弦楽器が奏でる導入部から、不吉な予感めいたものを思わせる主題。しばらくしてピアノが語りかけてくる。今まで聴いていたモーツァルトの甘い語りはない。弦楽器と相互に絡み合うその主題が次第に激しさを増していく姿は、モーツァルトの生涯につきまとう悲劇性をオーバーラップさせてしまう。
ある時期、車の中にCDを持ち込み、一日中この曲を繰り返し聴きながらドライブしたことがある。そんなことが出来た唯一の曲が、第二十番ニ短調だ。さすがに、今は一日中繰り返して聴くことはないが、それでもモーツァルトの中で好きな曲を選べといわれたら、真っ先にこの曲が浮かんでしまう。一日中彷徨い続ける中で、常に私をコントロールし続けたこの曲を、あるいは、今もコントロールされ続けているのかもしれない、と。今こうして書きながらあらためて思ってしまう。読書でも、歌謡曲でも、一時期夢中になった記憶は、そのものに再会することによって、普段は忘れ去っていても、鮮明に思い出すことが出来る。
ふと思い出して聴きなおしたこの曲は、紛れもなく彷徨い続けていた私を思い出させてくれた。単に車で彷徨うのではなく、何かを求めて彷徨っていた自分を・・・。
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