万葉集巻第四の構成・特徴   日本古典文学全集・小学館
   巻第四
    
 部類別  歌数 長歌  短歌  旋頭歌 
 相聞 309  301 
 
 この巻第四は相聞のみから成るが、ただし譬喩歌を巻三に割譲したことは先に述べた。全体、年代順に並べてあるが、そのうち比較的に古い時期の歌詞の記事の不正確なものが多く、作者名を記してあっても、しばしば、そのままには信じ難いということがある。
 そもそも冒頭の「難波天皇」についても、第十六代仁徳天皇と第三十六代孝徳天皇の二説があり、本書では仁徳天皇とする説によったが、孝徳天皇説も必ずしも退け難いと思われる。その次の「岡本天皇」に関しても、第三十四代舒明天皇かその皇后の皇極(斉明)天皇即ち「後岡本宮御宇天皇」か明らかでない。歌中の用語からみれば女帝らしいが、伝誦を経たに違いないこれらの歌について、後世の文学作品と同じように作者の性別や作歌の動機を詮索することは意味がないのではなかろうか。左注に、   右、今案(かむが)ふるに、高市岡本宮、後岡本宮、二代二帝
  各異にあり。ただし、岡本天皇といふは、未だその指すところを
  審(つばひ)らかにせず。 





というのは、原資料を尊重し賢しらを交えまいとする編者の一貫した方針の現れとみてよい。
 その後、額田王や鏡王女、吹芡刀自、舎人吉年など、巻第一・二にもその作品を載せた人々の歌が続く。ただし、これらも、その題詞から十分には作歌事情を計り難く、
例えば女性の吹芡刀自の歌二首、

   真野の浦の淀の継ぎ橋心ゆも思へや妹が夢にし見ゆる(493)
   川の上のいつ藻の花のいつもいつも来ませ我が背子時じけめやも(494)

のうち、後者は「いつもいつも来ませ我が背子」とあって、まず女性の歌であること疑いないが、前者は「妹」の語が用いられていて、同じ吹芡刀自の同時の作と解することに疑問を残す。
 このような不透明さは、その後の柿本人麻呂の歌にも指摘できる。即ち、柿本朝臣人麻呂が歌四首

   み熊野の浦の浜木綿百重なすこころは思へど直に逢はぬかも (499)
   古にありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寝ねかてずけむ (500) 
   今のみのわざにはあらず古の人そまさりて音にさへ泣きし (501) 
   百重にも来しかねかもと思へかも君が使ひの見れど飽かざらむ (502)

において、この題詞では不充分である。四首のうち初めの二首は人麻呂の歌というにふさわしいが、後の二首は人麻呂の妻の返歌である。一部には、この題詞の示すままに四首とも人麻呂の作で、自問自答と解する向きもあるが、先の吹芡刀自の歌が男女の作であったことを思い合わせれば、ここも必ずしも題詞に縛られた解釈をしなくてよかろう。原資料にそのように一括して収められていたというだけのことで、等しく人麻呂の歌と銘打ってあっても、中に幾分、人麻呂の作らしいもの、人麻呂の周辺の人々の歌が交じることがあっても不思議でないところに、この巻の、特に巻初に並んだ歌々の類型的一面が認められる。
 事実、この後の、柿本朝臣人麻呂が歌三首

   娘子らが袖布留山の瑞垣の久しく時ゆ思ひき我は (504)
   夏野行く小鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや (505)
   玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも (506)

についても、最初の「娘子らが」の歌は巻第十一の「人麻呂歌集」中の「娘子らを」(2419)と形の上で酷使し、最後の「玉衣の」の歌も巻第十四の同じく「人麻呂歌集」中の「あり衣のさゑさゑしづみ」(3500)に近く、共に相互に異伝関係にあると思われる。これらの人麻呂作家と「人麻呂歌集」の歌との間に重なり合いの認められる例だけを見て、厳密には両者間に境界がなかったと見る考えは古くから行われ、さらには「人麻呂歌集」の歌の大半を人麻呂の若い頃の作品と解する案もある。
 それを思えば、その後の、

    柿本朝臣人麻呂が妻の歌一首   君が家に我が住坂の家道をも我は忘れじ命死なずは (507)


も、もと「妹が家に我が住坂の」とあった歌が伝誦の間に「君が・・・」と性別が入れ替わり、そのために編者が辻褄を合わせて作者を「人麻呂が妻」とした、と想像することも可能であろう、先に見た吹芡刀自の歌二首のうちの後のほう「川の上のいつ藻の花の」の歌が、作者不明の歌を集めた巻第十の春相聞の中に重出(1935)していることも、この前後の歌が人麻呂関係のみならず概して口誦性に富んでいることの端的な一例証である。
 その後にも作歌事情を知るには説明の足りない題詞の歌が続くが、中に丹比笠麻呂、志貴皇子などの藤原宮当時在世した人々の作品が交じっており、その配列順序はおおむね信ずべきものであろう。佐保大納言大伴家の人々の歌が現れるのは520以下である。その中心的存在は大伴坂上郎女と家持で、自ら詠んだ歌や聞き覚えた他人の歌などを書き付けた私家集から切り外し、また抄写して、この前後の数巻に収めたのであろう。ここにようやく、家持の意識としての現代が開けたということが出来る。ただし、520と521の二首は坂上郎女には両親に当たる大伴安麻呂と石川郎女の歌で、一見贈答のようであるが、内容的にも年代的にもその可能性が少なく、なお十分に伝誦歌から個人創作歌へ展開したとは言い難い。その坂上郎女は穂積皇子に先立たれた後、異母兄宿奈麻呂との間に、後年、家持の妻となる坂上大嬢らをもうけ、また藤原麻呂の妻問いを受ける。その他にも、あるいは単なる歌の贈答だけの相手もあろうが、かなり多くの男性と交渉があったようで、中には聖武天皇に奉った歌さえも交じる。坂上郎女によって奈良朝前期の宮廷内外の歌がかなり散逸を免れたことであろう。
 その坂上郎女が筑紫へ下ったのは神亀五年(728)の後半であろうか。坂上郎女には異母兄に当たる旅人の妻大伴郎女の没後、代わって家政を見るためかという。552から574までが大宰府関係の歌である。旅人が大納言となって上京し、やがて薨じた後も、家持をはじめその周辺の人々の作品が書き留められている。その大部分は確かに男女間の恋愛感情を詠んだものであるが、一部にその枠から逸脱するもののあることが注目される。もっとも、坂上郎女から娘の大嬢へ、田村大嬢から異母妹の坂上大嬢へ、というような家族内での贈答も、それが中国での「相聞」-「相問」に同じく、相手の様子を尋ねること-原義的用法だったことを思えば、この際、異とするに当たらない。問題は大宰府官人の宴歌の歌をこの相聞の巻四に収めることの適否である。ことにそれらが遷任の時の餞宴の作、例えば大宰大弐丹比県守が民部卿となって上京するに際して帥の大伴旅人が詠んだ歌、

   君がため醸みし待ち酒安の野にひとりや飲まむ友なしにして (558)

や、その後旅人が病臥し、上奏して下らせた庶弟の稲公ら駅使を見送って詠んだ、大宰大監大伴百代、少典山口若麻呂らの、

   草枕旅行く君を愛しみたぐひてそ来し志賀の浜辺を (569)
   周防なる磐国山を越えむ日は手向よくせよ荒しその道 (570)


などを、この相聞の部に収めたのは不自然である。更に言えば、旅人その人がその半年後、大納言となって上京する時の餞宴歌(571-574)は、巻第六の970-973にすぐ続くべき性質のもので、原資料たる大伴家の私家集から切り外し、内容によって巻第三・四・六・八などに仕分けするのに、必ずしも厳密な方針をもってせず、多少の誤差を無視して大まかに配分したのであろう。
 天平三年(731)秋、旅人が薨じた時、家持は叔母坂上郎女の庇護のもとに成長し、その娘の大嬢と恋歌の贈答をするが、結婚の相手として意識する段階には及ばず、彼自身の関心は他氏に向けられ、笠女郎・山口女王・大神女郎・中臣女郎・河内百枝娘子・大宅女・紀女郎その他、名を明らかにしない娘子や童女に至るまでのさまざまな女性と、歌の贈答をした。その時点では、おそらくまだ万葉集二十巻の編纂の見通しもなかったろうが、結果的にはその「いろごのみ」の雅が歌人家持を育て、歌への傾斜を進めることになるという意味において、その贈答は単なるいたずらではなかった。ただその間、大嬢とは数年にわたって関係が離絶していた。
 その愛情遍歴の生活に区切りをつけるきっかけとなったのは、巻第三の挽歌に見えた天平十一年夏六月の「亡妾」の死であったと思われる。その二ヵ月後に、家持は竹田庄に滞在中の坂上郎女を訪れ、家持と大嬢との仲が復活する。翌十二年の前半頃に結婚したのではなかろうか。しかし、その後藤腹広嗣の乱があり、さらに聖武天皇の東国巡幸、久邇京遷都などの不安定な政治情勢が続き、内舎人として天皇の護衛に当たっていた家持は大嬢とほとんど逢うことがなく、やがて巻第十七に見える天平十八年の越中国赴任に続いてゆく。
 巻末の七首は、その頃次第に頭角を現してきた藤腹仲麻呂の子久須麻呂が、家持の亡妾の娘とおぼしい少女を、将来、妻としたいと言ってきたのに対して家持が答え、また久須麻呂がそれに報贈したものである。内容的に「相聞」の名にふさわしいことは勿論だが、表現の仕方から言えば譬喩歌に当たり、本来ならば巻第三に移されるべきところである。それを敢えて巻第四の最後に置いたのは、これが時期的に最も新しく、巻第三・四が一応の成立をみた後の追加であることを物語るのではなかろうか。
 
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