![]() 注:原文の異本などは、書庫で採り上げるが、未解釈については、右項に記す。 |
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雑 歌 |
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泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [大泊瀬稚武天皇] 泊瀬の朝倉の宮に下知らしめす天皇の代 大泊瀬稚武天皇 | ||||
天皇御製歌 [天皇の御製歌] | 雄略天皇 | |||
1 | 篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母 | |||
訓 |
籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岡に 菜摘ます子 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ居れ 我こそば 告らめ 家をも名をも |
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こもよ みこもち ふくしもよ みぶくしもち このをかに なつますこ いへのらせ なのらさね そらみつ やまとのくには おしなべて われこそをれ しきなべて われこそいませ われこそば のらめ いへをもなをも | こ(も)よ、(み)こ(もち)、ふくし(も)よ、(み)ぶくし(もち)、この(をか)に、(な)つま(す)こ、(いへ)のら(せ)、な(のらさ)ね、(そらみつ)、やまとのくに(は)、おしなべ(て)、われ(こそ)をれ、しきなべ(て)、われ(こそ)いませ、われ(こそ)ば、(のら)め、いへ(を)も(な)を(も) | |||
高市岡本宮御宇天皇 息長足日広額天皇 高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 息長足日広額天皇 | ||||
天皇登香具山望國之時御製歌 [天皇、香具山に登りて国を望たまふ時の御製歌] | 舒明天皇 | |||
2 | 山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜□國曽 蜻嶋 八間跡能國者 「□」は〔「忄」に「可」〕 | |||
訓 |
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は |
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やまとには むらやまあれど とりよろふ あめのかぐやま のぼりたち くにみをすれば くにはらは けぶりたちたつ うなはらは かまめたちたつ うましくにぞ あきづしま やまとのくには | やまと(には)、むらやま(あれど)、とりよろふ、(あめの)かぐやま、(のぼりたち)、くにみ(を)すれ(ば)、くにはら(は)、けぶり(たちたつ)、うなはら(は)、かまめ(たちたつ)、うまし(くに)ぞ、(あきづしま)、やまとのくに(は) | |||
天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌 | 間人連老 | |||
[天皇、宇智の野に遊猟したまふ時に、中皇命の間人連老をして献らしめたまふ歌] | ||||
3 | 八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里 | |||
訓 |
やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝狩りに 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり |
【第九・十七句「奈加弭乃」の「なかはず(中弭)」】諸説あるが未詳。 「弭(はず)」は、弓または矢と接する部分。 |
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やすみしし わがおほきみの あしたには とりなでたまひ ゆふへには いよりたたしし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり あさがりに いまたたすらし ゆふがりに いまたたすらし みとらしの あづさのゆみの なかはずの おとすなり | やすみしし、(わがおほきみ)の、(あした)には、(とりなで)たまひ、(ゆふへ)には、いより(たたし)し、(みとらし)の、(あづさのゆみ)の、なか(はず)の、(おと)す(なり)、あさがり(に)、いま(たたす)らし、(ゆふがり)に、(いま)たたす(らし)、みとらし(の)、あづさのゆみ(の)、なか(はず)の、(おと)す(なり) | |||
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反歌 |
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4 | 玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野 | |||
訓 |
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野 |
【第二句「内乃大野尓」の「うちのおほの(宇智の大野)」】澤瀉注釈考察 | ||
たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさふかの | ||||
たまきはる、(うちのおほの)に、(うま)なめ(て)、あさ(ふます)らむ、(その)くさふかの | ||||
幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌 | 軍王 | |||
[讃岐国の安益郡に幸せる時に、軍王、山を見て作る歌] | ||||
5 | 霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨座 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情 | |||
訓 |
霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣き居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば ますらをと 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心 |
【第六句「心乎痛見」】〔~を~み〕の形で)「~が~ので」の意を表わす。[痛み]は「いたし」のミ語法 | ||
かすみたつ ながきはるひの くれにける わづきもしらず むらきもの こころをいたみ ぬえこどり うらなけをれば たまたすき かけのよろしく とほつかみ わがおほきみの いでましの やまこすかぜの ひとりをる わがころもでに あさよひに かへらひぬれば ますらをと おもへるわれも くさまくら たびにしあれば おもひやる たづきをしらに あみのうらの あまをとめらが やくしほの おもひぞやくる わがしたごころ | かすみたつ、(ながき)はるひ(の)、くれ(に)ける、(わづき)も(しらず)、むらきもの、(こころ)を(いたみ)、ぬえこどり、(うらなけ)をれ(ば)、たまたすき、(かけのよろしく)、とほつかみ、(わがおほきみ)の、(いでまし)の、やま(こす)かぜ(の)、ひとり(をる)、わが(ころもで)に、(あさよひ)に、(かへらひぬれ)ば、(ますらを)と、(おもへ)る(われ)も、(くさまくら)、たび(に)し(あれ)ば、(おもひやる)、たづき(を)しらに、(あみのうら)の、(あま)をとめ(ら)が、(やく)しほ(の)、おもひ(そ)やくる、わが(したごころ) | |||
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反歌 |
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6 | 山越乃 風乎時自見 寐夜不落 家在妹乎 懸而小竹櫃 | |||
右檢日本書紀 無幸於讃岐國 亦軍王未詳也 但山上憶良大夫類聚歌林曰 記曰 天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸于伊与温湯宮[云々] 一書 是時 宮前在二樹木 此之二樹斑鳩比米二鳥大集 時勅多挂稲穂而養之 乃作歌[云々] 若疑従此便幸之歟 | ||||
右は、日本書紀に検すに、讃岐の国に幸すことなし。また、軍王もいまだ詳らかにあらず。ただし、山上憶良大夫が類聚歌林に曰はく、「紀」には『天皇の十一年己亥の冬の十二月己巳の朔の壬午に、伊予の温湯の宮に幸す云々』といふ。一書には『この時に宮の前に二つの樹木あり。この二つの樹に斑鳩と比米との二つの鳥いたく集く。時に勅して多に稲穂を掛けてこれを養はしめたまふ。すなはち作る歌云々』といふ」と。けだし、ここよりすなはち幸すか。 | ||||
訓 |
山越しの風を時じみ寝る夜おちず家にある妹を懸けて偲ひつ |
【第二句「風乎時自見」】「~を~み」。「み」はミ語法。 【第四句「家在妹乎」】「なる」は「ニ在ル」の約。 |
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やまごしの かぜをときじみ ぬるよおちず いへなるいもを かけてしのひつ | やま(ごし)の、(かぜ)を(ときじ)み、(ぬる)よ(おち)ず、(いへ)なる(いも)を、(かけ)て(しのひ)つ | |||
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明日香川原宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇 明日香の川原の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇 |
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額田王歌 [未詳] 額田王が歌 いまだ詳らかにあらず(作歌年代未詳の意) | 額田王 | |||
7 | 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念 | |||
右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 三月戊寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦 | ||||
右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「一書には『戊申の年に比良の宮に幸すときの大御歌』」といふ。ただし、紀には「五年の春の正月己卯の朔の辛己に、天皇紀伊の温湯より至ります。三月戊寅の朔に、天皇吉野の宮に幸して肆宴したまふ。庚辰の日に、天皇近江の比良の浦に幸す」といふ。 | ||||
訓 |
秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ(過去を回想する史上最初の表現) |
【初句「金野乃」】「金」は、中国の五行説に基づく「秋」にあたる。 | ||
あきののの みくさかりふき やどれりし うぢのみやこの かりいほしおもほゆ | あき(の)の(の)、みくさ(かり)ふき、(やどれ)り (し)、うぢのみやこ(の)、かりいほ(し)おもほゆ | |||
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後岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮 後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の代 天豊財重日足姫天皇、後に後の岡本の宮に即位したまふ |
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額田王歌 [額田王が歌] | ||||
8 | 熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜 | |||
右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午天皇大后幸于伊豫湯宮 後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅御船西征 始就于海路 庚戌御船泊于伊豫熟田津石湯行宮 天皇御覧昔日猶存之物 當時忽起感愛之情 所以因製歌詠為之哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首 | ||||
右は、山上憶良大夫が類聚歌林を検すに、曰はく、「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑の、九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午に、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉の春の正月丁酉の朔の壬寅に、御船西つかたに征き、始めて海道に就く。庚戌に、御船伊予の熟田津の石湯の行宮に泊つ。天皇、昔日のなほし存れる物を御覧して、その時にたちまちに感愛の情を起したまふ。この故によりて歌詠を製りて哀傷しびたまふ」といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり。ただし、額田王が歌は別に四首あり。 | ||||
訓 |
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな |
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にぎたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな | にぎたつ(に)、ふなのり(せむ)と、(つき)まて(ば)、しほ(も)かなひ(ぬ)、いま(は)こぎいで(な) | |||
幸于紀温泉之時額田王作歌 [紀伊の温泉に幸す時に、額田王が作る歌] | ||||
9 | 莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本 | |||
訓 |
莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子がい立たせりけむ厳橿が本 (上二句定訓がない) |
【初二句「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」定訓なし】〔諸注参照〕 | ||
(上二句定訓がない)わがせこが いたたせりけむ いつかしがもと | (上二句定訓がない)わが(せこ)が、(い)たた(せ)り(けむ)、いつ(かし)が(もと) | |||
中皇命徃于紀温泉之時御歌 [中皇命、紀伊の温泉に往す時の御歌] | 中皇命 | |||
10 | 君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名 | |||
訓 |
君が代も我が代も知るや岩代の岡の草根をいざ結びてな |
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きみがよも わがよもしるや いはしろの をかのくさねを いざむすびてな | きみがよ(も)、わが(よ)も(しる)や、(いはしろ)の、をかの(くさね)を、(いざ)むすび(て)な | |||
11 | 吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核 | |||
訓 |
我が背子は仮廬作らす草なくは小松が下の草を刈らさね |
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わがせこは かりいほつくらす かやなくは こまつがもとの くさをからさね | (わが)せこ(は)、かりいほ(つくら)す、(かや)なく(は)、こまつ(が)もと(の)、くさ(を)から(さね) | |||
12 | 吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 [或頭云 吾欲 子嶋羽見遠] | |||
右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 天皇御製歌[云々] [右は、山上憶良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、「天皇の御製歌云々」といふ。] | ||||
訓 |
我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ [或いは頭に「我が欲りし子島は見しを」といふ] |
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わがほりし のしまはみせつ そこふかき あごねのうらの たまぞひりはぬ [わがほりし こしまはみしを] |
「あごねのうら」 (代匠記)。 「こしま」 (古義) |
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(わが)ほり(し)、のしま(は)、みせ(つ)、そこ(ふかき)、あごねのうら(の)、たま(ぞ)ひりは(ぬ)、[わがほり(し)、こしま(は)み(し)(を) | ||||
中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌中 | 中大兄 | |||
中大兄 [近江宮に天の下治めたまひし天皇] の三山の歌一首 | ||||
13 | 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉 | |||
訓 |
香具山は 畝傍を惜しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき |
【結句「相挌良思吉(らしき)」で係り結び「こそ」を受けて連体形】 | ||
かぐやまは うねびををしと みみなしと あひあらそひき かむよより かくにあるらし いにしへも しかにあれこそ うつせみも つまを あらそふらしき | かぐやま(は)、うねび(を)をし(と)、みみなし(と)、あひ(あらそひ)き、(かむよ)より、(かく)に(ある)らし、(いにしへ)も、(しか)に(あれ)こそ、うつせみ(も)、つまを、(あらそふ)らしき | |||
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反歌 |
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14 | 高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良 | |||
訓 |
香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原 |
【第四句原文「立見尓来之」】諸注参照「諸注参照」 | ||
かぐやまと みみなしやまと あひしとき たちてみにこし いなみくにはら | かぐやま(と)、みみなしやま(と)、あひ(し)とき、(たち)て(み)に(こ)し、(いなみくにはら) | |||
15 | 渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比弥之 今夜乃月夜 清明己曽 | |||
右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次 亦紀曰 天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子 | ||||
右の一首の歌は、今案ふるに反歌に似ず。ただし、旧本、この歌をもちて反歌に載す。この故に、今もなほこの次に載す。また、紀には「天豊財重日足姫天皇の先の四年乙巳に、天皇を立てて皇太子となす」といふ。 | ||||
訓 |
海神の豊旗雲に入日みし今夜の月夜さやけかりこそ |
原文「渡津海乃 豊旗雲尓」 (わたつみの とよはたくもに)。 原文「伊理比弥之」訓の諸説。 原文「清明己曽」訓の諸説。 |
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わたつみの とよはたくもに いりひみし こよひのつくよ さやけかりこそ | わたつみ(の)、とよはたくも(に)、いりひ(み)(し)、こよひ(の)つくよ、さやけかり(こそ) | |||
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近江大津宮御宇天皇代 近江の大津の宮に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇、諡して天智天皇といふ |
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天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌天皇 | 額田王 | |||
[天皇、内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶と秋山の千葉の彩とを競ひ憐れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判る歌] | ||||
16 | 冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者 | |||
訓 |
冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は |
ざり→ずあり →「ずあり」 あきやまそわれは→あきやまわれは (倒置法にて、強調の意になるために、原文「秋山吾者」に必要な訓だと思う) 【第七句「山乎茂」】「~を~み」「茂(し)み」は、動詞「茂(し)む」の連用形のミ語法。 旧訓「やまをしげみ」は、動詞「しむ」となり、また形容詞「しげし」であってもミ語法ならその語幹が「し」でなければならず、その用例もない。古語には「繁茂」の意の語が種々あったではないか、とも言われている。 〔諸注参照、特に澤瀉久孝萬葉集注釈〕 【第九句「草深」の「くさふかみ」は、「ふかし」のミ語法】 |
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ふゆこもり はるさりくれば なかざりし とりもきなきぬ さかざりし はなもさけれど やまをしみ いりてもとらず くさふかみ とりてもみず あきやまの このはをみては もみちをば とりてぞしのふ あをきをば おきてぞなげく そこしうらめし あきやまそあれは | ||||
ふゆこもり、(はる)さり(くれ)ば、(なか)ざり(し)、とり(も)きなき(ぬ)、さか(ざり)し、はな(も)さけ(れ)ど、〔やまをしみ〕、いり(ても)とら(ず)、くさ(ふかみ)、とり(ても)み(ず)、あきやまの、(このは)を(み)ては、(もみぢ)を(ば)、とり(て)ぞ(しのふ)、あをき(をば)、おき(て)ぞ(なげく)、そこ(し)うらめし、 (あきやま)そ(あれ)は | ||||
額田王下近江國時作歌 井戸王即和歌 | 額田王 | |||
[額田王、近江の国に下る時に作る歌、井戸王が即ち和ふる歌] | ||||
17 | 味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也 | |||
訓 |
味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや |
「道隈」語義。 「委曲」は「委」もしくわ「曲」だけでも十分だが、漢語「委曲」で表現している。 |
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うまさけ みわのやま あをによし ならのやまの やまのまに いかくるまで みちのくま いつもるまでに つばらにも みつつゆかむを しばしばも みさけむやまを こころなく くもの かくさふべしや | うまさけ、みわのやま、あをによし、ならのやま(の)、やまのま(に)、(い)かくる(まで)、(みち)の(くま)、い (つもる)まで(に)、つばらに(も)、み(つつ)ゆか(む)を、(しばしば)も、(みさけ)む(を)、こころなく、くも(の)かくさふ(べし)や | |||
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反歌 |
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18 |
三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉 | |||
右二首歌山上憶良大夫類聚歌林曰 遷都近江國時 御覧三輪山御歌焉 日本書紀曰 六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷都于近江 | ||||
右の二首の歌は、山上憶良大夫が類聚歌林には「都を近江の国に遷す時に三輪山を御覧す御歌なり」といふ。日本書紀には「六年丙寅の春の三月辛酉の朔の己卯に、都を近江に遷す」といふ。 | ||||
訓 |
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みわやまを しかもかくすか くもだにも こころあらなも かくさふべしや | みわやま(を)、しかも(かくす)か、(くも)だにも、(こころあら)なも、(かくさふ)べし(や) | |||
19 |
綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢 | |||
右一首歌今案不似和歌 但舊本載于此次 故以猶載焉 [右の一首の歌は、今案ふるに和ふる歌に似ず。ただし、旧本、この次に載す。この故になほ載す。] | ||||
訓 |
綜麻形の林のさきのさ野榛の衣に付くなす目につく我が背 |
原文「綜麻形(へそかた)」訓釈。 | ||
へそかたの はやしのさきの さのはりの きぬにつくなす めにつくわがせ | へそ(かた)の、(はやし)の(さき)の、(さ)のはり(の)、きぬ(に)つく(なす)、めにつく(わがせ) | |||
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天皇遊猟蒲生野時額田王作歌 [天皇、蒲生野に遊猟したまふ時に、額田王が作る歌] |
額田王 | ||
20 |
茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流 | |||
訓 |
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る |
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あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる | あかねさす、(むらさきの)ゆき、(しめの)ゆき、(のもり)は(み)ずや、(きみ)が(そでふる) | |||
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皇太子答御歌 [明日香宮御宇天皇謚曰天武天皇] [皇太子の答へたまふ御歌 明日香の宮に天の下知らしめす天皇、諡して天武天皇といふ] 皇太子 |
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21 | 紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方 | |||
紀曰 天皇七年丁卯夏五月五日縦猟於蒲生野 于時大皇弟諸王内臣及群臣 皆悉従焉 | ||||
紀には「天皇の七年丁卯の夏の五月の五日に、蒲生野に縦猟す。時に、大皇弟・諸王、内大臣また群臣、皆悉に従なり」といふ | ||||
訓 |
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むらさきの にほへるいもを にくくあらば ひとづまゆゑに われこひめやも | むらさきの、(にほへ)る(いも)を、(にくく)あら(ば)、ひとづま(ゆゑ)(に)、われ(こひ)め(やも) | |||
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明日香清御原宮天皇代 [天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇] 明日香の清御原の宮の天皇の代 天淳中原瀛真人天皇、諡して天武天皇といふ |
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十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌 |
吹芡刀自 | ||
22 | 河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手 | |||
吹芡刀自未詳也 但紀曰 天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴於伊勢神宮 | ||||
吹芡刀自はいまだ詳らかにあらず。ただし、紀には「天皇の四年乙亥の春の二月乙亥の朔の丁亥に、十市皇女・阿閉皇女、伊勢の神宮に参赴ます」といふ。 | ||||
訓 |
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かはのへの ゆついはむらに くさむさず つねにもがもな とこをとめにて | かは(の)へ(の)、ゆつ(いはむら)に、(くさ)むさ(ず)、つねにもがもな、(とこをとめ)にて | |||
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麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌 [麻続王、伊勢の国の伊良麌の島に流さゆる時に、人の哀傷しびて作る歌] |
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23 | 打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須 | |||
訓 |
打ち麻を麻続の王海人なれや伊良麌の島の玉藻刈ります |
原文「白水郎 (あま)」。 | ||
うちそを をみのおほきみ あまなれや いらごのしまの たまもかります | うちそを、(をみのおほきみ)、あま(なれや)、いらごのしま(の)、たまも(かり)ます | |||
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麻續王聞之感傷和歌 [麻続王、これを聞きて感傷しびて和ふる歌] |
麻續王 | ||
24 | 空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食 | |||
右案日本紀曰 天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯三位麻續王有罪流于因幡 一子流伊豆嶋 一子流血鹿嶋也 是云配于伊勢國伊良虞嶋者 若疑後人縁歌辞而誤記乎 | ||||
右は、日本紀を案ふるに、曰はく、「天皇の四年乙亥の夏の四月戊戌の朔の乙卯に、三位麻続王罪あり。因幡に流す。一の子をば伊豆の島に流す。一の子をば、血鹿の島に流す」というふ。ここに伊勢の国の伊良麌の島に配すといふは、けだし後の人、歌の辞に縁りて誤り記せるか。 | ||||
訓 |
「惜しみ」は「惜し」のミ語法。いのちををしみ (~を~み)。 | |||
うつせみの いのちををしみ なみにぬれ いらごのしまの たまもかりはむ | うつせみの、(いのち)を(をしみ)、なみ(に)ぬれ、(いらごのしま)の、(たまも)かり(はむ) | |||
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天皇御製歌 [天皇の御製歌] |
天武天皇 | ||
25 | 三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍叙来 其山道乎 | |||
訓 |
み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を |
初句「み吉野」の接頭語「み」、地名に「み」が付く場合。 | ||
みよしのの みみがのみねに ときなくぞ ゆきはふりける まなくぞ あめはふりける そのゆきの ときなきがごと そのあめの まなきがごと くまもおちず おもひつつぞこし そのやまみちを | みよしの(の)、みみがのみね(に)、ときなく(ぞ)、ゆき(は)ふり(ける)、まなく(ぞ)、あめ(は)ふり(ける)、その(ゆき)の、(ときなき)が(ごと)、その(あめ)の、(まなき)が(ごと)、くま(も)おち(ず)、おもひ(つつ)(ぞ)(こ)し、(その)やまみち(を) | |||
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或本歌 [或本の歌] |
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26 | 三芳野之 耳我山尓 時自久曽 雪者落等言 無間曽 雨者落等言 其雪 不時如 其雨 無間如 隈毛不堕 思乍叙来 其山道乎 | |||
右句々相換因此重載焉 [右は句々相換れり。これに因りて重ねて載す。] | ||||
訓 |
み吉野の 耳我の山に 時じくぞ 雪は降るといふ 間なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を |
「ときじくぞ」→「ときなくぞ」に同じ。 | ||
みよしのの みみがのやまに ときじくぞ ゆきはふるといふ まなくぞ あめはふるといふ そのゆきの ときじきがごと そのあめの まなきがごと くまもおちず おもひつつぞこし そのやまみちを | みよしの(の)、みみがのやま(に)、ときじく(ぞ)、ゆき(は)ふる(と)いふ、(まなく)ぞ、(あめ)は(ふる)と(いふ)、その(ゆき)の、(ときじき)が(ごと)、その(あめ)の、(まなき)が(ごと)、くま(も)おち(ず)、おもひ(つつ)(ぞ)くる、(その)やまみち(を) | |||
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天皇幸于吉野宮時御製歌 [天皇、吉野の宮に幸す時の御製歌] |
天武天皇 | ||
27 | 淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与 良人四来三 | |||
紀曰 八年己卯五月庚辰朔甲申幸于吉野宮 [紀には「八年己卯の五月庚辰の朔の甲申に、吉野の宮に幸す」といふ。] | ||||
訓 |
「よきひと」語義。 結句「み」、古くは動詞の命令形に「よ」の伴わないことも多い。 |
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よきひとの よしとよくみて よしといひし よしのよくみよ よきひとよくみ | よきひと(の)、よし(と)よく(み)て、(よし)と(いひ)し、(よしの)よく(みよ)、よきひと(よく)(み) | |||
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藤原宮御宇天皇代 [高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年譲位軽太] 藤原の宮に天の下知らしめす天皇の代 [高天原広野姫天皇元年丁亥の十一年に位を軽太子に譲りたまふ。尊号を太上天皇といふ] |
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天皇御製歌 [天皇の御製歌] |
持統天皇 | ||
28 | 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山 | |||
訓 |
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山 |
「衣」語義。 | ||
はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま | はる(すぎ)て、(なつ)きたる(らし)、しろたへ(の)、ころも(ほし)たり、あめの(かぐやま) | |||
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過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌 [近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本人麻呂が作る歌] 柿本朝臣人麻呂 |
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29 | 玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 [或云 自宮] 阿礼座師 神之尽 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 [或云 食来] 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 [或云 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而] 何方 御念食可 [或云 所念計米可] 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 [或云 霞立 春日香霧流 夏草香 繁成奴留] 百礒城之 大宮處 見者悲毛 [或云 見者左夫思毛] | |||
訓 |
玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ [或云 宮ゆ] 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを [或云 めしける] そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え [或云 そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて] いかさまに 思ほしめせか [或云 思ほしけめか] 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる [或云 霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる] ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも [或云 見れば寂しも] |
集中初の人麻呂作歌。 原文「樛木乃」 (つがのきの)。 原文「天尓満」 (そらにみつ)。 原文「何方 御念食可」 (いかさまに おもほしめせか)。 |
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たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ [みやゆ] あれましし かみのことごと つがのきの いやつぎつぎに あめのした しらしめししを [めしける] そらにみつ やまとをおきて あをによし ならやまをこえ [そらみつ やまとをおき あをによし ならやまこえて] いかさまに おもほしめせか [おもほしけめか] あまざかる ひなにはあれど いはばしる あふみのくにの ささなみの おほつのみやに あめのした しらしめしけむ すめろきの かみのみことの おほみやは ここときけども おほとのは ここといへども はるくさの しげくおひたる かすみたつ はるひのきれる [かすみたち はるひかきれる なつくさか しげくなりぬる] ももしきの おほみやところ みればかなしも [みればさぶしも] | たまたすき、(うねびのやま)の、(かしはら)の、(ひじり)の(みよ)ゆ、[みや(ゆ)]、(あれ)まし(し)、かみ(の)ことごと、(つがのきの)、いや(つぎつぎ)に、(あめのした)、しらしめし(し)(を)、[めし(ける)]、そらにみつ、(やまと)を(おき)て、(あをによし)、ならやま(を)こえ、[そらみつ、(やまと)を(おき)、あをによし、ならやま(こえ)て]、(いかさまに)、おもほし(めせ)か、[おもほし(けめ)か]、(あまざかる)、ひな(には)あれど、(いはばしる)、あふみ(の)くに(の)、ささなみの、おほつのみや(に)、あめのした、しらしめし(けむ)、すめろき(の)、かみのみこと(の)、おほみや(は)、ここ(と)きけ(ども)、おほとの(は)、(ここ)(と)いへ(ども)、はるくさの、しげく(おひ)たる、かすみたつ、はるひ(の)きれ(る)、[かすみ(たち)、はるひ(か)きれ(る)、なつくさ(か)、しげく(なり)ぬる]、ももしきの、おほみやところ、みれ(ば)かなし(も)、[みれ(ば)さぶし(も)] | |||
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反歌 |
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30 | 樂浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津 | |||
訓 |
楽浪の志賀の唐崎幸くあれど大宮人の船待ちかねつ |
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ささなみの しがのからさき さきくあれど おほみやひとの ふねまちかねつ | ささなみの、(しが)の(からさき)、さきく(あれ)ど、(おほみやひと)の、ふね(まちかね)つ | |||
31 | 左散難弥乃 志我能 [一云 比良乃] 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛 [一云 将會跡母戸八] | |||
訓 |
楽浪の志賀の [一云 比良の] 大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも [一云 逢はむと思へや] |
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ささなみの しがの [ひらの] おほわだ よどむとも むかしのひとに またもあはめやも [あはむとおもへや] | ささなみの、(しが)の、[ひら(の)]、おほわだ、(よどむ)とも、(むかし)の(ひと)に、(また)も(あは)めやも、[あは(む)と(おもへ)や] | |||
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高市古人感傷近江舊堵作歌 [或書云高市連黒人] 高市古人、近江の旧き都を感傷しびて作る歌 [或書には「高市連黒人」といふ] 高市古人 |
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32 | 古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸 | |||
訓 |
古の人に我あれや楽浪の古き京を見れば悲しき |
【題詞「近江舊堵」】「堵」は、高い垣、垣の内、などの意。ここは「都」と同義。 | ||
いにしへの ひとにわれあれや ささなみの ふるきみやこを みればかなしき | いにしへ(の)、(ひと)に(われ)あれ(や )、ささなみの、(ふるき)みやこ(を)、みれ(ば)かなしき | |||
33 | 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛 | |||
訓 |
楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる京見れば悲しも |
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ささなみの くにつみかみの うらさびて あれたるみやこ みればかなしも | ささなみの、くにつみかみ(の)、うらさび(て)、あれ(たる)みやこ、(みれ)ば(かなし)も | |||
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幸于紀伊國時川嶋皇子御作歌 [或云山上臣憶良作] [紀伊の国に幸す時に、川島皇子の作らす歌 或いは「山上臣憶良作る」といふ] 川嶋皇子 |
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34 | 白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武 [一云 年者經尓計武] | |||
日本紀曰朱鳥四年庚寅秋九月天皇幸紀伊國也 [日本紀には「朱鳥の四年庚寅の秋の九月に、天皇紀伊の国に幸す」といふ。] | ||||
訓 |
表記「左右」⇒「まで」 | |||
しらなみの はままつがえの たむけくさ いくよまでにか としのへぬらむ [としはへにけむ] | しらなみ(の)、はままつ(が)え(の)、たむけくさ、いくよ(までに)か、とし(の)へ(ぬ)らむ、[とし(は)へ(に)けむ] | |||
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越勢能山時阿閇皇女御作歌 [勢能山を越ゆる時に、阿閉皇女の作らす歌] |
阿閇皇女 | ||
35 | 此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山 | |||
訓 |
これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山 |
原文「此也是能」訓釈。 | ||
これやこの やまとにしては あがこふる きぢにありといふ なにおふせのやま | これやこの、やまと(に)して(は)、あが(こふる)、きぢ(に)あり(と)いふ、なにおふ(せのやま) | |||
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幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌 [吉野の宮に幸す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌] 柿本朝臣人麻呂 |
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36 | 八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高思良珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可問 | |||
訓 |
やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り 船競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす みなそそく 瀧のみやこは 見れど飽かぬかも |
「秋津の野辺」。 | ||
やすみしし わがおほきみの きこしをす あめのしたに くにはしも さはにあれども やまかはの きよきかふちと みこころを よしののくにの はなぢらふ あきづののへに みやばしら ふとしきませば ももしきの おほみやひとは ふねなめて あさかはわたり ふなぎほひ ゆふかはわたる このかはの たゆることなく このやまの いやたかしらす みなそそく たきのみやこは みれどあかぬかも | やすみしし、わが(おほきみ)(の)、きこしをす、あめのした(に)、くに(は)し(も)、さはに(あれ)ども、(やまかは)の、きよき(かふち)と、みこころを、(よしののくに)の、はなぢらふ、あきづののへ(に)、みやばしら、(ふと)しき(ませ)ば、ももしきの、おほみやひと(は)、ふね(なめ)て、あさかは(わたり)、ふな(ぎほひ)、ゆふかは(わたる)、この(かは)の、、この(やま)の、(いや)たかしらす、みなそそく、たき(の)みやこ(は)、みれ(ど)あか(ぬ)かも | |||
|
反歌 |
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37 | 雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟 | |||
訓 |
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みれどあかぬ よしののかはの とこなめの たゆることなく またかへりみむ | みれ(ど)あか(ぬ)、よしののかは(の)、とこなめ(の)、たゆる(ことなく)、また(かへり)み(む) | |||
38 | 安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆 疊有 青垣山 々神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 [一云 黄葉加射之] 逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨 | |||
訓 |
やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 山神の 奉る御調と 春へには 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり [一云 黄葉かざし] 行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも |
「秋立つ」。 | ||
やすみしし わがおほきみ かむながら かむさびせすと よしのかは たぎつかふちに たかとのを たかしりまして のぼりたち くにみをせせば たたなはる あをかきやま やまつみの まつるみつきと はるへには はなかざしもち あきたてば もみちかざせり [もみちばかざし] ゆきそふ かはのかみも おほみけに つかへまつると かみつせに うかはをたち しもつせに さでさしわたす やまかはも よりてつかふる かみのみよかも | やすみしし、わが(おほきみ)、かむ(ながら)、かむさび(せす)と、よしのかは、たぎつ(かふち)に、たかとの(を)、たかしり(まし)て、のぼりたち、くにみ(を)せせ(ば)、たたなはる、あをかきやま、やまつみ(の)、まつる(みつき)と、はるへ(には)、はな(かざし)もち、あきたて(ば)、もみち(かざせ)り、[もみちばかざし]、ゆき(そふ)、かはの(かみ)も、おほみけ(に)、つかへまつる(と)、かみ(つ)せ(に)、うかは(を)たち、しも(つ)せ(に)、さで(さしわたす)、やまかは(も)、より(て)つかふる、かみ(の)みよ(かも) | |||
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反歌 |
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39 | 山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母 | |||
右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌 | ||||
右は、日本紀には「三年己丑の正月に天皇吉野の宮に幸す。八月に、吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月に、吉野の宮に幸す。五月に、吉野の宮に幸す。五年辛卯の正月に、吉野の宮に幸す。四月に吉野の宮に幸す」といへば、いまだ詳らかにいづれの月の従駕にして作る歌なるかを知らず。 | ||||
訓 |
山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも |
|||
やまかはも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも | やまかは(も)、より(て)つかふる、かむ(ながら)、たぎつ(かふち)に、ふなで(せす)かも | |||
|
幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌 [伊勢の国に幸す時に、京に留まれる柿本朝臣人麻呂が作る歌] 柿本朝臣人麻呂 |
|||
40 | 鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 □嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香 [「□」女偏に感] | |||
訓 |
嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか |
原文「鳴呼見乃浦」。 | ||
あみのうらに ふなのりすらむ をとめらが たまものすそに しほみつらむか | あみのうら(に)、ふな(のり)す(らむ)、をとめ(ら)が、たまも(の)すそ(に)、しほ(みつ)らむ(か) | |||
41 | 手節乃埼二 今日毛可母 大宮人之 玉藻苅良武 | |||
訓 |
釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ |
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くしろつく たふしのさきに けふもかも おほみやひとの たまもかるらむ | くしろつく、たふしのさき(に)、けふ(も)かも、おほみやひと(の)、たまも(かる)らむ | |||
42 | 潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎 | |||
訓 |
潮騒に伊良麌の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を |
|||
しほさゐに いらごのしまへ こぐふねに いものるらむか あらきしまみを | しほさゐ(に)、いらごのしま(へ)、こぐ(ふね)に、いも(のる)らむ(か)、あらき(しまみ )を | |||
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當麻真人麻呂妻作歌 [当麻真人麻呂が妻の作る歌] |
當麻真人麻呂妻 (参考:當麻真人麻呂) | ||
43 | 吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六 | |||
訓 |
我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ |
|||
わがせこは いづくゆくらむ おきつもの なばりのやまを けふかこゆらむ | わがせこ(は)、いづく(ゆく)らむ、おきつもの、なばりのやま(を)、けふ(か)こゆ(らむ) | |||
|
石上大臣従駕作歌 [石上大臣、従駕にして作る歌] |
石上大臣 | ||
44 | 吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞 | |||
右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄廣肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位E上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮 | ||||
右は、日本紀には「朱鳥の六年壬辰の春の三月丙寅の朔の戊辰に、浄広肆広瀬王等をもちて留守官となす。ここに中納言三輪朝臣高市麻呂、その冠位を脱ぎて朝に捧げ、重ねて諌めまつりて曰さく、『農作の前に車駕いまだもちて動すべからず』とまをす。辛未に、天皇諌めに従ひたまはず、つひに伊勢に幸す。五月乙丑の朔の庚午に、阿胡の行宮に御す」といふ。 | ||||
訓 |
我妹子をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも |
いざみの山を高み、 国遠み ⇒「ミ語法」 | ||
わぎもこを いざみのやまを たかみかも やまとのみえぬ くにとほみかも | わぎもこを、いざみのやま(を)、たか(み)かも、やまと(の)みえ(ぬ)「みえぬ」、くに(とほみ)かも | |||
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軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌 [軽皇子、安騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌] 柿本朝臣人麻呂 |
|||
45 | 八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而 | |||
訓 |
やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて |
|||
やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ かむながら かむさびせすと ふとしかす みやこをおきて こもりくの はつせのやまは まきたつ あらきやまぢを いはがね さへきおしなべ さかとりの あさこえまして たまかぎる ゆふさりくれば みゆきふる あきのおほのに はたすすき しのをおしなべ くさまくら たびやどりせす いにしへおもひて | やすみしし、わがおほきみ、たかてらす、ひのみこ、かむながら、かむさび(せす)と、ふとしか(す)、みやこ(を)おき(て)、こもりくの、はつせのやま(は)、まき(たつ)、あらき(やまぢ)を、いはがね、さへき(おしなべ)、さかとりの、あさ(こえ)まし(て)、たまかぎる、ゆふさりくれ(ば)、みゆき(ふる)、あきのおほの(に)、はたすすき、しの(を)おしなべ、くさまくら、たびやどり(せす)、いにしへ(おもひ)て | |||
|
短歌 (反歌よりも長歌への独自性が強い。以下四首、起承転結の構成。 |
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46 | 阿騎乃野尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良目八方 去部念尓 | |||
訓 |
安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに |
「短歌」について。 底本などは、原文「古都 (いにしへ)」だが、元暦校本「去部(いにしへ)」を、「新全集」本は採る。 |
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あきののに やどるたびひと うちなびき いもぬらめやも いにしへおもふに | あきの(の)に、やどる(たびひと)、うちなびき、(い)も(ぬ)らめ(やも)、いにしへ(おもふ)に | |||
47 | 真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師 | |||
訓 |
ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君の形見とそ来し |
原文「過去君之」、多くは「すぎにしきみが」と訓むが、君主の意の「君」は、格助詞「の」をとる。 尚この一首の訓には、「葉過去 (はすぎゆく)」を第三句とし、以下「みがかたみの あとよりぞこし」という旧訓もある。 『代匠記』にて「葉」は「黄葉」の「黄」が脱落したもの、と解され、今日に至っている。 |
||
まくさかる あらのにはあれど もみちばの すぎにしきみの かたみとそこし | まくさかる、あらの(には)あれど、もみちばの、すぎ(にし)きみ(の)、かたみ(とそ)こ(し) | |||
48 | 東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡 | |||
訓 |
『代匠記』以前の旧訓にも、魅力的な訓が多い | |||
ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ | ひむがし(の)、の(に)かぎろひ(の)、たつ(みえ)て、かへり(み)すれ(ば)、つき(かたぶき)ぬ | |||
49 | 日雙斯 皇子命乃 馬副而 御猟立師斯 時者来向 | |||
訓 |
日並皇子の命の馬並めてみ狩立たしし時は来向ふ |
原文「日雙斯」の訓、諸説有り | ||
ひなみしの みこのみことの うまなめて みかりたたしし ときはきむかふ | (ひなみしの、みこ)の(みこと)の、うま(なめ)て、(み)かり(たたし)し、とき(は)きむかふ | |||
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藤原宮之役民作歌 [藤原の宮の役民の作る歌] |
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50 | 八隅知之 吾大王 高照 日乃皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須良牟 伊蘇波久見者 神随尓有之 | |||
右日本紀曰 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮 | ||||
右は、日本紀には、「朱鳥の七年癸巳の秋の八月に藤原の宮地に幸す。八年甲午の春の正月に藤原の宮に幸す。冬の十二月庚戌の朔の乙卯に藤原の宮に遷る」といふ。 | ||||
訓 |
やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ そを取ると 騒ぐ御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる くすしき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば 神からならし |
「あれこそ」⇒「あればこそ」(あれ-ば-こそ)。 「鴨じもの」、語義。 原文「図負留」訓釈。 原文「百不足」語義。 |
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やすみしし わがおほきみ たかてらす ひのみこ あらたへの ふぢはらがうへに をすくにを めしたまはむと みあらかは たかしらさむと かむながら おもほすなへに あめつちも よりてあれこそ いはばしる あふみのくにの ころもでの たなかみやまの まきさく ひのつまでを もののふの やそうぢがはに たまもなす うかべながせれ そをとると さわくみたみも いへわすれ みもたなしらず かもじもの みづにうきゐて わがつくる ひのみかどに しらぬくに よしこせぢより わがくには とこよにならむ あやおへる くすしきかめも あらたよと いづみのかはに もちこせる まきのつまでを ももたらず いかだにつくり のぼすらむ いそはくみれば かむからならし | やすみしし、わが(おほきみ)、たかてらす、ひのみこ、あらたへの、ふぢはら(が)うへ(に)、をすくに(を)、めし(たまは)む(と)、みあらか(は)、たかしらさ(む)と、かむながら、おもほす(なへに)、あめつち(も)、より(て)あれ(こそ)、いはばしる、あふみのくに(の)、ころもでの、たなかみやま(の)、まさきく、ひ(の)つまで、もののふの、やそうぢがは(に)、たまもなす、うかべ(ながせ)れ、そ(を)とる(と)、さわく(みたみ)も、いへ(わすれ)、み(も)たな(しら)ず、かもじもの、みづ(に)うき(ゐ)て、わが(つくる)、ひのみかど(に)、しら(ぬ)くに、よし(こせぢ)より、わがくには、とこよ(に)なら(む)、あや(おへ)る、くすしき(かめ)も、あらたよ(と)、いづみのかは(に)、もちこせ(る)、まきのつまで(を)、ももたらず、いかだ(に)つくり、のぼす(らむ)、いそはく(みれ)ば、かむから(ならし) |
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従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌 [明日香の宮より藤原の宮に遷りし後に、志貴皇子の作らす歌] 志貴皇子 |
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51 | 婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久 | |||
訓 | 采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く | 【第四句「京都乎遠見」】「~を~み」で、「~が~ので」 | ||
うねめの そでふきかへす あすかかぜ みやこをとほみ いたづらにふく | うねめ(の)、そで(ふき)かへす、あすかかぜ、みやこ(を)とほみ、いたづら(に)ふく | |||
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藤原宮御井歌 [藤原の宮の御井の歌] |
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52 | 八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山跡 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳為之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門従 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日之御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水 | |||
訓 |
やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大き御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 目の緯の 大き御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大き御門に よろしなへ 神さび立てリ 名ぐはしき 吉野の山は 影面の 大き御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば つねにあらめ 御井の清水 |
原文「日経・日緯・背友・影友」 原文「春山跡」、「青山跡」の誤字説あり。 原文「天之御蔭」。 原文「清水」、異訓が多くある。 |
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やすみしし わごおほきみ たかてらす ひのみこ あらたへの ふぢゐがはらに おほみかど はじめたまひて はにやすの つつみのうへに ありたたし めしたまへば やまとの あをかぐやまは ひのたての おほきみかどに はるやまと しみさびたてり うねびの このみづやまは ひのよこの おほきみかどに みづやまと やまさびいます みみなしの あをすがやまは そともの おほきみかどに よろしなへ かむさびたてり なぐはしき よしののやまは かげともの おほきみかどゆ くもゐにぞ とほくありける たかしるや あめのみかげ あめしるや ひのみかげの みづこそば つねにあらめ みゐのきよみづ | やすみしし、わごおほきみ、たかてらす、ひのみこ、あらたへの、ふぢゐがはら(に)、おほみかど、はじめ(たまひ)て、はにやす(の)、つつみ(の)うへ(に)、ありたた(し)、めし(たまへ)ば、やまと(の)、(あを)かぐやま(は)、ひのたて(の)、おほき(みかど)に、はるやま(と)、しみさび(たて)り、うねび(の)、(この)みづやま(は)、ひのよこ(の)、おほき(みかど)に、みづやま(と)、やまさび(います)、みみなし(の)、あをすがやま(は)、そとも(の)、おほき(みかど)に、よろしなへ、かむさび(たて)り、なぐはしき、よしの(の)やま(は)、かげとも(の)、おほき(みかど)ゆ、くもゐ(に)ぞ、とほく(あり)ける、たかしる(や)、あめのみかげ、(あめ)しる(や)、ひのみかげ(の)、みづ(こそ)(ば)、つねに(あら)め、み(ゐ)のきよみづ | |||
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短歌 |
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53 | 藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 乏吉呂賀聞 | |||
右歌作者未詳 [右の歌は、作者いまだ詳らかにあらず。] | ||||
訓 |
藤原の大宮仕へ生れ付くや娘子がともは羨しきろかも |
「ろかも」⇒「上代間投助詞『ろ-②』参考[ろかも]」 | ||
ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや をとめがともは ともしきろかも | ふぢはら(の)、おほみやつかへ、あれ(つく)や、をとめ(が)とも(は)、ともしき(ろ)かも | |||
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大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌 [大宝元年辛丑の秋の九月に、太上天皇、紀伊の国に幸す時の歌] |
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54 | 巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎 | |||
右一首坂門人足 [右の一首は坂門人足。] | 坂門人足 | |||
訓 |
巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を |
上代四段動詞「しのふ」⇒「偲ふ[②]参考」 | ||
こせやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのはな こせのはるのを | こせやま(の)、つらつらつばき、つらつら(に)、み(つつ)しのは(な)、こせ(の)はるの(を) | |||
55 | 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母 | |||
右一首調首淡海 [右の一首は調首淡海。] | 調首淡海 | |||
訓 |
あさもよし紀伊人羨しも真土山行き来と見らむ紀伊人羨しも |
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あさもよし きひとともしも まつちやま ゆきくとみらむ きひとともしも | あさもよし、き(ひと)ともし(も)、まつちやま、ゆきく(と)み(らむ)、き(ひと)ともし(も) | |||
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或本歌 [或本の歌] |
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56 | 河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者 | |||
右一首春日蔵首老 [右の一首は春日蔵首老。] | 春日蔵首老 | |||
訓 |
川の上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は |
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かはのへの つらつらつばき つらつらに みれどもあかず こせのはるのは | かは(の)へ(の)、つらつらつばき、つらつら(に)、みれ(ども)あか(ず)、こせ(の)はるの(は) | |||
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二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌 [二年壬寅太上天皇幸于参河国時歌川 [二年壬寅に、太上天皇、三河の国に幸す時の歌 ] |
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57 | 引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓 | |||
右一首長忌寸奥麻呂 [右の一首は長忌寸意吉麻呂。 ] | 長忌寸奥麻呂 | |||
訓 |
引馬野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに |
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ひくまのに にほふはりはら いりみだれ ころもにほはせ たびのしるしに | ひくまの(に)、にほふ(はりはら)、(いり)みだれ、ころも(にほはせ)、たび(の)しるし(に) | |||
58 | 何所尓可 船泊為良武 安礼乃埼 榜多味行之 棚無小舟 | |||
右一首高市連黒人 [右の一首は高市連黒人。] | 高市連黒人 | |||
訓 |
いづくにか舟泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚なし小舟 |
「船泊」、集中唯一の名詞での用例 | ||
いづくにか ふなはてすらむ あれのさき こぎたみゆきし たななしをぶね | いづく(に)か、ふなはて(す)らむ、あれのさき、こぎたみゆき(し)、たななしをぶね | |||
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譽謝女王作歌 [誉謝女王が作る歌] |
譽謝女王 | ||
59 | 流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良武 | |||
訓 |
「つまふくかぜ」語釈。 | |||
ながらふる つまふくかぜの さむきよに わがせのきみは ひとりかぬらむ | ながらふる、つま(ふく)かぜ(の)、さむき(よ)に、わがせ(の)きみ(は)、ひとり(か)ぬ(らむ) | |||
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長皇子御歌 [長皇子の御歌] |
長皇子 | ||
60 | 暮相而 朝面無美 隠尓加 氣長妹之 廬利為里計武 | |||
訓 |
宵に逢ひて朝面なみ名張にか日長き妹が廬りせりけむ |
「面なみ」⇒「面無し」の「ミ語法」 | ||
よひにあひて あしたおもなみ なばりにか けながきいもが いほりせりけむ | よひ(に)あひ(て)、あした(おもなみ)、なばり(に)か、(けながき)いも(が)、いほり(せ)り(けむ) | |||
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舎人娘子従駕作歌 [舎人娘子、従駕にして作る歌] |
舎人娘子 (未詳) | ||
61 | 大夫之 得物矢手插 立向 射流圓方波 見尓清潔之 | |||
訓 |
ますらをのさつ矢手挟み立ち向ひ射る円方は見るにさやけし |
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ますらをの さつやたばさみ たちむかひ いるまとかたは みるにさやけし | ますらを(の)、さつや(たばさみ)、たちむかひ、いる (まとかた)は、みる(に)さやけし | |||
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[三野連(名闕)入り唐時春日蔵首老作歌 [三野連(名は欠けたり)唐に入る時に、春日蔵首老が作る歌] 春日蔵首老 | |||
62 | 在根良 對馬乃渡 々中尓 幣取向而 早還許年 | |||
訓 |
在り嶺よし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね |
「対馬の渡り」 | ||
ありねよし つしまのわたり わたなかに ぬさとりむけて はやかへりこね | ありねよし、つしま(の)わたり、わたなか(に)、ぬさ(とりむけ)て、はや(かへり)こ(ね) | |||
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山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌 [山上臣憶良、大唐に在る時に、本郷を憶ひて作る歌] 山上臣憶良 |
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63 | 去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武 | |||
訓 |
いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ |
「去来子等」 | ||
いざこども はやくやまとへ おほともの みつのはままつ まちこひぬらむ | いざ(こども)、はやく(やまと)へ、おほともの、みつ(の)はままつ、まち(こひ)ぬ(らむ) | |||
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慶雲三年丙午幸于難波宮時 志貴皇子御作歌 [慶雲三年丙午に、難波の宮に幸す時、志貴皇子の作らす歌] 志貴皇子 |
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64 | 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 倭之所念 | |||
訓 |
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あしへゆく かものはがひに しもふりて さむきゆふへは やまとしおもほゆ | あしへ(ゆく)、かも(の)はがひ(に)、(しも)ふり(て)、さむき(ゆふへ)は、やまと(し)おもほゆ | |||
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慶雲三年丙午幸于難波宮時 長皇子御歌 [慶雲三年丙午に、難波の宮に幸す時、長皇子の御歌] 長皇子 |
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65 | 霰打 安良礼松原 住吉乃 弟日娘与 見礼常不飽香聞 | |||
訓 |
霰打つ安良礼松原住吉の弟日娘女と見れど飽かぬかも |
「霰打」、実景説・枕詞説がある。「安良礼松原」、辞典参照。「弟日娘」。 | ||
あられうつ あられまつばら すみのえの おとひをとめと みれどあかぬかも | あられ(うつ)、あられまつばら、すみのえ(の)、おとひをとめ(と)、みれ(ど)あか(ぬ)かも | |||
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太上天皇幸于難波宮時歌 [太上天皇、難波の宮に幸す時の歌] |
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66 | 大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由 | |||
右一首置始東人 [右の一首は置始東人。] | 置始東人 | |||
訓 |
大伴の高石の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ |
「枕宿杼」諸訓あり。 | ||
おほともの たかしのはまの まつがねを まくらきぬれど いへししのはゆ | おほともの、たかしのはま(の)、まつがね(を)、まくらき(ぬれ)ど、いへ(し)しのはゆ | |||
67 | 旅尓之而 物戀之<伎尓鶴之>鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思 | |||
右一首高安大嶋 [右の一首は高安大島。] | 高安大島 | |||
訓 |
旅にして(もの恋し<きに鶴が>音も)聞こえざりせば恋ひて死なまし |
「物戀之伎尓鶴之鳴」諸説あり、[書庫にて解釈予定]。「ざりせば」⇒「(ず)(あり)(せば)」。 語意「孤悲(こひ)」、好きな人と離れて「孤(ひとり)」のときの「悲(かなしみ)」であることを示す用字。 |
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たびにして (ものこほし<きに たづが>ねも) きこえざりせば こひてしなまし | たび(にして)、[ものこほしき(に)、たづがね(も)、]きこえ(ざり)せば、こひ(て)しな(まし) | |||
68 | 大伴乃 美津能濱尓有 忘貝 家尓有妹乎 忘而念哉 | |||
右一首身人部王 [右の一首は身人部王。] | 身人部王 | |||
訓 |
大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや |
「尓有(なる)」⇒「(に)・(あり)」の意で、その連体形。 「忘れて思ふ」⇒忘れることも想い方の一つ、の表現。〔二種の見解「全注・注釈・全註釈」〕 |
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おほともの みつのはまなる わすれがひ いへなるいもを わすれておもへや | おほともの、みつ(の)はま(なる )、わすれがひ、いへ(なる)いも(を)、わすれ(て)おもへ(や) | |||
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69 | 草枕 客去君跡 知麻世婆 崖乃埴布尓 仁寶播散麻思呼 | |||
右一首清江娘子進長皇子 [姓氏未詳] 右の一首は清江娘子。長皇子に進る。姓氏いまだ詳らかにあらず。 清江娘子 | ||||
訓 |
草枕旅行く君と知らませば岸の埴生ににほはさましを |
「ませば」⇒ 呼応「ましを」 | ||
くさまくら たびゆくきみと しらませば きしのはにふに にほはさましを | くさまくら、たび(ゆく)きみ(と)、しら(ませ)ば、きし(の)はにふ(に)、にほはさ(まし)を | |||
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太上天皇幸于吉野宮時高市連黒人作歌 [太上天皇、吉野の宮に幸す時に、高市連黒人が作る歌] 高市連黒人 |
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70 | 倭尓者 鳴而歟来良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曽越奈流 | |||
訓 |
大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる |
ここでの「やまと」は、藤原京を中心とした地域。 | ||
やまとには なきてかくらむ よぶこどり きさのなかやま よびぞこゆなる | やまと(には)、なき(て)か(く)らむ、よぶこどり、きさのなかやま、よび(ぞ)こゆ(なる) | |||
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大行天皇幸于難波宮時歌 [大行天皇、難波の宮に幸す時の歌] |
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71 | 倭戀 寐之不所宿尓 情無 此渚崎未尓 多津鳴倍思哉 | |||
右一首忍坂部乙麻呂 [右の一首は忍坂部乙麻呂。] | 忍坂部乙麻呂 | |||
訓 |
大和恋ひ寐の寝らえぬに心なくこの洲崎廻に鶴鳴くべしや |
「大行天皇」⇒ 集中の例は、すべて「文武天皇」 「いのねらえぬに」⇒ ほぼ「定型」。 |
||
やまとこひ いのねらえぬに こころなく このすさきみに たづなくべしや | やまと(こひ)、い(の)ね(らえ)ぬ(に)、こころなく、(この)すさき(み)に、たづ(なく)べし(や) | |||
72 | 玉藻苅 奥敝波不榜 敷妙乃 枕之邊人 忘可祢津藻 | |||
右一首式部卿藤原宇合 [右の一首は式部卿藤原宇合。] | 藤原宇合 「元暦校本」などには、「作主未詳歌」とある | |||
訓 |
玉藻刈る沖辺は漕がじ敷栲の枕のあたり思ひかねつも |
「玉藻刈る」、「枕詞」でなく「実景」の方が解り易い。 「枕之辺人」の「人」に注目したい。 |
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たまもかる おきへはこがじ しきたへの まくらのあたり わすれかねつも | たまも(かる)、おきへ(は)こが(じ)、しきたへの、まくら(の)あたり、わすれ(かね)つ(も) | |||
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長皇子御歌 [長皇子の御歌] |
長皇子 | ||
73 | 吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹有勿勤 | |||
訓 |
我妹子を早見浜風大和なる我れ松椿吹かざるなゆめ |
「なる⇒ (に)(ある)。二重否定「不吹有勿勤」、(「ざるなゆめ」、「ずあるなゆめ」)。 | ||
わぎもこを はやみはまかぜ やまとなる あれまつつばき ふかざるなゆめ | わぎもこを、はやみ(はまかぜ)、やまと(なる)、あれ(まつ)つばき、ふか(ざる)な(ゆめ) | |||
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大行天皇幸于吉野宮時歌 [大行天皇、吉野の宮に幸す時の歌] |
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74 | 見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟 | |||
右一首或云 天皇御製歌 [右の一首は、或いは「天皇の御製歌」といふ。] (文武天皇) | ||||
訓 |
み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜も我がひとり寝む |
「山下風 [やまのあらし] 」。「寒けく」⇒「寒し」の「ク語法」。 「はたや・・・ねむ」、「や・・・む」⇒「はたや」。 |
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みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよひも あがひとりねむ | みよしの(の)、やま(の)あらし(の)、さむけく(に)、はたや(こよひ)も、あがひとり(ね)む | |||
75 | 宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣應借 妹毛有勿久尓 | |||
右一首長屋王 [右の一首は長屋王。] | 長屋王 | |||
訓 |
宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに |
「衣応借」、訓釈・句意を改めて考えてみたい。 「応」(漢辞海) ⇒「おう」、「借(か)る」⇒ 「かる」 |
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うぢまやま あさかぜさむし たびにして ころもかすべき いももあらなくに | うぢまやま、あさかぜ(さむし)、たび(にして)、ころも(かす)べき、いも(も)あらなくに | |||
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和銅元年戊申 天皇御製 [和銅元年戊申 天皇の御製] |
元明天皇 | ||
76 | 大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母 | |||
訓 |
ますらをの鞆の音すなり物部の大臣楯立つらしも |
原文「大夫 (ますらお)」訓釈。 「物部乃大臣」、諸説あり ⇒「もののふ」 |
||
ますらをの とものおとすなり もののふの おほまへつきみ たてたつらしも | ますらを(の)、とも(の)おと(す)なり、もののふ(の)、おほまへつきみ、たて(たつ)らし(も) | |||
|
御名部皇女奉和御歌 [御名部皇女の和へ奉る御歌] |
御名部皇女 | ||
77 | 吾大王 物莫御念 須賣神乃 副而賜流 吾莫勿久尓 | |||
訓 |
我が大君ものな思ほしそ皇神の副へて賜へる我がなけなくに |
「物莫御念」、「ものなおもほし」「そ」省略訓が多い。 「ものおもふ」⇒「おもほす」に禁止「な~そ」。 原文「副而 (そへて)」、また「嗣而(つぎて)」訓多い。 |
||
わがおほきみ ものなおもほしそ すめかみの そへてたまへる わがなけなくに | わがおほきみ、もの(な)おもほし(そ)、すめかみ(の)、そへ(て)たまへ(る)、わが(なけなくに) | |||
和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧楽宮時御輿停長屋原廻望古都作歌 [一書云 太上天皇御製] [太上天皇(元明天皇)] | ||||
78 | 飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武 [一云 君之當乎 不見而香毛安良牟] | |||
訓 |
飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ 一書には「君があたりを見ずてかもあらむ」といふ |
枕詞「飛鳥」の「とぶとり」、「とぶとりの」訓の諸説。 | ||
とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらむ [きみがあたりを みずてかもあらむ] | とぶとりの、あすか(の)さと(を)、おき(て)いな(ば)、きみ(が)あたり(は)、みえ(ず)かも(あら)む、[きみ(が)あたり(を)、み(ず)て(かも)あら(む)] | |||
或本従従藤原宮遷于寧楽宮時歌 [或本、藤原の京より寧楽の宮に遷る時の歌] | 「藤原京」という名称、これが唯一。「藤原宮」と同じ。 | |||
79 | 天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 □ [舟偏+共]浮而 吾行河乃 河隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青丹吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之氷凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武 | |||
訓 |
大君の 命畏み 親びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟受けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲のほに 夜の霜降り 岩床と 川の氷凝り 寒き夜を 休むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに いませ大君よ 我れも通はむ |
「おほきみの みことかしこみ」慣用句、その最も早い例 「かしこ・み」は、形容詞「畏し」の「ミ語法」、あるいは、動詞「畏む」の連用形。 原文「万段」訓釈。 原文「氷凝」訓釈。 |
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おほきみの みことかしこみ にきびにし いへをおき こもりくの はつせのかはに ふねうけて わがゆくかはの かはくまの やそくまおちず よろづたび かへりみしつつ たまほこの みちゆきくらし あをによし ならのみやこの さほかはに いゆきいたりて わがねたる ころものうへゆ あさづくよ さやかにみれば たへのほに よるのしもふり いはとこと かはのひこごり さむきよを やすむことなく かよひつつ つくれるいへに ちよまでに いませおほきみよ われもかよはむ | おほきみ(の)、みこと(かしこみ)、にきび(にし)、いへ(を)おき、こもりくの、はつせのかは(に)、ふね(うけ)て、わが(ゆく)かは(の)、かはくま(の)、やそくま(おち)ず、よろづたび、かへりみ(し)つつ、たまほこの、みちゆき(くらし)、あをによし、なら(の)みやこ(の)、さほかは(に)、いゆき(いたり)て、わが(ね)たる、ころも(の)うへ(ゆ)、あさづくよ、さやかに(みれ)ば、たへのほ(に)、よる(の)しも(ふり)、いはとこ(と)、かは(の)ひ(こごり)、さむき(よ)を、やすむ(こと)なく、かよひ(つつ)、つくれ(る)いへ(に)、ちよ(までに)、いませ(おほきみ)(よ)、われ(も)かよは(む) | |||
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反歌 |
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80 | 青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿 | |||
右歌作主未詳 [右の歌は、作主いまだ詳らかにあらず。] | 作者未詳 | |||
訓 |
あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな |
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あをによし ならのいへには よろづよに われもかよはむ わするとおもふな | あをによし、なら(の)いへ(には)、よろづよ(に)、われ(も)かよは(む)、わする(と)おもふ(な) | |||
|
和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井作歌 [和銅五年壬子の夏の四月に、長田王を伊勢の斎宮に遣はす時に、山辺の御井にして作る歌] 長田王 |
|||
81 | 山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨 | |||
訓 |
山辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子ども相見つるかも |
「山辺の御井」所在地不明。 「伊勢娘子」 |
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やまのへの みゐをみがてり かむかぜの いせをとめども あひみつるかも | やまのへ(の)、(み)ゐ(を)み(がてり)、かむかぜの、いせをとめ(ども)、あひみ(つる)かも | |||
82 | 浦佐夫流 情佐麻祢之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者 | 長田王 | ||
訓 |
「さまねし」⇒「さ・あまねし」の約。 原文「流相見者」 (ながれあふみれば) 二種の情景解釈、及び訓釈。 |
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うらさぶる こころさまねし ひさかたの あまのしぐれの ながれあふみれば | うらさぶる、こころ(さまねし)、ひさかたの、あまの(しぐれ)の、ながれ(あふ)みれ(ば) | |||
83 | 海底 奥津白波 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武 長田王 | |||
右二首今案不似御井所作 若疑當時誦之古歌歟 [右の二首は、今案ふるに、御井にして作るところに似ず。けだし、その時に誦む古歌か。] | ||||
訓 |
海の底沖つ白波竜田山いつか越えなむ妹があたり見む |
「こえなむ」⇒ 「こえいなむ」の約 ⇒ 「いぬ」 「いつか~む」⇒ 「早く~したい・早く~してほしい」 |
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わたのそこ おきつしらなみ たつたやま いつかこえなむ いもがあたりみむ | わたのそこ、おきつしらなみ、たつたやま、いつか(こえ)なむ、いも(が)あたり(み)む | |||
寧樂宮 [寧楽の宮] | ||||
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長皇子與志貴皇子於佐紀宮倶宴歌 [長皇子、志貴皇子と佐紀の宮にしてともに宴する歌] |
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84 | 秋去者 今毛見如 妻戀尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍 | |||
右一首長皇子 [右の一首は長皇子。] | 長皇子 | |||
訓 |
秋さらば今も見るごと妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上 |
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あきさらば いまもみるごと つまごひに かなかむやまぞ たかのはらのうへ | あきさらば、いま(も)みる(ごと)、つまごひ(に)、か(なか)む(やま)ぞ、たかのはら(の)うへ | |||
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万葉集 巻第一 | ![]() |