-導 き 観 音-    當 麻 寺  中 之 坊   本堂までの項は当寺中之坊発行の冊子「當麻寺」より                         2012年2月4日記
   
 高野山真言宗 別格本山 當麻寺(たいまでら) 大和十三佛霊場第六番 弥勒菩薩 大和七福八箇所第六十三番札所 関西花の寺第二十一番西南院
 
   縁起
 
 當麻寺が開創された際、役行者は金堂前(影向石)にて熊野権現を勧請し、その出現した場所に自身の道場を開いた。奈良時代には、當麻寺別当・実雅がその道場を住房とし、「中院」を開創。以来、中院は代々當麻寺別当(住職)の住房として受け継がれ、その後「中院御坊」と尊称された。これが現在の「中之坊」である。弘仁時代には、弘法大師が中之坊実弁を弟子として真言密教を伝え、以後、當麻寺は真言宗の霊場となった。
 當麻寺には平安時代に四十余房、江戸時代にも三十一房の僧坊があったと記録されるが、中之房はこれらの筆頭寺院として、當麻寺内で最も古い由緒と高い寺格を伝えている。
 庭園、書院、霊宝館などの数々の寺宝を残すほか、「導き観音」の信仰が篤い祈願所として、また写仏によって中将姫の教えを体感する霊場としても親しまれている。
 
  大和三名園「香藕園(こうぐうえん)」名勝・史蹟 桃山時代 
 
 中之坊庭園は、古くから大和三名園(竹林園、慈光院)と賞される池泉回遊式兼観賞式庭園。
 鎌倉時代に起源を持ち、桃山時代に完成、さらに江戸初期に、後西天皇(第111代)を迎えるため片桐石州によって改修された。極端に低い土塀で二段構えとし、天平の三重塔が借景として映え、心宇池にその影を落とす。その歴史の重みと四季を通じた景観の美しさから、昭和九年に史蹟と名勝の保存指定を受ける。大和屈指の名園である。
 
 書院・茶室 重要文化財 桃山―江戸初期
 後西天皇をお迎えした中之坊書院は、こけら葺きの情緒豊かな建築で、「御幸の間」、「鷺の間」、「鶴の間」などからなる。張壁、襖絵は、江戸初期の大家・曽我二直庵の筆になる楼閣、山水、花鳥の名画である。(子・辰・申年の秋に特別公開)
 茶室「丸窓席」は、片桐石州が庭園の整備と共に造築したもので、大胆な大円窓が見事な四畳半の茶室。
 茶室「知足庵」は、一対一で客人をもてなすのに石州が特に好んだとされる二畳中板の名席である。
 ぼたん園(花庭園)

 有名な當麻のぼたんは、例年4月下旬から5月上旬頃にかけて色とりどりの大輪の花を咲かせる。その他、多種にわたる花々が、四季を通じて参詣者の目を楽しませてくれる。

 霊宝館  千三百年の歴史を有する中之坊には、伝わる宝物も数多い。霊宝館ではそれらの一部が順次公開される。(主な収蔵宝物) 
 経巻  称讃浄土経、摩訶迦葉度貧母経(天平時代)
仏像  塼仏(白鳳時代)
 毘沙門天像、台座の蓮弁(平安時代)
 一寸愛染明王像(室町時代)
 薬師浄土立体曼荼羅
仏画  當麻寺曼荼羅図、蓮糸薬師如来画像(鎌倉時代)
 十王図屏風(南北朝時代)
 山越阿弥陀図(室町時代)

中将姫関連  中将姫画像(鎌倉時代)
 中将姫剃髪剃刀(日本最古)
 毛髪による刺繍「中将姫髪縫の名号」
 
近代日本画  下村観山、安田靫彦、前田青邨、西山翠嶂らの画幅や書簡
 その他   ご宸翰、俳人らの真筆、茶道具、版木、瓦など幅広い宝物を蔵している。 
 庭園内その他   中将姫誓いの石/一心に仏道を志す中将姫の強い信念により不思議にも石に足跡が付いたもの
 役の行者加持水の井戸/役の行者が秘薬「陀羅尼助」を精製した際、水を清めて用いた井戸。また、庫裡には薬草を煮詰めた大釜も残る。
 茶筌塚/茶の湯に欠かせない茶筌に感謝し、護摩祈祷で供養した灰を納める供養塚
 髪塚/中将姫が剃髪した髪を以って「梵字」を刺繍された故事から、毛髪の供養法会が行われる。(6月16日)
  
   
はなごよみ   
 さくら、枝垂れ桜、牡丹(四月下旬~五月上旬)、てっせん、かざぐるま 
 あじさい、睡蓮、百日紅 
 酔芙蓉、紅葉、桔梗、ほととぎす 
 千両、万両、南天 
    
写佛道場 「絵天井の間」 登録有形文化財 
   中将姫の表した仏の姿を描き写す「写仏」を体験できる道場
 天井は昭和初期から平成に亘るさまざまな画家が奉納した名画で飾られる。(寅・午・戌年の秋に特別公開)
 
   
本 堂  中将姫剃髪堂 桃山時代 
   奈良時代、中将姫が剃髪した授戒堂で、建物は桃山時代の再建。平安時代に中将姫の守り本尊である十一面観音を刻み本尊とした。「導き観音」と呼ばれる。
 導き観音は、その名の通り、道に迷ったときに行くべき道を示してくださると信仰されており、進学や就職、結婚などの人生の節目に祈願に訪れるとよいとされている。また、中将姫の守り本尊であることから、女人の守り本尊としても信仰され、安産や子授け祈願などに多くの参拝者が訪れる。
 心身が美しくなる功徳があるといわれるほど、夙に美しい名像である。
 
 當麻寺との邂逅

 當麻寺を初めて知ったのは、随分まえのことだ。もう数十年前...折口信夫「死者の書」の中将姫を知るに及んで、是非訪れたいと思った。当時万葉集に惹かれはじめ、奈良地方には格別の想いがあったが、何しろ奈良は遠い彼の地。なかなか訪れるには叶わないところだった。それから数十年...比較的、こうした故地を訪れることが可能になった頃、ふとしたことで、また當麻寺に出遭った。5年ほど前に東京で上映された、人形劇映画「死者の書」。懐かしくて観に行き、そして以降の様々な偶然に導かれることになった。
 奈良市に「ならまち」という風情のある町のひとくかくがある。現代風の商店街から少し離れた町並みだが、格子戸の造りや、世界遺産でもある「元興寺」も、この町にある。奈良市はよく歩くし、こうした町並みもまた奈良を歩くたびに必ず訪れるところだが、その町中に「死者の書」に登場する中将姫の誕生寺と、お墓があることは、まったく知らなかった。葛城の當麻寺から、奈良市に足を運び、いつものように「ならまち」を歩いていると、「誕生寺」の小さな立て札、それが中将姫の誕生の寺...使われた産湯の井戸...その先には、父・f藤原豊成のお墓と共に眠っている中将姫の墓がある、徳融寺まで...。さすがに、この偶然には驚いた。数十年前に知った中将姫。しかし決して近づくこともなかった、その面影を、縁の當麻寺の帰りに、何も知らずに偶然「誕生と死」の地に遭遇してしまったからだ。信仰も迷信も、何も信じたり気にもしたことがない私も、この偶然には、本当に中将姫の導きなのか、と思ったほどだ。

 
 中将姫に纏わる評伝はたくさんある。「朝日日本歴史人物事典」の簡単な解説を紹介しておく

  •  朝日日本歴史人物事典の解説

  • 当麻曼荼羅の発願者と伝えられる女性。尼となって当麻寺(奈良県北葛城郡)に入り,阿弥陀如来と観音菩薩の助けで曼荼羅を織りあげ,その功徳によって往生を遂げたという。鎌倉時代の当麻寺の縁起『当麻寺流記』には「横佩右大臣尹統息女字中将」とあり,中将局,中将内侍などと記す縁起もあるが,室町時代には藤原豊成の娘・中将姫という形に定着し,それとともに,中将姫の伝記を詳しく叙述する物語が曼荼羅の縁起に付加されるようになる。曼荼羅講説テキストである『当麻曼荼羅疏』(1436)には,長谷観音の申し子として生まれた中将姫が母と死別し,継母に憎まれて捨てられ,やがて父の豊成と再会し,内裏に入るが,后に迎えられる直前に無常を悟って当麻寺に入る,という物語が記されている。これを絵画化したのが『当麻曼荼羅縁起絵巻』(1532)であり,中世浄土教各派は,絵解きなどにより念仏を唱導した。特に西山派の祖・証空は『当麻曼荼羅注』10巻を著し,曼荼羅を転写して全国に広めたといわれている。 継子受難救済という中世の語り物や物語草子の形式が絵解きに用いられたのは,当麻曼荼羅が依拠する『観無量寿経』の韋提希夫人の受難と仏による救済の説話を,中将姫に重ね合わせて翻案した結果であると思われる。継子譚は中世の寺社縁起に広く用いられた形式であるが,やがてこのモチーフ中心にした中将姫の物語群が次々と生み出されるようになる。能の「雲雀山」,お伽草子の「中将姫の本地」などは,姫を助ける武士やその妻の活躍,父豊成と姫との出会いをさまざまな趣向脚色し,説教節「中将姫御本地」,古浄瑠璃「中将姫之御本地」などの近世芸能世界に受け継がれていく。このように,中世から近世にかけて中将姫の物語は,当麻寺の縁起譚から離脱し,中将姫というある女性の物語へと変貌し,苦難と救済の物語として多くの人々に享受され,新たな物語を生み出す祖型となっていったのである。<参考文献>元興寺文化財研究所『中将姫説話の調査研究報告書』
    (小松和彦)
 

 
 


だが私の一番心に残る中将姫は、「死者の書」の大津皇子と、魂の交流をする中将姫だ。
 謀反の嫌疑をかけられ、自害する大津皇子。その亡骸が當麻寺を包み込むように横たわる二上山の山頂に埋葬されている。その魂が遠く奈良の都へ木霊し、中将姫の心に響き、當麻寺まで導いた物語。万葉時代の悲劇の皇子の無念の想いが綴られた「死者の書」。
 ここで描かれている中将姫こそ、私にとっての「伝説の姫」となっている。

 能の「当麻」は、まさに中将姫と當麻寺との物語だが、その物語をベースにして、折口信夫は「死者の書」を書いている。
 展開の細かな相違はあろうとも、中将姫の清廉な能の舞を、観てみたいものだ...いつか、きっと観よう。

 當麻寺の伽藍は、南正面に金堂・講堂、東正面に本堂が建てられている。
 金堂と、東西の両塔の間に後世中之坊は建てられたが、庭園の斜面に植えられていた高さ約8メートルのカエデの老木が、2011年6月倒壊し、築地塀を損壊させた。その損壊箇所を何も知らずに通った私は、名勝と言われたこの庭園の管理に不満を持ったものだが、以前の記憶とは明らかにその美しさを違えている庭園に寂しさを感じたものだ。
 仁王門をくぐり、當麻寺の境内に入ると、その後ろに二上山を見ることができる。
 万葉集に詠われた、姉弟の魂が宿っている二上山。
 その聖なる山の懐に、當麻寺は悠然と構えている。まるで二上山に抱かれているかのように。


 題詞 大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬るときに、大伯皇女の哀傷しびて作らす歌二首
 巻第二―165、166
  

  うつそみの 人にある我れや明日よりは 二上山を 弟背(いろせ)と我れ見む  

  磯の上に 生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君が 在りと言わなくに

 

 広々とした境内に、日本最古の梵鐘の痕跡がある。
 この地は、「日本最古の」という形容詞が、とてもよく似合う地域だと思う。
 
 
   冬の痕   古都の部屋   當麻寺写真集Ⅰ