万葉集巻第三の構成・特徴   日本古典文学全集・小学館
   巻第三





部類別  歌数  長歌   短歌  旋頭歌
 雑歌  158  14  143  0
 譬喩聞  25
 0  25  0
 挽歌  69  9  60  0
 
 
 巻第一と二とが互いに密接な関係にあったのと同様に、巻第三は四と相補的関係をなす。巻第三には譬喩歌という部立が初めて見え、その譬喩歌は万葉集においては相聞内部の表現形式による下位分類の一つといわれている。それがこの巻の中に置かれているのは、両巻の長さをほぼ同じようにするという意図によるものではなかろうか。即ち、もし譬喩歌を本来あるべき部立である相聞の中に含めて、紀州本・神宮文庫本・西本願寺本の三古写本のペ−ジ数によって百分比を出して巻第三と四の三部立の平均値を示せば、雑歌30%、相聞54%、挽歌16%となる。そこで巻第四にそのまま入れると多くなり過ぎるため、余る4%を巻第三に移すための名目として、表現法の特異性に注目し、譬喩歌を抜き出したのである。
 この第三・四の両巻が一・二と異なる点の一つは天皇代の標目がないことである。その理由の一つとして、巻第一・二成立後「日本書紀」などを参考にするほど古い歌がもう残されていなかったのではないか、ということも考えられるが、そのほかに、原資料の題詞の記事がおおむね不正確なものが大部分だったというような事情もあったと思われる。冒頭の、天皇が雷丘に登った時に人麻呂が詠んだ歌(235)というのも、一応、持統天皇をさすかというだけのことで、本当のことは分らない、志斐嫗と唱和したという(237,238)、その天皇も同様である。このような有様であるから巻第一・二のような天皇代の標目は作れない。このように作歌事情の不確かな歌をおおよその見当で配列したという例が、巻第三・四の比較的に年代の古い時期のものに多い。
 250-258の人麻呂の旅の歌八首も、同時の作ではなかろう(306,307も人麻呂の旅の歌であるが、別扱いにした理由は不明)。272-280の高市黒人、360-365の歌も同様である。259は、平城遷都後の藤原旧京の荒廃を詠んだ歌であるが、この現れ方は早過ぎる。 巻第二の挽歌の部で、平城遷都以前に死んだことになっている人麻呂の歌が、この後相次いで現れ、また遷都の二年前に上野の国守となった田口益人の赴任途次の歌が299,300にある。このような年次の混乱があると、384の筑紫の娘子児島が東上する官人に贈る歌が天平五年(733)より後に置かれてあっても、天平二年の大伴旅人上京の折の作と見て差し支えないかもしれない。 318の「中納言大伴卿」の吉野行幸供奉の歌の題詞脚注に「未だ奏上に至らぬ歌」とあるのは、これが草稿のまま残っていたことをいうのであろう。この種の注は巻第六の坂上郎女の歌(1031)にもあり、後年、家持も奏上しない歌4519の草稿を載せたことがある。331以後に大宰府関係の歌が出てくる。旅人は望郷の歌を作り、また酒を讃める歌を作った。そして山上憶良は宴を罷る歌を詠んでいる。これらは、この前後が大伴氏の家の集いによっていることを示す。

 譬喩歌は天武天皇の皇女紀皇女の「軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに」(393)の歌で始まる。この歌は表現法からいって正しい意味での譬喩歌ではないが、一つには相対的にその年代が古いこと、もう一つは天武の皇女作ということで最初に置いたのであろう。巻第四までの七つのグル−プはいずれも、天皇の御製か、天皇の近親の作、さもなければ天皇の行為を詠んだ歌を最初に置いてある。この紀皇女の歌の後は、神亀・天平の歌とおぼしいものが並ぶ。筑紫の観世音寺別当として旅人に近かった満誓沙弥をも含めて、大伴・佐伯の一族の者およびその周辺の人々の歌が多いのも偶然ではなかろう。
 挽歌の部の最初は聖徳太子の歌である。「日本書紀」では十二句から成る不整型の長歌であったものが、ここでは短歌形式になっているのは伝承を経たためであろう。419の大津皇子の歌は劇的な場面での詠として人々に強い感動を与える。しかし、「雲隠りなむ」という、尊者についてその死を敬避した表現は、これが皇子自身の歌でないことを示す。先にもいった大津皇子ものがたりともいうべき語り物の中で誦された後人の仮託ではないだろうか。
 437-440の「和銅四年辛亥、河辺宮人が姫島の松原に美人の屍を見て、哀慟して作る歌」は、巻第二の228、229とその題詞がほとんど同じである。紀伊の三穂の岩屋にいたと伝えられる久米の若子(307)が姫島の女水死人といかなる関係があるのか、また、内容から当然、恋の歌と考えられる439,440をなぜ併記したのか、疑問が多い。左注に「・・・ただし、歌辞相違ひ、是非別き難し。因りてこの次に累ね載せたり」とあるのも、編者も不審に思いながら原資料の記述のままにしたことを示すのであろう。
 441は筑紫赴任後幾ばくもなく妻を失った旅人の詠んだ歌である。その旅人も帰京後、「萩の花咲きてありや」と心にかけながら薨じた。その後、天平七年(735)に死んだ大伴家の食客、新羅渡来の尼理願を葬送する坂上郎女の歌、また家持が亡妾の死を悲しんだ歌など、大伴氏関係の歌が多く並んでいる。巻第三は後になるにしたがって、いよいよ家持と関係が深い。
 
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