白 毫 寺

 真言律宗 白毫寺(びゃくごうじ 一切経寺) 大和北部八十八箇所第六十三番札所 関西花の寺第十八番札所
 
 万葉歌碑  2012年1月22日記・1月28日更新(写真集追加)
 
 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに  
   
 巻一 231  笠 金村 (笠朝臣金村歌集)  
   
 (以下寺宝解説まで白毫寺のしおりより  

 白毫寺は、奈良市東部の山なみ、若草山・春日山に続いて南に連なる高円山のふもとにある。この高円の野に天智天皇の第七皇子、志貴皇子の離宮があり、その山荘を寺としたと伝えられる。当時の草創については、天智天皇の御願によるもの、勤操の岩淵寺の一院とするものなど諸説あるが定かではない。「南都白毫寺一切経縁起」によれば、鎌倉中期に西大寺で真言律宗を起こし、多くの寺を復興、またさまざまな社会事業に関わった興正菩薩叡尊が当寺を再興・整備したとされる。弘長元年(1261)、叡尊の弟子道照が宋より大宋一切経の摺本を持ち帰り、一切経転読の基を開いた。以来当寺を一切経寺と呼び、現在も四月八日に一切経法要が営まれる。

 「寒さの果ても彼岸まで、まだあるわいな一切経」の句が人々の口伝に伝えられ、その法要の後、本当の春が奈良に訪れるとされた。  明応六年(1497)、古市・筒井勢による戦乱で殆どの堂宇を焼かれるなど度重なる兵火・雷火で堂塔を失う憂き目を負っているが、江戸時代寛永年間に興福寺の学僧空慶上人が再興し、江戸幕府からご朱印寺として禄高五十石を扶持され繁栄した。なお白毫とは仏の眉間にあり光明を放つという白い毛のことであり、寺号はそれにちなむものと思われる。

 現在、宝蔵に本尊阿弥陀如来坐像をはじめ閻魔大王坐像ほか重要文化財を、本堂(江戸時代)に勢至・観音菩薩像、聖徳太子二歳像他を安置する。また御影堂(江戸時代)には中興の祖空慶上人をおまつりしている。境内には不動、弥勒、地蔵などの石仏が点在し、西をのぞめば奈良市街を眼下に見渡せる。春には樹齢およそ四百年の五色椿(県天然記念物)をはじめ数多くの椿が咲き、秋は参道を紅や白の萩の花が覆って、季節の風物を求めていにしえの人々が遊んだ往時をしのばせる。

 寺宝解説    
 阿弥陀如来坐像(重文)  定朝様式の阿弥陀像で当時の御本尊。桧材の寄木造で漆箔を施す。伏目のもの静かな温顔と、穏やかな肉取りの体部、浅い彫り口の衣文などをもち、
やや力強さに欠けるが、いかにも品良く仕上げられている。
平安−鎌倉時代(像高138cm)
 地蔵菩薩立像(重文)  慈眼と温容に満ち、錫杖と宝珠を持って立つこの像は、当初の光背・台座まで完備する。桧材を用いた寄木造で、施された彩色は剥落も少なく、
切金もかなり残っている。鎌倉後期につくられた地蔵菩薩像の秀作である。
鎌倉時代(像高157cm)
 伝・文殊菩薩坐像(重文)  大きい宝髻、張りのある顔、肉取りの厚い体と膝組みを持ち、平安初期彫刻の特質をよく備えた菩薩像。
桧の一材で頭・体部から脇にかかる天衣まで巧妙に彫刻している。もとの多宝塔の本尊で、この寺で最古の仏像。
 平安時代(像高102cm)
 閻魔王坐像(重文)  元あった閻魔堂の本尊で、寄木造の彩色像。大きい冠と道服をつけ、笏を持って身構える。玉眼の目はことに鋭く、口をカッと開いて叱咤する。
この迫真性に富んだ忿憤の形相は、礼拝者に畏怖の情けを十分に与える。
 鎌倉時代(像高118.5cm)
太山王坐像(重文)   閻魔王と一対の作だが、明応六年(1497)兵火に遇い頭・体部と膝組の前面が大きく焼け焦げた。翌七年の修理で現状にもどった。
体内に造像当初の墨書があり、正元元年(1259)大仏師法眼康円の作とわかる貴重像である。
 鎌倉時代(像高129cm)
 司命・司録像(重文)   閻魔王・太山王の眷属。ともに虎の皮を敷いた椅子に腰をかける。司命は筆と木札を持ち、上を見て口を固く閉じる。
司録は書巻(欠失)を両手にもち、これを声高に読み上げるかのように口を大きく開く。両像とも寄木造で彩色と切金とが残っている。
明応の火災には救出されたが、司録の首は後補されている。正元元年ごろの康円一派の作としてその価値は高い。
 鎌倉時代(両像高132cm)
 興正菩薩叡尊坐像(重文)   戒律復興や貧民救済に活躍した西大寺叡尊は、白毫寺の中興の祖でもある。
寄木造彩色像で、眉の長い特徴のある風貌で端然と坐す姿は晩年の叡尊を見事に捉えており、肖像彫刻の優品である。
  鎌倉時代(像高73.9cm)


 白毫寺を訪れるには、私は二通りの行き方をとっている。一つは市内循環バス「高畑(教育大前)で下車し、そこから徒歩20分ばかり。緩やかな上りが続く一般道なので、あまり好きなルートではない。もっともよく利用するのが、春日大社横の公営駐車場から、山辺の道を歩くこと。
 こちらも結構歩くことになるが、静かで時折古風な建物に遭遇し、目を和ませてくれる。
   
 2011年ある日の白毫寺.....小雨(ここは小雨が似合う)

 山辺の道、この道を歩くのは、桜井の近辺から歩くと多くの古墳群や、大神神社など由緒ある神社など古道を歩くという雰囲気があるのだが 
奈良市の山辺の道は、標識も不案内で、慣れた人でないとなかなか歩けない。いつの間にか外れていたり、あるいは戻っていたり、と。
 高畑の駐車場を、春日大社の裏手に向かう道を少し歩くと、旧志賀直哉邸の前を通る。何か展示物でもあるようだが、私は横目で見るだけでいつも通り過ぎる。そのまま静かな道を歩いて、住宅街のような本通りに合流。そこで、山辺の道は、とはたと困ってしまった。
 別に、山辺の道を歩くことが目的ではないのだが、せっかく歩けるのだから、と気安く歩いただけのこと。
 本通りを少し歩いて、今度は右に入る小さな坂道を見つける。そこに、これも小さな標識。山辺の道、とある。
 そこは、もう住宅街そのもの。車がやっと通れるような道を、ただただ小さな標識に従って歩く。でも、その折に、ハッとするような小道の風景を見ることがある。古代を彷彿とさせる、と言うのではなく、この道筋は、昔からのものなんだろう、と思い至る。その屈折を利用した家造りの町並み。
 次第に奥まっていくと、土塀の建物が続く。緩やかな起伏のある道を、向こうから数人の観光客が歩いてくるのを見ると、お互い何に惹かれてこの道を歩いているのだろう、と思わずにはいられない。熊野古道のような、まさに古代の道を歩きたくて来たのではなく、この先にある、いくつかのお寺に来たかった、そしてそこに「山辺の道」があった・・・そんな感じなんだろう。
 鏡神社、新薬師寺の角をに着くと、そこにはいつも多くの人がいる。神社の前の立て看板に、十市皇女の新聞記事が掲示されていた。あれほど悲劇の皇女と想い入れがあったのだが、その記事には、高市皇子のことには触れられておらず、私は一気に興を殺がされてしまって、また歩き出す。十市と高市、この二人のことは、私だけが温めておこう、そう思いながら歩く。
 山門に続く上り坂に立つ。ここからが、いよいよ白毫寺への一本道だ。静かな民家を歩いて、石段に取り掛かり、そしてすぐに右手の山門に続く鄙びた石段を見上げる。もう秋萩の季節は過ぎている。圧倒するような秋萩の覆いかぶさる様が、容易に想像できる雰囲気だ。一人だからまだしも、二人で並んで歩こうとすると、きっと両側から伸びる萩の葉に雨の雫をたっぷり濡れ付けられることだろう。
 先ほどの、新薬師寺で見かけたような人の群れは、ここでは無縁なのだろうか。これまで季節外ればかりだとしても、もう何度も来ているが、今まで10人以上もこのお寺で出会ったことはない。
 そこが、気に入っている理由の一つでもあるが、何故なのか、と思う。知らない人が多いのかもしれない。京都ほどではないにしても、奈良には見所も多い。しかし、一番の違いは、そのアクセスの不便さにあると思う。観光ルートのバスが、定期便で頻繁に走るのは、有名なところばかり。こうしたスケールも小さく、見所も少ない郊外のお寺は、いくら宣伝しても、そこに割く時間はないのだろう。私のように、初めからここを目指して来る気持ちでないと、確かにわざわざ足を運ぶのは億劫なのかもしれない。

 
 雨にけぶる石段を上り切り、受付の前に立つ。拝観料を払いながら、こんな天気の悪い日には、訪れる人もいないでしょう、と訊く。すると、そっと五本の指を伸ばされた手を、そのまま本堂の方へ向けられた。
 そこには、年配の男の方が一人佇んでいた。お一人です、と受付で教えられた。私は、私みたいな酔狂な人もいたんだなぁ、と感心して本堂の前に向かう。その男の方へ、軽く会釈して、目当ての「五色椿」の横の寒桜に向かう。私の目的は、ここにあった。春の「五色椿」の季節でもなく、秋の萩の季節でもなく、そして紅葉に映える白毫寺でもない。逢いたかったのは、この寒桜だ。11月の紅葉の盛りが寒桜の身頃だと言われたが、このときはかなり季節感が混乱していて、紅葉どころか、寒桜だって...いや、いくつかの蕾が見える。咲こうと頑張っている。戸惑いながらも、頑張っている。
   
 この寒桜のすぐ横に、宮廷歌人笠金村の万葉歌碑がある。
冒頭の歌碑、歌意はおそらく、志貴皇子が愛された萩も、咲き散らかって、今は見る人もいない...当時天武系の王朝の時代だったから、天智天皇の第七皇子というのは、辛い立場だったことだろう。「笠朝臣金村歌集出づる」として、万葉集ではこの歌の後に一首(232)、そして妻子だと思われる歌が二首(233、234)続く。亡き皇子を偲ぶ切ない想いの響く歌だ。
三笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに(232)
高円の 野辺の秋萩 な散りそね 君が形見に 見つつ偲はむ(233)
三笠山 野辺ゆ行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに(234)
         
 冬の痕  古都の部屋 白毫寺写真T 白毫寺写真U  白毫寺写真V