万葉集巻第二十の構成・特徴   日本古典文学全集・小学館
   
     巻第二十
 
部類別 歌数  長歌  短歌  旋頭歌  漢詩 
  224
 6
218 0 0
 
 この巻第二十は、前巻末尾の三首の歌が作られた天平勝宝五年二月下旬から二ヶ月余り後の五月某日、家持が公用で大納言藤原仲麻呂の邸を訪ねた時に聞き得た歌の書き留めで始まっている。これまでにも古歌の採集には熱心であったが、この程度の歌語りは、最後の巻の劈頭を飾るに誠にふさわしい逸話であった。それは二十年ばかり前に故元正太上天皇と舎人親王とが贈答した戯笑歌風の会話で、古の君臣和楽の世界を垣間見せるほほえましい光景を映出するものであった。

 翌勝宝六年は初め宴飲歌が続くが、後半は七夕や都の東南の山、聖武太上天皇の離宮があった高円山の秋色を思いやる歌が並ぶ。それらの左注に、

 右、大伴宿禰家持独仰天漢作之 (4337左注)
 右歌六首、兵部少輔大伴宿禰家持独憶秋野卿述拙懐作之 (4344左注)


などとあり、「独」の字の使用が続く。家持はこれ以前にも3922・3938・4113などの題詞、また以後にも4419・4420の題詞にこの字を用いて、他人に煩わされない閑寂の境地でこれらの歌を作ったことを強調する。この場合は殊に太上天皇(聖武)の生母宮子が崩じて諒闇のさなかという事情もあろうか。4344左注には巻第十九の中で触れた「拙懐」の残りの一例が見えている。また、職も少納言から兵部少輔に転じたことを示している。

 翌年正月に「年」を「歳」に改める勅が発せられる。その二月、家持は兵部省の次官という職責から、防人を検校するために難波に赴く。百首近い防人歌が万葉集に集録されることになった機縁はその職に就いていた偶然性にあった。防人が西海防衛のために駆り出された兵士で、当時は「あづま」と呼ばれた東国から専ら集められ、諸国の部領使に率いられて難波に集結し、船に乗せられて行く。家持は部領使を煩わして彼らおよびその家族の歌を百六十余首も集め、拙劣歌を除く、という職務外の私用にも励んだ。感動的な内容、率直な表現に触れて、家持も彼らに同情して、間々に「防人が悲別の心を追ひて痛み作る歌」(4355題詞)、「私の拙懐を陳ぶる」(4384題詞)、「防人が情のために思ひを陳べて作る歌」(4422題詞)、「防人が悲別の情を陳ぶる歌」(4432題詞)などの長歌を主とした自作を挟んでいる。

 右の四首の長歌のうち、4384は難波宮矚目讃歌ともいうべきもので除外するが、他の三首には、防人検校の責任者である家持が、防人たち並びにその家族の心情を思い遣って、兵士の長旅の不安もさることながら、出郷時の悲別の辛ささぞかしと同情し、のめり込み、やがて家持自らを防人の身の上に重ね合わせて一体化する過程が看取される。即ち、4355では、

 大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 敵守る おさへの城ぞと 聞こし食す 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をも巻かず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて 大君の 命のまにま 大夫の 心を持ちて あり廻り 事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは


と詠んで、防人の悲しみも家族の困惑の姿もさほど具体的には叙せられていないが、4422においては、

 大君の 命畏み 妻別れ 悲しくはあれど 大夫の 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取り付き 平らけく 我れは斎はむ ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言問ひすれば 群鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠に 国を来離れ いや高に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島廻に立ちて 鶴が音の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも


のように、一層リアルな表現に変る。しかし、4432に至ってもっと臨場感を増し、防人その人になりきって、

大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命は み裳の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命は 栲づのの 白髭の上ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子じもの ただ独りして 朝戸出の 愛しき我が子 あらたまの 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問ひせむと 惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 大君の 命畏み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻むるごとに 万たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原の 畏き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻り 我が来るまでに 平けく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉の 我が統め神に 幣奉り 祈り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十楫貫き 水手ととのへて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ 


と、貰い泣きしながら詠んでいる感じである。徴兵検査官が新来の兵士の身の上話にいちいち哀憐・落涙しては、業務の遂行おぼつかないが、それが家持の取り柄であり、詩人たるゆえんでもある。彼がこの時兵部少輔であったことは万葉集にとって幸運であった。
 
 帰京したあと家持は、上総国大掾の大原真人今城と逢い、彼から聞き得た歌を書き付け、また贈答する。この頃、いよいよ実力を発揮し、反対勢力を圧迫し始めた藤原仲麻呂を憎む王臣たちが、橘奈良麻呂を中心に結束しつつあり、大伴・佐伯両氏の中にも、その動きに加担する者が現れた。家持はその圏外に立とうとしたが、大原真人今城もその点、家持の姿勢に近い行き方をしようとしていた。
 この前後、諸兄が奈良麻呂宅で集宴することが何度かある。五月十八日の宴で詠まれた歌の中に家持の4474・4475の二首があるが追作である。八月十三日内裏での宴には列して歌4477を詠んでいるが、未奏である。翌勝宝八歳(756)二月左大臣諸兄が致任する。三ヶ月前私邸で飲酒しつつ何気なく発した言辞を従臣が密告したのが端緒である。慰留に努めた聖武太上天皇も五月に崩ずる。やがて一族の長老大伴古慈悲が朝廷を誹謗したとのかどで禁固された。幸い三日後に釈放されたが、そのことを遺憾に思った家持は、伝統ある家の名誉を失墜させてはならぬ、という趣旨の喩族歌を作るが、恐らく公開されないまま篋底に収められたことであろう。同じ日に、病に臥し無常を悲しみ、道を修めむと欲する歌を作っている。

 うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな  (4492)  
 水泡なす仮れる身ぞとは知れれどもなほし願ひつ千年の命を  (4494)  

 現実を忌避し、仏道に救いを求めつつ、生に執着する気持ちを素直に歌っている。
 また年が改まって勝宝九歳となる。早々に諸兄が薨じ、太上天皇が遺詔で次期皇太子に推した道祖王(新田部親王の子)が廃され、仲麻呂に縁ある大炊王(舎人親王の子)が太子となる。仲麻呂の専横を見かねて反仲麻呂派が立ち上がろうとする寸前に露顕し、一味徒党は一網打尽に捕えられ、死罪・流罪に遭った者四百人以上、という大事件となった。いわゆる橘奈良麻呂の変がそれで、大伴氏の中からも多くの犠牲者が出た。即ち、胡麻呂は杖打たれて死に、池主は獄死したもののようである。家持は発覚五日前の六月二十三日に、

移り行く時見るごとに心痛く昔の人し思ほゆるかも (4507)  
咲く花は移ろふ時ありあしひきの山菅の根し長くはありけり (4508)
   

と詠んでいる。これを見れば、池主たちの企みを薄々は知り、仲麻呂の無道が許されるはずはない、と将来を見通していたのではないか、と思われる。八月に改元、天平宝字元年(757)と称する。その十一月、仲麻呂は内裏肆宴の席で、

いざ子どもたはわざなせそ天地の堅めし国ぞ大和島根は (4508)   

とうそぶき、凄みを利かす。

 翌宝字二年(758)正月、家持は内裏の肆宴に備えて予作歌を次々に作るが、いずれも不奏に終る。二月にかつての中道派の家持・今城らが中臣清麻呂の宅に集まって飲宴し作歌する。詠まれた十五首はおおむね平凡だが、今はなき聖武天皇ゆかりの高円離宮跡を詠んだ五首には先帝追慕の情が等しく汲み取れる。
 その年七月、家持は因幡守となって赴任する。大原今城宅での予餞会の席で家持は、

秋風の末吹き靡く萩の花ともにかざさず相か別れ(4508)   (4539)   

の歌を残す。十八年前の越中赴任の時の明るい表情とは打って変って暗い道発ちだっただろう。
 それから半年後の宝字三年正月一日、家持は因幡の国庁で朝拝を行い、万葉集最後の歌、

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事   (4540)    

を詠む。これは、大雪を豊年の瑞兆とみて喜び祝う歌であるが、万葉集の編纂者としての家持は、これをもって万葉集の掉尾を飾ろうと考えたのではなかろうか。われわれはこの集が千代万世に伝わらんことを願う家持の祈りの気持ちをこの歌に見るべきであろう。

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