「いまだにも」...にほひにゆかな...  
 
  『をちかたひとに』


 【歌意2018】
私が待っていた秋萩が、ようやく咲いた
せめて今だけでも、いや今このときしかないのだから、なおさら
紅葉のように、またその中で、美しく映えるあなたに、
逢いに行こう...遠く離れているあなたのもとへ...
 
 
「七夕歌」と前提を置けば、「彼方人」は当然天の川の向こうにいる人
だから、秋になって、やっと年に一度の逢瀬の日を迎えた悦びがある
確かに、部立てに「七夕」とあるので
万葉集の編者の意図は、この歌の歌意をその「年に一度の約束の日」にしたかったようだ

しかし、「七月七日」と限定されて詠われたものだとは言えないこの歌
たんに、「秋萩」が咲いて、秋になった、と感覚的に詠っている

「七夕歌」だから、「彼方人」は、天の川の向こう岸にいる織姫であり
彦星は、待ち望んでいた逢瀬に飛んで行かんばかりの悦びよう...
「にほふ」が、ただ「逢いに行く」だけではなく、
それこそ、恋人を抱きしめたい、と強い想いを感じさせる
確かに、「年に一度の逢瀬」なら、その気持ちは十分解る

それでも、私には
この歌が、「秋の色や香り」を描写している方に比重があると思える
現実的には、遠く離れている恋人同士だが
秋の落ち着いた季節感の中で、再会を悦び合う
「七夕歌」によくある、「年に一度」という心情の描写だけではなく
実際の秋の景観を、美しく添えるのは、私には「七夕歌」らしくないと思う
そこに「にほひにゆかな」と言い、
秋の紅葉に佇み待っている恋人を、どれほど愛おしく想っているか
この句だけでも私は感じた
そして「わがまちし」という初句の想いは、それを言うのではないかと思う

この歌で、離れ離れ、しかも秋に逢う、という背景から
難なく「七夕歌」にされた訳でもなく
「柿本人麻呂歌集」でも、確かに「七夕」となっており、
編者がその「歌集」を無条件で扱うのなら、決して的外れではない
しかし、その「柿本人麻呂歌集」の性格上
人麻呂本人ではなく、採録された「歌」であれば
同じように判断して「七夕」の歌として扱ったかもしれない
現存する「諸書」においては、私が感じるままに受け止めても
それも間違いではないと思う

そう思わせるもう一首の万葉歌がある
その歌は、この掲題歌〔2018〕とペアではないか、と思わせるほどの密接さを持つ


 
 秋雑歌 詠花
   吾待之 秋者来奴 雖然 芽子之花曽毛 未開家類
    我が待ちし秋は来たりぬしかれども萩の花ぞもいまだ咲かずける
   わがまちし あきはきたりぬ しかれども はぎのはなぞも いまださかずける
 巻第十 2127 秋雑歌 詠花 作者不詳
[語義]
「しかれども」は、ラ変動詞「然(しか)り」の已然形「しかれ」に
接続助詞「ども」がついて、「そうではあるが、しかしながら」
「ぞも」は、係助詞「ぞ」と「も」で強調
結句の「ける」が連体形の結びになる
 
[歌意解釈]
私の待っていた秋はやってきた
それなのに、一番待っていた萩の花は、
まだ咲かないなあ
 

この歌、掲題歌の時系列を描きそうな歌だ
秋になったのに、萩の花は未だに咲かずにいる
この歌の直後に、掲題歌のように、待ち望んだ「秋萩」が咲いた、となっても不自然ではない
しかし、この二首の扱いは大きく違う
掲題歌は、「秋萩」の咲くのを合図に、のごとくだが
〔2127〕歌は、その部立て「詠花」そのままに「未だ咲かない萩の花」を詠う
あくまで、待ち焦がれているのは、秋の花「萩」の咲く景観であるかのように...

仮に、この歌が「七夕歌」の部立てで配されていたら
きっとその歌意は、彦星と織姫が逢瀬をする季節になっているはずなのに...
とでもなってしまいそうだ

この〔2127〕歌を、私は掲題歌と無関係には扱えない
そこから改めて、掲題歌を解釈するのなら

 【歌意2018】改
私が待っていた秋萩が、ようやく咲いた
その秋萩の咲き乱れる野辺で、あなたに逢いたいものだ
今このときこそ、秋萩に美しく彩られたあなたを
私のところへ連れてきて、そこに立たせたい
この美しく秋萩の映える野辺に...

こう解釈してしまえば、まさに〔2127〕と掲題歌〔2018〕は同想の歌になる
描写は違っても、その心にあるものは同じだ

片や「七夕歌」、片や「詠花」...しかし、私には「七夕歌」よりも
この秋という季節の美しさの中で、それを待ち望み
さらに、秋を代表する花を「恋人」に擬えて、あるいはその花の中に、
詠う者の、愛する人への純真な気持ちを感じてしまった
 
 


掲載日:2014.09.07   [「一日一首」2014年5月17日付けの解釈]


 
 秋雑歌 七夕
   吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 尓寶比尓徃奈 越方人邇
    我が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひに行かな彼方人に
   わがまちし あきはぎさきぬ いまだにも にほひにゆかな をちかたひとに
 巻第十 2018 秋雑歌 七夕 柿本人麻呂歌集出


[収載歌集]
【柿本人麻呂歌集】〔146〕
【赤人集】〔162・283〕

[類想歌]
【万葉集】〔2127〕


[歌学書例歌]
【袖中抄】〔998〕

[資料]
掲題歌資料〔校本万葉集及び近代までの注釈書〕
七夕】〔中華民国[国立成功大学、成大宗教與文化学報 第七期 論文]〕
織女と牽牛】〔講談社学術文庫「星の神話・伝説」野尻抱影
【万葉の時代】〔七夕歌と七夕詩の関係は



 は「注記」及び「古語辞典」関係へ、尚注記以外は新しいウィンドウで開く〕
 【2018】 語義 意味・活用・接続
 わがまちし [吾等待之]   
  し [助動詞・き]  [過去・連体形] ~た・~ていた  連用形につく
 あきはぎさきぬ [白芽子開奴] 
  あきはぎ [秋萩]  (秋の花が咲く頃の)萩、また、その花
  ぬ [助動詞・ぬ]  [完了・終止形] ~た・~てしまった・~てしまう  連用形につく
 いまだにも [今谷毛]  
  だに [副助詞]  [強調] せめて~だけでも〔接続〕体言・活用語・副詞・助詞につく
  も [係助詞]  [仮定希望] せめて~だけでも・~なりとも  種々の語につく
 にほひにゆかな [尓寶比尓徃奈] 
  な [上代の終助詞]  [願望・勧誘] さあ~しようよ・~してほしい  未然形につく
 をちかたひとに [越方人邇]
  をちかたひと [彼方人]  遠くにいる人・離れている人
  に [格助詞]  [行き先・相手] ~の方へ・~に  体言につく

「古語辞典」は掲載歌を基本に、と思っているが、なかなか実行できず未完、継続中
「枕詞一覧」もやっと載せることができた
ただし、「かかり方の理由」は「古語辞典」からのみなので、
今後は「詳説」に触れ次第補充してゆく
その点でも不充分であるし、載せた語数においても、284語と、およそ言われている半分程度だしかし、一応その都度古語辞典を引っ張り出さない程度の気安さにはなる 
  
 古語辞典  文法要語解説 活用形・修辞  活用語活用法及び助詞一覧  活用形解説 枕詞一覧


 
注記 
[あきはぎ(白芽子)]
『万葉集中』、「あきはぎ」を「白芽子」と表記する唯一の歌
「あきはぎの」と枕詞にもあり、萩の性質をとらえ、「移る」「しなふ」にかかる
「はぎ」そのものは、紅葉色、または白色の小さな花をつける
その「小さな花」のイメージから、「白芽子」の表記が使われたのだろうか、と思ったが
これも、五行説の「青、赤、白、黒」が、季節の「春、夏、秋、冬」に当るとされており、
「白風」を「あきかぜ」と訓むように、「白」は「あき」を顕わすものという
 
[だに]
副助詞「だに」には、次の用法がある
 強調 せめて~だけでも、~だけなりと
 類推 ~だって、~のようなものでさえ
 添加 ~までも

奈良時代は、「強調」の用法だけで、まだ起こっていない未来の事柄に関して用いられた
「類推」は、平安時代以降の用法で、「すら」とほぼ同じ意味で使われている
「添加」は、「さへ」が広く使われるようになったために、「だに」が「さへ」の意味にも使われ出す
 
[にほひにゆかな]
「にほふ」の原義は、「色が美しく映えること」
現代的には、「かおり、香気」となるが
この歌のように、秋になった、さあ紅葉の季節、ということに合わせると
その紅葉の美しく映える中に、染まりに行こう、と解釈したい
当然、その「香気」を漂わせる「恋人」が眼中にはある
終助詞「な」は、「感動・詠嘆」で、「~たことだなあ」とあるが
その接続は、終止形や命令形、終助詞の文の言い切りなどにつくが
この「な」は、その歌意から上代の終助詞「な」で、未然形につくのが正しいはずだ
上代の終助詞「な」には、意志・希望・勧誘・願望の意があり
この歌に相応しいと思う

 





 
 掲題歌[2018]についての資料  関連歌集については、[諸本・諸注 その他の歌集]  

収載歌集及び歌学書】
 
 歌集、歌学書  
 柿本人麿集 私家集大成巻一- 4 人麿Ⅲ [冷泉家時雨亭叢書『素寂本私家集西山本私家集』]  ワカマチシミハキサキヌイマタニモ ニホヒニイ(ユ)フナヲチカタ人ニ
 柿本人麿集上 秋部 七夕 万十 146
 赤人集 新編国歌大観第三巻-2 赤人集 [西本願寺蔵三十六人集]   わがまちし秋はぎさきぬいまだにもにほひにゆかんならしかたみに
 あきのざふのうた 283
 同 私家集大成巻第一- 5  赤人Ⅰ・あか人(西本願寺蔵「三十六人集」)  わかまちし秋はきさきぬいまたにも にほひにゆかんならしかたみに
 あきのさふのうた 283
 同 私家集大成巻第一- 6  赤人Ⅱ・赤人集(書陵部蔵「三十六人集」五一〇・一二)  わかまちしあきはき咲ぬいまたにも にほひにゆかむならしかてらに」
 秋雑歌 162
 歌学書袖中抄(文治二、三年頃[1186,1187]作、顕昭[1130~1209])
  新編国歌大観第五巻-299 袖中抄 [日本歌学大系別巻二]
 わがまちし白芽子(しら[あき]はぎ)さきぬいまだにもにほひにゆかなをちかたびとに
 袖中抄第二十 998
 歌学書袖中抄
 鎌倉初期の和歌注釈書。《顕秘抄》と題する3巻本もあるが、一般にはそれを増補したとみられる20巻本をさす。1186‐87年(文治2‐3)ころ顕昭によって著され仁和寺守覚法親王に奉られた
《万葉集》以降《堀河百首》にいたる時期の和歌から約300の難解な語句を選び、百数十に及ぶ和・漢・仏書を駆使して綿密に考証。顕昭の学風を最もよく伝え、
《奥儀(おうぎ)抄》《袋草紙》とならぶ六条家歌学の代表的著作
 
【『校本万葉集』〔佐佐木信綱他、大正12年成〕の面白さ】[2014年3月8日記]

先日手にした『校本万葉集』、復刻版なので、なかなか読み辛いところもあるが、その内容は、確かに面白い
「注釈書」のような、歌の解説ではなく、その歌の本来の表記の姿を出来るだけ復元しようとする書では、もっとも新しいものだと思う
とはいえ、それでもまだ昭和になる前の書だから、古さはあるのだろうが、かと言って、それ以降の書が、注釈に重きを置いているばかりで
こうした「諸本」の校合を広く行い、それが中世の頃の「校本」に次ぐ形で刊行されたのは、素人の私でも嬉しいものだ
底本は、広く用いられている『西本願寺本』ではなく、『寛永版本』としている

[諸本・諸注については、「諸本・諸注、その他の歌集」]
 

 [本文]「吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾徃奈越方人邇
     「ワカマチシ アキハキサキヌ イマタニモ ニホヒニユカナ ヲチカタヒトニ(「【】」は編集)
       頭注  『類聚古集』、コノ歌ハ次ノ歌ノ後ニ書ケリ。
『袖中抄』、第二十「ワカマチシ白芽子(シラハキ)サキヌイマタニモニホヒニユカナヲチカタヒトニ」
『赤人集』、「わかまちし秋はきさきぬいまたにもにほひにゆかむならしかたみに」
『釈日本紀』、第二十四「越方人(ヲチカタヒト)同(万葉)第十」
 〔本文〕
  「芽」 『神田本』「○【判読出来ず】
  「邇」 『温故堂本』「
 〔訓〕
  「ワカマチシ」 『類聚古集』「わかたちし」
  「アキハキサキヌ」 『元暦校本・類聚古集』「しらはきさきぬ」
『細井本』「白」ノ左ニ「シラ」アリ
『京都大学本』「白」の左ニ赭「シラ」アリ

  「ニホヒニユカナ」 『元暦校本』「にほひにゆかむ」。「む」ノ右ニ赭「ナ」アリ
『神田本』「ニホヒテユカナ」

  「ヲチカタヒトニ」 『西本願所本・細井本』「オチカタヒトニ」
 〔諸説〕
記なし


近代までの注釈書の掲題歌】

中世、近世、近代の注釈書 (私の範囲で確認できたもの・文中歌番はそのままの旧国歌大観)    
  [2018] 
  万葉拾穂抄』〔北村季吟、貞享・元禄年間(1684~1704)成〕 
 〔わかまちしあきはき咲ぬ今たにもにほひにゆかなをちかたひとに〕
 吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓徃奈越方人迩

   わかまちし秋萩咲きぬ 匂ひにゆかなは遊戯にゆかなんと也牛女河を隔てあれは遠方人と云也
  万葉代匠記(精撰本)』〔契沖、元禄三年(1690)成〕[萬葉集代匠記惣釋 僧契冲撰 木村正辭校] 
 〔ワカマチシアキハキサキヌイマタニモニホヒニユカナヲチカタヒトニ〕  
 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾徃奈越方人邇
   發句は牽牛に成て云なり、白芽子をしらはきとよめるを袖中抄に嫌ひてやがて下に白風をあきかぜとよめるを引て云、白風をあきかぜと讀つれば白芽子をもあきはぎと讀は勝れり、あながちに我待ししらはぎと不可詠歟、今按五色を以て五方に配する時、白色は西なる故にかくかけり、五行に依て金を秋とよめるに同じ、待し芽子咲とは必らず芽子に意はあるべからず、芽子の咲そむる比織女に逢へば、あはむ時を待意を芽子を待と云ひて、にほひにゆかむなと寄せたるなるべし、爾寶比は埴生榛原などによせて多くよめるが如し、越方人は織女なり、
  万葉集童蒙抄』〔荷田春満、信名、享保年間(1716~35)成〕 
 〔われまちし、あきはぎさきぬ、いまだにも、にほひにゆかな、をちかたびとに〕 
 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇

   吾等 らりるれろ通音にて、らをれと通じて讀む也。二字引合て、われらと云意にてもあらむか。添て意を助けたる書樣集中あまた有。其格と見れば、わがとも讀べし。等の字に當りて是非用に立て讀むには、わら、われと讀べし
 白の字秋と讀むは 五色を五行、五方に配當すれば、西方秋の方にて、金に當る。金は白色西方も白色と立る故、秋とは義をもて讀む也。此歌は七夕の夜の歌にはあらず。七夕の前後の歌也。なれ共七夕の意をよめる也。越方人とは織女をさして云へるなるべし。萩の咲けるにつきて、秋と知りて織女の方へ詠吟し、慰みに行かんとの義也。ゆかなは、ゆかんな也
  万葉考』〔賀茂真淵、宝暦十年(1760)成〕 
  吾等待之[ワガマチシ]、白芽子開奴[アキハギサキヌ]、
 今谷毛、紀(神武)に伊莽波豫[イマハヨ]、阿々時夜塢[アヽシヤヲ]、 伊勢麻□[人偏+嚢]而毛阿誤豫[イマダニモアゴヨ]、伊麻□[人偏+嚢]而毛阿誤豫、とあるは今よとの給へるのみこゝの今だにも右に同じ爾賓比爾往奈[ニホヒニユカナ]、越方人邇[ヲチカタビトニ]、
   歌意は吾まちし萩の咲たれば彼ころもにほはせとよみし如く今萩はらに入たち衣にほはし 織女[タナバタツメ]のがりゆかんてふをかくよめりとせんかさはとりがたし萩に衣にほはせなまめきゆかんとよめる相聞の歌のこゝにまぎれたるものなりと見ゆれば例の小書にするなり
  万葉集略解』〔橘千蔭、寛政十二年(1800)成〕[日本古典全集刊行会、1926年、与謝野寛他] 
 〔わがまちし。あきはぎさきぬ。いまだにも。にほひにゆかな。をちかたびとに。〕
 吾等待之。白芽子開奴。今谷毛。爾寶比爾往奈。越方人邇。
   宣長云、秋ハギサキヌは逢ふべき時になれる意なり。今ダニモは、月日久しく戀ひ渡りて、せめて今なりともなり。此下の歌の今ダニモも同じと言へり。ニホヒニユカナとは、卷十三に、艶の字をニホヒと訓みし心にて、後の詞にて言はば、ナマメキニユカンと言ふ意ならん。越方人は織女を指すべし。白は西方秋の色なれば義を以て書けり。
  万葉集古義』〔鹿持雅澄、天保十三年(1842)成〕 
 〔アガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタヒトニ〕
 吾等待之白芽于開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
   白芽子[アキハギ]は、秋芽子[アキハギ]なり、かく書るは、白は西方秋色なるが故なり、と契冲云り、此(ノ)下にも白風[フヤカゼ]とあり、
○爾寶比爾往奈[ニホヒニユカナ]は、染[ニホヒ]に往む、さらば急[ハヤ]くといそぎたる意なり、爾寶布[ニホフ]は、染[ソマ]ると云むが如し、奈[ナ]は牟[ム]を急[ハヤ]く云るなり、さてこゝは、織女に相觸て、媚[ナマメ]きに往むと云意を帶たるなるべし、
○越方人[ヲチカタヒト]は、織女なり、
○歌(ノ)意は、見れば吾(ガ)待し秋はぎ咲たり、常に往まほしけれども、秋ならでは往ことのかなはざれば、今なりとも急[ハヤ]く往て、そのはぎの色に染[ソマ]らむ、言[コトバ]にこそ芽子に染[ソマ]らむといへ、日はそのはぎに入(リ)交(リ)て、色に染る如くに、織女に往て相觸む、と云るなるべし、
  『万葉集新考』〔井上通泰、大正4~昭和2年成〕 
 〔わがまちしあきはぎさきぬ今だにもにほひにゆかなをち方人に]
 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶此爾往奈越方人邇
   此歌の今ダニモは今カラナリトモなり。即下なる
  露霜にころもでぬれて今だにも妹がりゆかむ夜はふけぬとも
のイマダニモにおなじ(卷九【一八四〇頁】參照)。夕方にふと萩のさきたるを見附けて今カラナリトモといへるなり。さて萩のさけるを見て妹が り行かむと思立ちぬるは妹に逢ふべく定まれる時節なればなり
○ヲチカタ人は即遠妻にて織女をさせるなり。ニホフは染マルなり。但こゝにては色に染まるにあらで香に染まるなり。宣長雅澄がニホヒをナマメキと釋せるは從はれず
  『口訳万葉集』〔折口信夫、1916~17年成〕 
 〔わが待ちし秋萩咲きぬ。今だにも匂ひて行かな。遠方人[ヲチカタビト]に 〕
   いつ咲くことか、と待つてゐた萩の花は咲いた。遠方から逢ひに來たいとしい人の方へ、その萩に著物の色をつけて逢ひに行かう。
  万葉集全釈』〔鴻巣盛広、昭和5~10年成〕 
 〔吾が待ちし 秋萩咲きぬ 今だにも にほひに行かな 遠方人に〕
 ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
   ワタシガ待ツテヰタ秋萩ノ花モ咲イタ。今マデ永イ間待ツテヰタガ、セメテ今デモ、遠クノ方ニ居ル織女星トイフ人ニ逢ヒニユキマセウ。
○白芽子開奴[アキハギサキヌ]――白をアキとよむのは、白は西方秋の色であるからである。下にも白風[アキカゼニ](二〇一六)とある。
○爾寶比爾往奈[ニホヒニユカナ]――わからない語である。略解に「なまめきにゆかむといふ意ならむ」とあり。古義も同樣である。
○越方人邇[ヲチカタビトニ]――越方人[ヲチカタビト]は遠方にゐる人、即ち織女をいふ。
〔評〕 萩の咲くによつて、織女に逢ふべき時の來れるを、喜んだ彦星の心である。天上を下界と同じく萩の咲くものとした構想が變つてゐる。
 『万葉集全註釈』〔武田祐吉、昭和23年~25年成〕  
 〔わが待ちし 秋はぎ咲きぬ。今だにも にほひに行かな。遠方人に。〕
 ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
 吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓往奈越方人迩
  【譯】わたしの待つていた秋ハギは咲いた。今だけでも色にあらわれて妻どいに行きたいものだ。あの川むこうの人に。
【釋】白芽子開奴 アキハギサキヌ。白は、五行の説により、秋に相當する色として、秋に使用している。下にも「白風[アキカゼ]」(二〇一六)とある。この句によつて、逢うべき時節のきたことを語つている。句切。
 尓寶比尓往奈 ニホヒニユカナ。ニホヒニは、色に美しく出ることで、表に出して妻どいに行く意に使つている。ユカナは、願望の語法。句切。
 越方人迩 ヲチカタビトニ。越は字音假字。ヲチカタは、川のむこう岸。「己母理久乃[コモリクノ] 渡都世乃加波乃[ハツセノカハノ] 乎知可多爾[ヲチカタニ] 伊母良波多多志[イモラハタタシ]」(卷十三、三二九九、或本)。織女のもとにである。
【評語】時節の來たのを、秋ハギ咲キヌで描いたのは、事物に即しており、風情がある。ニホヒニはその縁で使用したのだろう。五句の留めも感じがよい。
 『評釈万葉集〔佐佐木信綱、昭和23~29年成〕 
 〔吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにも染ひに行かな遠方人に〕
  アガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
  【譯】自分の待つてゐた秋萩の花が咲いた。せめて今でも、花に袂を染めがてら、逢ひに行かうよ。天の河のあちらにゐる人に。
【評】これも亦地上の秋色をその儘に、架空の世界に移したもので、彦星の心を詠んだものであらう。率直にみれば、七夕の歌ではないやうにも思はれるが、つまり稚拙な歌なのである。
【語】○今だにも せめていまなりとも、即ち平常は行けないが、萩の花咲く秋になつたこの時にでも、の意。
   ○染ひに行かな 「にほふ」は衣に色を染めつける意。ここは萩の花に自分の袖を染めに行く意、妻に会ひに行く意を寓してゐるのであらう。四句を紀州本の訓に従って「ニホヒテユカナ」とすれば全体の解は明瞭になるのであるが、本文に一も證本が無いので遽に採用し難い。
   ○遠方人 「をちかた」の本義は、あちらで、ここは天の河のあちらにゐる人の意で、織女をさすと解すべきである。
 万葉集私注〔土屋文明、昭和24~31年成〕 
 〔吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにも染ひて行かな遠方人に〕
 ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒテユカナ ヲチカタビトニ
 吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
  【大意】吾が待つて居た秋萩は咲いた。今すぐにも、それに衣をにほはして行かう。遠方の夫のところに。
【語釈】アキハギ 「白」は五行説で、方位なら西、季節なら秋にあてられる。
    ○イマダニモ 今すぐにもといふ程の心持である。
    ○ニホヒテユカナ 「爾」は「而」に通用したものと見える。「而」を、「爾」に通はした例は前に見えた。ニホヒニユカナと訓むならば、遠方の夫と相睦びにといふことにならうが、調子は停頓する。神田本にテの訓のあるのは、一つの古い伝であらう。
    ○ヲチカタビトニ 遠方の人は、織女より牽牛を呼ぶと見える。
【作意】二星いづれにもとれるが、織女の立場であらう。秋が来て萩が咲いたから、それに衣をにほはして、遠方の恋人のところへ行かうとの心である。
  『万葉集注釈』〔澤潟久孝、昭和32~37年成〕 
 〔吾が待ちし 秋萩咲きぬ 今だにも にほひに行かな 彼方人に〕
 ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
 吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓往奈越方人迩(『元暦校本』
  【口訳】私が待つた秋萩が咲いた。せめて今でもなまめき交しに行かうよ。川の彼方の人のところへ。
【訓釈】秋萩咲きぬ―「白芽子」を『元暦校本・類聚古集』にシラハキとある。『細井本・京都大学本(赭)』も「白」の左にシラとあるが、『紀州本・西本願寺本』以後アキハギとある。「白芽子」とあるはここ一つであり、この先に「白風」とあり、青、赤、白、黒を四季に配して、春、夏、秋、冬となり、白は秋にあたるのでアキカゼと訓むべきであるから、ここもアキハギと訓むべきものと思はれる。梅には紅梅がまだ無く(8・1644)、萩には白萩が無かつたと思はれる。萩が咲いた事は七夕の近い事を示した事になる。
    今だにもにほひに行かな―平素は逢へないが、せめて萩の咲いた今なりとも、の意。「にほひに行かな」は略解に「巻十三に、艶の字をにほひと訓し心にて、後の詞にていはば、なまめきにゆかむといふ意ならむ。」とある。「艶」をニホフと訓んだ例は「令艶色(ニホハシ)」(1859)、「艶(ニホヘル)」(1872)が既にあつた。恋人に逢つてなまめき交すことを云つた。
    彼方人に―「彼方」は前(2・110)にあつた。ここは天の河をへだてた彼方の人で、織女をさす。

【考】赤人集に「秋はきさきぬ」「にほひにゆかむならしかたみに」、流布本「我またぬ」「ならしかてらに」とある。
 
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