文法要語解説 旺文社:全訳古語辞典付録より

 T)活用形の用法  U)修 辞

 

  【未然形の用法】  
  未然形には単独の用法はなく、常に助詞「ば・で・(な)〜そ(カ変・サ変)・ばや・なむ」、助動詞「ず・む・じ・す・さす・しむ・る・らる・まほし・まし・り(サ変)」に連なって用いられる。
   順接の仮定条件  未然形に接続助詞「ば」の付いた形で、「もし〜なら(たら)」の意の順接(=順接接続)の仮定条件の表現になる。
   用例:  折り取ら(折り取るなら/折り取るとしたら)惜しげにもあるか桜花いざ宿借りて散るまでは見む(古今春上−65)
     「かの国の人来(こ)(来たら/来るなら)、みな開(あ)きなむとす。」(竹取物語「かぐや姫の昇天」)
   解説:  なお、形容詞、打消の助動詞「ず」の場合は、連用形に係助詞「は」の付いた形で順接の仮定条件になる。また、已然形に接続助詞「ば」の付いた形は順接の確定条件になる。
     
  【連用形の用法】    
  連用形の単独の用法には、中止法・副詞法・名詞法などがある。また、助詞「て・し(形容詞・形容動詞だけ)・つつ・ながら・(な)〜そ(カ変・サ変以外)」、助動詞「き・けり・つ・ぬ・たり・けむ・たし」に連なる。  
   中止法   文を途中で一時中止する用法。前の文節と後の文節とが対等の関係にある場合が多い。
   用例:  二十七日。風吹き、波荒ければ、船出(い)ださず。(土佐日記)
     山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。(徒然草)
   対偶中止法  二つの文節が対等の関係にあるとき、下の対等語の打消、受身などの意味が上の対等語に及び、上の対等語が連用形の中止法をとることをいう。
   用例:  今めかしくきららかならねど(現代風でなく、はでではないが)、木だちものふりて、わざとならぬ庭の草も〜(徒然草)
     「このをのこ罪し、れうぜられば(処罰され、ひどい目にあわせられるならば)、われはいかであれと。」(更級日記「竹芝寺」)
   解説:  右の「今めかしく」「罪し」が中止法になっている。解釈上は、「今めかしから」「罪せられ」の意にとる。前者を対偶否定法、後者を対偶受身法ということもある。なお、「走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅(つばさ)を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁へ、止む時なし。」(徒然草)には、三つの中止法が見られる。この文の構造は、次のようにとらえられる。

走る獣は 檻にこめ れ(られ)  て、 雲を恋ひ  愁へ、  止む時なし。
鎖をささ
飛ぶ鳥は 翅を切り ら(れれ) 野山を思ふ
籠に入れ

青字部分の中止法は、「こめられて」「切られて」「恋ふる愁へ」の意になる。
  副詞法(連用法)    主として、形容詞・形容動詞の連用形が、副詞のように用言を修飾する用法をいう。解釈上留意すべき副詞法に次の三つの用法がある。 
      @下にくる「思ふ・見る・聞く・言ふ」などの内容を表す副詞法。 
  用例:  さて、春ごとに咲くとて、桜をよろしう(たいしたことがないと)思ふ人やはある。(枕草子)
     A文頭にあって、以下の部分全体にかかり、その感想を表す副詞法。
  用例:  あさましう(思いがけないことには)、犬なども、かかる心あるものなりけり。」と(一条天皇は)笑はせ給ふ。
     B下にくる動作の結果を表す副詞法。
  用例:  髪は、扇を広げたるやうにゆらゆらとして、顔は、いと赤く(赤くなるように)すりなして立てり。(源氏物語「若紫」)
     なお、、形容詞の連用形に接続助詞「て」の付いた形は、ふつうの副詞法と異なり、ようす・状態を表す用法になる。
  用例:  三寸ばかりなる人、いとうつくしう(かわいらしいようすで)ゐたり(座っている。(竹取物語「かぐや姫の生ひ立ち」)
  名詞法   主として、動詞の連用形が、「〜こと」「〜もの」などの意で用いられる用法をいう。ふつうは名詞に転じたもの(転成名詞)として扱う。
  用例:  かかる老(おい)法師の身には、たとひ憂へ(心配すること<災難>)侍りとも、何の悔い(悔いること<後悔>)か侍らむ。(源氏物語「薄雲」)
     東の方に住むべき国求めに(さがすことのために)とて行きけり。(伊勢物語)
  順接の仮定条件法   形容詞型活用の連用形、打消の助動詞「ず」の連用形に、係助詞「は」の付いた形で、「もしも〜なら(たら)」の意の順接の仮定条件の表現になる。ただし、単なる強調表現の場合もある。
  用例:  恋しくは(恋しいなら/恋しくなったら)形見にせよとわが背子が植ゑし秋萩花咲きにけり(万葉10-2123)
     今日来ずは(来なかったら)明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも(たとえ消えないでは<強調>あるにしても)花と見ましや(古今春上-63)
  逆接の仮定条件法   形容詞型活用の連用形、打消の助動詞「ず」の連用形に、接続助詞「と・とも」の付いた形で、「たとえ〜ても」の意の逆接(逆態接続)の仮定条件の表現になる。
   用例:  唐の物は、薬のほかは、なくとも(たとえなくても)事欠くまじ(徒然草)
  用例:  花の色は霞にこめて見せとも(たとえ見せないにしても)香をだに盗め春の山風(古今春下-91)
     
     
 【終止形の用法】  
 終止形の単独の用法には、終止法がある。また助詞「と・とも・や(疑問)・な(禁止)」、助動詞「らむ・めり・らし・べし・まじ・なり(伝聞・推定)」(ラ変以外)に連なる。
  終止法   単語が文の言い切りに用いられるのが終止法である。感動詞・終助詞・体言、形容詞の語幹、形容動詞の語幹、活用語の終止形・命令形、係り結びによる連体形・已然形に、この用法がある。さまざまな終止法のうちで、活用語の終止形によるものが、もっとも基本となる終止法である。
   用例:  「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知り子となり給ふべき人なめりとて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗に預けて養はうつくしきこと限りなしいと幼ければ、籠に入れて養ふ(竹取物語「かぐや姫の生ひ立ち」)
  逆接の仮定条件法   終止形に接続助詞「と・とも」の付いた形で、「たとえ〜ても」の意の逆接の仮定条件の表現になる。
  用例:  「あひ戦はむととも(たとえ戦いあおうとしても)、かの国の人来なば、猛き心つかふ人も、よもあらじ。」(竹取物語「かぐや姫の昇天」)
     飽かず、惜しと思はば、千年を過ぐすとも(たとえ千年を過ごしても)一夜の夢の心地こそせめ。(徒然草)
  解説:  なお、形容詞、打消の助動詞「ず」の場合は、連用形に「と・とも」の付いた形になる。
     
  連体形の用法
 連体形の単独の用法には、連体法・終止法(係り結び・連体形止め)・準体法などがある。また、助詞「が・の・を・に・より・か・かな・ぞ」、助動詞「ごとし・なり(断定)」に連なる。なお、ラ変動詞・形容詞カリ活用・形容動詞の連体形は、助動詞「らむ・めり・らし・べし・まじ・なり(伝聞・推定)」に連なる。
  連体法   連体形が連体修飾語として体言を修飾する用法をいう。
  用例:  「阿弥陀仏ものし給ふに、すること侍るになむ。」(源氏物語「若紫」)
     いとあはれなることも侍りき。さりがたき・をとこ持ちたるは、その思ひまさりて深き必ず先立ちて死ぬ。(方丈記)
  解説:  なお、「さかし女(め)」(記・上)、「頼もし人」(源氏物語「玉蔓」)、「長々し夜」(拾遺・恋三)の「さかし・頼もし・長々し」などはシク活用の形容詞の終止形とされ本書(旺文社・全訳古語辞典)でも通説によっているが、本来は形容詞の語幹によるもので、終止形の連体法ではない。「さかし女」「頼もし人」「長々し夜」で一語の名詞である。
  終止法   連体形の終止法には、係り結びと連体形止めの二つがある。
     @ 係助詞「ぞ・なむ・や・か」を受けて連体形で結ぶ終止法。係り結び
 
 連体形  強調表現
 なむ  連体形  強調表現
   連体形  疑問・強調表現
   連体形  疑問・強調表現

  用例:  水はその山に三所流れたる(三箇所も流れている)(更級日記「足柄山」)
     その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける(竹取物語「かぐや姫の生ひ立ち」)
     (あなたが来たのか)我行きけむ(私が行ったのだろうか)おもほえず夢かうつつか寝てかさめてか(伊勢物語)
     「いづれの山天に近き(どの山が天に近いのだろうか)。(竹取物語「ふじの山」)
   解説:  解釈上、とくに留意する必要があるのは、「もぞ・やは・かは」を受けて連体形で結ぶ終止法である。「もぞ-連体形」は不安・懸念の表現に、「やは−連体形」「かは−連体形」は反語の表現になることが多い。
  用例:  「門よく鎖してよ。雨もぞ降る(雨が降るかもしれない。そうなるといけない)。」(徒然草)
     よき人は、知りたることとて、きのみ知り顔にやは言ふ(それほど物知り顔に言うだろうか。いや、言いはしない)。(徒然草)
     死なぬ薬も何にかは(何にしようか。何の役にも立たない)。(竹取物語「ふじの山」)
     A 詠嘆・余情の表現として連体形で結ぶ終止法。連体形止め。
  用例:  「雀の子を犬君(人名)が逃しつる(犬君が逃してしまったのか)。」(源氏物語「若紫」)
     「まろがもとに(私の手元に)、いとをかしげなる笙の笛こそあれ。故殿の得させ給へり(亡き父君がくださったので)。」(枕草子)
  準体法(準体言法)   活用語の連体形が、活用語としての意味や性質をもちながら、同時に体言としての資格で用いられる用法をいう。
   用例:  犬のもろ声にながながとなきあげたる(吠え立てているは)、まがまがしくさへにくし(不吉な感じまでしていやだ)。(枕草子)
     「古代の御絵どもの侍る(ありますを)、参らせむ(差し上げよう)。」(源氏物語「絵合」)
     また、ある人の詠め(詠んだ)、  君恋ひて世をふる宿の梅の花〜(土佐日記)
     
 【已然形の用法】  
 已然形の単独の用法には、終止法(係り結び)・条件法がある。また、助詞「ば・ど・も」、助動詞「り(四段だけ)」連なる。
  終止法   已然形の終止法は、係助詞「こそ」を受けて結ぶものである。係り結び。この形式の終止法は強調表現になる。
   用例:  「変化のものにて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひたてまつれ(親だとばかり思い申しあげているのに)。」(竹取物語「貴公子たちの求婚」)
     「我こそ死な(死にたい)。」(竹取物語「かぐや姫の昇天」)
   解説:  解釈上、特に留意する必要があるのは、次項の強調逆接法になる場合と、「もこそ」を受けて已然形で結ぶ終止法の場合である。「もこそ−已然形」は不安・懸念の表現になることが多い。
   用例:  「いづかたへかまかりぬる。〜烏などもこそ見つくれ(<逃げた雀を>烏などが見つけるかもしれない。そうなるといけない)。」(源氏物語「若紫」)
  強調逆接法   文脈上、係助詞「こそ」を受けた已然形の部分で文が終らず、「(確かに)〜てれども」の意の強調逆接の表現になって以下に続いていくものをいう。
   用例:  中垣こそあれ(隔ての垣はあるけれども)、一つ家のやうなれば、(先方から)望みて預かれるなり。(土佐日記)
     春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見え(確かに色は見えないが)香やは隠るる(香りは隠れるか、隠れはしない)(古今春上-41)
  順接の確定条件法   上代には已然形だけで「〜から(ので)」の意の順接の確定条件を表す用法があったが、ふつうは已然形に接続助詞「ば」の付いた形で、順接の確定条件の表現になる。
   用例:  ももしきの大宮人は暇あれや(暇があるからか)梅を挿頭してここに集へる(集まっているのは)(万葉10-1887)
     「已然形+ば」の主要な用法として、次の三つの場合がある。文脈から慎重に吟味する。
     @「〜ので・〜から」の意で、その条件が下の事柄の原因・理由となる場合。
   用例:  立て(春になるので)花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯の鳴く (古今春上-6)
     A「〜と・〜ところ」の意で、その条件のもとで、たまたま下の事柄が起こる場合。
   用例:  猫のいとなごう(のどやかに)鳴いたるを、驚きて見れ(はっとして見る)、いみじうをかしげなる猫あり。(更級日記「大納言殿の姫君」)
     B「〜ときにはいつも」の意で、その条件のもとで、いつも下の事柄が起こる場合。
   用例:  家にあれ(家にいるときはいつも)笥に盛る飯を草枕旅にしあれば(旅に出ているので−@の用法)椎の葉に盛る(万葉2-42)
   解説:  B の用法を恒常条件(一般条件・必然条件)ということもある。
  逆接の確定条件法   已然形に接続助詞「ど・ども」の付いた形で、「〜けれども・〜のに」の意の逆接の確定条件の表現になる。
  用例:  河の辺のつらつら椿つらつらに見れども(つくづくと見るけれども)飽かず巨勢の春野は (万葉1-56)
     文を書きてやれ(手紙を書いて送り届ける)返りごとせず。(竹取物語「貴公子たちの求婚」)
     「已然形+ども・ど」の形で、「〜ても(やはり)」の意の、その条件のもとで、いつも予想に反する下の事柄が起こることを表す場合がある。
  用例:  二人行け(二人で行っても)行き過ぎ難き秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ(万葉2-106)
     この泊まり、遠く見れども(遠くから見ても)、近く見れども(近くから見ても)、いとおもしろし。(土佐日記)
     いかなる大事あれども(どんな重大なことがあっても)人のいふこと聞き入れず。(徒然草)
   解説:  右の例のように、対句表現や「いかなる」のような不定詞を伴う表現によく見られる。この用法を逆接の恒常条件ということもある。
     
 【命令形の用法】  
 命令形の単独用法には、命令法、許容・放任法がある。命令形には、助詞「かし・な(感動)」が付くことはあるが、助動詞に連なる用法はない。ただし、上代特殊仮名遣いでは、命令形に当る形から助動詞「り」に連なっている。 
  命令法   その動作・存在・状態を聞き手に要求する表現をいう。自己の希望を表す場合もある。
  用例:  散りぬとも香をだに残せ梅の花(せめて香りだけでも残してくれ、梅の花よ)恋しき時の思ひ出にせむ(古今春上-48)
     「ここにも(私も)心にもあらでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ(お見送りください)。」(竹取物語「かぐや姫の昇天」)
     親たちの、子だにあれかし(せめて柏木に子どもがあってほしいよ)と、泣い給ふらむにも、え見せず、〜(源氏物語「柏木」)
  許容・放任法   そうなるのに任せる意を表す表現をいう。「未然形+ば+命令形」の形になることが多い。
   用例:  「今は西海の波の底に沈まば沈め(沈むなら沈むがいい)、山野に屍をさらさばさらせ(さらすならさらすがいい)、浮世に思ひおくこと候はず。」(平家物語「七・忠度都落」)



U)修 辞  T)活用形の用法



【句切れ】    短歌を五七五七七の五句に分けて、第一句で切れる場合を「初句切れ」、第二句で切れる場合を「二句切れなどという。二句切れ・四句切れは、五七調といい、万葉集などに多く、初句切れ・三句切れは、七五調といい、古今集・新古今集などに多い。声調の上から句切れを認める場合もあるが、文法上は文として完結しているところを句切れとするなお、連歌・俳諧でも切れ字を用いて「句切れ」という語を使うことがある。 
 春過ぎて夏来るらし/白栲の衣ほしたり/天の香具山(万1-28) 
 春日野の飛ぶ火の野守出でて見よ/今幾日ありて若菜摘みてむ(古今春上-19)
 志賀の浦や/遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有り明けの月(新古今冬-639) 
   
【枕詞】    原則として五音節から成り、特定の語にかぶさって、修飾または句調を整えるのに用いられる語句。かぶさる語への係り方には、大きく分けて次の二つがある。 
(1) 意味の関連によるもの  天離(あまざか)る→鄙(ひな)、草枕→旅、たまきはる→命・世・うち 
(2) 音の関連によるもの  葦田鶴(あしたづ)の→たづたづし、さゆり花→後(ゆり)、柞葉(ははそば)の → 母  
 現代語訳などの場合に、枕詞は訳に出さないことが多い。本書(旺文社:全訳古語辞典)でも訳出していない。 
   
序詞】         ある語句を導き出すための前置きになる語句。五音節を原則とする枕詞とは異なり、音節は不定。また枕詞が形式的に固定して慣用的であるのに対して、序詞は創意工夫が自由で個性的である。したがって、現代語訳などの場合には訳に出す。序詞の語句の導き出し方には、次の三つがある。 
 (1) 意味の上から導くもの  
 朝な朝な草の上白く置く露のなば共にと言ひし君はも (万葉12-3055) 
    毎朝草の上に白く置く露がはかなく消えるように、もし死ぬなら一緒にと言ったあの方は、ああ 
 (2) 音調の上から導くもの  
 多摩川にさらす手作りさらさらに(多摩川にさらさらと晒す手作りの布の「さら」ではないが、さらにさらに)何そこの児のここだ愛しき(万葉14-3390) 
 (3) 掛詞として導くもの 
 風吹けば沖つ白波たつた山夜半にや君がひとり越ゆるらむ(古今雑下-994) 
   風が吹くと沖の白波が立つという、その「たつ」ではないが、竜田山を夜中にあなたがひとりで越えているのだろうか 
   
【掛・懸詞】      一つの語、またはその一部分に二つの意味を持たせて用いるものをいう。 
 霞立ち木の芽もはる(脹る<ふくらむ>・春)の雪降れば花なき里も花ぞ散りける(古今春上-9) 
右の例、ふつうの文章を読むように読みすすめてくると、「はる」の部分で文脈がうまくつながらなくなる。すなわち、「木の芽も」に対しての「はる」は「脹る」、「の雪」に対しての「はる」は「春」でなければならない。「はる」が「脹る」と「春」との掛詞なのである。
 
 〜木の芽も  脹る  
   春の  雪降れば〜
 
 立ち別れいなば(往なば・因幡)の山の峰に生ふるまつ(松・待つ)とし聞かばいま帰り来む(古今離別-965) 
この例は、二つの掛詞によって、もとの文脈に戻るという複雑な構造になっている。

立ち別れ   往なば  待つと
    因幡の山の峰〜  
 
掛詞の部分を現代語に置き換えるには、「〜木の芽も脹らむ春、春の雪が降ると〜」「別れて旅立ち行くなら、行き先は因幡の国だが、その因幡の国の山(稲羽山ともいう)の峰に生えている松にちなんで、あなたが私を「待つ」と聞くなら、すぐに帰って来よう」のように、文脈が不自然にならないように語を補うなどして、二つの意味を明示する必要がある。 
   
縁語】       当時の習慣として、連想が結びつくような関係にあるそれぞれの語をいう。
 青柳のよりかくる春しもぞ乱れて花のほころびにける(古今春上-26)
   緑の柳の枝が春風に揺れ、片糸を縒って懸け、張りわたすように見える春、糸が乱れ、衣がほころびるように、花が咲いたことだなあ
 いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくもかへるかな(後撰・羈旅)
   いよいよ過ぎ去ってゆく都の方が恋しく思われるのに、うらやましいことに、寄せては返ってゆく波なのだなあ
 この例は「うらやましくも」の「うら」の部分に「波」の縁語としての「浦」が巧みに詠み込まれている。また、「波」の縁語の「返る」に、都から遠く「過ぎ行く」自分とは逆に、その都の方に「帰る」の意がこめられている。この例の「浦」のように、縁語としての意味が表面に出ない場合も多い。
   
【体言止め】  短歌では、第五句を体言で言い切る言い方をいう。新古今集に多く見られる。言い切ったあとに余韻・余情が残るので、詠嘆の心情を表現する場合に用いられる。散文や俳諧の場合にも、体言で言い切る文を「体言止め」ということがある。
 志賀の浦や遠ざかりゆく波間より凍りて出づる有り明けの月(新古今冬-639)
   志賀の浦よ。<夜が更けるにつれ、岸辺から凍って、刻一刻>遠ざかってゆく波の間から、氷のような冷たい光を放ってさし昇る有り明けの月よ
 寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵並べむ冬の山里(新古今冬-627)
   寂しさに堪えている人が、もうひとりいてほしいなあ。<もしもそんな人がいたら>庵を並べて住もう、この寂しい冬の山里
 意味上、「凍りて出づる有り明けの月」は「有り明けの月凍りて出づ」の倒置法(次項)のように考えられるが、主述の文でなく、修飾被修飾の文として表現した点に体言止めの表現効果がある。現代語の「月が出た」と「出た月!」との関係になぞらえてみることができる。「庵並べむ冬の山里」は「冬の山里に庵並べむ」の倒置であるが、格助詞「に」に命じせず、体言止めにして、余情を感じさせるものになっているのである。
   
【倒置法】       すでに、「二、特殊な文 倒置のある文」の項に述べたが(非掲載)、主述関係が述語→主語の順になること、または修飾被修飾関係が被修飾語→修飾語の順になることを倒置という。短歌など韻文では、この倒置が感動をこめた強調の表現として、非常によく用いられる。文脈をとらえる点では、語順を変えてみると明確になるが、現代語に置き換える場合には、原文の語順を生かすようにする。
 月見れば千々にものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど(古今秋上-193)
   月を見ると、こころがさまざまに乱れてもの悲しく感じることだ。自分ひとりだけに訪れてきた秋ではないのだけれども
 山里は冬ぞ寂しさまさりける人めも草もかれぬと思へば古今冬-315)
   山里は<都とちがって、とくに冬が寂しさがまさって感じられることだ。人の訪れも絶え、草も枯れてしまうと思うと
   
【対句法】     意義の相反する二つ以上の同じ形式の句を並べたものをいう。元来は漢詩文の修辞であるが、わが国でも古くから用いられた。祝詞、記述歌謡、万葉集の長歌、語り物などに多く見られるだけでなく、形式美を重んじた文章にも見られる。
 −高く貴き 駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず−(万葉3-320)
 この歌、天地の開け始まりける時より出できにけり。しかあれども、世に伝はることは、ひさかたの天にしては下照姫に始まりらがねの地にしてはスサノオノミコトよりぞ起こりける。(古今 仮名序)
 たましきの都のうちに、棟を並べ甍を争へる高きいやしき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。あるいは去年焼けて今年作れリあるいは大家亡びて小家となる。(方丈記)
   
【照応法】        「A・a」という表現に対して、形式の上でも意味の上でも関連のある、「B・b」という形で応じるのが前項の対句法のふつうの型で、これを対句の照応という。
 
 渡る日の(A)  影も隠らひ(a)
 照る月の(B)  光も見えず(b)
 去年焼けて(A)  今年作れり(a)
 大家亡びて(B)  小家となる(b)

 「A・B」と対句をなす表現に対して、「b・a」の順で対句をなす表現の応じる場合がある。これを対句の逆照応法という。文脈を誤りがちなので、慎重な吟味が必要である。
 花は盛りに月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひたれこめて春の行くへ知らぬもなほ、あはれに情け深し(徒然草)
   桜の花は満開の花盛りのだけを、月は澄み切ったのだけを、見るものであろうか。そうではない。雨の降るのに対して<月が見えたらよいのにと>月を見たく思い、家に引きこもったままで春が過ぎて行く<桜の季節も終ってしまう>のを知らないでいるのも、やはり、趣深くしみじみと感じられるものだ
 右の例は連用形による中止法を用いた対句表現であるから、形式の上では整った形にはなっていないが、次のような構造になっている。
 
 花は盛りに(A) をのみ、見るものかは。  雨に対ひて月を恋ひ(b) も〜 
 月は隈なき(B)  たれこめて春の行くへ知らぬ(a)

「A」に応ずる「a」が「たれこめて春の行くへを知らぬ間に待ちし桜もうつろひにけり」<古今春下-80>を踏まえているため「花」という語が表面に出ていない。引き歌の技巧である。
   


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