ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K466                                            2004.06.07.記                       

 モーツァルト Wolfgang Amadeus Mozart (1756~1791、オーストリア)


 

 モーツァルトが短調で作曲した最初のピアノ協奏曲。今では他の長調の曲も好きになってはいるが、若い頃は、やたらにこのような短調の曲に惹かれていた。そう言えば、41曲の交響曲にしても、モーツァルトは2曲しか短調の曲を書いていない。第二十五番ト短調は、映画「アマデウス」でも使われ、第四十番ト短調の哀愁に満ちたメロディは、クラシックファンならずとも、多くの人に親しまれていると思う。

 そして、このピアノ協奏曲...全27曲のピアノ協奏曲に中で、やはりこの第二十番と、第二十四番ハ短調の二曲だけになる。もっとも、第二楽章に短調を用いた他の協奏曲は5曲ある。

 

 ベートーヴェンは、この曲に惚れ込んで、カデンツァを作曲したほどといわれている。独奏者の裁量に任せられるカデンツァ。それほどベートーヴェンも愛した第二十番をあらためて聴くと、彼の生涯を通じて一番華やかだったウィーン時代のその絶頂の陰に、モーツァルトの沈痛な想いが潜んでいたのではないのか、と思ってしまう。

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 私などは、本当に辛い時には、無理をしてでもはしゃいで見せるが、ひょっとしたらモーツァルトにも、成功の中にも、一抹の不安を抱えていたのではないか、その一端が、この曲に反映したのではないかと感じてしまう。そんなことはないだろうが、結果的にはそうなのかな、と思わざるをえない。

 

 

 

 

 第一楽章 Allegro ニ短調4/4

 

 

 第二楽章 Romanze 変ロ長調4/4

 

 

 

 第三楽章 Allegro assai ニ短調2/2

 

 

 

 

 

 弦楽器が奏でる導入部から、不吉な予感めいたものを思わせる主題。しばらくしてピアノが語りかけてくる。今まで聴いていたモーツァルトの甘い語りはない。弦楽器と相互に絡み合うその主題が次第に激しさを増していく姿は、モーツァルトの生涯につきまとう悲劇性をオーバーラップさせてしまう。

 ある時期、車の中にCDを持ち込み、一日中この曲を繰り返し聴きながらドライブしたことがある。そんなことが出来た唯一の曲が、第二十番ニ短調だ。さすがに、今は一日中繰り返して聴くことはないが、それでもモーツァルトの中で好きな曲を選べといわれたら、真っ先にこの曲が浮かんでしまう。一日中彷徨い続ける中で、常に私をコントロールし続けたこの曲を、あるいは、今もコントロールされ続けているのかもしれない、と。今こうして書きながらあらためて思ってしまう。読書でも、歌謡曲でも、一時期夢中になった記憶は、そのものに再会することによって、普段は忘れ去っていても、鮮明に思い出すことが出来る。

 ふと思い出して聴きなおしたこの曲は、紛れもなく彷徨い続けていた私を思い出させてくれた。単に車で彷徨うのではなく、何かを求めて彷徨っていた自分を・・・。

 

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