この巻第二十は、前巻末尾の三首の歌が作られた天平勝宝五年二月下旬から二ヶ月余り後の五月某日、家持が公用で大納言藤原仲麻呂の邸を訪ねた時に聞き得た歌の書き留めで始まっている。これまでにも古歌の採集には熱心であったが、この程度の歌語りは、最後の巻の劈頭を飾るに誠にふさわしい逸話であった。それは二十年ばかり前に故元正太上天皇と舎人親王とが贈答した戯笑歌風の会話で、古の君臣和楽の世界を垣間見せるほほえましい光景を映出するものであった。
翌勝宝六年は初め宴飲歌が続くが、後半は七夕や都の東南の山、聖武太上天皇の離宮があった高円山の秋色を思いやる歌が並ぶ。それらの左注に、
右、大伴宿禰家持独仰天漢作之 (4337左注) |
右歌六首、兵部少輔大伴宿禰家持独憶秋野卿述拙懐作之 (4344左注) |
などとあり、「独」の字の使用が続く。家持はこれ以前にも3922・3938・4113などの題詞、また以後にも4419・4420の題詞にこの字を用いて、他人に煩わされない閑寂の境地でこれらの歌を作ったことを強調する。この場合は殊に太上天皇(聖武)の生母宮子が崩じて諒闇のさなかという事情もあろうか。4344左注には巻第十九の中で触れた「拙懐」の残りの一例が見えている。また、職も少納言から兵部少輔に転じたことを示している。
翌年正月に「年」を「歳」に改める勅が発せられる。その二月、家持は兵部省の次官という職責から、防人を検校するために難波に赴く。百首近い防人歌が万葉集に集録されることになった機縁はその職に就いていた偶然性にあった。防人が西海防衛のために駆り出された兵士で、当時は「あづま」と呼ばれた東国から専ら集められ、諸国の部領使に率いられて難波に集結し、船に乗せられて行く。家持は部領使を煩わして彼らおよびその家族の歌を百六十余首も集め、拙劣歌を除く、という職務外の私用にも励んだ。感動的な内容、率直な表現に触れて、家持も彼らに同情して、間々に「防人が悲別の心を追ひて痛み作る歌」(4355題詞)、「私の拙懐を陳ぶる」(4384題詞)、「防人が情のために思ひを陳べて作る歌」(4422題詞)、「防人が悲別の情を陳ぶる歌」(4432題詞)などの長歌を主とした自作を挟んでいる。
右の四首の長歌のうち、4384は難波宮矚目讃歌ともいうべきもので除外するが、他の三首には、防人検校の責任者である家持が、防人たち並びにその家族の心情を思い遣って、兵士の長旅の不安もさることながら、出郷時の悲別の辛ささぞかしと同情し、のめり込み、やがて家持自らを防人の身の上に重ね合わせて一体化する過程が看取される。即ち、4355では、
大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 敵守る おさへの城ぞと 聞こし食す 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向ひ
かへり見せずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をも巻かず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る
難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手ととのへ 夕潮に 楫引き折り 率ひて 漕ぎ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸くも 早く至りて
大君の 命のまにま 大夫の 心を持ちて あり廻り 事し終らば つつまはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の 袖折り返し ぬばたまの
黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは |
と詠んで、防人の悲しみも家族の困惑の姿もさほど具体的には叙せられていないが、4422においては、
大君の 命畏み 妻別れ 悲しくはあれど 大夫の 心振り起し 取り装ひ 門出をすれば たらちねの 母掻き撫で 若草の 妻は取り付き 平らけく 我れは斎はむ
ま幸くて 早帰り来と 真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言問ひすれば 群鳥の 出で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや遠に 国を来離れ
いや高に 山を越え過ぎ 葦が散る 難波に来居て 夕潮に 船を浮けすゑ 朝なぎに 舳向け漕がむと さもらふと 我が居る時に 春霞 島廻に立ちて
鶴が音の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 負ひ征矢の そよと鳴るまで 嘆きつるかも |
のように、一層リアルな表現に変る。しかし、4432に至ってもっと臨場感を増し、防人その人になりきって、
大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の 母の命は み裳の裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命は 栲づのの 白髭の上ゆ
涙垂り 嘆きのたばく 鹿子じもの ただ独りして 朝戸出の 愛しき我が子 あらたまの 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問ひせむと
惜しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白栲の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと
引き留め 慕ひしものを 大君の 命畏み 玉桙の 道に出で立ち 岡の崎 い廻むるごとに 万たび かへり見しつつ はろはろに 別れし来れば 思ふそら
安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる 命も知らず 海原の 畏き道を 島伝ひ い漕ぎ渡りて あり廻り 我が来るまでに
平けく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉の 我が統め神に 幣奉り 祈り申して 難波津に 船を浮け据ゑ 八十楫貫き 水手ととのへて
朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ |
と、貰い泣きしながら詠んでいる感じである。徴兵検査官が新来の兵士の身の上話にいちいち哀憐・落涙しては、業務の遂行おぼつかないが、それが家持の取り柄であり、詩人たるゆえんでもある。彼がこの時兵部少輔であったことは万葉集にとって幸運であった。
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