シベリウス Jean Sibelius (1865〜1957、フィンランド)
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シベリウスという作曲家を、初めて耳にしたのは、たぶん中学生の頃だと思う。今はっきり辿れる記憶では、高校生のとき夢中になってシベリウスを聴いていた。その頃、何度も何度も聴き返したのは、ポピュラーな交響曲の第一番と第二番。
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ただ、それ以前にも、確か中学の音楽の授業で、交響詩「フィンランディア」を聴いたと思う。そのときは、シベリウスの名前が印象に残っていなかったから、この作曲家の聴き始めがどの曲だったのか、曖昧だと言える。
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この交響詩「トゥオネラの白鳥」の魅力は、何と言っても、悲痛な音色だと思う。イングリッシュ・ホルンが奏でるメロディは、まさに「黄泉の国」に誘い込もうとする、どうしようもないほどの哀しさにある。
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「トゥオネラ」とは、フィンランドの叙事詩「カレワラ」の中に出てくる「黄泉の国」のこと。黒い川、そこに死の国の白鳥が不気味に羽根を休めている。そんなイメージが、この曲から容易に想像できる。
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シベリウスの作品全体にいえると思うが、私はどこか日本の「能」にイメージをだぶらせてしまう。7曲の交響曲も、第3番以降は、表面的には非常にシンプルな曲想でも、内面の重々しさ、そして緊張感から開放されることはない。聴き終えたあとには、必ずといっていいほど深く沈みこんでしまう。
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それは、聴いてはならないものを聴いてしまった、と言う「魔力」への怯えを教えられるからだ。
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私がシベリウスのCDを手にするときは、いつも自分に言い聞かせる。今度こそ、その呪縛から逃れるぞ、と。ところがこの「トゥオネラの白鳥」だけは、何度聴いても、その呪縛を解くことはできない。
作曲過程
シベリウスは、フィンランドに伝わる叙事詩「カレワラ」を基にしたオペラを作曲しようとした。その中で、英雄ワイナモイネンの船の建造の物語をテーマとして選んだ。「トゥオネラの国」は、ワイナモイネンが船の建造に必要な呪文を得ようと訪れたところとなっている。
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このオペラの前奏曲として、シベリウスは「トゥオネラの国」をイメージしたと言われる。しかし、このオペラは完成しなかった。自らの作曲スタイルと、ワーグナーを手本としたオペラの作曲スタイルが合わないと思った。そう感じたらしい。そのときには、「前奏曲」となるべき「トゥオネラ」は、一応仕上がっていた。シベリウスは、この残った曲を管弦楽曲にしようと、新たに構想を考え、「船の建造物語」の前の章にある、もう一人の英雄レミンカイネンの物語を基に作った曲の一部に、この仕上がっていた「前奏曲」を使うことになった。
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この新たに作曲されたのが、交響組曲「4つの伝説曲」で、その第二曲に先に仕上がっていた「トゥオネラの白鳥」が転用された。
楽曲解説
組曲全体としては、「カレワラ」のレミンカイネンの物語であり、次の構成になっている。
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第一曲「レミンカイネンとサーリの乙女たち」(第11章)
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サーリ島を訪れたレミンカイネンは、美しい乙女キュッリッキに恋をし、求婚する。その苦悩や喜びを描いている。
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第二曲「トゥオネラの白鳥」(第14章)
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第12章〜13章で、結婚するために取り交わした約束をキュッリッキが破ったため、レミンカイネンはポヒョラに行き、そこの娘に求婚するが、3つの困難な条件を付けられる。それは、「ヒーシの大鹿を捕らえること」、「ヒーシに住む火のような口をした雄馬に轡をつけること」、そして最後に「黄泉の国トゥオネラ川にいる白鳥を射止めること」。初めの2つは、見事に果たし、レミンカイネンは「黄泉の国」へ向かう。
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第14章は、「黄泉の国トゥオネラの川に漂う白鳥」を描く。黒く不気味な川。死者の悲痛な叫びのように重く魂を揺さぶる鳴き声。黄泉の国は、生きるものを甘美にそして畏怖にいざなう。美しいメロディに引かれ決して還ることの出来ない世界へ。
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第三曲「トゥオネラのレミンカイネン」(第14章)
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レミンカイネンは、白鳥を射るために「トゥオネラ川」にたどり着く。そこで、ポヒョラの牧者の策略によって命を失うことになる。川に落ちたレミンカイネンは、無残な遺体を晒すことになる。
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第四曲「レミンカイネンの帰郷」(第15章)
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ポヒョラに行くことに反対していた母親の力で、レミンカイネンは生き返ることができ、その説得を聞き入れ、故郷に帰る。
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交響詩は、このように物語性を持った、あるいは叙景詩のように風景を描写した標題音楽のこと。そこが、交響曲との違いだし、形式的にも、古典的な交響曲が一般的に4つの楽章に編成されているのにくらべ、交響詩は敢えて言えば単一楽章といってよく、したがって単独で演奏されることの方が多い。
でも、この「4つの伝説曲」はそれ自体が交響曲と言えるかもしれない。ただし、古典的な交響曲の形式にはならないが、シベリウスは自身の交響曲でさえも、従来の形式にこだわらず、独自の様式を完成させている。私が最高傑作だと思う第7番などは、もう「能」の世界そのものだ。
単一楽章であるのは、単に主題が一貫していると言うのではなく、ときには融合しときには独立していく様々な主題を見事に展開させ、それでいて幽玄の世界を醸し出す。私の場合、彼のそのシンボリック的な曲が、この「トゥオネラの白鳥」に他ならない。
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