中世、近世、近代の注釈書 (私の範囲で確認できたもの・文中歌番はそのままの旧国歌大観) |
[2018] |
『万葉拾穂抄』〔北村季吟、貞享・元禄年間(1684~1704)成〕 |
〔わかまちしあきはき咲ぬ今たにもにほひにゆかなをちかたひとに〕
吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓徃奈越方人迩
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わかまちし秋萩咲きぬ 匂ひにゆかなは遊戯にゆかなんと也牛女河を隔てあれは遠方人と云也 |
『万葉代匠記(精撰本)』〔契沖、元禄三年(1690)成〕[萬葉集代匠記惣釋 僧契冲撰 木村正辭校] |
〔ワカマチシアキハキサキヌイマタニモニホヒニユカナヲチカタヒトニ〕
吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾徃奈越方人邇 |
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發句は牽牛に成て云なり、白芽子をしらはきとよめるを袖中抄に嫌ひてやがて下に白風をあきかぜとよめるを引て云、白風をあきかぜと讀つれば白芽子をもあきはぎと讀は勝れり、あながちに我待ししらはぎと不可詠歟、今按五色を以て五方に配する時、白色は西なる故にかくかけり、五行に依て金を秋とよめるに同じ、待し芽子咲とは必らず芽子に意はあるべからず、芽子の咲そむる比織女に逢へば、あはむ時を待意を芽子を待と云ひて、にほひにゆかむなと寄せたるなるべし、爾寶比は埴生榛原などによせて多くよめるが如し、越方人は織女なり、
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『万葉集童蒙抄』〔荷田春満、信名、享保年間(1716~35)成〕 |
〔われまちし、あきはぎさきぬ、いまだにも、にほひにゆかな、をちかたびとに〕
吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
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吾等 らりるれろ通音にて、らをれと通じて讀む也。二字引合て、われらと云意にてもあらむか。添て意を助けたる書樣集中あまた有。其格と見れば、わがとも讀べし。等の字に當りて是非用に立て讀むには、わら、われと讀べし
白の字秋と讀むは 五色を五行、五方に配當すれば、西方秋の方にて、金に當る。金は白色西方も白色と立る故、秋とは義をもて讀む也。此歌は七夕の夜の歌にはあらず。七夕の前後の歌也。なれ共七夕の意をよめる也。越方人とは織女をさして云へるなるべし。萩の咲けるにつきて、秋と知りて織女の方へ詠吟し、慰みに行かんとの義也。ゆかなは、ゆかんな也 |
『万葉考』〔賀茂真淵、宝暦十年(1760)成〕 |
吾等待之[ワガマチシ]、白芽子開奴[アキハギサキヌ]、
今谷毛、紀(神武)に伊莽波豫[イマハヨ]、阿々時夜塢[アヽシヤヲ]、 伊勢麻□[人偏+嚢]而毛阿誤豫[イマダニモアゴヨ]、伊麻□[人偏+嚢]而毛阿誤豫、とあるは今よとの給へるのみこゝの今だにも右に同じ
爾賓比爾往奈[ニホヒニユカナ]、越方人邇[ヲチカタビトニ]、 |
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歌意は吾まちし萩の咲たれば彼ころもにほはせとよみし如く今萩はらに入たち衣にほはし 織女[タナバタツメ]のがりゆかんてふをかくよめりとせんかさはとりがたし萩に衣にほはせなまめきゆかんとよめる相聞の歌のこゝにまぎれたるものなりと見ゆれば例の小書にするなり |
『万葉集略解』〔橘千蔭、寛政十二年(1800)成〕[日本古典全集刊行会、1926年、与謝野寛他] |
〔わがまちし。あきはぎさきぬ。いまだにも。にほひにゆかな。をちかたびとに。〕
吾等待之。白芽子開奴。今谷毛。爾寶比爾往奈。越方人邇。 |
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宣長云、秋ハギサキヌは逢ふべき時になれる意なり。今ダニモは、月日久しく戀ひ渡りて、せめて今なりともなり。此下の歌の今ダニモも同じと言へり。ニホヒニユカナとは、卷十三に、艶の字をニホヒと訓みし心にて、後の詞にて言はば、ナマメキニユカンと言ふ意ならん。越方人は織女を指すべし。白は西方秋の色なれば義を以て書けり。 |
『万葉集古義』〔鹿持雅澄、天保十三年(1842)成〕 |
〔アガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタヒトニ〕
吾等待之白芽于開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇
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白芽子[アキハギ]は、秋芽子[アキハギ]なり、かく書るは、白は西方秋色なるが故なり、と契冲云り、此(ノ)下にも白風[フヤカゼ]とあり、
○爾寶比爾往奈[ニホヒニユカナ]は、染[ニホヒ]に往む、さらば急[ハヤ]くといそぎたる意なり、爾寶布[ニホフ]は、染[ソマ]ると云むが如し、奈[ナ]は牟[ム]を急[ハヤ]く云るなり、さてこゝは、織女に相觸て、媚[ナマメ]きに往むと云意を帶たるなるべし、
○越方人[ヲチカタヒト]は、織女なり、
○歌(ノ)意は、見れば吾(ガ)待し秋はぎ咲たり、常に往まほしけれども、秋ならでは往ことのかなはざれば、今なりとも急[ハヤ]く往て、そのはぎの色に染[ソマ]らむ、言[コトバ]にこそ芽子に染[ソマ]らむといへ、日はそのはぎに入(リ)交(リ)て、色に染る如くに、織女に往て相觸む、と云るなるべし、 |
『万葉集新考』〔井上通泰、大正4~昭和2年成〕 |
〔わがまちしあきはぎさきぬ今だにもにほひにゆかなをち方人に]
吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶此爾往奈越方人邇 |
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此歌の今ダニモは今カラナリトモなり。即下なる
露霜にころもでぬれて今だにも妹がりゆかむ夜はふけぬとも
のイマダニモにおなじ(卷九【一八四〇頁】參照)。夕方にふと萩のさきたるを見附けて今カラナリトモといへるなり。さて萩のさけるを見て妹が り行かむと思立ちぬるは妹に逢ふべく定まれる時節なればなり
○ヲチカタ人は即遠妻にて織女をさせるなり。ニホフは染マルなり。但こゝにては色に染まるにあらで香に染まるなり。宣長雅澄がニホヒをナマメキと釋せるは從はれず |
『口訳万葉集』〔折口信夫、1916~17年成〕 |
〔わが待ちし秋萩咲きぬ。今だにも匂ひて行かな。遠方人[ヲチカタビト]に 〕 |
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いつ咲くことか、と待つてゐた萩の花は咲いた。遠方から逢ひに來たいとしい人の方へ、その萩に著物の色をつけて逢ひに行かう。 |
『万葉集全釈』〔鴻巣盛広、昭和5~10年成〕 |
〔吾が待ちし 秋萩咲きぬ 今だにも にほひに行かな 遠方人に〕
ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇 |
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ワタシガ待ツテヰタ秋萩ノ花モ咲イタ。今マデ永イ間待ツテヰタガ、セメテ今デモ、遠クノ方ニ居ル織女星トイフ人ニ逢ヒニユキマセウ。
○白芽子開奴[アキハギサキヌ]――白をアキとよむのは、白は西方秋の色であるからである。下にも白風[アキカゼニ](二〇一六)とある。
○爾寶比爾往奈[ニホヒニユカナ]――わからない語である。略解に「なまめきにゆかむといふ意ならむ」とあり。古義も同樣である。
○越方人邇[ヲチカタビトニ]――越方人[ヲチカタビト]は遠方にゐる人、即ち織女をいふ。
〔評〕 萩の咲くによつて、織女に逢ふべき時の來れるを、喜んだ彦星の心である。天上を下界と同じく萩の咲くものとした構想が變つてゐる。 |
『万葉集全註釈』〔武田祐吉、昭和23年~25年成〕 |
〔わが待ちし 秋はぎ咲きぬ。今だにも にほひに行かな。遠方人に。〕
ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓往奈越方人迩 |
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【譯】わたしの待つていた秋ハギは咲いた。今だけでも色にあらわれて妻どいに行きたいものだ。あの川むこうの人に。
【釋】白芽子開奴 アキハギサキヌ。白は、五行の説により、秋に相當する色として、秋に使用している。下にも「白風[アキカゼ]」(二〇一六)とある。この句によつて、逢うべき時節のきたことを語つている。句切。
尓寶比尓往奈 ニホヒニユカナ。ニホヒニは、色に美しく出ることで、表に出して妻どいに行く意に使つている。ユカナは、願望の語法。句切。
越方人迩 ヲチカタビトニ。越は字音假字。ヲチカタは、川のむこう岸。「己母理久乃[コモリクノ] 渡都世乃加波乃[ハツセノカハノ] 乎知可多爾[ヲチカタニ] 伊母良波多多志[イモラハタタシ]」(卷十三、三二九九、或本)。織女のもとにである。
【評語】時節の來たのを、秋ハギ咲キヌで描いたのは、事物に即しており、風情がある。ニホヒニはその縁で使用したのだろう。五句の留めも感じがよい。 |
『評釈万葉集』〔佐佐木信綱、昭和23~29年成〕 |
〔吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにも染ひに行かな遠方人に〕
アガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ |
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【譯】自分の待つてゐた秋萩の花が咲いた。せめて今でも、花に袂を染めがてら、逢ひに行かうよ。天の河のあちらにゐる人に。
【評】これも亦地上の秋色をその儘に、架空の世界に移したもので、彦星の心を詠んだものであらう。率直にみれば、七夕の歌ではないやうにも思はれるが、つまり稚拙な歌なのである。
【語】○今だにも せめていまなりとも、即ち平常は行けないが、萩の花咲く秋になつたこの時にでも、の意。
○染ひに行かな 「にほふ」は衣に色を染めつける意。ここは萩の花に自分の袖を染めに行く意、妻に会ひに行く意を寓してゐるのであらう。四句を紀州本の訓に従って「ニホヒテユカナ」とすれば全体の解は明瞭になるのであるが、本文に一も證本が無いので遽に採用し難い。
○遠方人 「をちかた」の本義は、あちらで、ここは天の河のあちらにゐる人の意で、織女をさすと解すべきである。 |
『万葉集私注』〔土屋文明、昭和24~31年成〕 |
〔吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにも染ひて行かな遠方人に〕
ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒテユカナ ヲチカタビトニ
吾等待之白芽子開奴今谷毛爾寶比爾往奈越方人邇 |
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【大意】吾が待つて居た秋萩は咲いた。今すぐにも、それに衣をにほはして行かう。遠方の夫のところに。
【語釈】アキハギ 「白」は五行説で、方位なら西、季節なら秋にあてられる。
○イマダニモ 今すぐにもといふ程の心持である。
○ニホヒテユカナ 「爾」は「而」に通用したものと見える。「而」を、「爾」に通はした例は前に見えた。ニホヒニユカナと訓むならば、遠方の夫と相睦びにといふことにならうが、調子は停頓する。神田本にテの訓のあるのは、一つの古い伝であらう。
○ヲチカタビトニ 遠方の人は、織女より牽牛を呼ぶと見える。
【作意】二星いづれにもとれるが、織女の立場であらう。秋が来て萩が咲いたから、それに衣をにほはして、遠方の恋人のところへ行かうとの心である。 |
『万葉集注釈』〔澤潟久孝、昭和32~37年成〕 |
〔吾が待ちし 秋萩咲きぬ 今だにも にほひに行かな 彼方人に〕
ワガマチシ アキハギサキヌ イマダニモ ニホヒニユカナ ヲチカタビトニ
吾等待之白芽子開奴今谷毛尓寶比尓往奈越方人迩(『元暦校本』) |
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【口訳】私が待つた秋萩が咲いた。せめて今でもなまめき交しに行かうよ。川の彼方の人のところへ。
【訓釈】秋萩咲きぬ―「白芽子」を『元暦校本・類聚古集』にシラハキとある。『細井本・京都大学本(赭)』も「白」の左にシラとあるが、『紀州本・西本願寺本』以後アキハギとある。「白芽子」とあるはここ一つであり、この先に「白風」とあり、青、赤、白、黒を四季に配して、春、夏、秋、冬となり、白は秋にあたるのでアキカゼと訓むべきであるから、ここもアキハギと訓むべきものと思はれる。梅には紅梅がまだ無く(8・1644)、萩には白萩が無かつたと思はれる。萩が咲いた事は七夕の近い事を示した事になる。
今だにもにほひに行かな―平素は逢へないが、せめて萩の咲いた今なりとも、の意。「にほひに行かな」は略解に「巻十三に、艶の字をにほひと訓し心にて、後の詞にていはば、なまめきにゆかむといふ意ならむ。」とある。「艶」をニホフと訓んだ例は「令艶色(ニホハシ)」(1859)、「艶(ニホヘル)」(1872)が既にあつた。恋人に逢つてなまめき交すことを云つた。
彼方人に―「彼方」は前(2・110)にあつた。ここは天の河をへだてた彼方の人で、織女をさす。
【考】赤人集に「秋はきさきぬ」「にほひにゆかむならしかたみに」、流布本「我またぬ」「ならしかてらに」とある。 |