百寺巡礼 第一巻奈良 五木寛之
百寺巡礼の旅のはじめに |
古いインドには、人生を四つの時期に分ける考えかたがあったという。 学生期(がくしょうき)。 家住期(かじゅうき)。 林住期(りんじゅうき)。 そして、遊行期(ゆぎょうき)。 学生期とは、若いうちにさまざまな物ごとを学び、経験をつむ時期である。いわば人生をスタートする助走期間にあたる時代だ。 家住期は社会に出て、一家をかまえ、仕事にはげむ実践の時期だろう。家族をもっても、現実には家に落ちつくひまもない場合もあるかもしれない。 林住期とは、生きるための仕事からリタイアして、人生とは何かを思考する季節。鴨長明は五十歳のころ実際に林に住んだが、いまは逆に家にもどって読書にふける場合もある。自分の一生をふり返り、人間にとって何が大切かをじっくり考えてみる。趣味に生きるということもあるだろう。子供も大きくなっているだろうし、夫婦もお互いに自由な時間をもつゆとりがでてくる。 私はこの林住期といわれる時代を、人間のもっとも充実した季節のように感じることがある。最近、定年退職したのちに、大学や各種の文化講座に学ぶ中高年層がふえてきた。私自身も五十歳前後に京都に移り住み、大学の聴講生として何年か暮らしたことがある。 ふり返ってみると、あれが私自身の、ひとつの林住期だったのではあるまいか。 そして最後にくるのが、遊行期だ。これは文字どおり、家を離れて旅に生きる放浪の季節である。野生の動物のなかに、死を予感すると群を離れて最後の場所をもとめるものがいるという。 すべてを捨てて、死ぬための旅に出る。一見、さびしい季節のように思われるが、そうでもないだろう。十九世紀のロシアでもっとも有名だった小説家、トルストイも、晩年、家出をして旅先の小駅で死んだ。遊行期は、まさに人生のしめくくりである。この時期にこそ、人間の一生の静かな輝きが見られるような気がする。 しかし、私たちは古代インド人のように、これらの四つの季節を、きちんと分けて生きることは難しい。中年過ぎてあたふたとパソコンを習うサラリーマンもいれば、若者にまじって英会話教室にかよう初老の夫妻もいる。 フリーターと称して、若いうちから自由放浪の暮らしを志す青年たちもいる。激務のあいだに本を読み、ときどき坐禅を組んだりするエリートもいる。とっくに遊行期に入っているはずの高齢の政治家や実業家たちが寝るまもなく活動をつづけているすがたに、感心するよりも呆れる気持ちもある。 考えてみると、現在の私たちは、季節の流れのように順をおって人生をいきることが不可能な時代に生きているのかもしれない。 現に私もそうだ。いま現在も学ぶべきことは山ほどある。仕事も以前より多くかかえている。しかし、自分の生きかたはこれでいいのかと旅先のホテルで考えることもあるし、週に四日は飛行機や車の乗りついで各地を歩きまわっている。 ふり返ってみると、幼いころから一定の土地に住んだことがなかった。父の転勤のたびに、住居を移り、学校をかわった。植民地で敗戦をむかえてから、きょうまで四つの季節をごちゃまぜにしながら生きてきた。 私は物を書く仕事をしながら、ちゃんとした書斎というものをもっていない。原稿は旅先の電車のなかや、喫茶店や、ホテルの部屋で書く。資料が必要になると、その土地の図書館へいき、書店や古本屋をあさる。電話でパソコン名人の編集者に調べてもらうことも多い。 地元の人にその土地の名物をごちそうになることもあるが、深夜、知らない町のコンビニでおむすびやバナナ、飲料水などをビニール袋にさげてホテルの部屋にもち帰る日がつづいたりもする。 旅先で一週間も下血がつづいたこともあった。仕事で、カンヅメと称する集中執筆の最中に、狭心症らしき発作におそわれて、床の上にエビのように体を丸めて倒れていたこともあった。持病の偏頭痛、腰痛、それに腱鞘炎、目まい、過呼吸、などなど、つねに体調を崩しながらも、ずっと旅をつづけている。 百寺巡礼、などという無茶な計画も、そうした日々のなかから生まれた。二年間に百の寺を巡る旅。はたしてこの年齢で、そんなことが可能なのだろうか。現にかかえている仕事のことを考えると、気が遠くなるような感じがした。 しかし、なにか目に見えない力が私をつき動かして、自然にその旅がはじまったのである。 寺にも、仏像にも、建築にも、ほとんど無智のまま私は旅に出た。なにかを学ぶためではない、なにかを感じるだけでいいのだ、と思ったからである。 その旅は、まだはじまったばかりだ。はたして百寺のすべてを巡ることができるかどうか、心もとない気持ちがある。しかし、この旅の途中で、もし死ぬことができたとしたなら、それこそが私の遊行期ではあるまいか。混乱した自分の一生に、こんな形で遊行の季節が訪れてきてくれたことに、なんともいえない感慨をおぼえずにはいられない。 日本の寺々には、何か大事なものがあると私は信じている。そして、その寺のある土地には、人の生命をいきいきと活性化し、大きな深いものを感じさせる見えない力が存在していると感じる。その場所に立ち、一瞬の時間を体験するだけでいいのだ、と思う。 そんな旅の途上で、私はものに憑かれたようにモノローグをつづけ、語り、文章を書いた。そのすべてを記録し、肉声も、メモも、原稿も、まるごと集録して一冊の本が生まれた。これは、私の肉体と心のドキュメントであり、音楽でいうならライブ盤のようなものである。 一遍上人は人びととともに、踊り歌いながら念仏の札をくばる遊行の旅をつづけた。私もそのひそみにならって、百寺の旅から生まれた旅の一冊、一冊を、読者のかたがたにお贈りしたいと思う。 いま、北陸の永平寺へ向かう飛行機の席でこの文章を書いている。白い雪をいただいた白山の山容を真下に見ながら、訪れる寺々への期待に若者のように胸ふくらむ感覚がある。この旅の先になにが見えてくるのか。それが見えたとき、私はどこにいるのか。私の真の遊行期は、まだはじまったばかりなのかもしれない。 |
目次
第一番 | 室 生 寺 |
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女たちの思いを包みこむ寺 |
・女性の入山を許した、もう一つの「高野山」 | |
・お堂の陰にひっそりとたたずむ観音像 | ||
・ギリシャ的な美とインド的な美 | ||
・七百段の石段をのぼって、おりる | ||
・小ささゆえの強さ、強くないがための強さ | ||
・「女性」という永遠の謎 | ||
第二番 | 長 谷 寺 |
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現世での幸せを祈る観音信仰 | ・ざわめきのなかの信仰 | |
・観音と地蔵菩薩が合体した仏像 | ||
・現代の巡礼とスニーカー | ||
・影がない世界では光も見えない | ||
第三番 | 薬 師 寺 |
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時をスイングする二つの塔 |
・千三百年の時を超えて、東塔と西塔は並んでいる | |
・玄奘は法相宗の始祖にして、「西遊記」のモデル | ||
・伽藍の復興を実現させた「写経勧進」 | ||
・金ぴかから黒いすがたに化身した薬師如来 | ||
・枯れた姿だけで判断してはいけない | ||
第四番 | 唐 招 提 寺 |
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鑑真の精神が未来へ受け継がれていく | ・落ち着いたたたずまいと、凛とした風格 |
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・金堂の解体工事の現場で思う | ||
・命を投げだしても遂行すべきミッション | ||
・鑑真への共感を抱いた詩人 |
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・故郷を離れた人のアイデンティティはどこにあるか | ||
第五番 | 秋 篠 寺 |
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市井にひっそりとある宝石のような寺 |
・光り輝く”苔の海”に見とれる | |
・生々しい政争のなかで生まれた寺 | ||
・霊水のわく井戸と天女の美しさ | ||
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・<作家>と呼ばれることのうしろめたさ | |
・伎芸天を「ミューズ」と呼んだ作家 | ||
第六番 | 法 隆 寺 | |
聖徳太子への信仰の聖地 | ・聖徳太子の悲劇と遺族の怨念 | |
・夢殿から太子信仰が発展した | ||
・太子を思いつづけた親鸞は夢告を得た | ||
・太子から、親鸞に受け継がれた平等思想 | ||
・「千日聞き流しせよ」 | ||
第七番 | 中 宮 寺 |
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半跏思惟像に自己を許されるひととき | ・かつて、文人たちがこころの乾きを癒した斑鳩 | |
・聖徳太子が母のために建てた寺 | ||
・弥勒仏への恋情をつづった文人たち | ||
・半跏思惟像の足の裏 | ||
・「仏足石」は目に見えない仏の存在を思わせる | ||
・「世間は虚仮」、この世は虚しいものだ | ||
第八番 | 飛 鳥 寺 | |
日本で最初の宗教戦争の舞台 | ・千四百年前のほほえみ | |
・衝撃的なニューカルチャーだった仏教 |
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・「かわらぶき」は寺のこと |
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・一つの塔と三つの金堂をもつ | ||
・野ざらしになった飛鳥大仏 | ||
・渡来人のこころのふるさと | ||
第九番 | 當 麻 寺 | |
浄土への思いがつのる不思議な寺 | ・生の世界と死の世界の境にある寺 | |
・曼荼羅を前に、浄土をおもう | ||
・ドラマのヒロイン、中将姫 | ||
・源信は法然や親鸞の思想の先がけとなった | ||
・芸能の原点には、宗教がある | ||
・歴史の闇のトリックスター、役行者 | ||
・浄土の物語を信じて生きる | ||
第十番 | 東 大 寺 |
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日本が日本となるための大仏 | ・青空に蘇える、散華の記憶 |
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・高さ百メートルの”幻のツィンタワー” | ||
・世界に類を見ない大仏開眼、そして、奇跡のような再建 | ||
・律令国家としての「独立宣言」 | ||
・いまこそ、新しい「和魂」を |