古代朝鮮 井上秀雄


    

 明日香村高松塚古墳から、みごとな壁画が発見されたのは1972年3月のことである。この壁画の発見は古代の日朝関係の関して空前のブームを巻き起こしたのであった。ブームである以上、それには数多くの問題点をはらんでいることは

いうまでもないが、1971年7月の米中会談発表以来の東アジアにおける政治状況と無関係ではなかったように思う。

 おそらく、これからのアジア諸国と日本との関係を考えようとする人たちにとっては、この壁画を通じて古代の日朝関係が明らかにされることは、たんに過ぎ去ったことへの懐古趣味ではなく、これからはじまろうとするアジア諸国との関係に

新たに重要な手掛かりが与えられるだろうと予期したのではなかろうか。歴史の研究目的は未来史にあるとは、ギリシア以来いわれてきたことである。このたびはその歴史の本来の役割を遺憾なく果たしうる絶好の機会であった。

 しかし、多くの人々の期待はかならずしも充たされたとはいえない。ブームのもつ特徴とはいえ、歴史研究の限界を越えた猟奇趣味の傾向が強まり、ややもすれば本来の目的が見失われがちになってはいないだろうか。ここでいま一度、古

代の日朝関係を私たちがなぜ研究するのか、またその目的にそった研究のためにはどのような方法が必要なのか、を考えてみたい。

 結論から述べるならば、古代の日朝関係を考えるのは、これからの日朝関係を考えるよりどころを求めるためのものである。古代は国家や民族が形成されようとする段階で、今日の日本と朝鮮とでの種々な相違が生ずる起点であると考えら

れるからである。また、その相違の原点が、古代の関係史の中に見いだされると思うからである。

 とくに敗戦後、近代の日本がアジア諸国から遊離していただけでなく、侵略戦争を繰り返してきたという反省がおこり、新しい友好関係を結びたいという気運が高まった。それにもかかわらず、アジア諸国から日本はエコノミック・アニマル、

経済的侵略者とみられ、はては軍国主義復活とまでいわれて、国際関係の難しさに困惑している。

 どうしてこのように、日本人の気持ちとアジア諸国との間に大きな溝ができたままになっているのであろうか。この溝が埋まらないかぎり、日本とアジア諸国との友好関係が前進しないことは明らかである。


それには何が問題なのであろうか。

 高松塚壁画古墳の問題が発掘以来時間がたつにしたがって、ややもすれば本筋から離れようとするのは、ひとえに私たちの研究の態度に問題があるのではなかろうか。

 たとえば、壁画の源流を求めるために朝鮮の壁画がしばしばとりあげられる。しかし、それはただ日本の壁画と類似しているか否かということにとどまり、朝鮮の壁画そのもののもつ芸術的な価値や歴史的な意義などに関心が発展しないの

はなぜだろう。また、日本の古代国家成立には朝鮮諸国との関係がきわめて密接であることは、中学校の教科書以来、繰り返し聞かされてきたことであろう。それだのに、どうして当時の朝鮮の歴史の展開について無関心でいわれるのだろ

うか。

 私は、今日アジア史の研究が日本でなされなければならない理由のもっとも重要なことは、アジアの理解を日本人的な発想で受け止めるのではなく、アジアの歴史の中から、日本の歴史研究に欠落しているものを学ぶことだと考えている。

 アジア大陸から隔絶された島国で、恵まれた風土の中で展開された歴史や、その歴史の中で作られた日本人の感覚は、良きにつけ悪しきにつけ、きわめて特殊なものになっている。とくにアジアの他の民族の一般的な国際感覚は日本国

内の社会感覚とかなり大きな隔たりがある。そのことをよほど積極的に意識していないと、アジアの歴史を日本人的な感覚でのみ受け取ることになってしまう。それではアジアを理解するのではなく、アジアを日本人の発想で括ることにしかな

らない。

 むろんアジアの歴史の中から学ぶということは、ただたんに、アジア諸地域の研究者の意見を鵜呑みにすることではない。この点で心に残ったことは、1972年10月7日、天理大学で行われた朝鮮学会でのソウル大学教授金元龍氏の講演

である。同氏は盗掘を免れ完全な姿で発掘された百済の武寧王陵発掘の責任者であり、韓国の代表的な研究者でもある。

 同氏の武寧王陵発掘の講演は懇切丁寧で、そのうえ明快なものであった。しかし、同氏はきわめて謙虚に、「韓国の考古学研究は軌道に乗りはじめてまだ十数年であるので、日本の研究者の意見を聞きたい」といわれ、講演後、武寧王陵

やその時代についてお互いに率直に話し合うことができた。この氏の態度からも、学ぶということは、たんに受動的に他人の意見を聞くことでなく、自分の能力のおよぶかぎりの努力をして、意見を充分整理したのちに、謙虚に自説の欠点を指

摘してもらうことであることだと教えられた。

 ところで敗戦後、植民地時代の朝鮮史研究は、厳しい批判に繰り返しさらされた。たとえば、朝鮮総督府を中心とする植民地政策やその上に成り立っていた当時の考古学的学術研究は、ほとんど日本人研究者によって独占され、朝鮮人学

者には重要な発掘調査などの機会が与えられなかった。したがって、戦前の研究は一方ではその水準の高さは認められながら、結局は研究のいっそうの深まりや拡がりを持ちえず、さらには歴史研究の根幹であるべき、その地に生きる人々

の未来に何かを資するということができずに終わったといえる(戦前の朝鮮史研究については有光教一「半島に埋もれた文化交流の謎を掘る」『半島と大洋の遺跡』新潮社、1970年、を参照されたい)。

 解放後、朝鮮人研究者による発掘調査等が進められるにつれ、地域住民の支援が広がり、さらに朝鮮人全体の関心が高まるにつれ、遺跡等の存在も広範かつ多数知られるようになった。また遺物の解釈も、朝鮮の風土や民族的感覚に即

応した説明が加えられるにつれて、古代史の全体像も次第に具体的に究明されつつある。
たとえば、北朝鮮を代表する文化遺産の一つである壁画古墳の発見は、戦前は十六箇所にすぎなかったが、今日では四十箇所を越えるといわれて

いる。
また武寧王陵は、朝鮮考古学最大の発見といわれるが、これまた朝鮮における考古学的関心の拡大がその発見の基礎となったといえよう。

 こうした事実を見るとき、一国の文化水準、学問の発展がいかに民族の独立と不可分に結びついているかを考えざるをえない。戦前の研究に対する批判も、そこにあった。その批判の基本は、日本の研究者が侵略者としての立場を捨て、

朝鮮を対等な民族と考えねばならないという点にあった。

 しかし、このような単純明快なことが繰り返し問題となったこと自体が注意を引く。このような繰り返しは、日本人にとって、異民族を対等な存在として考えることが、いかに困難なことであるかを教えている。このような思想的な混乱が、研究

者のみならず一般社会人も広く見られた。

 そのうえ、東西の対立が朝鮮を分断し、いっそうその混乱が増大すると、社会的には朝鮮問題はタブーとして避け、研究者もまたその風潮に従って、研究から遠ざかる者が少なくなかった。1965年に日韓条約が妥結すると、日本人は再び

大韓民国へ利潤を求めて進出した。この時期も、条約妥結の反対運動が一時的にもりあがったけれども、政治・経済上の責任追及のみで終わり、日本人全体のもつ異民族観にまで遡ることはほとんどなかった。

 今日、南北朝鮮では政治・社会・思想などの面で対立しているにもかかわらず、民族的な立場で自主的な統一をしようとしている。このことは私たちも長年期待してきたことであり、世界の政治状況が大きくかわろうとしているとき、もっとも先

駆的な役割を果たす世界史的な意味をもつものである。一方、人類史上まれにみる平和国家樹立を日本は国是(憲法)としている。しかし、このことの実現は世界史を根底から変革する重大な事業であり、日本が孤立してなしえることではな

い。

 さいわいもっとも近い朝鮮でも、南北の平和統一という世界史的な事業にとりくみ、その成果に学ばねばならないもののあることを予測するとともに、この日本の国是をもっともよく理解・協力してもらえるのもこの朝鮮ではないかと思われる。

ともに世界史的な大事業を抱え、とくに日本の場合は朝鮮などアジア諸国の協力なしにはなりたたない国是を持ちながら、なお朝鮮への理解と関心が充分だとはいえない。

 高松塚古墳の調査・研究を機会に、従来若干交流のあった韓国の研究者だけではなく、1972年秋にはじめて来日した朝鮮民主主義人民共和国の研究者とも直接学術の交流が出来るようになった。私にとっても研究上さまざまな示唆を受

けてきた社会科学院歴史研究所所長金錫亨氏と1972年10月8日にお話しすることができ、今後の研究に新たな展望をえた。とくに今後、南北朝鮮の研究者との交流が深まるにつれて、日本にその成果がより広く伝えられるとともに、日本の

歴史学界にも朝鮮史の研究が正常に発展する機会にめぐまれるであろう。朝鮮史の研究が正常に発展すれば、日本史の研究もまた抜本的な改善が行われ、やがてアジア史全体の再構成に通ずる道が開けよう。

 本書は以上のようなことを念願しつつ、私の貧しい研究を基礎に、古代朝鮮を概観してみた。

 古代史研究は史料が少ないので、考古学・民俗学などの各分野の研究成果を援用し、さらに他地方の研究成果を利用して体系化しなければならない。そのうえ、古代史研究は国家や民族の形成に関心が集中し、ときには理念が優先する

。これらのことは必要なことではあるが、史実に優先するわけにはいかない。断片的な史料の多い古代では、その史料の性格を明らかにし、その史料の語る限界を守って、個々の史実を忠実に再現することからはじめる必要がある。そこで戦

前の研究をも含めた日本の研究や南北朝鮮の研究成果に導かれながらも、ともかく自分の目を通じて、個々の事実の語るところを尊重し、そのうえで、史実相互間の関連を求めながら古代朝鮮を復原したいと願った。

 そうして、可能なかぎり古代朝鮮を支えた人たちの努力やその発展の経過から、私たちの見失いがちな基本的な人間のあり方や社会の構造を求めようと考えたのが本書である。

補注:東潮著「高句麗考古学研究」(吉川弘文館、1997年)によれば、高句麗壁画古墳は74基を数え、そのうち朝鮮民主主義人民共和国国内に51箇所、中国吉林省・遼寧省に23箇所ある


      

       目次

 第一章   初期の朝鮮
 
 1  原始社会
 ・旧石器時代
     ・新石器時代から鉄器時代へ
     ・原始共同体
2  古朝鮮
 ・”古朝鮮”と”朝鮮”
     ・檀君朝鮮
     ・箕子朝鮮
     ・朝鮮民族の起源
     ・衛氏朝鮮
3  漢人支配と自立への道
 ・衛氏朝鮮の滅亡
     ・漢の郡県支配
     ・後漢の異民族政策と郡県支配の変質
4  高句麗の発展
 ・遼東太守公孫氏と初期高句麗、・後漢王朝の廃滅と魏の進出
 第二章   原始国家の形成
 
 1  小国家群―馬韓・弁韓・辰韓
 ・「魏志」韓伝
     ・いくつかの疑問
     ・韓族地方の風土
     ・韓族の社会
2  楽浪・帯方二郡の滅亡
 ・二郡滅亡の経過、
     ・二郡滅亡の影響
3  高句麗の南下と広開土王陵碑
 ・五胡十六国時代と高句麗
     ・広開土王陵碑
     ・碑文第一段―開国の伝承
     ・碑文第二段―広開土王の業績
     ・碑文第三段―守墓人烟戸と王権の確立
 第三章   三国の興亡(1)
 
 1  百済と倭
 ・伯済国と百済建国神話
     ・中国王朝との冊封関係
     ・「宋書」と百済の”遼西支配”
     ・国際関係の中の邪馬台国
     ・大和朝廷と朝鮮南部
     ・「百済本記」「百済記」と任那日本府
 2  百済の盛衰
 ・国家的発展と王位継承
     ・王城の陥落と政治・社会構造
     ・百済再興と新たなる発展
     ・東城王と南方への領土拡大
     ・五世紀東アジアの国際秩序体系
     ・官僚制への移行と東城王の殺害
     ・「百済本記」「日本書紀」が記す百済と任那
     ・大和朝廷と百済
     ・高句麗・新羅との抗争
 第四章   三国の興亡(2)
 
 1  新羅の台頭
 ・辰韓の斯盧国と新羅建国神話
     ・斯盧から新羅へ
     ・五世紀の新羅
     ・”倭”について
     ・智證麻立干(ちしょうまりつかん)の時代
     ・法興王の時代
     ・仏教の伝来
     ・征服王朝の全盛期―真興王と国史の編纂
     ・異斯夫と山城の築造
     ・于老伝説
     ・倭・高句麗との関係
     ・真興王の四碑
     ・官制
     ・身分制度
     ・地方行政組織
 2  新羅と百済の文化を訪ねて
 ・新羅の文化
     ・百済の文化
 第五章   統一戦争
 
 1  隋の統一と朝鮮三国
 ・隋への朝貢と抵抗
     ・仏教の興隆と国史編纂
     ・隋煬帝の高句麗出兵
 2  唐と七世紀前半の三国対立
 ・唐太宗の対外強硬政策
     ・泉蓋蘇文のクーデターと高句麗の軍国化
     ・唐の新羅救援と高句麗出兵
     ・新羅の内乱と政治改革
 3  新羅の統一戦争と律令体制の成立
 ・百済・高句麗討滅戦
     ・対唐戦争
     ・地方豪族・下級貴族と律令体制
     ・”倭”から”日本”へ―国号改正記事について
 第六章   統一新羅
 
 1  律令時代
 ・新羅の統一と兵制の変遷
     ・律令制の官制
     ・地方行政と九州・五小京制
     ・律令田制の沿革
     ・恵恭王代の内乱
 2  骨品制度の形成
 ・骨制の成立
     ・元聖王時代
     ・金憲昌の乱
     ・頭品制の成立
 3  後三国と新羅の滅亡
 ・王権の争奪
     ・弓福の活躍と藤原政権の新羅政策
     ・後三国の興亡
     ・古代朝鮮
    原本あとがき

 私はここに、大胆な古代朝鮮の展望を試みた。それは読者に”古代”と”朝鮮”とを考えていただきたいためである。

 古代を現代人のノスタルジアの対象にしてはいけない。私たちにとって古代社会とは現代社会の行き詰まりを打開する手掛かりを教えてくれる貴重な人類の体験談である。また、朝鮮は外国であり、その歴史は外国史である。外国史を学

ぶことは、外国をたんに理解するだけでなく、自国史の特色を明らかにするものである。

 朝鮮を”近くて遠い国”という人がいる。これは客観的な事実ではなかろう。客観的な事実は私たち日本人が朝鮮を”近いのに遠くしている国”なのである。しかし、このような客観的な事実は日本人仲間だけではなかなか気づかないことで

ある。

 観点を異にする朝鮮人からの指摘で教えられることはまことに多い。朝鮮史の場合も同様である。神話は支配者の権威を飾るものであるという規定は、日本史の中でこそ通用するが、朝鮮の神話では的はずれの規定といわなければならな

い。

 島国という地理的条件で、他民族から遮断されてきた日本人が、外国を多角的・相対的に、理解することは容易ではない。他民族にもそれぞれ特有の偏見・独善性はあるにせよ、とりわけ、われわれ日本人の独善的な国民性を諸外国から

糾弾されることは多い。

 私は古代も現代もおそらく将来も、人間が根底から変わるとは思えない。古代も未来も、けっして理想郷ではあるまい。そこに住む人たちが、その時代に応じた形で努力を積み重ねてゆくことと思う。その努力がそれぞれの理想に近づくため

には、当然、慎重な見通しが要求される。とくに、世界の各地域が植民地支配や前近代的体制から解放され、それを支える生産力が技術革新によって保証されつつある今日では、人類史は一見順調な発展を期待できるように見える。

 しかし、一瞬にして世界を壊滅する水爆戦争の脅威は依然として重苦しくのしかかり、世界は八億人を越す飢餓状態の人たちを現実にかかえている。また、日本の国内では産業の高度成長と裏腹に一日平均四十人をこえる交通事故死亡

者の数は依然として減る傾向さえみせていない。このような現代社会にたいし、さまざまな角度からの検討がなされている。

 私は古代史研究の立場から、現代社会が複雑・多岐な発展をとげたため、ややもすると見失われがちな社会の基本的な構造、とくに国家の持つ機能と限界などで見失われているものがあるのではなかろうかと思っている。また国際社会か

ら隔絶された日本人が国際人となるために不充分な面があるのではないかと恐れている。

 とくに、私たちの年代の者は、昭和の十五年戦争期に成長した。その間、日本は朝鮮・中国をはじめアジア諸国に無謀な侵略をくりひろげてきた。しかし当時の日本人は必ずしも侵略の意味を解していなかったし、それだけに、敗戦後、アジ

アへの復帰を願いながら、アジア諸国民からの批判の意味も理解できないでいるところが少なくない。私自身その傾向を少なからず持っていることは、数回にわたる短期間の韓国旅行でも痛感するところである。私は自分の仕事を通じて、ま

ず私自身が持つ弱点を厳しく反省したいと願っている。

 ところで、ここで一言付け加えておきたいことがある。それは、おそらく一般の読者にとって、本書に出てくるおびただしい人名や地名は、ほとんど馴染みのないものばかりであろうということである。

 ここ数年、とりわけ1972年3月の明日香村高松塚古墳の発掘以来、朝鮮古代史に対する関心がにわかに高まりつつある。しかし、その関心のもたれ方には、ある共通した傾向があるように思われる。それは、序でもふれたように朝鮮の古

史をひたすら日本文化や日本国家の形成といった問題との関わりの範囲内で見ようとすることである。逆に言えば、日本と関わりのない部分については無関心であるということでもある。これは一種のナショナリズムの延長といってもよい現象

ではなかろうか。

 これはいったいどうしたことであろうか。私たち日本人は、異民族を正当に理解することに欠けているのではないだろうか。言い換えれば、日本人的な発想だけでアジア諸民族をとらえようとし、諸民族から学ぶことを忘れているのではないだ

ろうか。たとえば、日朝関係史を考えるのに、日本史の立場だけで考えていないだろうか。

 日朝関係史は日本史と朝鮮史との交叉するところであり、当然、朝鮮史の理解なくしてはなりたたない。この当然なすべきことを怠っていながら、あたかも日朝関係史が理解されたと考えてきたことに、日本史の研究や日本人の発想の基本

的な誤りがある。この誤りを是正し、朝鮮史の研究が進められないかぎり、どのような立場にたとうとも、日朝関係史にはならないことに気づいてほしい。

 むろん日朝関係史は、日本人にとっても、朝鮮人にとっても重要な歴史的領域である。私もまたそうした研究に従事している。しかし、本書でも繰り返し述べてきたように、六世紀以前の朝鮮の歴史にとって、日本列島に住む民族の政治的

動向・文化形態は、とくに重要な影響を与えなかったことは事実なのである。朝鮮の古代史に落とした中国の影と日本のそれとは、言うまでもなく比較にはならない。朝鮮古代史の大部分は、いわば日本抜きで存在したと言ってよい。

 本書でも、もちろん、日本との関係について触れた箇所がある。その関係は、従来、日本史家の側から通説としていわれていたこととは反対の立場をとったものが多い。しかし、それはあくまでも朝鮮の古代史にとって不可欠の要素である

場合に限られている。繰り返し言えば、本書は古代朝鮮それ自体の歴史を描こうとしたのであって、日本にとって古代朝鮮が何であったかを問うた書ではない。そのあたりを誤解なきように願いたい。

 たとえば中国の古代について、われわれはかなりの程度、その事件や人物について常識的に知っている。日本の歴史と直接にはまったく関係ない部分についてさえそうである。にもかかわらず、朝鮮古代史をわれわれは必ずしもそのよう

には扱ってこなかった。先に触れた馴染みのない人名や地名ということも、もちろんこのことと無関係ではないのである。

 朝鮮の歴史について、日本人はいったいどれだけ知っているのだろうか。試みに中学校の社会科の教科書を見てもらいたい。日本に地理的にもっとも近い国、もっとも近い民族である朝鮮の歴史についてあまりにも知らなさ過ぎるということ

について、その知らなさ過ぎること自体についてすら、自覚していないのではないかという苛立ちを覚える。朝鮮の人名や地名への馴染みのなさは、そうした日本人の歴史感覚の跛行性の長い積み重ねの病痕のようなものではなかろうか。

 朝鮮の古代についての関心が深まったことは、むしろ喜ばしいことである。しかし、再三再四、繰り返せば、”日本”の視点からのみ”朝鮮”を見る姿勢は誤っている。朝鮮文化は日本文化を説明するためにのみ利用されてはならない。その

独立した歴史的展開、さらに古代の東アジア全体の国際関係の中へ位置づけ、それをぬきにして挑戦古代史への正しいアプローチはありえないと思う。そして、そうした観点からする歴史的探索・実証の上に、新たなる日本史像、新たなるア

ジア史像、さらに新たなる世界史像の形成がなされていくにちがいない。

 本書は、うした遠い未来の目標のための一里塚である。戦後、朝鮮古代史研究に厳しい反省がなされてきたが、その成果はまとめられないままである。いささか私には手にあまることであるが、朝鮮での研究をも私なりに理解したうえで、

朝鮮古代史を考えてみたのが本書である。そのため、一般書の範疇にある本としては、注・人名・事項等にあまり説明を加えなかったのも、詳しくは入手しやすい専門書を参照してもらいためでもある。読者のご寛恕を願うとともに、一人でも

多くの日本人が、古代朝鮮さらには朝鮮の歴史・文化全般について正しい知識と関心をもってほしいと思わずにはいられない。

 元来引っ込み思案で、とかく自分の関心に没入しがちな私を叱咤激励して、とにかく書き終えさせてくださったのは、ひとえに日本放送出版協会編集部の熊谷健二郎氏の御尽力によるものと厚く感謝している。また考古学関係について福

岡県教育庁の西谷正氏に、現代地名の読みなどでソウル大学の池川英勝氏に、写真の選定や年表の作成などで大阪市立大学の鄭早苗氏に、種々お世話いただいたことを深く感謝する次第である。


    学術文庫版あとがき

 「古代朝鮮」は、昭和47年に日本放送出版協会から、NHKブック172として刊行されたものである。本書はその後、韓国の延世大学教授・金東旭氏と同大学に留学中の金森襄作氏によって翻訳され、「古代韓国史」のタイトルで、韓国の日

新社から出版された。

 この春、講談社学術文庫出版部の稲吉稔氏から、突然、本書の文庫化をすすめられたとき、私はわが耳を疑い、かつ驚き、そして逡巡した。その最たる理由は、本書の執筆からずいぶん時間がたっており、私の朝鮮研究が過去のものにな

っているかもしれないとの懸念である。

 歴史の研究とは、過去の史実をたんに追究することではない。史実を探り出す目は、時代により、また環境によって変化するものである。ましてや、この32年間の社会の変化や、日本の歴史環境の変化は大きく、このようななか、あらため

て本書を世に送り出すことにどんな意義があるのだろうかと、自問したのである。また、平成10年に大病を患って以来、しだいに研究活動から遠ざかり、現在では日常生活にも難渋している身では、加筆や校正も充分にできかねることも、不

安であった。

 ただ私自身、思い入れの深い一冊であり、また稲吉氏の熱心なお誘いに折れる形で、古くから私の研究を支えてくれた大谷大学教授・鄭早苗先生に相談し、解説の執筆と校訂をお願いすることにした。これによって、視点が複眼的になり、

さらに昭和30〜40年代の研究のテーマや方法と、現在の状況との違いも明らかになったのではないかと考えている。

 本書の執筆にあたっては、興味をもっていただいた章や項目から読み始めても不便がないように、それぞれの独立性に配慮している。また内容面では、生産様式と国際関係を重視し、その結果、貴族の奢侈文化に重点をおいた従来の研究

とは、違ったものになった。それと同時に、古代朝鮮を理解するのに必要な基本的事象は、できるだけとりあげるようにつとめた。そのことで、多少、詰め込み過ぎで窮屈なところもあるが、入門書としての性格を加えることになったかと思う。

 古代の朝鮮にも、多くの国の興亡や盛衰があり、人々はその変動に必死に対応した。時には生活のために、集団で国境を越えることもあった。その情景に思いを馳せるとき、1500年の時間を越えて、現在と重なり合うような気がする。

 歴史を考えるということは、私たちが過去の特定の事象にどのように光を当てるか、ということである。同じ事象でも、ライトの当て方により、ときには光輝き、ときには暗い影を作り、重要なことも無用なものとして見落としてしまうことがある。

 日本列島と朝鮮半島との間には、近代にかぎらず、古代でも、中世・近世などいつの時代でも、国境を接する国としての争いがあった。しかし一方では、文化の受容や伝播、そして経済交流を重ねた、おたがいなくてはならないパートナーで

あった。

 本書を読んでくださる方々には、従来の歴史観にとらわれることなく、過去の事象をできるだけ正確に知り、その上で現在の問題を考え、未来を見通すことの重要性を感じられることをせつに願っている。

 日本であれ、朝鮮であれ、古代史研究の目的は、未来像を創立し、われわれの社会が進むべき方向を探ることにある。本書が、新しい古代の朝鮮像を作るうえで少しでも役立ち、日本と朝鮮がともに繁栄する未来像を作る一助となれば、

望外の喜びである。

 最後に、本書の出版にたずさわってくださった多くの方々に、心から謝意を表したい。



                                                                                                平成16年6月10日            井上秀雄


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