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古 語 辞 典 へ |
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遣新羅使人等悲別贈答及海路慟情陳思并當所誦之古歌 |
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3600 |
武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし |
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3601 |
大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを |
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3602 |
君が行く海辺の宿に霧立たば我が立ち嘆く息と知りませ |
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3603 |
秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ |
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3604 |
大船を荒海に出だしいます君障むことなく早帰りませ |
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3605 |
ま幸くて妹が斎はば沖つ波千重に立つとも障りあらめやも |
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3606 |
別れなばうら悲しけむ我が衣下にを着ませ直に逢ふまでに |
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3607 |
我妹子が下にも着よと贈りたる衣の紐を我れ解かめやも |
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3608 |
我がゆゑに思ひな痩せそ秋風の吹かむその月逢はむものゆゑ |
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3609 |
栲衾新羅へいます君が目を今日か明日かと斎ひて待たむ |
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3610 |
はろはろに思ほゆるかもしかれども異しき心を我が思はなくに |
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右の十一首は贈答。 |
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3611 |
夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り |
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右の一首は秦間満。 |
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3612 |
妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る |
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右の一首は、しましく私家に還りて思ひを偲ぶ。 |
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3613 |
妹とありし時はあれども別れては衣手寒きものにぞありける |
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3614 |
海原に浮寝せむ夜は沖つ風いたくな吹きそ妹もあらなくに |
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3615 |
大伴の御津に船乗り漕ぎ出てはいづれの島に廬りせむ我れ |
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右の三首は、発つに臨む時に作る歌。 |
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3616 |
潮待つとありける船を知らずして悔しく妹を別れ来にけり |
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3617 |
朝開き漕ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴が声すも |
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3618 |
我妹子が形見に見むを印南都麻白波高み外にかも見む |
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3619 |
わたつみの沖つ白波立ち来らし海人娘子ども島隠る見ゆ |
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3620 |
ぬばたまの夜は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴鳴き渡るなり |
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3621 |
月読の光りを清み神島の礒廻の浦ゆ船出す我れは |
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3622 |
離れ礒に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも |
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3623 |
しましくもひとりありうるものにあれや島のむろの木離れてあるらむ |
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右の八首は、船に乗りて海に入り、路の上にして作る歌。 |
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所に当たりて誦詠する古歌 |
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3624 |
あをによし奈良の都にたなびける天の白雲見れど飽かぬかも |
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右の一首は、雲を詠む。 |
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3625 |
青楊の枝伐り下ろしゆ種蒔きゆゆしき君に恋ひわたるかも |
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3626 |
妹が袖別れて久になりぬれど一日も妹を忘れて思へや |
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3627 |
わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそ我が恋やまめ |
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右の三首は恋の歌。 |
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3628 |
玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我れは |
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柿本朝臣人麻呂が歌には「敏馬を過ぎて」といふ。また「船近づきぬ」といふ。 |
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3629 |
白栲の藤江の浦に漁りする海人とや見らむ旅行く我れを |
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柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲の」といふ。また「鱸釣る海人とか見らむ」といふ。 |
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3630 |
天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ |
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柿本朝臣人麻呂が歌には「大和島見ゆ」といふ。 |
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3631 |
武庫の海の庭よくあらし漁りする海人の釣舟波の上ゆ見ゆ |
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柿本朝臣人麻呂が歌には「笥飯の海の」といふ。また「刈り薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣舟」といふ。 |
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3632 |
安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが赤裳の裾に潮満つらむか |
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柿本朝臣人麻呂が歌には「嗚呼見の浦」といふ。また「玉裳の裾に」といふ。 |
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七夕の歌一首 |
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3633 |
大船に真楫しじ貫き海原を漕ぎ出て渡る月人壮士 |
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右は柿本朝臣人麻呂が歌。 |
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備後の国の水調の郡の長井の浦に船泊りする夜に作る歌三首 |
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3634 |
あをによし奈良の都に行く人もがも草枕旅行く船の泊り告げむに 旋頭歌なり |
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右一首は大判官。 |
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3635 |
海原を八十島隠り来ぬれども奈良の都は忘れかねつも |
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3636 |
帰るさに妹に見せむにわたつみの沖つ白玉拾ひて行かな |
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風早の浦に船泊りする夜に作る歌二首 |
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3637 |
我がゆゑに妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり |
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3638 |
沖つ風いたく吹きせば我妹子が嘆きの霧に飽かましものを |
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安芸の国の長門の島にして磯辺に船泊りして作る歌五首 |
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3639 |
石走る瀧もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば都し思ほゆ |
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右一首は大石蓑麻呂。 |
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3640 |
山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも |
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3641 |
礒の間ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋かたまけて |
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3642 |
恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも |
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3643 |
我が命を長門の島の小松原幾代を経てか神さびわたる |
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長門の浦より船出する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首 |
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3644 |
月読みの光りを清み夕なぎに水手の声呼び浦廻漕ぐかも |
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3645 |
山の端に月傾けば漁りする海人の燈火沖になづさふ |
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3646 |
我れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖辺の方に楫の音すなり |
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古挽歌并せて短歌 |
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3647 |
夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと 白栲の 羽さし交へて うち掃ひ さ寝とふものを
行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく 跡もなき 世の人にして 別れにし 妹が着せてし なれ衣 袖片敷きて ひとりかも寝む |
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反歌一首 |
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3648 |
鶴が鳴き葦辺をさして飛び渡るあなたづたづしひとりさ寝れば |
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右は、丹比大夫、亡き妻を悽愴しぶる歌。 |
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物に属きて思ひを発す歌一首并せて短歌 |
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3649 |
朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には
白波高み 浦廻より 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ
わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと
船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば
沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦礒を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ わたつみの 手巻の玉を
家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 帰し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも |
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反歌二首 |
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3650 |
玉の浦の沖つ白玉拾へれどまたぞ置きつる見る人をなみ |
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3651 |
秋さらば我が船泊てむ忘れ貝寄せ来て置けれ沖つ白波 |
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周防の国の玖河の郡の麻里布の浦を行く時に作る歌八首 |
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3652 |
真楫貫き船し行かずは見れど飽かぬ麻里布の浦に宿りせましを |
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3653 |
いつしかも見むと思ひし粟島を外にや恋ひむ行くよしをなみ |
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3654 |
大船にかし振り立てて浜清き麻里布の浦に宿りかせまし |
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3655 |
粟島の逢はじと思ふ妹にあれや安寐も寝ずて我が恋ひわたる |
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3656 |
筑紫道の可太の大島しましくも見ねば恋しき妹を置きて来ぬ |
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3657 |
妹が家路近くありせば見れど飽かぬ麻里布の浦を見せましものを |
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3658 |
家人は帰り早来と伊波比島斎ひ待つらむ旅行く我れを |
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3659 |
草枕旅行く人を伊波比島幾代経るまで斎ひ来にけむ |
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大島の鳴戸を過ぎて再宿を経ぬる後に、追ひて作る歌二首 |
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3660 |
これやこの名に負ふ鳴門のうづ潮に玉藻刈るとふ海人娘子ども |
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右の一首は田辺秋庭。 |
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3661 |
波の上に浮き寝せし宵あど思へか心悲しく夢に見えつる |
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熊毛の浦に船泊りする夜に作る歌四首 |
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3662 |
都辺に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ言告げやらむ |
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右の一首は羽栗。 |
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3663 |
暁の家恋しきに浦廻より楫の音するは海人娘子かも |
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3664 |
沖辺より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴鳴きて騒きぬ |
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3665 |
沖辺より船人上る呼び寄せていざ告げ遣らむ旅の宿りを |
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一には「旅の宿りをいざ告げ遣らな」といふ。 |
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佐婆の海中にしてたちまちに逆風に遭ひ、漲ぎらふ浪に漂流す。経宿の後に、幸くして順風を得、豊前の国の下毛の郡の分間の浦に到着す。ここに追ひて艱難を怛みし、悽惆しびて作る歌八首 |
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3666 |
大君の命畏み大船の行きのまにまに宿りするかも |
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右の一首は雪宅麻呂。 |
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3667 |
我妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして |
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3668 |
浦廻より漕ぎ来し船を風早み沖つみ浦に宿りするかも |
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3669 |
我妹子がいかに思へかぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる |
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3670 |
海原の沖辺に灯し漁る火は明かして灯せ大和島見む |
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3671 |
鴨じもの浮寝をすれば蜷の腸か黒き髪に露ぞ置きにける |
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3672 |
ひさかたの天照る月は見つれども我が思ふ妹に逢はぬころかも |
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3673 |
ぬばたまの夜渡る月は早も出でぬかも海原の八十島の上ゆ妹があたり見む 旋頭歌なり |
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筑紫の館に至りて、遥かに本郷を望み、悽惆しびて作る歌四首 |
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3674 |
志賀の海人の一日もおちず焼く塩のからき恋をも我れはするかも |
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3675 |
志賀の浦に漁りする海人家人の待ち恋ふらむに明かし釣る魚 |
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3676 |
可之布江に鶴鳴き渡る志賀の浦に沖つ白波立ちし来らしも |
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一には「満ちし来ぬらし」といふ。 |
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3677 |
今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ |
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七夕に天漢を仰ぎ観て、おのもおのも所思を陳べて作る歌三首 |
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3678 |
秋萩ににほへる我が裳濡れぬとも君が御船の綱し取りてば |
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右の一首は大使。 |
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3679 |
年にありて一夜妹に逢ふ彦星も我れにまさりて思ふらめやも |
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3680 |
夕月夜影立ち寄り合ひ天の川漕ぐ船人を見るが羨しさ |
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海辺にして月を望みて作る歌九首 |
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3681 |
秋風は日に異に吹きぬ我妹子はいつとか我れを斎ひ待つらむ |
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大使の第二男。。 |
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3682 |
神さぶる荒津の崎に寄する波間なくや妹に恋ひわたりなむ |
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右の一首は土師稲足。 |
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3683 |
風の共寄せ来る波に漁りする海人娘子らが裳の裾濡れぬ |
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一には「海人の娘子が裳の裾濡れぬ」といふ。 |
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3684 |
天の原振り放け見れば夜ぞ更けにける よしゑやしひとり寝る夜は明けば明けぬとも |
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右の一首は旋頭歌なり。 |
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3685 |
わたつみの沖つ縄海苔来る時と妹が待つらむ月は経につつ |
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3686 |
志賀の浦に漁りする海人明け来れば浦廻漕ぐらし楫の音聞こゆ |
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3687 |
妹を思ひ寐の寝らえぬに暁の朝霧隠り雁がねぞ鳴く |
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3688 |
夕されば秋風寒し我妹子が解き洗ひ衣行きて早着む |
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3689 |
我が旅は久しくあらしこの我が着る妹が衣の垢つく見れば |
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筑前の国の志麻の郡の韓亭に至り、船泊りして三日を経ぬ。時に夜月の光、皎々ちして流照す。たちまちにこの華に対し、旅情悽噎す。おのもおのも心緒を陳べ、いささかに裁る歌六首 |
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3690 |
大君の遠の朝廷と思へれど日長くしあれば恋ひにけるかも |
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右の一首は大使。 |
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3691 |
旅にあれど夜は火灯し居る我れを闇にや妹が恋ひつつあるらむ |
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右の一首は大判官。 |
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3692 |
韓亭能許の浦波立たぬ日はあれども家に恋ひぬ日はなし |
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3693 |
ぬばたまの夜渡る月にあらませば家なる妹に逢ひて来ましを |
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3694 |
ひさかたの月は照りたり暇なく海人の漁りは灯し合へり見ゆ |
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3695 |
風吹けば沖つ白波畏みと能許の亭にあまた夜ぞ寝る |
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引津の亭に船泊りして作る歌七首 |
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3696 |
草枕旅を苦しみ恋ひ居れば可也の山辺にさを鹿鳴くも |
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3697 |
沖つ波高く立つ日にあへりきと都の人は聞きてけむかも |
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右の二首は大判官。 |
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3698 |
天飛ぶや雁を使に得てしかも奈良の都に言告げ遣らむ |
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3699 |
秋の野をにほはす萩は咲けれども見る験なし旅にしあれば |
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3700 |
妹を思ひ寐の寝らえぬに秋の野にさを鹿鳴きつ妻思ひかねて |
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3701 |
大船に真楫しじ貫き時待つと我れは思へど月ぞ経にける |
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3702 |
夜を長み寐の寝らえぬにあしひきの山彦響めさを鹿鳴くも |
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肥前の国の松浦の郡の狛島の亭に船泊りする夜に、遥かに海浪を望み、おのもおのも心の旅を慟みして作る歌七首 |
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3703 |
帰り来て見むと思ひし我が宿の秋萩すすき散りにけむかも |
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右の一首は秦田麻呂。 |
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3704 |
天地の神を祈ひつつ我れ待たむ早来ませ君待たば苦しも |
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右の一首は娘子。 |
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3705 |
君を思ひ我が恋ひまくはあらたまの立つ月ごとに避くる日もあらじ |
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3706 |
秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐の寝らえぬもひとり寝ればか |
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3707 |
足日女御船泊てけむ松浦の海妹が待つべき月は経につつ |
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3708 |
旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹し思ひ悲しも |
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3709 |
あしひきの山飛び越ゆる鴈がねは都に行かば妹に逢ひて来ね |
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壱岐の島に至りて、雪連宅満のたちまちに鬼病に遇ひて死去にし時に作る歌一首并せて短歌 |
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3710 |
天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか 正身かも 過ちしけむ 秋去らば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ
月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君 |
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反歌二首 |
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3711 |
岩田野に宿りする君家人のいづらと我れを問はばいかに言はむ |
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3712 |
世間は常かくのみと別れぬる君にやもとな我が恋ひ行かむ |
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右の三首は挽歌。 |
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3713 |
天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば
たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間の 人の嘆きは 相思はぬ
君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮廬に葺きて 雲離れ 遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ |
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反歌二首 |
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3714 |
はしけやし妻も子どもも高々に待つらむ君や島隠れぬる |
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3715 |
黄葉の散りなむ山に宿りぬる君を待つらむ人し悲しも |
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右の三首は葛井連子老が作る挽歌。 |
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3716 |
わたつみの 畏き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪なく行かむと 壱岐の海人の ほつての占部を 肩焼きて 行かむとするに 夢のごと 道の空路に
別れする君 |
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反歌二首 |
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3717 |
昔より言ひけることの韓国のからくもここに別れするかも |
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3718 |
新羅へか家にか帰る壱岐の島行かむたどきも思ひかねつも |
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右の三首は六鯖が作る挽歌。 |
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対馬の島の浅茅の浦に至りて船泊りする時に、順風を得ず、経亭すること五箇日なり。ここに、物華を瞻望し、おのもおのも慟みする心を陳べて作る歌三首 |
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3719 |
百船の泊つる対馬の浅茅山しぐれの雨にもみたひにけり |
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3720 |
天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける |
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3721 |
秋去れば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ |
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竹敷の浦に船泊りする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首 |
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3722 |
あしひきの山下光る黄葉の散りの乱ひは今日にもあるかも |
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右の一首は大使。 |
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3723 |
竹敷の黄葉を見れば我妹子が待たむと言ひし時ぞ来にける |
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右の一首は副使。 |
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3724 |
竹敷の浦廻の黄葉我れ行きて帰り来るまで散りこすなゆめ |
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右の一首は大判官。 |
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3725 |
竹敷の宇敝可多山は紅の八しほの色になりにけるかも |
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右の一首は少判官。 |
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3726 |
黄葉の散らふ山辺ゆ漕ぐ船のにほひにめでて出でて来にけり |
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3727 |
竹敷の玉藻靡かし漕ぎ出なむ君がみ船をいつとか待たむ (再掲) |
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右の一首は少判官。 |
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3728 |
玉敷ける清き渚を潮満てば飽かず我れ行く帰るさに見む |
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右の一首は大使。 |
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3729 |
秋山の黄葉をかざし我が居れば浦潮満ち来いまだ飽かなくに |
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右の一首は副使。 |
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3730 |
物思ふと人には見えじ下紐の下ゆ恋ふるに月ぞ経にける |
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右の一首は大使。 |
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3731 |
家づとに貝を拾ふと沖辺より寄せ来る波に衣手濡れぬ |
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3732 |
潮干なばまたも我れ来むいざ行かむ沖つ潮騒高く立ち来ぬ |
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3733 |
我が袖は手本通りて濡れぬとも恋忘れ貝取らずは行かじ |
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3734 |
ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ |
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3735 |
黄葉は今はうつろふ我妹子が待たむと言ひし時の経ゆけば |
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3736 |
秋されば恋しみ妹を夢にだに久しく見むを明けにけるかも |
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3737 |
ひとりのみ着寝る衣の紐解かば誰れかも結はむ家遠くして |
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3738 |
天雲のたゆたひ来れば九月の黄葉の山もうつろひにけり |
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3739 |
旅にても喪なく早来と我妹子が結びし紐はなれにけるかも |
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筑紫を廻り来て、海路にして京に入らむとし、播磨の国の家島に至りし時に作る歌五首 |
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3740 |
家島は名にこそありけれ海原を我が恋ひ来つる妹もあらなくに |
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3741 |
草枕旅に久しくあらめやと妹に言ひしを年の経ぬらく |
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3742 |
我妹子を行きて早見む淡路島雲居に見えぬ家つくらしも |
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3743 |
ぬばたまの夜明かしも船は漕ぎ行かな御津の浜松待ち恋ひぬらむ |
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3744 |
大伴の御津の泊りに船泊てて龍田の山をいつか越え行かむ |
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中臣朝臣宅守、狭野弟上娘子と贈答する歌 |
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3745 |
あしひきの山道越えむとする君を心に持ちて安けくもなし |
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3746 |
君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも |
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3747 |
我が背子しけだし罷らば白栲の袖を振らさね見つつ偲はむ |
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3748 |
このころは恋ひつつもあらむ玉櫛笥明けてをちよりすべなかるべし |
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右の四首は、娘子、別れに臨みて作る歌。 |
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3749 |
塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ |
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3750 |
あをによし奈良の大道は行きよけどこの山道は行き悪しかりけり |
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3751 |
愛しと我が思ふ妹を思ひつつ行けばかもとな行き悪しかるらむ |
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3752 |
畏みと告らずありしをみ越道の手向けに立ちて妹が名告りつ |
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右の四首は、中臣朝臣宅守、道に上りて作る歌。 |
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3753 |
思ふゑに逢ふものならばしましくも妹が目離れて我れ居らめやも |
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3754 |
あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ |
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3755 |
我妹子が形見の衣なかりせば何物もてか命継がまし |
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3756 |
遠き山関も越え来ぬ今さらに逢ふべきよしのなきがさぶしさ 一には「さびしさ」といふ |
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3757 |
思はずもまことあり得むやさ寝る夜の夢にも妹が見えざらなくに |
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3758 |
遠くあれば一日一夜も思はずてあるらむものと思ほしめすな |
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3759 |
人よりは妹ぞも悪しき恋もなくあらましものを思はしめつつ |
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3760 |
思ひつつ寝ればかもとなぬばたまの一夜もおちず夢にし見ゆる |
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3761 |
かくばかり恋ひむとかねて知らませば妹をば見ずぞあるべくありける |
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3762 |
天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ |
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3763 |
命をし全くしあらばあり衣のありて後にも逢はざらめやも 一には「ありての後も」といふ |
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3764 |
逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我れ恋ひ居らむ |
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3765 |
旅といへば言にぞやすきすくなくも妹に恋ひつつすべなけなくに |
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3766 |
我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし |
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右の十四首は中臣朝臣宅守。 |
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3767 |
命あらば逢ふこともあらむ我がゆゑにはだな思ひそ命だに経ば |
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3768 |
人の植うる田は植ゑまさず今さらに国別れして我れはいかにせむ |
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3769 |
我が宿の松の葉見つつ我れ待たむ早帰りませ恋ひ死なぬとに |
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3770 |
他国は住み悪しとぞ言ふ速けく早帰りませ恋ひ死なぬとに |
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3771 |
他国に君をいませていつまでか我が恋ひ居らむ時の知らなく |
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3772 |
天地の底ひのうらに我がごとく君に恋ふらむ人はさねあらじ |
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3773 |
白栲の我が下衣失はず持てれ我が背子直に逢ふまでに |
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3774 |
春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも |
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3775 |
逢はむ日の形見にせよとたわや女の思ひ乱れて縫へる衣ぞ |
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右の九首は娘子。 |
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3776 |
過所なしに関飛び越ゆる霍公鳥多我子尓毛止まず通はむ |
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3777 |
愛しと我が思ふ妹を山川を中にへなりて安けくもなし |
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3778 |
向ひ居て一日もおちず見しかども厭はぬ妹を月わたるまで |
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3779 |
我が身こそ関山越えてここにあらめ心は妹に寄りにしものを |
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3780 |
さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ 一には「 今さへや」といふ |
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3781 |
たちかへり泣けども我れは験なみ思ひわぶれて寝る夜しぞ多き |
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3782 |
さ寝る夜は多くあれども物思はず安く寝る夜はさねなきものを |
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3783 |
世の中の常のことわりかくさまになり来にけらしすゑし種から |
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3784 |
我妹子に逢坂山を越えて来て泣きつつ居れど逢ふよしもなし |
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3785 |
旅と言へば言にぞやすきすべもなく苦しき旅も言にまさめやも |
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3786 |
山川を中にへなりて遠くとも心を近く思ほせ我妹 |
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3787 |
まそ鏡懸けて偲へとまつり出す形見のものを人に示すな |
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3788 |
愛しと思ひし思はば下紐に結ひつけ持ちてやまず偲はせ |
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右の十三首は中臣朝臣宅守。 |
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3789 |
魂は朝夕にたまふれど我が胸痛し恋の繁きに |
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3790 |
このころは君を思ふとすべもなき恋のみしつつ音のみしぞ泣く |
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3791 |
ぬばたまの夜見し君を明くる朝逢はずまにして今ぞ悔しき |
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3792 |
味真野に宿れる君が帰り来む時の迎へをいつとか待たむ |
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3793 |
宮人の安寐も寝ずて今日今日と待つらむものを見えぬ君かも |
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3794 |
帰りける人来れりと言ひしかばほとほと死にき君かと思ひて |
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3795 |
君が共行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし |
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3796 |
我が背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな |
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右の八首は娘子。 |
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3797 |
あらたまの年の緒長く逢はざれど異しき心を我が思はなくに |
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3798 |
今日もかも都なりせば見まく欲り西の御馬屋の外に立てらまし |
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右の二首は中臣朝臣宅守。 |
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3799 |
昨日今日君に逢はずてするすべのたどきを知らに音のみしぞ泣く |
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3800 |
白栲の我が衣手を取り持ちて斎へ我が背子直に逢ふまでに |
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右の二首は娘子。 |
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3801 |
我が宿の花橘はいたづらに散りか過ぐらむ見る人なしに |
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3802 |
恋ひ死なば恋ひも死ねとや霍公鳥物思ふ時に来鳴き響むる |
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3803 |
旅にして物思ふ時に霍公鳥もとなな鳴きそ我が恋まさる |
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3804 |
雨隠り物思ふ時に霍公鳥我が住む里に来鳴き響もす |
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3805 |
旅にして妹に恋ふれば霍公鳥我が住む里にこよ鳴き渡る |
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3806 |
心なき鳥にぞありける霍公鳥物思ふ時に鳴くべきものか |
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3807 |
霍公鳥間しまし置け汝が鳴けば我が思ふ心いたもすべなし |
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右の七首は、中臣朝臣宅守、花鳥に寄せ、思ひを陳べて作る歌。 |
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万葉集 巻第十五 |
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