掲載日:2002.06.14-  巻第二 挽歌 141 いはしろのはままつがえをひきむすびまさきくあらばまたかへりみむ  有間皇子
 掲載日:2002.06.17-  巻第二 挽歌 156 三諸の神の神杉夢にだに見むとすれども寝ねぬ夜ぞ多き  高市皇子
 掲載日:2002.06.17-  巻第二 挽歌 157 三輪山の山辺真麻木綿短木綿かくのみ故に長くと思ひき  高市皇子
 掲載日:2002.07.06-  巻第二 相聞 117 ますらをやかたこひせむとなげけどもしこのますらをなほこひにけり  舎人皇子
 掲載日:2002.07.06-  巻第二 相聞 118 なげきつつますらをのこのこふれこそあがゆふかみのひちてぬれけれ  舎人娘子
 掲載日:2002.07.20-  巻第三 挽歌 441 うつくしきひとのまきてししきたへのあがたまくらをまくひとあらめや  大伴旅人
 掲載日:2002.07.20-  巻第三 挽歌 442 かえるべくときはなりけりみやこにてたがたもとをかあがまくらかむ  大伴旅人
 掲載日:2002.07.20-  巻第三 挽歌 443 みやこなるあれたるいへにひとりねばたびにまさりてくるしかるべし  大伴旅人
 掲載日:2002.07.30-  巻第四 相聞 697 こひぐさをちからぐるまにななくるまつみてこふらくわがこころから  広河女王
 掲載日:2002.07.30-  巻第四 相聞 698 こひはいまはあらじとあれはおもへるをいづくのこひそつかみかかれる  広河女王
 掲載日:2004.06.04.-  巻第九 挽歌 1811 とりがなくあずまのくににいにしへに・・・  高橋連虫麻呂歌集
 掲載日:2004.06.04.-  巻第九 挽歌 1812(反歌) かつしかのままのゐをみればたちならしみずくましけむてごなしおもほゆ  高橋連虫麻呂歌集
 掲載日:2004.06.26.  巻第六 雑歌 999 ふりさけてわかづきみればひとめみしひとのまよびきおもほゆるかも  大伴家持
 掲載日:2004.09.04.  巻第二十 防人歌 4380 わがははのそでもちなでてわがからになきしこころをわすらえぬかも  物部乎刀良



 有間皇子の二首を含め
後に歌人たちが偲んで詠った短歌が三首
併せて五首の短歌が「挽歌」に収められている
その左注に書かれた編者の気持ちが
共感を与えてくれる歴史の舞台では・・・
もっとも、それは日本書紀においてだが
この皇子がそれほど器量のある皇子には思えない
ならば、何故時を過ぎて追悼の歌の多いことか...
正史を始めて編纂した国家は
あまりにも歴史を、歴史と言うものを
甘く見ていたのだろう

 






掲載日:2002.06.14-


 いはしろのはままつがえをひきむすびまさきくあらばまたかへりみむ                           
                       有間皇子 巻第二 挽歌 141


ま幸くあらば...有間皇子の生への未練か
いや、違う
権力者・中大兄皇子の策略に乗せられた命
一片たりとも、未練はないと思う
まさにその中大兄皇子によって、裁かれたのだから...
ならば、何故「ま幸くあらば」なのか
ありきたりの未練と感じれば
この有間皇子のまぬけぶりが際立つばかりだ父、孝徳天皇を死に追い詰めた中大兄皇子
その恨み、怒りを目立たさぬように生きてきた有間の
ある意味での賭けだったと思う
たとえ自らが、その結んだ枝を見なくても
その引き結ばれた「枝」を残すことによって
無念の想いを残し、後人に想起させる
有間の魂は、そのときこそ
自ら結んだ枝を見ることになる

 [ 策略・時代を超えて追悼 ]

古語辞典・古注参照 [全歌巻二-141



 この高市皇子についての評価は
それほど多くの研究者が論じてはいない
何しろ、資料となるのが「日本書紀」の壬申の乱
そして、この万葉集の三首...
天武の、年齢で言えばもっとも年長の皇子でありながら
次の持統朝体制下では、目立つことは何もなかった

しかし...彼のひたむきな姿が輝くように感じられる

この歌によって...
 





掲載日:2002.06.17-

 三諸の神の神杉夢にだに見むとすれども寝ねぬ夜ぞ多き

 三輪山の山辺真麻木綿短木綿かくのみ故に長くと思ひき 

                    高市皇子 巻第二 挽歌 156、157


夢にだに見むとすれども...
この箇所は、古くから定訓がなく、集中もっとも難解な箇所
従って、この歌の意味をどこまで推察しても
高市皇子の歌の本意には近づけない
ただし、おおよその気持ちが感じ取れる
せめて、夢にだけでも皇女の面影を見ようとするが
その失った悲しみに、なかなか寝られない夜が多い

続いて、皇女と私の仲は末永くと思ったものだが
こんなにも短かったのか...と万葉集中にとどまらず
私が古代史上、もっとも惹きつけられる皇子
この二首は、158とともに
ひそかに想う十市皇女が
亡くなったときに詠んだ三首
158については、このHPで真っ先にとり上げた
そして、やっと高市皇子の物語を書くこの日
高市皇子がこの世に残した僅か三首の挽歌を
彼の魅力とともに書いてみる

 [ かたらぬ想い、かたれぬ想い ]
 





舎人皇子は、天武天皇の第九皇子
養老四年(720)、45、6歳で知太政官事に就く
百官を統括する要職ならばこそ
「片想い」ということに
「女々しさを」感じていたのだろう
「ますらを」と言う言葉は、
他の者が言うのではなく自分の事をいう場合によく使われる
身分の上下に関係なく
男は「われますらを」という強い誇りがあった
「恋」というものは、素敵なことなのか?
そんなことは、ない、といい
それでも恋してしまった自身への嘆き
これは、死ぬほどの情熱の裏返しなのか?女性の返歌もいい
あなたのような立派な方が
私への「片想い」に嘆いておられるとは・・・と
 



掲載日:2002.07.06-


 ますらをやかたこひせむとなげけどもしこのますらをなほこひにけり 舎人皇子

 なげきつつますらをのこのこふれこそあがゆふかみのひちてぬれけれ 舎人娘子  

                        巻第二 相聞 117、118


「かたこい」、原本でも「片恋」と表記されている
今で言う「片想い」のことだと思う
「恋」には「孤悲」の表記もあるが
歌を詠むほどの心情は
やはりどうしようもない「片想い」の自己昇華ではないか打ちひしがれるほどの「片想い」は
こうした客観性には、至らない
親しい人の心を、代わって詠むなら、解るけど...俺はこんなに男らしいのに、片想いをするとは...
嘆いてみても、恋しいものは恋しい
みっともない「ますらを」だ男は、自分の誇りと、言い聞かせることの出来ない心に悩む
いつの時代も、男の心は、こうなのか、と思う
それにしても...報われた恋だったのだから
・・・想うだけの「恋」
 







大伴旅人は、神亀四年から、天平二年(730)まで
大宰帥として筑紫に赴任している
妻大伴郎女は、間もなく亡くなるが
彼の在任中に、亡き妻を偲んでの詠歌は多い

442、443の歌は、帰京が決まったときに
その道中、及び妻のいない奈良の都の生活を想い
嘆きの歌として、切ない
旅人の嫡子・家持は、この大伴郎女の子ではない
家持の実母は、妾として旅人に愛された
養老の戸婚律逸文に
妻五十になるも男子なき場合、妾の子を以って
嫡子となす、とある



掲載日:2002.07.20-

 うつくしきひとのまきてししきたへのあがたまくらをまくひとあらめや

 かえるべくときはなりけりみやこにてたがたもとをかあがまくらかむ

 みやこなるあれたるいへにひとりねばたびにまさりてくるしかるべし 

                  大伴旅人 巻第三 挽歌 441、442、443


旅人の妻、大伴郎女は神亀五年(728)に病で亡くなる
筑紫の太宰帥として赴任して、一年後のこと
題詞に「故人をしのひ恋ふる歌三首」とある愛しき-うつくしき・・・
極めて親密な関係にある人々の間で、
庇護する立場のものが、その相手に対して抱くいたわりの気持ち

もう、私の手枕でお前は寝ることもない
この先、だれが私の腕を、枕にするというのか

都の荒れた我が家に一人で寝たら
旅で寝るより、なお一層つらいだろう



 [ 万葉時代の故人とは ]



 作者は、天武の曾孫にあたる
作者プロフィールを抜きにして
この二首を歌うと
万葉時代も、現代も
「恋」に戸惑う心の揺れは、同じだと思う

今更「恋なんて」と思い
現代でもよく口にすることがある
しかし、理屈抜きに、
いつの間にか心に棲んでいることに、
気づき戸惑うそんな身近な投影を想い描ける二首 








掲載日:2002.07.30-


 こひぐさをちからぐるまにななくるまつみてこふらくわがこころから

 こひはいまはあらじとあれはおもへるをいづくのこひそつかみかかれる                
                    広河女王 巻第四 相聞 697、698


刈っても刈っても草は減る様子を見せない
「恋草」...の勢いが、放って置くと
何台もの力車に積むほどの「恋の草」の重さになる
これでもかこれでもか、と
自分の恋心は消えていたと思っていたのに
いったい、どこにまだこんな想いが残っていたのか...

刈らなくては、終始がつかなくなる
かといって、刈ってもいつの間にか...恋と言う奴は... 
















 かつしかのままのゐをみればたちならしみずくましけむてごなしおもほゆ

            「高橋連虫麻呂歌集」より 巻第九 挽歌 1811、1812 


東の国にいにしえから伝えられる手児名の物語に触れる
麻の服に青い襟を縫いつけ、純麻を裳に織って着て髪さへも梳らず、
沓さえも履かずに歩いていても錦の綾の中にくるんだ箱入り娘も、
この娘には及ばない満月のように、真ん丸の顔で、
花のように微笑んで立っていると
夏虫が火に飛び込んでくるように
湊に入ろうと船をふためき漕ぐように寄り集まり
男達が求婚する時何ほども生きられないのに
何のために、我が身を思い詰めて波の音のざわめく湊の墓所に
あの娘は横たわっているのだろうか
遠い昔にあった出来事だが
ほんの昨日、実際に見たかのように思えてしまう  




掲載日:2004.06.04.-

 とりがなく あずまのくにに いにしへに ありけることと いままでに 

 たえずいひくる かつしかの ままのてごなが あさきぬに あおくびつけ 

 ひたさをを もにはおりきて かみだにも かきはけずらず くつをだに 

 はかずいけども にしきあやの なかにつつめる いはひごも いもにしかめや 

 もちづきの たれるおもわに はなのごと ゑみてたてれば なつむしの 

 ひにいるがごと みなといりに ふねこぐごとく ゆきかぐれ 

 ひとのいふとき いくばくも いけらぬものを なにすとか みをたなしりて 

 なみのおとの さわぐみなとの おくつきに いもがこやせる とほきよに 

 ありけることを きのふしも みけむがごとも おもほゆるかも  


葛飾の真間の井を見ると、
立ちならして水を汲んだという手児名が偲ばれる 

土地固有の伝承を
どこにでもありそうな言い伝えとして変質してしまった詠歌に
思う男達の求愛に悩みそして男達の諍いをなくそうとせんがために
自らの命を捨てる娘
都人には、現実離れした話にしか思えないのだろう
だから、ことさらにこのような歌が、都の歌人たちによって詠まれていくのか

都会の倦怠、鄙への憧れ...
現在の千葉県市川市真間あたりの伝説上の娘を
筑波山麓の石岡に在った国庁に赴任していた虫麻呂が
詠むあるいは採録したと言われている



掲載日:2004.06.26. 

 ふりさけてわかづきみればひとめみしひとのまよびきおもほゆるかも  巻第六 雑歌 999 大伴家持

 
 
家持16歳の時の詠歌

家持の年代確実な歌であることから

この和歌を、家持の処女作だとする説もある

 

    振り仰いで三日月を見ると

    一目見たあの人の眉のさまが

    思い出される

 

           夜空に浮かぶ三日月

           遠くを眺める視線で

           一度しか逢ったことのないひとを想う

           それは、はるかに遠く輝き

           決して手の届くことのない、憧れでしかない

           細い三日月のような眉

 眉引きとは

 描いた眉のこと

 眉の美しさを、三日月にたとえる

 三日月の美しさを、眉に重ねる

 そんな幻想をいだくことも

 一度の出逢いが、若きこころを惑わせるから
 





作者については未詳
防人歌が歌集に存在することによって
この和歌集の価値があるのかもしれない 

巻第二十防人歌は、
勝宝六年秋に軍事関係を一切つかさどる兵部少輔に就任した大伴家持が
諸国の防人部領使を通じて本人、
もしくはその家族の歌を提出してもらった歌の中から
約170首を選んだもの

(防人は、約千人はいたと思われる) 



掲載日:2004.09.04.  

 わがははのそでもちなでてわがからになきしこころをわすらえぬかも  
 
                    巻第二十 防人歌 4380  物部乎刀良

  
おふくろの涙を、おれは忘れはしない

わがからに...

こんなとるにたらないおれのために
おふくろは
そでをもって、あたまをなでてくれた

おふくろの愛情を
どんなに離れていても
おれは忘れない

 

なきしこころを...
泣きし心を...

「忘らえぬかも」の掛かる言葉は

普通「を」ではなく「は」となるが...


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