万葉集巻第十八 
 
 
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   天平二十年の春の三月の二十三日に、左大臣橘家の使者、造酒司令史田辺史福麻呂に、守大伴宿禰家持が館にして饗す。
 ここに新しき歌を作り、并せてすなはち古き詠を誦ひ、おのもおのも心緒を述ぶ。
 
4056 奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む  
4057 波立てば奈呉の浦廻に寄る貝の間なき恋にぞ年は経にける
4058 奈呉の海に潮の早干ばあさりしに出でむと鶴は今ぞ鳴くなる  
4059 霍公鳥いとふ時なしあやめぐさかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ
      右の四首は田辺史福麻呂。 
      時に、明日に布勢の水海に遊覧せむことを期ひ、よりて懐を述べておのもおのも作る歌 
4060 いかにある布勢の浦ぞもここだくに君が見せむと我れを留むる
      右の一首は田辺史福麻呂。 
4061 乎布の崎漕ぎた廻りひねもすに見とも飽くべき浦にあらなくに 一には「君が問はすも」といふ
      右の一首は大伴宿禰家持。 
4062 玉櫛笥いつしか明けむ布勢の海の浦を行きつつ玉も拾はむ
4063 音のみに聞きて目に見ぬ布勢の浦を見ずは上らじ年は経ぬとも  
4064 布勢の浦を行きてし見てばももしきの大宮人に語り継ぎてむ
4065 梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてら  
4066 藤波の咲き行く見れば霍公鳥鳴くべき時に近づきにけり
      右の五首は田辺史福麻呂。 
4067 明日の日の布勢の浦廻の藤波にけだし来鳴かず散らしてむかも 一には頭に「ほととぎす」といふ
      右の一首は、大伴宿禰家持和ふ。 
      前の件の十首の歌は、二十四日の宴にして作る。 
      二十五日に、布勢の水海に往くに、道中、馬の上にして口号ぶ二首 
4068 浜辺より我が打ち行かば海辺より迎へも来ぬか海人の釣舟  
4069 沖辺より満ち来る潮のいや増しに我が思ふ君が御船かもかれ  
      水海に至りて遊覧する時に、おのもおのも懐を述べて作る歌  
4070 神さぶる垂姫の崎漕ぎ廻り見れども飽かずいかに我れせむ  
      右の一首は田辺史福麻呂。 
4071 垂姫の浦を漕ぎつつ今日の日は楽しく遊べ言ひ継ぎにせむ  
    右の一首は遊行女婦土師。  
4072 垂姫の浦を漕ぐ舟梶間にも奈良の我家を忘れて思へや
    右の一首は大伴家持。  
4073 おろかにぞ我れは思ひし乎布の浦の荒礒の廻り見れど飽かずけり  
      右の一首は田辺史福麻呂。  
4074 めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山霍公鳥何か来鳴かぬ  
      右の一首は掾久米朝臣広縄。  
4075 多古の崎木の暗茂に霍公鳥来鳴き響めばはだ恋ひめやも
      右の一首は大伴宿禰家持。  
      前の件の十五首の歌は、二十五日に作る。 
      掾久米朝臣広縄が館にして、田辺史福麻呂に饗する宴の歌四首  
4076 霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも  
      右の一首は田辺史福麻呂。  
4077 木の暗になりぬるものを霍公鳥何か来鳴かぬ君に逢へる時  
      右の一首は久米朝臣広縄。  
4078 霍公鳥こよ鳴き渡れ燈火を月夜になそへその影も見む  
4079 可敝流廻の道行かむ日は五幡の坂に袖振れ我れをし思はば
      右の二首は大伴宿禰家持。  
      前の件の歌は、二十六日に作る。  
      太上皇、難波の宮に御在す時の歌七首 清足姫天皇なり  
      左大臣橘宿禰が一首  
4080 堀江には玉敷かましを大君を御船漕がむとかねて知りせば  
      御製歌一首 和  
4081 玉敷かず君が悔いて言ふ堀江には玉敷き満てて継ぎて通はむ 或いは「玉扱き敷きて」といふ
      右の二首の件の歌は、御船江を泝り遊宴する日に、左大臣が奏、并せて御製。 
      御製歌一首  
4082 橘のとをの橘八つ代にも我れは忘れじこの橘を
      河内女王が歌一首  
4083 橘の下照る庭に殿建てて酒みづきいます我が大君かも
      粟田女王が歌一首  
4084 月待ちて家には行かむ我が插せる赤ら橘影に見えつつ
      右の件の歌は、左大臣橘卿が宅に在して、肆宴したまふ時の御歌、并せて奏歌。 
4085 堀江より水脈引きしつつ御船さすしづ男の伴は川の瀬申せ  
4086 夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さし上れ
      右の件の歌は、御船綱手をもちて江を泝り、遊宴する日に作る。 
      伝誦する人は田辺史福麻呂ぞ。  
      後に橘の歌に追ひて和ふる二首  
4087 常世物この橘のいや照りにわご大君は今も見るごと
4088 大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして  
      右の二首は、大伴宿禰家持作る。  
      射水の郡の駅の館の屋の柱に題著す歌一首  
4089 朝開き入江漕ぐなる楫の音のつばらつばらに我家し思ほゆ
      右の一首は、山上臣作る。名を審らかにせず。或いは憶良大夫が男といふ。ただし、その正しき名いまだ詳らかにあらず。 
      四月の一日に、掾久米朝臣広縄が館にして宴する歌四首  
4090 卯の花の咲く月立ちぬ霍公鳥来鳴き響めよ含みたりとも  
      右の一首は、守大伴宿禰家持作る。  
4091 二上の山に隠れる霍公鳥今も鳴かぬか君に聞かせむ  
      右の一首は、遊行女婦土師作る。  
4092 居り明かしも今夜は飲まむ霍公鳥明けむ朝は鳴き渡らむぞ 二日は立夏の節に応る。このゆゑに、「明けむ朝は鳴かむ」といふ
      右の一首は、守大伴宿禰家持作る。  
4093 明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも  
      右の一首は、羽咋の郡の擬主帳能登臣乙美作る。 
      庭中の牛麦が花を詠む歌一首  
4094 一本のなでしこ植ゑしその心誰れに見せむと思ひ始めけむ  
      右は、先の国師の従僧清見、京師に入らむとす。よりて、飲饌を設けて饗宴す。時に、主人大伴宿禰家持、この歌詞を作り、酒を清見に送る。 
4095 しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ  
      右は、郡司已下、子弟已上の諸人、多くこの会に集ふ。よりて、守大伴宿禰家持、この歌を作る。 
4096 ぬばたまの夜渡る月を幾夜経と数みつつ妹は我れ待つらむぞ  
      右は、この夕、月光遅に流れ、和風やくやくに扇ぐ。すなはち属目によりて、いささかにこの歌を作る。 
      越前の国の掾大伴宿禰池主が来贈する歌三首  
   今月の十四日をもちて、深見の村に到来し、その北方を望拝す。常に芳徳を念ふこと、いづれの日にか能く休まむ。兼ねて隣近にあるをもちて、たちまちに恋を増す。しかのみにあらず、先の書に云はく、「暮春惜しむべし、膝を促くることいまだ期せず」と。生別の悲しび、それまたいかにか言はむ。紙に臨みて悽断し、状を奉ること不備。 三月一五日大伴宿祢池主  
      一 古人云はく  
4097 月見れば同じ国なり山こそば君があたりを隔てたりけれ  
      一 物に属きて思ひ発す  
4098 桜花今ぞ盛りと人は言へど我れは寂しも君としあらねば  
      一 所心の歌  
4099 相思はずあるらむ君をあやしくも嘆きわたるか人の問ふまで  
      越中の国の守大伴家持、報へ贈る歌四首  
      一 古人云はくに答ふる  
4100 あしひきの山はなくもが月見れば同じき里を心隔てつ  
      一 属目して思ひを発すに答へ、兼ねて遷任したる旧宅の西北の隅の桜樹を詠みて云ふ 
4101 我が背子が古き垣内の桜花いまだ含めり一目見に来ね  
      一 所心に答へ、すなはち古人の跡をもちて、今日の意に代ふる  
4102 恋ふといふはえも名付けたり言ふすべのたづきもなきは我が身なりけり  
      一 さらに矚目  
4103 三島野に霞たなびきしかすがに昨日も今日も雪は降りつつ  
      三月の十六日  
      姑大伴氏坂上郎女、越中の守大伴宿禰家持に来贈する歌二首  
4104 常人の恋ふといふよりはあまりにて我れは死ぬべくなりにたらずや  
4105 片思ひを馬にふつまに負ほせ持て越辺に遣らば人かたはむかも  
      越中の守大伴宿禰家持、報ふる歌并せて所心三首  
4106 天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり  
4107 常の恋いまだやまぬに都より馬に恋来ば担ひあへむかも  
      別に所心一首  
4108 暁に名告り鳴くなる霍公鳥いやめづらしく思ほゆるかも  
      右は、四日に使に付して京師に贈り上す。 
      天平感宝元年の五月の五日に、東大寺の占墾地使の僧平栄等に饗す。時に、守大伴宿禰家持、酒を僧に送る歌一首 
4109 焼太刀を砺波の関に明日よりは守部遣り添へ君を留めむ
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   同じき月の九日に、諸僚、少目秦伊美吉石竹が館に会ひて飲宴す。時に、主人、百合の花縵三枚を造りて、豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る。おのもおのもこの縵を賦して作る歌三首 
4110 油火の光りに見ゆる吾がかづらさ百合の花の笑まはしきかも  
      右の一首は守大伴宿禰家持。  
4111 灯火の光りに見ゆるさ百合花ゆりも逢はむと思ひそめてき  
      右の一首は介内蔵伊美吉縄麻呂。  
4112 さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ  
      右の一首は、大伴宿禰家持和ふ。  
      獨り幄の裏に居り、遥かに霍公鳥喧くを聞きて作る歌一首并せて短歌  
4113 高御倉 天の日継と すめろきの 神の命の 聞こしをす 国のまほらに 山をしも さはに多みと 百鳥の 来居て鳴く声 春されば 聞きのかなしも いづれをか 別きて偲はむ 卯の花の 咲く月立てば めづらしく 鳴く霍公鳥 あやめぐさ 玉貫くまでに 昼暮らし 夜わたし聞けど 聞くごとに 心つごきて うち嘆き あはれの鳥と 言はぬ時なし  
      反歌  
4114 ゆくへなくありわたるとも霍公鳥鳴きし渡らばかくや偲はむ  
4115 卯の花のともにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名告り鳴くなへ  
4116 霍公鳥いとねたけくは橘の花散る時に来鳴き響むる  
      右の四首は、大伴宿禰家持作る。  
      阿尾の浦に行く日に作る歌一首  
4117 阿尾の浦に寄する白波いや増しに立ちしき寄せ来東風をいたみかも  
      右の一首は、大伴宿禰家持作る。  
      陸奥の国に金を出だす詔書を賀く歌一首并せて短歌  
4118 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ すめろきの 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 大夫の 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの 一には「を」といふ  聞けば貴み 一には「貴くしあれば」といふ  
      反歌三首  
4119 大夫の心思ほゆ大君の御言の幸を 一には「の」といふ  聞けば貴み 一には「貴くしあれば」といふ  
4120 大伴の遠つ神祖の奥城はしるく標立て人の知るべく  
4121 天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に黄金花咲く  
      天平感宝元年の五月の十二日に、越中の国の守が館にして大伴宿禰家持作る。 
      吉野の離宮に幸行す時のために、儲けて作る歌一首并せて短歌  
4122 高御座 天の日継と 天の下 知らしめしける 天皇の 神の命の 畏くも 始めたまひて 貴くも 定めたまへる み吉野の この大宮に あり通ひ 見したまふらし もののふの 八十伴の男も おのが負へる おのが名負ひて 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく この山の いや継ぎ継ぎに かくしこそ 仕へまつらめ いや遠長に  
      反歌  
4123 いにしへを思ほすらしも我ご大君吉野の宮をあり通ひ見す  
4124 もののふの八十氏人も吉野川絶ゆることなく仕へつつ見む  
      京の家に贈るために、真珠を願ふ歌一首并せて短歌  
4125 珠洲の海人の 沖つ御神に い渡りて 潜き取るといふ 鰒玉 五百箇もがも はしきよし 妻の命の 衣手の 別れし時よ ぬばたまの 夜床片さり 朝寝髪 掻きも梳らず 出でて来し 月日数みつつ 嘆くらむ 心なぐさに 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 花橘に 貫き交へ かづらにせよと 包みて遣らむ  
4126 白玉を包みて遣らばあやめぐさ花橘にあへも貫くがね  
4127 沖つ島い行き渡りて潜くちふ鰒玉もが包みて遣らむ  
4128 我妹子が心なぐさに遣らむため沖つ島なる白玉もがも  
4129 白玉の五百つ集ひを手にむすびおこせむ海人はむがしくもあるか 一には「我家牟伎波母」といふ  
      右は、五月の十四日に、大伴宿禰家持、卿に依りて作る。 
              史生尾張少咋を教へ喩す歌一首并せて短歌
    七出例に云はく、
    「ただし、一条を犯さば、すなはち出だすべし。七出なくして輙く弃つる者は、従一年半」といふ。
    三不去に云はく、
    「七出を犯すとも、棄つべくあらず。違ふ者は杖一百。ただし奸を犯したると悪疾とは棄つること得」といふ。
    両妻例に云はく、
    「妻有りてさらに娶る者は従一年、女家は杖一百にして離て」といふ。
    詔書に云はく、
    「義夫節婦を愍み賜ふ」とのりたまふ。
    謹みて案ふるに、先の件の数条は、法を建つる基にして、道を化ふる源なり。
    しかればすなはち、義夫の道は、情存して別なく、一家財を同じくす。
    あに旧きを忘れ新しきを愛しぶる志あらめや。このゆゑに数行の歌を綴り作し、旧きを棄つる惑ひを悔いしむ。その詞に曰はく
         
4130 大汝 少彦名の 神代より 言ひ継ぎけらく 父母を 見れば貴く 妻子見れば かなしくめぐし うつせみの 世のことわりと かくさまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立て ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆き 語りけまくは とこしへに かくしもあらめや 天地の 神言寄せて 春花の 盛りもあらむと 待たしけむ 時の盛りぞ 離れ居て 嘆かす妹が いつしかも 使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄る辺なみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて にほ鳥の ふたり並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる 君が心の すべもすべなさ 左夫流と言ふは遊行女婦が字なり  
      反歌三首  
4131 あをによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか  
4132 里人の見る目恥づかし左夫流子にさどはす君が宮出後姿  
4133 紅はうつろふものぞ橡のなれにし来ぬになほしかめやも  
      右は、五月の十五日に、守大伴宿禰家持作る。 
       先妻不待夫君之喚使自来時作歌一首 [先妻夫君の喚ぶ使ひを待たずして自ら来る時に作る歌一首] 
4134 左夫流児我 伊都伎之等乃尓 須受可氣奴 波由麻久太礼利 佐刀毛等騰呂尓   
(4110)
左夫流児が斎きし殿に鈴掛けぬ駅馬下れり里もとどろに  
  さぶるこが いつきしとのに すずかけぬ はゆまくだれり さともとどろに  さぶるこ()、いつき()との()、すず(かけ)はゆま(くだれ)さと()とどろに 
      同月十七日大伴宿祢家持作之 [同じ月の十七日に、大伴宿禰家持作る] 
      橘の歌一首并せて短歌  
4135 かけまくも あやに畏し 天皇の 神の大御代に 田道間守 常世に渡り 八桙持ち 参ゐ出来し時 時じくの かくの木の実を 畏くも 残したまへれ 国も狭に 生ひ立ち栄え 春されば 孫枝萌いつつ 霍公鳥 鳴く五月には 初花を 枝に手折りて 娘子らに つとにも遣りみ 白栲の 袖にも扱入れ かぐはしみ 置きて枯らしみ あゆる実は 玉に貫きつつ 手に巻きて 見れども飽かず 秋づけば しぐれの雨降り あしひきの 山の木末は 紅に にほひ散れども 橘の なれるその実は ひた照りに いや見が欲しく み雪降る 冬に至れば 霜置けども その葉も枯れず 常磐なす いやさかはえに しかれこそ 神の御代より よろしなへ この橘を 時じくの かくの木の実と 名付けけらしも  
      反歌一首  
4136 橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し  
      閏の五月の二十三日に、大伴宿禰家持作る。 
      庭中の花を見て作る歌一首并せて短歌  
4137 大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る 越に下り来 あらたまの 年の五年 敷栲の 手枕まかず 紐解かず 丸寝をすれば いぶせみと 心なぐさに なでしこを 宿に蒔き生ほし 夏の野の さ百合引き植ゑて 咲く花を 出で見るごとに なでしこが その花妻に さ百合花 ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も あるべくもあれや  
      反歌二首  
4138 なでしこが花見るごとに娘子らが笑まひのにほひ思ほゆるかも  
4139 さ百合花ゆりも逢はむと下延ふる心しなくは今日も経めやも  
      同じき閏の五月の二十六日に、大伴宿禰家持作る。 
   国の掾久米朝臣広縄、天平二十年をもちて、朝集使に付きて京に入る。その事畢りて、天平感宝元年の閏の五月の二十七日に、本任に還り至る。よりて、長官が館に、詩酒の宴を設けて楽飲す。時に、主人守大伴宿禰家持が作る歌一首并せて短歌 
4140 大君の 任きのまにまに 取り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉桙の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都辺に 参ゐし我が背を あらたまの 年行き返り 月重ね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば 霍公鳥 来鳴く五月の あやめぐさ 蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて 行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに 思ひ結ぼれ 嘆きつつ 我が待つ君が 事終り 帰り罷りて 夏の野の さ百合の花の 花笑みに にふぶに笑みて 逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず  
      反歌二首  
4141 去年の秋相見しまにま今日見れば面やめづらし都方人  
4142 かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけれやも  
      霍公鳥の喧くを聞きて作る歌一首  
4143 いにしへよ偲ひにければ霍公鳥鳴く声聞きて恋しきものを  
      京に向ふ時に、貴人を見、また美人に相ひて、飲宴する日のために、懐を延べ、儲けて作る歌二首 
4144 見まく欲り思ひしなへにかづらかけかぐはし君を相見つるかも  
4145 朝参の君が姿を見ず久に鄙にし住めば我れ恋ひにけり 一には
「はしきよし妹が姿を」といふ
 
      同じき閏の五月の二十八日に、大伴宿禰家持作る。 
   天平感宝元年の閏の五月の六日より以来、小旱を起し、百姓の田畝やくやくに凋む色あり。六月の朔日に至りて、たちまちに雨雲の気を見る。よりて作る雲の歌一首短歌一絶 
4146 天皇の 敷きます国の 天の下 四方の道には 馬の爪 い尽くす極み 舟舳の い果つるまでに いにしへよ 今のをつづに 万調 奉るつかさと 作りたる その生業を 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし畑も 朝ごとに しぼみ枯れゆく そを見れば 心を痛み みどり子の 乳乞ふがごとく 天つ水 仰ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の 沖つ宮辺に 立ちわたり との曇りあひて 雨も賜はね  
      反歌一首  
4147 この見ゆる雲ほびこりてとの曇り雨も降らぬか心足らひに  
      右の二首は、六月の一日の晩頭に、守大伴宿禰家持作る。 
      雨落るを賀く歌一首  
4148 我が欲りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙げせずとも年は栄えむ  
      右の一首は、同じき月の四日に、大伴宿禰家持作る。 
      七夕の歌一首并せて短歌  
4149 天照らす 神の御代より 安の川 中に隔てて 向ひ立ち 袖振り交し 息の緒に 嘆かす子ら 渡り守 舟も設けず 橋だにも 渡してあらば その上ゆも い行き渡らし 携はり うながけり居て 思ほしき 言も語らひ 慰むる 心はあらむを 何しかも 秋にしあらねば 言どひの 乏しき子ら うつせみの 世の人我れも ここをしも あやにくすしみ 行きかはる 年のはごとに 天の原 振り放け見つつ 言ひ継ぎにすれ  
      反歌二首  
4150 天の川橋渡せらばその上ゆもい渡らさむを秋にあらずとも  
4151 安の川こ向ひ立ちて年の恋日長き子らが妻どひの夜ぞ  
      右は、七月の七日に、天漢を仰ぎ見て、大伴宿禰家持作る。 
      越前の国の掾大伴宿禰池主が来贈する戯歌四首  
   たちまちに恩賜を辱みし、驚欣すでに深し。心中笑を含み、独り座りてやくやくに開けば、表裏同じきことあらず。相違何しかも異なる。その故を推量るに、いささかに策をなせるか。明らかに知りて言を加ふること、あに他し意あらめや。すべて本物を貿易することは、その罪軽きことあらず。正贓倍贓、急けく并せて満つべし。今し風雲を勒して、徴使を発遣す。早速に返報せよ、延廻すべくあらず。 
      勝宝元年の十一月の十二日物の貿易せらえたる下吏謹みて貿易人を断官司の庁下に訴ふ。 
    別に白さく、可怜の意、黙止あること能はず。いささかに四詠を述べ、睡覚に准擬せむと。  
4152 草枕旅の翁と思ほして針ぞ賜へる縫はむ物もが  
4153 針袋取り上げ前に置き返さへばおのともおのや裏も継ぎたり  
4154 針袋帯び続けながら里ごとに照らさひ歩けど人もとがめず  
4155 鶏が鳴く東をさしてふさへしに行かむと思へどよしもさねなし  
    右の歌の返し報ふる歌は、脱漏して探ね求むること得ず。 
      さらに来贈する歌二首  
   駅使を迎ふる事によりて、今月の十五日に、部下の加賀の郡の境に到来る。面影に射水の郷を見、恋緒深見の村に結ぼほる。身は胡馬に異なれども、心は北風に悲しぶ。月に乗じて徘徊れども、かつて為すところなし。やくやくに来封を開くに、その辞云々とあれば、先に奉る書、返りて畏るらくは疑ひに度れるかと。僕れ羅を嘱することをなし、かつがつ使君を悩ます。それ水を乞ひて酒を得るはもとより能き口なり。時を論じて理に合はば、何せむに強吏と題さむや。尋ねきて針袋の詠を誦むに、詞泉酌めども渇きず。膝を抱き独り笑み、よく旅の愁をのぞく。陶然に日を遣り、何をか慮らむ、何をか思はむ。 短筆不宣 謹上 不伏使君 [記室] / 別奉[云々]歌二首 
    勝寶元年の十二月の十五日 物を徴りし下司  
      謹上 不伏使君  記室  
      別に奉る云々歌二首  
4156 縦さにもかにも横さも奴とぞ我れはありける主の殿戸に  
4157 針袋これは賜りぬすり袋今は得てしか翁さびせむ  
      宴席にして雪月梅花を詠む歌一首  
4158 雪の上に照れる月夜に梅の花折りて送らむはしき子もがも  
    右の一首は、十二月に大伴宿禰家持作る。 
4159 我が背子が琴取るなへに常人の言ふ嘆きしもいやしき増すも  
    右の一首は、少目秦伊美吉石竹が館の宴にして守大伴宿禰家持作る。 
      天平勝宝二年の正月の二日に、国庁にして饗を諸の郡司等に給ふ宴の歌一首  
4160 あしひきの山の木末のほよ取りてかざしつらくは千年寿くとぞ  
    右の一首は、守大伴宿禰家持作る。  
      判官久米朝臣広縄が館にして宴する歌一首  
4161 正月立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも  
    同じ月の五日に、守大伴宿禰家持作る。  
      墾田地を検察する事によりて、砺波の郡の主帳多治比部北里が家に宿る。時に、たちまちに風雨起こり、辞去すること得ずして作る歌一首 
4162 薮波の里に宿借り春雨に隠りつつむと妹に告げつや  
    二月の十八日に、守大伴宿禰家持作る。  
   
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