書庫10








 「かなしみの」...別れには...
 「こひやくらさむ」

【歌意】2852
 
いとしいあの人が朝早くに帰ろうとする姿を
つらくて、よく見ることもできなかった
だから今日のこの一日は、
一日中哀しく想い続けて過ごすことに、なってしまうでしょう
 
【歌意】1929
 
朝戸を開けて出て行く、あの人の姿を
つらくて、しっかり見ることができなかったので
春のこの長くつづく日を...
ずーっと想い続けて、一日一日を過ごすのだろうか...

この二首は、「想い」としては同じ心情を詠ったものだろう
もっとも、〔2852〕歌は、人麻呂歌集出なので、
〔1929〕歌が、それをもとにしているのかもしれない
人麻呂歌集歌は、助詞を省略する略体歌が多く
素人考えでは、後の〔1929〕歌を訓じた平安時代の梨壺の面々が
この略体歌に、似てるなあ、と同じような訓を付けたかもしれない
と、想像を膨らませてしまう
何しろ、略体歌の助詞を訓じる手掛かりは、
似通った歌に、その「想像の万葉仮名」を振るしかなかったのでは、と思う

しかし、この二首の原文を見てみると
その最後の字句に、少々「想い」の差を、私は感じてしまう

人麻呂歌集歌の〔2852〕は、「恋ひ~鴨(かも)」
〔1929〕歌では、「恋ひ
~九良三(くらさ)」

「かも」の方は、疑問の意を含むと同時に、嘆くような要素もあるが
「~や~む」の「係り結び」で、「恋ひ暮らす」ことが強調されている

さらに、この〔1929〕の部立ては「春相聞」だが、題詞には「悲別」とある
「悲しい別れ」の歌だ
一日の別れに対して、「悲別」という題詞では「大袈裟」過ぎる
しかし、手元にあるどの本を捲っても
この歌の歌意は、〔2852〕歌の類想歌とされているものが多い
確かに「意」としては、その重なる「語句」からも同じだとは思う
しかし私には、どうしても題詞の「悲別」と、最後の「係り結び」の強調が気になる

だから、私の描いた〔1929〕歌は、人麻呂歌集出の歌のように
「けふのあひだ」に限定されず
長期的な「別れ」を歌ったものではないか、と思う
それが、「ながきはるひを」で春の季節に限るのか
あるいは、単に春に起こったことだから、先のことは分からず、そう詠ったのか...

「悲別」と題するからには、その「想い」は深くて哀しみに満ちているはずだ

この「悲別」を解り易く用いた歌がある (語義省略)

 相聞 大伴宿祢三依悲別歌一首
  天地与 共久 住波牟等 念而有師 家之庭羽裳
   天地とともに久しく住まはむと思ひてありし家の庭はも
  あめつちと ともにひさしく すまはむと おもひてありし いへのにははも
 巻第四 581 相聞 大伴三依 
天地と共に...変わらずここに住もうと思っていた、この家の庭よ...
 [はも]は上代語で文末に用いて、回想や愛惜の気持ちを込めた詠嘆・感動の意


この作者、大伴三依は、[万葉作者プロフィール

天平二十年(748)従五位下。「大伴氏系図」には御行の子とあるが、確かではない。主税頭、三河守、仁 部(民部)少輔、遠江守、義部大輔、出雲守などを歴任。宝亀五年(774)散位従四位下で卒。神亀末から天平初年にかけて旅人の配下として筑紫にあった。 梅花宴三十二首中に見える豊後守大伴夫人(823の作者)も三依かとする説があるが、疑わしい。

この歌、誰への「悲別」の歌なのか、その記述はないが
大伴旅人が亡くなったとき、その悲しみを詠って、旅人の家を辞し
筑紫へ帰ったときの歌、だとか
あるいは、旅人とともに筑紫から上京するときに
筑紫の住み慣れた家を離れるときに、詠ったものだとか...諸説がある
この点は、他の書でも調べてみたい

ただ、今回はここで用いられている「悲別」という題詞に想いがいく
どの説を採ろうと、その「別れ」は、決して「一日」で済むものではない
最悪の場合は、永久の別れ、であっても不思議ではない状況でもある
「悲別」が多く用いられるような、一般的な別れの「題詞」ではないと思う

資料的には、万葉集中での「悲別」は十一例のようだ
そして、中国の詩文でも用例はなく、さらに『芸文類聚』の「別」部の詩題でも
「傷離・怨別・感別」などで「悲別」はないらしい
だから、きわめて特別な「題詞」だと思うが...この十一例、調べてみよう

だから、〔1929〕歌は、もう逢えないかもしれない、という悲しい歌なのでは、と思う


掲載日:2013.09.01.


 正述心緒
  我背子之 朝明形 吉不見 今日間 戀暮鴨
   我が背子が朝明の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも
  わがせこが あさけのすがた よくみずて けふのあひだを こひくらすかも
(右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2852 正述心緒 柿本人麻呂歌集出 
 
 春相聞 悲別
  朝戸出乃 君之儀乎 曲不見而 長春日乎 戀八九良三
   朝戸出の君が姿をよく見ずて長き春日を恋ひや暮らさむ
  あさとでの きみがすがたを よくみずて ながきはるひを こひやくらさむ
語義・歌意】  巻第十 1929 悲別 作者不詳 



 【2852】語義 意味・活用・接続 
 あさけのすがた[朝明形]
  あさけ[朝明け]  [「あさあけ」の転]明け方・早朝
  すがた[姿]  衣服を身に付けたようす・身なり・容姿・ありさま
 よくみずて[吉不見]
  よく[良く・善く・能く]  [副詞](形容詞「よし」の連用形から「よう」ともいう)
 十分に・念入りに・くわしく
  み[見る]  [他マ上一・未然形]目に留める・目にする・眺める
  ず[助動詞・ず]  [打消・連用形]~ない  未然形につく
  て[接続助詞]  [確定条件・原因理由]~ので  連用形につく
 けふのあひだを[今日間]
  あひだ[間][左注・あひだ  時間的にある範囲内
  を[格助詞]  [持続時間]持続する時間を表す  体言につく
 こひくらすかも[戀暮鴨]
  くらす[暮らす][左注・暮らす]  [他サ四・連体形]ここでは動詞の連用形の下に付く用法
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動・疑問]~であることよ・~だろうか
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 【1929】語義 意味・活用・接続 
 あさとでの[朝戸出乃]
  あさとで[朝戸出]  朝、戸を開けて家を出ること
  の[格助詞]  [連体修飾語]~の  体言につく
 きみがすがたを[君之儀乎]
  すがた[姿]  上述[2852]
 よくみずて[曲不見而]上述[2852]
 ながきはるひを[長春日乎]
  ながき[長し・永し]  [形ク・連体形]空間的・時間的に隔たりの大きいさま
  はるひ[春日]  春の日・春の一日
 こひやくらさむ[戀八九良三][係助詞「や」に助動詞「む」の連体形で、「係り結び」
  [係助詞]  [疑問]~か
  くらさ[暮らす]  [他サ四・未然形]歳月を送る
  [助動詞・む]  [推量・連体形]~(の)だろう  未然形につく
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【左注】 
あひだ
「あいだ」には、様々な意味があるが、ここでは上記の意味とする
参考として、平安時代以降から用いられる特殊な用例もあることを記しておく
それは、接続助詞のように用いられ「~ので」の意を持ち
中世以降は一般化し、のちには候文の接続助詞として、さかんに用いられるようになった
 
 
暮らす 
動詞の連用形の下(この歌では「恋ふ」)について、
「日が暮れるまで~」、「~つづけて一日を過ごす」、「一日中~つづける」の意を表す
[例語]思ひ暮らす・語らひ暮らす・
恋ひ暮らす・眺め暮らす・嘆き暮らす・臥し暮らす、など
 

 








 「すぐす」...言葉の出会い...
 「万葉人と出会った気分に」

【歌意】2856
 
この恋の辛さを忘れられるか、と
人と話して、気を紛らそうとしたのに
それも拭い去ることは叶わず
依然として、いや、いっそう「恋しく」なってしまったなあ

「恋心」のせいで、何も手につかない...
だから、そんな苦しさから逃れようと、しきりに人と話をしてみても
そもそも、「恋心」のあまりの「重さ」に、「耐えかねて」なのだから
生半可な人との語らいなどで、そんな「重石」が払いのけられるものではない


作者は、そのことを重々承知の上で
いろいろと手を尽そうとしたのだろう
しかし、結果は「なお」...依然として
さらにいっそう、「恋心」が募ってしまった

そのことに、作者は「酔いしれて」いるのではないだろうか
これが「恋」なんだ、と


この歌での収穫、「すぐす」
この語、初めて触れたような気がする
たぶん、目には触れたこともあったかもしれない
しかし、意味として「古語辞典」を引いたのは...初めてではなかったか

このHPでも、当初は、大まかな「歌意」に、自分の思い入れをたっぷり注ぎ込んだ
だから、古語辞典を引くことは滅多になかった
数多くある、万葉集の解説書を拾い読みしては
そこに、自分の想いを重ねたものだ
だから、通説から大きくは離れないだろうし
無難な解釈で通してきた
しかし、それが不本意であることに気づいたのが...まだ最近のことだ

いくら、自分が万葉集から自由に「感じ取りたい」と願っても
結局、専門家たちの「うたごころ」を擬えているだけのこと
そこの、自分なりの「想い」など、入り込むはずもなかった
何故なら...「古語」についての知識が、まったくの「ゼロ」だったのだから...

だから、どんなに自由に解釈したくても、その「言葉」の意味を知らなければ
結局は、「自由」になりようがなかった
まさに、「古語」は外国語を習うように、「単語」を知ることが最低限の作業だ

それで、まずどんな歌でも...すでに理解しているつもりの歌であっても
古語辞典を引くことにした
そこから...今の「のめり方」が始まったといえる
まず、歌意に関係なく、使われた「語」の意味を拾いだす
その「語」に含まれる「感じ」から、ひとつの歌でも、様々な歌意の広がりがあった
そのことに気づいて、いっそう「古語辞典」は手放せなくなり
こうやって、毎日のように頁を捲るのも...
かつての自分では信じられないことだ

こんな日本語があったのか、と驚きの日々
美しい「ことば」に出会ったときは、何とかその「ことば」を使って
自分も一首詠みたいものだ、と不遜なことまで考えてしまう


品詞の「面白さ」にも、いつしか虜になってしまった
まるで、謎解きのように、それが接続する具合が、何とも言えず楽しい

今夜のように「すぐす」という「古語」に出会うと
得難いものを得た、という充足感を抱いてしまう
確かに、現代では使いようのない「古語」ではあるが
だからこそ、こうした「古語」を使っていた人たちに「畏怖」の念を持ってしまう


私のような、普段から「ことば」に気を遣わない者が
こんな言い方をしては、専門家の人たちに申し訳ないが
「古語」を、いかに「現代語」に訳すか、ではなく
「古語」を、いかに現代でも魅力ある「ことば」として自然に使えないか
そんな方向性もあっていいのでは、と思う


今思えば、私が最近になって凝り出した『万葉集古義』
江戸時代末期の学者・鹿持雅澄の注釈書だが
その、「解説文」に触れたときの感動は、その内容よりも
ことばの「響き」にあった
少なくとも、万葉集の「ことば」に理解は乏しくとも
江戸末期の「ことば」に、感覚的に理解し得るものがあり
そう感じたら、何故だか、彼の「説明文」が...辞書もなく読めることに気づいた

現代人が、古語で会話するのは、不可能だとは思う
しかし、こんなに「美しいことば」が溢れているのに
その魅力を、単に「現代語」に訳す「材料」にだけしているのは、非常に残念だと思う


外国語に携わっている者として、外国語の「真」の美しさは到底理解できない
あくまで、「語」の意味を斟酌することが中心であって
その「響き」に、何も「感じる」ことができない
それは仕方がないことだ
しかし、すでに現代人からみれば、その外国語に近いものが「古語」といえる
ならば、「外国語の美しい響き」は理解し得なくても
「古語」の「美しい響き」は...私たちには、きっと感じられるはずだ


万葉集に、私が求めて止まないのも、そして惹かれ続けるのも
その可能性があるからなのだろう...
定年後のライフワークとして、もっともっと「古語」を知りたい、と欲張ってしまった



掲載日:2013.09.02.


 正述心緒
  忘哉 語 意遣 雖過不過 猶戀
   忘るやと物語りして心遣り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり
  わするやと ものがたりして こころやり すぐせどすぎず なほこひにけり
 (右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2856 正述心緒 柿本人麻呂歌集出 



 【2856】語義 意味・活用・接続 
 わするやと[忘哉]
  わする[忘る][左注・忘る  [他ラ四・連体形]忘れる・記憶をなくす
  や[係助詞][左注・や  [疑問]~か  連体形につく
  と[格助詞]  [引用]~と 
   「~と言って・~と思って・~として」などの意で、後に続く動作の目的・理由などを示す
 ものがたりして[語]
  ものがたり[物語]  話すこと・世間話・話
  して[格助詞]  [手段・方法]~で・~でもって  体言につく
   [成立ち]サ変動詞「為(す)」の連用形「し」に接続助詞「て」
 こころやり[意遣]
  こころやり[心遣る]  [他ラ四・連用形]苦しさを晴らす・心を慰める
 すぐせどすぎず[雖過不過]
  すぐせ[過ぐす][左注・過ぐす  [他サ四・已然形]ここでは動詞の連用形の下に付く用法
  ど[接続助詞]  [逆接の確定条件]~のに  已然形につく
  すぎ[過ぐ]  [自ガ上二・未然形]通り過ぎる・経過する・終りになる 
  ず[助動詞・ず]  [打消・終止形]~ない  未然形につく
 なほこひにけり[猶戀]
  なほ[猶・尚]  [副詞]やはり・依然として・さらに・いっそう
  に[格助詞][左注・に  [強調]~に  連用形につく
  けり[助動詞・けり][左注・けり  [詠嘆]~たことよ・~たなあ  連用形につく
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【左注】 
忘る
「四段活用」の他、「下二段活用」もある
主に上代に用いられ、四段活用の場合は、「意識的に忘れる」、
下二段活用の場合は、「自然に忘れる」「つい忘れる」の意味に用いられた、という
 
 
助詞「や」、「か」はともに疑問を表すが、
「や」が多く問いかけの気持ちを表すのに対し、「か」は詠嘆の気持ちが強い
したがって、「や」は単独で用いられることが多く、
「か」は、疑問の語とともに用いられるようになった、といわれる
 
過ぐす 
「過ぐす」の意味としては、
「年月をおくる・暮らす・終らせる・そのままにする」などがあるが
他に、動詞の連用形の下について、次のような意味を為す
「心にとめず~・~流す」例語、「聞き過ぐす」
「~て時を過ごす」例語、「待ち過ぐす(待ちながら月日を過ごす)」
 
 
格助詞「に」には、種々の意味もあり、
その接続する語も、体言・活用語の「連体形」につくが
「目的」と「強調」の場合は、動詞の「連用形」につく
ここでは、[修飾語(なほ)+動詞の連用形(こひ・上二段)+格助詞「に」+動詞]の形で
「そういう状態であることを強める」
 
けり 
助動詞「けり」の成り立ちは、「来(き)有り」の転
成立ちから考えると、「けり」の本来の意味は、「~してきている」という動作、
または、その結果の存続を表す意味だったと考えられる
したがって、「回想」の意味の「~た・~たのであった」が、当初の用法で、
それが、「伝聞」の「~たそうだ・~たという」の事柄の述べ方を表す用法に変わり、
さらに、「気づき」の「~たのだ・~たなあ」の用法を生じ、
最後に、「詠嘆」の「~たことよ・~ことよ」に移ったものといわれる

 

 





 「運よく、命があれば」...幸命在...
 「後に逢える...とは」


【歌意】2858
 
いずれ、また逢うのだから
そんなに思い詰めるような「想い」はしないで
と、あの人は言うが
こうして、恋しく思っているあいだに
年月はどんどん過ぎ去っていくばかりだ
 
【歌意】1899
 
春になれば、まず咲くという三枝の名(さきくさ)のように
無事で(さきく)いることができたら
後にでも、逢えるだろう
だから、そんなに恋しく思って苦しまないでくれ

「後相」、「莫恋」と、「相聞」に沿う「語句」が重なり
「後でも逢えるのだから、そんなに思い詰めて苦しまないでくれ」と二首はいう
しかし、〔2852〕歌は、女性がそう言い、それを聞いた男が、嘆く
〔1899〕歌では、その逆で、男が「思い詰めている娘」に、言い聞かせている

言われた男は、遠回しの「断り」とも受け取ったかもしれない
言われたことの、素直な心情だとは思う
そして、次の歌では「言った男」の苦渋が見受けられる
言われた女性の心情は、この歌では読み取れない
いや、意地悪な見方をすれば、「さきくあらば」にひっかかる
この「さきくあらば」という意味は、どんな意味なのだろう
言葉は取り繕っても、「運が良ければ」ということではないか
ということは、二人の間には、今すぐには結ばれない事情がある、ということか
その「事情」も、男の方が、口実に使っているような感じさえする

恋仲の二人が、何かの事情故にすぐには結ばれないにしても
本気であれば、少なくとも「ことば」には普段以上の「想い」がこめられる
「何があろうと」、「命に代えても」と、激しい想いの言葉が出るはずだ
だから、今はお互いに辛抱しよう、ということになる
しかし、「さきくあらば」では...「運命に従おう」ではないか

そう思うと、ことばが諭すように優しいのも頷ける
男は、自身の「運命」のことを言っているのではないか、この「さきくあらば」とは...

「俺に何かあったら、おまえを幸せになどできない」
「だから、俺の無事を祈って待っていてくれ」
「さきくさの名のように、きっと戻ってくる」
「それを信じて、もう泣くな」
と感じた方が、いいのかもしれない

ここまで、意訳にしても、大胆に思えるのは
「さきくあらば」の原文に「命」があるからだ
「幸命在」...「幸い、命があったなら」...と浮んでしまった
他の歌での「さきくあらば」を探すと、「幸有者」が多い...
ここでの「幸命在」は、やはり...「運よく命があれば、なのだと思う
それにしても、この訓が、どうして「さきくあらば」なのか...解らない

余談だが、[のち]を『古語辞典』で引いていたら、面白い記事があった
まさに、『古語辞典』の魅力の発揮するところだ(角川書店・全訳古語辞典平成十四年初版)

まず、「のち」の意味の中で「子孫・末裔」の用例として、<枕草子・五月の御精進のほど>
「元輔が
のちといはるる君しもや今夜の歌にはづれてはをる」が挙げられ、
この訳として、
「(優れた歌人の)元輔の
子孫といわれるあなた(=清少納言)にかぎって、今夜の歌会に加わらないでよいのでしょうか」とある
この『古語辞典』の読解インフォで、
清少納言の父清原元輔は、『後撰和歌集』の撰者の一人で、当時の代表的な歌人であった。また、曽祖父に当る清原深養父も、『古今和歌集』に多くの和歌を残す歌人であった。清少納言は、このように歌詠みの家の娘であったが、本人はあまり和歌が得意でなかったらしく『後拾遺和歌集』には三首しか選ばれていない。『枕草子』には、「歌詠みの家の娘」と周囲の人々に言われるつらさを皇后定子に訴え、今後歌を詠めとは言わないと皇后から約束されて「いと心やすく」なったという記事がある。『枕草子』の中で鋭い感性を発揮して独自の美的世界を描き上げた文才豊かな清少納言であるが、父祖代々の歌詠みの家の娘であることには、かなり圧迫感を持っていたのだろう。
 


面白い記事だと思った


今の私は、万葉集に手一杯で、とても以降の歌集に想いは及ばない
優れた歌も多いはずだが...でもやはり万葉集の集中の半分を占める「作者不詳歌」
それが、大きな魅力となって私を放さない
古今時代以降の、洗練された歌人たちの「振る舞い」「詠みっぷり」ではなく
誰もが、歌を口ずさんだ時代...その「記録」が、万葉集だと思う
そこに、惹かれている

そして、約四千五百首に及ぶ歌に
全歌を読もうと決めてから、約五百首をここ「書庫」で残してきた
まだまだ先は長いが...これを終えなければ...先に進めない










掲載日:2013.09.03.

 正述心緒
  後相 吾莫戀 妹雖云 戀間 年經乍
   後も逢はむ我にな恋ひそと妹は言へど恋ふる間に年は経につつ
  のちもあはむ われになこひそと いもはいへど こふるあひだに としはへにつつ
(右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2858 正述心緒 柿本人麻呂歌集出 
 
 春相聞
  春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
   春さればまづさきくさの幸くあらば後にも逢はむな恋ひそ我妹
  はるされば まづさきくさの さきくあらば のちにもあはむ なこひそわぎも
(右柿本朝臣人麻呂歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十 1899 春相聞 柿本人麻呂歌集出 


 【2858】語義 意味・活用・接続 
 のちもあはむ[後相]
  のち[後]  あと・以後・将来・未来・子孫・死後
  も[係助詞]  [添加]~もまた  種々の語につく
  あは[逢ふ・会ふ]  [自ハ四・未然形]出逢う・対面する・結婚する 
  む[助動詞・む]  [推量・終止形]~(の)だろう  未然形につく
 われになこひそと[吾莫戀]
  [副詞]  ~するな・~してくれるな
   動詞の連用形(恋ひ)の上に付いて、下に終助詞「そ」の形で、その動作を禁止する意を表す
  [終助詞]  [禁止]副詞「な」と呼応し、~な・どうか~てくれるな  連用形につく
  と[格助詞]  [引用]~と(~と言ってなどの意)  文の言い切り
 いもはいへど[妹雖云]
  いへ[言ふ]  [他ハ四・已然形]言葉で表現する・話す・言う
  [接続助詞]  [逆接の確定条件]~けれども・~のに・~だが  已然形につく
 こふるあひだに[戀間]
  こふる[恋ふ]  [他ハ上二・連体形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する
  あひだ  時間的にある範囲内・あいだ 
  に[格助詞]  [位置](時間を表す)~に  体言につく
 としはへにつつ[年經乍]
  へ[経(ふ)]  [自ハ下二・連用形]時が経つ・年月が過ぎる・経験する
  [格助詞]  [強調]~に  連用形につく
  つつ[接続助詞]  [余情](反復・継続の意で文末の場合)~ことだ  連用形につく
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 【1899】語義 意味・活用・接続 
 はるされば[春去]
  はるされば[春されば]  春になると・春がくると
 まづさきくさの[先三枝]
  まづ[副詞]  初めに・先に・ともかくも・なにはともあれ
  さきくさ[三枝]  植物の名・枝や茎が三つに分かれるという
   山ゆり・みつまた・じんちょうげなど諸説がある〔「さき」は、「咲き」との掛詞〕
  の[格助詞]  [枕詞・序詞の終り]~のように 〔この句までが次の「幸」を起す序〕
 さきくあらば[幸命在]
  さきく[幸く]  [副詞]無事に・しあわせに・かわりなく
  あら[有り]  [自ラ変・未然形]無事でいる・過ごす・経る・暮らす
  [接続助詞]  [順接の仮定条件]~するなら・~だったら  未然形につく
 のちにもあはむ[後相]同上〔2858〕既出 「も」と「にも」の訓の違いはあるが、原文は同じ
 なこひそわぎも[莫戀吾妹]
  なこひそ  同上〔2858〕原文「莫恋]
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【注記】 
のちもあはむ
この初句の旧訓は、「のちにあはむ」
現在の一般的な「訓」として、「のちもあはむ」とあるのは
『万葉代匠記』契沖の、「精撰本」(元禄三年・1690年)によるもの
天保十三年(1842年)成の、鹿持雅澄『万葉集古義』は、旧訓「のちにあはむ」とする
どうして、契沖の訓を外したか、また調べてみたい
 
な・そ 
強い禁止の終助詞「な」と違い、副詞「な」は、
「な」を単独で用いる場合も、終助詞「そ」を伴う場合も、
その動作を「禁止」する終助詞「な」よりも穏やかな表現となる
その中でも、終助詞「そ」を伴う場合は、「な」の単独の場合に比べて
さらに穏やかで、願望をこめた禁止の意
上代には、単独での「な」だけが多く用いられた
終助詞「そ」を伴う用方は、中古末期以降「な」が省略され、
「な~そ」についてはこの形で、一つの終助詞とする説もある
 
 
「ど」、「ども」は、ほぼ同じ意味に用いられる
ただし、平安時代では女性の書いた文章に、「ども」に比して、
「ど」が圧倒的に多く使われる
ところが、鎌倉時代に入ると、むしろ「ども」が一般的に使われるようになり、
「ど」が減少する
 
 
格助詞「に」には、種々の意味もあり、
その接続する語も、体言・活用語の「連体形」につくが
「目的」と「強調」の場合は、動詞の「連用形」につく
 
つつ 
上代に多く用いられたが、中古以降は、次第に「ながら」にとって代わられた
反復「~し、また~して・~ては~して」、継続「~しつづけて」の意味が基本で
他の「並行・~とともに」「複数の反復・それぞれ~(して)」、「単純接続・~て」、
「逆接・~ながらも」「余情・~ことだ」は、そこから派生したと考えられている
「反復」と「継続」の違いは、上にくる語による
「取る」のように瞬間的な動作を表す語の場合は「反復」に、
「思ふ」のように状態を表す語の場合は、「継続」になる

この歌の場合は、和歌の文末に用いられた場合で、「余情」をこめる
 
はるされば 
自動詞ラ行四段「去(さ)る」の意味は、
一般的に、その原義が「進行する・移動する」ことで
この場を基点として移動する意で用いるが
季節や時を表す語に付いて、それまで存在していた場を基点として移動する、
それは、「この場」から見ると
それまでの「場」から、「この場」に「近づ」いたり、「来たり」することになる
そうした意でも、用いられていた
 
 
接続助詞「ば」と「と・とも・ど・ども」の活用語の接続の違いによる意味の分類

  順 接  逆 接 
 仮定条件  未然形+ば
 (~なら・~だったら)
 終止形(連用形)+と・とも (~ても)
 確定・恒常条件  已然形+ば
 (~ので・~すると・~といつも)
 已然形+ど・ども
 (~のに・~てもやはり)

 






 「夢の幕は...」...いめにだに...
 「あふとみえこそ、まなくみえきみ」

【歌意】2861
 
目覚めているときには、じかに逢うこともできません
せめて夢の中だけでも「逢うこと」が叶ってほしい
わたしが、こんなにも「恋」しているのですから...
 
【歌意】2549
 
現実のこととして、あなたに逢う方法もありません
ですから、せめて夢だけなりとも、
絶え間なくあなたにお逢いさせてほしい...夢に現れて...
そうでなければ、恋しさのあまり
きっと、わたしは死んでしまうことでしょう


この二首、歌順は逆だが、〔2861〕歌が柿本人麻呂歌集出で
その古さも、略体歌で伺われる
そこで、このように並べて見ると
一首目の歌で、現状を訴える...今の私の気持ちは、こうなんですよ、と
そして、二首目で、手の尽くしようもなく、何とかして欲しい
夢にでも、「現れてきて」...そうでないと、死んでしまいそうだ、という
類想歌として、並べられる歌だが、その「想い」の深さは
あまりにも激しい

そもそも、この二首が同じ作者ではないので、ましてや
一首目を頭において、詠んだものなのかどうかも、私には分からない
しかし、「古歌」を目にして、そこに自分の「想い」を深める手段は、理解できる
それが、この二首だと、ピタッと収まっているように思える
二首目の〔2549〕歌が、女歌であることは解るが、
〔2861〕歌が、どちらなのか、解らなかった
しかし、実際には違っているにしても、この二首をペアにしたとき
「女性の想いの繋がり」が、より立体的に感じられてくる
そう、まさに「歌」という二次元の「文字の世界」から
「歌」が脹らみ、詠じる作者が、目の前にいるような感じさえしてくる
そこまで発展してくると、何故「じかに逢うこと」が出来ないのだろう、と思ってしまう
どちらかに、逢えない事情があるのか、それとも双方がそうなのか...

そんな詮索をしながら、女性の「哀しみ」の歌を...口ずさんでみた

同じ夢の中での「逢瀬」を詠ったものでも
まったく違う情景が浮ぶものもある
次の二首は、「逢えない二人」ではない
だから、夢にだけでも、という「必死な想い」はない
どこか、初々しい気持ちを感じさせる
既出だが、比べてみれば、また「夢」に抱く感情を膨らませることができる



 正述心緒  [既掲:2013年7月27日
  夢のみに見てすらここだ恋ふる我はうつつに見てばましていかにあらむ
     巻第十一 2558 正述心緒 作者不詳 
 
 正述心緒  [既掲:2013年4月2日 
  相見ては面隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも
 巻第十一 2559 正述心緒 作者不詳 








掲載日:2013.09.04.


 正述心緒
  現 直不相 夢谷 相見与 我戀國
   うつつには直には逢はず夢にだに逢ふと見えこそ我が恋ふらくに
  うつつには ただにはあはず いめにだに あふとみえこそ あがこふらくに
 (右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2861 正述心緒 柿本人麻呂歌集出 
 
 正述心緒
  寤者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死
   うつつには逢ふよしもなし夢にだに間なく見え君恋ひに死ぬべし
  うつつには あふよしもなし いめにだに まなくみえきみ こひにしぬべし
語義・歌意】  巻第十一 2549 正述心緒 作者不詳 


 【2861】語義 意味・活用・接続 
 うつつには[現]
  うつつ[現]  (死に対して)生きている状態・(夢に対して)目が覚めているさま・現実
  には  ~には・~だから  種々の語につく
  [成立]格助詞「に」+係助詞「は」、格助詞「に」によって種々の意を表す 
 ただにはあはず[直不相]
  ただ[直]  [形動ナリ活用]直接であるさま・じか
   [副詞]直接・まっすぐ・じかに・すぐに・じきに・あたかも・まさしく
  には[同上]  ~には・~では  種々の語につく
 いめにだに[夢谷]
  いめ[夢]  [寝(い)目の意か]ゆめ
  だに[副助詞]  [強調]せめて~だけでも・~だけなりと 
   〔接続〕体言・活用語・副詞・助詞に付く・複合語の間に用いられることもある
 あふとみえこそ[相見与]
  あふ[逢ふ]  [自ハ四・終止形]出逢う・対面する・男女が契る・結婚する
  と[格助詞]  [比喩]~として・~のように・~と同じに 
    〔接続〕体言・体言に準ずる語につく
  み[見る]  [他マ上一・連用形]目にする・理解する・夫婦となる
  え[得(う)]  [補助動詞ア下二・連用形](動詞の連用形の下について)~することが出来る
  こそ[終助詞]  [希望]~てほしい・~てくれ  連用形につく
 あがこふらくに[我戀國]
  こふ[恋ふ]  [他ハ上二・終止形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する
  らく[接尾語]  [上代語]上接の語を名詞化する働きがある  終止形につく
  に[間投助詞]  [感動・強調]~のであるよ・~になあ 
   〔接続〕体言及び体言に準ずる語、副助詞「さへ」などにつく
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 【2549】語義 意味・活用・接続 
 うつつには[寤者] 上既出〔2861〕歌
 あふよしもなし[相縁毛無]
  よし[由]  物事のいわれ・理由・手段・方法・趣・風流・話のおおむね・素振り
  も[係助詞]  [強調](下に打消の語を伴って)強める
   〔接続〕名詞・助詞・用言や助動詞の連体形と連用形など、種々の語につく
  なし[無し]  [形ク・終止形]ない
 いめにだに[夢谷] 上既出〔2861〕歌
 まなくみえきみ[間無見君]
  まなく[間無し]  [形ク・連用形]隙間がない・絶え間がない・暇がない
  みえ[見ゆ]  [自ヤ下二・命令形]目に映る・見せる・見える・逢う・見かける
 こひにしぬべし[戀尓可死]
  べし[助動詞・べし]  [推量・終止形]~(し)そうだ・~にちがいない  終止形につく
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【注記】 
うつつ
現実に存在するさまをいう形容詞「現(うつ)し」の語幹を重ねた「うつうつ」の略、
原義は現実に存在すること
四種の意がある
①(死に対して)生きている状態
②(夢に対して)目が覚めている状態・現実
③(意識の確かでない状態に対して)気の確かな状態・正気
④(「夢うつつ」と続けて用いることから、誤って)夢心地・夢か現実か分からない状態
 
ただにはあはず[直不相] 
原文の「直不相」は、〔2970〕歌の「或本歌の第二句」に記されている、
「直者不相」を「ただにはあはず」と訓じていることから
柿本人麻呂歌集中の「略体歌」の訓を類推する、いい例だと思う

人見而 言害目不為 夢谷 不止見与 我戀将息
 或本歌頭云 人目多 直者不相 「ひとめおほみ、ただにはあはず、、、」
巻第十二 2970(或本歌) 正述心緒 作者不詳 
 
ただ 
副詞として、「ただ」の他、「ただに」もある
この「ただに」は、形容動詞「ただなり」の連用形「ただに」から派生したもの
語義は、「まっすぐに」「直接に」「ずばりと」などの意
 
だに 
奈良時代には「強調」の用法だけで、まだ起っていない未来の事柄に対して用いられた
平安時代以降になって、「類推」用法で「~だって・~のようなものでさえ」が用いられ、
「すら」とほぼ同じ意味に使われている
さらに「添加」として「~までも」の意が加わるが、
「さへ」が広く使われるようになったために、逆に「だに」が「さへ」の意味で使われた
 
みえ 
この「みえ」で、随分悩んでしまった
多くの解説書では、「みえ」が自動詞ヤ行下二段「見ゆ」の「命令形」としてある
しかし、どんなに辞書や他の書を引っ繰り返しても、「見ゆ」の命令形は「見えよ」だ
ここの句が「
まなくみえよきみ」であるなら、何も苦労はなかった
自動詞だから、相手に命令する場合「見せよ」で理解できるが
その文語体が「見えよ」でなく「見よ」であるのは...単に省略しただけなのだろうか
それとも、慣用的に、こうしたケースも多々ある、と思った方がいいのだろうか
「和歌」には、確かに口語と違って、語の略されたものが多い
それは、限られた文字数の中で、「韻」を考えなければならないからだ
そんなケースなのかな、これは
「みえ」の活用は、間違いなく「見ゆ」で「見る」ではない
「みえ」が有り得るとすれば、最初の歌〔2861〕の「見得」のようになるが
それでは、「君」に続かない
「得」は連用形で、体言の「君」には続かない

また調べものが増えた
ちなみに、『万葉集古義』でも「みえ」になっているが
その説明を読んでみたいものだ
 






 「紐を解く」...どんなに待とうとも...
 「こふるひぞおほき」

【歌意】2862
 
周りの人に、わたしの気持ちが気づかれないように
人目につき易い上紐は結んで
目に付くこともない下紐は、解いておこう
本当にそんな恋する日が、多いことだ
 

当時の俗信であるのだろう、万葉集にはこのような歌が多くある

結ばないと、恋していることを周囲に知られてしまう
だから、目につく「面」の紐は、きちんと結ぶ
しかし、心の中では、恋しているのだから
何とか、この俗信にあやかりたい

「紐を解くのは、恋人を招く呪」
「紐が解けるのは、恋人が来る兆し」とあった

その通りに考えるのなら、この歌は「自ら解く」のであり、
恋人を招き来させよう、と...だから「恋ふる日が多い」ということだ

となると、この歌のポイントは、「解く」ではないか
「紐を解く」のか、「紐が解ける」のか...


「とき」の活用は、他動詞四段の連用形
他動詞「解く」は、
結び目などをほどく、とある
だから、「恋人を招く呪」の歌であり、そんな日々を送っている


自動詞「解く」は、結び目などがほどける、の意で
それだと、偶然紐が解けたので、今日は恋人に逢えるかな、と期待してしまう
紐が解けない限りは、「恋人を待つ日々」ではない
そして、何よりも、この自動詞は下二段活用で
接続助詞「て」に続く「連用形」だと、「とけ」になる
そうすると、第四句は「したひもとけて」の訓になるはずだ

だから、確実に「他動詞」の「自ら解くこと」となる


もっとも、原文「裏紐開」の「開」が、「ときて」、あるいは「とけて」の
どちらかなのかは、この部分だけでは判断できないと思う
すると、歌の全体の歌意を眺める必要がある


「人目に付くところは結ぶ」
その対語となれば、「人目に付かないところ」は、「結ばない」だ
「ほどける」のではなく、「自らほどいている」

そして、自ら作り出した「恋する日々」が続くこと...苦しいことだろう


「人所見」と「人不見」...漢語表現だ
表結」と「裏紐開」...
語調を無視すれば、「
表紐結」と「裏紐開」なのだろうが...


掲載日:2013.09.05.


 寄物陳思
  人所見 表結 人不見 裏紐開 戀日太
   人の見る上は結びて人の見ぬ下紐解きて恋ふる日ぞ多き
  ひとのみる うへはむすびて ひとのみぬ したひもときて こふるひぞおほき
 (右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2862 寄物陳思 柿本人麻呂歌集出 



 【2862】語義 意味・活用・接続 
 ひとのみる[人所見
  ひと[人]  世間の人・世の人・自分以外の人・人間
  の[格助詞]  [主語]~が 
  みる[見る]  [他マ上一・連体形]目にとめる・目にする・わかる
 うへはむすびて[表結]
  て[接続助詞]  [並立]~て  連用形につく
 ひとのみぬ[人不見]
  ぬ[助動詞・ず]  [打消・連体形]~ない  未然形につく
 したひもときて[裏紐開]
  とき[解く]  [他カ四・連用形]結び目を解く
  て[接続助詞]  [単純接続]~て・そして  連用形につく
 こふるひぞおほき[戀日太]
  ぞ[係助詞]  [強意・強調]文中にあって、上の語句を取り立てて強調する
   ~(が)実に・~(は)本当に[「係り結び」として、結びの活用語は連体形になる]
  おほし[多し]  [形ク・連体形]多い [係助詞「ぞ」の結びで、連体形
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【注記】 
人所見
この訓は、多くの注釈書でも、あまり統一されていない
まともに読めば、と岩波の大系ではいう、「ひとにみゆる」と
しかし、その大系でも実際の訓では「ひとのみる」とする
その方が、字余りを避けて「五音」を維持できるから、と説明してある
もっとも、その「説」は、沢潟久孝著「万葉集註釈」(昭和37年成)によるもとしている
中西進「全訳注」では「ひとにみゆる」を採り、
鹿持雅澄『万葉集古義』は、「ひとみれば」、とする
 
係助詞「ぞ」 
①「ぞ」の由来
係助詞「ぞ」は、古くは清音「そ」であったと認められ
指示代名詞の「そ」(もしくは「し」)に由来するものと考えられる
したがって、「そ」は、ある事柄を指定して、
相手に提示するという機能を、本来有している
上代では「そ」から「ぞ」への変化を反映して混用されているが
「誰(た)そ」の場合は、「黄昏(たそがれ)」の語源である「誰そ彼」のように
もっぱら清音で読まれた
②「ぞ」の連体形の結び
係助詞「ぞ」は、係り結びにより、結びの活用語が連体形となる
古くは、指定の意を表して「降りたる+雪ぞ」のように用いられていたものが
倒置表現で「雪ぞ+降りたる」となることで、
「~ぞ+連体形」という係り結びの法則が成立したと考えられる
 
 







 「まことこよひは」...夜なんぞ、明けてくれるな...
 「命がけの逢瀬」

【歌意】2870
 
飛鳥川の、水嵩が増して深くなっているのに
うまくお避けになって、やっといらっしゃったあなたですもの
ほんとうに今夜は、このまま夜も明けずにいてほしいものです
 

どんな苦労も危険も厭わないでやって来た、愛しい人だから
いっそう「愛しさ」がこみ上げてきて、
このまま朝に帰させたくない
ずーっと「夜のまま」でいてほしい
そんな女性の切実な「想い」が胸を打つ

万葉時代の夜の渡河は、随分危険だと思う
いくら月明かりがあったとしても
「川の深み」までは分からない
大袈裟に言えば、「命を顧みずに」やって来てくれた「想い人」なのだろう

この歌...「女歌」でありながら
「男の覚悟」を教えてくれる歌だと思う




 
掲載日:2013.09.06.


 寄物陳思
  飛鳥川 高川避紫 越来 信今夜 不明行哉
   明日香川高川避かし越え来しをまこと今夜は明けずも行かぬか
  あすかがは たかがはよかし こえこしを まことこよひは あけずもいかぬか
 (右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2870 寄物陳思 柿本人麻呂歌集出 



 【2870】語義 意味・活用・接続 
 たかがはよかし[高川避紫
  たかかは[高川]  水量の高くなった川で、深い川
  よか[避(よ)く]  [他カ四・未然形]よける・さける[他の活用として、上二段・下二段] 
   [参考]上代では上二段、中古では上二段と四段、中世以降は下二段活用が用いられた
  し[助動詞・す]  [尊敬・連用形](軽い尊敬、親愛の意を表す)お~になる・~られる
   〔接続〕未然形につく
 こえこしを[越来]
  こえこ[越え来(く)]  自カ変・未然形]越えて来る
  し[助動詞・き]  [過去・完了・存続・連体形]~た・~ていた・~ている・~てある
   〔接続〕一般的には、活用語の連用形につくが、カ変・サ変では、未然形にもつく
  を[接続助詞]   [順接](軽い気持ち)~ので・~だから  連体形につく
 まことこよひは[信今夜]
  まこと[真・実・誠]  [副詞]本当に・じっさい 
 あけずもいかぬか[不明行哉]
  あけ[明く]  [自カ下二・未然形]夜が明ける・明るくなる・年月日などが改まる
  ず[助動詞・ず]  [打消・連用形]~ない  未然形につく
  も[係助詞]  [強調](下に打消の語を伴って)強める  連用形につく
  いか[行く・往く]  [自カ四・未然形]時が過ぎる 
  ぬ[助動詞・ず]  [打消・連体形]~ない  未然形につく
  か[終助詞]  [詠嘆・感動]~だなあ  連体形につく
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【注記】 
高川避紫
この第二句と第三句「高川避紫越来」は、一般的な底本「西本願寺本」の原文だが
岩波の「新日本古典大系」では、それが近代における「誤字説」を採って、
「高」を「奈」、「避紫」を「紫避」とし「奈川紫避越」・「来」とし、その訓は
「なづさひわたる」・「こしものを」としている
原文の誤字説というのは、私の感覚では、よほどの明確な裏付けがないと
なかなか「受け付け難い」ものだが...
この歌は、仙覚以前の写本には訓がないらしい
ということは、踏み台になる「訓」がなく、後の研究も大変だったことだろう
それにしても、「奈川紫避越」・「来」は、誤字・倒置、
「来」にいたっては、この一字で、「こしものを」などと...
私の好きな『万葉集古義』は、この点では、原文に沿っているが...
結句の「不明行哉」を、「あけずやらめや」としている
やはり、何も手掛かりのない「歌」というのは...その訓をつけるのが、いかに難しいことか...
 
行く 
この歌での用法は、動詞の連用形について、
「ずーっと~する」「しだいに~する」の用法だと思う
ここでは、「夜が明けないでいる」(打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」)
 
 







 「なををしみ」...不変の想い...
 「巌の松に」

【歌意】2872
 
磯のほとりの岩場に、しっかりと生えている松のように
その「名が惜しい」ので、
誰にも知られずに、慕い続けていたいのです
 
或本歌【歌意】2873
 
岩の辺りに立っている松のように
その名を惜しみ、人には言わずに
慕い続けていたいのです
 


この歌(或本歌も含め)で、悩んだのは、
二句までの語句が、どうして「名」を起こす「序詞」なのだろう、と

岩波の大系では、その根拠が明らかではない、としているし
中西進「全訳注」では、「根(ネ)」の音が、ナ行の「名(ナ)」と類似しているから、という
「大系」はともかく、確かな「序詞」としての説明は知らない

それでは、「序詞」とする「最初の解釈」は、どこにあるのだろう
また明日香で調べなければならなくなった

しかし、そんな不満を抱きながらも、
この二首を、声に出して読んでいると
「松」という響きに、「おっ!」と感じるものがあった

早速、古語辞典で「松」を引いてみる
旺文社の「新訂版」(1980年)と、同じく旺文社の「全訳古語辞典第三版」(2003年)では
単に「松」そのものの説明しか載っていなかったが、
三省堂・「例解古語辞典第二版」(1988年)、角川書店・「全訳古語辞典」(2002年)
さらに、旺文社・「古語辞典第九版」(2004年)には、
紅葉しないことと、樹齢が長いことから、「長寿・不変・貞操」を表するものとされ
和歌においては、同音から「待つ」とかけて用いられることが多い、とあった

古語辞典とは別に、「万葉集事典」の「植物」の項で「松」を引いても
やはり同じ内容が書かれていた

ならば、私が思いついたことは、決してオリジナルではなく
この歌は、本来「松=待つ」が底流にあり
磯や岩場に、しっかりと立って、何事にも動じない「松」
その「名」を「しのびつつ」、私は「待つ」ということ
そこから、「名」に繋がる「序詞」になると解釈するのだろう

と、そこまでの説明があれば、「序詞」と言われても悩むことはなかった
あるいは、そんな説明不要で、この「序詞」は容易に解るものではないか、ということか

ならば、先に挙げた不可解な註釈など要らなかったはずだ
まだ確立した「註釈」が、この歌にはない、ということなのだろうか
これまでの注釈書の研究成果を踏まえているはずの
比較的新しい「大系」でさえ、『なぜ「名」に掛かるか明らかでない』としているのだから...


本歌と或歌、「名が惜しい」ので、人に知られずに慕っていたい
「名が惜しい」ので、人には...誰にも言わずに慕い続けていたい


「松」と「待つ」のつながりは、ある程度理解できるが
本来の、なぜ「名が惜しい」のか...それが、解らない

たぶん、自分の気持ちが「揺らぐ」こともあった
あまりにも長く「待った」せいで、恋し続けたせいで、不安にもなった
しかし、何事にも動じない「松」...
その「名」が、同音なので、その「呼称」の「松」のように、振舞うべきだった
人には知られず、自分も話さない
ただただ、「まちつづけよう」...
険しい磯の巌に根を張り、毅然と立つ「松」のように...

私は...そんな歌だ、と感じたい


ちなみに、この二首
「旧国歌大観歌番号」では、〔2872〕が『2861』、
〔2873〕は、「或本歌」で左注にあることから、当然の事ながら「旧」の番号はない
そして、「新国歌大観歌番号」で、初めて歌番号が付けられ〔2873〕となる



掲載日:2013.09.07.


 寄物陳思
  礒上 生小松 名惜 人不知 戀渡鴨
   礒の上に生ふる小松の名を惜しみ人に知らえず恋ひわたるかも
  いそのうへに おふるこまつの なををしみ ひとにしらえず こひわたるかも
 【語義・歌意】  巻第十二 2872 寄物陳思 柿本人麻呂歌集出 
 
  (寄物陳思) 或本歌曰
  巌上尓 立小松 名惜 人尓者不云 戀渡鴨
   岩の上に立てる小松の名を惜しみ人には言はず恋ひわたるかも
  いはのうへに たてるこまつの なををしみ ひとにはいはず こひわたるかも
  (右廿三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
  【語義・歌意】  巻第十二 2873 寄物陳思 柿本人麻呂歌集出 



 【2872】語義 意味・活用・接続 
 いそのうへに[礒上]
  いそ[磯]  海・湖などの波打ち際の岩石の多い所
  うへ[上]  あたり・ほとり・付近・上位・上部
  に[格助詞]  [位置]~に・~で  体言につく
 おふるこまつの[生小松]
  おふる[生(お)ふ]  [自ハ上二・連体形]生ずる・はえる・生長する
  こまつ[小松]  小さな松
  の[格助詞]  [枕詞・序詞の終り]~のように (ここまで、次の「名」を起こす序)
 なををしみ[名惜] 間投序詞「を」+接尾語「み」の用法[~を~み]~が~ので
  をし[惜し]  [形シク]失うにしのびない・惜しい 
 ひとにしらえず[人不知]
  ひと[人]  世間の人・世の人・自分以外の人
  に[格助詞]  [相手]~に  体言につく
  しら[知る]  [他ラ四・未然形]知る・わかる 
  え[助動詞・ゆ]  [受身・未然形]~れる  未然形につく
  ず[助動詞・ず]  [打消・連用形]~ない  未然形につく
 こひわたるかも[戀渡鴨]
  こひわたる[恋ひ渡る]  [自ラ四・連体形]恋慕いつづける
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動]~であることよ  連体形につく
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 【2873】語義 意味・活用・接続 
 いはのうへに[巌上尓]
  いは[岩・巌・石・磐]  石の大きなもの・岩石
  うへに[上に]  上、既出〔2872〕歌
   [参考]上代では上二段、中古では上二段と四段、中世以降は下二段活用が用いられた
  し[助動詞・す]  [尊敬・連用形](軽い尊敬、親愛の意を表す)お~になる・~られる
   〔接続〕未然形につく
 たてるこまつの[立小松]
  たて[立つ]  [自タ四・已然形](植物が)生える・生きている
  る[助動詞・り]  [完了・連体形]~ている・~てある  已然形につく
  こまつの[小松の]   上、既出〔2872〕歌 
 なををしみ[名惜]上、既出〔2872〕歌
 ひとにはいはず[人尓者不云]
  ひと[人]  上、既出〔2872〕歌、ただし伊藤博校注では、身近な親族か、という
  には  [格助詞「に」+係助詞「は」]~には  体言につく
  いは[言ふ]  [他ハ四・未然形]話す・言葉で表現する 
  ず[助動詞・ず]  [打消・連用形]~ない  未然形につく
 こひわたるかも[戀渡鴨]上、既出〔2872〕歌
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【注記】 
いそ
「いそ」と「はま」の違い (旺文社全訳古語辞典第三版)
荒磯の語もあるように、浪打ち際の岩石の多い所が「いそ」であり、
砂浜の語もあるように、海や湖に沿った陸の平地が「はま」である
「浜の真砂」は浜にある砂で、数の多いものの比喩として用いられた
 
~を~み 
間投助詞「を」と接尾語「み」で、原因・理由を表す
「み」は形容詞及び形容詞型の助動詞の語幹に付いて、多くは「(名詞)を~み」の形になる
ただし、
「シク活用」の場合は、「終止形」に付く

ここでは、
「惜(を)し」(形容詞シク活用)の終止形「をし・み」
 
 









 「夜更けの哀しみ」...なげきつる...
 「想ひ人、待ちながら」

【歌意】2876
 
愛しいあの人を、今来るのか、まだ来ないのか...
そうやって、今か今かと待っているうちに
夜がすっかり更けてしまった
ああ、何とつれないことか...
 

「夜更け鶏(よふけどり)」と言うのがあって、
それは丑の刻(午前二時ころ)に鳴く一番鶏(いちばんどり)とあった
それから推測すると、夜更けとは、まさに真夜中

「想い人」の訪れを、今か今かと待ち侘びて
結局深夜になってしまった...
夕方から待ち続け、夜中になってしまうと
もう「朝」はそこまで来ている
待つことしか出来なかったこの時代の女性にとって
夜の訪れは待ち遠しいことでも、夜が更けることの、それだけ別れが近づく
もっとも、恨めしい時間帯なのだろう

嘆き過ごす、明け方までの辛さを思うと
夜が永遠に明けずにいて欲しい、と願う気持ち...つい叶えてやりたくなる

旺文社の古語辞典に、こんな解説があった
「あかつき」と「あけぼの」

ゆふべ  よひ  よなか  あかつき  (しののめ) あけぼの (あさぼらけ) あした 
夕方  夜   (未明)   明け方  

上代にも、「あさ」に始まり、「ゆふ」に終る「ひる」の生活があるが、
一方に、作品によく描かれる「ゆうべ」に始まり、「あした」に終る「よる」の生活があった
男は、まだ夜の明け切らぬ「あかとき(中古以降「あかつき」)の内に、女の家を出る
夜が、ほのぼのと明ける「あけぼの」になると、人目につくからである
中古に下ると、別れのときの「あけぼの」をさらに微細に表現するようになり、
「あかつき」に近いころを「しののめ」、「あした」に近いころを、「あさぼらけ」といった、
と推定される

「あした(朝)」の前に、これだけの「生活の営む時間」があったこと
何だか新鮮な感じがする

女性が待ち続けて、夜更けになってしまった、と嘆くのは
普通なら、もう男が女性の家を出なければならない「あかつき」が近いからだ

現代の感覚では、なかなか理解できない習慣だが
こうした古代の習慣を、伝える「役目」と言うのは
公的な記録文書では、浅いものになってしまうだろう
『万葉集』という歌集ならではの所産だと思う


掲載日:2013.09.08.


 正述心緒
  吾背子乎 且今々々跡 待居尓 夜更深去者 嘆鶴鴨
   我が背子を今か今かと待ち居るに夜の更けゆけば嘆きつるかも
  わがせこを いまかいまかと まちをるに よのふけゆけば なげきつるかも
 【語義・歌意】  巻第十二 2876 正述心緒 作者不詳 



 【2876】語義 意味・活用・接続 
 いまかいまかと[且今々々跡]
  副詞「今今」で、待ち望む気持ちを表す・今か今か [且~且~]は漢文の並立語法
  と[格助詞]  [引用]~と (文の言い切りの形につく)
 まちをるに[待居尓]
  まち[待つ]  [他タ四・連用形]人や物事が来るのを待つ
  をる[居り]  [補助動詞ラ変・連体形](動詞の連用形の下について)
   動作・状態の存続を表す・~ている
  に[格助詞]  [状態・結果]~と・~に  連体形につく
 よのふけゆけば[夜更深去者]
  ふけ[更く]  [自カ下二・已然形]時がたつ・(夜が)更ける・年をとる・老いる
  ゆけ[行く・往く]  [自カ四・已然形]進み行く・時が過ぎ去る
  [接続助詞]  [順接の確定条件・原因・理由]~ので・~だから  已然形につく
 なげきつるかも[嘆鶴鴨]
  なげき[嘆く]  [自カ四・連用形]嘆息する・ため息をつく・悲しむ・悲しんで泣く
  つる[助動詞・つ]  [完了・連体形]~てしまった・~てしまう  連用形につく
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動]~であることよ   連体形につく
 掲題歌トップへ 


【注記】 
いまかいまか
この訓、「いまかいまか」となるのは、その意からのものではないだろうか
万葉集中の表記で「且今且今」を「いまかいまか」と訓じている歌は幾つかある
語法としては、漢文の並立語法
「且つ」の意味が、二つの事柄が連続して行われることを表し、
「且つ~且つ~」で、二つの事柄が同時に進行していることを表している
「一方では~し、他方では~する」
そして、この歌のように、同じ事柄を重ねて「進行させる」表現にもなっているので
「今こそ」と待ち望む気持ちを、言うのだろう
それが「いまかいまか」と「訓」じられたものと思う
 
 
掲載日:2013年9月3日参照
 







 「ゆたなり」...知りをれば...
 「初めての逢瀬かな」

【歌意】2879
 
別れた後が、こんなにも、恋しいものだと分かっていたなら
あの、逢ったときの夜は、
もっと寛いでいただろうに...いそいで帰ってしまった
まさか、こんなにも恋しく思うなどと...
 

若者の、初めての逢瀬なのだろうか...
それとも、これまでも通っていたのに
何故か、急に別れた直後に、愛おしくなってしまったのだろうか...

「恋」は、逢っているときは、何ともないが...、という歌があった
その通りだろう
万葉人も、同じように思っている...古来から変わらないものだ
離れていっそう、その「想い」の深さに、気づくことも多い
いや、むしろ、殆どの場合が、そうなのだと思う

「恋」は、何も「予測」できないからこそ
「ときめいたり」、「不安に苛まれたり」するものだ

今日、会社の帰りに古書店で、「歌論集」を手に入れた
これまで、そのような類は、古典も現代書でも、興味はなかったが
たまたま、積み重ねられた古書の一番上にそれがあったので
つい手にとり、頁を捲った

すると、自分でも意外なほど、面白いことに気づく
手にした「歌論集」は、平安時代後期の歌人・歌学者、源俊頼「俊頼髄脳」を最初に置き
江戸時代末期の、香川景樹「新学異見」までの八書に及ぶ
どれも、万葉集以降の「歌論」だが、それぞれの時代の「歌」の評価基準を知ることができ
すぐに、興味を持った

今後少しずつ紹介していきたい


 
掲載日:2013.09.09.


 正述心緒
  如是許 将戀物其跡 知者 其夜者由多尓 有益物乎
   かくばかり恋ひむものぞと知らませばその夜はゆたにあらましものを
  かくばかり こひむものぞと しらませば そのよはゆたに あらましものを
 【語義・歌意】  巻第十二 2879 正述心緒 作者不詳 



 【2876】語義 意味・活用・接続 
 かくばかり[如是許]
  かくばかり[斯くばかり]  これほどまでに・こんなにも
  [成立]副詞「斯く」と、副助詞「ばかり」
 こひむものぞと[将戀物其跡]
  こひ[恋ふ]  [他ハ上二・未然形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する
  む[助動詞・む]  [推量・連体形]~だろう  未然形につく
  ものぞ  助動詞「む」の下に付いて、強意を表す・~にちがいない
  〔接続〕  連体形につく
〔成立〕  形式名詞「もの」に、係助詞(終助詞的用法)「ぞ」
 しらませば[知者]
  ませ[助動詞・まし]  [推量・未然形](単独では)~たら(よかった)  未然形につく
   多く「ませば~まし・ましかば~まし」の形で用いられる 
 そのよはゆたに[其夜者由多尓]
  ゆたに[寛(ゆた)]  [形動ナリ・連用形]ゆったりしたさま・気分が寛ぐさま
 あらましものを[有益物乎]
  あらまし  ませば~まし]あっただろうに・いたであろうに
  ものを[終助詞]  [詠嘆]~のになあ・~のだがなあ  連体形につく
 掲題歌トップへ 


【注記】 
ませば~まし
反実仮想を表し、事実に反することや、実現しそうにないことを、
仮に想定し、その仮定の上に、立って推量、想像する意を表す
「もし~(た)なら、~(た)だろうに」
〔成立〕反実仮想の助動詞「まし」の未然形「ませ」+接続助詞「ば」、
それに、反実仮想の助動詞「まし」(終止形・連体形)
〔参考〕主として上代に用いられ、中古以降は多く、「ましかば~まし」が用いられた
 
ものを
「ものを」には、終助詞の他に、「接続助詞」がある
その場合でも、「逆接」と「順接」の両方の「確定条件」があり
それぞれ「~のに」、「~ので・~だから」となる
「逆接」の場合と、「終助詞」の場合は、その識別がつき難く
省略も倒置もない文章末に「ものを」がくれば、「終助詞」とするようだ
「逆接」の接続助詞は、「ものの」、「ものから」、「ものゆゑ」と、
意味・用法が似ているが、「を」が間投助詞であることから、
感動・詠嘆を表す場合が多く、そこから「終助詞」が生じている
 





 「おのがいのち、と」...つゆのいのち...
 「こひつつわたれ」

【歌意】2880
 
こんなに恋し続けているのは、
それでもいつかは逢えるだろうと、思うからです
だからこそ、この命も、長くありたいと願っているのです
 [「底本」は、この歌を落として別紙で挿入、とあった]
 
【歌意】3955
 
このように、恋に苦しみながら時を過ごすのも
何とか後にでも逢えるかと思うからこそ
こんな露のように儚く消え行く命でも
つなぎ止め、保ちつつ、生きながらえているのです
 

この二首、やはり類想歌として並べられるが...
確かに、「後」(その時間的な尺度は分からない)への期待を持ちつつ
今尚、生き、過ごしていることを詠っている

しかし、二首目の歌は、その期待も「叶わぬ夢」のように感じられ
作者本人も、そのことをうすうす感じていて
それでも尚、捨て切れない「想い」が感じられてならない

〔2880〕歌は、作者不詳歌だが
〔3955〕は、大伴家持に平群女郎が贈った十二首の中の一首
この十二首、これまで八首ほど掲載しているが、この〔3955〕で九首目となる

今、その七首への私の当時の受止め方を読み返してみたが
大伴家持との関係は、決して一方的ではなかったようだ
しかし、やがて家持の気持ちが、平群女郎から離れてゆく...
それが、彼女の歌から汲み取ることができる
十二首〔3953~3964〕に、その時の私は、確実にではないにしても
歌順が、一種の時系列のような配列であるかどうか
あまり考えないで、書いていた
しかし、この一首〔3955〕を読み、あらためて他の歌を読むと
笠女郎のときと同じように、「歌順」の配列は、
読むものを混乱させてしまう

この歌が、疎遠になってからだと思えば、配列は無視できるが
しかし、知り合って間もない頃の歌だとすれば...十二首の初期の歌だろうし...

どうしても、「笠女郎」とだぶってしまう
いっそのこと、同一人物であってくれたら、と思う
その可能性は...ないのかな

「笠」と「平群」では、当時のその身分に大きな違いがあるから、
無理かもしれないけど...

やはり、「笠女郎」のときと同じように
平群女郎も、真剣に並べてみなければならないだろう
それが、大伴家持を少しでも知る手掛かりにでもなれば...


これまでの、「平群女郎」の掲載歌、参考までに


 掲載日:2013.04.14.  3957
 掲載日:2013.05.08.  3953
 掲載日:2013.05.09.  3958・3959
 掲載日:2013.05.10.  3961・3962・3963・3964


掲載日:2013.09.10.


 正述心緒
  戀乍毛 後将相跡 思許増 己命乎 長欲為礼
   恋ひつつも後も逢はむと思へこそおのが命を長く欲りすれ
  こひつつも のちもあはむと おもへこそ おのがいのちを ながくほりすれ
 【語義・歌意】  巻第十二 2880 正述心緒 作者不詳 
 
 (平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
  阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼
   ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ
  ありさりて のちもあはむと おもへこそ つゆのいのちも つぎつつわたれ
   (右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
 【語義・歌意】  巻第十七 3955 贈歌 平群女郎 


 【2880】語義 意味・活用・接続 
 こひつつも[戀乍毛]
  つつ[接続助詞]  [反復・継続]~ては、~して・~し続けて  連用形につく
  も[係助詞]  ~ながらも  種々の語につく
 のちもあはむと[後将相跡]
  も[係助詞]  [仮定希望]せめて~だけでも  種々の語につく
  あは[逢ふ]  [自ハ四・未然形]出逢う・逢う 
  む[助動詞・む]  [推量・終止形]~だろう  未然形につく
  と[格助詞]  [引用]~と  〔接続〕体言・準体言につく 
  「~と言って・~と思って・~として」などの意で、後に続く動作などの原因を示す
 おもへこそ[思許増] [おもへばこそ]に同じ
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]思う・回想する・望む・願う・推量する
  (ば)[接続助詞]  [順接の確定条件](「已然形」+「ば」)~ので・~だから
  こそ[係助詞]  [強調]~こそ
   結句の「ほりすれ」の「すれ」(已然形)との「係り結び」
 おのがいのちを[己命乎]
  を[格助詞]  [対象]~を  体言につく
 ながくほりすれ[長欲為礼]
  ながく[長し・永し]  [形ク・連用形](時間的・空間的に)隔たりが大きいさま・長い
  ほり[欲(ほ)る]  [他ラ四・連用形]願い望む・欲しがる 
   すれ[為(す)]  [他サ変・已然形]ある動作を行う・ある行為をする
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 【3955】語義 意味・活用・接続 
 ありさりて[阿里佐利底]
  ありさり[ありさる]  [自ラ四・連用形]このまま時が経つ・生きながらえる
   (「あり」は継続して存在する意、「さる」は物事が移動・推移する意)
  て[接続助詞]  [逆接の確定条件]~のに・~ても・~けれども
 のちもあはむと[能知毛相牟等]上、既出〔2880〕
 おもへこそ[於母倍許曽]上、既出〔2880〕
  ただし、「こそ~已然形」の係り結びの「結び」は、結句「わたれ」(已然形)
 つゆのいのちも[都由能伊乃知母]
  つゆのいのち[露の命]  露のように儚く消えやすい命
  も[係助詞]  [言外暗示]~さえも・~でも  種々の語につく
 つぎつつわたれ[都藝都追和多礼]
  つぎ[継ぐ・続ぐ]  [他ガ四・連用形]継続する・つなぐ・保つ・跡を受ける
  つつ[接続助詞]  [反復・継続]~ては、~して・~し続けて  連用形につく
  わたれ[渡る]  [自ラ四・已然形]年月が過ぎる 
 掲題歌トップへ 


【注記】 
渡る
「渡る」の語義としては、
①海や川などを越えて行く
②過ぎる・通る・行く・来る・移る
③年月が過ぎる・年月を送る
④一方から他方につながる・またがる・岸から岸に架かる
⑤広く通じる・広い範囲に及ぶ
⑥「あり」の尊敬語、いらっしゃる・おいでになる
⑦(動詞の連用形の下について)ずっと~続ける・一面に

とあるが、その原義と言われるのは、「わたつみ」の「わた」で、
「①」が相当すると見られている
転じて、ある一定の空間・時間を越えて他に及ぶ「②」から「⑤」の意で、
広く用いられる
 





 「しなむよ...」...言いたくなってしまうだろう...
 「やすけくもなし」

【歌意】2881
 
今となっては、もう死ぬしかないのだよ
おまえに逢わないで、ずっと思い続けていては
心が安らぐことなど、あるものか
 
【歌意】2948
 
もうこれまでです
わたしは死んでしまうでしょう、あなた
こんなにも恋し続けているので、
昼も夜も...一日中、心安らかになることがありません
 
 

作者不詳の、いわゆる「伝誦歌」
こうした類の歌で、類想歌は多いが、
人称を変えて、作者の性別を変えることも珍しくない、という
男が、女歌を、女が男歌を...それは、現代でも同じだ
男心、女心...「歌」に語られる「心」は、「人称」を変えても
その本質は変わらない

男でも女でも、逢うこともなく、ずっと想い続けているのは
やはり、自らの命を磨り減らすような辛さがあるのだろう

「全集」の「注」によれば
ここで言う「死んでしまう」という語は、
想う相手に対する、反応を見るための「常套表現」だとある
いつも思うのだが、「慣用句」だとか「常套表現」だとか
その根拠となる「書」は、一体何だろう
何かに、そうした「言い伝え」があって、初めて知り得ることのはずだ
すべてを現代の感覚に照らす訳でもないし、それは無理なこと


そんな、ちょっとした疑問が、以前から燻っていたが
先日古書店で購入した「歌論集」
少しずつだが、読み始めている
すると、先ほどの「気になること」の手掛かりも、随分ありそうな感触がある
平安時代から鎌倉時代の「歌論書」を中心に、江戸末期までの「歌論集」だが
鎌倉時代では、藤原定家、江戸時代では、賀茂真淵など
現代に通じる「歌心」の「生みの親」のような人物の、「思想」が知られる

今まで、「歌論書」の類には無関心だったが
時代ごとの人たちの、とりわけ「歌人」と称される人たちの
「万葉」への取り組み方は、とても興味がある

そろそろ、柿本人麻呂の有名な一首...「ひむがしの...」
採り上げたくなってきた
賀茂真淵が訓じたものが、それ以前に幾つかあった「訓」を、葬ってしまった一首
ビッグネームの影響と言うのは...これもまた、今も昔も同じ、ということか


そう言えば、「歌論集」に「定家仮託偽書」というのがあった
これも、ビッグネームがゆえの、ことなのだろう

掲載日:2013.09.11.


 正述心緒
  今者吾者 将死与吾妹 不相而 念渡者 安毛無
   今は我は死なむよ我妹逢はずして思ひわたれば安けくもなし
  いまはあは しなむよわぎも あはずして おもひわたれば やすけくもなし
 【語義・歌意】  巻第十二 2881 正述心緒 作者不詳 
 
  今者吾者 指南与我兄 戀為者 一夜一日毛 安毛無
   今は我は死なむよ我が背恋すれば一夜一日も安けくもなし
  いまはあは しなむよわがせ こひすれば ひとよひとひも やすけくもなし
   【語義・歌意】  巻第十二 2948 正述心緒 作者不詳 

 【2881】語義 意味・活用・接続 
 いまはあは[今者吾者]
  いまは[今は]  (「今はもう限りだ」に意から)今となっては・もうこれまで
  [成立ち]名詞「今」+係助詞「ば」
 しなむよわぎも[将死与吾妹]
  しな[死ぬ]  [自ナ変・未然形]命を失う・息が絶える・死ぬ
  む[助動詞・む]  [推量・終止形]~だろう  未然形につく
  よ[間投助詞]  [強意]~よ  種々の語につく
  わぎも[吾妹・我妹]  [(わがいも)の転]男性から妻・恋人などの親しい女性をいう語
 あはずして[不相而] 
  して[接続助詞]  [単純接続]~(ない)で・~(なく)て  連用形につく
   [ずして]の形になる場合に、上記の意味になる (前の「あはず」に続く)
 おもひわたれば[念渡者]
  わたれ[渡る]  [自ラ四・已然形](動詞の連用形に付く形)ずーっと~続ける
  ば[接続助詞]  [順接の確定条件]~ので・~だから
 やすけくもなし[安毛無]
  やすけく[安けく]  心が安らかなこと・心が穏やかなこと
  [成立ち]形容詞「安し」のク語法
  も[係助詞]  [強意](下に打消の語を伴って)強める
 掲題歌トップへ 

 【2948】語義 意味・活用・接続 
 いまはあは[今者吾者] 上、既出〔2881〕
 しなむよわがせ[指南与我兄] 上、「しなむよ」既出〔2881〕
  わがせ[我が背]  女性から夫・恋人などの親しい男性をいう語
 こひすれば[戀為者]
  すれ[為す]  [他サ変・已然形]ある行為をする・ある動作をする
   ば[接続助詞]  [順接の確定条件]~ので・~だから・~すると・~したところ
 ひとよひとひも[一夜一日毛]
  ひとよ[一夜]  一晩・一晩中
  ひとひ[一日]  いちにち・一日中・終日
  も[係助詞]  [並立]~も (二つ以上のことをあわせ述べる)
 やすけくもなし[安毛無]上、既出〔2881〕
 掲題歌トップへ 

【注記】 
しなむよ
「相聞」で相手に「死なむ」と言った例は、多くある
必ずしも自殺の予告ではなく、相手の反応を見るためにいう常套表現、だとあった
 
渡る
「渡る」の語義としては、
①海や川などを越えて行く
②過ぎる・通る・行く・来る・移る
③年月が過ぎる・年月を送る
④一方から他方につながる・またがる・岸から岸に架かる
⑤広く通じる・広い範囲に及ぶ
⑥「あり」の尊敬語、いらっしゃる・おいでになる
⑦(動詞の連用形の下について)ずっと~続ける・一面に


とあるが、その原義と言われるのは、「わたつみ」の「わた」で、
「①」が相当すると見られている
転じて、ある一定の空間・時間を越えて他に及ぶ「②」から「⑤」の意で、
広く用いられる






 「しこる」...さらなる、言葉の出逢い...
 「古語は消えるのか」

【歌意】2882
 
あの人が、来るといってくれた夜も
もう過ぎてしまった
ああ、もうかまわない
今さら、間違っても来てくれるものか
 
訪れる、と約束した夜
しかし、男は...やって来ない
この後、この女性は、どんな思いで朝を迎えるのだろう
一睡もすることなく、男への恨みを抱えて、過ごすのだろう

今さら、間違っても来るものか...

そうは言いながらも、待ち続ける自分の姿を
この女性は、男に向ける恨みを、自分にも向けているのだろう

待つこと...「時の感覚」が、理屈通りに働かない「物理法則の綾」だ

今夜、「俊頼髄脳」の「序」を精読した
この書、「歌論書」としては、かなり初期のものだと思うが
それでも、随分とそれ以前の「和歌集」に言及している
万葉の時代から、300年を経て、一応歌論書らしきものも多くあった
ただ、それが現代にどれほど残されているのか...
こうしたものは、「伝え残こす」という意識がないと
確かに「残こし得る」ものではないだろう

この著者、源俊頼を、「全集」の筆者は断言している

 俊頼は歌人であるが、いわゆる無学であったことも事実であろう

と、その「解題」で書いてあるが
さて、ようやく「序」を終り、これから本論に入っていく
無学であっても、その時代の「歌人」の「思想」が語られているのだから
面白くないわけがない...と、思う
何しろ、柿本人麻呂が自ら自作の歌や、「歌論」を語れるわけではないのだから...

俊頼髄脳](本日は「序」まで)


掲載日:2013.09.12.


 正述心緒
  我背子之 将来跡語之 夜者過去 思咲八更々 思許理来目八面
   我が背子が来むと語りし夜は過ぎぬしゑやさらさらしこり来めやも
  わがせこが こむとかたりし よはすぎぬ しゑやさらさら しこりこめやも
 【語義・歌意】  巻第十二 2882 正述心緒 作者不詳 



 【2882】語義 意味・活用・接続 
 わがせこが[我背子之]
  せこ[兄子・背子・夫子]  女性から兄弟を呼ぶ語・妻が夫を、また女性が恋人を呼ぶ語
    (「せ」はもと女性が兄・弟・夫などを親しんで呼んだ語)
 こむとかたりし[将来跡語之]
  こ[来(く)]  [自カ変・未然形]来る・行く・通う
  む[助動詞・む]  [推量・意志・終止形]~だろう・~つもりだ  未然形につく
  と[接続助詞]  [引用]~と 〔接続〕体言・準体言につく
   人の言葉や思うことなどを直接受けて、引用を表す
   「言ふ・問ふ・聞く・思ふ・見ゆ・知る」などの動詞へ続けて、その内容を表す
  かたり[語る]  [他ラ四・連用形]話して聞かせる・言う・物語などを節を付けて読む
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]~た・~ていた  連用形につく
 よはすぎぬ[夜者過去] 
  すぎ[過ぐ]  [自ガ上二・連用形]時が過ぎる・経過する
  ぬ[助動詞・ぬ]  [完了・終止形]~た・~てしまう  連用形につく
 しゑやさらさら[思咲八更々]
  しゑや[感動詞]  ええい、ままよ (捨て鉢な気分から発する感動詞)
    断念や決意、または嘆息したりするときに発する語
  さらさら[更更]  [副詞]今更に・改めて・さらさらに・ますます
    (下に打消しの語を伴って)決して・まったく
 しこりこめやも[思許理来目八面]
  しこり[しこる]  [自ラ四・連用形](注)誤る・間違える、の意
  めやも[反語の意]  ~だろうか(いや、~でないなあ)  未然形につく
  [成立ち]推量の助動詞「む」の已然形「め」に反語の終助詞「やも」
 掲題歌トップへ 




【注記】 
しこり
この語、古語辞典でも載っていないものもある
旺文社・三省堂は載っていなかった
手許にないが、きっと「岩波」では載っているだろうけど
手元の辞書では、「角川書店・全訳古語辞典」にあった

語義未詳。間違える、やり損なうの意か。(用例で、この歌が載っている)
 
 







 「いめにみえきや」...こころしゆけば...
 「夢もうつつであれ」

【歌意】2886
 
わたしには、信頼できる使いもいません
ですから、わたしの「こころ」を使いにやったのです
あなたの夢に、わたしは見えましたでしょうか
 

この「想い」を、使者となって伝えに行ってくれる者がいない
うかつに、誰かに頼めば、すぐ噂も広まってしまうことだろう
だから、誰も介さず、自身の「こころ」を、
直接あなたに送った...その伝達は、夢でしか見ることもできず
また、あなたがわたしのことを「想って」いてくれたのなら
見られるでしょうが...どうなんですか、と訊ねている歌だ

「心し行けば夢に見えける」と、大伴家持も詠っている(巻第十七・4005、いづれ掲載)

この語句だけを考えてみると
「心が行く...通っているなら、夢に見えたというそうだ」とも読める
「助動詞・けり」は、「過去の助動詞」で、掲載歌〔2886〕の「過去の助動詞・き」と同じ

しかし、「けり」には、過去であっても
「人伝に聞き知った過去の事実を伝聞として述べる意」を持ち
「き」の方は、「今まで気づかなかった事実に、気がついて述べる意」を表している
この歌の「気持ち」からすると
「いめにみえきや」よりも、「いめにみえけり」の方が私には受け入れ易いが、
過去の経験を回想して用いる「き」が、この作者の
「見てくださいましたか」と問い訊ねる「自信」のようなものを感じさせ
これも、やはりいいなあ、と思ってしまう

掲載日:2013.09.13.


 正述心緒
  鎹(「金」を「忄」) 使乎無跡 情乎曽 使尓遣之 夢所見哉
   確かなる使をなみと心をぞ使に遣りし夢に見えきや
  たしかなる つかひをなみと こころをぞ つかひにやりし いめにみえきや
 【語義・歌意】  巻第十二 2886 正述心緒 作者不詳 



 【2886】語義 意味・活用・接続 
 たしかなる[鎹(「金」を「忄」) ]
  たしかなる[確かなり]  [形動ナリ・連体形]心が動かない・しっかりしている・信頼できる
 つかひをなみと[使乎無跡]
  つかひ[使ひ・遣ひ]  使いの者・使者・召使・そばめ
  [間投助詞]  「~を~み」~が~ので
  な[無み]  無い為に・ないので ~を~み]用法で、~が~ので
  と[接続助詞]  [引用]~と 〔接続〕体言・準体言につく
 こころを[情乎曽] 
  ぞ[係助詞]  [強調](目的語を強調する場合)~を 
  〔接続〕体言・連体形、種々の助詞につく 
 つかひにやりし[使尓遣之]
  に[格助詞]  [状態・資格]~として 〔接続〕体言、活用語の連体形につく
  やり[遣る]  [他ラ四・連用形]行かせる・送る・届ける
  [副助詞]   語調を整え、強意を表す
  〔接続〕体言または活用語の連体形・連用形、副詞・助詞などにつく
 いめにみえきや[夢所見哉]
  いめ[夢](上代語)  [「寝(い)目」の意か]ゆめ
  に[格助詞]  [位置](空間的・時間的)~に・~で
  みえ[見ゆ]  [自ヤ下二・連用形]見ることができる・見える・やって来る
  き[助動詞・き]  [過去・終止形]~た・~ていた  連用形につく
  や[係助詞]  [疑問]~か 
  〔接続〕種々の語につくが、「や」の文末用法では、終止形につく
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【注記】 
たしかなり
原文の[鎹(「金」を「忄」)]は、「慥(たしか)」と通用とあり
『万象名義』に「慥、タシカニ、タシカ」とある
 
中古以降は「~し~ば」という条件を表す句の中か、
係助詞「も」「
」「か」「こそ」を伴った形で用いられることが多い
副助詞ではなく、間投助詞とする説もある
 





 「ますらをなんぞ」...こころかたき...
 「男だからこそ、も」

【歌意】2887
 
この大空、この大地、
その神の宿る天地にこそ、力量は少し劣るものの
たいそう立派な「益荒猛男」だと思っていたわたしなのに
そんな雄々しいこころが、なくなってしまったのかなあ...恋などとは...
 
こんな歌を詠える「男」とは...
ある本に拠ると、「ますらを」というのは
「恋する男」の反対の意をもって、ときどき詠われるようだ
「ますらを」は、恋などという「やわ」なことなどしない
まさに「硬派」振りを詠うのだろうが
そんな「男」でも、この「恋心」を抱いてしまった

自分の弱さを、情けないと思って嘆いた歌なのか
それとも、ますらをだとて、恋もするさ、と開き直ったのか...

私は、後者であってほしい、と願っている
そもそも、よく相聞に詠われるように、命を削るほどの恋など
決して「弱い」からではない
覚悟がなければ、「恋」などするものか、という気概さえ感じる
確かに、その詠われる語句には、悲愴感のたっぷり染み込んだものが多いが
少なくとも、「覚悟」して「対峙」する「恋」ならば...
その悲愴感もまた、生半可な「想い」では済まないはずで
言葉とは裏腹に、立派な「ますらを」振りではないか

この歌に、その悲愴感こそ感じられないが
これは「恋」そのものへの「苦悩」ではなく
そんな「ますらを」なら、くそくらえ、だと言いたいかのように響く

「おもひしわれや」...これが「疑問」だと解釈したが
仮に「反語」であったら...
「こんな私は、ますらを、ではないのか...いや、そんなことはない」と訳そう

掲載日:2013.09.14.


 正述心緒
  天地尓 小不至 大夫跡 思之吾耶 雄心毛無寸
   天地に少し至らぬ大夫と思ひし我れや雄心もなき
  あめつちに すこしいたらぬ ますらをと おもひしわれや をごころもなき
 【語義・歌意】  巻第十二 2887 正述心緒 作者不詳 



 【2887】語義 意味・活用・接続 
 あめつちに[天地尓 ]
  あめつち[天地]  天と地・天の神と地の神
 すこしいたらぬ[小不至]
  すこし[少し]  いささか・わずか
  いたら[至る]  「自ラ四・未然形」到達する・行き届く・極る・極致に達する
  ぬ[助動詞・ず]  [打消・連体形]~ない  未然形につく
 ますらをと[大夫跡] 
  ますらを[益荒男・丈夫]  勇ましく強く立派な男子・勇士・ますらたけお
  〔参考〕「ますらたけを」(益荒猛男・大夫建男)も同義
 おもひしわれ[思之吾耶]
  おもひ[思ふ]  [他ハ四・連用形]考える・思う
  し[副助詞]   語調を整え、強意を表す
  〔接続〕体言または活用語の連体形・連用形、副詞・助詞などにつく
  や[係助詞]  [疑問]~か (詠嘆的疑問)  種々の語につく
 をごころもな[雄心毛無寸]
  をごころ[雄心]  雄々しい心・勇ましい心
  なき[無し]  [形ク・連体形]ないも同然である・ない 
   [係り結び]係り「や」に結びが、形容詞「無し」の連体形「なき」で、「係り結び」か
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 「なにがあろうとも」...それを、伝えることが大切...
 「信じ合えるからこそ」

【歌意】2898
 
世間の噂が、どんなに煩くなったとしても
そんなことに振り回されたり、気にしたりする
わたしではないよ
 
だから、あなたも何も気にしないで欲しい、と続くのだろう

私には、未だにこの時代の慣習めいたものが、ピンとこない
同じ万葉時代でも、地域によって違うだろうし
そして同じ地域であっても、その「身分」という生活環境によっても
大きく違うものだろう

世間の噂を気にする...「人目」を気にして、という語句はよく見かける
現代感覚でいえば、あまり噂にされたくないほどの「関係」か、とは思うが
万葉時代は、そうでもないらしい
しかし、その時代が一律そうだったのか、あるいは歌に詠まれたことは
その「悩ましさ」を「モチーフ」にするからこそ、そうした表現が目立つのか...

教科書的な説明で、この時代は「こんな時代なんです」と言われもする
「歌集」のような「歌」の中に、人々の暮らしや「生きる姿」を観るのも
「歴史書」の「肉付け」には役立つことは承知している
しかし、「歌」は「現実」とは「大きく違う世界」でもあるはずだ
現代でも、リアリティを全面に出す「社会派ドラマ」もあれば
荒唐無稽な「ファンタジー」の「娯楽作品」もある
今でこそ、それらはきちんと「仕分け」もされるが
果たして、「万葉集」における、こうした「分類・仕分け」というのは
どんな「定義」があるのだろう

おそらく、万葉時代以降の学者や歌人たちの「感覚」が
その「作業」の「通説」として...いつしか「疑問」も持てなくなるほど
「古語の変貌」もあるだろうし、
私が一番大きな要因だと思うのは、「時代を隔てた註釈書」の影響なのだと思う
中世から盛んに研究され出し、「註釈書」も存在はするが
どれも、「オリジナル」を絶対的な「テキスト」にし得ないことだ
だから、異説の存在が当たり前のように付記され
誤写だろうとか、誤記だろうとか、可能性をどんどん広げてしまった

そして何よりも、「万葉集」の独特な表記
日本語を「漢字」でしか表現できないことに、混乱が生じている
人麻呂歌集の略体歌など、「五・七・五・七・七」の韻律に合わせてしまう
本当に、そう詠っていたのかどうかなど、解りようがないのに...

「人麻呂歌集」が、古歌をも含めた「歌集」であるなら
当然、そうした「韻律」に沿わない歌だってあるだろう

まあ、こんなことまで自身に納得させるために調べだしたら、きりがない
あるところまでは、「前提」として読まなければ...

そう言えば、「俊頼髄脳」の〔(1)短歌〕は、こんな出だしだった

素盞鳴尊(スサノヲノミコト)が、「八雲立つ・・・」と詠ったと記する『古事記』の歌謡
これが、「五・七・五・七・七」の和歌の始まりだ、と「源俊頼」は述べる
その点での他の説があるかどうか知らないが
少なくとも、平安時代の源俊頼は、そう理解している

こうした「歌論書」の類が、時代の歌を俎上にするとき
その歌の世相をも、語ってくれれば、確かに嬉しいことだが...
万葉集が、「和歌」の確立されつつあった時代の、まだ揺籃期であれば
オリジナルの歌から、世相をも勘案する「補強的資料」が、十分だったとは思えない

やはり、語られる「歌」に、時代を「想う」ことが中心なのだろうが
現代のように、やたらと多い「解説書」も、「読者」の感性を固くしているように思う

今日は、『俊頼髄脳』の[(二)和歌の種類]で〔(1)短歌〕をアップしたが
そこで、持ち出された「和歌」を書いておく

 やくもたついづもやへがきつまごめにそこ・・・  素盞鳴尊 古事記・上一
 しなてるやかたおかやまにいひにうゑて・・・  聖徳太子 拾遺 哀傷 1350
 いかがやとみのをがはのたえばこそ・・ (新撰和歌髄脳 三)  拾遺 哀傷 1351
 あさごとにはらふちりだにあるものを・・・(拾遺抄 雑下578)  拾遺 哀傷 1341

この〔(1)短歌〕までの『俊頼髄脳』への私の感想は、
「歌論書」というよりも、「和歌」の「解説」そのものだった
やはり、校註者がいうように、「歌論書」とはいえないものかも知れない
でも、まだまだ先は続く...万葉歌も、どんどん採り上げられているから、楽しみだ
次は〔(2)旋頭歌〕、またアップしたあと、こうして記す



掲載日:2013.09.15.


 正述心緒
  他言者 真言痛 成友 彼所将障 吾尓不有國
   人言はまこと言痛くなりぬともそこに障らむ我れにあらなくに
  ひとごとは まことこちたく なりぬとも そこにさはらむ われにあらなくに
 【語義・歌意】  巻第十二 2898 正述心緒 作者不詳 



 【2898】語義 意味・活用・接続 
 ひとごとは[他言者 ]
  ひとごと[人言]  他人のいう言葉・世間の噂
 まことこちたく[真言痛]
  まこと[真・実・誠]  [名詞]本当のこと・事実・真実・真心・誠実さ・偽りのないこと
   [副詞]本当に・実際に
  こちたく[言痛(こちた)し]  「形ク・連用形」(人の口が)うるさい・煩わしい
   (「こといたし」の転)  古代では「言」も「事」も同じで、事が多く煩わしい様にもいう
 なりぬとも[成友] 
  ぬ[助動詞・ぬ]  [完了・終止形]~た・~てしまった  連用形につく
  とも[接続助詞]  [逆接の確定条件・強意]たとえ~にしても・たとえ~でも
  「強意」の場合、事実そうであったり、そうなるのが確実な事柄について、仮定条件で意を強める
   〔接続〕動詞・形容動詞・助動詞の終止形、形容詞・助動詞(打消「ず」)の連用形につく
 そこにさはらむ[彼所将障]
  そこ[其処]  [中称の指示代名詞]事物をさす・そのこと・その場所
  さはら[障る]  [自ラ四・未然形]妨げられる・差支える・都合が悪い
  む[助動詞・む]  [推量・連体形]~だろう  未然形につく
 われにあらなくに[吾尓不有國]
  に[格助詞]  ~に  体言につく
  あらなくに[有らなくに]  ないことよ・ないのだなあ・ないことなのに
  [成立]ラ変動詞「有り」の未然形「あら」+打消の助動詞「ず」のク語法「なく」+助詞「に」
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 「たどきもしらず」...こころここにあらず...
 「それが恋こころ」

【歌意】2899
 
落ち着きもなく、立ったり座ったり...
為すすべもなく、どうすることも出来ない私の心
まるで、空に浮遊しているかのように、感情が揺れ動いている
こうして、確かに「土」は踏んでいるのに...
 
あの人のことを想うと、まるで浮遊病者のように心もとなく感じている
もっとしっかりと、自分を「地につけよう」、と
自分への叱責も多分にある「歌心」だと思う

単純に、「浮いてしまった」ような「私」を詠うのではなく
足はしっかり大地を踏んでいるのに、と自身に言い聞かせようとしている

他人からは、恋に夢中になっている人は
どことなく、心も「うわのそら」に見えるものだ
本人は、それに気づかないことが多い...いや、殆ど気づかないだろう
「立って、座って、また立って...また座って...」
そんな不自然な仕草を、どうして客観的に見詰められよう

それでも、「地を踏んでいるのに」と作者は、まだ認識している
なのに、どうして感じる、この「浮揚感」を...
やはり、「恋」の魔法は...確かに存在する
作者も、そのことに気づいたのだろう

恋すれば、浮かれるもの...だ
それでいい

一つ気になった、掲題歌の類想歌と言われる〔2893〕歌
ここに、掲載しておく

 正述心緒
 立而居 為便乃田時毛 今者無 妹尓不相而 月之經去者 [或本歌曰 君之目不見而 月之經去者]
  立ちて居てすべのたどきも今はなし妹に逢はずて月の経ぬれば
     [或本歌曰 君が目見ずて月の経ぬれば]
 たちてゐて すべのたどきも いまはなし いもにあはずて つきのへぬれば
                     [きみがめみずて つきのへぬれば]
   巻第十二 2893 正述心緒 作者不詳 
 
立ったと思えば、また座って...そんな落ち着きもないことを繰り返し
何をしていいのか、今は為すすべがない
それも、あの娘に逢わずに、月日が経ってしまったものだから...
 [或る本歌]あの人に逢えなくて、こんなにも月日が経ってしまったので...


ここでの「たちてゐて」の原文は「立而居」
これだと、私にもストレートに、訓に馴染める
部分的な助詞の略は、どうしても中途半端で、何か意図があるのか、とも思ってしまう
この歌と、今夜の掲載歌の違いは、もう一つあった

掲載歌でも書いたが、あの歌は「地を踏んでいる自分」を見ている
それでも、まるで浮いているような、心もとない気持ちが拭えない
そんな自分を、いぶかしんで、まずしっかりしろ、とも叱責のようにも感じられる
しかし、この〔2893〕歌は
ただただ「嘆く」ばかりだ
思いつく限りの出来ることは、すべて尽した...といっている
長い間、逢えないでいることの辛さ、苦しさ
どうしたら逢えるのか...

「恋」に手段なんてないと思う
率直でいい...もっとも、それが出来ないからこそ、こんなに苦しむのだが...
「恋」の歌は、いつも厄介だ
接している自分も、こうなのか、ああなのか、といつも感じ方に揺れ動いている









 
掲載日:2013.09.16.


 正述心緒
  立居 田時毛不知 吾意 天津空有 土者踐鞆
   立ちて居てたどきも知らず我が心天つ空なり地は踏めども
  たちてゐて たどきもしらず あがこころ あまつそらなり つちはふめども
 【語義・歌意】  巻第十二 2899 正述心緒 作者不詳 



 【2899】語義 意味・活用・接続 
 たちてゐて[立居
  たち[立つ]  [自タ四・連用形]立ち上がる・起き上がる・立ち止る
  て[接続助詞]  [単純接続]~て・そして  連用形につく
  ゐて[居る]  [自ワ上一・]座る・しゃがむ 
 たどきもしらず[田時毛不知]
  たどき[(たづき)]  [方便](上代では「たどき」とも)手段・方法・様子・ありさま
  しら[知らず]  上代の「たどき」の語法の一つで、打消の語に続く
  「たどきもしらず」 方法や手段も知らない
 あがこころ[吾意] 〔私の心〕
 あまつそらなり[天津空有]
  あまつそら[天つ空]  天・空・空のようにはるかに遠い所・うわのそら・有頂天
 つちはふめども[土者踐鞆]
  ども[接続助詞]  [逆接の確定条件]~けれども・~のに  已然形につく
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 【注記】
 立居
この歌では、通常「たちていて」と訓じられているが、
「立つ」と「居る」の双方の意味からなる、
自動詞ワ行上一段「立ち居る(たちゐる)」もある
「立ったり座ったり」という意味になっている
この原文「立居」が、「たちていて」と訓じられているのは
きっと、類想歌〔2893〕の「立ちて居て」(原文「立而居」)があって、
これも当てたのではないだろうか、と思えてしまう
しかし、この〔2899〕歌には「立居」で、「而」がない
私の感覚では、「立ちて」の「て」がない、ということになる
ならば、「立ち居る」の動詞をそのまま当てることが出来なかったのだろうか
と、素人ながらに疑問を持つ
この「たちていて」、どの注釈書でも、問題にしていない...
でも、私なら...「たちいてし」とか、他の訓を考えてしまう
 
 ゐて
上一段動詞「居る」には、単独で使われる場合と、
動詞の連用形や助詞「て」の下につく場合がある
その場合の意味は、「~て座る」「~てじっとしている」となる
例語として、
「出で居る・起き居る・落ち居る・来居る・並み居る・のぼり居る・離れ居る・交じり居る・
守り居る・見居る・向ひ居る・群れ居る・読み居る・寄り居る」
 
 
 たどき
「たづき」を、上代では「たどき」ともいった
更に、後には「たつき」「たつぎ」とも
〔参考〕
古くは下に「なし」「
知らず」などの打消の語を伴ったが、
のちには、それらを伴わなくても用いられるようになった
 
 
打消の助動詞「ず」には、三つの活用系列がある

 未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形
   〔に〕(シテ)  〔ぬ〕  ぬ(コト)  ね(ドモ)  
   ず(シテ)        
 ざら(ム)  ざり(ケリ)  〔ざり〕  ざる(コト)  ざれ(ドモ)  ざれ

「ぬ」の系列の「に」は、上代に用いられた形で、
 
 鶯の待ちかて
せし梅が花散らずありこそ思ふ子がため 〔万葉五・849〕
 昨日今日君に逢はずて為るすべの
   たどきを知ら
(=方法が分からないで)哭のみしそ泣く〔万葉十五・3799〕

のように用いられた
中古以降は慣用的な用法にだけ使われた
「ぬ」の系列の未然形に「な」を認める説もある(用例略)

三つの系列のうち最も基本的な活用は「ぬ」の系列で
「ず」の系列は「ぬ」の連用形「に」に、
サ変動詞「す」の付いた「にす」がつづまったものといわれている
「ず」の系列の未然形に「ず」を認める説がある

 今日来
ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや〔古今・春上〕

のような「ずは」の用例を古く「ずば」と読み、仮定条件を表すと考えたからだ
今日では「ずは」と読み、「は」は係助詞、上の「ず」は連用形とされる
ただし、「ずは」の下に「こそ」の付く場合もあり、
係助詞の「は」は「こそ」の下に付くという原則と異なる
「は」には接続助詞のものもあったと考え、「ず」の未然形説の根拠となる

 この皮衣は、火に焼かむに、焼け
ずはこそ、
         まことならめと思ひて、人の言ふことにも負けめ〔竹取・火鼠の皮衣〕

また、「ざり」の系列は、
「ず」に「あり」が付いてつづまった形で、「ざりき・ざりけり・ざりけむ」のように
「き・けり・けむ」などの助動詞に続くときに用いられた
一般に、終止形は用いず「ず」の補助活用といわれる
なお、「ざり」の系列が十分に発達していなかった上代では、
「ず」にそのまま助動詞「き・けり・けむ」が付いた、
「ずき・ずけり・ずけむ」という言い方もあった
 
 ども
「ど」、「ども」は同じ意味で使われるが
「ども」は漢文訓読調の文章に多く使われ
平安時代の散文全体では、「ど」の方が盛んに使われた
鎌倉時代以降になると、、逆に「ども」が一般的に使われるようになる
 
 






 「まことぞこひし」...いつわりもなく...
 「ありきたりの言葉でも」

【歌意】2900
 
世間で言う、お決まりの言葉などとは、
決して思わないでください
本当に、本当に、恋しく思っていたのです
あまりにも、逢わない日が多かったものですから...
 
この歌、女歌なのか、男歌なのか、よくは解らないけど
男が、必死になって言うには、尊敬語は似合わないだろうけど...
やはり女性が、世間並みの言葉を使って、「待ち遠しく、恋しく思っていました」とか...
でも、男だって必死の時、丁寧語にはなる
一般的には、この歌、「女歌」とされるが
どちらであってもいいように思う

よく類想歌などで、普通にみられるのが、
詠者の性別を変えて、語句をちょっといじれば、「類想歌」となり
万葉集の集中に、その一首を載せてもいるが
少なくとも、この歌では、性別をいじるなどは出来ない
「妹」や「君」がないのだから...

尊敬語を使うことによって、これは女歌だと仮にそれが根拠であるのなら
私には、浅はかな決めつけのように思える
「男か女かわからない」けど、「切実な想いは、ありきたりの言葉」の方が
よりずっしりとくるものだ
着飾ったことばなど要らない
だから、この歌のような「念を推すような」ことも、本当は要らない
でも、それでは、歌にはならないのだろうなあ、きっと

ときどき、ドラマを子供たちと一緒に観ていて
こんな設定、有り得ない、などというが
その「有り得ない」設定だからこそ、ドラマとして成り立つこともある
普通の、日常を描くのは、また別のジャンルになってしまう

この歌が、そうした非日常を思い起こさせるのも
この歌の前提となる場面を、どうしても...必ずといえるほど、思い浮かべるからだ
しばらく逢えなかった二人が、やっと逢えた
そこまでは、普通に読める
しかし、説明しなくても浮ぶ場面とは、
その逢えなかった期間、どれほどの想いであったか...
それが、この歌の説明不要の、本当の「情景」ではないだろうか
結果を歌に知る...しかし、その歌から、それまでの「苦しい想い」を、さらに知らされる

言葉にしなくても、その情景を映し出せるのは
歌も「ドラマ」...「物語」の一場面だということを、教えてくれる
その一場面は、鑑賞者がそれぞれの「想い」で、感じ取ればいい


掲載歌で、気になった「常」の用例
ここに載せておく


 正述心緒
 虚蝉之 常辞登 雖念 継而之聞者 心遮焉
  うつせみの常のことばと思へども継ぎてし聞けば心惑ひぬ
 うつせみの つねのことばと おもへども つぎてしきけば こころまどひぬ
   巻第十二 2973 正述心緒 作者不詳 
 
世間でよく言われる、決まりきった文句だとは思うけれど
こうも言われ続けたら、やはり心も揺らぎ迷うものだ


「常のことばと」といい、「常」を立派に「解釈」し「訓」じている
「常」に、その「意」を感じるならば
単に「表音」ではなく、〔2900〕歌でも、訓じ方があっただろうに、と思う
残念ながら、私の能力では、ならばどう訓じれば、と問われても
それに応じられる力はないが...
結句の「不相」のように、漢語表現もしているのだから...
今読み掛けの「歌論集」の類に、その手掛かりもあるかもしれない






掲載日:2013.09.17.


 正述心緒
  世間之 人辞常 所念莫 真曽戀之 不相日乎多美
   世の中の人のことばと思ほすなまことぞ恋ひし逢はぬ日を多み
  よのなかの ひとのことばと おもほすな まことぞこひし あはぬひをおほみ
 【語義・歌意】  巻第十二 2900 正述心緒 作者不詳 


 【2900】語義 意味・活用・接続 
 よのなかの[世間之 ]
  よのなか[世の中]  世間・社会・世の常・世間一般・世間の評判
 ひとのことばと[人辞常]
  ことば[言葉・詞]  言語・また言語を文字にしたもの
  と[格助詞]  [比喩]~のように・~として・~と同じように  体言につく
   〔原文「人辞常」〕「常」に注目したい
 おもほすな[所念莫] 
  おもほす[思ほす]  [他サ四・終止形]お思いになる(「思ふ」の尊敬語)
  な[終助詞]  [強く禁止する意]~してくれるな・~な  終止形につく
 まことこひ[真曽戀之]〔ぞ~し〕は「係り結び」
  まこと[真・実・誠]  [副詞]ほんとうに・じっさい
   [名詞]いつわりのないこと・まごころ・誠実さ
  [係助詞]  [強調]~が
   文中にある場合、他の何物でもなく、まさにそのものであるという意味での強調
   「係り結び」によって、「ぞ」を受ける文末の活用語は「連体形」になる
  こひ[恋ふ]  [他ハ上二・連用形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する
  [助動詞・き]  [過去回想・連体形]~た・~ていた  連用形につく
 あはぬひをおほみ[不相日乎多美]
  あは[逢ふ]  [自ハ四・未然形]~けれども・~のに 
  ぬ[助動詞・ず]  [打消・連体形]~ない  未然形につく
  を(おほ)み  間投助詞「を」~接尾語「み」の用法で、「~が~ので」
  おほ[多(おほ)し  [形ク・語幹]多い
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 【注記】
 世の中
〔参考〕
「世の中」の意味の多様性 旺文社全訳古語辞典第三版より
平安時代に使われた「世」「世の中」ということばには、現在と同様、「世間「社会」「現世」「当世」といった意味があるが、その世の中を極端に狭くした社会―つまり二人だけの社会としての男女の仲、夫婦の間柄の意味に用いられることも多く、さらに漠然とただ一人の身辺をさす「身の上」「身のありさま」「運命」などの意味にも用いられる。

この歌での「世の中」は、世の常、世間並み、として用いられた時代だと思う
 
 人辞常
これで「ひとのことばと」と訓じられている
私が、先人の「訓」について云々できるほどの見識・知識もないが
確かに「常」を「と」と万葉仮名では多く用いられている
しかし、ここでの「常」は、この歌の「表音」に沿った用法であり、
単なる「借音表記」の万葉仮名ではないと思う
「人辞」を「人のことば」と訓み、「世間のことば、うわさ」などと、次の語句につながり
「常」を見事に、訳しているではないか...格助詞「と」「~と同じように」と

ここに同じような意味で、こんな用例を見つけた
〔2973〕歌の「原文、常辞登(つねのことばと)」<左頁に載せる>

この歌〔2973〕では、「常」を「表音」ではなく、「表意文字」として訓まれている
その「音」が意味にかかわるものであれば、
「人辞常」も、他に訓じ方があっただろうに、と思う
私の目にする「諸本」では、異訓もないので、私の「拙劣な思い込み」かもしれないが...
 
 おもほす
他動詞ハ行四段「思ふ」の未然形「おもは」に、
上代の尊敬の助動詞「す」が付いた「おもはす」が転じたもの
のちに「おぼほす」「おぼす」と転じてゆく

〔参考〕
同じように、自動詞ヤ行下二段「思ほゆ」がある
これは、他動詞ハ行四段「思ふ」の未然形「おもは」に、
上代の自発の助動詞「ゆ」が付いた「おもはゆ」の転じたもの
のちに「おぼほゆ」となり、さらに「おぼゆ」と転じてゆく
 
 
禁止の「な」には、「副詞」と「終助詞」がある
副詞の「な」は、形容詞「なし」の語幹と同じもの、
打消の助動詞「ず」の未然形の古形「な」、あるいは終助詞「な」などが語源と考えられている
動詞の連用形の上に付いて、おだやかな禁止の気持ちを表す

動詞の連用形の下に終助詞「そ」を伴う場合もある
中古以降は、後者が一般的になった
カ変・サ変の場合は、「な来(こ)そ」「なせそ」のように、動詞の未然形になる
「な」の下に付いたり、「な~そ」の間に入ったりする動詞は、
敬語の補助動詞を伴う場合や、使役・受身の助動詞を伴う場合もある
「動詞の終止形+な(禁止の終助詞)」の形よりも穏やかな禁止

用法①動詞の連用形の上に付いて、「~してくれるな」
用法②「な~そ」の形で、「~するな・~しないでくれ」

この歌では、終助詞の「な」
 
 を~み
形容詞及び形容詞型の助動詞の語幹(シク活用には終止形)に付いて、多くは
「~(名詞)を~み」の形で、原因・理由を表す
「~ので・~から」
 
 おほし
〔参考〕 
<上代語>「おほし」と「多し」「多かり」 旺文社全訳古語辞典第三版より
上代では「おほし」は「大し」とも書かれ、「数量が多い」「容積が大きい」「りっぱだ」「正式だ」などの意味があった。中古以降、数量的な多さは、形容詞「多し・多かり」を使い、容積の大きさには形容動詞「大きなり」を使うようになった。これが中世末期になると、さらに「多い」「大きい」と区別が明確になる。なお、中古までの和文では、終止形は「多かり」が一般的で、「多し」は漢文訓読語として使われた。
 







 「いでいかに」...腹をくくれ...
 「ここだこふる」

【歌意】2901
 
さて、どうしたものか...
わたしが、こんなにも恋い慕っているあの娘が
逢わないと言っている訳でもないのに...
こんなに思い悩むとは...
 
独り相撲、という言葉を思い出した
男が、こんなに訳もなく思い悩むのは
自分の気持ちを、しっかり伝えていなかったことからだろう
相手の気持ちは、それを求めて始めて知り得る
しかし、それを求めることは、自分の気持ちを伝えなければならない
それが難しい...

現代的に言えば、友達のままだと、ずっと逢っていられる
しかし、抑え難い「恋心」を持ったが為に、その「友達関係」では満足できない
告白する、逢えなくリスクもある
それでも告白するのか、あるいは自分の気持ちを抑えてでも、逢い続けたい...

そんな情況以外に、どんな立場が考えられるのだろう
そこまで詮索しなくても、普通の恋仲なのか...この二人は...
それでも、思い悩むなどとは...いや、それが自分自身でも理解できず
それで悩んでいるのかもしれない...どうしてなのだろう
あの娘が、逢わないと言っている訳でもないのに、と
きっと本人が気づかないだけで、娘のちょっとした仕草に、
自分が想うほどの「気持ち」を、感じられなかったからなのかもしれない

「恋」とは、こうあるべきだ、とか
こうでなければ、などと言ったマニュアルなんてない
唯一あるべき姿を求めるとすれば...
「まず自分の気持ちを偽らず、なおかつ相手への思い遣り」を忘れないことだ


【「俊頼髄脳」考】例歌は右頁
今日までの進捗状況は、〔二〕和歌の種類の、(7)「長歌」に、やっと至る
この辺りで、万葉歌が俎上に上り始めてきた
しかし、「孫引き」という語、始めて耳にする
実際、そうしたケースは多いのだろうが、なるほど、と思わせる

万葉集の歌を引用しながら、それがかなり誤った引用を指摘されてもいる
その理由も、そもそも、元の歌のオリジナルを引用したのではなく
その歌を扱った別の資料からの引用だと、確かに起こり得ることだ

もう一つ、面白いことを知る
よく考えれば、当然のことなのだが、この『俊頼髄脳』の書かれた時代のこと
この時代は、まだ「訓」の「次点期」の時代だということだ
10世紀の梨壺で、学者たち五人が初めて万葉集に「訓」をつけた「古点」
その次の「次点」期が、この源俊頼の時代であって
まだまだ、現代に見るような「万葉歌」の時代ではなかった

その例が、『俊頼髄脳』で採り上げられた、巻第九-1759

この歌で、十文字句(正確には十一文字)が二句続いていることを挙げ
それは、長歌の中の「旋頭歌」だろう、と述べている
しかし、その後の「新点」に至っての解釈では、
その「訓」を、「五・七」として訓じ、通常の定形に収めている

こうした研究途上の、学者たちの発想を知るのも、また面白い

本題から外れるが、この小学館新編日本古典文学全集「歌論集」について
ここで挙げられている和歌は、その歌番号を「新国歌大観歌番号」に拠っている
片や同じ全集の「万葉集」では、「旧国歌大観歌番号」であり、
いくら校注者が違うといっても、「全集」と銘打つ一貫性に欠けるのでは、と思った
私としては、いちいち変換する作業が不要なので、それはありがたいが
少なくとも、一つのシリーズでは統一すべきだと思う

ちなみに、この『俊頼髄脳』にしても、本来は、目次も歌番号もないものなので
根本的な取り扱いには影響はないのだが...








掲載日:2013.09.18.


 正述心緒
  乞如何 吾幾許戀流 吾妹子之 不相跡言流 事毛有莫國
   いで如何に我がここだ恋ふる我妹子が逢はじと言へることもあらなくに
  いでいかに あがここだこふる わぎもこが あはじといへる こともあらなくに
 【語義・歌意】  巻第十二 2901 正述心緒 作者不詳 



 【2901】語義 意味・活用・接続 
 いでいかに[乞如何 ]
  いで[感動詞]  (感動や驚きを表する語)いやもう・いやはや
  他相手をうながす時「さあ」、自ら思い立って「さあ・どれ」、否定や反発の気持ち「いや」
  いかに[如何に]  [副詞]どのように・どんなに(~だろう)・何故・なんとまあ
 あがここだこふる[吾幾許戀流]
  ここだ[幾許](上代語)  [副詞](程度について)たいへんに・たいそう
  こふる[恋ふ]  [他ハ上二・連体形]思い慕う・恋しく思う・恋慕する
 わぎもこが[吾妹子之] 
  が[格助詞]  [主語]~が  体言につく
 あはじといへる[不相跡言流]
  あは[逢ふ]  [自ハ四・未然形]出逢う・対面する・逢う
  じ[助動詞・じ]  [打消しの意志・終止形]~まい・~ないつもりだ
   この打消しの意志は、主語が相手の場合になる   〔接続〕未然形につく
  と[格助詞]  [引用]~と 
  (人の言葉や思うことなどを直接受けて、引用を表す)
  いへ[言ふ]  [他ハ四・已然形]言葉で表現する・話す
  る[助動詞・り]  [完了・連体形]~ている・~てある  已然形につく
 こともあらなくに[事毛有莫國]
  こと[事]  (人のする)行為・動作・事情・わけ 
   [用言、助動詞の連体形の下について]
   動作・状態を表す名詞を作る、~すること・~であること
  あらなくに[有らなくに]  ないことよ・ないのだなあ・ないことなのに
   ラ変動詞「有り」の未然形「あら」+打消の助動詞「ず」のク語法「なく」+助詞「に」
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 【歌論書『俊頼髄脳』の例歌】
 [〔二〕和歌の種類で(7)長歌]までに採り上げられた和歌
 
 やぐもたつ いづもやへがき つまごめに やへがきつくる そのやへがきを  (1)短歌
 古事記・上一 
 しなてるやかたをかやまにいひにうゑてふせるたびびとあはれおやなし  (1)短歌 
 拾遺・哀傷1350 聖徳太子
 いかがやとみのをがはのたえばこそわがおほきみのみなはわすれめ  (1)短歌 
 新撰和歌髄脳・三、拾遺・哀傷・1351
 あさごとにはらふちりだにあるものをいまいくよとてたゆむなるらむ  (1)短歌
 拾遺抄・雑下・578、拾遺・哀傷・1341
 ますかがみ そこなるかげに むかひゐて  
  みるときにこそ しらぬおきなに あふここちすれ
 (2)旋頭歌
 新撰髄脳・17、拾遺・雑下・565
 かのをかに くさかるをのこ しかなかりそ
  ありつつも きみがきまさむ みまくさにせむ
 (2)旋頭歌
 新撰髄脳・16、拾遺・雑下・567
 うちわたす をちかたひとに ものまうす 
  そもそのそこに しろくさけるは なにのはなぞも
 (2)旋頭歌
 古今・雑躰・1007、新撰髄脳・15、六帖四・2510
 あさがほの ゆふかげまたず ちりやすき はなのよぞかし  (3)混本歌 
 新撰和歌髄脳・10
 いはのうへに ねざすまつがえ とのみこそたのむこころ あるものを  (3)混本歌
 新撰和歌髄脳・9
 ことのはも ときはなるをば たのまなむ まつをみよかし へてはちるやは  (4)折句
 新撰和歌髄脳・11
 ことのはは とこなつかしき はなをると なべてのひとに しらすなよゆめ  (4)折句
 新撰和歌髄脳・12
 あふさかも はてはゆききの せきもゐず たづねてこばこ きなばかへさじ  (5)沓冠
 新撰和歌髄脳・13
 をののはぎ みしあきににず なりぞます へしだにあやな しるしけしきは  (5)沓冠
  新撰和歌髄脳・14
 むらさくにくさのなはもしそなはらばなぞしもはなのさくにさくらむ  (6)廻文
  出典不明
 おきつなみ あれのみまさる みやのうちに としへてすみし いせのあまも ふねながしたる ここちして よらむかたなく かなしきに なみだのいろの くれなゐは われらがなかの しぐれにて あきのもみぢと ひとびとは おのがちりぢり わかれなば たのむかたなく なりはてて とまるものとは はなすすき きみなきにはに むれたちて そらをまねかば はつかりの なきわたりつつ よそにこそみめ  (7)長歌
  古今・雑躰・1006 伊勢
 かけまくも かしこけれども いはまくも ゆゆしけれども あすかやま まがみがはらに ひさかたの あまつみかどを かしこくも さだめたまひて かみさ ぶと いはがくれます まきのたつ ふはやまこえて かりふやま とどまりまして あめのした さかえむと われもともども  (7)長歌
  孫姫式・新撰和歌髄脳・4 (原文・万葉巻二・199)
 うぐひすの かひごのなかの ほととぎす ひとりうまれて しやがててににてなかず しやがははににてなかず うのはなの さけるのべより とびかへり きなきとよまし たちばなの はなはをちらし ひねもすに なけどききよし まひはせむ とほくなゆきそ わがやどの はなたちばなに すみわたれとり  (7)長歌
  万葉・巻第九・1759
 しらくもの たつたのやまの たぎのうへの をぐらのみねに ひらけたる さくらのはなは やまたかみ かぜしやまねば はるさめの つぎてしふれば いとすゑの えだはおちすぎ さりにけり しづえにのこる はなだにも しばらくばかり なみだれそ くさまくら たびゆくきみが かへりくるまで  (7)長歌
  万葉・巻第九・1751
 





 「いめにいめにし」...夢三昧...
 「夢に現れるもの」

【歌意】2902
 
ぬばたまのように、漆黒となる夜が長いからでしょうか
愛しいあの人が、それこそ何度も何度も繰り返しては
夢に現れてくるのは...
一人寝の夜は...こんなにも辛くて寂しいものなのでしょう
 
実際に逢うことが叶わぬのなら、せめて夢にでもお逢いしたい
そんな歌も、万葉集には多い
そしてまた、一人の夜が、あまりにも寂しくて
とても堪えられそうもない、と「想ひ人」のことを懸命に思う
だからこそ、何度も何度も、その「想ひ人」が夢に現れる...

「いめにいめに」という語、
古語辞典で、格助詞「に」を引くと
その用例の多さに驚いたものだが、万葉集にこれまで様々な格助詞「に」を取り上げてきた
しかし、その辞典を引くたびに、
「強調」の「に」という用法、なかなか出合わないな、と思っていたのだが
今夜、やっとこの「強調」の「に」に巡り合えた
同じ語の間に置いて、その意を強める用法...

これほど「夢」を強調すると、もう少し当時の「夢」の観念を知りたくなる
今夜は、時間的な余裕があるので、「夢」についての「古語辞典の競演」としよう

 [旺文社全訳古語辞典第三版](2003年10月1日版)『思い思われ見る夢』
 『古今集』の、小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」(恋二)の歌は、あの方を思って寝るから、あの方が夢に見えたのだろうか、というのである。ところが、『万葉集』の東歌には、「わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えてよに忘られず」(万葉20・4346)とある。妻がひどく自分を恋い慕っているらしいので、水鏡に妻の面影が映って見える、というのである。『万葉集』にも自分の夢に思う相手が現れるという歌もあり、また、『古今集』にも思う相手の夢に自分が現れるという歌がある。夢や面影に現れるのは、自分の思う相手か、自分を思う相手か、古くから、この二つの見方があったようである。
 [角川書店全訳古語辞典初版](2002年10月20日版)『読解インフォ』
 恋しい人を思いながら寝ると夢に恋人が現れると考えられていた。また、逆に寝ているあいだに自分の魂がからだから抜け出し会いに行ったり、相手の夢の中に現れたりもすると考えられていた。
 [旺文社古語辞典第九版](2001年10月1日版)『古代人の「ゆめ」の解釈』
 現代人の感覚では、夢である人を見るのは、その人のことが、夢見た人の心のなかで大きな位置を占めていたことの現われとするのが普通であるが、古くは、その人の心が、自分の夢のなかにまで入って来たとして、その人の自分への思慕の現れと解していた。『万葉集』の巻9・1813番の長歌で、血沼壮士が恋の勝利者になったのも、彼が菟原処女の夢を見たからである。


三省堂の辞書には、「夢」は普通の解説しか載っていなかった
岩波の辞書...欲しい

「夢」については、万葉集中でも、多く歌われており
いくつかのパターンもあるが、
一般的に、当時の人が抱く「夢」への「憧れ」もしくは「畏怖」は
どんな実態があったのだろう

現代人の解釈ではなく、その当時に近い研究者たちの解釈に、興味が沸いてきた
すると、やはりこのところ凝り出し他「歌論書」の類に辿り着きそうだ

いつか、平安以降江戸時代までの学者・歌人が
万葉人の「夢」をどんな風に扱っていたのか、調べよう
「いつか」ではいけなかった
まず、古来から中世までに、どんな「歌論書」があるのか...そこから始めよう

こんなに課題を抱えてしまっては...なかなか人生の引退は...難しそうだ


掲載日:2013.09.19.


 正述心緒
  夜干玉之 夜乎長鴨 吾背子之 夢尓夢西 所見還良武
   ぬばたまの夜を長みかも我が背子が夢に夢にし見えかへるらむ
  ぬばたまの よをながみかも わがせこが いめにいめにし みえかへるらむ
 【語義・歌意】  巻第十二 2902 正述心緒 作者不詳 



 【2902】語義 意味・活用・接続 
 ぬばたまの[夜干玉之 ]枕詞 「黒・髪・夜・一夜・夕べ・昨夜・今宵」などにかかる
  ぬばたま〔射干玉〕ひおうぎ(草の名)の実、黒くて丸いことから
 よをながみかも[夜乎長鴨]
  よをながみ  [~を~み]夜長いので  体言につく
  「を」は間投助詞、接尾語「み」は形容詞ク活用(長し)の語幹(なが)に付くミ語法
  かも[係助詞]  [疑問]~だろうか・~か  体言・連体形につく
 わがせこが[吾背子之] 
  せこ[兄子・夫子・背子]  「せ」はもと女性が兄・弟・夫などを親しんで呼んだ語ま
  「せ」はもと女性が兄・弟・夫などを親しんで呼んだ語、「こ」は親愛の情の接尾語
  が[格助詞]  [主語]~が  体言につく
 いめにいめにし[夢尓夢西]
  いめにいめに[格助詞]  [強調](同じ動作を重ねて強調)~に・ただもう・ひたすら 
 〔接続〕  体言・連体形につく 
  [副助詞]  語調を整え、強意を表す
〔接続〕  体言または活用語の連体形・連用形、副詞、助詞などに付く
 みえかへるらむ[所見還良武]
  みえ[見ゆ  [自ヤ下二・連用形]目に映る・見える・見かける
  かへる  [補助動詞ラ四・連体形]繰り返し~する
 〔接続〕  動詞の連用形の下に付いて、動作・状態の甚だしい意を表す
  らむ[助動詞・らむ  [原因の推量・終止形]~(というので)~のだろう
〔接続〕  基本は終止形に付くが、ラ変動詞には、連体形に付く
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 【注記】
 かも
「かも」の用法は複雑だが、基本的には、
終助詞・係助詞「か」+終助詞・係助詞「も」であり
「か」の用法に準じての判断となる
文末に用いられている場合は、疑問か詠嘆か、全体の文脈で判断する
おもに上代に用いられた助詞で、中古以降「かな」に取って代わられたが
衰退しつつも、まだ使われていた
 
 副助詞「し」
上の語句の示している事柄を、特に強めて示しているため
訳については、その文脈・歌意に留意し、あるいは訳さなくてもいい場合がある
この歌のように、単独で使われる場合も古い時代にはあるが、
平安時代に入ると「し」~接続助詞「ば」の形で用いられるもの
「旅に
あれ・名に負は・つまあれ」などと、
係助詞「ぞ」あるいは「こそ・か・も」などが後ろに連接するもの
「旅を
しぞ思ふ」が、殆どを占める
 
 見ゆ
「見る」は他動詞、「見ゆ」は自動詞
「見ゆ」は「見る」の未然形に助動詞「ゆ」がついて出来た語
「ゆ」という助動詞は、上代に用いられ、受身・可能・自発の意を持っていた
なので、「見ゆ」は一語で、「見る」に受身・可能・自発の意を添えた意味を持つ
 
 らむ
推量の助動詞「らむ」には、七つの用法がある

①目の前にない現在の事実について推量する意「今頃~しているだろう」
②現在の事実について、その原因・理由を推量する意「~(というので)~のだろう」
③現在の事実について、その原因・理由を疑問を持って推量する意
 「どうして~ているのだろう」「~ているのはなぜだろう」

④他から聞いたり読んだりしたという伝聞の意「~そうだ・~ているという」
⑤(連体形を用いて)仮定または婉曲の意「~ているとすれば、その「~ているような」
⑥「む」と同じく、単なる推量の意「~だろう」
⑦(已然形「らめ」が疑問の助詞「や」を伴って)反語の意
 「~ているだろう(か)(いや、~ないだろう)」

この歌では、第二句での「ながみ」に続く「かも」が「疑問」の意と理解したので
それに呼応する用法として、その原因を推量する形で②の意味だと解したい
 





 「かくこひば」...わがいのちをしまず...
 「こころをあらわす」

【歌意】2903
 
年を幾たびも経て、積み重ねていくように、この長い年月を
このように想い続けていくのなら
ほんとうに、わたしの命など、無事でいられるのだろうか...
いや、きっと無事ではいられまい
 
【歌意】1989
 
真葛が地表を覆うように這い拡がる夏野
そんな風に、絶え間なく繁るような恋をしていたら
ほんとうに、このいのちなんて、
どうにかなってしまうのではないだろうか...
いや、きっとなってしまうだろう

この二首の核心は、下三句
「こんな恋を続けていたら、私の命なんて、とてももちそうもない」と...

それほどの、そう、命懸けの「想い」なのだろうが
もう少し踏み込めば、「それでも、恋に死ねるのであれば、本望だ」と
そう言っているのかもしれない

この二首で、その「想い」を「量り比べる」なんて愚かなことだが
仮に、私がこの作者のような立場になれば、その愴絶な「想い」を
どちらで表現するのだろう、と考えてみた
その「比べる」対象の語句は、上の二句
「あらたまの としのをながく」と「まくずはふ なつののしげく」

これは、「長い間想い続けてきた恋心」と、
「こんなに、手を付けられないほど心に蔓延してしまった恋心」の比較になる

地味だが、長い時間をかけての「変わらぬ想い」と、圧倒するような「情熱」
さて、私だったら、どちらの「語句」を使って伝えるのだろう
いや、伝えるのではなく、自分の胸中を、どちらで表現するか、ということだ

第三者だから言えることかもしれないが、
私なら、「あらたまの としのをながく」と言って、自分を「見詰め」たい
幾年も幾年も恋し続けることは、その「想い」が本気でなければ言えないことだ
これまでも、どんなにか苦しいこともあったのだろう
それが「としのをながく」に集約されていると思う
「年の緒」...長い間には、いろいろとあった、ということだろう
まさに、一年の季節があるように...

ただし...根本的な大前提もある
この歌の意味が、ここまでの長い間で作者の苦悩を吐露したのではなく
たった今、恋し始めた、そして、こんなに苦しいものなら
いったい私の命は、この先無事でいられるのだろうか、と
その場合では、むしろ恋し始めたばかりのような「まくずはふ なつののしげく」と
同じような感じになってしまう

あるいは、どちらの歌も、そうなのかもしれないが...

「かくこひば」の「かく」は、現実に起こっていることを言っている
ただし、過去からの継続かどうかは、解らない

それでも、私は慣用句として使われている「年の緒長く」を
「この長い年月」の意味だと思っている
継続は、瞬時のどんな「激情」にも勝るものと思っている
長い間、想い続けること...これは「恋の病」などとは、決して言えないのだから...

掲載日:2013.09.20.


 正述心緒
  荒玉之 年緒長 如此戀者 信吾命 全有目八面
   あらたまの年の緒長くかく恋ひばまこと我が命全くあらめやも
  あらたまの としのをながく かくこひば まことわがいのち またからめやも
 【語義・歌意】  巻第十二 2903 正述心緒 作者不詳 
 
 夏相聞 寄草
  真田葛延 夏野之繁 如是戀者 信吾命 常有目八面
   ま葛延ふ夏野の繁くかく恋ひばまこと我が命常ならめやも
  まくずはふ なつののしげく かくこひば まことわがいのち つねならめやも
 【語義・歌意】  巻第十 1989 夏相聞寄草 作者不詳 



 【2903】語義 意味・活用・接続 
 あらたまの[荒玉之 ]〔枕詞〕「年・月・日・春」などにかかる
 としのをながく[年緒長]
  としのを[年の緒]  年の長く続くのを緒(ひも)にたとえた
  「年の緒長く」は慣用句のようなもので、「年月が長く・長い年月」
 かくこひば[如此戀者] 
  かく[斯く]  [副詞]このように・こんなに・こう
  こひ[恋ふ]  [他ハ上二・未然形]思い慕う・恋慕する・(異性を)恋しく思う
  ば[接続助詞]  [順接の過程条件]~(する)なら・~だったら  未然形につく
 まことわがいのち[信吾命]
  まこと[副詞]  本当に・実際 
 またからめやも[全有目八面]
  またから[全(また)し]  [形ク・未然形]無事である・安全である
  めやも  [反語の意を表す]~だろうか(いや、~でない)  未然形につく
  〔成立ち〕推量の助動詞「む」の已然形「め」+反語の終助詞「やも」
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 【1989】語義 意味・活用・接続 
 まくずはふ[真田葛延 ]
  まくず[真葛]  「葛(くず)」は、つる草の名
   接頭語「ま」真実・正確・純粋・称讃・強調などの意を持つ (名詞・形容詞などにつく)
  はふ[這ふ]  [自ハ四・連体形]植物のつるなどが延びていく
 なつののしげく[夏野之繁]
  しげく[繁し・茂し]  [形ク・連用形]たくさんある・煩わしい・絶え間ない
 かくこひば[如是戀者]上、既出〔2903〕 
 まことわがいのち[信吾命]上、既出〔2903〕
 つねあらめやも[常有目八面]
  あら[有り・在り]  [自ラ変・未然形](物・事・所などが)ある
  めやも  上、既出〔2903〕
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 【注記】
 あらたまの
「あらたま」の原文に「荒璞・璞・未玉」と表記されることもあり
そのことから、この「あらたま」の語義は、
研磨していない宝石・貴石類の原石をさすと思われる
かかり方は未詳だが、動詞「あらたまる」と同じであり、
年月の循環・一新することによって、かけたとも考えられる
また、「新(あら)魂(たま)」の意を添えることもある
 
 







 「すべのたどきも」...しかしながら...
 「よひても...」

【歌意】2904
 
この苦しみを、どうにも紛らせる方法も、わたしには浮ばない
こんなにも長く、逢わない日々が続いたのだから...
 
この歌の類想歌、と言われるものは少なくない
万葉人にとって、こうした「嘆き」の詠歌は、一種の流行だったのかもしれない
遠く離れているからなのか、あるいは近くにいても、逢えないのか...
このような歌が多く詠まれる、ということは
そのような情況下にいる人たちに、共感される、ということなのだろう

その「何故」逢えないか、という様々に詠われるだろうが
この歌では、その「何故」がなく、
その「何故」のせいで、長い月日、逢えずに過ごしたこと
その「つらさ」を、何とか拭い去ろうとしたいのだが、その「すべ」もない
ただただ、哀しみに打ちのめされ、待ち続けるしかないのか...

以前にも書いたことがあるが
『万葉集』が、洗練された意図で編集されたものであれば
こうした「恋心」の歌も、きっとその編集過程で、
もっとドラマティックに配列されていたことだろう

何かの本で読んだことがあるが
例えば、後の古今集などの「恋歌」になると
その「恋心」に物語的な、あるいは、その展開を見せるような構成になっているらしい
今まで、『万葉集』を含め、そうした「歌論書」などまるで関心がなかったので
行き当たりばったり、目に触れた「歌」そのものに、自分を重ねるように、
いや、重ねようとして、何とか読み続けることで、
自分も万葉人との一体感を味わえたら、と欲を出していた

しかし、ここ最近になって、幾つかの歌論書に触れ、
万葉集のみならず、「うたごころ」の奥の深さ
そして、それを時代の違う人たちの「感じ方」の相違
それらを目にすると、いったい「正しい解し方」って何だろう、と思う

いろんな学者や研究者、あるいは歌人たちが
この歌は、こう詠むべきだ、とかこう訓じるべきだ、とか言うが
その歌人と同時代に生きて、同じよう環境でこそ、本当の理解は生れる
更には、当の歌人にさえ訊くことも出来る...

語彙の変遷も、時代の流れにはつきものだ
その対象となる「物」への価値観が変わってくれば、そうなる

だからこそ、同じ日本語でも、現代の私たちには「古語辞典」がなければ
もう手の付けられない「もう一つの日本語」になってしまう
いや、「もう一つの日本語」で間違いない
その「もう一つの日本語」を、まず「語」の理解から始めないと
なかなか古典には近づけないのだろう

「語」の理解の次は、その「語」が、何故使われたのか、当然知りたくなる
ことに、『万葉集』のように、「漢字表記」の日本語では
十分な「訓」は出来ず、意訳も多くなる
それが、時代ごとに変わってくるのであれば...意味がない
もとの歌を、時代を隔てた人たちが、その感性で「意訳」してしまったら...

現に、こうして私が毎日自分なりの感じ方を書き記し
それが普遍的なものではない、と承知しながら、尚且つ自分のための「感じ方」だと
そう割り切ってはいても、原文の「訓」、それは殆どが「新点」だろうが、
そこからスタートしている...つまり、万葉時代の歌ではなく
平安時代以降、中心は鎌倉時代以降の解釈が、「訓」になっている
前提が、そこにあることが、『万葉集』の欠点であり、また魅力なのかもしれない
誰でも原文に接することはできる
ということは、「意訳」であっても、
少なくとも自分が理解した「意訳」には違いない

ついでだから、先日気になっていた「立居」を調べてみた
この掲載歌の類想歌とされている歌だったので、ちょうどいいきっかけになった

その類想歌、他の歌との類想歌でもあって、9月16日に掲載している
そのとき、その二首に使われていた「立居」と「立而居」
ともに、「たちていて」と訓じられていて、単に助詞「而(て)」の省略だと思ったのだが
調べると、旧訓では「
たちゐする」とあった
その訓は、『万葉集拾穂抄・万葉代匠記』に拠るもので
『万葉集童蒙抄・万葉集古義』は、「たちてゐて」で、現訓
『万葉集考・万葉集略解』は、「たちてゐる」、
近代に入って『岩波文庫』の新訓は「たちてゐて」で、現訓

『折口口訳』は「たちてゐる」、『万葉集新考』は「たちてゐむ」、
戦後間もない頃の昭和25年頃、武田祐吉著『万葉集全註釈』が「たちてゐる」、
それ以外の戦後の諸本は、
すべて「新訓」の「たちてゐて」に拠る


何故、こんなことを列挙したかというと
どこかの時点で、大きな影響力のある研究者・学者・歌人などの意向が
最終的に「決定打」とされてしまうからだ...それが「通説」となる

その「而」のある「立而居」の歌を、今度は今日の「類想歌」として
もう一度、ここに載せる[2013年9月16日掲載

 正述心緒
 立而居 為便乃田時毛 今者無 妹尓不相而 月之經去者 [或本歌曰 君之目不見而 月之經去者]
  立ちて居てすべのたどきも今はなし妹に逢はずて月の経ぬれば
     [或本歌曰 君が目見ずて月の経ぬれば]
 たちてゐて すべのたどきも いまはなし いもにあはずて つきのへぬれば
    [きみがめみずて つきのへぬれば]
   巻第十二 2893 正述心緒 作者不詳 
 
立ったと思えば、また座って...そんな落ち着きもないことを繰り返し
何をしていいのか、今は為すすべがない
それも、あの娘に逢わずに、月日が経ってしまったものだから...
 [或る本歌]あの人に逢えなくて、こんなにも月日が経ってしまったので...

そして、この歌でも「妹尓不相而」(いもにあはずて)の「而」に出合った
今日の掲載歌でも、「不相数多」(あはずてまねく)とある
「而」が、同じように略されている
この掲載歌は、略体歌ではないので、使う必要がなかったのではないか
となると、訓で「あはずて」となるのは...腑に落ちない
ならば、本居宣長説を採った、『万葉集古義』の訓の方が、すっきりする

私なりの歌意の解釈も、確定条件の接続助詞を並べるのは苦しい
最後の、「ぬれば」だけで十分だ
となると、「あはず
」よりも、「逢はぬ日まねく」の方がいい

ただ、やはり「脱字」説は...抵抗がある
他に手掛かりとなる「傍証」のようなものがあればと思う
最悪は、最後の手段として、宣長の説の根拠を、知りたくなるだろうなあ

 
掲載日:2013.09.21.


 正述心緒
  思遣 為便乃田時毛 吾者無 不相數多 月之經去者
   思ひ遣るすべのたどきも我れはなし逢はずてまねく月の経ぬれば
  おもひやる すべのたどきも われはなし あはずてまねく つきのへぬれば
 【語義・歌意】  巻第十二 2904 正述心緒 作者不詳 



 【2904】語義 意味・活用・接続 
 おもひやる[思遣 ]
  おもひやる[思ひ遣る]  [他ラ四・連体形]遠くに思いをはせる・気を晴らす
 すべのたどきも[為便乃田時毛]
  すべのたどき[術の方便]  拠るべき手段 (「すべのたづき」とも)
   「すべ」も「たどき」も共に〔手段・方法〕の意
  も[係助詞]  [強意](下に打消しの語を伴って)強める、~も
 われはなし[吾者無]「なし」は、前句「も」に呼応し、それを強めて打ち消している 
 あはずてまねく[不相數多]
  て[接続助詞]  [確定条件・原因理由]~ので  連用形につく
  まねく[まねし](上代語)  [形ク・連用形]たび重なる・数が多い 
 つきのへぬれば[月之經去者]
  へ[経(ふ)]  [自ハ下二・連用形]年月が過ぎる
  ぬれ[助動詞・ぬ]  [完了・已然形]~てしまった  連用形につく
  ば[接続助詞]  [順接の確定条件・原因理由]~だから  已然形につく
 掲題歌トップへ 


 【注記】
 あはずてまねく
この旧訓は「あはずてあまた」
原文「数多」を解した訓だが、その「あまた」の「意」から、
数の多い、という意を持つ「まねし」の訓になったのだろうことが想像できる
あまり誤字説や、脱字説は採りたくないのだが、
『万葉集古義』の雅澄は、本居宣長が説く「相の次に『日』の文字の脱落」説を採る
そして、その訓は「
逢はぬ日まねく」とする
これだと、「あはずて」の接続助詞「て」が不要になり
表記面でも、無理はなく思えるのだが...「脱字説」には、安易に乗れない
しかし、この「脱字説」の方が、結句の「ぬれば」を、
いっそう余情を残して生かしてくれている
 
 
【歌論書】に想う
先日の「歌論集」に続き、意識的に図書館で書架の前を歩いていると
今度は「日本歌学大系」に出合う
小学館の「歌論集」は、八作の歌論書の「原文・訳」だが
この「日本歌学大系」は、これまでの「歌論書」の「和歌史的」な書物だった
普通には、なかなか目にすることもないだろうが
最近の私は、もうこんなところまで目が行ってしまう
明日香の図書館で、その「解題」だけをコピーしてもらった
それでも、六十頁ほどになるので、まずこの「解題」を理解しよう
それから、本文を順次コピーしてもらおう

そうして読み始めた「歌論書」...
何よりありがたいのは、万葉人と入れ替わるような時代から、
その試みがあった、ということだ
現存する最古の「歌論書『歌経標式』」の成立が、772年と言われている
まさに、万葉集の歌は終っているかもしれないが
その編集や、あるいは埋もれた「歌」など
まだまだ万葉時代の香が残る時代に、この歌論書は献上された、ということだ

『俊頼髄脳』を読んでいると、随分「歌経標式」の引用もあるし
その後の、「喜撰式」「孫姫式」などの歌論書からの引用も多く
確かに、興味はあった...
普段、万葉集の歌そのものに没頭していたが...
こうした同時代もしくは近い時代の人たちの、
万葉集に対する感じ方を知ることができて
また楽しみが増えてしまった

つくづく思う...私は、こうも欲張りだったのか、と...

 














 「筑波の道」...つくば山も、またさやけし...
 「連歌への寄り道」

 尼作頭句并大伴宿祢家持所誂尼續末句等和歌一首
  佐保河之 水乎塞上而 殖之田乎 [尼作]
          苅流早飯者 獨奈流倍思 [家持續]
   佐保川の水を堰き上げて植ゑし田を [尼作]
          刈れる初飯はひとりなるべし [家持續]
 さほがはの みづをせきあげて うゑしたを かれるはついひは ひとりなるべし
 巻第八 1639 秋相聞 尼・大伴家持 

何故、この歌を載せたかったのか...
それは、今日の『俊頼髄脳』を読んでいて、やっと求める文章に出逢えたからだ

この歌論書、週末当たりしか腰を据えて読みこなせないが
今日の「テーマ」の一つに、「連歌」があった
その「連歌」に対する、著者源俊頼の定義の付け方の中で
引用された歌の一つが、この「尼」と「大伴家持」の一首だった

定義そのものは、俊頼以外の歌論書にまだ目を通していないので
それが現代での定説になっているのかどうか、私にはまだ分からない
しかし、いつも思うように
古典というのは、その時代の「人々の感性」に触れることであり
その時代、どのような思想・哲学を持って、生き、そして暮らしていたか...
それを知りたかった

俊頼の定義によれば、「連歌」というものは
上句、下句に別れても、それぞれが完結していなければならない、と

「唱」が上句で、「和」が下句
「これが未完結で、和する人に完結させるのは、連歌様式としては悪いことである。」

その例歌も、『和漢朗詠集』の人丸詠とされ、有名だとされる一首を採り上げ
その彼なりの定義に反することを解説している...悪い例歌として...

その後に、この掲題歌を挙げるのだが
ここでは、その訳だけ載せる【俊頼髄脳「連歌」】[小学館新編日本文学大系歌論集より]

 さほがはの・・・(佐保川の水を塞き止めて植えた田を)
 かるわせいひは・・・(刈り入れて炊いた早稲飯を食べるのは、ただ一人なのであろう)

ここで、俊頼の説に従うなら、「唱」の句は、明らかに未完結で
「和」する人に、その完結を、委ねている
これも、人丸詠とされる例歌と同じように、「わろし」歌になってしまう

それが...次の文章に、つい微笑んでしまった
平安時代の、それこそ名のある歌人の「万葉観」の一端を伺えたからだ

 これは、万葉集の連歌なり。よもわろからじと思へど、こころ残りて、末に付けあらはせり。いかなる事にか。
 【訳】これは『万葉集』中の連歌である。よもや悪かろうはずはないのだが、唱が不充分で、和で完結させている。『万葉集』なのに、どういうわけであろうか。

『万葉集』ともあろう「歌集」の「連歌」なのに...
『万葉集』だから、悪いはずもないのに...
どういうわけか、「いかなる事」か、と首を傾げている様が浮ぶ

なるほど、平安時代そのものはともかく、源俊頼個人としては
『万葉集』への思い入れは、理屈抜きなのだ、と感じられた

こうした当代の人たちの「感性」を、私は知りたかった
現代にも生き続ける「万葉歌」
しかし、時代時代で、その評価も違ってくるだろう
古典の歌論書の、面白さの一つにようやく具体的に触れられた気がした

ついでに、この「万葉歌」の後に、良い例歌として挙げられた一首を載せる

ひとこころうしみついまはたのまじよ
        ゆめにみゆやとねぞすぎにける
 〔拾遺抄・雑上・450、拾遺・雑賀・1184 女・良岑宗貞〕

ひとこころ・・・(まあなんと、いくら遅れるといって丑三つ時に見えるとは。あなたのお気持ちはわかりました。私は憂しと見て、もう頼りにしないことにします)
ゆめにみゆやと・・・(いや、恋しいあなたを、せめて夢にでもみようとして寝過ごして子の時を過ぎてしまいました。お許しを)

確かに、上の句「唱」と、下の句「和」は、それぞれが「完結」しており
俊頼のいう「連歌の定義」に適っている

この連歌の項目で、俊頼は、最後に言っている
「古今には連歌なし」と...

ちなみに、wikipediaで「連歌」を引いたところ、その「歴史」の項目で
このような記事があった...私にもゆかりの「つくば」...

【連歌は「筑波(つくば)の道」とも称されるが、これは連歌の起源が『古事記』にある甲斐国酒折(山梨県甲府市)において、倭建命(やまとたけるのみこと)と御火焼翁(みひたきのおきな)との筑波山を詠みこんだ唱和問答歌に位置づけられていることによる。】





掲載日:2013.09.22.

 明日香万葉文化館[さやけしルーム ]

 大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家(歌四首)
  月夜吉 河音清之 率此間 行毛不去毛 遊而将歸
   月夜よし川音清けしいざここに行くも行かぬも遊びて行かむ
  つくよよし かはとさやけし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ
 右一首防人佑大伴四綱
   巻第四 574 相聞 大伴四綱 


【歌意】 
月が美しい、川の瀬音も、なんと澄み切ってすがすがしいことか
さあ、こんな夜こそ、都に行くものも、残るものも
ここで、遊んで行こうではないか

 【574】語義 意味・活用・接続 
 つくよよし[月夜吉 ]
  つくよ[月夜]  〔「つく」は「つき」の古形〕月・月夜・月の明るい夜
  よし[好し・良し・善し]  優れている・美しい (本質的に最高度に優れているさま)
 かはとさやけし[河音清之]
  さやけし[清けし]  [形ク・終止形]澄み切っている・清くすがすがしい
 いざここに[率此間]
  いざ[感動詞]  〔人を誘う時に発する語〕さあ
  ここに[此に・茲に]  [副詞]この時に・この場合に
   ここ[此処]  [代名詞]近称の指示代名詞、事物・この場所をさす
 ゆくもゆかぬも[行毛不去毛]
  も[接続助詞]  [逆接の仮定条件]~ても・~としても  連体形につく
 あそびてゆかむ[遊而将歸]
  て[接続助詞]  [単純接続]~て・そして  連用形につく
  む[助動詞・む]  [推量・勧誘・終止形]~よう・~ない(か)  未然形につく
 掲題歌トップへ 

 【注記】
 さやけし
この「さやけし」は旧訓だろうと思われる
現在の訓は、「きよし」(かはのおときよし)が一般的だが
私は、「さやけし」の訓に馴染みたい
その理由として、前提とせざるを得ない「古語辞典」で、
「きよし(清し)」と「さやけし(清けし)」を比較してみた

 きよし  (風景が)綺麗である・清らかである・澄んでいる
   (心が)潔い・邪念がない・潔白である
 さやけし  澄み切っている・清くすがすがしいさやけし

意味用法において、この二語は非常に近い
しかし、「きよし」が対象そのものの汚れないようすを表すのに対し、
「さやけし」は、対象に接して呼び覚まされるさわやかな感覚を表すという違いがある
具体的に言えば、
「さやけし」は、汚れない清らかな自然に触れて感じるすがすがしさ、
人の矜持などの澄み切った心境などを表す

と、そのようなことが書いてあった

そして、この解釈で正しいのであれば、
私が、この掲題「さやけしルーム」で、この「訓」を使いたかったことも説明できる
 
 いざ
参考までに、副詞「いさ」と、感動詞「いざ」の混同の例

副詞「いさ」は、多く下に「知らず」を伴って、「さあ、どうであろうか」となり
現代語でいう「小学生なら
いざ知らず、高校生にもなって」と混同されている
本来ならば、「さあ、(どうだかわからない)」意の「いさ」と
「さあ、(~しよう)」の意の「いざ」とは別の語で、
中世以降、「いさ知らず」に限って、「いざ知らず」という表現に限って、
混同が始まった、という

 
 ここに
ほとんどの注釈書では、指示代名詞「ここ」を用いて、
この場所で、と迷いなく解説しているが、
副詞「ここに」でも、いいような気もする
「この場所」という具体的な「地点」ではなく
「さあ、こんなときは」とでも訳した方が、歌意に沿うような気もするのだが...
勿論、「月・川の瀬音」が現出している、「この場所」も重要だし
では、せっかくだから、こんな気分の休まる夜は、というようにも思ってもいいだろう

 
【さやけしルーム】明日香万葉文化館
明日香の、万葉文化館の地階にある「さやけしルーム」
これまで、もう何度も利用しているが、今回初めて気づいたことがある
その入り口の「案内板」に、掲題の歌が書かれていたことを...やっと、気づいた

明日香の風景、というか、万葉の風景、というのか
この「ルーム」に入ると、その自然の姿に、ついまどろんでしまう

沢の音、風の響き、かじかの鳴き声先、ひぐらし、きりぎりす、郭公...
嵐の後の、雨の雫の音...祭りの音...万葉人が接したであろう生活の音空間
リクライニングシートに身を沈めていると、ついうたた寝も...

そう言えば、以前子供たちと訪れたとき
私は、すっかり寝入ってしまい
子どもに、揺り起こされたことがあった
しかも、私が鼾までかいていた、と...本当なのか、と食い下がったが...そうらしい
子どもも、嵐の後に、また騒々しい川瀬の音等が続いたため
私の「鼾」も、その自然の「音」かと思ったらしい
しかし、10分ほどの上演時間で、それが終っても、未だに聞こえるので
私の席を覗き込むと...
情けないことをしたものだが...今はもう覚えていないが
その時は、きっと、私も「万葉時代」に身を置いていたのだろう...と思いたい

この「さやけしルーム」の入り口に、この歌が添えられているということは
この歌、まさにこの「ルーム」にぴったりの歌だというのだろう
その通りだと思う
そして、私が思うのは、古語辞典の解説を借りるのなら、
対象を客観的に見詰める、「きよし」という「すがすがしさ」ではなく
その対象に触れて、身も心もそのど真ん中に据えて感じる「すがすがしさ」
そうでなければならない

だから...この「さやけしルーム」の名の通り
入り口のこの歌の「訓」は、間違いなく素晴らしいと思う

 【つくよよし かはと
さやけし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ】
 
 







 「なげきつる」...不安ゆえか...
 「ひとひを待つ」

【歌意】 
朝になったら行ってしまわれ
夕べには、来てくださるあなたなのに...
縁起でもなく、わたしは悲しみ歎いてしまいました


この歌は、いろいろとその心情を想像できる

いつものように、朝になったら別れ、夕べに訪れる君
しかし、その日常が、ただただ悲しいのか
あるいは、その日常は普段堪えられるものの
この時、ふと何故か縁起でもなく、これが最後では、と思ってしまう


「ゆゆし」の語義からすると
普段とは違う、何かがあっての...何かの予感めいたもの
そんなこころの「寂しさ」が、溢れたのではないだろうか


こんな歌意もあった
ふと、寂しさにため息をついてしまった
だから、それが縁起でもない、と思ったもの...とか

もう一つ、理屈を言えば
当時の男女の結婚生活、あるいはその形態など
いろいろと書かれてはいるが
本妻、妾とかいう状況ではなく、純粋な恋仲の男女であれば
「朝家を出て、夕方に帰宅する」...これは普通のことではないだろうか
出掛ける先は、当然「仕事」であろうし
それを見送って、夕べには出迎える


それは、本妻でなければ、何時来てくれるのか、こんなに待っているのに
というような「歌」として多く詠われてもいる

ならば、この掲題歌での、上の二句は、
日常であっても、そのいっときの「別れ」を惜しんで嘆くのではなく
やはり、何かの「予感」めいたもので
その日常に「不安」がかすめたのでは、と思う


さらに、もう一つの状況では
愛しい君が、訪れてきた日も、翌日の朝には、また出かけて行く
それが、日常のことではない、とも考えられる
だから、いつもいつも、見送った後には、ため息がでてしまう...とか


今の私は、掲題の【歌意】のように感じてはいるけど
何年かして、またこの歌を読み返したとき
どんな風に感じるのだろうか...

掲載日:2013.09.23.


 正述心緒
  朝去而 暮者来座 君故尓 忌々久毛吾者 歎鶴鴨
   朝去にて夕は来ます君ゆゑにゆゆしくも我は嘆きつるかも
  あしたいにて ゆふへはきます きみゆゑに ゆゆしくもあは なげきつるかも
   巻第十二 2905 正述心緒 作者不詳 


 【2905】語義 意味・活用・接続 
 あしたいにて[朝去而 ]
  あした[朝]  朝・(何か事が起こった次の朝の意にいう)翌朝
[夜の時間の終わり]
  いに[去ぬ・往ぬ]  [自ナ変・連用形]行ってしまう・去る
  て[接続助詞]  [単純接続]~て・そして  連用形につく
 ゆふへはきます[暮者来座]
  ゆふへ[夕へ](ゆうべ)  夕方・宵・暮れ方 (「あした」参照) [夜の時間の始まり
  は[係助詞]  [主語にあたる語句をとりたてて提示する]~は
  き[来(く)]  [自カ変・連用形]来る・行く・通う
  ます[座(ま)す・坐(ま)す]  [補助動詞サ四・連体形]お~になる・~ていらっしゃる
    動詞の連用形について尊敬の意を表す・主に上代に用いられ、中古以降は和歌のみに見る
 きみゆゑに[君故尓]
  ゆゑ[故]  〔「体言」または用言の連体形の下について〕
 [順接的な原因・理由]  ~のために・~が原因で・~によって
[逆接的な原因・理由]  ~なのに・~にかかわらず・~のに
 ゆゆしくもあは[忌々久毛吾者]
  ゆゆしく[ゆゆし]  [形シク・連用形]忌まわしい・縁起でもない
 なげきつるかも[歎鶴鴨]
  なげき[嘆く・歎く]  [自カ四・連用形]嘆息する・悲しむ・祈る・嘆願する
  つる[助動詞・つ]  [完了・連体形]~てしまった・~てしまう  連用形につく
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動]~であることよ  連体形につく
 掲題歌トップへ 

 【注記】
 あした]旺文社全訳古語辞典第三版
〔「あした」は夜の時間の終わり〕
「あさ」の意に近いが、「あさ」が一日を昼と夜に分けた、
昼の時間の始まりを表すのに対して、
「あした」は「ゆふべ→よひ→よなか→あかつき→あけぼぼ→あした」と続く、
夜の時間の終わりを表す
 
 ゆうへ
〔参考〕
「ゆふ」が「朝夕・夕さりつ方・夕されば」など多く複合語中に用いられるのに対して、
「ゆふべ」は単独で用いられる

 
 ゆゆし
宗教上の「禁忌」を示し「斎(ゆ)」を重ねて形容詞化した語と考えられ、
神聖なものや、汚れたものに触れてはならないさま
「おそれ多く慎まれる・忌憚られる」、「忌まわしい・不吉だ・縁起が悪い」が原義
それが転じて、「程度の甚だしいこと・容易でない」
中世以降には、
「素晴らしい・恐ろしいほど美しい」、「勇ましい・勇敢だ」が多く見られる用法

 










 「とごころ」...われくだけても...
 「ものおもひて」

【歌意】 
噂を聞いてからずっと
あなたのことを思い、悩んでいたので
わたしのこの心は、砕け散ったように思い乱れてしまい
正気な心もちではいられません


愛しい人の、ちょっとした噂でも耳に入れば
こころ穏やかにするのは、難しいのだろう
そして、その噂が...あまり好ましくない噂であれば
その、この歌のような表現になるのではないだろうか

どんな噂なのだろう
女性が、正気を失うほど思い乱れるなどと...
男に、他の女性がいる、との噂が耳に入ったのか
それを確かめようも、本人が来ない
だから、ずっと耳に入ってからというもの
こんな苦しい日々が続いている...

万葉集には、こうした「嫉妬」の歌も多いが
それ自体の「ことば」を伏せ、その噂を想像させることもまた
歌ならではのことだろう...

もう少し穏やかに、解釈できないか、と考えてみた
「評判」のいい噂だ
しかし、その場合、女性はこんなに「思い乱れる」だろうか...
それはないと思う

やはり、「嫉妬」の歌だ



掲載日:2013.09.24.


 正述心緒
  従聞 物乎念者 我ムネ者 破而摧而 鋒心無
   聞きしより物を思へば我が胸は破れて砕けて利心もなし
  ききしより ものをおもへば わがむねは われてくだけて とごころもなし
   巻第十二 2906 正述心緒 作者不詳 


 【2906】語義 意味・活用・接続 
 ききしより[従聞 ]
  きき[聞く・聴く]  [他カ四・連用形]聞いて心に思う・聞き知る
  し[助動詞・き]  [過去・連体形]~た・~ていた  連用形につく
  より[格助詞]  [起点]~から   連体形につく
   (動作・作用の空間的時間的な起点をさす) 
 ものをおもへば[物乎念者]
  もの[物]  物事(対象を明示せず漠然と)・ことば・考えていること
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]思案する・悩む・思う
  ば[接続助詞]  [順接の確定条件・原因・理由]~ので  已然形につく
 わがむねは[我ムネ者]
  むね[胸]  心・思い・胸部
 われてくだけて[破而摧而]
  われ[割る・破る]  [自ラ下二・連用形]心が乱れる・物思いに心が砕ける
  て[接続助詞]  [並立]~て 連用形につく
  くだけ[砕く]  [自カ下二・連用形]思い乱れる・悩む・粉々になる
 とごころもなし[鋒心無]
  ごころ[利心]  しっかりした心・さとい心
  も[係助詞]  [添加]~もまた  種々の語につく
 掲題歌トップへ 

 【注記】
 
「と」は、形容詞シク活用「利(と)し・鋭(と)し」の語幹
「鋭利である・鋭い・聡明だ」の意

 







 「見苦しくも見え」...何もいはず、こそ...
 「いさぎよさは、どこに」

【歌意】 
よもや、そんなことを言い続けているとは...
わたしなら、落ちきってしまう前に
きっと、空中で消えてしまでしょうに


この歌には、「相手」が必要だ
「地に落つ」は、面目を失墜させることのたとえ、とある
自分なら、その「面目」をなくす前に、きっと対処してみせる、ということか

その「面目」が、男女間のことなのか、仕事上のことなのか
想像するしかないが、
こんなとき、その近辺にでも、手助けとなる「歌」が配列されていたらなあ、と思う
もっとも、そうした「読み方」は、個人的なもので
編者にとっては、「この歌は、どうだ」と自負もあって「採り上げた」のだろう

男女間の行き違いなどで、噂が先行し、結局双方が傷つく
それを避けるには、何も言わないで、黙って去る...消えて行く...
「何があっても、たとえ親に問い詰められても、あなたの名は言いません」
そんな万葉歌もある

しかし、そのような「一途さ」に接っし続けていると
掲題歌のような、ある意味では「裏切り」とも思える様は、「あって欲しくない」
私が抱く、甘っちょろい「万葉観」だ

ならば、職務上のこととして、思い描いてみよう

何かの不祥事を、人事のように見据えられるのは
その相手が、「上司」の場合だ
あの人は、まだあんなことを言っているのか
潔くないなあ、と

きっと、弁明を求められて、だけではなく
自らも、言い訳に終始しているのだろう
そんな職場での「ひとこま」もみるようだ

とんでもない、失敗をしでかしてしまった
何とか、言い繕う...

そんな歌...万葉集中になかったかなあ...
そんな歌があれば、まさに、この歌の「相棒」に相応しい


 
掲載日:2013.09.25.


 正述心緒
  歌方毛 曰管毛有鹿 吾有者 地庭不落 空消生
   うたがたも言ひつつもあるか我れならば地には落ちず空に消なまし
  うたがたも いひつつもあるか われならば つちにはおちず そらにけなまし
   巻第十二 2908 正述心緒 作者不詳 


 【2908】語義 意味・活用・接続 
 うたがたも[歌方毛 ](「うたかたも」とも)
  うたがたも[副詞](上代語)  本当に・必ず・きっと
  〔下に打消や反語表現を伴って〕決して・よもや・かりにも 
 いひつつもあるか[曰管毛有鹿]
  つつ[接続助詞]  [継続]~しつづけて  連用形につく
  も[係助詞]  [感動・詠嘆]~もまあ  種々の語につく
  か[係助詞]  [疑問]~か・~だろうか 
 われならば[吾有者]
  なら[なり]   [格助詞「に」にラ変動詞「有り」の「にあり」の転]
 [助動詞ナリ型・断定・未然形]~である・~だ
   ば[接続助詞]  未然形+「ば」は、順接の仮定条件]~なら・~だったら
 つちにはおちず[地庭不落]
  つち[土・地]  大地・地上・土の上
  に[格助詞]  [位置](空間的な場所を表す)~に・~で  体言につく
 そらにけなまし[空消生]
  に[格助詞]  [位置](空間的な場所を表す)~に・~で  体言につく
  け[消(く)]  [自カ下二・連用形]消える・なくなる
  なまし〔複合助動詞〕  [反実仮想を強調]~きっと~だったろう  連用形につく
   〔成立〕完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形「な」+反実仮想の助動詞「まし」
 掲題歌トップへ 

 【注記】
 うたがたも
中古には「うたがた」だけで用いた例もある
『遊仙窟』の古訓に「未必」を「ウタガタ」と読み、打消しと応じた例が見え、
万葉集でも、反語や打消しと応じた例がある
 
 
 





 「そして、ふたたび」...こふればくるし...
 「あひみそめて、から」

【歌意2910】 
逢えずに、ひとりでいて、
それがこんなにも苦しいのか、と...
魅力的な「たまだすき」をかけないように
それによって「こころ」に「恋」がかからない方法など
そんなものが、あればなあ...
【歌意2911】 
こんなことなら、いっそ黙っていればよかったものを、
甲斐もなく...でも、想い合ったにもかかわらず...
ああ、こんなに恋してしまって...


この歌二首、普通に読みすすめていけないものがあった
その前後の歌群とは、がらっと印象が変わった
そして、この二首でふと思い出す二首があったからだ

それは、大伴家持が、笠女郎に送った、唯一の歌二首に重なった
歌の意訳であれば、意識すれば、そのような類似性も見つけられるだろうが
そうした「意図」もなく、それでも、私には同じような「気持ち」を感じる
 家持の二首は、2013年5月4日掲載


 (笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首)大伴宿祢家持和<歌>二首
 今さらに妹に逢はめやと思へかもここだ我が胸いぶせくあるらむ
 巻第四 614 相聞 大伴家持 
 なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ遂げざらまくに
 巻第四 615 相聞 大伴家持 


今日の掲題歌の巻第十二、その前の巻十一に、家持・笠女郎の「忍ぶ歌」があるのでは
と思いながら、毎日一首を眺めていると、確かにそう思えるような歌もある
しかし、今回ほど、これは、と思わせるのも、
また、同じように二首揃って、というので尚更、「ここにも、あった」と思ってしまった

勿論、そもそもこんな思い入れなど、何も根拠はないのだが
『万葉集』という作者不詳の歌の圧倒的な歌数には
きっと、いろいろな事情がある、そこまでは自然と理解できる
しかし、それで通り過ぎるのもいいが
こと、この二人のことになると
これまでの評価、通説というのが、私には物足りなかったので
ある種の「意地」のようなものもある

とんでもない発想だが、759年と年紀のある歌が最後でなく
そのあとも、家持の歌は残っており、ただ編集されなかっただけだ、というのも
その根底には、圧倒的な歌数の「作者不明歌」の存在から考えるようになったものだ

少なくとも、二人の間柄を、結果的な「結婚」という形ではないにしても
終生変わらぬ「想い」があったもの、と私は信じているので
きっかけは私家集であっても、後に朝廷も携わるこの歌集
その混沌した成立事情の中に、まだまだ「夢」は残されていると思う

逢ってはいけない、でも逢いたくてならない
忘れられるすべはあるのか...
どうして、あのとき逢ってしまったのだろう...

この先に伺えるのは...今も尚、忘れられずに想い続けている、ということだ




掲載日:2013.09.26.


 正述心緒
  獨居而 戀者辛苦 玉手次 不懸将忘 言量欲
   ひとり居て恋ふれば苦し玉たすき懸けず忘れむ事計りもが
  ひとりゐて こふればくるし たまたすき かけずわすれむ ことはかりもが
【語義・歌意】   巻第十二 2910 正述心緒 作者不詳 
 
  中々二 黙然毛有申尾 小豆無 相見始而毛 吾者戀香
   なかなかに黙もあらましをあづきなく相見そめても我れは恋ふるか
  なかなかに もだもあらましを あづきなく あひみそめても あれはこふるか
語義・歌意】   巻第十二 2911 正述心緒 作者不詳 


 【2910】語義 意味・活用・接続 
 ひとりゐて[獨居而 ]
  ゐて[居る]  [自ワ上一・連用形]住む・いる・存在する・ある
  て[接続助詞]  [単純接続・確定条件)]~て・~ので  連用形につく
 こふればくるし[戀者辛苦]
  ば[接続助詞]  [確定・恒常条件]~するときはいつも  已然形につく
   「已然形(恋ふれ)」+「ば」は、順接の確定・恒常条件
  くるし[苦し]  [形シク・終止形]痛みや悩みで苦しい
 たまたすき[玉手次]「たま」は美称、玉を飾ったたすき
 〔枕詞〕襷を、うなじにかけるところから「かく」に、「うなじ」と同音の「うね」にかかる
 かけずわすれむ[不懸将忘]
  かけ[掛く]  [他カ下二・未然形]取り付ける・心にとめる・心を託す
  ず[助動詞・ず]  [打消・連用形]~ない  未然形につく
  わすれ[忘る]  [他ラ下二・未然形]忘れる・記憶をなくす
  む[格助詞・む]  [仮定・連体形]~ような  未然形につく
 ことはかりもが[言量欲]
  ことはかり[事計り]  事のはからい・処置・配慮
  もが[終助詞](上代語)  [願望]~があればなあ・~であればなあ  体言につく
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 【2911】語義 意味・活用・接続 
 なかなかに[中々二 ]
  なかなかに[形動ナリ]  [連用形]かえって~しない方がいい
 もだもあらましを[黙然毛有申尾]
  もだ[黙]  何もしないでいること・黙っていること・沈黙
  も[係助詞]  [仮定希望]~なりとも・せめて~だけでも  種々の語につく
  あらまし  こうありたいという願い・計画・予定・予期
  を[間投助詞]  [感動・詠嘆]~なあ 
    (この品詞の用法では「もの・まし」に付くことが多い)
 あづきなく[小豆無]
  あづきなく[味気無し]  望ましい結果が得られそうになく、諦める感じ・甲斐がない
    (「あづきなし」は上代で使われ、「味気」は当て字)
 あひみそめても[相見始而毛]
  あひみ[相見る]  [他マ上一・連用形]対面する・恋仲になる
  そめ[初(そ)む]  [接尾語マ下二・連用形] (動詞の連用形について)
   「~始める・初めて~」の意を表する動詞をつくる
   〔例語〕相見初む(=互いに恋心を抱き始める)、開け初む(=咲き始める)など
  ても  〔成立ち〕接続助詞「て」に、係助詞「も」
   〔語義〕係助詞「も」の働きで、上の語句を逆説的に下に続ける、「~ても・~のに」 
 あれはこふるか[吾者戀香]
  か[終助詞]  [詠嘆・感動位]~だなあ  連体形につく
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 【注記】
 なかなかに
「なかなか」だけを、副詞として解説している書が多いが、
その場合、「に」については、はっきり説明されていない
確かに、歌意としては、形容動詞「なかなかに」と、
副詞「なかなか」には似たようなものだ
さて、そこで「に」を調べても、どうしても「副詞」には付かない
だから、やはりここは、形容動詞「なかなかに」だと思う

〔参考〕角川書店・全訳古語辞典2002年初版『語誌語感』
名詞「中」を重ねて形容動詞化した語で、中途半端で、どっとつかずなさまが原義
上代には「なかなかに」の形しか見られなかったが、中古以降、形容動詞として用いた
また、「なかなか」だけを副詞としても用いた
 
 ても
①「て」で受けた語句の意味を「も」で強めながら下に続ける「~でも・~で・~てまあ」②「も」の働きで、上の語句を逆説的に下に続ける「~のに・~にもかかわらず」
③逆接の仮定条件を表す「たとえ~しても・~たとしても」

この歌で、接続助詞「て」と係助詞「も」を別に説明しようかと思ったが
「ても」の古語辞典の説明が解り易かったので、それを載せた

私は、②の用法だと思う
『全集』では、この係助詞「も」は、
本来第三句の「あづきなく・も」とするべきだ、としている
確かに、その方が意味もしっかり解り易いと思うが
私の持論では、たとえ原文に「?」があっても
まず、それに即して解釈するのが基本だと思う
それでも、理に適わなければ、初めて「誤」の解釈が通るものと...
 
 






 「かかりてもとな」...おもほゆるかも...
 「大切な思い出」

【歌意2912】 
愛しい人の、微笑む顔、美しく引かれた眉、
そんな姿が、幻影のようにやたらと眼前に現れて...
どうしようもなく、自然としのばれてしまうものだ


これは、一般的な男が女性を想う歌だろうか
死別した「恋人」を偲んでの歌のようにも思える
仮にそうだとしよう

死別直後の哀しみのどん底から、やっと立ち上がって
こうやって、「在りし日の面影」を偲ぶことができる
死を知ったときには、ただただ泣き叫ぶばかりで、言葉もなかったのだろう
幾年、幾月、この歳月が、その哀しみを次第に「面影」の中に、綺麗に残してくれる

そんなとき、男が歌えるのは
ただ「哀しみ」を表現するのではなく
目に浮ぶ、在りし日の「笑顔や綺麗な眉引き」
どんなに、他の思い出を振り絞ろうとしても、「ゑまひまよびき」
この「ゑまひまよびき」だけが、男の「こころ」に焼きついている

そうやって、思い出というのは...
どんなに苦しく哀しいものであっても、
決して忘れられない「ところ」だけが...
しきりに、思い出されてしまうものなのだろうか

この歌の第一印象を、こんな風に思ったのも、
「かかりてもとな おもほゆるかも」...
このことばに感じられるものは、決して現実の恋人ではない、と思った
今尚恋仲の女性を想うのであれば、こんな表現を使うのだろうか

逢いたいのに逢えずにいる恋人同士、あるいは「片恋」
それらの歌は、何と悲痛に満ちているのだろう
しかし、この歌には...ある時点で、「時が止っている」
その止った時間の中の、「面影」がしきりに眼前にちらつく...
それは、どうしても忘れられない、というのではなく
まさに、「そのことばかり、思い出してしまう」

あの時、時間が止ったからこそ...こんな歌になったのだろう
「温かい微笑、美しい眉...」、時と共にそれだけが、詠者に残された思い出となった
勿論、こんな風に感じる人は、いないだろうが...

掲載日:2013.09.27.


 正述心緒
  吾妹子之 咲眉引 面影 懸而本名 所念可毛
   我妹子が笑まひ眉引き面影にかかりてもとな思ほゆるかも
  わぎもこが ゑまひまよびき おもかげに かかりてもとな おもほゆるかも
【語義・歌意】   巻第十二 2912 正述心緒 作者不詳 


 【2912】語義 意味・活用・接続 
 わぎもこが[吾妹子之 ]
  わぎも[吾妹](上代語)  私の愛しい女性・男性が妻や恋人などへ親しんで言う語
  (わぎも)こ  「吾妹」に親愛の意を添える「こ」が付いた語
 ゑまひまよびき[咲眉引]
  ゑまひ[笑まひ・咲まひ]  微笑・花のつぼみがほころびること
  まよびき[眉引き]  (「まゆびき」とも)眉墨で眉を描くこと・また、その眉
 おもかげに[面影]
  おもかげ[面影]  顔つき・姿・様子・幻影・幻
  に[格助詞]  [状態]~に・~として・~のように  体言につく
 かかりてもとな[懸而本名]
  かかり[懸かる・掛かる]  [自ラ四・連用形]垂れ下がる・(霊などが)つく・掛かる
  て[接続助詞]  [単純接続]~て  連用形につく
  もとな[副詞]  根拠もなく・理由もなく・しきりに・やたらに
 おもほゆるかも[所念可毛]
  おもほゆる[思ほゆる]  [自ヤ下二・連体形]自然に思われる・しのばれる
    四段「思ふ」の未然形「おもは」に自発の助動詞「ゆ」、「おもはゆ」の転
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動]~であることよ  連体形につく
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 【注記】
 ゑまひ
名詞「ゑまひ」は、上代語の動詞「笑(ゑ)まふ:ほほえむ・にっこりしている・花が咲く」
から派生した言葉のようだ
すると、上代語ではない、同じ意味としては...が必要になる
それが、名詞「ゑみ」、自動詞マ行四段「笑(ゑ)む」となるだろう
勿論、語義は上代語と全く同じだ

そして、なにより嬉しかった今夜の発見
今まで、「花が咲く」などの「咲く」を古語辞典で引いても
殆どの辞書には「咲く」は載っていなかった
珍しく載っている辞書でも、原義としては「裂(さ)く」で、
「蕾」を裂くようにして花が開く、などとあり、私もそれで納得していた
しかし、古典の文書に「咲く」が表記される以上
「咲く」の項目があってもいいのではないか、との不満も強かった
ところが、今夜この掲題の歌に接して、「ゑまひ」を引く
「あった」
ここに、微笑に続いて、別の用例で「花の蕾がほころびること」、
つまり、「花が咲く」意味として載っていた
おそらく、これは私の想像だが、「咲く」を「裂く」からの語音とし
そのイメージで、蕾を裂いて開く、物理的な状態から「さく」を当て
しかし、心情的には「微笑」のような心を和ませるイメージに「花が咲く」を重ねる
そうとしか思えない
だから、視覚だけでいう「花が咲く」という表記よりも
当時の人は、その花が開くことによってもたらされる温かさ「笑む」に
「花が咲く」意を用いたのではないかと思う
「咲く」という語だけを単独で用いることは、
おそらく考えたこともなかったことだろう

そう思うと、また万葉人の「こころ」の一端を知らされた気がした
 
 





 「茜色に暮れて」...ひとの哀しさを...
 「こひつつぞをる」

【歌意2913】 
あかね色に日が暮れてゆくと...
どうしようもなく気持ちまで沈んでしまい
幾度も幾度も嘆いては、恋い慕い、そしてまた恋い慕って...
そんなわたしがいる...


夕暮れの...秋の物思い...人は誰でも、こんな経験をしている
それほど、秋の夕暮れは、必要以上に「人を哀しい詩人」にしてしまう

「想い人」を待つような状況でもなく
あるいは、通う行く先も定まらぬ、夕暮れの先...

茜色にさす夕暮れの空...一番自分自身を素直に見詰められるひと時なのかもしれない
 
掲載日:2013.09.28.


 正述心緒
  赤根指 日之暮去者 為便乎無三 千遍嘆而 戀乍曽居
   あかねさす日の暮れゆけばすべをなみ千たび嘆きて恋ひつつぞ居る
  あかねさす ひのくれゆけば すべをなみ ちたびなげきて こひつつぞをる
【語義・歌意】   巻第十二 2913 正述心緒 作者不詳 


 【2913】語義 意味・活用・接続 
 あかねさす[赤根指 ]
  〔枕詞〕茜色に美しく輝くことから、「日・紫・昼・照る・月・君」などにかかる
 ひのくれゆけば[日之暮去者]
  くれ[暮(く)る・昏(く)る]  [自ラ下二・連用形]日が暮れる・季節が過ぎる
  ゆけ[行く・往く]  [自カ四・已然形]しだいに~てゆく
   (動詞の連用形の下について、その動作が継続し、進行する意)
  ば[接続助詞]  [已然形+「ば」で、順接の確定条件]~ので・~だから
 すべをなみ[為便乎無三]〔「すべなし」のミ語法〕
  すべ[術]  手段・方法・仕方
  を(な)み[間投助詞]  [~を~み]~が(ない)ので・仕方なく  体言につく
 ちたびなげきて[千遍嘆而]
  ちたび[千度]  (「度(たび)」が、度数・回数、の意で)数多く・幾度も
  なげき[嘆く・歎く]  [自カ四・連用形]嘆息する・ため息をつく・悲しむ
  て[接続助詞]  [単純接続]~ては・~て・そして  連用形につく
 こひつつぞをる[戀乍曽居]
  つつ[接続助詞]  [継続・反復]~しつづけて・~ては~して  連用形につく
  ぞ[係助詞]  [強調]~が 〔「係り結び」の「係り」〕 
  をる[居(を)り]  [自ラ変・連体形]存在する・いる・ある 〔「結び」〕
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 「こころしおもへば」...いたもすべなし...
 「抑えなれないこころ」

【歌意2914】 
わたしの恋心は、昼も夜も区別なく
幾重にも、幾重にも連なるようになって想い続けているので
わたしは...それを抑えることも出来ないでいる

面白い解釈があった
それは、「わく」という「語」を「湧く」と当て
昼夜構わず湧いてくるので、というような解釈だった
原文に「不別」とあるにもかかわらず...
自動詞カ行四段「湧く」の意味は、
「(水などが)吹き出す・激しく流れる・盛んに起こる」
想いが、そうした激しく吹き出すような様を思い浮かべると
とても、この歌の情感に添うようにも思えるのだが
そうすると、「わかず」という、「未然形+打消しの助動詞」の文法
理屈に合わなくなってしまう
「湧かない」ではなく「湧く」ので幾重にも...となるはずだ
ニュアンスは理解できても、やはり「別く」として、
昼夜の「区別も判断できない」ほど...そうか、ここで「湧き上がる」のか
私の早とちりだったようだ
この「区別も判断できない」ところを、その解説では「夜と
なく昼となく
それだけで、収めてしまい、そのあとに「湧き上がる恋心」を表現していたようだ
...まだまだ力不足だ、と痛感する

一日中、想い続けているので
もう手を付けられない、私の恋心...
そんな時代が、こんな私にもあった...懐かしい

掲載日:2013.09.29.


 正述心緒
  吾戀者 夜晝不別 百重成 情之念者 甚為便無
   我が恋は夜昼わかず百重なす心し思へばいたもすべなし
  あがこひは よるひるわかず ももへなす こころしおもへば いたもすべなし
【語義・歌意】   巻第十二 2914 正述心緒 作者不詳 


 【2914】語義 意味・活用・接続 
 あがこひは[吾戀者 ]
  こひ[恋]  [名詞]恋しく思うこと・心が引かれること・恋愛 
 よるひるわかず[夜晝不別]
  わか[別く・分く]  [他カ四・未然形]区別する・判断する・理解する
  ず[助動詞・ず]  [打消・終止形]~ない  未然形につく
 ももへなす[百重成]
  ももへ[百重]  [名詞]数多く重なっていること
  なす[接尾語](上代語)  ~のように・~のような
 〔接続〕  名詞、まれに動詞の連体形につく
 こころおもへ[情之念者]
  し[副助詞]  語調を整え強意を表す 
  〔接続〕体言または活用語の連体・連用形、副詞、助詞などにつく
  〔参考〕中古以降は、「~」という条件を表す句の中などに用いられる
  おもへ[思ふ]  [他ハ四・已然形]考える・思う・恋しく思う・嘆く
  ば[接続助詞]  [順接の確定条件]~ので・~だから  已然形につく
 いたもすべなし[甚為便無]
  いたも[甚(いた)も]  [副詞]はなはだしくも・非常に
  〔成立〕副詞「いた」に助詞「も」のついたもの
  すべなし[術無し]  [形ク・終止形]なすべき手段がない・どうしようもない
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【注記】
 なす
〔例語〕朝日なす・巌なす・垣穂なす・木屑(こつみ)なす・獣(しし)なす・雪なす、など
〔参考〕枕詞とみられる次の語の「なす」も同類と考えられる
「朝日なす」などは枕詞ともみられ、その境界ははっきりしない
「馬酔木なす・入り日なす・鶉なす・績(う)み麻(を)なす・雲居なす・玉藻なす」など
 
 





 「かかしめつつ」...あはぬひと...
 「むなしきこと、か」

【歌意2915】 
ただでさえ、薄いこの眉根なのに
逢えるかな、と期待を持たせるか搔かせても
この薄さでは、むなしく搔くようなものだ
それでも、搔かせておきながら
あの娘は、逢いにきてもくれない


「いたづらに」のかかる言葉は、「まよねかく」という複合の動詞があるので
きっとその語にかかると思うが
それでは、訳すとき、現代の日本語が難しいのでは...結果を先に述べている

「むなしく」というのは、搔くことで、淡いながらも
逢える期待があったのに、やはり来てくれない
空しいことだった、と結果に対してそう感じるものかと、最初は思った
その方が、普通に思い浮かべる情景といえる
しかし、「いたづらに かかしめつつも」とあるのは
期待が外れたからの「むなしさ」ではない
こんな薄い眉なのに、それを「かかしめ」...使役の助動詞で
「搔かされる」...誰がそうさせたのだろう...意中のあの娘
搔かされたのは、痒くて搔いたのだが
かといって、こんな「薄い眉根」など、そんな効果などあるはずもない
無益なことと知りながら、搔いてはいるが...

この「いたづらに」は、そんな俗信の役に立たない自身の「薄い眉根」を
揶揄したものではないだろうか

眉が痒くなり、それを搔けば、恋人に逢える
逢える前兆だという俗信も、私には無縁なことだ
ほら、搔かせておきながら、来てくれやしない

そんなのんびりとした歌のようだ

この類想歌では、もっと際立つ「むなしさ」だ
人の眉根を、「いたづらに かかしめ」...
詠者は、自分の「眉根」を搔かされている
掲題歌と違って、「薄い眉根」でもなく、ごく普通の「眉根」
ここでいう「いたづらに」が、紛れもなく「かかしめ」にかかるのは
その「眉根」に、期待をはずすような特徴も語られていない
だから、掲題歌でも、初めは同じように感じたものだ

しかし、結果として「いたづらに」であり
「いたづらに かかしむ」となるのは...何となく日本語として難しい
掲題歌では「薄い眉根」という、「こんな眉」というような、「いたづらに」が
それこそ、ぴったりと当てはまる形容だとは思うが...難しい日本語、古語...

 大宰大監大伴宿祢百代戀歌(四首) 
 相聞
  無暇 人之眉根乎 徒 令掻乍 不相妹可聞
   暇なく人の眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ妹かも
  いとまなく ひとのまよねを いたづらに かかしめつつも あはぬいもかも
 巻第四 565 相聞 大伴宿禰百代 

掲題歌との違いは、歴然としている
初句も違うが、それよりも第二句の「ひとのまよねを」と「うすきまよねを」
この語句だけで、なぜ、という「恨み節」と、
やはり、という「老境のはかなさ」が感じられる

掲載日:2013.09.30.


 正述心緒
  五十殿寸太 薄寸眉根乎 徒 令掻管 不相人可母
   いとのきて薄き眉根をいたづらに掻かしめつつも逢はぬ人かも
  いとのきて うすきまよねを いたづらに かかしめつつも あはぬひとかも
【語義・歌意】   巻第十二 2915 正述心緒 作者不詳 


 【2915】語義 意味・活用・接続 
 いとのきて[五十殿寸太 ]
  いとのきて[副詞]  とりわけ・特別に・ただえさえ
   「のきて」は四段動詞「除(の)く」の連用形「のき」に接続助詞「て」
 うすきまよねを[薄寸眉根乎]
  うすき[薄し]  [形ク・連体形]厚みがない・薄い・薄情である・とぼしい
  まよね[眉根]  「まゆね」ともいう、「まよ」は「まゆ」の古形、まゆげ
  を[格助詞]  [対象]~を  体言につく
 いたづらに[徒]
  いたづらに[徒ら]  [形動ナリ・連用形]役に立たない・空しい・はかない
   「に」は形容動詞「いたづら」の連用形「いたづらに」の語尾「に」
 かかしめつつも[令掻管]
  かか[搔く]  [他カ四・未然形]引っ掻く 
  しめ[助動詞・しむ]  [使役・連用形]~せる・~させる  未然形につく
  つつ[接続助詞]  [逆接]~ながらも  連用形につく
  も[係助詞]  [言外暗示]~でも・~さえも  種々の語につく
 あはぬひとかも[不相人可母]
  かも[終助詞]  [詠嘆・感動]~であることよ  体言につく
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【注記】
 いとのきて]『全集』より
中古語の「いとどしく」や、中世語の「さなきだに」に当る
原文「五十殿寸太」の「太」は「て」の音仮名
 
 まよね(かく)
眉がかゆくて搔く
眉が痒いのは恋人に会う前兆とされ、眉を搔くことは
恋人に会いたいときのまじないとされた

 
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