掲載日:2002.05.01-  巻第二 挽歌 158  やまぶきのたちよそひたるやましみずくみにゆかめどみちのしらなく   高市皇子
 掲載日:2002.05.02-  巻第二 挽歌 226  あらなみによりくるなみをまくらにおきわれここにありとだれかつげなむ   丹比真人何某
 掲載日:2002.05.04-  巻十六 有由縁雑歌 3808  はるさらばかざしにせむとわがおもひしさくらのはなはちりにけるかも  作者不詳
 掲載日:2002.05.05-  巻十六 有由縁雑歌 3809  いもがなにかけたるさくらはなさかばつねにやおもひむひやとしのはに  作者不詳
 掲載日:2002.05.06-  巻第二 相聞歌 107  あしひきのやまのしずくにいもまつとわれたちぬれぬやまのしずくに  大津皇子
 掲載日:2002.05.07-  巻第二 相聞歌 108 大津皇子への返歌  あをまつときみがぬれけむあしひきのやまのしずくにならましものを  石川郎女
 掲載日:2002.05.08-  巻第三 挽歌 419  ももづたふいわれのいけになくかもをけふのみみてやくもがくりなむ  大津皇子
 掲載日:2002.05.08-  巻第二 挽歌 165  うつそみのひとにあるわれやあすよりはふたかみやまをいろせとわれみむ  大伯皇女
 掲載日:2002.05.09-  巻第四 相聞歌 784  ぬばたまのさそはかえしつこよひさへわれをかえすなみちのながてを  大伴家持
 掲載日:2002.05.10-  巻十一  寄物陳思  2687  まどごしにつきおしてりてあしひきのあらしふくよはきみをしそおもふ  作者不詳


   




私が万葉集でイの一番に詠む歌壬申の乱を若冠19歳の若さで指揮を執った
大海人皇子(天武天皇)の長子
そのとき高市が望んだのは...





掲載日:2002.05.01-


 やまぶきのたちよそひたるやましみずくみにゆかめどみちのしらなく

                         高市皇子巻第二 挽歌 158


一途な想いを
人に悟られることなく
ひたすらに
ただひたすらに
戦いの場に身を投じる解放の使命感
いや
自身の心の解放を
武骨な少年の
心の解放は
永遠に訪れない


  



鴨山五首の最後の歌
哀傷歌、挽歌、死を悼む歌は多くある
しかし、それを率直に表現できる時代は
有史の中でも、それほど古くないと思う
...それが無念の死であれば
誰がそれを訴えるのか... 



掲載日:2002.05.02-


 あらなみによりくるなみをまくらにおきわれここにありとだれかつげなむ 

                       丹比真人何某巻第二 挽歌 226


友人の死を
無念の想いで見つめる
慟哭が荒波に重なって響く死者の魂の叫びを聴くのは
真の友人の...
宿命人麻呂は死んだ
無念の想いを残して








 古事記の「マトノヒメ伝説」と同じ内容の話
桜児(さくらこ)と言う娘
心優しき娘の自らの死若者二人は、血の涙で襟を濡らせた


掲載日:2002.05.04-


 はるさらばかざしにせむとわがおもひしさくらのはなはちりにけるかも

                     作者不詳 巻十六 有由縁雑歌 3808


恋しく想うがゆえに
死なせてしまった愛しい人
二人の若者から慕われることは
死をも厭わぬほどつらいことなのか
「有由縁併雑歌」として
二人の若者の心情を歌う
死ぬことで
二人の若者の想いから逃れ
その諍いを収めるならば
残った若者たちの慟哭は
永遠に消え去りはしない
桜は、毎年咲くと言う
でも...同じ桜は咲かない

  


この桜児伝説に続いて
連番で縵児伝説が三首ある
同趣の伝承
娘と同じ名の花木を
若者二人は形見と想う

掲載日:2002.05.05-

 いもがなにかけたるさくらはなさかばつねにやおもひむひやとしのはに

                    作者不詳 巻十六 有由縁雑歌 3809

先の歌の連歌花と同じ名の娘の事を
毎年迎える桜の季節に
想い浮かべ恋しいだろう
年を経るごとに
いっそうその想いは募っていく
自責の念と
心優しき娘への
生涯を誓う想いの歌この二人にとっては
毎年咲く桜は
桜児と言う娘の
分身なのだろう


  



現存する最古の漢詩文集「懐風藻」の編者は
この大津皇子に
とても好意的な序文を贈っているとても魅力的な皇子だったに違いない
自由奔放


そんなイメ−ジが重なる天武の皇子

掲載日:2002.05.06-

 あしひきのやまのしずくにいもまつとわれたちぬれぬやまのしずくに

                       大津皇子巻第二 相聞歌 107


情景は落ち着いた静かな感じでも
この皇子の情熱が滲み出ている
悲劇の皇子として有名な
この大津皇子
若き才能は
奔放な生き方から生まれている雨の雫に佇み
それでも愛しい人を待つ気持ちは
決して変わらない状況が困難であればあるほど
そこで示す誠意が
とても尊いものである事を
響かせる 







 

やがて草壁皇子が
皇位を継ぐ前に亡くなると
いっとき大津皇子の時代が訪れる
皇位継承順位から
当然のこととはいえ
大津には
出来れば避けたいことではなかったか
大津の
悲劇へのしのび音が聞こえる



掲載日:2002.05.07-


 あをまつときみがぬれけむあしひきのやまのしずくにならましものを

                       石川郎女 巻第二 相聞歌 108


 大津皇子への返歌

逢いに行くことは
かなわぬことだったのか
せめて
君を濡らす山の雫に...大津の兄、草壁皇子との間で
引き裂かれる想いをつづる
皇位継承者である草壁そんなことにも頓着しない大津を
この娘は眩しく感じ
そして切なく感じたのだろう山の雫は娘の心の涙









  




大津の悲劇は
「懐風藻」の編者にも同情的に書かれている彼には心開ける側近もなく
唯一同母の姉・大伯皇女が頼りとなるこの時代に編された「懐風藻」に
大津に対する同情的な
言葉が載せられることは
何故か奇妙に感じるが...



掲載日:2002.05.08-


 ももづたふいわれのいけになくかもをけふのみみてやくもがくりなむ

                       大津皇子 巻第三 挽歌 419

 辞世歌 

泣きながら詠んだと言う
不本意な自害を想う自由奔放な若者が
自由でなくなったとき
その才能を開花させることは
稀だと思うその才能ゆえに
彼は時の実権者から疎まれた若者が自らの死に臨むとき
言葉は率直になり
言葉は魂になると思う雲隠り... 






  




天智・天武天皇時代
大伯と大津の姉弟ほど
強い絆で結ばれた姉弟はいなかったともに天武の信は厚くとも
天武亡き後の時代には...奔放に生きた大津を
大伯は終生心配していたに違いない



掲載日:2002.05.08-


 うつそみのひとにあるわれやあすよりはふたかみやまをいろせとわれみむ

                       大伯皇女 巻第二 挽歌 165

現世に生きている、大津の姉大伯にとって
悲運の死を弔うのは、自分しかいない
その想いが強い
二上山を大津と想い
これからの余生を過ごすことになる伊勢の斎宮より
大津の自害を知り駆けつける大伯
大津の屍を
葛城の二上山に葬るとき
心優しき大伯皇女は
大津を二上山に
永遠に眠らす
唯一...この大伯だけが... 





  
 




後期万葉集が
社交的な歌として詠まれた時期の
家持の青春時代を物語る相手の紀女郎(きのいらつめ)は
皇族の安貴王の妻だった
家持よりかなりの年輩者だったようだ


掲載日:2002.05.09-


 ぬばたまのさそはかえしつこよひさへわれをかえすなみちのながてを

                       大伴家持 巻第四 相聞歌 784


どんなに遠く離れていても
逢いたい気持ちに素直になれ紀女郎に恋し通った路は
久邇京平城京の長き道のり
それを追い返されたのに
また逢いたさに通う今夜こそ追い返さないでと
紀女郎との言葉の遊び一連のやり取りがこの前後に続く名門軍家の家持が
氏族の不遇を紛らすかのような
恋心のやり取り万葉集の最後を
締めくくった歌人でもある 






  
 




「窓」と言う語は
万葉集中唯一この作歌のみ天武時代に
山田寺の本尊仏の開眼が行われた
その倒壊した回廊の一部が
山田寺跡(桜井市山田)から出土したその中にあったのが
「連子窓(れんじまど)」万葉の人たちは
「れにしまど」と呼んでいたようだ



掲載日:2002.05.10-


 まどごしにつきおしてりてあしひきのあらしふくよはきみをしそおもふ

                     作者不詳 巻十一  寄物陳思  2687


風の吹き荒れる夜
月夜
窓越しに眺める月
あなたを想う山に浮かぶ月は
心の騒ぎを鎮めるように
悠然と照るどんなに風が強く
木々の梢を揺さぶろうとも山に浮かぶ月は
その穏やかさを変えない
心は...いつしか
静かな月明かりに、溶ける








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