかいにしへの歌」...万葉集は尽きない...

ちなみに、掲題の歌〔3217〕...また、港の「遊行女婦か」、という説もあった
 
 

掲載日:2013.06.28.

 


 譬喩
  水沙兒居 渚座船之 夕塩乎 将待従者 吾社益
 みさご居る洲に居る舟の夕潮を待つらむよりは我れこそまされ 
   みさごゐる すにゐるふねの ゆふしほを まつらむよりは われこそまされ
  右一首寄船喩思
 巻第十一 2842 譬喩 作者不詳
 
 悲別歌
  三沙呉居 渚尓居舟之 榜出去者 裏戀監 後者會宿友
  みさご居る洲に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむ後は逢ひぬとも
   みさごゐる すにゐるふねの こぎでなば うらごひしけむ のちはあひぬとも
 巻第十二 3217 悲別歌 作者不詳




【譬喩歌】[諷喩の歌]

物を譬喩として情を述べる方法の歌

そもそも心情表現の歌は、譬喩に基づいて詠われている

「寄物陳思」(物に寄せて思を陳べたる)が、直喩、隠喩に寄るのに対し

「譬喩歌」は諷喩だが、所収歌は区別が必ずしも明確ではない


【悲別歌】[別れを悲しびたる歌]

主として、旅の悲別...後代の「別れの歌」



【2842】語彙

みさごゐる...

「みさご」は、鷲鷹目みさご科の鳥

猛禽類の中では、比較的小さく、鳶と同じくらいの大きさ

荒磯や孤島などの断崖に棲み、水面に急降下して魚を捕らえる

ゐる...自動詞ワ行上一段「居(ゐ)る」の連体形、存在する、の意、「す(渚)」に掛かる


すにゐるふねの...

「す(渚)」...原文「渚」、「洲(す)」と解される

海・川などで土砂が積もって水面に現れたところ

「の」...主語を表す格助詞、〜が

...水位が低くて動けない、そこにいる舟が...


ゆふしほを...

「ゆふしほ」...夕方に満ちてくる潮

「を」...対象の格助詞、〜を


まつらむよりは...

「まつ」...他動詞タ行四段「待つ」の終止形、推量の助動詞「らむ」につながる

「より」...比較の基準の格助詞「より」、〜よりも...

「は」...強意の係助詞


われこそまされ...

「こそ」...強調の係助詞、〜こそ

「まされ」...自動詞ラ行四段「勝る・優(まさ)る」の已然形

これは、係助詞「こそ」の結びとなる用法...係り結び

【係り結び】

主に文語文法で係助詞を受けて文を結ぶ場合

その活用語が一定の法則に従って変化する現象

文中の「ぞ・なむ・や・か」を受ける場合は、連体形

「こそ」を受ける場合は、已然形を用いて文を結ぶ

この「ぞ・なむ・や・か」、「こそ」を係りといい

これに呼応する連体形・已然形の活用形を「結び」という


【現在、文法用語解説の頁を製作中で、そこに「係り結び」記載、あと数日後】



【3217】語彙

初句、二句は〔2842〕歌の語彙と同じ

しかし原文「座」と「居」で、当然解釈にも相違があると思う

さらに、続く歌句で、類想歌と言えるかどうか...


こぎでなば...

「こぎ」...他動詞ガ行四段「漕ぐ」の連用形、櫓や櫂を使って舟を進める

「で」...自動詞ダ行下二段「出(い)づ」の連用形

「な」...完了の助動詞「ぬ」の未然形

「ば」...活用語の未然形に付くと、接続助詞の順接の仮定条件、〜(する)なら

...漕ぎ出して行くのなら...


うらごひしけむ...

「うらごひし」...他動詞サ変「うら恋(ごい)す」の連用形


この「うら」には、「裏で見えない」という意味から

「心」の意を表し、多く「うらも無し」の形で使われる

形容詞には、接頭語として「うら〜」という構成を持つ語がある

たとえば、「うらがなし」は「心悲しい」、「うらさびし」は「心寂しい」、

「うらなし」は「無心だ」という意味になる

「うら〜」という構成語には、「うら」の意味が生きていることが多い

「「うらやまし」も、心が病む感じを言ったのが原義だという


「うらごひし」には、そのまま形容詞「うら恋(ごひ)し」もあり

さらに、他動詞ハ行上二段「うら恋(ご)ふ」もある

(もっとも、この場合には「〜し」の活用にはならない)

それぞれ意味としては、同じなのだが

この歌での文法上で適うのは、「うら恋(ごひ)す」の連用形となるはずだ

そして、過去の推量の助動詞「けむ」、〜ただろう、〜ていただろう


後記(6月29日)【うらごひしけむ】語彙の訂正分、及び【歌意】訂正(6月29日記)


のちはあひぬとも...

「のち」...あと、将来...

「あひぬ」...自動詞ハ行四段「逢ふ」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の終止形

「とも」...強意の接続助詞、

「とも」には、「たとえ〜しても」と言う逆接仮定条件があるが

私は強意の、「たとえ〜でも、たとえ〜にしても」としたい

これは、事実そうであったり、そうなるのが確実な事柄について

「仮に仮定条件で表して」意味を強めている









 





   「揺れる心地」...片、の想い...
 「片花でもいい、片葉でもいい」

【歌意】1103
この向いの岡の、その斜面に
椎の種を蒔いたら、今年の夏の陽射しをさえぎる
蔭のようにはならないのでしょうか...

片岡の斜面には、陽さえも当たらぬものか
緑蔭などと、意味もないことと...お思いでしょうね、きっと

 
【歌意】3224
足引きの片山に棲んでいる、雉のように
ここを立ち去って行かれるあなたに
残されてしまう私は
どうして正気でいられましょう
できそうもありません

片山のように、私の片思いだから、居られないのですね

片岡も、片山も...二人が共にするには、どうしても無理のあるところ
片方の想いが、どれだけ強くても
いや、むしろ強ければ強いほど、もう一方の方は、よりいっそう急峻になってしまう
斜面に椎の実を蒔き、日除けのようにしようにも
それが、何にも役に立たないことは知っている...

残されて行かれたら、この険しい山の斜面に、
どうやって一人で居れ、というのか
二人ならばこそ、どんな境遇でも、環境でも堪えられもしよう...

片岡で、待ち続ける人...
片山で、一人耐え切れずに泣き崩れる人...

この二首に「片」という語が使われていなかったら
私など、とてもこんな風には訳せない

ありきたりの、夏の暑さを凌ごうとする他愛のない思い
恋人、あるいは夫を送り出す女性の、切なさ...

そうやって、読み過ごしていた二首になっていたはずだ

...今夜の歌を訳していて、ふと昨日(6月28日)の歌のことを思い出した

 三沙呉居 渚尓居舟之 榜出去者 裏戀監 後者會宿友
  みさご居る洲に居る舟の漕ぎ出なばうら恋しけむ後は逢ひぬとも
 巻第十二 3217 悲別歌 作者不詳

この語彙説明の中で、「うらごひしけむ」の品詞に、随分苦しんだ
しかし、今夜の「うつしけめやも」と通じはしないか
ふと、そんなことを思って、もう一度読み直してみた

今夜のように解釈すると
「うらごひし」という上代の形容詞シク活用のこの終止形に、
上代で例のある「−け」を付けて未然形にする
すると、次の「む」は、活用語の未然形に付く「推量の助動詞」になる
連用形に付く「けむ」に拘り過ぎたので、
結局「過去の推量の助動詞」を選択してしまったが
やはり、過去の推量では無理がある
現在の推量でなければ...だから、訂正しなければならない

【歌意】3217
みさごの棲むこの洲に留まっている舟が
漕ぎ出して行ってしまったら
私は、打ち萎れるほど恋しく
なったことでしょう
いくら後に逢えると分かっていても...
【訂正後の歌意】3217
みさごの棲むこの洲に留まっている舟が
漕ぎ出して行ってしまったら
私は、打ち萎れるほど恋しく
なるでしょう
いくら後に逢えると分かっていても...

まだまだ、私には難しい「古語」だが
日ごとに、少しずつでも「古語」のニュアンスが身に付けられれば...
それが、明日へのエネルギーになる、というものだ


 

掲載日:2013.06.29.

 


 詠岳
   片岡之 此向峯 椎蒔者 今年夏之 陰尓将化疑
 片岡のこの向つ峰に椎蒔かば今年の夏の蔭にならむか 
  かたをかの このむかつをに しひまかば ことしのなつの かげにならむか
 巻第七 1103 雑歌 作者不詳
 
 悲別歌
   足桧木乃 片山雉 立徃牟 君尓後而 打四鶏目八方
 あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも
  あしひきの かたやまきぎし たちゆかむ きみにおくれて うつしけめやも
 巻第十二 3224 悲別歌 作者不詳




【1103】語彙

かたをかの...

「かたをか」は、片方が傾斜の岡、急斜面ということか

「かた」は接頭語で、片一方の、不完全な、中途半端な、偏ったなどの意

「の」は、性質・状態の格助詞「の」、〜のような


このむかつをに...

「むかつを」、向こうに見える丘陵、

この歌では、一つの推定として、次の説明もあった


「片岡山の東、JR和歌山線を挟んで真向うに見える奈良県北葛城郡上牧町の馬見丘陵をさすのであろう。なお、同町の小字名に、向山・向陵・小向など、遺称かと思われる地名が存在する。」 


しひまかば...

「しひ」、「椎」ブナ科の常緑高木、実は食用となる。

「まか」、他動詞カ行四段「蒔く・撒く」の未然形、

植物の種などを浅く埋める、あるいは撒き散らす

「ば」は、順接の仮定条件の接続助詞


かげにならむか...

「かげ」は、光や風が当らない場所

「なら」は、自動詞ラ行四段「成る」の未然形、だと思う

...成立する、成長する、変化する

「む」は、推量の助動詞

「か」は、疑問・反語の係助詞



【3224】語彙

あしひきの...枕詞

「山・峰」また、山と同義の語「尾の上・やつを・岩根」に、

さらに、山の縁から転じて「岩・木・あらし・野・遠面(をもて)」にかかり

後には、固有の山名「葛城山・笛吹山・岩倉山」などにもかかる


かたやまきぎし...

「かたやま」、片方が傾斜の高地、山

前出[1103]歌の「かたをか」と同義だと思う

ただ、「をか」と「やま」の表記上の物理的な違いはある

両方の歌に篭められる「かた」を、今夜のテーマにしたかった

「きぎし」は、「雉子(きぎし)」きじの古名(「きぎす」ともいう)


たちゆかむ...

「たちゆか」、自動詞カ行四段「立ち行く」の未然形、旅に出かけて行く、出立する

「む」、推量・意志の助動詞


きみにおくれて...

「おくれ」...自動詞ラ行下二段「後る・遅る」の連用形、

...離れる、あとに残るてのみさごゐる...

「て」は、接続助詞、順接の確定条件、〜ので


うつしけめやも...

「うつし(現し)」...形容詞の終止形、ここでは「正気だ・本気だ」の意

ただし、古語辞典によると、上代ではこの後に続く「けめ」(助動詞「けむ」)が

形容詞には付いた例がなく、仮に付くとしても

「けむ」は活用語の連用形に付くので、確かに「うつし」では繋がらない

(「うつし」の連用形は、「うつしく・うつしかり」)

ならば、古語辞典の解説どおり、上代での未然形「−け」とし「うつしけ」だろうか

すると、「め」は推量の助動詞「む」の已然形となり

「やも」、反語の終助詞、〜であろうか、いや〜でない

に繋がる






 


   「川畔に愁ふ」...磯のなきにも...
 「なぜ海人をいざなふ」

【歌意】3239

天雲の、その姿さえ映すのだから、この泊瀬川は...
舟が寄り着けるような入り江もないし、漁師が漁をするような磯もない
ええい、でもいいではないか、
浦もないけど、磯もないけど
沖の波に競い勝って、ここまで漕ぎ来てくれ、なあ漁師たちよ

 
【歌意】3240

小さな波が、漂うにして流れる泊瀬川
ここに舟が寄れるような磯がないとは、惜しいことだなあ

この歌、藤原四卿の一人、末弟の麻呂(京家)の子、浜成が著した歌論書「歌経標式」に
泊瀬の国土祝福の歌として載るらしい
「歌論書」としては、現在のところ、最古の書物らしい
私は、読んでもないし、その性格も知らないが
「泊瀬の国土祝福の歌」とは、どんなものだろう
奈良時代の人、藤原浜成(724年〜790年)といえば、大伴家持と時代は重なる
万葉集の編纂過程で、すでに和歌の「歌論書」を手掛けていたということだろうか
中国の「詩学」を参考にし、和歌とは、どのようにあるべきか、
その探求に実際の作歌よりも、その研究にのめり込んだ人らしい
ただし、その評価は当初は芳しくなく
漢詩の理論を、日本語の和歌に当てはめようとした強引さがあるからだという

この中でも、私が面白いと思ったのは
日常言語を避け、和歌は「歌語」でもって詠まれるべきもの、と
表明したとあるが、それが...なるほど、後の「和歌」につながるのか、と思った

この「歌経標式」には、万葉集にない歌や、一部語句の異なる歌も載っていると言う
それもそうだろう、家持と同時代の人ならば
家持とは違った「歌」の評価で、「拾捨」がなされたのだろうから
当時の、想像も絶する量の未整理の「歌記録」にも接しているはずで
浜成が個人的に、手掛けた「歌」もあったはずだ
いずれ、明日香の図書室で読みたいものだ

さて、この二首が「泊瀬」の「国土祝福」の歌かどうかはともかく
泊瀬川という、山間の川がどれほどのスケールだったのか、少し想像できる
大きな川であっても、漁師たちが来るほどの漁場でないのは
たんに、その地形的なものだけだろうか
浦がない、磯がない...だから、魚なんて獲れないぞ、という
いやいや、獲物はたくさんいるのだが、何しろここまで漁師が来るのが大変だ
船着き場はないし、漁場だって、賑わうほどでもない

作者は、そんなこと、どうでもいいじゃないか
とにかく、来いよ
来てみれば、実際に「漁場」としていいのかどうか分かるし...
でも、きっと満足するよ、とうながす

この二首で「嘆いている」のは
漁場として、獲物がいないことではなく
「浦も磯も」ないことが、残念だと言っている
ということは、せっかっくの漁の良場なのに、もったいないことだ
そう嘆いている

作者は、この川辺の人で
漁師たちの賑わいがないのが、村の寂しさの一因だと思っているのだろう
何とか、村を活性化させたいのだが
そのためには、漁師たちに必要な船着き場を用意しなければならない
しかし、漁師たちが求めてやまない気持ちになれば
その手段はいくらでもある
やはり、何が何でも、彼らにこの漁場を気に入ってもらうことだ

やがて、大和川と合流する「泊瀬川」
それは現代の呼称だから
当時は、実際の「泊瀬川」がどこまでの流域だったのか...
海のように、磯のあるような大きな川だっただろう...きっと

今度の明日香では、その古地図めいたものでも見てみよう








  

掲載日:2013.06.30.

 


 雑歌
天雲之  影塞所見  隠来矣  長谷之河者  浦無蚊  船之依不来  礒無蚊  海部之釣不為  吉咲八師  浦者無友  吉畫矢寺  礒者無友  奥津浪  諍榜入来  白水郎之釣船
天雲の  影さへ見ゆる  こもりくの  泊瀬の川は  浦なみか  舟の寄り来ぬ  礒なみか  海人の釣せぬ  よしゑやし  浦はなくとも  よしゑやし  礒はなくとも  沖つ波  競ひ漕入り来  海人の釣舟 
あまくもの かげさへみゆる こもりくの はつせのかはは うらなみか ふねのよりこぬ いそなみか あまのつりせぬ よしゑやし うらはなくとも よしゑやし いそはなくとも おきつなみ きほひこぎりこ あまのつりぶね
 巻第十三 3239 雑歌 作者不詳
 
 反歌
   沙邪礼浪 浮而流 長谷河 可依礒之 無蚊不怜也
 さざれ波浮きて流るる泊瀬川寄るべき礒のなきが寂しさ
  さざれなみ うきてながるる はつせがは よるべきいその なきがさぶしさ
 巻第十三 3240 雑歌 作者不詳




【3239】語彙


あまくもの...

枕詞もあるが、ここでは単に語句にかかるのではなく

次の句の修飾語となるので、「天雲(あまぐも、上代では「あまくも」)の意で、

...一般的に空にある雲

...「あまくも」は、「雨雲」と表記される、通常の雨を降らせる雲もある

 

【枕詞としては】

はるか・たゆたふ・行く・別る・奥・よそ・たどきも知らず、などにかかる


かげさへみゆる...

「かげ」には「影・陰」の表記があるが、意味は少し違う

「影」には、鏡や水になどに映る姿、映像、面影などの意が強く

「陰」には、光や風が当らないところ、物陰、隠れ場所、のような意味あいがある


「さへ」...添加や類推の副助詞、〜までも、〜さえ

「みゆる」...自動詞ヤ行下二段「見ゆ」の連体形


【「見る」と「見ゆ」】
「見る」は他動詞、「見ゆ」は自動詞
「見ゆ」は、「見る」の未然形に助動詞「ゆ」がついてできた「語」
「ゆ」という助動詞は上代に用いられ、受身・可能・自発の意を持つ
したがって、「見ゆ」は一語で、
「見る」に「受身・可能・自発」の意を添えた意を持つと考えられる


こもりくの...枕詞、「泊瀬」にかかる

「隠りく」は山に囲まれた所の意


はつせのかは...

初瀬川[泊瀬川]、今の奈良県桜井市初瀬を流れる初瀬川の古称

大和高原から流出し、佐保川に合して大和川になる


うらなみか...

「うら(浦)」は、海や湖などが湾曲して陸地に入り込んだところ、入り江、海岸、海辺

「なみ」...水面に立つ「波」もあるが

ここでは、無いために、無いので、の意の「無み」

「無み」...形容詞「無し」の語幹「な」に、原因・理由の接尾語「み」


」...この「か」は疑問の係助詞で、文中に用いられており

文末「舟の寄り来」が「連体形」で結ぶので、「係り結び」の形式だと思う

これは、次の「いそなみか」・「あまのつりせぬ」も同様で、対となっている


ふねのよりこぬ...

「こぬ」、カ変動詞「来(く)」の未然形「こ」に、打消し助動詞「ず」の連体形「ぬ」

...舟が寄りつかない...

歌意は、「うらなみか ふねのよりこぬ」で

...浦が無いからなのか、舟が寄り付かないのは...


いそなみか...

「いそ(磯)」、海・湖などの浪打ぎわの岩石の多いところ

「うらなみか」と同じ用法


あまのつりせぬ...

「あま(海人・海士・海女)」は、漁業や製塩に従事する人、漁師、漁夫

海に潜って貝・海藻などをとる女性は「海女(あま)」と表記

「つり」は、魚釣り、漁をすること

「せぬ」は、動作を起こすサ変動詞「す」の未然形「せ」に、助動詞「ず」の連体形

これも、前句の「係り結び」


よしゑやし...

上代語で、「ええ、ままよ」、「たとえどうあろうとも」、放念の感動詞


うらはなくとも、いそはなくとも...

前句の打消しが理由・原因と受けて、

「とも」...接続助詞、形容詞「無し」の連用形「無く」に付き、逆接の仮定条件を表す

...「たとえ〜しても」、強い意を持ち「たとえ〜でも」...


おきつなみ...きほひこぎりこ

「おきつ(沖つ)」、「つ」は「の」の意の上代の格助詞で、「沖の・沖にある」

沖の波が動く様から、「おきつなみ」が枕詞とすれば、

かかる語は「競(きほ)ふ」となり、問題はないが[原文「諍」]

「全集」では、この「諍」に「凌(しの)ぎ」を訓じており

その場合には、枕詞にならず、単に川の「中ほど」のさざなみ程度に当てている

しかし、それでは、舟も寄り付かない、漁師も釣りもしないなどの

立地的な状況に、そぐわない描写になってしまう

やはり、波を押しのけてでも、というような状況から

「沖つ波」は、「競ふ」の枕詞の方が、

「波と勢い」を「競う」という感じ方からも、よさそうだ

もっとも、「全集」にいう「凌ぐ」の意味は、「押しのけて進む」からきている

ただ、現在ほとんどの訓に影響を与えている「万葉集古義」では

ここでは「(競ほ)ひ」になっている


「こぎりこ」は、「漕ぎ入り来」の約、

他動詞ガ行四段「漕ぐ」の連用形「漕ぎ」に

自動詞ラ行四段「入る」の連用形「入り、そしてカ変「来(く)」の命令形「こ」


あまのつりぶね...

漁師の釣舟...漁船に呼びかけている

前句の「命令形」の対象となる



【3240】語彙


さざれなみ...

「さざれ」は接頭語で、細かい、小さい、などの意を表す「さざれ石・波」など

「さざれなみ」は、さざ波、と辞書にはある


うきてながるる...

「浮(う)き」、自動詞カ行四段「浮く」の連用形...浮ぶ、漂う...

「て」...状態を補足する場合の接続助詞、〜のさまで、〜の状態で

「流るる」...自動詞ラ行下二段「流る」の連体形「流るる」

...水などが低い方へ移り動く、流れ落ちる、漂いながら行く、など...

次句の名詞「泊瀬川」にかかる


よるべきいその...

「寄る」は、自動詞ラ行四段「寄る」の終止形...近寄る

「べき」、推量の助動詞「べし」の連体形、活用語の終止形に付く

この「べし」には、単に「推量の」と仕分けしているが

実際には「推量・意志・可能・当然・適当(命令)」などの意がある

「の」...格助詞、主語を表している、「磯が」...


なきがさぶしさ...

「無(な)き」、形容詞「無し」の連体形「なき」で、

次の単純接続の格助詞「が」につながる、「〜ないので」

「さぶしさ」...上代語、形容詞「(寂)し」の古形の終止形「さぶし」に

接尾語「さ」、これは程度・状態の意を表す名詞をつくる

...気持ちが塞いで、楽しめないこと...寂しいこと...

しかし、ここでは

「〜が〜さ」の形で文末に来れば、感動の意を表現する語法ともなる

...「無いのが、寂しいことだなあ」...

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