万葉集巻第十九 
 
 

 

     

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      天平勝寶二年三月一日之暮眺矚春苑桃李花<作>二首  

4163

春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子

 

4164

吾が園の李の花か庭に散るはだれのいまだ残りたるかも

      見飜翔鴫作歌一首  

4165

春まけてもの悲しきにさ夜更けて羽振き鳴く鴫誰が田にか住む

 
      二日攀柳黛思京師歌一首  

4166

春の日に張れる柳を取り持ちて見れば都の大道し思ほゆ

 
      攀折堅香子草花歌一首  

4167

もののふの八十娘子らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子の花

 
      見歸鴈歌二首  

4168

燕来る時になりぬと雁がねは国偲ひつつ雲隠り鳴く

 

4169

春まけてかく帰るとも秋風にもみたむ山を越え来ざらめや 一には「春されば帰るこの雁」といふ

      夜裏聞千鳥喧歌二首  

4170

夜ぐたちに寝覚めて居れば川瀬尋め心もしのに鳴く千鳥かも

 

4171

夜くたちて鳴く川千鳥うべしこそ昔の人も偲ひ来にけれ

      聞暁鳴雉歌二首  

4172

杉の野にさ躍る雉いちしろく音にしも泣かむ隠り妻かも

 

4173

あしひきの八つ峰の雉鳴き響む朝明の霞見れば悲しも

      遥聞泝江船人之唱歌一首  

4174

朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ唄ふ舟人

 
      三日守大伴宿祢家持之舘宴歌三首  

4175

今日のためと思ひて標しあしひきの峰の上の桜かく咲きにけり

 

4176

奥山の八つ峰の椿つばらかに今日は暮らさね大夫の伴

4177

漢人も筏浮かべて遊ぶといふ今日ぞ我が背子花かづらせな

 
      八日詠白大鷹歌一首[并短歌]  

4178

あしひきの 山坂越えて 行きかはる 年の緒長く しなざかる 越にし住めば 大君の 敷きます国は 都をも ここも同じと 心には 思ふものから 語り放け 見放くる人目 乏しみと 思ひし繁し そこゆゑに 心なぐやと 秋づけば 萩咲きにほふ 石瀬野に 馬だき行きて をちこちに 鳥踏み立て 白塗りの 小鈴もゆらに あはせ遣り 振り放け見つつ いきどほる 心のうちを 思ひ延べ 嬉しびながら 枕付く 妻屋のうちに 鳥座結ひ 据えてぞ我が飼ふ 真白斑の鷹

 

4179

矢形尾の真白の鷹を宿に据ゑ掻き撫で見つつ飼はくしよしも

      潜鵜歌一首[并短歌]  

4180

あらたまの 年行きかはり 春されば 花のみにほふ あしひきの 山下響み 落ち激ち 流る辟田の 川の瀬に 鮎子さ走る 島つ鳥 鵜養伴なへ 篝さし なづさひ行けば 我妹子が 形見がてらと 紅の 八しほに染めて おこせたる 衣の裾も 通りて濡れぬ

 

4181

紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく我れかへり見む

4182

年のはに鮎し走らば辟田川鵜八つ潜けて川瀬尋ねむ

 
      季春三月九日擬出擧之政行於舊江村道上属目物花之詠并興中所作之歌  
      過澁谿埼見巌上樹歌一首 [樹名都萬麻]  

4183

礒の上のつままを見れば根を延へて年深からし神さびにけり

 
      悲世間無常歌一首[并短歌]  

4184

天地の 遠き初めよ 世間は 常なきものと 語り継ぎ 流らへ来たれ 天の原 振り放け見れば 照る月も 満ち欠けしけり あしひきの 山の木末も 春されば 花咲きにほひ 秋づけば 露霜負ひて 風交り もみち散りけり うつせみも かくのみならし 紅の 色もうつろひ ぬばたまの 黒髪変り 朝の笑み 夕変らひ 吹く風の 見えぬがごとく 行く水の 止まらぬごとく 常もなく うつろふ見れば にはたづみ 流るる涙 留めかねつも

 

4185

言とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常をなみこそ 一には「常なけむとぞ」といふ

 

4186

うつせみの常なき見れば世の中に心つけずて思ふ日ぞ多き  一には「嘆く日ぞ多き」といふ

 
      豫作七夕歌一首  

4187

妹が袖我れ枕かむ川の瀬に霧立ちわたれさ夜更けぬとに

 
      慕振勇士之名歌一首[并短歌]  

4188

ちちの実の 父の命 ははそ葉の 母の命 おほろかに 心尽して 思ふらむ その子なれやも 大夫や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢持ち 千尋射わたし 剣大刀 腰に取り佩き あしひきの 八つ峰踏み越え さしまくる 心障らず 後の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも

 

4189

大夫は名をし立つべし後の世に聞き継ぐ人も語り継ぐがね

 
      右二首追和山上憶良臣作歌  
      詠霍公鳥并時花歌一首[并短歌]  

4190

時ごとに いやめづらしく 八千種に 草木花咲き 鳴く鳥の 声も変らふ 耳に聞き 目に見るごとに うち嘆き 萎えうらぶれ 偲ひつつ 争ふはしに 木の暗の 四月し立てば 夜隠りに 鳴く霍公鳥 いにしへゆ 語り継ぎつる 鴬の 現し真子かも あやめぐさ 花橘を 娘子らが 玉貫くまでに あかねさす 昼はしめらに あしひきの 八つ峰飛び越え ぬばたまの 夜はすがらに 暁の 月に向ひて 行き帰り 鳴き響むれど なにか飽き足らむ

 
      反歌二首  

4191

時ごとにいやめづらしく咲く花を折りも折らずも見らくしよしも

 

4192

毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み  毎年、としのはといふ

 
      右廿日雖未及時依興預作也  
      為家婦贈在京尊母所誂作歌一首[并短歌]  

4193

霍公鳥 来鳴く五月に 咲きにほふ 花橘の かぐはしき 親の御言 朝夕に 聞かぬ日まねく 天離る 鄙にし居れば あしひきの 山のたをりに 立つ雲を よそのみ見つつ 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の 見が欲し御面 直向ひ 見む時までは 松柏の 栄えいまさね 貴き我が君 御面、みおもわといふ

 
      反歌一首  

4194

白玉の見が欲し君を見ず久に鄙にし居れば生けるともなし

 
      廿四日應立夏四月節也 因此廿三日之暮忽思霍公鳥暁喧聲作歌二首  

4195

常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥この暁に来鳴く初声

 

4196

霍公鳥来鳴き響めば草取らむ花橘を宿には植ゑずて

 
      贈京丹比家歌一首  

4197

妹を見ず越の国辺に年経れば我が心どのなぐる日もなし

 
      追和筑紫大宰之時春苑梅歌一首  

4198

春のうちの楽しき終は梅の花手折り招きつつ遊ぶにあるべし

 
      右一首廿七日依興作之  
      詠霍公鳥二首  

4199

霍公鳥今来鳴きそむあやめぐさかづらくまでに離るる日あらめや も・の・は、三つの辞を欠く

 

4200

我が門ゆ鳴き過ぎ渡る霍公鳥いやなつかしく聞けど飽き足らず も・の・は・て・に・を、六つの辞を欠く

 
      四月三日贈越前判官大伴宿祢池主霍公鳥歌不勝感舊之意述懐一首[并短歌]  

4201

我が背子と 手携はりて 明けくれば 出で立ち向ひ 夕されば 振り放け見つつ 思ひ延べ 見なぎし山に 八つ峰には 霞たなびき 谷辺には 椿花咲き うら悲し 春し過ぐれば 霍公鳥 いやしき鳴きぬ 独りのみ 聞けば寂しも 君と我れと 隔てて恋ふる 砺波山 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて あやめぐさ 玉貫くまでに 鳴き響め 安寐寝しめず 君を悩ませ

 

4202

我れのみし聞けば寂しも霍公鳥丹生の山辺にい行き鳴かにも

 

4203

霍公鳥夜鳴きをしつつ我が背子を安寐な寝しめゆめ心あれ

 
      不飽感霍公鳥之情述懐作歌一首[并短歌]  

4204

春過ぎて 夏来向へば あしひきの 山呼び響め さ夜中に 鳴く霍公鳥 初声を 聞けばなつかし あやめぐさ 花橘を 貫き交へ かづらくまでに 里響め 鳴き渡れども なほし偲はゆ

 
      反歌三首  

4205

さ夜更けて暁月に影見えて鳴く霍公鳥聞けばなつかし

 

4206

霍公鳥聞けども飽かず網捕りに捕りてなつけな離れず鳴くがね

4207

霍公鳥飼ひ通せらば今年経て来向ふ夏はまづ鳴きなむを

 
      従京師贈来歌一首  

4208

山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも

 
      右四月五日従留女之女郎所送也  
      詠山振花歌一首[并短歌]  

4209

うつせみは 恋を繁みと 春まけて 思ひ繁けば 引き攀ぢて 折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと 茂山の 谷辺に生ふる 山吹を 宿に引き植ゑて 朝露に にほへる花を 見るごとに 思ひはやまず 恋し繁しも

 

4210

山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ

      六日遊覧布勢水海作歌一首[并短歌]  

4211

思ふどち ますらをのこの 木の暗の 繁き思ひを 見明らめ 心遣らむと 布勢の海に 小舟つら並め ま櫂掛け い漕ぎ廻れば 乎布の浦に 霞たなびき 垂姫に 藤波咲て 浜清く 白波騒き しくしくに 恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも かくしこそ いや年のはに 春花の 茂き盛りに 秋の葉の もみたむ時に あり通ひ 見つつ偲はめ この布勢の海を

 

4212

藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕ぎ廻つつ年に偲はめ

 
      贈水烏越前判官大伴宿祢池主歌一首[并短歌]  

4213

天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば うつせみは 物思ひ繁し そこゆゑに 心なぐさに 霍公鳥 鳴く初声を 橘の 玉にあへ貫き かづらきて 遊ばむはしも 大夫を 伴なへ立てて 叔羅川 なづさひ上り 平瀬には 小網さし渡し 早き瀬に 鵜を潜けつつ 月に日に しかし遊ばね 愛しき我が背子

 

4214

叔羅川瀬を尋ねつつ我が背子は鵜川立たさね心なぐさに

4215

鵜川立ち取らさむ鮎のしがはたは我れにかき向け思ひし思はば

 
      右九日附使贈之  
      詠霍公鳥并藤花一首[并短歌]  

4216

桃の花 紅色に にほひたる 面輪のうちに 青柳の 細き眉根を 笑み曲がり 朝影見つつ 娘子らが 手に取り持てる まそ鏡 二上山に 木の暗の 茂き谷辺を 呼び響め 朝飛び渡り 夕月夜 かそけき野辺に はろはろに 鳴く霍公鳥 立ち潜くと 羽触れに散らす 藤波の 花なつかしみ 引き攀ぢて 袖に扱入れつ 染まば染むとも

4217

霍公鳥鳴く羽触れにも散りにけり盛り過ぐらし藤波の花  一には「散りぬべみ袖に扱入れつ藤波の花」といふ

 
      同九日作之  
      更怨霍公鳥哢晩歌三首  

4218

霍公鳥鳴き渡りぬと告ぐれども我れ聞き継がず花は過ぎつつ

 

4219

我がここだ偲はく知らに霍公鳥いづへの山を鳴きか越ゆらむ

4220

月立ちし日より招きつつうち偲ひ待てど来鳴かぬ霍公鳥かも

 
      贈京人歌二首  

4221

妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし

 

4222

つれもなく離れにしものと人は言へど逢はぬ日まねみ思ひぞ我がする

      右為贈留女之女郎所誂家婦作也。女郎者即大伴家持之妹。  
      十二日遊覧布勢水海船泊於多<I>灣望<見>藤花各述懐作歌四首  

4223

藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る

 
      守大伴宿祢家持  

4224

多胡の浦の底さへにほふ藤波をかざして行かむ見ぬ人のため

 
      次官内蔵忌寸縄麻呂  

4225

いささかに思ひて来しを多胡の浦に咲ける藤見て一夜経ぬべし

 
      判官久米朝臣廣縄  

4226

藤波を仮廬に作り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ

 
      久米朝臣継麻呂  
      恨霍公鳥不喧歌一首  

4227

家に行きて何を語らむあしひきの山霍公鳥一声も鳴け

 
      判官久米朝臣廣縄  
      見攀折保寶葉歌二首  

4228

我が背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋

 
      講師僧恵行  

4229

皇祖の遠御代御代はい重き折り酒飲みきといふぞこのほほがしは

 
      守大伴宿祢家持  
      還時濱上仰見月光歌一首  

4230

渋谿をさして我が行くこの浜に月夜飽きてむ馬しまし止め

 
      守大伴宿祢家持  
      廿二日贈判官久米朝臣廣縄霍公鳥怨恨歌一首[并短歌]  

4231

ここにして そがひに見ゆる 我が背子が 垣内の谷に 明けされば 榛のさ枝に 夕されば 藤の繁みに はろはろに 鳴く霍公鳥 我が宿の 植木橘 花に散る 時をまだしみ 来鳴かなく そこは恨みず しかれども 谷片付きて 家居れる 君が聞きつつ 告げなくも憂し

 
      反歌一首  

4232

我がここだ待てど来鳴かぬ霍公鳥ひとり聞きつつ告げぬ君かも

 
      詠霍公鳥歌一首[并短歌]  

4233

谷近く 家は居れども 木高くて 里はあれども 霍公鳥 いまだ来鳴かず 鳴く声を 聞かまく欲りと 朝には 門に出で立ち 夕には 谷を見渡し 恋ふれども 一声だにも いまだ聞こえず

 

4234

藤波の茂りは過ぎぬあしひきの山霍公鳥などか来鳴かぬ

 
      右廿三日掾久米朝臣廣縄和  
      追同處女墓歌一首[并短歌]  

4235

古に ありけるわざの くすばしき 事と言ひ継ぐ 智渟壮士 菟原壮士の うつせみの 名を争ふと たまきはる 命も捨てて 争ひに 妻問ひしける 処女らが 聞けば悲しさ 春花の にほえ栄えて 秋の葉の にほひに照れる 惜しき 身の盛りすら 大夫の 言いたはしみ 父母に 申し別れて 家離り 海辺に出で立ち 朝夕に 満ち来る潮の 八重波に 靡く玉藻の 節の間も 惜しき命を 露霜の 過ぎましにけれ 奥城を ここと定めて 後の世の 聞き継ぐ人も いや遠に 偲ひにせよと 黄楊小櫛 しか刺しけらし 生ひて靡けり

 

4236

娘子らが後の標と黄楊小櫛生ひ変り生ひて靡きけらしも

 
      右五月六日依興大伴宿祢家持作之  

4237

東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひわたるかも

 
      右一首贈京丹比家  
      挽歌一首[并短歌]  

4238

天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと 定まれる 官にしあれば 大君の 命畏み 鄙離る 国を治むと あしひきの 山川へだて 風雲に 言は通へど 直に逢はず 日の重なれば 思ひ恋ひ 息づき居るに 玉桙の 道来る人の 伝て言に 我れに語らく はしきよし 君はこのころ うらさびて 嘆かひいます 世間の 憂けく辛けく 咲く花も 時にうつろふ うつせみも 常なくありけり たらちねの 母の命 何しかも 時しはあらむを まそ鏡 見れども飽かず 玉の緒の 惜しき盛りに 立つ霧の 失せぬるごとく 置く露の 消ぬるがごとく 玉藻なす 靡き臥い伏し 行く水の 留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる 梓弓 爪引く夜音の 遠音にも 聞けば悲しみ にはたづみ 流るる涙 留めかねつも

 

4239

遠音にも君が嘆くと聞きつれば哭のみし泣かゆ相思ふ我れは

 

4240

世間の常なきことは知るらむを心尽くすな大夫にして

 
      右大伴宿祢家持弔聟南右大臣家藤原二郎之喪慈母患也 五月廿七日  ページトップへ
      霖雨の晴れぬる日に作る歌一首  

4241

卯の花を腐す長雨の始水に寄る木屑なす寄らむ子もがも

 
      見漁夫火光歌一首  

4242

鮪突くと海人の灯せる漁り火の秀にか出ださむ我が下思ひを

 
      右二首五月  

4243

我が宿の萩咲きにけり秋風の吹かむを待たばいと遠みかも

 
      右一首六月十五日見芽子早花作之  
      従京師来贈歌一首[并短歌]  

4244

海神の 神の命の み櫛笥に 貯ひ置きて 斎くとふ 玉にまさりて 思へりし 我が子にはあれど うつせみの 世の理と 大夫の 引きのまにまに しなざかる 越道をさして 延ふ蔦の 別れにしより 沖つ波 とをむ眉引き 大船の ゆくらゆくらに 面影に もとな見えつつ かく恋ひば 老いづく我が身 けだし堪へむかも

 
      反歌一首  

4245

かくばかり恋しくしあらばまそ鏡見ぬ日時なくあらましものを

 
      右二首大伴氏坂上郎女賜女子大嬢也  
      九月三日宴歌二首  

4246

このしぐれいたくな降りそ我妹子に見せむがために黄葉取りてむ

 
      右一首掾久米朝臣廣縄作之  

4247

あをによし奈良人見むと我が背子が標けむ紅葉地に落ちめやも

 
      右一首守大伴宿祢家持作之  

4248

朝霧のたなびく田居に鳴く雁を留め得むかも我が宿の萩

 
      右一首歌者幸於芳野離宮之時藤原皇后御作 但年月未審詳 十月五日河邊朝臣東人傳誦云尓  

4249

あしひきの山の紅葉にしづくあひて散らむ山道を君が越えまく

 
      右一首同月十六日餞之朝集使少目秦伊美吉石竹時守大伴宿祢家持作之  
      雪日作歌一首  

4250

この雪の消残る時にいざ行かな山橘の実の照るも見む

 
      右一首十二月大伴宿祢家持作之  

4251

大殿の この廻りの 雪な踏みそね しばしばも 降らぬ雪ぞ 山のみに 降りし雪ぞ ゆめ寄るな 人やな踏みそね 雪は

 
      反歌一首  

4252

ありつつも見したまはむぞ大殿のこの廻りの雪な踏みそね

 
      右二首歌者三形沙弥承贈左大臣藤原北卿之語作誦之也 聞之傳者笠朝臣子君 復後傳讀者越中國掾久米朝臣廣縄是也  
      天平勝寶三年  

4253

新しき年の初めはいや年に雪踏み平し常かくにもが

 
      右一首歌者 正月二日守舘集宴 於時零雪殊多積有四尺焉 即主人大伴宿祢家持作此歌也  

4254

降る雪を腰になづみて参ゐて来し験もあるか年の初めに

 
      右一首三日會集介内蔵忌寸縄麻呂之舘宴樂時大伴宿祢家持作之  
      于時積雪彫成重巌之起奇巧綵發草樹之花 属此掾久米朝臣廣縄作歌一首  

4255

なでしこは秋咲くものを君が家の雪の巌に咲けりけるかも

 
      遊行女婦蒲生娘子歌一首  

4256

雪の嶋巌に植ゑたるなでしこは千代に咲かぬか君がかざしに

 
      于是諸人酒酣更深鶏鳴 因此主人内蔵伊美吉縄麻呂作歌一首  

4257

うち羽振き鶏は鳴くともかくばかり降り敷く雪に君いまさめやも

 
      守大伴宿祢家持和歌一首  

4258

鳴く鶏はいやしき鳴けど降る雪の千重に積めこそ我が立ちかてね

 
      太上大臣藤原家之縣犬養命婦奉天皇歌一首  

4259

天雲をほろに踏みあだし鳴る神も今日にまさりて畏けめやも

 
      右一首傳誦<掾>久米朝臣廣縄也  
      悲傷死妻歌一首[并短歌] [作主未詳]  

4260

天地の 神はなかれや 愛しき 我が妻離る 光る神 鳴りはた娘子 携はり ともにあらむと 思ひしに 心違ひぬ 言はむすべ 為むすべ知らに 木綿たすき 肩に取り懸け 倭文幣を 手に取り持ちて な放けそと 我れは祈れど 枕きて寝し 妹が手本は 雲にたなびく

 
      反歌一首  

4261

うつつにと思ひてしかも夢のみに手本巻き寝と見ればすべなし

 
      右二首傳誦遊行女婦蒲生是也  
      二月二日會集于守舘宴作歌一首  

4262

君が行きもし久にあらば梅柳誰れとともにか我がかづらかむ

 
      右判官久米朝臣廣縄以正税帳應入京師 仍守大伴宿祢家持作此歌也 但越中風土梅花柳絮三月初咲耳  
      詠霍公鳥歌一首  

4263

二上の峰の上の茂に隠りにしその霍公鳥待てど来鳴かず

 
      右四月十六日大伴宿祢家持作之  
      春日祭神之日藤原太后御作歌一首 / 即賜入唐大使藤原朝臣清河 参議従四位下遣唐使  

4264

大船に真楫しじ貫きこの我子を唐国へ遣る斎へ神たち

 
      大使藤原朝臣清河歌一首  

4265

春日野に斎く三諸の梅の花栄えてあり待て帰りくるまで

 
      大納言藤原家餞之入唐使等宴日歌一首 [即主人卿作之]  

4266

天雲の行き帰りなむものゆゑに思ひぞ我がする別れ悲しみ

 
      民部少輔丹治比真人土作歌一首  

4267

住吉に斎く祝が神言と行くとも来とも船は早けむ

 
      大使藤原朝臣清河歌一首  

4268

あらたまの年の緒長く我が思へる子らに恋ふべき月近づきぬ

 
      天平五年贈入唐使歌一首[并短歌] [作主未詳]  

4269

そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に 任けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして さし寄らむ 礒の崎々 漕ぎ泊てむ 泊り泊りに 荒き風 波にあはせず 平けく 率て帰りませ もとの朝廷に

 
      反歌一首  

4270

沖つ波辺波な越しそ君が船漕ぎ帰り来て津に泊つるまで

 
      阿倍朝臣老人遣唐時奉母悲別歌一首  

4271

天雲のそきへの極み我が思へる君に別れむ日近くなりぬ

 
      右件歌者傳誦之人越中大目高安倉人種麻呂是也 但年月次者随聞之時載於此焉  
      以七月十七日遷任少納言 仍作悲別之歌贈貽朝集使<掾>久米朝臣廣縄之館二首  
      既満六載之期忽値遷替之運 於是別舊之悽心中欝結 拭な之袖何以能旱 因作悲歌二首式遺莫忘之志 其詞曰  

4272

あらたまの年の緒長く相見てしその心引き忘らえめやも

 

4273

石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鷹猟だにせずや別れむ

 
      右八月四日贈之  
      便附大帳使取八月五日應入京師 因此以四日設國厨之饌於介内蔵伊美吉縄麻呂舘餞之 于時大伴宿祢家持作歌一首  

4274

しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも

 
      五日平旦上道 仍國司次官已下諸僚皆共視送 於時射水郡大領安努君廣嶋 門前之林中預設餞饌之宴 于此大帳使大伴宿祢家持和内蔵伊美吉縄麻呂捧盞之歌一首  

4275

玉桙の道に出で立ち行く我れは君が事跡を負ひてし行かむ

 
      正税帳使掾久米朝臣廣縄事畢退任 適遇於越前國掾大伴宿祢池主之舘 仍共飲樂也 于時久米朝臣廣縄矚芽子花作歌一首  

4276

君が家に植ゑたる萩の初花を折りてかざさな旅別るどち

 
      大伴宿祢家持和歌一首  

4277

立ちて居て待てど待ちかね出でて来し君にここに逢ひかざしつる萩

 
      向京路上依興預作侍宴應詔歌一首[并短歌]  

4278

蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ 整へたまひ 食す国も 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ

 
      反歌一首  

4279

秋の花種にあれど色ごとに見し明らむる今日の貴さ

 
      為壽左大臣橘卿預作歌一首  

4280

いにしへに君が三代経て仕へけり我が大主は七代申さね

 
      十月廿二日於左大辨紀飯麻呂朝臣家宴歌三首  

4281

手束弓手に取り持ちて朝狩りに君は立たしぬ棚倉の野に

 
      右一首治部卿船王傳誦之 久邇京都時歌 [未詳作<主>也]  

4282

明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ

 
      右一首左中辨中臣朝臣清麻呂傳誦 古京時歌也  

4283

十月時雨の常か我が背子が宿の黄葉散りぬべく見ゆ

 
      右一首少納言大伴宿祢家持當時矚梨黄葉作此歌也  
      壬申年之乱平定以後歌二首  

4284

大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ

 
      右一首大将軍贈右大臣大伴卿作  

4285

大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ 作者未詳

 
      右件二首天平勝寶四年二月二日聞之 即載於茲也  
      閏三月於衛門督大伴古慈悲宿祢家餞之入唐副使同胡麻呂宿祢等歌二首  

4286

唐国に行き足らはして帰り来むますら健男に御酒奉る

 
      右一首多治比真人鷹主壽副使大伴胡麻呂宿祢也  

4287

櫛も見じ屋内も掃かじ草枕旅行く君を斎ふと思ひて

 
      右件歌傳誦大伴宿祢村上同清継等是也  
      勅従四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使藤原朝臣清河等御歌一首[并短歌]  

4288

そらみつ 大和の国は 水の上は 地行くごとく 船の上は 床に居るごと 大神の 斎へる国ぞ 四つの船 船の舳並べ 平けく 早渡り来て 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は

 
      反歌一首  

4289

四つの船早帰り来としらか付け我が裳の裾に斎ひて待たむ

 
      右發遣 勅使并賜酒樂宴之日月未得詳審也  
      為應詔儲作歌一首[并短歌]  

4290

あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ

 
      反歌一首  

4291

天皇の御代万代にかくしこそ見し明きらめめ立つ年の端に

 
      右二首大伴宿祢家持作之  
      天皇太后共幸於大納言藤原家之日黄葉澤蘭一株拔取令持内侍佐々貴山君遣賜大納言藤原卿并陪従大夫等御歌一首  
      命婦誦曰  

4292

この里は継ぎて霜や置く夏の野に我が見し草はもみちたりけり

 
      十一月八日在於左大臣橘朝臣宅肆宴歌四首  

4293

よそのみに見ればありしを今日見ては年に忘れず思ほえむかも

 
      右一首太上天皇御歌  

4294

葎延ふ賎しき宿も大君の座さむと知らば玉敷かましを

 
      右一首左大臣橘卿  

4295

松蔭の清き浜辺に玉敷かば君来まさむか清き浜辺に

 
      右一首右大辨藤原八束朝臣  

4296

天地に足らはし照りて我が大君敷きませばかも楽しき小里

 
      右一首少納言大伴宿祢家持 [未奏]  
      廿五日新甞會肆宴應詔歌六首  

4297

天地と相栄えむと大宮を仕へまつれば貴く嬉しき

 
      右一首大納言巨勢朝臣  

4298

天にはも五百つ綱延ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ

 
      右一首式部卿石川年足朝臣  

4299

天地と久しきまでに万代に仕へまつらむ黒酒白酒を

 
      右一首従三位文屋智努真人  

4300

島山に照れる橘うずに刺し仕へまつるは卿大夫たち

 
      右一首右大辨藤原八束朝臣  

4301

袖垂れていざ我が園に鴬の木伝ひ散らす梅の花見に

 
      右一首大和國守藤原永手朝臣  

4302

あしひきの山下ひかげかづらける上にやさらに梅をしのはむ

 
      右一首少納言大伴宿祢家持  
      廿七日林王宅餞之但馬按察使橘奈良麻呂朝臣宴歌三首  

4303

能登川の後には逢はむしましくも別るといへば悲しくもあるか

 
      右一首治部卿船王  

4304

立ち別れ君がいまさば磯城島の人は我れじく斎ひて待たむ

 
      右一首右京少進大伴宿祢黒麻呂  

4305

白雪の降り敷く山を越え行かむ君をぞもとな息の緒に思ふ、息の緒にする

 
      左大臣換尾云 伊伎能乎尓須流 然猶喩曰 如前誦之也 / 右一首少納言大伴宿祢家持  
      右一首少納言大伴宿祢家持  
      五年正月四日於治部少輔石上朝臣宅嗣家宴歌三首  

4306

言繁み相問はなくに梅の花雪にしをれてうつろはむかも

 
      右一首主人石上朝臣宅嗣  

4307

梅の花咲けるが中にふふめるは恋か隠れる雪を待つとか

 
      右一首中務大輔茨田王  

4308

新しき年の初めに思ふどちい群れて居れば嬉しくもあるか

 
      右一首大膳大夫道祖王  
      十一日大雪落積尺有二寸 因述拙懐歌三首  

4309

大宮の内にも外にもめづらしく降れる大雪な踏みそね惜し

 

4310

御園生の竹の林に鴬はしば鳴きにしを雪は降りつつ

 

4311

鴬の鳴きし垣内ににほへりし梅この雪にうつろふらむか

 
      十二日侍於内裏聞千鳥喧作歌一首  

4312

川洲にも雪は降れれし宮の内に千鳥鳴くらし居む所なみ

 
      二月十九日於左大臣橘家宴見攀折柳條歌一首  

4313

青柳の上枝攀ぢ取りかづらくは君が宿にし千年寿くとぞ

 
      廿三日依興作歌二首  

4314

春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鴬鳴くも

 

4315

我が宿のい笹群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも

 
      廿五日作歌一首  

4316

うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しも独し思へば

 
      春日遅々ネノ正啼 悽惆之意非歌難撥耳 仍作此歌式展締緒 但此巻中不稱 作者名字徒録年月所處縁起者 皆大伴宿祢家持裁作歌詞也  
   

万葉集 巻第十九 

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