万葉集巻第十六の構成・特徴   日本古典文学全集・小学館
   
     巻第十六





 
部類別 歌数  長歌  短歌  旋頭歌  漢詩 
有由縁并雑歌 104   8  92  4 0
 
 歌数だけで巻の分量の大小は計れないが、この巻は収める歌の数が百四首、巻第一に次いで歌数の少ない巻である。底本の西本願寺本などの仙覚本系諸本の冒頭に「有由縁雑歌」の標目があり、それによって「由縁ある雑歌」と解されることが古くからあった。しかし、尼崎本や広瀬本などの非仙覚本には「有由縁并雑歌」とあり、それは「由縁ある(歌)と雑歌と」の意であり、そのほうがこの巻全体の内容をよく表わすといわれている。その「由縁」というのは、歌にまつわる言伝え、背後事情を意味し、題詞か左注にそれが記されているのが「有由縁歌」である。

 これに対して、後半には「由縁」を欠く歌が並ぶが、ただ、その前後二部の正確な境界を的確に示すことが難しい。尼崎本を見ると、3838の穂積親王の歌の前上方に朱で「巳下雑歌歟」と書き入れてあるのが注目されるが、これは多分にその本の(またはその祖本の)書写者の理解を示すに過ぎず、その前後の歌の内容を見比べれば、必ずしも従うべきでないと思われる。あくまで一案という条件で巻全体の構成を示すならば、次のごとくになろう。

 第一部 物語歌  
 (A)  題詞のみ(「昔」で始まり、左注はあっても由縁を述べない)  3808〜3827
 (B)  左注のみ(「右、伝へて云はく」で始まる)   3828〜3832
 (C)  題詞・左注共存(由縁は左注で述べる)   3833〜3837
 第二部 誦詠歌、戯笑歌、数種の物を詠む歌  3838〜3881
 第三部 歌謡   
  (A)  地方の民謡 3882〜3906
 (B)  芸謡  3907・3908
 第四部 怕ろしき物の歌  3909〜3911


 第一部は、由縁を語る部分が歌の前後いずれにあるかによって分割されている。その多くは悲劇的な内容のものであるが、たまたまそのような偏りになったに過ぎないとも言えよう。複数の壮士たちに求婚されて自死した女、親の許さぬ仲の男女の苦悩、公務に従事して帰り来ぬ夫を待ち疲れた女、男の心変りを恨む女、などが詠んだ歌が主で、ここには由縁を述べた物語を抜きにしては内容を正しく理解することが出来ない類の歌が集められている。総じてこれらは『伊勢物語』や『大和物語』などの中古の歌物語の先駆をなすものと思えばよい。

ただ、その中にあって、第三話のの竹取翁の歌は異彩を放つ。翁と複数の娘子との遭遇ならびに歌の応酬は、巻第五の「松浦川に遊ぶ序」(857〜867)にもあったが、竹取翁の長歌は、自らの若かりし日の栄光を微に入り細を穿って語り、いかに魅力的で世間の人の注目を浴びたかをつぶさに述べて、やがて老い、人に侮られる身となったことを嘆き、最後に敬老の道を説き棄老を戒めて教訓する。それも、身振りを交えたらしく、あたかも舞踏劇の独り語りの科白の部分を読んでいるような面白さが、ここにはある。しかも、知識人の創作とみえて、随所に『文選』や『遊仙窟』などの漢籍の語句を援用するが、難解な箇所もある、という実情である。
 第二部は、戯笑歌、無心所著歌、数種の物を詠み込んだ歌など、大部分が即興に生まれたらしい世俗臭芬々の歌が多く、およそ文芸作に不可欠な雅趣から程遠いその意味で、これまた他のどの巻に移すことのできない領域と言える。即ち、遠慮のない仲間うちなればこそ許される類の冗談やからかい、こき下ろしが並ぶが、その当意即妙の受け応え、間の良さが歓迎される風潮が当時既にあったことは確かで、この知的遊戯が後世の俳諧の源流となってゆくであろうとは容易に想像される。その中心的人物が、柿本人麻呂や高市黒人らと同じ時期、第二期の人、長忌寸意吉麻呂であることは注意してよい。その型破りの軽み、諧謔性は用語の上からも看取でき、生活に密着した卑俗な単語の持ちこみと共に、日常会話ではかなり高い比率で使用されていたと思われる大陸から入って来た字音語を、この中では幾つも挙げることができる。「双六・力士・法師・檀越・無何有・五位・塔」などその一部である。
 ここで一つ注意しておきたいのは、

   仏造るま朱足らずは水溜まる池田の朝臣が鼻の上を掘れ (3863)

などの歌の作られた年代に関する従来の理解が誤っているのではないか、ということである。と言うのは、一般にこの鍍金の対象たる「仏」を東大寺の廬舎那仏と速断し、巻第十八の出金詔書を奉賀する歌(4118)が作られた天平感宝元年(749)と同じ時期と解することが行われており、前回の旧全集本や完訳(完訳日本の古典)本もそれに洩れなかった。しかし、今回は東野治之が、「ま朱足らず」が実情に合わず、実際はアマルガム鍍金に必要な水銀が、当時、唐への輸出品の一つであったことに注目し、それの原料である「ま朱」(辰砂)が不足だったことは考えられないことから、この「仏」は大仏に限るべきでないことを説いた。これによれば、この「仏造る」の歌が感宝元年より三年前の天平十八年(746)を以て下限とする巻第十六までの原撰万葉集の中に遡って挟み込まれたなどと解する従来の説明から解放されることになる。

 第三部は、(A)各地の民謡、(B)乞食の誦詠した芸謡を収めたものである。(A)は所属国名を明らかにしない歌もあるが、それを除いても筑前・豊前・豊後・能登・越中と並んでおり、その配列は巻第十三などに見られた七道順に合わず(あるいは逆回りか)、その無頓着さは、あるいはこの巻全体の構成の粗さ、整頓を受け入れない半端物の寄せ集め的性格の現れでないか。この最初に置かれている「筑前国の志賀の白水郎が歌十首」は、事件の話題的興味もさることながら、その左注の末尾に、筑前国守山上憶良が白水郎の遺族に代わってその志を述べたものだ、という「或は云はく」が書き添えられている点に、当時における民謡と創作との交流事情を考えさせる何ものかがありそうである。(B)の「乞食者が詠ふ二首」は、それとは少し異なるが、民間芸能と歌謡との結び付きを考える上に重要な資料で、後世の猿楽や田楽能などの古い姿を想像させる資料として興味深い。
 
 最後の第四部「怕ろしき物の歌三首」については、その三首の持つ気味悪さの内容がそれぞれ異なっているようで、いかなる意図から編纂者がここに並べたか、訓義に疑義がある歌が含まれていることもあって、不明というほかはない。
 この巻第十六の成立した時点でひとまず編纂事業は落着を見たと言ってよく、その時期は天平十八年であったと思われる。それ以後、巻第十四の勘国歌の国名別順序の入れ換えなどの若干の手直しはあったが、大掛かりな変更はなかったと思われる。
 ここで今一つ触れておくべきことは、この巻を含めた以下五巻に関して、目録を欠く本があること、目録が具っている本でも誤りがかなりに多いことである。その五巻に目録がない本というのは、元暦校本(巻第二十にある目録は後世の偽作)や尼崎本・広瀬本などの非仙覚本で、全巻目録が存する本は仙覚本系である。このことについては、あらかた第一冊の解説の「五 本文批評のこと」の中で述べたが(@解説416頁)、目録完備の本のそれに誤りが多く、本条の内容を正しく理解している者の作とは思えないとは『万葉代匠記』や『万葉集古義』その他の学書研究者のあまねく剔抉するところである。この巻第十六についてその一端を示せば、次のごとくである。

     橘の寺の長屋に我が率寝し童女放りは髪上げつらむか (3844)

 これにはその前に、「古歌曰」という題詞があって、実作者は不明である。しかし、左注には医家かと思われる椎野連長年という者が、歌の内容・表現を不適当として添削した、その結果が「橘の照れる長屋に」(3845)云々だ、としている。ところがこれに対する目録に、

   椎野連長年歌一首
   和歌一首

とあって、初めの作者不明歌(3844)を椎野連長年の作、あとのほう(3845)のがそれに対する返歌という履き違えぶりで、弁護のしようがない。強いて言えば、このような誤りが生じる一因は、この巻以後の諸巻の題詞・左注がとかく長文で、内容の複雑なものが多く、それを要約して目録を作ることが容易でない点にある。元暦校本などの、巻第十五までしか目録がないのは第二次原本(目録皆無の本が第一次)、そうもいくまいと別人が取り掛かったもののやはり失敗した、というのが底本(西本願寺本)などの祖本に当る第三次原本、と考えればよいのではないか。勿論、この第一次・第二次・第三次というのは、あくまで生成過程の説明のための便宜に過ぎない。
 
 全巻の構成 Index  万葉集の部屋  万葉全歌集  ことばに惹かれて  古今和歌集の玄関
巻第一の構成  巻第二の構成 巻第三の構成  巻第四の構成  巻第五の構成 巻第六の構成 巻第七の構成  
巻第八の構成 巻第九の構成 巻第十の構成 巻第十一・十二の構成 巻第十三の構成 巻第十四の構成 巻第十五の構成    
巻第十七の構成 巻第十八の構成 巻第十九の構成 巻第二十の構成