万葉集巻第十四 
 
 
       東 歌  古 語 辞 典 へ
3362 夏麻引く海上潟の沖つ洲に船は留めむさ夜更けにけり  
      右の一首は上総の国の歌。  
3363 葛飾の真間の浦廻を漕ぐ船の船人騒く波立つらしも
      右の一首は下総の国の歌。  
3364 筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも  
      或本の歌には「たらちねの」といふ。また「あまた着欲しも」といふ。  
3365 筑波嶺に雪かも降らるいなをかも愛しき子ろが布乾さるかも  再掲  
      右の二首は常陸の国の歌。  
3366 信濃なる須我の荒野に霍公鳥鳴く声聞けば時過ぎにけり  
      右の一首は信濃の国の歌。  
       相 聞  
3367 あらたまの伎倍の林に汝を立てて行きかつましじ寐を先立たね  
3368 伎倍人のまだら衾に綿さはだ入りなましもの妹が小床に  
      右の二首は遠江の国の歌。  
3369 天の原富士の柴山この暗の時ゆつりなば逢はずかもあらむ  
3370 富士の嶺のいや遠長き山道をも妹がりとへばけによばず来ぬ  
3371 霞居る富士の山びに我が来なばいづち向きてか妹が嘆かむ  
3372 さ寝らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと  
      或本の歌に曰はく  
3373 ま愛しみ寝らくはしけらくさ鳴らくは伊豆の高嶺の鳴沢なすよ  
      一本の歌に曰はく  
3374 逢へらくは玉の緒しけや恋ふらくは富士の高嶺に降る雪なすも  
3375 駿河の海おし辺に生ふる浜つづら汝を頼み母に違ひぬ  一には「親に違ひぬ」といふ  再掲  
    右の五首は駿河の国の歌。  
3376 伊豆の海に立つ白波のありつつも継ぎなむものを乱れしめめや  
      或本の歌には「白雲の絶えつつも継がむと思へや乱れそめけむ」といふ。  
      右の一首は伊豆の国の歌。  
3377 足柄のをてもこのもにさすわなのかなるましづみ子ろ我れ紐解く  
3378 相模嶺の小峰見そくし忘れ来る妹が名呼びて我を音し泣くな (再掲)  
      或本の歌に曰はく  
3379 武蔵嶺の小峰見隠し忘れ行く君が名懸けて我を音し泣くる  
3380 我が背子を大和へ遣りて待つしだす足柄山の杉の木の間か  
3381 足柄の箱根の山に粟蒔きて実とはなれるを粟無くもあやし  
      或本の歌の末句には「延ふ葛の引かば寄り来ね下なほなほに」といふ。  
3382 鎌倉の見越しの崎の岩崩えの君が悔ゆべき心は持たじ  
3383 ま愛しみさ寝に我は行く鎌倉の水無瀬川に潮満つなむか  
3384 百づ島足柄小舟歩き多み目こそ離るらめ心は思へど  
3385 あしがりの土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに子ろが言はなくに  
3386 あしがりの麻万の小菅の菅枕あぜかまかさむ子ろせ手枕  
3387 あしがりの箱根の嶺ろのにこ草の花つ妻なれや紐解かず寝む  
3388 足柄のみ坂畏み曇り夜の我が下ばへをこち出つるかも  
3389 相模道の余綾の浜の真砂なす子らは愛しく思はるるかも  
      右の十二首は相模の国の歌。  
3390 多摩川にさらす手作りさらさらになにぞこの子のここだ愛しき  
3391 武蔵野に占部肩焼きまさでにも告らぬ君が名占に出にけり  
3392 武蔵野のをぐきが雉立ち別れ去にし宵より背ろに逢はなふよ  
3393 恋しけば袖も振らむを武蔵野のうけらが花の色に出なゆめ  
      或本の歌に曰はく  
3394 いかにして恋ひばか妹に武蔵野のうけらが花の色に出ずあらむ  
3395 武蔵野の草葉もろ向きかもかくも君がまにまに我は寄りにしを  
3396 入間道の於保屋が原のいはゐつら引かばぬるぬる我にな絶えそね  
3397 我が背子をあどかも言はむ武蔵野のうけらが花の時なきものを  
3398 埼玉の津に居る船の風をいたみ綱は絶ゆとも言な絶えそね  
3399 夏麻引く宇奈比をさして飛ぶ鳥の至らむとぞよ我が下延へし  
      右の九首は武蔵の国の歌。  
3400 馬来田の嶺ろの笹葉の露霜の濡れて我来なば汝は恋ふばぞも  
3401 馬来田の嶺ろに隠り居かくだにも国の遠かば汝が目欲りせむ  
      右の二首は上総の国の歌。  
3402 葛飾の真間の手児名をまことかも我れに寄すとふ真間の手児名を  
3403 葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに  
3404 にほ鳥の葛飾早稲をにへすともその愛しきを外に立てめやも  
3405 足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ  
      右の四首は下総の国の歌。  
3406 筑波嶺の嶺ろに霞居過ぎかてに息づく君を率寝て遣らさね  
3407 妹が門いや遠そきぬ筑波山隠れぬほとに袖は振りてな  
3408 筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに  
3409 筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山悪しかるとがもさね見えなくに  
3410 筑波嶺の岩もとどろに落つる水よにもたゆらに我が思はなくに  
3411 筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ母い守れども魂ぞ会ひにける  
3412 さ衣の小筑波嶺ろの山の崎忘ら来ばこそ汝を懸けなはめ  
3413 小筑波の嶺ろに月立し間夜はさはだなりぬをまた寝てむかも  
3414 小筑波の茂き木の間よ立つ鳥の目ゆか汝を見むさ寝ざらなくに  
3415 常陸なる浪逆の海の玉藻こそ引けば絶えすれあどか絶えせむ  
      右の十首は常陸の国の歌。  
3416 人皆の言は絶ゆとも埴科の石井の手児が言な絶えそね  
3417 信濃道は今の墾り道刈りばねに足踏ましなむ沓はけ我が背  
3418 信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ  
3419 なかまなに浮き居る船の漕ぎ出なば逢ふことかたし今日にしあらずは  
      右の四首は信濃の国の歌。  
3420 日の暮れに碓氷の山を越ゆる日は背なのが袖もさやに振らしつ  
3421 我が恋はまさかも愛し草枕多胡の入野の奥も愛しも  
3422 上つ毛野安蘇のま麻むらかき抱き寝れど飽かぬをあどか我がせむ  
3423 上つ毛野乎度の多杼里が川路にも子らは逢はなもひとりのみして  
      或本の歌に曰はく  
3424 上つ毛野小野の多杼里があはぢにも背なは逢はなも見る人なしに  
3425 上つ毛野佐野の茎立ち折りはやし我れは待たむゑ来とし来ずとも  
3426 上つ毛野まぐはしまとに朝日さしまきらはしもなありつつ見れば  
3427 新田山嶺にはつかなな我に寄そりはしなる子らしあやに愛しも  
3428 伊香保ろに天雲い継ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら  
3429 伊香保ろの沿ひの榛原ねもころに奥をなかねそまさかしよかば  
3430 多胡の嶺に寄せ綱延へて寄すれどもあにくやしづしその顔よきに  
3431 上つ毛野久路保の嶺ろの葛葉がた愛しけ子らにいや離り来も  
3432 利根川の川瀬も知らず直渡り波にあふのす逢へる君かも  
3433 伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の現はろまでもさ寝をさ寝てば  
3434 上つ毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱かく恋ひむとや種求めけむ  
3435 上つ毛野可保夜が沼のいはゐつら引かばぬれつつ我をな絶えそね  
3436 上つ毛野伊奈良の沼の大藺草外に見しよは今こそまされ 柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ  
3437 上つ毛野佐野田の苗のむら苗に事は定めつ今はいかにせも  
3438 伊香保せよ奈可中次下思ひどろくまこそしつと忘れせなふも  
3439 上つ毛野佐野の舟橋取り放し親は離くれど我は離るがへ  
3440 伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども子らによりてぞ  
3441 伊香保風吹く日吹かぬ日ありと言へど我が恋のみし時なかりけり  
3442 上つ毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり  
      右の二十二首は上野の国の歌。  
3443 下つ毛野みかもの山のこ楢のすまぐはし子ろは誰が笥か持たむ  
3444 下つ毛野阿蘇の川原よ石踏まず空ゆと来ぬよ汝が心告れ  
      右の二首は下野の国の歌。  
3445 会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね  
3446 筑紫なるにほふ子ゆゑに陸奥の可刀利娘子の結ひし紐解く  
3447 安達太良の嶺に伏す鹿猪のありつつも我れは至らむ寝処な去りそね  
      右の三首は陸奥の国の歌。  
       譬 喩 歌  ページトップへ
3448 遠江引佐細江のみをつくし我れを頼めてあさましものを  
      右の一首は遠江の国の歌。  
3449 志太の浦を朝漕ぐ船はよしなしに漕ぐらめかもよよしこさるらめ  
      右の一首は駿河の国の歌。  
3450 足柄の安伎奈の山に引こ船の後引かしもよここばこがたに  
3451 足柄のわを可鶏山のかづの木の我をかづさねも門さかずとも  
3452 薪伐る鎌倉山の木垂る木を松と汝が言はば恋ひつつやあらむ  
      右の三首は相模の国の歌。  
3453 上つ毛野阿蘇山つづら野を広み延ひにしものをあぜか絶えせむ  
3454 伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思へば  
3455 しらとほふ小新田山の守る山のうら枯れせなな常葉にもがも  
      右の三首は上野の国の歌。  
3456 陸奥の安達太良真弓はじき置きて反らしめきなば弦はかめかも  
      右の一首は陸奥の国の歌。  
       雑 歌  
3457 都武賀野に鈴が音聞こゆ可牟思太の殿のなかちし鳥猟すらしも  
      或本の歌には「美都我野に」といふ。また「若子し」といふ。右の一首は陸奥の国の歌。  
3458 鈴が音の早馬駅家の堤井の水を給へな妹が直手よ  
3459 この川に朝菜洗ふ子汝れも我れもよちをぞ持てるいで子給りに 一には「ましも我れも」といふ  
3460 ま遠くの雲居に見ゆる妹が家にいつか至らむ歩め我が駒  
      柿本朝臣人麻呂が歌集には「遠くして」といふ。また「歩め黒駒」といふ。  
3461 東道の手児の呼坂越えがねて山にか寝むも宿りはなしに  
3462 うらもなく我が行く道に青柳の張りて立てれば物思ひ出つも  
3463 伎波都久の岡のくくみら我れ摘めど籠にも満たなふ背なと摘まさね  
3464 港の葦が中なる玉小菅刈り来我が背子床の隔しに  
3465 妹なろが使ふ川津のささら荻葦と人言語りよらしも  
3466 草蔭の安努な行かむと墾りし道安努は行かずて荒草立ちぬ  
3467 花散らふこの向つ峰の乎那の峰のひじにつくまで君が代もがも  
3468 白栲の衣の袖を麻久良我よ海人漕ぎ来見ゆ波立つなゆめ  
3469 乎久佐男と乎具佐受家男と潮舟の並べて見れば乎具佐勝ちめり  
3470 左奈都良の岡に粟蒔き愛しきが駒は食ぐとも我はそとも追じ  
3471 おもしろき野をばな焼きそ古草に新草交り生ひは生ふるがに  
3472 風の音の遠き我妹が着せし衣手本のくだりまよひ来にけり  
3473 庭に立つ麻手小衾今夜だに夫寄しこせね麻手小衾  
       相 聞  
3474 恋しけば来ませ我が背子垣つ柳末摘み枯らし我れ立ち待たむ  
3475 うつせみの八十言のへは繁くとも争ひかねて我を言なすな  
3476 うちひさす宮の我が背は大和女の膝まくごとに我を忘らすな  
3477 汝背の子や等里の岡道しなかだ折れ我を音し泣くよ息づくまでに  
3478 稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ  
3479 誰れぞこの屋の戸押そぶる新嘗に我が背を遣りて斎ふこの戸を  
3480 あぜと言へかさ寝に逢はなくにま日暮れて宵なは来なに明けぬしだ来る  
3481 あしひきの山沢人の人さはにまなと言ふ子があやに愛しさ  
3482 ま遠くの野にも逢はなむ心なく里のみ中に逢へる背なかも  
3483 人言の繁きによりてまを薦の同じ枕は我はまかじやも  
3484 高麗錦紐解き放けて寝るが上にあどせろとかもあやに愛しき  
3485 ま愛しみ寝れば言に出さ寝なへば心の緒ろに乗りて愛しも  
3486 奥山の真木の板戸をとどとして我が開かむに入り来て寝さね  
3487 山鳥の峰ろのはつをに鏡懸け唱ふべみこそ汝に寄そりけめ  
3488 夕占にも今夜と告らろ我が背なはあぜぞも今夜寄しろ来まさぬ  
3489 相見ては千年やいぬるいなをかも我れやしか思ふ君待ちがてに  柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ  
3490 しまらくは寝つつもあらむを夢のみにもとな見えつつ我を音し泣くる  
3491 人妻とあぜかそを言はむしからばか隣の衣を借りて着なはも  
3492 左努山に打つや斧音の遠かども寝もとか子ろが面に見えつる  
3493 植ゑ竹の本さへ響み出でて去なばいづし向きてか妹が嘆かむ  
3494 恋ひつつも居らむとすれど遊布麻山隠れし君を思ひかねつも  
3495 うべ子なは我ぬに恋ふなも立と月のぬがなへ行けば恋しかるなも  
      或本の歌の末句には「ぬがなへ行けど我ぬ行がのへば」といふ  
3496 東路の手児の呼坂越えて去なば我れは恋ひむな後は逢ひぬとも  
3497 遠しとふ故奈の白嶺に逢ほしだも逢はのへしだも汝にこそ寄され  
3498 安可見山草根刈り除け逢はすがへ争ふ妹しあやに愛しも  
3499 大君の命畏み愛し妹が手枕離れ夜立ち来のかも  
3500 あり衣のさゑさゑしづみ家の妹に物言はず来にて思ひ苦しも  
      柿本朝臣人麻呂が歌集の中に出づ。上に見ゆることすでに訖はりぬ。  
3501 韓衣裾のうち交へ逢はねども異しき心を我が思はなくに  
      或本の歌に曰はく  
3502 韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへのからに言痛かりつも  
3503 昼解けば解けなへ紐の我が背なに相寄るとかも夜解けやすけ  
3504 麻苧らを麻笥にふすさに績まずとも明日着せさめやいざせ小床に  
3505 剣大刀身に添ふ妹を取り見がね音をぞ泣きつる手児にあらなくに  
3506 愛し妹を弓束並べ巻きもころ男のこととし言はばいや勝たましに  
3507 梓弓末に玉巻きかくすすぞ寝なななりにし奥をかぬかぬ  
3508 生ふしもとこの本山のましばにも告らぬ妹が名かたに出でむかも  
3509 梓弓欲良の山辺の茂かくに妹ろを立ててさ寝処払ふも  
3510 梓弓末は寄り寝むまさかこそ人目を多み汝をはしに置けれ  柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ  
3511 柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむをいかにせよとぞ  
3512 小山田の池の堤にさす柳成りも成らずも汝と二人はも  
3513 遅速も汝をこそ待ため向つ峰の椎の小やで枝の逢ひは違はじ  
      或本の歌に曰はく   
3514 遅速も君をし待たむ向つ峰の椎のさ枝の時は過ぐとも  
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3515 子持山若かへるでのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか思ふ  
3516 巌ろの沿ひの若松限りとや君が来まさぬうらもとなくも  
3517 橘の古婆の放髪が思ふなむ心うつくしいで我れは行かな  
3518 川上の根白高萱あやにあやにさ寝さ寝てこそ言に出にしか  
3519 海原の根柔ら小菅あまたあれば君は忘らす我れ忘るれや  
3520 岡に寄せ我が刈る萱のさね萱のまことなごやは寝ろとへなかも  
3521 紫草は根をかも終ふる人の子のうら愛しけを寝を終へなくに  
3522 安波峰ろの峰ろ田に生はるたはみづら引かばぬるぬる我を言な絶え  
3523 我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ  
3524 安齊可潟潮干のゆたに思へらばうけらが花の色に出めやも  
3525 春へ咲く藤の末葉のうら安にさ寝る夜ぞなき子ろをし思へば  
3526 うちひさつ宮能瀬川のかほ花の恋ひてか寝らむ昨夜も今夜も  
3527 新室のこどきに至ればはだすすき穂に出し君が見えぬこのころ  
3528 谷狭み峰に延ひたる玉葛絶えむの心我が思はなくに  
3529 芝付の御宇良崎なるねつこ草相見ずあらば我れ恋ひめやも  
3530 栲衾白山風の寝なへども子ろがおそきのあろこそえしも  
3531 み空行く雲にもがもな今日行きて妹に言どひ明日帰り来む  
3532 青嶺ろにたなびく雲のいさよひに物をぞ思ふ年のこのころ  
3533 一嶺ろに言はるものから青嶺ろにいさよふ雲の寄そり妻はも  
3534 夕さればみ山を去らぬ布雲のあぜか絶えむと言ひし子ろはも  
3535 高き嶺に雲のつくのす我れさへに君につきなな高嶺と思ひて  
3536 我が面の忘れむしだは国はふり嶺に立つ雲を見つつ偲はせ  
3537 対馬の嶺は下雲あらなふ可牟の嶺にたなびく雲を見つつ偲はも  
3538 白雲の絶えにし妹をあぜせろと心に乗りてここば愛しけ  
3539 岩の上にいかかる雲のかのまづく人ぞおたはふいざ寝しめとら  
3540 汝が母に嘖られ我は行く青雲の出で来我妹子相見て行かむ  
3541 面形の忘れむしだは大野ろにたなびく雲を見つつ偲はむ  
3542 烏とふ大をそ鳥のまさでにも来まさぬ君をころくとぞ鳴く  
3543 昨夜こそば子ろとさ寝しか雲の上ゆ鳴き行く鶴の間遠く思ほゆ  
3544 坂越えて安倍の田の面に居る鶴のともしき君は明日さへもがも  
3545 まを薦の節の間近くて逢はなへば沖つま鴨の嘆きぞ我がする  
3546 水久君野に鴨の這ほのす子ろが上に言緒ろ延へていまだ寝なふも  
3547 沼二つ通は鳥が巣我が心二行くなもとなよ思はりそね  
3548 沖に住も小鴨のもころ八尺鳥息づく妹を置きて来のかも  
3549 水鳥の立たむ装ひに妹のらに物言はず来にて思ひかねつも  
3550 等夜の野に兎ねらはりをさをさも寝なへ子ゆゑに母に嘖はえ  
3551 さを鹿の伏すや草むら見えずとも子ろが金門よ行かくしえしも  
3552 妹をこそ相見に来しか眉引きの横山辺ろの獣なす思へる  
3553 春の野に草食む駒の口やまず我を偲ふらむ家の子ろはも  
3554 人の子の愛しけしだは浜洲鳥足悩む駒の惜しけくもなし  
3555 赤駒が門出をしつつ出でかてにせしを見立てし家の子らはも  
3556 己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを  
3557 赤駒を打ちてさ緒引き心引きいかなる背なか我がり来むと言ふ  
3558 くへ越しに麦食む小馬のはつはつに相見し子らしあやに愛しも  
      或本の歌に曰はく  
3559 馬柵越し麦食む駒のはつはつに新肌触れし子ろし愛しも  
3560 広橋を馬越しがねて心のみ妹がり遣りて我はここにして  
      或本の歌の発句には「小林に駒を馳ささげ」といふ。  
3561 あずの上に駒を繋ぎて危ほかど人妻子ろを息に我がする  
3562 左和多里の手児にい行き逢ひ赤駒が足掻きを速み言問はず来ぬ  
3563 あずへから駒の行ごのす危はとも人妻子ろをまゆかせらふも  
3564 さざれ石に駒を馳させて心痛み我が思ふ妹が家のあたりかも  
3565 むろがやの都留の堤の成りぬがに子ろは言へどもいまだ寝なくに  
3566 あすか川下濁れるを知らずして背ななと二人さ寝て悔しも  
3567 あすか川堰くと知りせばあまた夜も率寝て来ましを堰くと知りせば  
3568 青柳の張らろ川門に汝を待つと清水は汲まず立ち処平すも  
3569 あぢの棲む須沙の入江の隠り沼のあな息づかし見ず久にして  
3570 鳴る瀬ろにこつの寄すなすいとのきて愛しけ背ろに人さへ寄すも  
3571 多由比潟潮満ちわたるいづゆかも愛しき背ろが我がり通はむ  
3572 おしていなと稲は搗かねど波の穂のいたぶらしもよ昨夜ひとり寝て  
3573 阿遅可麻の潟にさく波平瀬にも紐解くものか愛しけを置きて  
3574 まつが浦にさわゑうら立ちま人言思ほすなもろ我が思ほのすも  
3575 あじかまの可家の港に入る潮のこてたずくもが入りて寝まくも  
3576 妹が寝る床のあたりに岩ぐくる水にもがもよ入りて寝まくも  
3577 麻久良我の許我の渡りの韓楫の音高しもな寝なへ子ゆゑに  
3578 潮船の置かれば愛しさ寝つれば人言繁し汝をどかもしむ  
3579 悩ましけ人妻かもよ漕ぐ舟の忘れはせなないや思ひ増すに  
3580 逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも  
3581 大船を舳ゆも艫ゆも堅めてし許曽の里人あらはさめかも  
3582 ま金ふく丹生のま朱の色に出て言はなくのみぞ我が恋ふらくは  
3583 金門田を荒垣ま斎み日が照れば雨を待とのす君をと待とも  
3584 荒礒やに生ふる玉藻のうち靡きひとりや寝らむ我を待ちかねて  
3585 比多潟の礒のわかめの立ち乱え我をか待つなも昨夜も今夜も  
3586 古須気ろの浦吹く風のあどすすか愛しけ子ろを思ひ過ごさむ  
3587 かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも  
3588 我妹子に我が恋ひ死なばそわへかも神に負ほせむ心知らずて  
       防 人 歌  
3589 置きて行かば妹はま愛し持ちて行く梓の弓の弓束にもがも  
3590 後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを  
      右の二首は問答。  
3591 防人に立ちし朝開の金戸出にたばなれ惜しみ泣きし子らはも  
3592 葦の葉に夕霧立ちて鴨が音の寒き夕し汝をば偲はむ  
3593 己妻を人の里に置きおほほしく見つつぞ来ぬるこの道の間  
       譬 喩 歌  
3594 あど思へか阿自久麻山の弓絃葉のふふまる時に風吹かずかも  
3595 あしひきの山かづらかげましばにも得がたきかげを置きや枯らさむ  
3596 小里なる花橘を引き攀ぢて折らむとすれどうら若みこそ  
3597 美夜自呂のすかへに立てるかほが花な咲き出でそねこめて偲はむ  
3598 苗代の小水葱が花を衣に摺りなるるまにまにあぜか愛しけ  
       挽 歌  
3599 愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも  
      以前の歌は、いまだ国土山川の名を勘へ知ること得ず。  
   
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ことばに惹かれて  万葉集の部屋